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2010年12月の21件の記事

2010年12月26日 (日)

JR魚津駅 (富山県魚津市)

すっかりご無沙汰してしまいました。最近は酒飲む日々続きつつ家に居るとYouTubeばかり見てるという日々で、すっかりはまったものがありまして、、それは機会があれば書くかもしれませんが、以前は短いものでもブログに書いていたものの、近頃はTwitterというものがある為、短文はそっちの方で色々つぶやき、ブログの方はすっかり駅・旅ネタ専用となってしまっています。

というわけで気を取り直し、

富山県魚津市のJR魚津(うおづ)です。

魚津市は富山県の北東部に位置し、人口は44,697人(2010.11.1現在)で、蜃気楼の見える町として有名で、また魚津埋没林として約2000年前に土砂崩れで海面下に埋まったとされる樹木が良好な状態で残る魚津埋没林博物館などがあります。

-JR魚津
【市内】
市内5駅(JR1、富山地鉄4)中の中心駅    
【路線】JR北陸本線(米原-直江津間)
【開業】1898年11月16日(訪問は2005年10月)
【1日あたり平均乗車人員】2,624人/日 (2007年)
【近隣の都市駅】
(米原方面)滑川駅→2駅
          (直江津方面)黒部駅→隣駅 

▼比較的昔の訪問で、ホーム撮りなど全く意識になかったので、いきなり駅舎からです。

黒部や滑川といった周辺の小都市同様、平屋根の横に長い平屋駅舎です。この辺の市の中心駅はどこへ行ってもこのような駅舎、という印象を受けてしまいます。

しかし、ここの駅前で独特なのは、左端に写っている「たてもん」のオブジェでしょうか。たてもんは富山県有形民俗文化財で、長さ10m、高さ16mほどの真柱に多くの提灯を吊るして、その下には絵額をつけたもので、これをそり台に立てて曳き回すという祭りが行われるそうで、たてもん自体は享保年間に現在の形になったといわれ、300年もの歴史を持つそうです。

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▼駅出てすぐ左側にある地下連絡道で、富山地鉄の新魚津駅とつながっています。

ちなみに写真は、この時出張の延長上で行ったんですが、旅行する気もなかったのでデジカメを持っておらず、写るンですを約3年ぶりにに買って撮ったのですが、現像まで長期放置していたのもあり、上の写真のような変色具合となってしまっていました。

また、下の写真は携帯のカメラですが、当時のは画素数も低く、サイズを大きくすると更に画像が悪くなるような感じだったので、この時の旅のものは写真面だけでいえばやや後悔ものです。
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▼こちらは反対に駅から出た町の様子です。

来る前はここの事を「うお」だと思ってました。

結構都会じゃないか、という印象でした、来てみて。大通りが伸びていて、高い建物が並んでいて(ホテルも結構あったし)、とても人口4万5000ほどの町とは思えませんでした。平野部の面積は非常に少なく山間部がかなり多いようで、少ない平野部に町の機能が集中しているのでしょうか。昭和31年に発生した魚津大火後の復興で近代的都市に生まれ変わったといわれます。
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▼この町では宿泊もしました。その時のホテルの写真も。

APAホテルでした。知らない町に泊まる時には駅近だと有難いです。翌日大抵違う町に移動するので早い電車にも乗りやすくなるし、そういう意味で助かります。
Apa

2010年12月19日 (日)

JR常陸大宮駅 (茨城県常陸大宮市)

茨城県常陸大宮市のJR常陸大宮(ひたち・おおみや)です。

常陸大宮市は茨城県の北西部に位置し、栃木県とも接しており人口は45,453人(2010.9.1現在)で、旧・大宮町が2004年平成の大合併で周辺の町村を編入し、同時に市制施行して常陸大宮市となりました。断層が重なり合う所が多く、パワースポットの多い所といわれています。

-JR常陸大宮
【市内】
市内6駅(いずれもJR)中の中心駅    
【路線】JR水郡線(水戸-郡山間)
【開業】1918年10月23日(訪問は2010年9月)
【1日あたり平均乗車人員】1,115人/日 (2009年)
【近隣の都市駅】
(水戸方面)上菅谷→4駅
          (郡山方面)郡山駅→30駅 

▼平成の大合併でできた市名と中心駅名が一致する珍しいケースです。

水郡線はここから郡山方面が延々と郡部が続くので、市の中心駅となると郡山駅まで30駅ありません。
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▼ホームは2面2線で、駅内の跨線橋はなく、構内踏切でつながる形となっており、向こうに見えるのは駅外の自由通路になります。
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▼ホームの駅舎側、待合スペースにわずかにひさしがでていましたが、それ以外は雨ざらしで、市の中心感はあまりありません。
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▼こちらは反対側ホーム、ログハウス調のすばらしい待合室がドッシリ構えていました。しかしここもそれ以外は雨ざらしでした。
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▼駅舎内のようすです。

木製のベンチに畳のついた衝立に和風の趣を感じます。夏なんかは朝顔に風鈴が似合いそうな雰囲気です。吉永小百合さんの大きな人型看板も印象的、この辺りもそれなりの駅だから置かれているというのもあるのかな、と感じます。
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▼券売機と周辺の運賃表です。

周辺の主要駅となると、常陸大子、上菅谷、大都市として近いのは水戸になるでしょうか。

東京の都心へは2,500円ほどかかります。

この時は水郡線の上菅谷、常陸大子を経て福島県の磐城塙駅まで行って、便数の激減ぶりにたまりかねて、水戸方面へ引き返す時にここへ寄りました。水郡線の駅に寄る時は計画的にしたいものです。
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▼ホームにあったこの車両、「マルチプルタイタンパー」(マルタイ)という保線用の車両で、レールの歪みを矯正するものだそうです。この車両はプラッサー&トイラー社というオーストリアの重機メーカーの社名と日本の東鉄の文字が入っていました。
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▼常陸大宮駅の駅舎です。

青々とした屋根が印象的ですが、市の中心駅としてはいささか寂しげな印象を受けました。水郡線においては主要駅のひとつなのでしょうが、タクシー停車もほとんどなく、屋根が駅舎からせり出しているところがせめてもの主要駅的な雰囲気なのでしょうか。
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2010年12月18日 (土)

JR磯原駅 (茨城県北茨城市)

茨城県北茨城市のJR磯原(いそはら)です。

北茨城市は茨城県の北東端に位置し、福島県とも接しており人口は47,074人(2010.9.1現在)で、「七つの子」など童謡作家として名高い野口雨情の出身地であり、雨情に関係するものがよく見られます。

