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2011年5月の31件の記事

2011年5月31日 (火)

JR天理駅 (奈良県天理市)

奈良県天理市のJR天理(てんり)です。

天理市は奈良県の北部に位置し、人口は68,518人(2011.2.1現在)で、天理教の本部があり、日本唯一の宗教団体が市名になっている所で、他に私的団体が都市名となった所は豊田市ぐらいです。昭和29年に市制施行されましたが、奈良県下では4番目とかなり早く市制施行された部類に入ります。

-JR天理
【市内】市内7駅(JR4,近鉄3)中の中心駅
      ※天理駅をJR、近鉄格とカウントした場合 
【路線】
JR桜井線(奈良-高田間)
【開業】1898年5月11日(訪問は2006年11月)
【1日あたり平均乗車人員】
 2,857人/日 (2005年)
【近隣の都市駅】
(奈良方面)奈良駅→4駅 
          (高田方面)桜井駅→5駅

▼JR駅と近鉄駅はひとつの建屋にくっついている格好ですが、それぞれ出口へ一旦出てからの乗換が必要です。

こちらはJRの駅名標です。近鉄では天理線の終着駅で先がない状態となっています。

この駅の初訪問は2006年ですが、この写真は2008年のものです。また、天理市に初めて行ったのは1998年の事になります。この時は日曜の朝から大渋滞していたのを覚えています。
Himg0077

▼ホームは2面4線も持っています。

奈良県はJRと共に近鉄線も存在感を放っていますが、県都である奈良市がJRと近鉄で駅が離れており、郡山市も同様の現象となっている珍しい状態で、この天理市や王寺町などはJRと近鉄が隣接した形で、むしろ県内大都市よりも交通の要衝的存在となっています。
Himg0078

▼JR駅の改札周辺です。

改札前の構内はあまりスペースがなく、大きな駅の割に人の滞留率はあまり大きくないのかな、という気がしました。
Himg0024

▼上の写真の改札よりずーっと左にスライドした所に「天理ステーションストア」があり、その見取図がありました。ステーションストアを持つぐらいの規模はある駅なわけです。
Himg0023

▼天理駅の駅舎です。

このひとつながりで左側にJR、右側に近鉄の駅が入っています。

教祖120年祭の横断幕が駅にかかり、「ようこそおかえり」とありました。

人がこの地を訪ねる事は故郷に帰ることを意味し、「おかえり」という事になっているようです。
Himg0014

▼どどーんと「ようこそおかえり」と。

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▼奈良県内屈指の規模を誇る大きな駅舎、というのがこのカットを見ても窺えます。
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2011年5月30日 (月)

JR旭駅 (千葉県旭市)

千葉県旭市のJR旭(あさひ)です。

旭市は千葉県の北東部に位置し、人口は69,000人(2011.2.1現在)で、2005年に旧・香取郡干潟町、海上郡海上町、飯岡町と新設合併し、新生・旭市として再スタートを切っており、合併前の人口は約4万だったのが、現在では約7万となっています。

今回の東日本大震災では千葉県内で最も多い犠牲者が出てしまったとの事で、今回記事の写真はその前月のものですが、追悼の念も込めつつお送りしたいと思います。

-JR旭
【市内】市内4駅(いずれもJR)中の中心駅 
【路線】
JR総武本線(東京-銚子間)
【開業】1897年6月1日(訪問は2011年2月)
【1日あたり平均乗車人員】
 1,992人/日 (2009年)
【近隣の都市駅】
(東京方面)八日市場駅→2駅 
          (銚子方面)銚子駅→5駅

▼旭のつく市は愛知県にもあり、こちらは尾張旭市と旧国名を冠した形となっています。

一文字の市というと他には、蕨、津、萩、光、堺、関、燕、呉、柏…といったところでしょうか。

両隣の駅は現在は旭市内にあるもののいずれも平成の大合併前は市外にあった町です。

この日は佐倉で泊まってから、八街や成東(山武市)、東金、八日市場(匝瑳市)といった各市の中心駅を訪ねた後ここへやって来ました。

駅の開業はあさって6月1日で、まもなく開業114年を迎える歴史ある駅です。
Himg0502

▼ホーム周りです。

市の中心駅で、吊り式の駅名標ももちろんあり、「ようこそ旭へ」的な大々的なものはないものの、それなりに広く屋根がとられています。

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▼ホームは2面3線で、向こうにある跨線橋でつながっています。

こちらの駅舎側でない島式ホームは屋根がウイング状になっていて、こういうアングルで撮るとカッコよく見えます。
Himg0526

▼跨線橋がなかなかかっこいい感じでした。

それまで目を引いたような、木造で渋いとか柱が入り組んでいるとかそういうのとはまた違って、整然としたカッコよさというのか、橋の部分も階段の部分も共に入った4本ほどの横のラインがスッと通っていてなんともスッキリしたものを感じました。それにまた縦線が交わってる様がよりいい味出してるな、とも。

一貫して下の部分はライトグリーンとなっているのも、単色よりもインパクトがあっていいと思います。
Himg0501

▼跨線橋内です。

第一印象は「黒板」でしたsmile

この深みどりの壁のインパクトが…。

掲示物が殆どないところが逆に印象深いものとなっている感じでした。

橋の上部は窓がなく吹き抜けで、全体的なイメージとして市の中心駅の跨線橋内という感じではありませんでした。
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▼旭駅の駅舎です。

元々人口4万ほどの市の中心駅のせいか、あまり規模は大きくなく、一部が二階建てとなっている以外は平屋の小さな駅舎です。

ちょうど駅前広場にあたる部分は工事真っ只中で、なかなか駅舎をいい感じで撮れる所がなく、こんな所から撮った次第です。
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▼駅から見たらこんな感じです。

あまり高い建物は見られず、商店街然とした街灯などは続いたりしていますが、商店が整然と並ぶ雰囲気ではありませんでした。それはまた別の通りに昔ながらの雰囲気のものがありますが、この工事でどのようになる(なった)のか、これからが楽しみ、そういう意味でまた来てみたい所です。が、この翌月に震災が起こってしまったので、進んでいるか心配なところもあります。がんばろう!と言いたいです。共に頑張ろうと…。
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2011年5月29日 (日)

JR群馬藤岡駅 (群馬県藤岡市)

群馬県藤岡市のJR群馬藤岡(ぐんま・ふじおか)です。

藤岡市は群馬県の南部に位置し、人口は67,880人(2011.3.1現在)で、藤岡瓦を特産とする窯業の町で、昔から埴輪や国分寺の瓦を焼いた窯跡の遺跡が発見されたりなどしています。

-JR群馬藤岡
【市内】市内2駅(いずれもJR)中の中心駅 
【路線】
JR八高線(八王子-倉賀野間)
【開業】1931年7月1日(訪問は2011年4月)
【1日あたり平均乗車人員】
 1,190人/日 (2009年)
【近隣の都市駅】
(八王子方面)寄居駅→5駅 
          (倉賀野方面)高崎駅→3駅

▼東武日光線に藤岡駅(栃木市)というのが既にあったため、冠がつく事となったのでしょうが、ここは旧国名が「上野」であり、東京の上野と混同する恐れがあるとの事で現県名である「群馬」が冠されているようです。

富岡市の中心駅などは上野でも群馬でもなく「上州」という形で冠されていますが、当駅は「群馬」なのですね。地名に現県名が冠された駅で他に私が行ったことのある所としては、、

愛知御津(あいちみと)駅:JR東海道本線

ぐらいでしょうか。

東京八王寺と群馬県の高崎を結ぶ「八高線」(はちこうせん)の駅初登場です。このGWに初めて八高線に乗ったのですが、この日は群馬県の未訪市めぐりで、宿泊地の前橋から伊勢崎へまずは行き、引き返して次は沼田、渋川と来て、再び高崎に戻り、そしてここまで来ました。

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▼ホームは2面2線で、この跨線橋でつながっています。

この左側のホームは柱と天井の骨組みがピンクに塗装されています。

電車はこのタイプのものでやって来ました。キハ110系というもののようです。白いボディーに草色のカラーが入ったものでした。
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▼上の写真ではそれほど跨線橋に心奪われませんでしたが、この角度からとか横からとかで見てみると、その模様の素晴らしさに心奪われるものがありました。

橋の部分の筋交いも素晴らしいのですが、階段部分の一番下の複雑な入り組みにも目を奪われます。
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▼跨線橋の柱にも様々なタイプがありますが、当駅のものはメインの柱にコンクリートの太い脚があって、柱には細い筋交いがなされています。また、その筋交いの交点にあたる部分の丸いのがなんとも印象的です。

その筋交いは上から下まで一本線で通っているのではなく、真ん中の丸いところで全て切れている格好で、この部分で力を受けている状態なのでしょうか。
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▼こういうアングルで跨線橋をみるとまた素晴らしさを感じる事ができると思います。

当初は藤岡ってどんな町かも知らず、着いた後の事もほとんど考えてなかったんですが、この駅だけでなかなか見応えあるじゃん、という感じになってしまい、色々撮っていました。
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▼跨線橋の内部です。

外装には目を見張りましたが、内装はそれほどの衝撃を受けませんでした。

それでも天井骨組みの複雑さは素晴らしいものがあります。

橋部分の上部は窓がなく吹き抜けになっていて、これが窓付きの室内型っぽい跨線橋だと都市駅的な雰囲気を感じるのですが、小都市の中心駅っぽい雰囲気と感じました。
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▼跨線橋からの様子です。

駅舎側の屋根周りが重厚で素晴らしく、市の中心相応な雰囲気を醸し出しています。右側ホームは割りに長めな屋根は取られていますが、簡素なイメージを受けました。

向こうに見えている線路を横切るものは、駅外の自由通路です。
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▼群馬藤岡駅の駅舎です。

こじんまりとした建屋で、やや高さがあるかなというものでした。

重厚な屋根が独特の存在感を放ち、真ん中の出っ張った三角屋根や横の部分の妻が入った様子など、白い壁とのコントラストが素晴らしく見え、またこのゴツゴツとした感じが印象に残る駅です。
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2011年5月28日 (土)

しなの鉄道/屋代駅 (長野県千曲市)

長野県千曲市のしなの鉄道/長野電鉄・屋代(やしろ)です。

千曲市は長野県の北部に位置し、人口は62,033人(2011.3.1現在)で、2003年に旧・更埴市、更級郡上山田町、埴科郡戸倉町とが合併してできた新しい市です。

東日本最大級といわれる森将軍塚古墳があり、また江戸時代には善光寺詣での最大の宿木場町として栄えたといいます。

-しなの鉄道/長野電鉄  屋代
【市内】市内7駅(JR1、しなの電鉄4、長野電鉄2)中の中心駅 
【路線】
しなの鉄道線(軽井沢-篠ノ井間)
     長野電鉄屋代線(屋代-須坂間)
【開業】1888年8月15日(訪問は2011年4月)
【1日あたり平均乗車人員】
 
          しなの鉄道-2,429人/日 (2007年)
     
     長野電鉄-175人/日 (2007年)
【近隣の都市駅】(軽井沢方面)上田駅→6駅 
          (篠ノ井方面) 篠ノ井駅→2駅
          (須坂方面)須坂駅→12駅

▼こちらはしなの鉄道の駅名標です。

旧・更埴市時代からの市内の中心駅で、当時より市名を冠した駅がありませんでした。現在は隣に市名とイコールの「千曲駅」が2009年に開業したのですが、それほど規模の大きな駅ではなく、中心駅の座はこの屋代駅が揺るぎなく保っている状況です。

しなの鉄道と共に長野電鉄の駅もあり、複数の私鉄路線を共有するという県内きっての重要なキー駅です。ただし利用者数は両者にはかなり開きがあり、しなの鉄道側の乗車数の方が圧倒的に多い状態です。この時もしなの鉄道でやってきた事もあり、記事タイトルは「しなの鉄道」とつけさせて頂いた次第です。

市内にはJR駅も1駅存在しますが、中心地から離れた所に姥捨駅があるのみです。元々は当駅もJR駅でしたか、長野新幹線開業による経営分離でしなの鉄道に転換された為、中心駅がJRでなくなり、かつ他のJR駅が残るという状態になりました。

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▼なんとも年季の入ってそうな電舎でした。
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▼広く取られたホームはしなの鉄道が2面3線と圧倒的に多く、長野電鉄はこの右端に1面1線のみです。屋根も長く取られ、市の中心たるにふさわしい雰囲気をじゅうぶんに持っています。

この真ん中ホームからも両側に跨線橋がつながっている為、かなり長い通路となっています。
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▼その跨線橋の長い通路も、半分ずつで全然違ったものとなっていて、長野電鉄へのこの右につながる分は大変年季が入っています。
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▼跨線橋内部です。

こちらはしなの鉄道の2面をつなぐ部分、通路も広くゆったりとした雰囲気で、掲示物埋め尽くされています。
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▼これが真ん中部分を境に一変、、

長野電鉄側へ達する跨線橋は突然通路幅が狭くなり、木造丸出しで吹き抜けになっていて…と、1本の通路でありながら半分ずつで全く様子が変わってしまいます。
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▼1面1線のみで、駅舎側から最も離れた長野電鉄側のホームです。

しなの鉄道ホームとは共有しているとは思えない、異世界のような雰囲気で、時がここだけ止まっているような、そんな感じでした。木造丸出しの待合室がなんともいえないですね。こんなに渋すぎるとちょっとやそっとで解体しにくい気になりそうです、心情的に。屋根の柱部分も木造である事も見逃せません。
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▼これは真ん中のホーム、しなの鉄道の分ですが、このホームの屋根もこんなに渋い木造の骨組みが複雑に重なり合っている事は見逃せません。白木なので長野電鉄側ほどの衝撃は受けなかったものの、この天井の見事さも素晴らしい限りでした。
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▼こちらは駅舎側のホームの様子、

屋根が長く続き、また真ん中部分の三角屋根があることで絵になっています。
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▼屋代駅の駅舎です。

平屋でそれほど大きな駅ではありませんが、渡ったすぐの所に広場スペースが整備されていて、歩行者の安全地帯的エリアを形成しています。
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▼その駅前広場の様子です。

この時はGWだったこともあってか、こいのぼりが低い所ながら架かっていました。

右端に立て掛けてあるのは、地元の保育園児たちが書いたこいのぼりの絵です。
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2011年5月26日 (木)

JR安中榛名駅 (群馬県安中市)

