2022年1月
            1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30 31          
無料ブログはココログ

俺たちのヒーロー列伝・その14 寺尾聰(1947~)

 

俺たちのヒーロー列伝・その13 三田村邦彦(1953~)

続いてのヒーローは…

 

寺尾聰(てらお・あきら)さんです。

 

この人に見るヒーロー性は、個人的には石原プロの一連の刑事ドラマで活躍した姿です。

 

これら刑事ドラマを終えた後しばらく人気に陰りも見え、表立った活動が目立たなくなった時期もありましたが、2000年頃を境に映画などで立て続けに主演してからは、押しも押されもせぬ主演俳優に躍り出て、存在感の大きい役者へとなっていきました。また寺尾氏は歌手としてもビッグヒットを飛ばし一躍時の人となった歌謡界のヒーローでもありました。

 

寺尾氏は、演劇界の重鎮である宇野重吉氏を父に持ついわゆる「二世俳優」ですが、当初役者はやっておらず、デビューはグループサウンズであり、その初期の代表的グループのひとつ「ザ・サベージ」のメンバーでした。そのサベージでベースとボーカルを担当し1966(昭和41)年「いつまでもいつまでも」を大ヒットさせます。

彼はこのバンドには途中で加入し、また途中1967(昭和42)年には離脱しており、バンド自体の活動も3年で解散となっていますが、それよりもっと短い(1年そこそこ)バンドでのキャリアだった訳です。その後も他のバンドへ移籍していますがシングル1枚出したのみで翌1968(昭和43)年に父と同じ役者の世界へ足を踏み出しています。

役者デビューは石原裕次郎主演映画「黒部の太陽」で、これを機に石原裕次郎門下に入り、俳優としてのキャリアを本格スタートしたといいますが、当初はそんなにビッグネームではなかったと思います。リアルで知らないので想像ですが…。

ただ再放送で見て記憶にあるのが1974(昭和49)年の「バラ色の人生」というドラマで主演していた事です。香山美子さんと共演していていい仲だったような?のと少しふっくらしていた記憶ぐらいしかありませんが「主役なんだ」と思ったことはありました。というのも、それ以前に「おくさまは18歳」に出ていましたが、ここではどちらかというとコミカルな役柄で、主人公の恋人役は石立鉄男さんだったので、当時はまだそういう立ち位置かと思ったものでした。

 

昭和50年代に入り「同胞(はらから)」(1975)「サチコの幸(さち)」(1976)という映画に主役クレジットではないものの、ほぼ主役の役柄で出演します。「同胞」は山田洋次監督作品ですが、いずれの映画もあまり世間的に名高いという感じではなく、そこそこの役者という感じだったと推測します。またこれら作品見ていないので、これについてはなんとも言えないですね。

 

1976(昭和51)年は、渡哲也氏の復帰作にして石原裕次郎氏が、そして石原プロ初制作となる連続ドラマ「大都会・闘いの日々」にレギュラー出演します。といっても毎回出ている訳ではなく、また刑事役ではなくて新聞記者役で、このドラマでデビューした神田正輝氏と併記でキャスト紹介されていました。ストーリーに絡む事もほとんどなく、石原プロの俳優だからなんか出ていたみたいな(勝手な)印象でした。

翌1977(昭和52)年には「太陽にほえろ!」に出演しました。といってもゲストで、犯人ではなく七曲署と合同捜査するために派遣されてきた刑事の役で、刑事役はこれが初めてだったのではないでしょうか。この時のゲストクレジットとして筆頭格で、典型的なサラリーマン刑事の彼を七曲署の刑事たちとの触れ合いの中で、人間的になっていくようなのがストーリーの流れでした。「大都会-」もここでも、口ひげを生やして出演していて、後のクールな姿とは全然違ったイメージでした。
ちなみに具体的日付は書かれていません、29歳の時に「潰瘍穿孔」という胃に穴が開く病気に見舞われ、4日間生死の境を彷徨い、胃の80%を摘出し、体重が20kgも痩せたといわれ、年齢的にはこの辺りの時期かと思われますが、後のスリムで颯爽としたカッコよさは、皮肉にもこの大病が関わっていたようです。

 