平成の大合併でできたような名前の市ですが、1956年市制施行の歴史ある市です。当初は茨城市とする予定だったのが、県都と誤解される(県庁所在地は水戸市)恐れがあるのと、大阪府茨木市との混同を避けるためか現市名になったそうです。

-JR磯原
【市内】
市内3駅(いずれもJR)中の中心駅    
【路線】JR常磐線(日暮里-岩沼間)
【開業】1897年2月25日(訪問は2010年9月)
【1日あたり平均乗車人員】1,928人/日 (2009年)
【近隣の都市駅】
(日暮里方面)高萩駅→2駅
          (岩沼方面)いわき駅→7駅 

▼北茨城市の中心駅ですが、当時の中心的な町である磯原の名を駅名として持ち続けています。

両隣とも北茨城市の駅で、市内はこの3駅が存在します。
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▼名所案内は散発的に列挙されているようですが、横並びの部分は同一のエリアにあるようで、野口雨情の生家が徒歩15分との事で1時間ぐらいあれば見てみたかったのですが…。
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▼ホームは2面2線の橋上駅舎で、橋の部分は単なる改札のある部分に終始せず、建屋が三角屋根になっています。

ちなみにここへは水郡線から常磐線の旅で来たのですが、既に夕刻で薄暗く写真がお見苦しい状態になっており、30代で写真に収めた最後の駅です。(この日泊まったのは「いわき」ですが、暗かったので写真に収めたのは翌朝となりました)
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▼駅舎内は見事な内装となっていて、和風の白壁、なまこ壁、障子のイメージの扉、上部は雨情の童謡のものか、パネル状になって貼られています。
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▼駅出て駅前の床面にあったイラストです。

市の木はマツ、市の鳥はカモメだそうです。

あとは雨情の作詞した作品をイラストにしたものでしょうか、「十五夜お月さん」「証城寺の狸囃子」「七つの子」「しゃぼん玉」といった子どもの頃に誰しもひと通りは聞いたんじゃないかというくらいのおなじみの童謡たち、これ全て彼の作詞によるものなんですね。

ちなみに証城寺というのは千葉県木更津市に実際にあるお寺、またカラスは一度に7羽もの雛を育てる事がないなど調べてると色んな事が分かってきました。
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▼駅に降り立ち、まっすぐ通りを眺めた様子。

ロータリーにタクシーが複数台待機し、右側にはバス停車場が設けられています。
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▼駅前ロータリーの真ん中、先ほどの写真のタクシー群の左にあるこの大きな石碑はこれまた野口雨情作詞作品「旅人の唄」の記念碑です。
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▼磯原駅の駅舎です。

2F建ての橋上駅舎で、屋根も二層になった見事な建屋で、木目の柱や屋根縁が建物の魅力を引き立たせているように思いました。
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2010年12月16日 (木)

JR東根駅 (山形県東根市)

山形県東根市のJR東根(ひがしね)です。

東根市は山形県の東部に位置し、人口は46,357人(2010.11.1現在)で、さくらんぼcherryの生産量が日本一、リンゴapple、ももの生産量が山形一という果樹王国として知られる市で、山形県の小都市群にあって人口を増加させ続けている市でもあります。

-JR東根
【市内】
市内3駅(いずれもJR)中の1駅    
【路線】JR奥羽本線(福島-青森間)
【開業】1911年12月5日(訪問は2010年9月)
【1日あたり平均乗車人員】327人/日 (2000年)
【近隣の都市駅】
(福島方面)さくらんぼ東根駅→隣駅
          (青森方面)村山駅→隣駅 

▼両隣のさくらんぼ東根駅と村山駅は、共に在来線でも新幹線でも隣駅という特異なロケーションとなっています。

東根の市名を名乗る駅であり、かつては市の中心駅でしたが、1999年山形新幹線が新庄駅まで延伸した際に開業した隣の「さくらんぼ東根駅」にその座を奪われ、すっかり格が落ちてしまいました。
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▼市名を名乗る駅でありながら、それも終着駅でもないのに1面1線の棒線ホーム、これも「さくらんぼ東根」駅開業に伴っての変更で、かつては1面2線あったといいます。格落ちということになるのでしょうか。ただ1面2線の名残でホームと駅舎間は跨線橋でつながっています。

ちなみに向こう側がさくらんぼ東根方面で、この時はその駅からここまで歩いて来ましたcoldsweats02、それもかなり遠回りして。
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▼反対の村山方面です。

この方向で見るとほとんど何にもないって感じです。格が落ちたとはいえ、市名を名乗る駅とは思えないほど。元々市の中心部に作られた訳ではないという部分も多分にあります。
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▼駅舎のない西出口、近年できたそうです。

アスファルトにひたすら激しくペイントがなされているだけで、何も置かれていない感じのロータリーに新鮮味があるかも、な感じで見ていました。
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▼東根駅の駅舎です。

ここにはかつて市の中心駅であった面影が随所に感じられます。

歓迎の看板が前面に出ていて「果樹の王国ひがしね」と謳っていて、名産のさくらんぼの絵もつけられています。
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2010年12月15日 (水)

JR三石駅 (岡山県備前市)

岡山県備前市のJR三石(みついし)です。

備前市ではJR備前片上駅をUP済ですが、市内の駅は備前片上と同じ赤穂線にあるのが殆どであり、今回の三石駅は唯一山陽本線に属している駅です。

-JR三石
【市内】
市内9駅(いずれもJR)中の中心駅    
【路線】JR山陽本線(神戸-門司間)
【開業】1890年12月1日(初訪問は1992年6月)
【1日あたり平均乗降車人員】 246人/日 (2007年)
【近隣の都市駅】(神戸方面)相生駅→3駅  
          (門司方面)岡山駅→10駅 

▼山陽本線では岡山県で最も東にあり、隣の上郡駅から兵庫県に入りますが、その駅間距離は12.8kmにもおよび、山陽本線では異例ともいえる長さです。

ここに初めて来たのは1992年と多数尋ねた駅中でもかなり古い部類に入りますが、その理由は西から帰省する際に在来線で岡山から来るとこの三石止めの電車に出くわす事があったためです。

18きっぷで帰ってきて、ここに停まるものでちょっと駅出てみようということで時々降り立って外へ出ていました。そしてそれは大抵夜暗くなってからのことだったので、昼間の風景をこの駅付近で殆ど見たことがありませんでした。という訳で行ってみたのが2度ほど、2003年と2010年11月、ここではそれらの写真をUPしていきます。