群馬県安中市のJR安中榛名(あんなか・はるな)です。

安中市は群馬県の西部に位置し、人口は60,888人(2011.3.1現在)で、2006年には旧・安中市と松井田町で新設合併して新・安中市となっています。

かつては中山道の宿場町として栄え、碓氷関所なども設置されていました。また江戸時代に藩士の鍛錬として取り入れられた「安政遠足」は日本でのマラソンの発祥といわれます。

-JR安中榛名
【市内】市内6駅(いずれもJR)中の1駅 
【路線】
JR長野新幹線(高崎-長野間)
【開業】1997年10月1日(訪問は2011年4月)
【1日あたり平均乗車人員】
 261人/日 (2009年)
【近隣の都市駅】
(高崎方面)高崎駅→隣駅 
          (長野方面)佐久平駅→2駅

▼群馬県では高崎と2つしかない新幹線駅ですが、この駅は在来線が停車しない新幹線だけの駅で、1997年の長野新幹線開業に合わせて開業しました。新幹線駅とはいえ、新たにできた上に周りに何もなく、中心駅は以前からある在来線の安中駅です。

新幹線が停車すると言えど、この東京方面の時刻表を見ると、1日に12本しかありません。

昼間は2時間半以上も間隔のあく時間帯もあり、何の気なしにフラッと下りて、その後すぐに乗ろうとしても当分新幹線は来ないという状況になります。

実際この時も18時過ぎに降り立って、周りに何もないから「もうそろそろいいや、次行こう!」と18:30頃に思ってたら、20:14までないという新幹線駅で今までありえなかった状況に出くわしました。
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▼比較的新しい新幹線駅であることもあってか、しっかり安全柵が設けられている2面2線のホームです。
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▼「安中榛名へいらっしゃい」という歓迎の横断幕がありました。

梅林、温泉、湖、ゴルフ、果物、とキーワードが列挙されていました。
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▼駅舎内の待合室にて。

先述のマラソン発祥といわれる「安政遠足」の由来、として説明書きがありました。

当時の安中藩主が50歳以上の藩士を対象に29㌔を走らせたとか。50歳で30㌔は辛いですね、、同じ年頃でも今みたいに飽食でないし、もっとスタミナもあったんでしょうかね。
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▼待合室内の様子です。

外は何もなく、また誰も来ないので、1時間半近くもこの部屋を独占状態で、退屈でまた鼻炎がキツくてしんどくて、思いっきり寝っ転がったりもしていました。
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▼待合室の入口付近。

安中榛名駅にまたきてね、とありますが、あまりに何もないので正直かなり微妙な気分になりました…。何を見に行けばいいんだ!と…。群馬ディスティネーションキャンペーン、というのがこの7月~9月まであるようです。
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▼駅から出ると、安中市周辺の広域地図がドドーンと。

しかし、これ以外何もない様子がこの写真においてだけでも伝わってくるような…
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▼駅からの目線です。

小さなバスがポツンと停まっていますがそれだけ。

向こうに見えるヤマザキデイリーストアの建物、駅前にある建屋らしいものといえば、これだけしかありません。新幹線駅としては個人的には今までにありえない光景でした。

九州新幹線で先日開業した筑後船小屋駅(福岡県筑後市)も公園の中の駅という事で、出口の前に何もなかった風景が見られましたが、この駅の場合は元々在来線もあったし、片側はそれなりに人家もあったかな(かなり寂しくはありますが…)という雰囲気ですが、この安中榛名はホント、パッと見これだけです。寄る際は何もないことを予め知ってから寄った方がよいかもしれません。知らずに驚くのも悪くはないですが、都市的なものを想像して行くとエラい目に遭います。
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▼安中榛名駅の駅舎です。

駅舎自体は新幹線駅らしい立派なものとなっていて、その事が尚、駅前の何もない様子との大きなギャップを生み出しています。ガラス張りのクォーターな円形がなんとも素晴らしく感じました。
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▼駅からまっすぐ伸びている駅前道。

果てしなく道路と樹木の緑が広がっているだけの光景。

何度もいいますがこれが新幹線駅の駅前です。

こんな異色の新幹線駅を見てみたいなら、オススメです。
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2011年5月24日 (火)

土佐くろしお鉄道/のいち駅 (高知県香南市)

高知県香南(こうなん)市の土佐くろしお鉄道・のいちです。

香南市は高知県の南東部に位置し、人口は34,530人(2011.1.31現在)で、2006年に当駅のある旧・香美郡の野市町など4町1村が合併してできた新しい市です。高知県立のいち動物公園や龍馬歴史館などがあります。

-土佐くろしお鉄道・のいち
【市内】市内5駅(すべて土佐くろしお鉄道)中の中心駅 
【路線】
土佐くろしお鉄道ごめんなはり線(後免-奈半利間)
【開業】2002年7月1日(訪問は2011年4月)
【1日あたり平均乗降車人員】
 不明
【近隣の都市駅】
(後免方面)後免駅→3駅 
          (奈半利方面)安芸駅→10駅

▼駅名標は現在の所属である高知県香南市野市町となっていますが、「香南市」の部分は明らかに上から貼りかえられていて、「香美郡」だったものと思われます。当初は「野市駅」と漢字表記で仮称されていたのが、ひらがな表記になったとの事で、他の周辺駅も旧自治体名をひらがな表記にしている所が数ヶ所あります。

現在の香南市の5駅は合併前の4町1村の各自治体の駅がひとつずつ集まった格好となっていて、現在香南市役所のある旧・野市町にある当駅がそのまま市の中心駅になった形です。

この4月に四国の未訪市探訪で行きました。その日は高知泊で、そこからバスで(駅のない)土佐市へ入り、再び高知へ戻ってから後免(南国市)で土佐くろしお鉄道に乗換えてやって来ました。本当はもっと早く来ておくところでしたが、香南市という存在を見落としていた為、先月ようやく訪ねた次第です。ここへ来た事により、高知未訪の地は宿毛・土佐清水のみとなりました。

ごめんなはり線名物のやなせたかし先生による各駅のキャラクター、この駅は「のいちんどんまん」。野市町では、「ちんどんコンクール」なるものがある事から、このキャラクターとなったそうです。

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▼この「宝くじ号」でやって来ました。

なんか、この路線に乗るときはいつも「当たり」の電車にあうようで、風を浴びて電車に乗れるデッキについた電車でした。まぁそれもよしあしで、家族連れで来たならば家族もたいそう喜ぶでしょうが、独り身で来てそんな電車に当たっても混んでるストレスが大きくなるだけで…、、という感じでありました。前に来た時は、たしか車内に風鈴がいっぱいぶら下がった電車で、本当に大当たりでした、良くも悪くも…。
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▼ホームは高架で2面2線、ごめんなはり線は大抵この形がスタンダードです。

屋根のあるゾーンも待合室周辺のみです。
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▼点字ブロックにエレベータ、バリアフリーはバッチリというのが分かる一枚?
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▼駅構内、下の看板で方向とその乗り場が案内が出ていますが、上の電光掲示はこの時は逆だったのか、看板と反対の乗り場案内を示していました。後免方面=高知方面で、奈半利方面=安芸方面です。
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▼駅構内の階段の横には土佐勤皇党などで活躍しながら投獄を免れた郷土出身の大石弥太郎などの紹介がされていました。
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▼のいち駅の駅舎です。

「のいち」とだけ表記されていて、一見駅なのか分からないような雰囲気です。

2F部分がガラス張りになっていて独特の形をしていますが、そこそこ見栄えのする駅かなと感じました。建屋の右は高架が伸びていて、駅前の幹線道と立体交差しています。
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▼構内は売店が出ていたり、そこそこの活気はありました。観光協会が中に入っている事もあり、常駐の従業者がそこそこ居るからでしょうが、電車が行き来する時以外無人になる駅よりも、こんな風にそこそこ人の居る駅の方が気持ち的にも不安にならなくていいです。何より一応市の中心駅なので、誰も居ないのはちょっと寂しいかな、と。
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あと高知県の市の中心駅で行った事がないのは宿毛駅だけとなりました。いつ行こうかな…

2011年5月23日 (月)

JR下呂駅 (岐阜県下呂市)

岐阜県下呂市のJR下呂(げろ)です。

下呂市は岐阜県の中東部に位置し、人口は36,210人(2011.2.1現在)で、2004年に当駅のある旧益田郡下呂町含む計4町1村が合併してできた新しい市です。市名が示すように下呂温泉で大変有名な町です。

-JR下呂
【市内】市内8駅(いずれもJR)中の中心駅 
【路線】
JR高山本線(岐阜-富山間)
【開業】1928年3月21日(初訪問は1999年3月)
【1日あたり平均乗車人員】
 746人/日 (2009年)
【近隣の都市駅】
(岐阜方面)美濃太田駅→9駅 
          (富山方面)高山駅→9駅

▼お食事中の方はこの写真は見ないで下さい、

と言いたくなるようなこの駅名標、、ひらがなの方が断然大きくて思わず撮りました。

初めてこの地へ寄ったのは1999年3月で、この時はまだ益田郡下呂町でしたが、駅の中の様子は全く撮っておらず、2006年10月(下呂市になった後)に高山へ泊まりに行く列車が途中で停止した隙に撮ったものです。なので表記は岐阜県下呂市に既になっています。ちなみに上呂という駅も近くにあります。

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▼これも2006年に駅ホームから外へとチラッと撮っただけの写真。

下呂温泉が前面に売り出されています。その昔は江戸時代の学者・林羅山が草津や有馬と共に日本三名泉と称したといわれています。
Hi3601591

▼下呂駅の駅舎です。

この写真のみ初めて訪問した(唯一駅外へ出た)1999年当時のもので、当時まだ益田郡下呂町の頃でした。今もこの駅舎のようです。

当時まだ温泉に行きたいという発想自体がなく、下呂は温泉で有名な町くらいは知っていたものの、近くをチョロッと歩いただけで何があったのかも正直よく覚えていません。以来12年、この記事をUPしていて下呂温泉を満喫したい気分が今頃フツフツと湧いてきた次第です。
Jr

2011年5月22日 (日)

JR美祢駅 (山口県美祢市)

山口県美祢市のJR美祢(みね)です。

美祢市は山口県の中心部からやや西部に位置し、人口は28,483人(2011.3.1現在)で、山口県の市では最も人口が少なく、全国の市でもそれほど数多くない人口2万人台の市です。美祢という市名はそれほど有名ではないかもしれませんが、全国的にも有名な秋吉台や秋芳洞を持つ町といえば話が通じるかと思います。かつては大嶺炭鉱を有し石炭の町として発展しましたが、炭田閉鎖後は人口が激減、それでも石灰石の産出は現在も続いているといいます。

-JR美祢
【市内】市内6駅(いずれもJR)中の中心駅 
【路線】
JR美祢線(厚狭-長門市間)
【開業】1924年3月23日(訪問は2011年4月)
【1日あたり平均乗車人員】
 418人/日 (2009年)
【近隣の都市駅】
(厚狭方面)厚狭駅→5駅 
          (長門市方面)長門市駅→6駅

▼この4月に行ってきたばかりです。それまで暫くの間、中国地方で唯一行った事のなかった市だったので、かねがね行きたいと思っていましたが、この駅の属する「美祢線」が去年7月の大雨でそれ以来電車が不通のままとなってしまい、代替バスで行くのか電車再開してから行くのかを探ったりもしていました。

しかしいつまで待っても再開の話も入ってこないので、バスでの訪問を決意しました。新山口泊の後、厚狭駅まで出て、そこから代替バスでやって来ました。厚狭からここまで殆どの駅にはバスは停まって行ってました。(途中湯の峠駅へ停まった覚えはないのですが…)

先述の通り2010年7月より鉄道は普通ですが、駅は普通に開いていて、駅員さんが改札業務をされています。というのは、駅でバスから降りると駅員さんが切符を回収に来たり、逆に当駅からバスに乗り込む時も駅員さんが切符を確認に来ます。普段は駅舎内にいて、バスが出入する時は駅前の停留所まで出てきて切符を確認しているようで、電車が来なくても駅の業務をこなされているようです。

誰も利用しない鉄道駅の構内(特にホーム周り)を撮るのは気が引けたので、中の様子は1枚だけ。

両ホームは構内踏切連絡となっていて、向こうは割に簡便な島式ホームでした。一応2面3線ありますが、美祢線屈指の規模を誇る市の中心駅(美祢線途中駅で唯一の市の中心駅)の割にはやや寂しい雰囲気となっていました。構内踏切の重厚な木板がかなり印象的でした。
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▼駅舎内の券売機そばの運賃表です。

代替バス輸送とはいえ、駅までの切符は通常の鉄道切符と同じ扱いであり、ここで切符を買って、駅員さんに見せてからバスに乗る事となります。

左下のピンクのライン部分は九州エリアになり、九州のこれらの駅も近距離切符範囲内になるのですね。小倉までは1150円、一方で県内の県庁所在地である山口駅までは1110円と殆ど変わらない状態です。
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▼鉄道駅としては利用されていない状態なので、人がいないことが多いのですが、代替バス待ちの方がここで待っていたりするのは見受けられました。市の中心相応の広さをもつ待合室で、改札の台周辺は長門市駅のそれと殆ど同じ様子でした。
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▼この美祢線自体は昨年7月以来不通のままですが、周辺の山陰本線や小野田線などで一部運休が出ていたそうで、これは東日本大震災によるもので、この時ちょうど正常運転に戻ったばかり(戻った次の日に訪問)でした。
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▼代替バスの時刻表を駅構内に掲示してありました。

ただでさえ美祢線はそれほど便数が多くないイメージを持っていたのですが、代替バスなので更に便数が少なくなると予想し、あまり少ないと行くのをよそうかと思っていましたが、意外と便があるので気軽に行く事が決断できた訳です。行ったはいいが、帰るまで4時間もあるなどというのは個人的に困ってしまうので…。
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▼駅内にはまた、美祢市の特産品の展示もガラス張りでありました。

セメント産業の紹介や饅頭、大吟醸のお酒などなど。
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▼駅スタンプはここには置いてなかったものの、改札に用意してあることを知らせる親切ぶり。2種類の台紙を持つというサービスもなかなか心憎いものがあります。秋芳洞とアンモナイトでしょうか?美祢は古代の化石も豊富に見られる「化石の町」でもあります。
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▼美祢駅の駅舎です。

分厚い平屋根の印象的な駅舎です。特に店が入っているなどありませんが、広めの駅前広場や歓迎ムードに満ち溢れた様子などは市の中心相応の雰囲気を持ち、沿線のキー駅らしさをたたえています。
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▼駅舎の外壁、出入口の向かって左側です。

