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2010年1月 3日 (日)

奈良/東吉野 天誅組終焉の碑へ

奈良県吉野郡東吉野村、鷲家(わしか)バス停に降りたち、鷲家八幡神社を見たりした後、村役場の方へ向かって徒歩にて進んでいきます。

鷲家バス停からつきあたりを右折したところです。

ここにあるバス停も鷲家で当初のものと反対側の(榛原駅方面の)ものです。
Himg0016

 

道なりに進んですぐ、また橋に出くわしました。

流れているのは当初バス停に降りたった時と同じ鷲家川。

「しんかわいはし」とあり、橋の欄干には様々な装飾がなされています。
Himg0018

 

その橋から見た鷲家川の流れ周辺です。

東吉野温泉がここから5kmの所にあるようですが、今回の自分の進行方向とは逆で、またバス便も殆どない為、今回は完全に行くのを諦めています。
Himg0019

 

霧がかかる山を見ながら進んで行きます。

この先、山沿いの道となっており、人里離れたエリアに突入しそうな予感…。
Himg0020

 

案の定、人里離れていきました。

心細い気分になりつつ歩いていたら、左前方に何やら見えてきました。
Himg0022

 

見えていたのは、天誅組終焉之地の碑です。

東吉野といえば天誅組、訪問前ひたすらそのイメージでしたが、ようやく出会いました。

Himg0024

 

天誅組についての説明板です。

幕末の1863年、倒幕の先鋒として中山忠光を主将とする天誅組がこの付近の五条の地で挙兵し、やがて幕軍の追討を受けて十五志士が戦死したといいます。その数年後には明治の世を迎えた事となり、以前ここでupした高知県の田野町訪問時の二十三士を思い起こさせます。

倒幕といえば薩長土肥を連想しますが、かつて朝廷の置かれたこの吉野の地においてもそのような活動があり、貴重な血を代償にして明治の時代は幕を開けた訳ですね。
Himg0029

この地は東吉野の観光において重要な所のひとつかと思います。

次回にてその辺りをもう少しお伝えしたいと思います。

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