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▼名所ガイドです。

孕石神社、船坂峠、深谷の滝とありますが、いずれもメチャクチャに遠いものはありません。特に安産祈願の孕石神社は300mと至近です。(行くの忘れましたが…smile)
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▼駅ホームは1面2線となっていて、室内型の待合室があります。この様子は初訪問から18年経った今も殆ど変わっておらず、この待合室で待った事もよく記憶には残っています。
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▼ホームは小高い盛土上にあり、この階段を降りて改札へ向かいます。

意外な事にこのホームはJR西日本管内では3番目に標高が高いのだそうです。
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▼ホームから階段を下りていって、踊り場で90度方向を右に変えて、また数段の階段をおりて直進し改札へ向かうようになっています。
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▼車止めがありました。傍にはホームの残りらしきものがあり、歴史を感じさせます。かつてはレンガ工場への専用線があって製品を発送していたそうで、今でもこの辺りはレンガ工場やその煙突の目立つ街並みをのこしています。
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▼2枚の写真で、上が2003年8月、下が7年後の2010年11月の駅舎の写真です。

殆ど変わっていませんが、小高く狭い上に立っている構造で、しかも真ん前に植え込みが覆っていて、なかなか全体像を撮るのが難しい駅であります。
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▼これも上が2003年、下が2010年ですが、駅の様子は殆ど変わっておらず、変わっているのは写真の撮れ具合ではないかな、と。2003年のものは画素数の少ない携帯でとったものなので、かなり粗いものとなっていますので。

ともあれ、階段上がとてつもなく狭いのでなかなか駅舎をうまく撮れない事も全く変わっていませんでした。
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2010年12月14日 (火)

岡山/瀬戸内 邑久・門田遺跡の竪穴住居

岡山県瀬戸内市、JR邑久駅 からの様子です。(2005年3月)

▼まずは邑久駅前ロータリーの中心に建っていたこの童女像。

郷土(旧・邑久町)出身の人形師・竹田喜之助(1923-79)の傑作といわれる「雪ん子」像です。
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▼また、同じく旧・邑久町は画家として数多くの美人画を残した竹久夢二(1884-1934)の出身地でもあり、駅前の観光案内には夢二関連のグッズがこんな風にズラリと並んでいました。
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▼駅前広場から幹線道に出るまでの、いわば駅前通りにあたる部分ですが、幹線道まで出ないとこの辺りはこれといったものはありません。
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▼瀬戸内市というところに来てみたものの、これといって見つけられずただ幹線道に出てきてしまっただけで終わるのかな、と思い歩き続けていたら、貝塚があるというので入ってみました。

という訳でやってきたのがこの「史跡 門田(かどた)貝塚」です。
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▼門田貝塚は国指定史跡で、吉井川の形成した自然堤防上にある弥生時代前期から鎌倉時代という広い時代範囲に及ぶ集落遺跡です。
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▼史跡公園として竪穴住居群が復元作成されています。

弥生時代中期になると住居跡が確認され、竪穴住居が営まれていた事が分かるということで、奈良・平安時代の遺跡では掘立柱の大きな建物の跡があり役所があったのではないかともいわれています。
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▼竪穴住居についての説明板です。

10畳分くらいの広さで、茅葺き屋根は雨露をしのぎ、夏は涼しく冬は暖かといいます。今みたいにエアコンで室温調整するのではなく、人間の英知で何もないところから暑さ寒さをしのぐ事が考えられていた訳ですね。
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岡山/浅口 鴨方駅前寄っただけ

岡山県浅口市、JR鴨方駅周辺の様子です。(2007年10月)

▼これは駅前広場の様子で、駅は左側に隠れている部分になります。歩き旅というほど歩いていない、それどころか駅前に居ただけという感じだったので、ホントにこれというものを撮っていません。駅前の風景はこんなだよ、というのが分かって頂ければ、と思います。

ちなみにここでの思い出といえば、何駅も寄って腹が減っていた時に入ったキムラヤのパンのお店。駅の真ん前にパン屋さんがあって嬉しかったものでした。
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▼こちらは駅出て正面になります。

真ん前に中国銀行があって、その脇に通路があります。
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▼その中銀脇の通りの様子です。狭い道に何気に商店街風の通りが形成されている感じです。

メインの通りはこの左に平行に走っている道路と思われますが、滞在時間が極少で全然記録も記憶もない状態です。当時は多くの駅に寄る事に主眼が置かれ、ただ周辺の写真を最低限撮っていたという感じでとてもお楽しみ頂けるようなネタが今回は掲載できません。

駅が来年リニューアル予定なので、その折には街ももっと深く探求したいと思います。
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2010年12月13日 (月)

福井/あわら 昭和コンクリの駅前

福井県あわら市、JR芦原温泉駅からの様子を(2008年8月)

▼駅にあった芦原温泉付近観光案内図です。

芦原温泉以外にも、東尋坊に丸岡城、吉崎御坊に芝政と、この地図はやや広域ながら見どころは満載の地域といえます。
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「美しい日本海と東尋坊めぐり」として、散策モデルコースの看板がありました。

東尋坊まではこの図によるとここから13kmくらいありそうです。近年20km歩いてたりもしたので、それだけだと歩けなくもない距離ですが、自転車で1~2時間くらいかけて行くくらいがいいのかもしれません。どんな13kmかにもよりますが…coldsweats01ちなみに、えちぜん鉄道のあわら湯のまち駅からだと8kmになります。私が東尋坊に行った時は、三国駅から歩いて行きました。それも結構な距離だった気がします。
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▼駅西口を降りて左ナナメ前を向いた様子です。

駅前は御土産屋やレストランなどが連なっていますが、昭和風の建物が目立つ味わいある風景です。ソースカツ丼というのが越前名物だそうです。
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▼駅前広場の様子です。

タクシーが割に多く10台以上は停まっていて、雰囲気は昔ながらですが都市的な様相を呈してはいます。
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▼駅出て正面、やや右を向いた感じの所の様子です。