化石の町らしさを強調したものとなっています。

ちなみにバスは大体この辺りで停まります。
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▼「環境保全宣言都市」とのモニュメントが建っています。

てっぺんは時計と、両サイドにライオンらしきものが乗っかっていますが、何でか妙にプリティーなヒップが印象的でした。
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▼駅横の公園です。

大理石のふんだんに使われたエリアで、特に何という名前はありませんでしたが、芸術的センスの溢れるエリアでした。
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JR長門市駅 (山口県長門市)

山口県長門市のJR長門市(ながとし)です。

長門市は山口県の北西部に位置し、人口は37,988人(2011.3.1現在)で、山陰の都市としては最も西端にあり(より西の下関市は陰陽両方あります)、萩市と共に山口県山陰側の中核的存在ですが、近年は人口減少傾向が止まらない状態となっています。

江戸時代は捕鯨基地として栄えたといい、天然の良好を多数有し漁業は今も主力産業となっています。また湯本温泉は山口県北部では最大規模を誇る温泉街となっています。
他にも「こだまでしょうか、いいえ」で有名な詩人・金子みすゞの出身地でもあり、その記念館もあります。

-JR長門市
【市内】市内10駅(いずれもJR)中の中心駅 
【路線】
JR山陰本線(京都-幡生間)、同仙崎支線(長門市-仙崎間)
      美祢線(厚狭-長門市間)
【開業】1924年3月23日(訪問は2008年11月)
【1日あたり平均乗車人員】
 685人/日 (2009年)
【近隣の都市駅】
(京都方面)萩駅→5駅 
          (幡生方面)下関駅→22駅

▼かつて山陰に住んでいたというのに、山口県の山陰側はとんと行ったことがなく、2008年秋になってようやく初訪問、初の山口県の山陰って事で夜の訪問ながらテンションあがりました。

夜の訪問は基本的にはカウントしないのがマイルールなのですが、駅外にも出たし記録に残せる限り残そうとしました。よって画像としてはかなりお見苦しいものとなっていますが、こんな感じの所、程度で見て頂ければと思います。
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▼立派なつくりの支柱に支えられた屋根周りが見事なホームは2面4線を有しています。

ちょうどこの時は両サイドに電車が停まっていました。

山陰本線に属していながら、北東へ2.2km、1駅分だけ分岐する「仙崎支線」も有し、また山陽側へは新幹線も停車する厚狭駅へとつながる「美祢線」の終着でもあります。

ただし、美祢線は昨年7月の大雨により全線不通となったままいまだに再開されていない状態で、先日石巻で震災後初めて列車の運行が再開されたニュースがあったのに比べると、こちらの方が苦しい状況にあると感じました。
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▼跨線橋内は明るく、掲示物はビッシリ貼ってありました。

屋根の骨組みや貫が印象的な光景です。
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▼ホームが跨線橋でつながっている様子です。

幅の広いホームに長く取られた屋根は市の中心にふさわしい雰囲気で、萩や東萩などと共に山口県内の山陰線では屈指の規模を誇ります。
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▼改札を経て駅舎内の風景です。

改札のタイプが昔ながらのもので、いまでも通り行く人々から両手で切符を回収していってるのかな、と想像してしまいます。

本日の観光コース「大島」と出ていました。

右向こうには金子みすゞのコーナーがありました。さすがみすゞの町。

kioskはシャッターが下りていました、まだ7時台だったように記憶してますが、あまり遅くまではやってない昔ながらのKioskだったのでしょうか。
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▼駅舎内は市の中心だけあってか多少広めで、旅のパンフが沢山設置されていた印象が強かったです。

TV画面があるのも見えます。
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▼駅出てすぐのところから、駅舎内の様子です。

この写真を撮った意味は「長門市駅」の文字がはっきり見えるものが欲しかったからです。

駅舎そのものを撮ろうとすると暗いのでなかなかちゃんとしたものが撮れない事から、とりあえずこのカットを撮っておこうって事で。多少これで長門市駅の明るい時の様が分かるかな、と。
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▼長門市駅の駅舎です。

案の定、暗いカットとなりました。この程度の大きさの駅舎、というのが分かればいいかということで撮りました。これを自分の頭の中だけに残しておける(覚えておける)自信がなかったものありで。

夜の訪問なのでブログUPは躊躇いましたが、折角来た訳だし、それと実に短絡的な理由ですが、昨日俳優・長門裕之さんの訃報が入った事がキッカケになりUPする事となりました。長門さんは本名が加藤で、また京都の出身で、当地との関係はよく分かりませんが…。
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▼夜でお見苦しいことこの上ないのですが、駅前広場にこのような動輪が展示されていました。昭和50年3月に設置されたというD51の動輪だそうです。
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2011年5月21日 (土)

名鉄/常滑駅 (愛知県常滑市)

愛知県常滑市の名鉄・常滑(とこなめ)です。

常滑市は愛知県の南西部に位置し、人口は54,858人(2011.2.1現在)で、常滑焼は全国的に有名で、日本六古窯(常滑、瀬戸、備前、信楽、丹波、越前)の中でも、最古にして最大規模といわれる窯業の町です。近年では中部国際空港(セントレア)が2005年2月に開港され、国際的な玄関口としての側面を持つようになり、それまで減少に転じていた人口も近年再び増加してきています。

-名鉄・常滑
【市内】市内8駅(いずれも名鉄)中の中心駅 
【路線】
名鉄常滑線(神宮前-常滑間)
       空港線(常滑-中部国際空港間)
【開業】1913年4月1日(訪問は2011年2月)
【1日あたり平均乗降車人員】
 10,065人/日 (2008年)
【近隣の都市駅】
(神宮前方面)朝倉駅→10駅 
          (中部国際空港方面)中部国際空港駅→2駅

▼市内にJR駅はなく、すべて名鉄の駅となっています。

隣がりんくう常滑駅で、その次が中部国際空港という、「りんくう⇒空港」の並びは関空と同じ形となっています。

路線としては、名鉄の常滑線と空港線となっていて、複数路線を持つようにみえますが、常滑線終点である当駅から中部国際空港までの4.2kmを延伸したものが空港線なだけです。

ちなみに再来年に開業100周年を迎えます。
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▼この日は愛知県の未踏市を巡る旅でしたが、元々用事があってそれを済ませてから出かけたので、夕方近い段階になってやっと最初の市に着いたような有様で、朝倉(知多市)を皮切りにここ常滑が2ヶ所目でしたが、もう既に御覧のような薄暮状態で、マトモに写真が撮れたのはこの日はここが最後でした。
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▼ホームは2面4線もある高架駅で、階段を降りて改札へと向かいます。

長く続く屋根と高架の壁とで大規模感のよく出たホーム周りとなっています。
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▼上の写真と反対方向のカットです。

向こうに鉄橋が見えると、景色として素晴らしいものに思えます。

右側に見える高層ホテルも素晴らしく、人口5万そこそこの町とは思えない立派な雰囲気を演出しているようでした。
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▼駅出て目線、ロータリー周辺です。

先ほどのホテルが他よりも際立って高いのが分かってしまいます。

真ん中には窯業の町らしい陶器のモニュメントが!
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▼もっと大きくすばらしい、こんなモニュメントも同じく駅前広場の周辺にあります。
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▼やきもの散歩道、としての案内等も御覧のようなレンガ仕立て。しかも煙突状になっているところがまたgoodです。このような明確なウリ物がある町というのは、訪ねて旅し甲斐がありますね。
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▼常滑駅の駅舎です。

左側の高層の建屋はパレマルシェ常滑というショッピングセンターで、実質の駅舎は右側の高架の部分です。ただ、駅名表示はそれらの交わる角の部分に出てきています。
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▼これは駅舎内の看板です。

車で10分ほどの所に「とこなめ焼卸団地」なるものがあり、そこに焼き物の専門店が集まっているようです。
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▼高架下には、いくつかの店が入っています。

ちょっと暗くなって戻ってみると、すっかり閉まっていた印象があり、あまり遅くまではやっていないようでした。

焼き物の町で、それらを垣間見る事のできる散歩道が設定されているので、短時間でもそれなりに観光を楽しむ事ができると思います。駅から徒歩でじゅうぶんに「ハッ」とするようなものに出会えるので、そのあたり別機会で載せる事ができれば、、と思っております。
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2011年5月19日 (木)

JR新城駅 (愛知県新城市)

愛知県新城市のJR新城(しんしろ)です。

新城市は愛知県の東部に位置し、人口は49,731人(2011.2.1現在)で、2005年に南設楽郡鳳来町、作手村と合併した事により愛知県で2番目に広い市となりました。長篠の戦いという歴史でも有名な戦いが展開された歴史を持っています。

-JR新城
【市内】市内15駅(いずれもJR)中の中心駅 
【路線】
JR飯田線(豊橋-辰野間)
【開業】1898年4月25日(訪問は2011年3月)
【1日あたり平均乗車人員】
 1,768人/日 (2007年)
【近隣の都市駅】
(豊橋方面)豊川駅→6駅 
          (辰野方面)飯田駅→48駅

▼鉄道ファンの間では非常に人気があるとされる「飯田線」の駅初登場です。

かねがね乗りたいと思っていましたが、今年の3月にしてようやく乗る事ができました。といっても、豊橋からここ新城までのわずか20kmあまりですが…

飯田線は豊橋から北へ険しい山岳地帯も通る195kmほど長大路線の中、94もの駅を持つという大変ユニークな路線で、旧国鉄地方線の中では駅間距離は異色の短さです。全線走り抜けるのに6~7時間もかかるといいます。元々4つの私鉄路線を統合したという歴史的背景を持っている事もあって異例の駅間の短さとなっています。

「新城」は「しんじょう」と読むのかと思っていました。というのも愛知県では「安城(あんじょう」)という新幹線も停まる市があり、そのノリで読んでいたのですが、「しんじょう」は山形県の市にあり(新庄)、それと被るから、それはないか、、と変に納得してしまいました。
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▼飯田線の電車です。

行きも帰りもこのタイプの電車に乗りました。
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▼南へ行く豊橋方面と、山岳地帯へ進む飯田方面へは列車本数が明らかに違います。

豊橋へは1時間に2,3本ですが、北方面は1時間に1本が基本、2本の時間帯もあるという状態です。飯田駅までは48駅も要し、それまででも中部天竜駅まで20駅もかかります。ここから北へは市の中心たる賑やかな駅にはなかなか出会えない事となります。
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▼ホームは2面3線で、跨線橋は御覧のとおり屋根無しとなっています。

ホーム上の屋根は割に長く取られているのですが、いかんせんこの屋根なし跨線橋というのは市の中心を感じさせない様子になっています。屋根はないものの、側面は全面的に隙間のないものとなっています。
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▼ホテルの案内看板が出ているところに、わずかに市の中心を感じる事ができます。

それ以外にはさして「ようこそ新城へ」的なものは見受けられませんでした。

ここの部分の柱と屋根はなかなか立派なものでした。
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▼駅舎側のホームの様子。

木造建築物も目立ち、味わいのある雰囲気となっています。
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▼新城駅の駅舎です。

やや層が高い吹き抜けの駅舎で、平屋の割には大きな建物となっています。出入口部分に小さな出っ張り屋根があり、建物そのものの大きさを強調しているようでした。

タクシーは見た限り1台しか停まっておらず、その代わり車の行き来は割に頻繁だった気がします。バスが来そうにない雰囲気でしたが、標識も見受けられずで微妙な駅前感でした。
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2011年5月18日 (水)

名鉄/三河高浜駅 (愛知県高浜市)

愛知県高浜市の名鉄・三河高浜(みかわ・たかはま)です。

高浜市は愛知県の中南部に位置し、人口は44,159人(2011.2.1現在)で、愛知県では弥富市に次いで人口の少ない市とされ、窯業が盛んで日本三大瓦のひとつにして最多の生産を誇る「三州瓦」の生産エリア内にある瓦の町です。またトヨタ自動車の源流である豊田自動織機の工場もある町です。

-名鉄・三河高浜
【市内】市内3駅(すべて名鉄)中の中心駅 
【路線】
名鉄三河線(猿投-碧南間)
【開業】1918年4月20日(訪問は2011年2月)
【1日あたり平均乗車人員】
 1,768人/日 (2007年)
【近隣の都市駅】
(猿投方面)刈谷駅→4駅 
          (碧南方面)碧南中央駅→4駅

▼ローマ字表記にするとすごい長い文字になるのが分かる駅名標でした。

列車はほぼ全時間帯に1時間あたり4本となっています。

高浜市が市制施行されたのは1970年で平成の大合併でできた市ではありませんが、市としての歴史は浅い部類に入る町と思います。「高浜駅」というのは、私は行った事がありませんが茨城県石岡市に存在し、19世紀中には開業されていたとの事で、当駅はそれもあってか「三河」か冠されたものと思われます。他には私が行った中では若狭高浜駅(福井県大飯郡高浜町)というのがあります。
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▼ホームはわずか1面2線で、名鉄三河線沿線(他に豊田・知立・刈谷・碧南市)の中で始点でも終着でもなく、他の路線との連絡もないというのはこの高浜市のみです。当駅の利用者数は名鉄三河線23駅中10位ですが、市の中心としてはやや寂しい感があります。
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▼1面2線のホームからは階段を上がって改札へ行く橋上駅舎スタイルで、そこから両サイドへと自由通路が通っています。
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▼ホームからの階段にはパチンコ店の宣伝シール?!がぎっしりと貼られていて、これは大変目を惹きました。こういうところには大抵「ようこそ」などの歓迎文句とか、その土地を代表する観光名所やホテルなどのPRとかは見ますが、パチンコ店とは新鮮な印象でした。
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▼ホームから見た駅前の様子のひとつです。

駅舎から出た「ペデストリアンデッキ」が円を描く美しい通路になっていて大変ユニークな印象を受けます。
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▼三河高浜駅の駅舎です。

階段部分横のギザギザの様な窓が印象深く、また踊り場部分の円形も建物にバリエーションに富んだ印象を持たせています。

階段部分がただの斜め線になっていないところが、この駅舎の建屋を複雑なものにし、また見ごたえも感じさせてくれるように思います。
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▼横から(線路に沿って)見た駅舎の様子です。

階段入口には「三高駅」と略称で書かれています。地元の方はたぶん高浜駅と言うんではないかと思うのですが、この「山高駅」という呼び名は使う事はあるのでしょうか??