1978(昭和53)年に大都会の3作目「大都会PARTⅢ」にて、主演の渡哲也氏に続く刑事の役どころでジローこと牧野次郎刑事として登場し、これが後に時の人になるその原型といえます。この作品は後の「西部警察」へ続く集団刑事アクションの原型となり、この時代までに色んな刑事ドラマがありましたが、マグナムを愛用する刑事なんて初めてではなかったでしょうか。

C5hdd6yvaaaydiy

「大都会PARTⅢ」は1年で放送が終了、シリーズが3作で終了し、その後間髪なく1979(昭和54)年に局を日本テレビからテレビ朝日に変えて「西部警察」がスタートします。

局を変えた事でアクションのスケールがパワーアップしたものの、フォーマットに大きな変更はなく、刑事を演じた俳優も何人かはそのままスピンオフで継続出演し、寺尾氏も継続となりました。

ここではリキこと松田猛刑事役で、スマートでマグナムを愛用するクールな男、爆弾処理等メカニズムに長けている点はほぼ同じ、渡哲也氏演じる大門部長刑事の片腕として、より力強い存在に位置づけられている感はありました。

西部警察も「太陽にほえろ!」のように刑事をニックネームで呼んでいましたが、基本はその役名にちなんだニックネームであり、源田なら「ゲン」北条なら「ジョー」といった具合でした。しかし松田猛=リキ??ですよね。現に彼はアドリブなのか石原裕次郎氏演じる木暮課長赴任で始まる第1話で課長への自己紹介時に「松田リキです」と名乗っていました(笑) 当時の撮影スタッフに子供が生まれ「リキオ」と名づけたそうで、そこから「リキ」のニックネームを拝借したらしく、当初企画書ではニックネームは役名に因み「タケ」となっていました。

大都会は夜9時の番組でしたが、西部警察は夜8時の放送で、当時の小学生にはより親しみが増し、友達と時々話していましたが「どの刑事が好きか?」というので、よくこの「リキ」の名が挙がったものでした。スリムな体系にカッコ良い仕草、行動もセリフ回しもスマートで、四角いサングラスをかけてクールにマグナムをぶっ放す姿は、大都会のジローも同じだったのですが、よりお茶の間の人気を獲得し、彼の人気を不動のものにしていった、といっても過言ではなかったでしょう。

Himg0044_20220109221801

そしてその人気の過熱ぶりが顕著になったのが1981(昭和56)年、歌手としての「ルビーの指環」の大ヒットでした。
この曲は何もかも記録ずくめで、オリコン10週連続1位の快挙をはじめ、1981年度の年間シングルでも1位を記録し、第23回日本レコード大賞も受賞、この年の歌謡関連の常にトップを飾り、歌番組でも「ザ・ベストテン」では12週連続1位の番組記録を保持していました。

当時その「ザ・ベストテン」を見始めた頃でしたが、毎週のようにこの曲が1位で、彼が歌い終わると番組が終わって…というのが、木曜の晩のルーティンワークのようですらありました。「またルビーの指環が1位だった」という何か安心感のようなものを抱いて10時に「おやすみ」と寝始めたというのが当時の思い出です。

 

という訳で、俳優としても歌手としても人気が最高潮に達した1981年でしたが、翌1982(昭和57)年に衝撃的なニュースが。

「西部警察」でリキが殉職する!

彼の演じる松田刑事が、2年半続いた番組の最終回間近で殉職するというのです。それも噂ではなく新聞の夕刊に載っていたので「これはもう避けようのない事実」として受けいれるしかない!と当時小5ながらに思いました。

それにしても中心刑事のリキは死ぬことはないだろうと思っていただけにショックでした。

しかしその後に、それを納得される出来事が。

石原プロ破門のニュースでした。「破門」という言葉はこの時覚えましたが、結局石原プロから出る事となり、その本流から外れたからリキ殉職となったのか?という「大人の事情」を小6当時感じたものでした。

Img_20171027_230453_20220109230801

そうしてしばらく、TVからは彼の姿を見かける事がめっきり減ってしまいました。西部警察を出てむしろこれから飛躍していくんじゃないか?と思っていたところでもあり、とても寂しいものがありました。