昭和風のビジネスホテルが目を惹いて仕方ありませんでした。他にも連なる昭和風コンクリート建屋にノックアウトされそうでした。

駅の真ん前周辺の写真が続きますが、個人的には建屋群を見ているだけでお腹いっぱいな感じになってくるのです。
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▼駅から西へ伸びる道路は県道122号・芦原温泉停車場線です。これが実質的な駅前通りという事になるでしょうか。
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▼県道を進むと橋に差し掛かり、そこから横目に眺めると、大きな川に注ぎ込む交点の上に架かる小橋がありました。T字の川の上に架かっている橋というわけですね。
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▼更に県道を進み信号のある交差点を左折し、南西へ。この向こうにある橋を渡って行き着く先があわら市役所なのですが、ここでの歩き旅はここまでだったのでした。
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▼この街で最も印象に残った写真はこれかもしれません。なんともほのぼのしていて写真を撮らないわけにはいかないだろう、という気にさせられたものです。営業してるのかな、というのが更に気になりますが。

こんな顔した人って居るよな、と思わされるウサギの絵でした。
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2010年12月12日 (日)

愛媛/東温 水天宮やら重信川へ

愛媛県東温市、伊予鉄道で松山市駅から横河原線に乗って終点横河原駅まで行き着いたところ、ここからの歩き旅の様子を(2010年9月)

▼駅に東温市の地図がありました。

平成14年となっているので、東温市になる前の旧・重信町時代の作成と思われますが、この地図の左側が松山方面でそこから右へV字のように線路が通っていく(赤ライン部分)のですが、ここ横河原はそのVの上がった右端の部分で、市内はV字の谷の部分に当たる見奈良駅の方が色々施設があるようで中心地なのかな、という気がしました。
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▼元々郡部だったところで新たに市になり、またそんな大きな駅でもないので、町は何もないのかと思っていましたが、意外にも駅の真ん前(駅前広場・左)にビジネスホテルがありました。

【ビジネスホテル若竹】 
横河原駅から徒歩0分。素泊4500円。洋室も和室もあり、全室インターネット完備。下に食堂あり、名物はジャンボいなり寿司。

などとなっています。東温にくる事があれば、最適の宿泊地かもしれません。
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▼駅出てまっすぐはこんな感じで、すぐに線路と平行な道路に行き当たる事になります。普通に市街地という感じで、市の中心のような雰囲気は見られません。
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▼横河原の駅前広場を左に折れるとこんな通りに。

普通に市街地です。とりあえずこれを進んでみます。
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▼上の写真の通りを途中で右折して入った道で出くわした「横河原郵便局」です。

中央の局ではないようで、それほど規模は大きくありません。
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▼歴史のありそうな建物の向こうにある茂みから垣間見える「水天宮」の文字が…。

誘われるかの如く入って行きます。
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▼その水天宮には、立派な寅の絵馬が取り付けられた拝殿がありました。

絵馬は縦2.5m、横2.7mで地元の東温高校の美術部員が3週間かけて製作したものだそうで、1995年から同部が毎年依頼を受ける形で絵馬を作成しているそうです。こんなところにも伝統が受け継がれている訳ですね。
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慶長7年に当時松前城主の加藤嘉明が松山城を築くにあたり、普請奉行として命を受けた足立重信が当時暴れ川として有名だった伊予川を大改修する事となり、その起工式をこの地にて行う為、水天宮を奉斎して祭祀したことに始まったようです。伊予川はこの重信の働きを讃えて「重信川」と呼ばれるようになり、この横河原の地も重信町(東温市に合併なるまでの自治体)となりました。

▼横河原橋まで出てきました。

流れる川はその重信川なのですが、ここで見る限りでは水がほとんどありませんでした…

河原は重信川の公園として整備されている区間があります。
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香川/東かがわ 三本松の町をゆく

香川県東かがわ市、JR三本松駅からの様子を。(2010年7月)

実に久々に泊まりで出かけた旅で初の新規訪問した市がこの東かがわ市でした。この駅を通るJR高徳線も高松から徳島まで通しで乗ったことがなかったので、それもできてよかったなというところでした。

▼三本松駅の跨線橋から駅前周辺を見下ろした様子です。

ロータリー状に整備された様子は見受けられず、スペースが広がっているだけという感じがここでは見て取れました。
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▼駅出てすぐ目の前に「ぶどう餅」の大きな看板のお店があります。

この店は巴堂という昭和2年創業の老舗だそうです。

ぶどう餅とは小豆のこしあんを丸め薄皮で包んで蒸し上げ、それを4つずつ串刺しにしたお菓子ということで、東かがわの郷土名菓との事。昔は戦に明け暮れた武士に差し出され「武道餅」という名づけもなされていたとか。
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▼ぶどう餅のお店より右に視線をスライドして、駅から伸びている通りです。バス停はこの道の左端にポツリとベンチが置かれいてる所にあります。
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▼これはそのバス停から反対に駅側を眺めた様子。

「大川バス」というところのバス停で、大川バスは大川自動車という、さぬき市を本拠とするバス会社の愛称で、さぬき市とこの東かがわ市を中心とする東讃地域を主な営業エリアとし、高松-徳島間の高速バス「高徳エクスプレス」を運行していたりもするそうです。
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▼駅から伸びた通りを左折して出くわした「MITSUKOSHI」の看板。三越の小売売店として三本松に置かれている店のようですが、こんなに小さい三越って違和感ありました。こういう形態の三越のお店はいくつかあるそうですが…
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▼その付近にあった神武天皇社という小さな神社です。
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▼駅から伸びている通りと交差するメインの道路・国道11号線上で、交差点を左折したところです。右の塾の名前と建屋の色遣いがちょっと怖いですが、れっきとした進学塾だそうです。
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▼三本松商店街、とある通りです。

ゲートに提灯が取り付けられ、看板と街灯とのセットで、いかにも歓迎という感じではあります。昔ながらの雰囲気がいい感じです。

ってそういう事を伝えたい訳じゃないんですが、なんていうか写真を撮ってる時に感じてる事と、こうやって写真をUPして活字で伝える事には往々にしてギッャプというか食い違いというかあるもんです。活字では毎回ありきたりな事しか書いてないなといつも感じつつ書いてしまうのです。

ちなみに三本松商店街はかつては東讃の商都として栄えたそうで、多くの商店街同様に衰退の道をたどりつつあり、平成になってから「おおちほろ宵祭り」などを開催したり活性化を図っています。ちなみに「おおち」とは、近年東かがわ市になる前の自治体名・大内(おおち)町からきています。
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「香川県立大川中学校跡」の石碑が建っていました。

現在の三本松高校が、高松中学の大川分校としてその歴史をスタートさせたのが1900年、3年後に校舎を移転させていますが、この碑は開校記念として1968年につくられたそうです。

碑の足下はジェンガのように?!縦横交互に石積みされていたのが印象的でした。
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2010年12月11日 (土)