それにしても直線と曲線を効果的に織り交ぜてみるものを楽しませてくれる駅舎、との印象を強く持ったものです。
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2011年5月16日 (月)

長野電鉄/須坂駅 (長野県須坂市)

長野県須坂市の長野電鉄・須坂(すざか)です。

須坂市は長野県の北東部に位置し、人口は52,078人(2011.3.1現在)で、江戸時代は須坂藩の陣屋町として栄え、蔵の町としての町並みが今も残っています。

-長野電鉄・須坂
【市内】市内5駅(すべて長野電鉄)中の中心駅 
【路線】
長野電鉄長野線(長野-湯田中間)
          屋代線(屋代-須坂間)
【開業】1922年6月10日(訪問は2011年4月)
【1日あたり平均乗降車人員】
 6,687人/日 (2007年)
【近隣の都市駅】
(長野方面)長野駅→12駅 
          (湯田中方面)信州中野駅→6駅
          (屋代方面)屋代駅→12駅

▼「すか」と濁って読みます。ここに来る前までは「すさか」だと思っていました。

市内にJR駅はなく、すべて長野電鉄の駅となっています。

なかでも当駅は、長野駅から出る長野線と、屋代駅から出る屋代線の交点となる重要なキー駅で、長野電鉄において両路線をもつ唯一の駅です。

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▼今年GWの旅で初めて訪問した一番最初の町がここ須坂でした。長野駅からは約30分で着きます。

電車を降りて撮ったこの写真は行き違いで停まっていた列車です。いかにもという感じのステンレス電車でした。

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▼これも同じタイプの電車か、側線上に止まっていました。

線路が多く、停車していた電車も結構数多くありました。長野電鉄の車両基地を持っているとの事で、そういう面でも長野電鉄の運行上のキーにもなっているといいます。
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▼ホーム真ん中に柱が立ち、屋根は長めに取られていて、市の中心相応の雰囲気を持っています。

吊下げ式の時刻表がかかっていました。
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▼長野電鉄でも複数路線を持つキー駅であることもあってか、3面5線もの広大なホームを有しています。跨線橋屋根の鮮やかな色に目を惹きつけられます。
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▼名所案内です。

高原の多いところは長野県の町らしいと感じます。

個人的には駅から十分歩いて行ける蔵の町並みがオススメです。
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▼駅跨線橋をあがっていくところです。

まっすぐ上がったと思うと途中右に折れ、またまっすぐ階段が続く面白い構造となっています。
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▼ホームの中でも印象的だったのがこの風景でした。

古い列車が停まっていたり、あらゆる鉄道部品が集められていたりと、不思議な雰囲気を形づくっていました。
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▼須坂駅の駅舎です。

地方私鉄の市の中心駅なので、そんな大きな駅ではないと思っていましたが、思いのほか大きな駅だった事に驚きました。

2F建てでしかも向かいには2Fからそのまま続く通路も持ち合わせており、なかなかの規模を誇る建屋と感心しました。
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▼その駅の2F部分です。

ちょうどGWだった事もあり、北の方では「さくらまつり」の時期で、桜色の幟が並んでいました。
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▼2F部の端から覗いた自由通路の様子です。

駅外の自由通路は屋根のない錆びの多いものですが、広大なホームを完全に跨ぐ形での長い通路が設けられていて、駅舎のない側とをつないでいます。
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2011年5月14日 (土)

上信電鉄/上州富岡駅 (群馬県富岡市)

群馬県富岡市の上信電鉄・上州富岡(じょうしゅう・とみおか)です。

富岡市は群馬県の南西部に位置し、人口は51,845人(2011.3.1現在)で、歴史に教科書にも出てくる、日本初の官営工場「富岡製糸場」で非常に有名な町です。

-上信電鉄・上州富岡
【市内】市内7駅(すべて上信電鉄)中の中心駅 
【路線】上信電鉄線(高崎-下仁田間)
【開業】1897年7月2日(訪問は2011年4月)
【1日あたり平均乗車人員】
 446人/日 (2008年)  
【近隣の都市駅】(高崎方面)高崎駅→12駅 
          (下仁田方面)下仁田駅→7駅

▼群馬県の私鉄駅初登場です。

上信電鉄は、新幹線も停車する群馬県の高崎駅から甘楽郡下仁田町の下仁田駅までを結ぶ30km余りに20駅ををもつ鉄道路線で、かつては中曽根元首相の祖父が社長を務めたともあります。

この駅名標は漢字表記が全くないですね。

両隣が東富岡と西富岡って、すごく単純なんですが…。

下仁田駅が都市駅かというと「??」ですが、終着であり拠点となるキー駅なので近隣の都市駅として挙げました。
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▼ホームは緑でペイントされた中央の柱とそこから広がる屋根骨組みが目を惹き、また木造の大きな屋根が寂れ具合も相まって見事な渋い雰囲気を醸し出しています。

そんなヴィンテージな雰囲気溢れるホームに、このような派手なラッピング電車が!

上信電鉄は結構ラッピング電車が多いようで、ここへ来る前に始発の高崎駅の側線に銀河鉄道999の車両が停まっていたり、何気に目を惹くものが非常に多い気がしました。
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▼そのラッピング電車の前面はこんな感じ。

Togendoとありますが、「桃源堂」と表記し、この富岡市を本社とする教育関連用品の総合商社だそうで、その広告用の車両ということです。
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▼ホームは2面3線を持っていますが跨線橋はなく、右向こうの駅舎との連絡は構内踏切になります。

この柱についた駅名標やベンチの雰囲気など、昭和から時が止まっているように思えました。
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▼渋いホーム屋根の切れ目から。

真ん中の柱で支えていて、両サイドには柱がないので、素晴らしい眺めになっています。まるで浮き上がっているような。
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▼駅舎内にはメーテルの顔抜き看板がsign03

銀河鉄道999でおなじみの松本零士先生が、「富岡の歴史」という漫画絵巻を描いた事から、このように使われているようです。そういえば帰りに乗った電車の車内にはメーテルや哲郎、ハーロックの絵がデカデカと描かれていたのを思い出しました。零士ワールドの町と言ってもいいかもしれません。

あ、向こうにある木製ベンチの風合いも見逃せません。
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▼これも駅舎内。

グッズ販売の広告とも言うべきスペースに、上信電鉄の各駅のイラストがありました。こういう企画いいですね。その駅へ行かなくても雰囲気が伝わってきて、何か行ったような気になったりして。
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▼上州富岡駅の駅舎です。

いかにもという感じのコンクリート製で2F建てのやや大きな駅舎です。

大塚製薬の自販機がひとつ離れて設置され、駅舎前面にポカリスエットの看板が出ています。
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▼駅には乗合タクシーというのが停まるようです。

バスの形をしていなかったので、乗っていいものかどうか(予約者とか特定の方しか乗れないのか?等)迷ってしまうような乗り物でした。

富岡製糸場は徒歩10分ほどで行けるので、歩きも可能ですが、運動や時間をショートカットしたい場合や方向音痴でとても行けそうにない場合は乗っても良いのかもしれません。

向こうに見える建物も富岡製糸場を彷彿とさせるもので、至る所でこのような光景が見られる富岡のまちは観光のし甲斐があるとは思います。
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2011年5月12日 (木)

しなの鉄道/小諸駅 (長野県小諸市)

長野県小諸市のJR/しなの鉄道・小諸(こもろ)です。

小諸市は長野県の東部に位置し、人口は43,852人(2011.3.1現在)で、かつては小諸城の城下町として栄えた「高原の城下町」です。

-JR/しなの鉄道・小諸
【市内】市内6駅(JR4,しなの鉄道2)中の中心駅 
         ※当駅をしなの鉄道の駅としてのみカウントした場合
【路線】しなの鉄道線(軽井沢-篠ノ井間)
    JR小海線(小淵沢-小諸間)
【開業】1888年12月1日(訪問は2011年4月)
【1日あたり平均乗車人員】
 
     しなの鉄道-3,378人/日 (2009年)  ※乗降車人員
     JR-1,638人/日 (2009年)       ※乗車人員
【近隣の都市駅】(軽井沢方面)軽井沢駅→5駅 
          (篠ノ井方面)田中駅→2駅
          (小海方面)佐久平駅→6駅

▼今回のGWで訪問した長野県の未踏市めぐりのツアーで、須坂→中野→千曲→上田ときて、次にやって来たのがこの小諸でした。(その後、東御→佐久と続きます)

小諸駅はJRも通っていますが、記事タイトルに「しなの鉄道」としたのは、しなの鉄道の電車に乗ってやってきて、JR線には殆ど目もくれていなかった為です。JRでは小海線の終着駅で、しなの鉄道では途中駅にしていくつかある市の中心駅のひとつです。

こちらはしなの鉄道の駅名標、スリートーンカラーが美しいですね。

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▼ホームはJRとの共同使用で、全部で3面5線あります。

1~3番線がしなの鉄道、4・5番線はJR、としなの鉄道が優勢といった感じです。

赤い電車がしなの鉄道のもので、白に緑のものはJR小海線の電車です。複数の路線が走り、ホーム上の長い屋根がありと、市の中心に相応でまた重要な拠点駅の雰囲気が窺えます。

線路が広く取られているので跨線橋が長いのですが、階段の下を支える骨組みが複雑に入り組んだ様もまた素晴らしいものを感じました。
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▼ホームにこんな句碑もありました。
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▼終着駅らしく車止めや、またホームに面しない側線などあって線路が広く、向こうの自由通路はかなり長いものとなっています。
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▼小諸はどんな町か??と思い訪ねて、初めてその明確な答えを目にしたのがこの看板でした。高原の城下町なのか、、と。
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▼ホーム上にはこんなのもありました。

手前の木の塊はなんだろう、と気になりました。
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▼駅を出てからまず撮ったのがこの写真です。

浅間の登山口なんですね。
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▼小諸駅の駅舎です。

あまり大きな駅ではありませんが、レストランがあったり、平屋ではない部分もあります。また、老朽化のため橋上駅舎になる予定があるそうです。

「スケッチ文化都市こもろ」
の塔が建っています。
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▼駅出て右側の様子です。

なんといっても右のロイヤルホテル、坂の途中にうまい具合に高層の建屋が建つ壮観ぶりに圧倒させられました。駅は小さいのに、いきなり高層の建物が目の前にドカーンと建ってていきなり感動したものです。
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2011年5月11日 (水)

東武/羽生駅 (埼玉県羽生市)

埼玉県羽生市の東武/秩父鉄道 ・羽生(はにゅう)です。

羽生市は埼玉県の北東部に位置し、人口は56,192人(2011.2.1現在)で、利根川の舟運と共に栄えた町で、県内有数の農地に恵まれた町です。衣料づくりを主産業とする町でもあります。

-東武/秩父鉄道・羽生
【市内】市内4駅(東武、秩父鉄道各2)の中心駅
【路線】
東武伊勢崎線(浅草-伊勢崎間)
    秩父鉄道線(羽生-三峰口間)
【開業】東武-1903年4月23日(訪問は2011年2月)
     秩父鉄道-1921年3月30日    
【1日あたり平均乗降車人員】
 東武-14,188人/日(2009年)
       
            秩父鉄道-4,992人/日(2008年)  
【近隣の都市駅】
(浅草方面)加須駅→2駅 
          (伊勢崎方面) 館林駅→3駅
          (三峰口方面)行田市駅→5駅

▼ここへ来る前までは「はぶ」だと思っていました。「はにゅう」と読むのか、、って感じでした。

東武の駅であり、また秩父鉄道の始発ともなる駅です。秩父鉄道には乗っていないので、ここでは基本、東武の駅として扱っていきますが。
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▼館林行きの普通電車です。

館林方面で見た時に、当駅が埼玉県最後の駅で、隣の駅から群馬県に入っていきます。
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▼東武のホームから。

エレベータと階段が並んでいました。

左に見えるのが、秩父鉄道の電車です。
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▼東武と秩父鉄道のホームはそれぞれ別れていて、改札も分離されるようになったとの事で、以前は改札は共用だったようです。
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▼橋上駅舎の自由通路部分です。

大きな窓に半円のステンドグラスが花を添えています。

江戸時代から青縞(藍染)の産地として栄えた羽生の地に因んでか、それら様々の模様の染物が吊るされていたのも印象的でした。
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▼羽生駅の駅舎です。

自由通路の部分が左端で、半円の大窓が大変目立っています。

建物は薄茶を基調としながら、屋根はライトなグリーンで、どこまでも曲線的なソフトなイメージのつくりが見どころといえるでしょうか。柔らかな曲線がいい味を出している駅舎です。この屋根は線路の上の建屋部分も一貫して用いられていて、横や斜めから見ても味わいがあります。

駅前広場はロータリーが整備されていますが、停まってたり行き来する車の数はさほど多くありませんでした。
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2011年5月10日 (火)

JR東金駅 (千葉県東金市)

千葉県東金市のJR東金(とうがね)です。

東金市は千葉県の東部に位置し、人口は61,617人(2011.2.1現在)で、1954年に市制化され、当時の人口は約35,000人ほどでしたが、1980年代あたりから増加が顕著となり今では6万ほどになっており、九十九里地域の中心都市と位置づけられています。

-JR東金
【市内】市内3駅(いずれもJR)中の中心駅 
【路線】
JR東金線(大網-成東間)
【開業】1900年6月3日(訪問は2011年2月)
【1日あたり平均乗車人員】
 4,530人/日 (2009年)
【近隣の都市駅】
(大網経由安房鴨川方面)茂原駅→6駅 
          (大網経由千葉方面)千葉駅→8駅
          (成東方面)成東駅→2駅

▼「とうがね」と読むんですね。子どもの頃この地名を目にした時は「とうきん」と読むんだと思っていました。

成東とは2駅離れているだけで、同様の人口規模の中心駅のせいか、混同してしまいます。この駅名標の色褪せ具合も成東のそれとよく似ています。
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▼同じ模様の電車が両ホームに居る状態。

東金線では始点が大網(大網白里町)、終点が成東(山武市)となっていますが、それ以外の途中駅3駅はすべて東金市に属しています。
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▼名所案内です。

東金公園として西500mの地点に色々あるようで、時間が限られている時にまず訪ねておきたい所はここかな、という気がします。

房総十和田湖、なんてのがあるんですね。この雄蛇湖(おんじゃがいけ)、心霊スポットとしても有名だそうですね、TVでもやってたとか。バスの便あり、と書いてますがバスの名所でもあるんですね、ブラックバスの。
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▼跨線橋は屋根なしで、昔からの市の中心に相応のものとは思えませんが、エレベータは設置されています。なんか不釣合いな光景、と感じました。