番組を離れ翌1983(昭和58)年、某ラジオ番組を聴いていたら彼の新曲が流れていました。「飛行少年」というポップな曲調で相変わらず淡々とした歌い口の曲で、思わず途中からラジカセの「録音」ボタンを押し、その後しばらく何度となく聞いた事もありました。

そしてまたしばらくあまり見聞きしなくなり、久々に連続ドラマの舞台に戻ってきたのが1986(昭和61)年の事でした。

あの刑事ドラマの金字塔であり、かつてゲストにも出ていた「太陽にほえろ!」が14年4ヶ月の放送を終了し、石原裕次郎氏が勇退、奈良岡朋子氏の女ボスを主演に据えて「太陽にほえろ!PART2」がスタート、わずか1クールだけで1987(昭和62)年2月に終了してしまいましたがこの作品には珍しい、特にニックネームを持たない喜多収刑事役で加入しました。西部警察のリキがそのまま生きていたら…という感じの変わらぬ風貌で、ちょっと図々しいキャラではありましたが、当時39歳、相変わらずのカッコよさで「復活」を見せつけてくれました。この当時は「Inter Change」という新曲も出し音楽活動も並行していました。

 

個人的に寺尾氏にヒーロー性を見出した作品は「大都会PARTⅢ」のジロー、「西部警察」のリキ、そして「太陽にほえろ!PART2」の喜多さんで、以後はヒゲを生やすのが常となり、違うキャラクターで人気を博していくように見えましたが、基本的に絶頂期の容貌の寺尾氏が好きで、その風貌で最後に見せてくれたのが1990(平成2)年の「刑事貴族」の初回にゲスト出演した時でした。

「刑事貴族」ではゲストでしたが、レギュラークレジットにてキャスト紹介されており、レギュラーで初回のみ登場したような格好で扱われていましたが、「西部警察」以来の舘ひろし氏との共演を果たし、共に学生時代ラグビーのチームで鳴らした間柄という設定でした。ちなみに両者は石原プロでは在籍「被り」期間がなく、寺尾氏破門後に舘氏が入社しています。

ここでは須藤刑事という役で、舘氏演じる牧刑事と組んで合同捜査をしていましたが、その須藤が犯人の一味を仕留めたシーンが往年を感じさせて「かっこいい!」となりました。車で走り去る犯人を追っかけて拳銃を発射、車は横転し、独特の淡々とした歩きで横転した車へ近づいていく須藤、しかし…背後から気の狂った男がマシンガンを乱射し、須藤は蜂の巣になり殉職してしまいます。「また蜂の巣か…」でしたが、これが最後に見たヒゲなしの格好いい寺尾氏でした。

その後はヒゲを生やした淡々としたキャラクターで通してきて、あまりヒーロー性を感じなくなりましたが、違った形で2005(平成17)年のドラマ「優しい時間」で主演し、ここでの文字通り優しいキャラクターはある意味癒されたような感がありました。顔つきが優しいので悪役はあまりできないタイプと思いますが、ヒーロー性を発揮していた刑事役こそが悪っぽいというか荒い面を見せていたように思いました。

刑事ドラマではその後2018(平成30)年に「特捜9」に2シーズン出演し、ここでは上司役を演じていましたが、それまで準主役だった井ノ原快彦氏が主役に昇格した際に上司役として登場しました。それまで上司役かつ主演であった渡瀬恒彦氏の後任であり、伝統ある作品に途中加入はプレッシャーだったと思います。

 

今年75歳を迎える寺尾氏、父の宇野重吉氏が73歳で亡くなっているので、既にその年齢を越えましたが、これからもまだまだ存在感を発揮して活躍を続けてほしいと思います。

2021年12月31日 (金)

【昔の思い出】昔の〇〇は△△だった その2

ココログのお題記事について、前回下記書きましたが、 【昔の思い出】昔の〇〇は△△...

» 続きを読む

2021年12月30日 (木)

【昔の思い出】昔の〇〇は△△だった

久々に「お題」に沿って書いてみようと思います。 ↓お題↓ 応募待ってます!お題の...

» 続きを読む

2021年12月19日 (日)

俺たちのヒーロー列伝・その13 三田村邦彦(1953~)

  俺たちのヒーロー列伝・その12 山下真司(1951~) 続いてのヒーローは…...

» 続きを読む

«俺たちのヒーロー列伝・その12 山下真司(1951~)