島根/東出雲 「ひがいも」の中心街へ

島根県八束郡東出雲町、県都・松江市の東隣にあるベットタウン的な町で、JR揖屋駅からの歩き旅の模様を!(2010年7月)

▼これは駅にあった名所案内。

どの方向にどのくらいの時間がかかるかなど視覚的に分かり易くていいです。徒歩で行ける所は行こう、なんて感じで。車で○○分、てところは徒歩ではちょっとしんどいかな、というところですが…

町名をつづめて「ひがいも」と言われたりしていますが、松江市に住んでいた事のある自分にとっては、この東出雲は隣町でありながら、片手で数えられる程くらいしか行った事がなく、写真も残した事が殆どなく灯台下暗しそのものでした。という訳で今年、しっかりと歩いて町の風景を記録と共に目に焼き付けてきたのです。

陣幕久五郎の碑というのがありますが、「陣幕」の名は一時期すごく話題になった事と思います。というのも横綱・千代の富士(現・九重親方)が1991年に引退後に最初に名乗った年寄り名がこの陣幕なのです。陣幕久五郎(1829-1903)はこの東出雲町出身で、1867(慶応3)年に横綱免許を授与された第12代横綱として活躍した力士で、以後この名は年寄名として継承された訳ですが、千代の富士が陣幕襲名にあたってこの町に来た事もあり、まだマゲの残る「陣幕親方」のナマ写真を知り合いからもらって、今も大事に持っています。その後、自らの師匠であった当時の九重親方(現・北の富士勝昭氏)と名跡を交換する形で九重を名乗り現在に至っています。

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▼揖屋駅は出口が片側にしかかないので、駅から出た後に自由通路が設けられ、反対側に行き着くことができます。単なる橋と階段ではなく、踊り場や裾に広がる階段など視覚的にも見事に思える立派なものが作られています。ちなみに駅はこの右に隠れた位置です。
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▼これもまた駅前少し右、自由通路下の真ん前にあった「女寅はん」の銅像です。

やはりここ東出雲町出身の歌舞伎役者・6代目市川門之助(1862-1914)が門之助襲名以前に名乗っていたのが2代目市川女寅であり、この女寅時代に演じた女形が当たり役となり人気を博したといいます。
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▼東出雲町の観光案内図ですが、茂みに隠れつつある様相です。

線路が通っているのは日本海側、町の北端のみで駅も揖屋1駅のみです。東に安来市、西に松江市という市部に挟まれつつも八束郡唯一の町として残っている状態です。

この駅近くにある「三菱農機」は東出雲町を代表する企業で、本社は町内にあり、農業機械の生産では日本で第4位にランクしている会社です。
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▼揖屋駅からのまっすぐ目線の光景です。

女寅はんの像はこの右、その手前に自由通路があるという形で、このアングルで見る限りでは民家があるだけで店や会社など見当たらず、すぐに突き当たりとなり、線路と平行の道が通っています。
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▼駅からまっすぐの道はすぐ突き当たりに差し掛かり、ここはその右へ曲がる角にある標識です。とりあえずは町役場を目指します。
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▼駅から突き当たりを右へ曲がった通りは昔の商店街風で、個人商店と民家が混在する通りとなっていました。
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▼役場付近まで来たところ。総合体育館?でしょうか。ベ○ッセのマークを連想させる形が目に飛び込んできました。
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▼ごうぎん(山陰合同銀行)などがあるこの辺りは町内の中心地ともいうべきエリアになります。
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▼そしてとりあえずの目的地・東出雲町役場です。

昭和の町役場の雰囲気が残るゴツゴツとした感じの建屋で、そこに映画「瞬(またたき)」の舞台、として強調された垂れ幕がかかっていました。「社会を明るく…」なんて幕は昭和っぽくて個人的に大好きです。
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JR生野駅 (兵庫県朝来市)

兵庫県朝来市のJR生野(いくの)です。

朝来市では中心駅である和田山駅をUPしていますが、平成の大合併で朝来市になってからこの生野駅も同じ市内に属する事となり、それまでは旧・生野町の中心駅でした。生野町といえば、生野銀山が有名ですが1973年をもって閉山し、現在は史跡として坑道を見学できるようになっており、周辺には飲食店などもあって観光エリアを形成しています。駅からはやや遠いですが…

-JR生野
【市内】
市内6駅(いずれもJR)中の1駅
【路線】JR播但線(姫路-和田山間)
【開業】1895年4月17日(訪問は2003年7月)
【1日あたり平均乗車人員】 453人/日 (2008年)
【近隣の都市駅】
(姫路方面)寺前駅→2駅 
          (和田山方面)和田山駅→4駅

▼訪問は2003年で、個人的には初めてデジカメなるものを持ち始めた頃で、携帯でもカメラ付のを初めて持ち始めた頃でもあります。こちらは携帯で撮った駅舎の待合室内の様子です。ポツンと木製ベンチが置かれ、ここだけ見ると荒涼とした雰囲気です。
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▼生野駅の駅舎として撮ったのがこれと、更にアップしたもののみで、建屋全体を撮ったものがありません。そういう構図的なものをまるで考えてなかったという事ですね。。

実際にはもっと横幅の広い駅舎となっています。建屋下に数段の階段がついていて、沿線の中では比較的豪華な部類に入る駅舎だと思います。
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▼駅前広場の様子です。

ロータリー状にはなっていますが、小さな植込みに広告塔というべき幕が2つ張られていて、周りに大きな円で囲うだけのロータリー中心をなしている状態です。この当時はまだ朝来市ではなく、旧・生野町の頃で、生野町の玄関としての意味合いで幕が張られているという形でした。
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▼駅前通りは店の横から伸びていました。

この詳細な写真があればよかったんですが、詳しく行ってなかったのでここまでとなってしまいます。街灯が続いているので商店街様ではないかな、という感じですね。
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2010年12月 7日 (火)

岡山/新見 新見駅前のみどころ

岡山県新見市JR新見駅 の様子です。

▼まずは駅出てすぐ左横にあった「縁(えにし)の広場」

祐清とたまがき、として裏に説明板がありました。

15世紀ごろに京都東寺(教王護国寺)から直務代官としてここ新見に赴任した僧・祐清の身の回りの世話をしていたのが、たまがきだといいます。しかし祐清は年貢未納の為追放した名主の親族に斬殺され、彼の遺品を求めて東寺に向けた手紙が「たまがき書状」といわれるもので、中世の農村女性自筆(かどうか真偽の程は不明ですが…)として大変貴重なものだとか。
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▼こちらは祐清の像です。