駅内の跨線橋の向こうに駅外の跨線橋が平行に架かっています。
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▼跨線橋からホームを見下ろした様子です。

駅舎のない右側は屋内型の待合室がありますが、それ以外は屋根のあるゾーンが見受けられず、駅舎のある左側ホームはビニールの波型屋根がずーっと続いていて、これが市の中心らしさといえばらしさかな、と感じます。
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▼駅舎側でないホームの待合室周辺です。

屋根のあるゾーンがここ以外ないというのは市の中心駅としては寂しいものですが、待合室自体はやや広めで、待合室に広告看板が取り付けられていたりします。
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▼跨線橋から、駅舎のない側の駅前の様子。

片側は駅舎はなく、橋から降りるだけですが、駅前はそれなりにロータリーが整備されていたりします。
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▼こちらは駅舎のある側の駅出て目線風景です。

ロータリーの整備そのものでいえば、駅舎のない側の方が整っているかもしれません。

商店街様のミニアーケードがありますが、何十年もこの状態なのかな、と感じさせられます。
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▼東金駅の駅舎です。

タクシーはこの時、3台ほど停まっていました。

駅舎は平屋でそれほど大きくありません。

屋根がゴツッとしていて、高めに見える分だけやや大きいかな、という雰囲気で、駅名の表示も実に素気なく、市の中心というよりは郊外のそこそこの駅という雰囲気に近いかな、という印象を受けました。
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2011年5月 9日 (月)

JR成東駅 (千葉県山武市)

千葉県山武市のJR成東(なるとう)です。

山武市は千葉県の北東部に位置し、人口は55,940人(2011.2.1現在)で、2006年にこの駅のある山武郡成東町ほか3町1村が合併してできた新 しい市です。郡名は山武(さんぶ)郡ですが、新市名は山武(さん)市と読みます。古い歴史にのっとった読み方が「さん"む"」の方であり、いつしか「さん"ぶ"」に変わってしまっていたとの事で、市制化を機に昔ながらの読み方を復活させたようです。

-JR成東
【市内】市内3駅(いずれもJR)中の中心駅 
【路線】
JR総武本線(東京-銚子間)
      東金線(大網-成東間)
【開業】1897年5月1日(訪問は2011年2月)
【1日あたり平均乗車人員】
 2,973人/日 (2009年)
【近隣の都市駅】
(東京方面)八街駅→2駅 
          (銚子方面)八日市場駅→4駅
          (大網方面)東金駅→2駅

▼成東、の地名は個人的にはかなり昔、中学生時代から見たことがありました。当時中日ドラゴンズの主力投手であった鈴木孝政投手の出身高校としてこの字を見かけました。
「成」の字があるから?!なんとなく千葉県かな、、と思っていたらやはり千葉県でした。

JR総武本線の駅であり、また東金線の終着駅でもあります。駅名はローマ字表記だと某人気アニメのようですね。
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▼ホームは2面4線を持っています。

しかしこちら側は屋根のあるゾーンが少なく、市の中心という感じではありません。複数に分岐するのでホームが多いだけ、という印象を受けました。それでも鮮やかな黄色いベンチは印象的でした。
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▼跨線橋から見下ろした様子、総武線の電車が発車を始めた頃です。

分岐する線路の美しさが目に飛び込んできます。
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▼跨線橋は筋交いと下の骨組みが緑色になっていて、そろらが何本も重なり合うようなさまは芸術的なものを感じます。前回の八日市場駅の跨線橋は太い丸柱でしたが、こちらは何本もの細い骨組みで、駅によって個性を感じます。

骨組みの下の部分は柵がされています。いたずら防止のためでしょうか?階段部分の窓の四角が段々になっているのもまたこの建物を芸術的に見せている要素のひとつかもしれません。
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▼跨線橋の内部はそこそこ幅があります。

上部が吹き抜けになっている準室内型とでも言いましょうか。緑の部分が天井も含め支えになっています。
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▼駅前にあった大きな「礎」の慰霊碑です。

終戦間近の昭和20年8月13日、敵機の攻撃を受け成東駅構内に停まっていた軍弾薬の積載貨車は火煙を発し、これを見た国鉄職員や将兵たちがこれを隔離消火するために奮闘、旅客・町民を避難させたが、必死の奮闘空しく弾薬は爆発し、全員が壮烈な最期を遂げたとあります。これはその13回忌にあたる昭和32年にこの功績を讃え、建てられたものといいます。
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▼これも駅前にあった動輪。

その左にある「魁」の碑は、千葉県初の鉄道開設運動とその誘致に尽力した安井理民(やすい・はるたみ:1859-94)の功績を讃えたものだそうです。
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▼成東駅の駅舎です。

基本的に横に長い駅舎で、出入口の周辺のみレンガ様の屋根と柱で構成された建屋がせり出しています。

駅前広場はそれなりのスペースがとられていますが、タクシーの停車台数もまばらで、行き来もあまりない様子でした。
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▼その出入口周辺を横からのカットです。

柱で仕切られ、半円型のアーチを描いた門がいくつもできた出入口が見事な様子です。これがあるだけでかなり豪華な雰囲気が出ています。
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2011年5月 8日 (日)

JR八日市場駅 (千葉県匝瑳市)

千葉県匝瑳市のJR八日市場(ようかいちば)です。

匝瑳市は千葉県の北東部に位置し、人口は39,764人(2011.2.1現在)で、2006年にこの駅のある八日市場市と匝瑳郡野栄町が合併してできた新 しい市です。合併前の自治体が共に匝瑳郡に属していたことからこの市名になったそうです。

古くから植木産業が盛んな日本有数の「植木の里」で、また俳優・地井武男さんの出身地でもあります。

-JR八日市場
【市内】市内2駅(いずれもJR)中の中心駅 
【路線】
JR総武本線(東京-銚子間)
【開業】1897年6月1日(訪問は2011年2月)
【1日あたり平均乗車人員】
 2,038人/日 (2009年)
【近隣の都市駅】
(東京方面)成東駅→4駅 
          (銚子方面)旭駅→2駅

▼国鉄時代の名残と思しき駅名標、「千葉県八日市場市」と旧自治体名のままとなっています。旧・八日市場市の名は毎月八日に市が開かれる市場町と発展してきたところからきているといわれ、滋賀県に「八日市」市というのがありましたが、駅名は今も残るもののこれも東近江市となってしまい、八日市のつく市名は平成の大合併でいずれも消滅してしまった訳です。

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▼この電車でやって来ました。

黄色とブルーの鮮やかなラインがいいアクセントになった車体ですね。
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▼ホームは2面2線のみで向こうにある跨線橋でつながっています。

駅舎側のホームの屋根のある部分はかなり短くなっています。反対側ホームは割と長く設けられていますが。
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▼エレベータもちゅんとついています。

ドアの部分が鮮やかな黄色で目立ちます。

周りとを取り囲むようにして太い丸柱があるのも印象的。
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▼跨線橋の下から、向かい側ホームを。

跨線橋の外装はなかなか綺麗なもので好感が持てます。

柱は太い丸柱が支えており、跨線橋の柱にも駅に寄って様々なタイプがあるものだと感じさせられます。

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▼鏡山お初、とは「加賀見山旧錦絵」という歌舞伎に出てくる人物で、そのモデルは松田たつという江戸時代の女性といわれています。たつは江戸で奉公に上がった屋敷で仕えた女主人が年寄から辱めを受け自害に追い込まれた為、その年寄を訪ねて仇討ちを遂げたといわれています。
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▼八日市場駅の駅舎です。

昔からあった市の割にはあまり大きくない建屋でした。

緑の瓦屋根が印象的で、屋根の両サイドの裾の部分は突出して、単調ではない形となっています。
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▼駅ロータリー部分は、タクシーが結構多く、整然と停まっていました。

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▼駅からの通りです。

駅前通りらしい街灯を両サイドに有しているものの、商店街的なというよりは幹線道の通りという雰囲気になっています。この町に来た時の実況twitterでは、地井さんの出身地なんで散歩でもしてこよう、と呟いて実際ちょっとは散歩してそれなりの成果物は得てきたので、またその辺りをUPできれば、、と思っています。
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東武/幸手駅 (埼玉県幸手市)

埼玉県幸手市の東武・幸手(さって)です。

幸手市は埼玉県の東部に位置し、人口は53,976人(2011.2.1現在)と埼玉県の市では最も人口の少ない町です。東京都心から約50kmのところにあり、1970年代には人口が著しく増加し1990年代までは増加傾向でしたが、近年は緩やかな減少傾向にあります。

かつては日光御成街道と日光街道の合流点にある宿場町として栄え、徳川将軍が立ち寄ったお寺や明治天皇の行幸の際宿泊した行在所跡があります。また桜の名所といわれる権現堂堤なども。近年は「らき★すた」の作者の出身地としてそのキャラクターが町おこし的に使用されたりしています。

-東武・幸手
【市内】市内唯一の駅
【路線】
東武日光線(東武動物公園-日光間)
【開業】1929年4月1日(訪問は2011年2月)
【1日あたり平均乗降車人員】
 14,732人/日(2009年)
【近隣の都市駅】
(東武動物公園方面)東武動物公園駅→2駅 
          (日光方面) 栃木駅→9駅

▼埼玉県としては白岡駅はUPしていましたが、市の駅は初登場で、また東武鉄道の駅も初めてです。東武は2010年まででは宇都宮や日光などへは行った事がありましたが、今年初めの埼玉県の市めぐりで本格的に乗った、という感じです。

この時は浦和で泊まり、大宮へ出てからまず春日部を訪ねて、次にやってきたのがここ幸手です。この地名自体は30年近く前から見かけたと思いますが、ここへ来る前までずーっと「こうで」だと思ってました。訪ねてやっと覚えたと。次に訪ねた市もそんな感じでしたけど…

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▼ホームは2面2線です。隣の南栗橋駅が開業する(1986年)までは2面3線であったそうです。

かなり向こうに霞んでいますが跨線橋がつけられています。
ホームの柱の下半分は鮮やかなブルーでペイントされ、ベンチはうぐいす色でした。

大手私鉄のホーム周りってそれほど奇抜さがないというか、ある程度画一されている印象があるので、撮っててハッとするような事はあまりありませんが、駅のホームの様子はこんな感じです、程度にここにUPしています。

東武日光線の駅の中では東武動物公園駅に次いで2番目に多い利用者数を記録しています。
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▼この2011年2月時点ではエレベータの新設工事をしていました。

もうできてるでしょうか…
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▼駅舎側ホームにあった「幸手市物産陳列所」です。

写真が反射しまくってすみません。

地酒は幸手市のお米「白目米」でつくった「白目桜」や創業170年の歴史を刻む「初緑」などがあります。
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▼幸手駅の駅舎です。

降雪中でした。旅自体が激闘でしたが、とりあえず埼玉で最も人口の少ない市を訪ねられて満足しました。正直、市の中心というには規模の小さい駅舎と感じました。
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▼駅前広場周辺には有名人の手形が飾られていました。

以下の通りです。

1992 有森裕子 1993 中山雅史 田村亮子 1994 向井千秋 1995伊達公子

今や国会議員の「センセイ」となったYAWARAちゃんはイラストつきでした。結構皆さん旬の時期のものだと感じさせられます。
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▼こちらは…

2001 えなりかずき 国仲涼子 2003 星野仙一 2004 福原愛

2003年といえば星野阪神で18年ぶりのリーグ優勝を遂げた年です。今は楽天の監督だとは誰が想像したでしょうか、、この当時はまだ楽天球団は存在せず、近鉄バファローズのあった時代ですから…。
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▼駅出ての目線です。

タクシーは結構多めに停まってた感があります。

向こうに駅前の通りが続いていきます。

悪天候で視界がいまひとつ、向こうがよく分からないですが、高い建物がずーっと続いていくような街並みではありませんでした。
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2011年5月 7日 (土)

JR富浦駅 (千葉県南房総市)

千葉県南房総市のJR富浦(とみうら)です。

南房総市は千葉県の南部、文字通り房総半島の南端に位置し、人口は41,923人(2011.2.1現在)で、2006年にこの駅のある旧・安房郡の富浦町をはじめ6町1村 が合併してできた新 しい市です。

この中で富浦は「日本一のびわの里」としてアピールされており、その歴史は250年以上にも及ぶといわれています。

-JR富浦
【市内】市内6駅(いずれもJR)中の中心駅 
【路線】
JR内房線(蘇我-安房鴨川間)
【開業】1918年8月10日(訪問は2011年1月)
【1日あたり平均乗車人員】
 287人/日 (2009年)
【近隣の都市駅】
(蘇我方面)大貫駅→8駅 
          (安房鴨川方面)館山駅→2駅

▼2011年正月旅で1月2日に館山で泊まり、早朝に館山駅周辺を散策後、次に寄ったのがここ富浦でした。市の中心駅を降りつぶす、というコンセプトのもとこの南房総市の中心駅へ。しかし利用者が1日200人台という寂しい所でした。

内房線(外房線も)って、こんなに寂しい所があるとは…、という感じでした。昔はもっと都会のイメージでいたのですが、行ってみるとかなりギッャプがありました。最も千葉に近いところは賑やかですが、房総の先になるにつれて賑やかさが消えていくような気がしました。
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▼ホームは1面2線のみで、こんな小さな室内型の待合室がちょこんとありました。

向こうに屋根なしの跨線橋がありますが、ホーム上には屋根のあるゾーンが見受けられず、市の中心に相応という感じではなく、昔の郡部の町の中心駅程度の雰囲気です。
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▼待合室は外装は素気ない感じでしたが、内装はなかなか優しげな柔らかい感じの色遣いでした。白木のベンチ部分が映えていました。
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▼屋根なし跨線橋から眺めた駅舎周辺の様子です。

近隣の安房勝山駅にもかなり似てる気がしますが、違うのは屋根の真ん中部分で、この駅の屋根部分はなにか炉のようなもの?!が2つ緑色で乗っかってるところです。
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▼ホームから跨線橋を。

前面雨ざらしという感じで、やはり市の中心感はここではなかったです。今後の発展に期待したいものです。
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▼富浦駅の駅舎です。

色々な色が使われた楽しい雰囲気の駅舎、というイメージでした。

出入口のレンガの門はかなりいい味出してるなと思います。その上の緑の煙突は屋根の上からも見えてましたが、こんな感じで突起していて、デコボコも多いという、色も形もバリエーションに富んだ建屋です。
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▼駅周りは「南房総・富浦へようこそ」とのカラフルで大きな歓迎看板がありました。

