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2009年7月 5日 (日)

石原裕次郎 二十三回忌法要 放送

二十三回忌にして国立競技場での大法要、とド派手なイベントとしてしまうところがすごいですね。

偉大な映画スターとしての裕次郎を知る方々と我々のようなテレビの刑事ドラマのボスのイメージが強い年代と、見る目や捉え方は違うもののやはり大きな存在感を持った大スターであることには変わりはないですね、もっともボスのイメージが強い我々にとっては派手に動く石原裕次郎というのはある種新鮮な印象がありますが…。

昭和56年、小5の頃だったかに新聞で倒れたニュースが載っていたのを覚えています。手術して助かる確率はかなり低く…、そんな刑事ドラマのような事が現実に起こって、子供ながらに驚愕したものです。その数年前の「太陽にほえろ!」にも同じようなシーンがあり、その時のことも朧げながら記憶があります。ボスが冒頭で左胸を狙撃されて、治療室で生死をさまようシーン、それがオーバーラップしました。

                          

やがて数ヶ月後病院の屋上から元気の姿を見た時は本当に「よかった」と思ったものです。小学生だったので学校の帰りが早く、親が見てたワイドショーなんかでよくやってました。

しばらくしてその年のクリスマスの時期に「太陽にほえろ!」に復帰、”ボスのクリスマスプレゼント”という副題がついていましたっけ。年明けにはそのボス主演回が作られ、署内に男が侵入してきて軟禁状態の中、部下にこっそり指示を送りつつ事件を解決するというものでした。翌57年の4月には西部警察にも復帰、程なく全国縦断ロケとしてあちこち飛んでいっては、その土地をイベント会場としていました。関西には59年に最後のロケとして来てて、当時中1でしたが行きたかった~、という思いが強くありました。

                           

しかし61年、再び「太陽にほえろ!」を休み、既に山さんも殉職直後でボスも山さんも居ないという地味な時期が続きました。いかに刑事たちが活躍しようとやはり重鎮が居ないとこのドラマは成り立たなかったな、と思いました。数ヵ月後に渡哲也が代役として主役に立ち、番組は活気を取り戻しましたが、結局は年内に番組の終了が決定、その最終回に裕次郎ボスが現れて有終の美を飾りました。この時も色々とワイドショーでやってましたか、高1で部活もやってたのでなかなか見れませんでしたが…

                           

62年7月17日、NHKラジオのニュースで「俳優の石原裕次郎さんが…」と珍しく政治等の話ではないニュースを流れるがままに聴いていると、「亡くなりました」としめて、「えーっ」と声を上げて驚きました。高2の夏、ひとつの時代が終わった気がしました。昭和が終わったのはその翌々年の初頭の事で、多感な時代に色々な時代の変化が出てきていたんですね。

死後20年以上経ってもまだ生きているような感覚をもってしまい、多くの人がこのような感情を持っているのかな、と感じました。まさに「心の中でずっと生き続けている」という感覚なのでしょうか…。

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