坊さんが馬に乗ってるってどことなく不思議な感じがします。
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▼駅前広場に建っているモニュメントは新見大名行列なのだそうです。

毎年10月15日に「土下座まつり」にて、約300年の伝統を誇るといわれる重要無形民俗文化財「御御幸武器行列」という大名行列が練り歩くのだとか。

この図では大名行列の役どころと員数が詳細に描かれています。
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▼駅前の様子。少ないながら商店街エリアを形成しています。
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▼ロータリーの様子。

複数のバスのりばがそれぞれに建屋が作られている状態で存在しています。

駅舎は段違いになっていてなかなか面白い構造です。
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▼新見駅からまっすぐに伸びる通りを眺めた様子です。

懐かしげな数店の商店街が左手に見え、右向こうにはホテルもあります。

向こうには山が見えますが、もやがかかっていて直線道路が吸い込まれていくようにも見えました。
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2010年12月 6日 (月)

長良川鉄道/北濃駅 (岐阜県郡上市)

岐阜県郡上市の長良川鉄道・北濃(ほくのう)です。

郡上市は岐阜県の中央に位置し福井県にも接しており、人口は44,772人(2010.9.1現在)で、2004年に旧・郡上郡の7町村が合併してできた新しい市です。その名の通り小京都「郡上八幡」を擁し、郡上おどりという重要無形民俗文化財の伝統的な盆踊りのある町として知られます。

-長良川鉄道・北濃
【市内】
市内23駅(いずれも長良川鉄道)中の1駅
【路線】長良川鉄道・越美南線(美濃太田-北濃間)
【開業】1934年8月16日(訪問は2010年5月)
【1日あたり平均乗車人員】 不明
【近隣の都市駅】
(美濃太田方面)郡上八幡駅→12駅 

▼JR美濃太田駅(美濃加茂市)から70kmあまり続く長良川鉄道の盲腸線の終着駅につき、隣駅表示は片側のみとなっています。越美南線はJRの越美北線とつながるはずだったのが、話が凍結してしまい、結局はこの北濃駅は盲腸線終着駅となったままで現在に至ります。

市内の中心駅は美濃太田に向かって12駅(約15km)離れた郡上八幡駅となります。旧自治体では、白鳥町に属しますが、そこでも中心駅ではなく、中心駅だったのは1956年に白鳥町になる前の北濃村時代まで遡る事になります。

駅名標の地名は郡上郡の郡の上から「市」の文字を貼って現在の地名に対応しています。

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▼終点の北濃までやってきて停まっている長良川鉄道の電車。

思えばここには行くかどうか迷っていました。

今年GWの思いつき旅で、まず美濃市駅へ行く事は決めていたものの、もう1駅どこへ行くか迷っていました。日帰りという制約とダイヤ的に少ない、時間がかかるという条件があり、美濃市以外には1駅しか行かないと考えていました。市の中心である郡上八幡駅かここか…。

出した答えは、「終点まで行く」でした。後悔しない為にも、とりあえず路線全部乗っておくことを優先しました。それだけ多くの景色も見れるし、という事もあって。そんでもって長い事かけてやって来た最果ての駅です。

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▼ホームからの様子です。

1面2線のホームで、構内踏切を渡って、このような坂を上ってホームへと続きます。

2両きりの電車が停まるほどの短いホーム長です。
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向こうに伸びている線路は越美北線とつながるはずだった名残なのか、途切れたままで残っています。

終点を示す木製の駅名標に美濃太田より72.2km、海抜446mとの表示があります。
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▼この駅には蒸気機関車の向きを変えるための「転車台」が残っています。終点なのでここで向きを変える必要があるのですが、昭和9年の開業から昭和44年までの35年間使用されていたそうです。見事に残っているのは嬉しいものですが、なんでも北濃駅開設70周年の2004年に保存展示されるようになったのだとか。

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▼北濃駅の駅舎です。

中心駅ではないものの、横幅の広めのなかなか立派な木造駅舎が建っています。

なんともこの寂びれた雰囲気に歴史を感じて惹かれます。ここに行きたかったのは終点という事だけでなく、Wikiで見た駅舎のこの寂れ具合によるところも大きいのです。ラーメン屋が入っていたようですが、撤退して久しい様子で、その後手つかずな感じがなんともよいなと思いました。なんというか廃屋然とした、といったら怒られるかもしれませんが、そうも見えなくもない、でも現役駅舎という微妙なところが琴線に触れてなりませんsign02
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2010年12月 5日 (日)

大分/臼杵 臼杵城跡のすばらしき石垣!

大分県臼杵市、JR臼杵駅から歩いてみた様子です。(2010年8月)

▼まずは臼杵駅を出て目線です。

印を結んだ臼杵石仏のレプリカが道路隔てて真ん前に鎮座しておられ、右側には「城下町うすき」として、白壁の外装の案内板が設置されていました。

臼杵石仏は国宝で、実物は駅からバス・タクシーで20分の所にあるそうです。
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▼駅前に載っていたサイクリングコースの一例です。

城跡あり屋敷あり、寺は多数ありと見どころには事欠かない様子。時間があればじっくり訪ねたくなるのですが、残念ながら時間に制限があるのでした…。
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▼臼杵駅前の通りの様子です。

ホテルなどがあり、真ん前は高層の建物が複数見られます。
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▼橋の親柱にも臼杵石仏が…。
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▼港町商店街、という通りへ。

軒先から出る飾りつけがカラフルでいい味出しています。

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▼いきなり飛びますが、ここは臼杵城跡の卯寅口(うとのぐち)入口です。

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▼1562年、大友宗麟によって築城されたというこの臼杵城、元々は海に浮かんだ島を城郭地とした海城なのだそうで、干潮時のみ陸続きになっていたというのですが、今では周りはすっかり埋まって単なる平地の城跡といった感じです。
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▼向こうを見渡せば、石垣が見事に残っています。

天守閣が残っているような派手な城跡ではありませんが、石垣は個人的に見事な城跡だと思います。
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▼個人的に最も見事だと思った石垣がこの部分、段々になった石垣はアートの域に入る素晴らしいものと思います。
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▼これもまた石垣の上に稲荷神社とそこへ至る多数の朱色の鳥居が織り成す様子、実に見事です。
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▼建物としてここの中では見事に残る卯寅口門脇櫓(うどのぐちもんわきやぐら)の様子を以下に。