こういうところには市の中心を感じました。駅舎の屋根の真ん中はここに移ってる建屋群のイメージなのでしょうか。
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▼歓迎モニュメントもあります。

向こうにあるとんがり帽子みたいな屋根の建屋はトイレです。

その間にある妙な木々が何だか面白げでした。
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▼駅出て目線です。

この向こうが駅前通りという事になりますが、あまり広くない道です。

駅前広場はこの木の部分を真ん中にロータリー状になっていますが、あまり広くないです。

左側にヤマザキの店がありますが、ここにはご当地のおみやげも売っていて、実際にビワのお菓子を買いました。富浦でとりあえず駅近でおみやげを買いたいsign03という場合はこちらでどうぞ!
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2011年5月 6日 (金)

JR沼田駅 (群馬県沼田市)

群馬県沼田市のJR沼田(ぬまた)です。

沼田市は群馬県の北部、北毛地方に位置し、人口は51,036人(2011.3.1現在)と群馬県の市では最も人口の少ない町です。といっても、みどり市や富岡市なども51,000人台で殆ど変わらないのですが…。中世は沼田城の城下町で「関東を制するには沼田をとらねば」と言われたほどの重要な拠点であったようです。

-JR沼田
【市内】市内2駅(いずれもJR)中の1駅
【路線】
JR上越線(高崎-宮内間)
【開業】1924年3月31日(訪問は2011年4月)
【1日あたり平均乗車人員】
 2,005人/日(2009年)
【近隣の都市駅】
(高崎方面)渋川駅→3駅 
          (宮内方面)越後湯沢駅→9駅

▼なかなかUPできなかった群馬県の駅初登場です。

これで1市町村も登場していないのは秋田県のみとなりました。

群馬県の町は今まで高崎、前橋、桐生など、このブログのアクセス数より人口の多い所ばかりだったので載せないでいましたが、このGWで人口の少なめの市も次々とめぐって、みどり市を除く全市を訪れる事ができましたので、随時UPしていきたいと思います。

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▼まだ1週間と経たない4月30日の訪問でした。朝も早い時間帯、この日は前橋泊で、伊勢崎に寄ってから上越線にのりかえてここまでやって来ました。

ホームは2面3線で、向こう側に多角形の室内型待合室があります。
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▼側線にはこのような作業車が停まっていました。

時々見かけますが、プラッサー&トイラーというオーストリアの線路工事用重機メーカー製のマルチブルタイタンパー(マルタイ)という線路の歪みを補正する作業車です。

最近駅に停まって、こういう作業車を見かけるとついつい撮ってしまいます。以前には興味なかったものにも色々目が向いて気が多くなってしまって…。
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▼両ホームはこの地下道でつながっています。この辺りはこういうタイプが多く、近隣の都市駅である渋川駅などもこのタイプであり、跨線橋をもっていません。
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▼地下へのエレベータも設置されていて、バリアフリーに対応しています。

関係ないですが、ここでGPS取ろうとしてもなかなか取れず、接続できませんでした。駅を出たら接続できましたが…
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▼地下からホームを見上げてみます。

手すりに沿ってピンクのラインがいいアクセントになっています。
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▼地下道の様子です。

そこそこ掲示物が貼られ、また真っ暗という訳でもない感じで、またエレベータがあるのである程度設備の充実した、市の中心にふさわしい様子も窺えます。
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▼沼田には日本一の大天狗面があるという迦葉山(かしょうざん)という信仰の山があるといい、その天狗面がホームに2ヶ所もありました。実際の天狗面は顔の丈6.7m、鼻の高さ2.7mのものが奉納されているといいます。沼田のシンボルマーク的存在といっても過言ではないでしょう。

アクセスは駅からバスで40分かかり、そこから徒歩60分とありました。
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▼沼田駅の駅舎です。

向かって右は工事中のようでした。

もっと離れて全体像的なものを撮りたかったのですが、なかなか難しい事情があって、それは諦めました。決して大きな駅ではありませんが、城下町にふさわしい和風を基調とした建屋になっています。
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▼駅前広場の様子です。

広々とスペースは取られていますが、車の動きはそれほどない様子でした。

バス停の屋根の柱部分が木製なのが目を惹きます。

そんな沼田駅前でした。
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2011年5月 5日 (木)

長野電鉄/信州中野駅 (長野県中野市)

長野県中野市の長野電鉄・信州中野(しんしゅう・なかの)です。

中野市は長野県の北東部に位置し、人口は45,567人(2011.3.1現在)で、「シャボン玉」「てるてる坊主」「証城寺の狸囃子」なと多くの作曲を手がけた中山晋平の故郷で、リンゴ・ぶどうなどの生産が全国有数という農業主体の町でもあります。

旅の当日、Twitter実況でも呟きましたが、ナガノ県のナカノ市って紛らわしいですね。正直言って今回長野県の未踏市をめぐる旅を思いつき調べるまでこの中野市の存在を知りませんでしたが、中山晋平に久石譲にと素晴らしい音楽家を生んだ町です。

-長野電鉄・信州中野
【市内】市内7駅(JR2、長野電鉄5)中の中心駅 
【路線】
長野電鉄長野線(長野-湯田中間)
【開業】1923年3月26日(訪問は2011年4月)
【1日あたり平均乗降車人員】
 2,670人/日 (2006年)
【近隣の都市駅】
(長野方面)須坂駅→6駅 
          (湯田中方面)湯田中駅→5駅

▼長野駅から出ている「長野電鉄」の駅初登場です。これもまた今回のGWの旅ではじめて乗ったもので、この度の旅で最初に乗ったのがこの長野電鉄であり、長野から須坂をへてこの中野市にやって来ました。

中野駅というのが東京・中野(中野サンプラザとかの)にあるので、「信州」の冠が付いたのでしょうか?他にも私の行った限りでは「安芸中野」「中野東」(いずれも広島市:JR山陽本線)や「針中野」(大阪市:近鉄)といった具合に「中野」の地名を有する駅は多くあります。

中野市はJR駅もありますが、JR飯山線が市の外れを走っているのみで、中心地はこの長野電鉄が走っています。

駅名標はローマ字がそのまま続いて信州と中野の間に「-」も入っていないので、長いですね。また、字しか入ってなくて絵や図柄など一切入っていないシンプルなものとなっています。

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▼みどころはこんな感じです。

やはり中山晋平記念館というのがあるのですね、郷土の偉人でしょうし。

中野は土人形の里ともいわれ、「日本土人形資料館」というのもあるんですね。
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▼こんな電車に乗ってやってきました。

元東急の8500系というもののようです。

ちなみにこの駅の標高は376mとの事です。JR中央線の駅と比べるとだいぶ低いですが、それでもこの高さはさすが長野県!という感じがします。
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▼駅跨線橋横にも駅名標がありますが、ここへ来る前に寄った須坂駅もこんな感じでした。階段横の部分はかなりホームが狭くなっています。
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▼ホームにはカップ式の自販機に室内型の待合室があり、周辺各駅の中で重要な駅であると分かります。
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▼時刻表がこの階段下の地点にありました。ホームは3面4線あり、この跨線橋で結ばれています。

ダイヤは上半分が須坂・長野方面、下は湯田中方面です。長野方面は意外と少なくないな、と感じました。行く前はもっと少ないのかな、と思っていましたが、1時間に4本の時間帯もあったりしてなかなかのものです。ただ、湯田中方面はさすがに1時間3本以上の時間帯がないですね。
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▼ホームから線路沿いの眺めです。

時にこの4月29日でしたが、まだまだ桜は咲いていました。さすが長野北部!

向こうに停まっている電車とあいまった景色は素晴らしい情緒を醸し出していました。
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▼跨線橋の内部です。

3面4線のホームと先述しましたが、1番線は現在使用されていないようで、「電車を利用されるお客様は左右の階段を利用してください」と鎖で通行禁止にされていました。
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▼改札を出て、出口へ降りようとするところです。

なかなか大きな構内に驚きました。しっかり「ようこそ中野市へ」とも出ていましたし。

ちなみにこの手前、2F部分は「ながでん 駅なか商店」が出ています。長野・須坂の駅でも同様にありました。
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▼駅出て目線です。故郷の偉人・中山晋平作曲による「肩たたき」の像があります。1983年にライオンズクラブによってつくられたそうです。今じゃ「肩たたき」って非常に悪い意味で使われている事も多く(特に社会人にとっては)非常に残念な気がしますが、親子の情愛をテーマにしたこの曲のイメージもいつまでも残っていて欲しいものです。
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▼上の写真より右よりのロータリー周りの様子です。
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▼上の写真で「中野市」の看板の向こうにあった枝垂桜。

4/29にしてこの咲き具合はお見事、葉になりつつあったとはいえ、まだまだ花も残る状態でGWにまで桜が見られるとは幸せなもの。今年は三浦海岸(神奈川県三浦市)で2月末に早咲き桜を見ることができ、2ヶ月以上桜を楽しめたのでホントによかったと思っています。
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▼信州中野駅の駅舎です。

予想に反して?!とても大きな駅舎で本当にビックリしました。

これぞ嬉しい誤算といいましょうか。

ちなみにこの時、この建屋の下の階、駅名のある出入口のすぐ右にあるミスドでドーナツ2個を頂きました。旅していつも思うのは店で「ありがとうございました。またお越しくださいませ!」と言われた時に「この次来る事あるかな…?」って事で。寄り道で来る事もたまにありますが、言われたその時は大抵二度と来る予定がない(未訪地を訪ねるのが基本線なので…)ので複雑な心境になります。
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しなの鉄道/田中駅 (長野県東御市)

長野県東御市のしなの鉄道・田中(たなか)です。

東御市は長野県の南部に位置し、人口は30,603人(2011.3.1現在)で、2004年に旧・小県郡(ちいさがたぐん、と読みます)東部町と北佐久郡北御牧(きたみまき)村が合併してできた新 しい市です。

北国街道・海野宿の街並みや、また無類の強さを誇ったといわれる江戸時代の大関・雷電為右衛門の出身地でもあります。雷電は幕内通算254勝10敗という驚異的な成績を残しており、横綱免許は受けなかったものの、当時は大関が最高位だったので、まさに君臨していたという事ですね。今で言うと白鵬のような?状態でしょうか。体格は今の把瑠都と全く同じという、江戸時代にあっては超がつくほどの巨漢力士だったと思われます。市内には雷電の生家もあります。

-しなの鉄道・田中
【市内】市内2駅(いずれもしなの鉄道)中の中心駅 
【路線】
しなの鉄道線(軽井沢-篠ノ井間)
【開業】1888年12月1日(訪問は2011年4月)
【1日あたり平均乗車人員】
 1,301人/日 (2006年)
【近隣の都市駅】
(軽井沢方面)小諸駅→2駅 
          (篠ノ井方面)上田駅→3駅

▼今回のGWで訪問した長野県の未踏市の駅まひとつを紹介したいと思います。

東御市は新しい市で東御駅というのはなく、この田中駅が中心駅となります。といっても前の自治体が田中だった訳でもなく、前は東部町という町にありました。

駅名標、下半分がところどころ取れてしまってました…。「たなか」のローマ字が「ANAKA」になってるし…
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▼「しなの鉄道」の駅初登場です。以前はJR信越本線の駅でしたが、1997年に長野新幹線の開業により平行する在来線の軽井沢-篠ノ井間の約65kmの区間は「しなの鉄道」に経営移管されました。

ホームは2面3線で、向こうの跨線橋でつながっています。

屋根のあるゾーンはそこそこあるなと感じました。
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▼跨線橋内です。

掲示物が埋まっており、それなりの駅という事を感じさせます。旧・東部町の中心駅の名残というところでしょうか。
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▼ホームから駅外の様子も含めたカットです。

「海野(うんの)宿」の看板が見えます。海野宿は1625年に北国街道の宿場町として江戸幕府が設置し、当初この地・田中宿と合宿だったのが、後に本宿になったそうです。というのも田中宿で1742年に大洪水が起こり壊滅的な状態となったため、比較的被害の少なかった海野の方へ宿場の機能を移管し本宿としたようです。

駅から10分、との事ですが、この時は持ち時間がそれほどなく断念しました。宿の資料館もあるというので、東御市に行って時間があればここに行きたいものです。って行かなかったのに書いてしまいましたが…
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▼田中駅の駅舎です。

正直かなり規模は小さいと思います。ただ広場のスペースは結構取られていて、ロータリー周りも整備されていました。ロータリー真ん中にはシナノグルミの木と共に東御市の市章が入っており、東御市の中心地であるアピールもなされています。

シナノグルミというのはシルクロード経由のものとアメリカ経由のものとを自然交配させてできた品種なのだそうです。
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▼むかしながらの駅舎そのまま、といった感じです。

逆に新しく大きな駅舎を作ってしまうのは勿体無い雰囲気すら感じます。今のところ駅舎改築の話も聞きませんが。屋根が3つあるのもいい感じでした。
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▼東御市のMAPに各名所が紹介されており、「ようこそ東御へ」的な雰囲気をここにも感じる事ができます。

各市にそれぞれ見どころがあるわけで、それら全部行ってみたいのですがそういうわけにも行かず、私は基本まずは広く浅くで行ってみたいと思います。それがある程度クリアできれば気に入った所を深く行きたいと思ってますが、時間は限られ身体はひとつなので、辛いですね、、若い時にもっと旅できればよかったかもしれませんが、金がなかったり、その時々の生活があったりで…、ままにならないのが人生でしょうか、という変な結びになってすみません。
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2011年5月 4日 (水)

JR筑後船小屋駅 (福岡県筑後市)

福岡県筑後市のJR筑後船小屋(ちくご・ふなごや)です。

筑後市は福岡県の南西部に位置し、人口は48,558人(2011.2.1現在)で、筑後平野のほぼ中央に位置する田園都市で、豊臣秀吉ゆかりの羽の生えたようにすばしっこい犬が祭られたといわれる「羽犬塚」や日本有数の炭酸含有量を誇るといわれる船小屋温泉などがあります。俳優の高倉健さんは同じ福岡の中間市出身ですが、もうひとりの「健さん」?!田中健さんはこの筑後市の出身だそうです。高倉健さんが80歳である事に驚きならば、田中健さんが還暦ってのも相当オドロキです。

