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2010年1月24日 (日)

奈良/安堵 安堵町歴史民俗資料館 今村勤三展

奈良県生駒郡安堵町、JR法隆寺駅からバスにて約5分で東安堵バス停に着いて安堵町入りし、安堵町役場を見てから、次ぎ向かった先は…

 

「安堵町歴史民俗資料館」です

Himg0196

 

資料館入口です。右手に見えている券売機で入場券(大人200円)を買い、左側に受付があるので渡します。 

開館時間は午前9時~午後5時で、最終入場は午後4時です。

門の前にはさすが奈良、せんとくんが立っています。
Himg0198

 

資料館としてよくあるのでしょうが、ここも今村邸という昔の邸宅が利用されていて、邸内に往時の暮らしの様子を窺い知ることができるもので、1991年に今村氏の寄贈を受け、93年に資料館として一般公開するに至ったとあります。

こんな風に間取りが載っています。

Himg0199

 

今村邸とありますが、東安堵村で農家として続き、代々庄屋役などの村役を務めた家柄で、この訪問時はなかでも「今村勤三展」として、この人物にスポットが当たっていました。 

今村勤三(1852-1924)という人物は、一言でいうと「奈良県の父」ということになりましょうか。

というのも、奈良県は1876(明治9)年に一度、県そのものが廃止されて堺県に編入されたという過去があります。

その後1871(明治14)年にはその堺県が大阪府へ編入され、彼は奈良県設置へ向けて何度もはたらきかけ、1887(明治20)年ついに奈良県再設置へとこぎつけたという訳です。

 

かつては大和国が大阪府だったということですね。

その後は鉄道会社や新聞社の社長や、衆院議員として犬養毅らと立憲改進党に属したり、政界を退いた後も別の鉄道会社を設立し社長に収まったり、銀行の取締役、紡績会社の社長と実に多方面にわたって活躍を続け、まさにマルチな才能を発揮した人といえます。

また凄いのが1892年の衆院選で落選し政界を離れたのに、その後1917年になって再度当選を果たすという実に25年のブランクを経て政界復帰したという点です。
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昔の邸宅の部屋の様子はもちろん、さまざまな書簡、写真、新聞記事など多くの資料が当時を物語ってくれます。 
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明治時代の貨幣、の展示もなされていました。

初任給から見ると物価は3,000倍程度という事になりますが、他の物価は上昇幅が大きいものとそうでないものとありますね。

食パンもこの時期(明治5年)既に日本にあったということでしょうか。牛乳も…。洋食系のものがいつ頃入ったのか、こういうのを見ると興味が湧いてくるものです。 
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次はこの資料館もうひとつの見ものをお送りします 

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