外観は二層ですが、内装は三重で見事な板張り建屋です。1854年に建てられたことが分かっていますが、それ以前にも絵図にあったそうで、以前からあって建て替えをされたものと思われています。いずれにせよ江戸期から残る建物として貴重なものである訳ですね。
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広島/海田 ひまわり橋から

広島県安芸郡海田町、JR海田市駅を南に出てすぐのところにあるのが「ひまわり大橋」です。(2008年8月)

▼そのひまわり大橋の親柱は、石と縁がアルミで構成された船の軸先のイメージ、そしてその先には今にも飛び立ちそうなカモメが乗っかったものとなっており、平成五年八月竣工となっています。かつての「ふるさと創生事業」での1億円を基につくられたそうです。
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▼ひまわり大橋の名は町の花であるひまわりからのネーミングとなったようで、高欄にしっかりとひまわりの絵が入っています。向こうに見えるのは明神橋で、車が行き来しています。
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▼ひまわり大橋は自動車の通らない、自転車と歩行者による橋です。

橋の照明灯は大きな波をイメージしたものだそうで、前へせり出しつつ曲線を描いているところにデザイン的な美しさを感じます。
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▼橋の真ん中にはこのようなモニュメントが。

これもまた波がモチーフとなっていて、重なりながら高さを増していく4本の柱が21世紀へ向かって発展していく町の姿をイメージしているのだとか。

時報の他に朝、昼、夕にメロディを奏でたり、夜にはライトアップがあったりして単なる見るだけのモニュメントには終わっていない役目を果たしています。
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▼橋を横から見てみると、きれいな曲線を描いているのがよく分かります。

それでまた照明灯やモニュメントの曲線が見事に溶けあっているように思え、曲線美に満ち溢れた橋といえるかもしれません。

海田市駅出てすぐにあるので、ほんの少しの時間潰し程度でも寄って堪能する事ができます。
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JR熊取駅 (大阪府泉南郡熊取町)

大阪府泉南郡熊取町のJR熊取(くまとり)です。

熊取町は大阪府の南西部・泉南地域に位置し、人口は45,153人(2010.9.1現在)と4万5000を越える人口規模で、大阪府内の郡部では最も人口の多い町です。人口は1980年時点では約25,000だったのが90年には38,000まで増え、以後5年ごとに2,000ほど増加する形で現在も増え続けています。だんじり祭りが毎年10月に行われ、1840年代からの歴史はあるそうです。

-JR熊取
【町内】
町内唯一の駅
【路線】JR阪和線(天王寺-和歌山間)
【開業】
1930年6月16日(訪問は2007年5月)
【1日あたり平均乗車人員】 10,941人/日 (2008年)
【近隣の都市駅】
(天王寺方面)和泉府中駅→7駅
          (和歌山方面)日根野駅→隣駅
          (関西空港方面)関西空港駅→3駅 ※日根野経由

▼大阪と和歌山をつなぐ阪和線の初登場です。

大阪府は自治体と駅設置がハッキリしているというか、郡部でJR駅があるのはここ熊取町と近年設置された島本町(島本駅)という、郡部の人口上位2町のみで、それ以下の町は私鉄のみか駅がないかという状態です。

名所案内として国指定文化財が多く挙げられています。
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▼橋上駅舎で、上からみたホームの様子です。

2面4線ホームで、両方のホームの両サイドに電車が停まる構造で、向こうに行くにつれ線路は両方向1本ずつになっていきます。
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▼駅前はロータリーが整備され、バスの停車スペースもあります。自治体上は郡部の町ですが、そこらの都市と何ら遜色ない町の風景となっています。
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▼熊取駅の駅舎です。

1997年に現在の橋上駅舎スタイルになったそうですが、大きな駅です。やはり利用者が1日10,000人以上に見合うだけあるなと感じます。

ちなみに現自治体の体制で、阪和線内唯一の郡部駅です。
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2010年12月 4日 (土)

山形/上山 カミンへCome in!

山形県上山(かみのやま)市、JRかみのやま温泉駅からの様子です。(2010年9月)

▼まずは、かみのやま温泉駅からの目線風景を。駅前はこんな感じです。

山形のおみやげ店の建物にあるような懐かしげな看板が残っている情緒ある風景が目に飛び込んできます。

この時は、向こうに伸びている道ではなく、右に折れた道を進んで行きました。
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▼上山市のマンホールは「へのへのもへじ」でした。ユニークでいいですね、カラー版だと尚良いです。
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▼駅から右の道を進んで程なく、この上山郵便局に行き当たります。

これを横目に目的地を目指して進んで行きます。
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▼上山市内のガイドマップです。

郵便局から進んで橋を渡った辺りに見どころが多いようです。
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▼その橋が見えてきました。向こうにはかなり色々と施設がありそうな、「中心街」を感じさせる景色が見えてきています。

橋は「まゆかわばし」というもので、平成10年完成とあります。市街地と上山バイパスをつなぐ重要な道路にあり、平成初期の上山発展を象徴する橋ともいわれます。

「全国かかし祭」というものがあるようで、マンホールのかかしにも納得しました。

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▼まゆかわ橋を渡れば、足湯がありました。

2003年に地元のライオンズクラブの尽力により設置されたそうです。
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▼右手には足湯があり、前の景色はこんな感じで、すっかり町の中心部へ。

左にはショッピングセンターでかつ上の階に上山市立図書館が入っている施設「カミン」が見えます。上山市と「Come in」を引っ掛けてるのかなと安直な想像が当たってるでしょうか??
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▼でもって、カミンのある角っこということか?!「カミン角」という名のバス停が…。

結構本数がある事に驚きました。
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▼カミンの角を右に折れてみると、商店街が続いていました。

街灯は稲穂のイメージでしょうか、丸いタマがふたつ、頭を垂れているようでした。
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▼上の写真の通りの途中にあった荘内銀行・上山支店の建物です。

ガラス張りで、またてっぺんは手前のみ天板が乗っかるような格好で、中抜きのように見える芸術的な建物です。

この建物は見た目だけでなく、フミンコーティングというものがなされ、赤外線を50%カットし、余分な紫外線もカット、結露を抑制し、夏は涼しく冬は暖かく過ごせるような工夫がなされているといいます。

しかし、窓口18時まで営業って驚きです。
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▼商店街の途中の角を左に曲がれば、こんな大きな櫓がお出迎え。そして向こうには上山城が覗いて見えます。上山屈指の絶景ではないでしょうか?と勝手に思いましたが、上山に来て、この景色が見れただけで満足でした。

下のかかしはちょっと怖いですが…smile
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2010年12月 3日 (金)

大分/由布 由布院駅前をゆく!