-JR筑後船小屋
【市内】市内3駅(いずれもJR2)中の1駅
【路線】
JR鹿児島本線(門司港-八代間)
      九州新幹線
【開業】1891年9月30日(訪問は2011年3月)
【1日あたり平均乗車人員】
 203人/日(2005年)
【近隣の都市駅】
(門司港方面)羽犬塚駅→隣駅 
          (原田方面)瀬高駅→隣駅

▼ついこないだまでは単に「船小屋駅」でした。

ことし3月12日の九州新幹線開通に伴い、当駅に新幹線駅が新設される事となり、これを機に「筑後」が頭に冠される事となりました。筑後市にある、という意味合いででしょうか?それとも単に旧国名の筑後国エリアのと意味合いでしょうか?とにかく、新幹線駅開業に合わせこの在来線駅も500m移動したといいます。

九州新幹線のある駅初登場となりましたが、この写真は開通した次の週末(3月20日)時点のものですが、時節柄震災の自粛ムードがまだまだ強かった頃で九州新幹線の開通があまりニュースにならなかったのは残念でした。。

ここへは在来線で隣の羽犬塚駅(宿泊地)から在来線でやってきたので、ホーム内関係の写真はすべて在来線のものです。

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▼新幹線ホームがこの在来線ホームとは別にできたのですが、この駅は市内の中心駅ではなく、中心は隣の羽犬塚駅です。利用者も1日約200人程度という小さな駅ですが、新幹線効果なのか、2面2線ながら立派な跨線橋がついています。

初めて来たら、何でこんなとこに新幹線駅ができたんだろう?と疑問を持たざるを得ない雰囲気です。新幹線が開通していなかったら、ここには来ていなかったでしょう。基本的に遠隔地?!1市1駅を原則に(時間の都合で)訪ねていますが、ここの場合は中心が羽犬塚で宿もここで取った為にまず訪問し、その夜に隣の駅(当駅のこと)が九州新幹線の置かれた駅と知ったので、翌朝一番で訪ねたという訳です。
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▼羽犬塚からこの電車に乗ってやって来ました。

しかしホント周り何もない、というのが率直な第一印象でした。
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▼新幹線サマサマでは?と思えるくらい、何もないところに充実した雰囲気の駅周りといった感じで、在来線の駅舎は小さいながらなかなかのものができています。

何よりこの前のひさしが大規模駅のような雰囲気です。
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▼そして、これが新幹線側の駅舎です。

在来線駅がこの右に当たる部分で、在来線から新幹線に乗り換える場合は、一度駅舎を出てから、この新幹線駅舎へ移る事になります。

やはり新幹線駅だけあって規模の大きさはハンパないものがあります。それに比べて停まってたり、行き交ってたりする車の少ない事…
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▼時計塔もこんなに見事なものが設置されています。

定時になると音が出るのでしょうか、スピーカーがついていました。
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▼上の時計塔の向こうに覗いて見えていたのがこのオブジェです。

江戸時代、近くの矢部川(隣の瀬高駅の旧名でもあります)付近の一帯に土木用の船を格納する小屋が沢山堤防に設けられた事からこの名がきているといわれています。
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▼こちらは新幹線駅舎内より。

出口の向こうはなんーにもありません、

東の方ではこんな駅も珍しくないと言われていましたが、九州新幹線にもこんな駅があるとは、、山陽新幹線に馴染みの深い身としては信じられない光景です。新幹線の駅前がこんなだなんて。まぁ新神戸は片側が崖だったりしますが…。

東の方でこないだこれに近い体験をしました。安中榛名駅。ヤマザキの店が一軒あるだけであとホントーになんーにもありませんでした。しかも2時間新幹線が来なかった事もアンビリバボーでした。
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▼駅の周辺図です。

なんか周りになんにもないな、と思っていたら「公園の中の駅」と銘打ってありました。

付近の筑後広域公園は建設中、なのだとか。今後の発展を見込んでの先見の明で設けたというのでしょうか。この新幹線駅の開業で、利用者数がどこまで伸びるかとにかく期待したいものです。
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▼この踏切は在来線のものですが、新幹線の駅前すぐと言っても差し支えない地点で、それがこの風景ってすごいですね。2枚上の後援風景の写真とは反対側にあたります。お店もろくに見当たりませんでした。これからできるのでしょうか、、
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JR田川後藤寺駅 (福岡県田川市)

福岡県田川市のJR/平成筑豊鉄道・田川後藤寺(たがわ・ごとうじ)です。

田川市は福岡県のほぼ真ん中に位置し、人口は50,587人(2011.2.1現在)で、かつては筑豊最大の炭都として栄え、炭坑節発祥の地とされています。1950年代には人口10万人を突破するとしでしたが、石炭産業で栄えた多くの町と同じようにエネルギー革命の波に飲まれ人口は当時の約半分にまでなってしまいました。

-JR/平成筑豊鉄道・田川後藤寺駅
【市内】市内8駅(JR3・平成筑豊鉄道5)中の中心駅
         ※当駅と田川伊田駅をJRのみとカウントした場合
【路線】JR日田彦山線(城野-夜明間)
      後藤寺線(新飯塚-田川後藤寺間)
    平成筑豊鉄道 糸田線(金田-田川後藤寺間)
【開業】1896年2月5日(訪問は2011年3月)
【1日あたり平均乗降車人員】
 JR-2,264人/日(2004年)
【近隣の都市駅】
(城野方面)田川伊田駅→隣駅 
          (夜明方面)日田駅→15駅
          (新飯塚方面)新飯塚駅→5駅

▼日田彦山線ならびに後藤寺線の駅初登場です。それもそのはずで、この3月の福岡県の未踏市めぐりのツアーで初めてこれらの路線に乗ったもので。平成筑豊鉄道の駅も同じ敷地にありますが、この時は乗らなかった事もありここでは特にJRに関してのものをUPします。

当駅は開業当初から長らく「後藤寺駅」を名乗っていました。

田川市では当駅の他にもうひとつ、中心駅と呼べる格の「田川伊田(たがわ・いた)」があり、市内では両駅がツインで中心駅の座にいる状態で、伊田の方も田川の名を冠せずに長らくきていました。しかしどちらが中心駅かよく分からないという意見が絶えず、どちらが代表である「田川駅」を名乗るか?の論争はモメにモメたといいます。

結局は、両駅共に頭に「田川」を冠する事となり今に至るといいます。

田川市へ行くにあたり、田川伊田、田川後藤寺どちらも中心駅なる記事を見かけ、どちらへ行こうか?迷いましたが、この後飯塚市へ行く事を決めていたのでアクセスから考えてこちらに寄る事としました。そりゃ両方寄れれば一番なんですが、、
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▼上の昭和チックな駅名標は日田彦山線のもので、途中駅であるため隣駅は両方記されていますが、下の写真は後藤寺線のもので、同線では終着駅にあたるため隣駅は片側しか表記がありません。
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▼田川市?といっても「??」な感じだったのですが、ここは駅に来るだけでいい鑑賞になります。ホーム内の素晴らしさは全くもって侮れません。

日田彦山線のホーム、この白木の天井骨組みは実に見事で、これを撮りたいがためにしばらく人が居なくなるのを待っていました。また両サイドに電車が停まっている状態というのもちょっとラッキーな気がしました。
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▼天井骨組みが素晴らしければ、この跨線橋も素晴らしい事この上ありませんでした。

この渋さ、色の褪せ具合がなんとも言えません、いかにもという感じの板張りで、それがまた横に骨組みが入って3枚板張りになっているところにどこか懐かしさを感じました。
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▼この白木のホーム屋根から、あの素晴らしい板張り跨線橋につながる訳ですね。
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▼側線にはこの電車が停まっていました。

水戸岡デザインですね。
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▼跨線橋の階段部分ですが、あのメチャクチャ渋すぎる外観とは対照的なほど、こんなのどかなイラストがいくつも描かれており、内外のギャップはかなり激しいものがあります。
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▼ホーム間はかなり距離がありますが、この手前に当たる部分で、この両ホームに挟まれる形で平成筑豊鉄道のホームが入っています。

なのでこの間が空いてしまうのですが、それを花壇にしたところなど発想が実にいいというか、この駅の見どころがこれでまた増えたなと感じました。ホーム内どこも見どころのような気がします。
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▼向こうが駅舎になりますが、改札を入って左に直進して跨線橋の下まで来た辺りです。

終着駅だけあってか車止めが見えました。

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▼こちらは後藤寺線側の電車です。

北九州市の城野駅から日田彦山線でやってきましたが、出発は別の路線で、この後藤寺線の電車で新飯塚まで行く事となり、この電車が来るのをしばし待っていました。九州では目を惹く電車が多いので、こんな電車を見ると四国をイメージしてしまいます。
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▼先ほどの車止めのあった線路のところに電車が来ていた時のカットですが、この時の跨線橋の側面の様子がまたカッコよくて思わず載せてしまいました。
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▼駅構内です。この横にやや待合スペースはありましたが、そんな広いスペースはなく結構こじんまりとしていました。

尚、写っている券売機は平成筑豊鉄道のもので、JRのものはここに写っていない右側にあります。
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▼田川後藤寺駅の駅舎です。

駅建屋規模だけでいえば隣の田川伊田駅の方が大きい(Wikiで見た写真の限りですが…)ように思います。

この時は雨でした。それもあってか撮りにくい駅舎、というイメージが個人的には強かったです。このタクシーの停まっているスペースのど真ん中辺りで取れれば一番よかったのかもしれませんが、邪魔にしかならないし、その辺は遠慮しないと、という事でこんなに離れて撮りました。
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▼駅から出て線路と平行な道が上り坂になっていて、これをぐるっと90°左折する形で立体交差になっている道路から駅の遠景を眺めた様子。複数路線あって広い駅が向こうに小さく見えます。出口と反対側に行くのは結構大変だった印象があります、坂を上らないといけないし駅から大きく離れていくしで。

しかし、線路の沢山ある広大な敷地を持つ駅であることがここから見てもよく分かりました。
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西鉄/小郡駅 (福岡県小郡市)

福岡県小郡市の西鉄・小郡(おごおり)です。

小郡市は福岡県の中西部に位置し、佐賀県とも接していて人口は58,588人(2011.2.1現在)で、日本書紀にその地名は「筑紫小郡」として載っていたとあります。昭和30年に小郡町となり、その後昭和47年になって市に昇格し、間もなく市制40周年を迎えようとしています。

-西鉄・小郡
【市内】市内11駅(西鉄7・甘木鉄道4)中の中心駅
【路線】
西鉄天神大牟田線(天神-大牟田間)
【開業】1924年4月12日(訪問は2011年3月)
【1日あたり平均乗降車人員】
 11,990人/日(2009年)
【近隣の都市駅】
(天神方面)西鉄二日市駅→9駅 
          (大牟田方面)西鉄久留米駅→5駅

▼「小郡」というと、ひょっとすると山口県にかつてあった新幹線停車駅「小郡」のが有名なのかもしれませんが、その小郡駅は現在は新山口と改称し、属する自治体も当時の「小郡町」から山口市へと移りました。ここの小郡「市」も当時の山口県小郡「町」と間違えられる事も少なからずあったのではないか、と思います。

市内はJR駅はなく、西鉄と甘木鉄道の駅がありますが、JR駅がなくて私鉄路線が複数ある市というのは結構珍しい気がします。隣接する筑紫野市は二日市駅として、久留米市は久留米駅として共にJRと西鉄両方が存在しますが(ただしどちらも駅間距離は結構ありますが…)、この小郡だけはJR駅が存在しない状態となっています。いわば西鉄の独壇場というか、西鉄にあってメイン路線である「天神大牟田線」の重要駅のひとつです。

ちなみに西鉄の駅は初登場です。管理人である私自信がこの3月になってようやく西鉄初乗車だったので、今までupされるはずもなく、また福岡県の市の訪問が少なかったのもそれまで西鉄見乗車だった事とも無関係とはいえないわけで、まぁ「西鉄もなかなかいいじゃないか、何で今まで乗らなかったんだろ」、と思いつつこの時を楽しんでおりました。

西鉄で初めて乗った駅は、春日市のJR春日駅から徒歩移動して来た春日原(かすがばる)で、そこから乗ってここへやってきた訳で、いわば西鉄で初めて降りた駅といえましょうか。
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▼ホームは2面4線を持ち、特急は停車しないものの急行は停車します。

右側のホームではだんだんと幅が狭くなって線路が合流していく様子が分かると思います。

向こうに見える高架は甘木鉄道のもの(そのすぐ向こうは大分自動車道が並行して走っています)で、甘木鉄道の同じ小郡駅がそのすぐ左に存在します。という訳で、両者は徒歩移動という形となります。
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▼これは駅外へ出てから線路沿いで撮ったもので、列車がまさに出んとするところです。西鉄の電車ってこんなだったんだ、とこの時初めて知りました。何の予備知識もなかったもんで。

個人的に旅の前に仕入れる情報は…、

 

○○市の中心駅はどこか?
 市役所等主要施設に近いかどうか?(別に市役所に行く事は目的ではありませんが…)
 何線でアクセスできるのか?
みたいなもので各市つなげ合わせて行程をゆるく組むといった感じです。

未踏の市をなるべく多く行く、かつ駅前はできる限り歩く、というスタイルなので正直疲れる部分も多く、なんでこんな苦行をやってるんだろ?と自分でも思うのですが、そこは譲りたくないところなのです。ちなみに名所は駅近なら押さえますが、そうでなければ無視しています。基本的に各市の名称は何でどこにあるか?といった情報はあまり前調べしないようにしています。新鮮な感動を欲しい部分があるので。これもホントは前調べしておいて行く行かないを決めるなどすれば効率的なんでしょうが、自分の感覚で見つけ出したい等こだわりがありまして。ただし最初からに行きたい場所ありきの場合は例外ですが…。
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▼ホームから階段を上がって出口へ向かうところ。

甘木鉄道の案内標識があったのでこの矢印のすぐそこに接続してるんだと思っていました。実際は上の写真にありますが約130m歩く事となり、一度駅外へ出る必要があります。
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▼西鉄小郡駅の駅舎です。

ホームから上がったところになりますが、右へは小郡駅前のロータリーにつながり、左は上の写真のような甘木鉄道への出口となっています。
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▼上の写真から右側へ降りていった先にこのような駅前広場があります。

駅名の表示の立っている辺りも出入口となっていて、その横にはミスドなどのお店が入っています。

結構タクシーが停まっていたことには驚きました。それもこの独特の色なので目立ちます。

この時は東日本大震災の募金の列が並んでいました。
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▼こういうのを目にすると撮りたくなってしまいます。