大分県由布市、JR由布院駅からの様子です。(2010年8月)

▼由布院駅出てすぐの所からの目線です。

駅前の通りがまっすぐに伸びていて、さすがは観光地らしく店々がきれいな形で並んでいました。この時は盆休みの九州旅行実質初日で、前泊として大分入りして翌早朝大分市内を回った後、電車でここまで来たものです。ここがこの日初めての新規訪問地で、朝早かったのでまだ店はこれから開いていくという状態でした。
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▼少し歩けば亀の井バスというところの由布院駅前バスセンターに行き当たります。そういや亀の井ホテルというのをこの辺りあちこちで見かけますが、その亀の井旅館のバス事業部がその前身なのだそうで、今は西鉄グループに入っているそうです。

ここでは博多駅行きの高速バスや大分空港行きのなどが出ているようです。大分空港なんてその存在すら知りませんでした、すみません…。
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▼昭和の雰囲気満点のパチンコ店、これは撮らない訳にはいきません!由布銀座とな。もしまだ営業してたらかなり嬉しいかもですが…。
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▼駅前からまっすぐ伸びた通りを左にそれて入った通りです。

ここは少し華やかな感じ。といっても人通りはまばらでした。

足湯ご自由にご利用下さい
、とあったので喜び勇んで早速足湯を探し回りました。
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▼歩くこと程なく、見つけた足湯!!

幸い誰も居ないし、朝早くからキモチよく浸かろう!と心はやります。
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▼しかし…sign03

中身はカラッポでした。あぁショック…

という訳でこの辺りでのお湯に浸かる事はありませんでしたが、それ以外にこの町での収穫はありました。その辺りまたいずれお伝えできれば…、と期待を込め?!本記事終了致します。
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2010年12月 2日 (木)

北海道/夕張 バリー屋台から

北海道夕張市、JR夕張駅からの様子です。(2010年10月)

▼夕張駅のホームと接するように駅前すぐにある飲食店の集合体「ゆうばり屋台村」。2009年からと書かれていて、通称「バリー屋台」として賑わっていました。駅自体にはそれほど乗降者で賑わっていませんでしたが、この屋台村内には多くの人々が出入していました。

店は現在6つほど入っているようですが、ここで「夕張ラーメン」を頂き、石炭をイメージした真っ黒ののラーメンを堪能したのでした。
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▼夕張駅を出て駅前の交差点、左を向くとこんな景色です。これが実質駅前道ということになりましょうか。ここでの交差点名は「ゆうばり駅前」とひらがな表記になっています。
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▼上の道の途中で小道を右にそれて進むと、この夕張郵便局があります。

夕張市の本局にあたるこの局がここにあるという事は、夕張市においては新夕張よりもこちらの方がやはり市の中心かな、という感じです。
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夕張郵便局のバス停です。

夕鉄バスと中央バスという複数会社乗り入れているようで、標識が2本立っていました。
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▼こちらは反対に夕張駅を出て駅前交差点を右向いた様子で、ロータリーが広がっていて、バス停もあり、ここにも同様に2本の標識が立っています。バス停名は「レースイリゾート前」、駅の真ん前の高層ホテル名です。
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▼ロータリーの外周に建っていた看板です。

この当時、近日中に夕張小学校のお別れ会があるという頃でした。

しかし28年間というのは学校としてはちょっと短いかな、という気がします。

それだけ人口流出に歯止めがかからないということでしょうか。
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▼どこへどう行こうか??あれこれしながらあれこれ考えていましたが、バスの本数もあまりあてにできたものでもなく、とりあえず2kmぐらい歩けるかな!と思い、カバンをさげつつ上り坂を歩き始めたのです。まずは石炭の歴史村へ!夕張まで来たなら、やはり炭鉱関係のものには是非とも触れ合いたかったので…。
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2010年12月 1日 (水)

JR岩沼駅 (宮城県岩沼市)

宮城県岩沼市のJR岩沼(いわぬま)です。

岩沼市は宮城県の南東部に位置し、人口は44,293人(2010.10.1現在)で、阿武隈川の河口にあたる地にあり、古くは江戸時代に岩沼藩が存在していましたが、1660年から1681年までという短い期間にして廃藩となってしまいました。

-JR岩沼
【市内】
市内唯一の駅
【路線】JR東北本線(東京-盛岡間)、常磐線(日暮里-岩沼間)
【開業】1887年12月15日(訪問は2009年8月)
【1日あたり平均乗車人員】 7,011人/日 (2009年)
【近隣の都市駅】
(東京方面)白石駅→6駅
          (盛岡方面)名取駅→2駅 
          (日暮里方面)相馬駅→8駅

▼宮城県の市の駅初登場です。

岩沼市では唯一の駅ですが、東北本線と常磐線の交点にあたる重要な駅で、利用者数は宮城県で5番目の多さを誇ります。

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▼ごみはちゃんと分別しましょう!といわんばかりの、透明ビニールが見えるタイプのゴミ箱で、こうやって見えてると変なものを捨てようとする人が少しでも少なくなるんじゃないかな、と思わされ、いいな思います。
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▼複数路線をもつせいか3面5線もの広大なホームを持っています。こうして見る限りではそのように見えませんが…。

跨線橋はサイドの部分が階段・橋共に濃い目のクリーム色という感じの色でペイントされてソフトなイメージを持たせています。
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岩沼駅の駅名由来の説明板がありました。

昔は武隈(たけくま)の里と呼ばれていたそうです。そういえば市内に河口のある阿武隈川って、その名の一部に武隈があるんですね。市内の名所・「日本三稲荷」のひとつといわれる竹駒神社はこの武隈から来ているようです。

大相撲の年寄名(引退後に指導者として名乗る親方名)に「武隈」というのがあり、実際に武隈親方が存在するのですが、初代武隈は「竹熊」という力士が名乗っていたもので、当てる漢字が変わっただけでそれ以外の由来は定かではないようです。

岩沼の名は中世に鵜ヶ崎城が築かれ、その城下を岩沼と呼んだからとか、後三年の役の頃に岩沼八郎という武士がその名を轟かせたからとか言われています。
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▼岩沼駅の駅舎です。

コンビニ「NEW DAYS」の入った市の中心に相応な駅舎です。

駅前は広めの道こそありますが、明確な駅前広場スペースと感じられるものがなく、道路の延長上にスペースがあるかな、というような状態でした。
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