かなり高いモニュメントで、また凝ったデザインになってるなぁと。
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▼本のポストがおいてありましたが、そこに図書館への案内図が。

ここでは西鉄小郡駅と甘木鉄道の同駅との位置関係を示す為にUPしました。

図書館って必ずしも駅近ではないんですよね。姫路の図書館も歩けば20分くらいかかるし。
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2011年5月 3日 (火)

JR瀬高駅 (福岡県みやま市)

福岡県みやま市のJR瀬高(せたか)です。

みやま市は福岡県の南部に位置し、人口は40,671人(2011.2.1現在)で、2007年に旧・山門郡の瀬高町と山川町、三池郡高田町の3町が合併してできた新 しい市で、なかでも瀬高は能や歌舞伎の原型といわれる「幸若舞」継承の地です。元々は越前の地で発祥しながらもその後廃れてしまい、この流れを受け継いだ瀬高の地で重要無形民俗文化財とされています。また「卑弥呼の里」ともいわれ、これは邪馬台国があった「ヤマト」がこの瀬高のある旧山門(やまと)郡から来ているのではないか、という一説に基づくものです。

-JR瀬高
【市内】市内5駅(JR3、西鉄2)中の中心駅 
【路線】
JR鹿児島本線(門司港-八代間)
【開業】1891年4月1日(訪問は2011年3月)
【1日あたり平均乗車人員】
 不明
【近隣の都市駅】
(門司港方面)羽犬塚駅→2駅 
          (八代方面)大牟田駅→5駅

▼またまたまたまた福岡県の駅ですみません。

こうしてみると、福岡県は合併でできた新市が多いなと感じます。

来る前は「せだか」だと思ってました(ニール・セダカのせいか?!)が、正しくは「せか」と濁らずに読みます。開業当初は矢部川駅という名称で、1942年に瀬高町駅となり、1956年に「町」かとれて現駅名となっています。

ちなみに「みやま市」とは合併前の山門郡と三池郡の頭文字を合わせてひらがな表記にしたものといわれています。
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▼先述の通り、「卑弥呼の里」として全面的に出ています。

三重塔もあるんですね。

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▼幸若舞が国指定の重要無形民俗文化財である事を表した看板。

能や歌舞伎の原型と言われますが、当初は室町初期に武士道精神を身につける舞曲として始まったそうです。「瀬高町」とあった部分が上から「みやま市」と張り替えられていると思われます。
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▼瀬高の農産物としてイラスト入りで紹介されています。

長さが30cm代後半にも達するという博多長なすについては、この瀬高が日本一の生産高を誇るといい、実際の茄子はもっと長細いようです。セルリとは、セロリの事で、英語からのものを日本語表記したものはセロリ、フランス語からのものはセルリと表記するだけの事だそうです。
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▼ホームは2面3線で、この跨線橋でつながっています。

肌色というかピンク系の筋交いがかなり目を惹きました。柱に当たる部分もこの色で。
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▼跨線橋内は掲示物で埋まっており、また天井は平たくなく、真ん中がとんがっている三角状のものでした。
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▼駅舎側のホームには「幸若舞」の木彫りの大きな像がガラス張り展示してありましたが、反射しまくりでマトモに写真が撮れずで、この横からのカットがいちばんよく撮れたのかもしれません。正面からも撮りましたが、鑑賞に堪えないのでここではカット致します。
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▼瀬高駅の駅舎です。

1979年改築の3代目だそうです。合併で市の中心的存在にもなった訳だし、大きな駅舎にならないか?というところでしょうがどうなのでしょう。瀬高町として23,000人あまりの町の中心駅そのままの状態でほぼここまで来ているかと思いますが、人口が減少傾向にあるところがその発展にストップをかけそうな気がしてしまいます。
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2011年5月 2日 (月)

JR中間駅 (福岡県中間市)

福岡県中間市のJR中間(なかま)です。

中間市は福岡県の北部に位置し、人口は44,014人(2011.2.1現在)で、かつては筑豊炭田の一角として炭鉱で栄えた町です。北九州市との合併話が住民投票では賛成多数となったものの、市議で不信感が募り結局は白紙に戻ったという話があります。日本を代表する大物俳優・高倉健さんの出身地です。健さんももう80歳になるんですね。

-JR中間
【市内】市内6駅(JR2・筑豊電鉄4)中の中心駅
【路線】
JR筑豊本線(若松-原田間)
【開業】1891年9月30日(訪問は2011年3月)
【1日あたり平均乗車人員】
 2,092人/日(2009年)
【近隣の都市駅】
(若松方面)折尾駅→2駅 
          (原田方面)直方駅→5駅

▼「なかま」とひらがな表記だといい響きというかいい感じがします。漢字だと「ちゅうかん」と読んでしまいそうですが…。

今はやりの?!楽し-い、なかまが ポポポポーン、と言いたくなる名前?!ではないかな、と。

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▼乗ってきた電車が去り行く姿をパチリと。

黒も黄色も赤も青もと九州の電車は色とりどりで見飽きる事はないです、山陽本線沿いから見ると羨ましい事この上なし、って感じです。うちの方で電車見ても「通勤」のに文字が真っ先に浮かんでくるもんで…。
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▼ホームは2面3線で跨線橋でつながっています。跨線橋は階段下が多数の骨組みから構成されており、この点も見どころのひとつです。
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▼駅舎側のホーム、天井部分の骨組みの見事な様子が窺えます。柱の数も相当なもの。
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▼跨線橋は外装はむしろ地味なイメージでしたが、内装はなかなかのもの。

手すりと最下部はブルーラインで、窓の下はこの見事な色の木目、これがひと際目を惹きます。

2・3番線はこの真ん中部分で、左側はエレベーターが設置されています。またその向こうにもう1面あって階段を数段上った後に渡って降りていくという、跨線橋の中に階段のある変則構造となっています。
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▼1985年までこの駅を起点に3.5km程を運行していた「香月線」の起点地として記念碑が残されています。元々石炭輸送用の貨物線として1907(明治40)年に開通し、以来80年近く運行されてきましたが、地盤沈下をもたらすとか市の発展を阻害するとか、市や住民からも廃止運動が起こるなどその末期は悲劇的だったといいます。
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▼中間駅の駅舎です。

出入口は三角屋根がせり出して、時計もつけられていて、また立派な柱で支えられているなかなかの貫禄を持った駅舎です。横から見ると屋根のせり出し具合や柱の見事さなどが更に分かると思います。
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▼駅前のロータリー部分です。

年末のイルミに使われてそうなものですが、この時(3月)の夜に灯っていたのかどうかは分かりません。にしても高く細く見事なものが作られていました。そこにも目が行くのですが、周りにある枝がぐにゃぐにゃっとした木により一層目を奪われてならない中間駅でした。
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JRうきは駅 (福岡県うきは市)

福岡県うきは市のJRうきはです。

うきは市は福岡県の南部に位置し、人口は31,605人(2011.2.1現在)で、2005年に旧・浮羽郡の吉井町と浮羽町の2町が合併してできた新 しい市で、吉井地区は重要伝統的建造物群保存地区に指定される昔ながらの街並みを有し、柿、ぶどう、なしなどの果樹栽培も盛んな町です。

-JRうきは
【市内】市内3駅(いずれもJR)中の中心駅 
【路線】
JR久大本線(久留米-大分間)
【開業】1931年7月11日(訪問は2011年3月)
【1日あたり平均乗車人員】
 不明
【近隣の都市駅】
(久留米方面)筑後吉井駅→隣駅 
          (大分方面)日田駅→4駅

▼福岡県の駅が続いていますが、それまで福岡県の市の訪問があまりに少なく(未訪の市があまりに多く)、それで片っ端から訪ね歩いたのがこの3~4月でした。なので現在のこのブログの総アクセス数以下の人口の市の駅を片っ端からUPしてってるという訳です。

さて、うきは市のうきは駅なので何のためらいもなく中心駅だと思って訪ねたのですが、後で調べたらこの市の中心駅は隣の筑後吉井駅だったsign03という真実にこの時はまだ気づかずにいたのでした。

元々は筑後千足(ちくご・せんぞく)と名乗っていましたが、1990年になって当時の町名に合わせた現駅名を名乗り、その後2005年の合併後新市名と表記も含め(オール平仮名)一致した格好です。
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▼側線にはこのような車両が置いてありました。

運搬用の車両でしょうか。鮮やかな黄色が印象的で思わず撮りました。
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▼ホームは2面2線で、向かい側ホームはベンチのある待合エリア以外屋根がない状態です。その左には大きな「うきは町観光案内図」があります。

市の中心だと思い込んで訪ねたもんで、寂しい雰囲気だと思っていましたが、今はその座になく、かつての浮羽町の中心駅ではあったので、その規模を保持しているというところでしょうか。
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▼ホーム間は向こうの屋根なしの跨線橋でつながっています。この時はあいにくの天気だったので足下が悪く、屋根なしだと常に雨にさらされているのでより一層足元の注意は必要です。

駅舎側のホームは屋根のあるゾーンが広く、向かい側とはだいぶ違う様子となっています。
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▼その屋根なし跨線橋からの様子です。

下半分はコンクリートで上半分は連子状のものを板で埋めている格好です。
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▼改札の周辺です。

白木の建屋が見事で、雰囲気も昭和風で思わずここにもカメラが出てしまいました。

「訪れる人に安らぎを 去り行く人に幸せを!」の看板が目に入りました。かつての駅員に向けた言葉なのでしょうか、と勝手に想像してしまいます。駅が訪ね又去る人に向けた言葉なのかもしれませんが…。。ガラス張りの木製のドアがなんとも目を惹きます。
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▼うきは駅の駅舎です。

ここもやはり白木が目立つ建屋となっていて、それをグレーの屋根が覆うという城郭と同じような色遣いとなっています。小さな駅舎ですが、出入口付近のひさし屋根とその左の建屋の出っ張りが印象的で、何よりまた白木に見ごたえがあります。全体的に白が基調の建屋なので、赤い自販機はかなり浮いて感じられました。

駅前は広場スペースに乏しい状態ながらタクシーは停まっていました。隣の筑後吉井が中心と知っていたらそこへ行ってたのでしょうが、ここへ来たのも何かの縁というか、間違った認識でやってきたとしても旅では収穫という事になるかな、と思いました。
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JR福間駅 (福岡県福津市)

福岡県福津市のJR福間(ふくま)です。

福津市は福岡県の北部に位置し、人口は55,506人(2011.2.1現在)で、2005年に旧・宗像郡の福間町と津屋崎町の2町が合併してできた新 しい市で、福岡市と北九州市という九州に大都市のほぼ中間にある市で、そのベッドタウンとして人口を増加させてきました。内陸は山が数々並びながらも海岸も多い町で、タイヤヒラメなどの水揚げも豊富といいます。

-JR福間
【市内】市内2駅(いずれもJR)中の中心駅 
【路線】
JR鹿児島本線(門司港-八代間)
【開業】1890年9月28日(訪問は2011年3月)
【1日あたり平均乗車人員】
6,557人/日 (2009年)
【近隣の都市駅】
(門司港方面)赤間駅→3駅 
          (八代方面)古賀駅→2駅

▼駅名標は九州の駅らしくその町を象徴するものが描かれていますが、ここに書かれているのは「又ぜー」。この地に伝わる民話で「又ぜ」という男がお三というしょっちゅう人をだますキツネを逆にだまくらかしたってお話のようで、キツネが騙されたってお話は珍しいのでは?と思いました。

市内には、当駅と隣の東福間駅の2駅のみですが、東福間は団地が続々とできる中で1978年に設置された駅です。

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▼ホームは3面5線もの広大なものとなっています。

「宮地嶽神社」
の大きな看板が立っていました。「みやじだけじんじゃ」と読み、商売繁盛の神社として正月三が日には毎年100万人以上の人々が訪れ、年間でも220万人は訪れるといいます。境内にある大きな注連縄は日本一を誇るとか。バス・タクシー約5分とありました。
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▼3面5線の広大なホームと壮大な跨線橋、人口5.5万ながら新しい市を象徴するかのように近年新生され、それに見合う程の素晴らしいホーム周りとなっています。平成の大合併で市制化され、その後駅が目に見えて発展したケースのひとつかな、と感じました。
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▼駅内の階段、新しくできたものには何故かこういう波形の手すりが多いなと感じますが、安全面で大丈夫なのでしょうか?なんかこの手すりを持って歩くと個人的には怖い気がするのですが…。曲がってる分だけ途中で止まっていいのかな、とも思えます。
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▼ホーム上が改札となる橋上駅舎で、長い自由通路が通っています。2010年の2月に完成したばかりだそうで、この写真はその一年後という事になります。

行政情報が映し出される画面も設置されていました。

向こうが東口ですが、その東口はカッコ書きで「さいごう口」とありました。この駅のすぐ南を西郷川という川が流れています。
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▼駅前には1911(明治44)年から100年間も当駅で使われてきた跨線橋の門柱(跨線橋の登り口に両サイドある柱)がありました。今回の駅改築に伴い、その役目を追える事となり、モニュメントとして残されたという訳です。背景にある写真は1916(大正5)年頃の駅構内の様子が使用されており、往時を偲ぶ姿として具現されたこれらのものは駅の歴史を感じるにはうってつけのものと思います。

柱には「浦賀舩渠株式會社製造」とあり、また「明治四十四年 鐵道院」とあります。舩渠(せんきょ)とは造船所のドックの事で、神奈川県の造船所が鉄骨を作っていたという事です。その歴史はペリー来航にまで遡り、江戸時代に国産初の軍艦を製造したのも浦賀の町だそうで、その後は住友重機と合併して2003年まで製造を続けていたそうです。

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▼福間駅の駅舎です。

2010年2月に供用開始されたばかりの新駅舎で、それまでの平屋駅舎からガラッと生まれ変わり、壮大感溢れる駅舎となりました。横に線が入りストライプを斜めに線が横切るような形で、デザインも単調ではなく凝ったものとなっています。
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▼同じ建物ですが、様々な角度から。

正面から撮ると、時計塔も見えて景色として絵になります、が、この時計塔は駅舎の色とかぶってしまってあまり引き立たない感じでした。

この時はあいにくの天気で駅舎と空の色もまたかぶってる感じだったのですが、晴れの日に撮るとまた様子が変わっていたのかな、とも思いました。なるべく晴れの日に撮りたいのですが、最近雨の日撮影が多くなってきてる気がします…
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