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2011年12月の26件の記事

2011年12月26日 (月)

JR二本松駅 (福島県二本松市)

福島県二本松市のJR二本松(にほんまつ)です。

二本松市は福島県の真ん中よりやや北東部に位置し、人口は58,624人(2011.11.1現在)で、日本百名城のひとつとされる二本松城で栄えた城下町で、戊辰戦争への出陣で有名な会津の白虎隊と並び、二本松少年隊も有名です。また300年余りの歴史をもつ「家具づくり」は貴重な伝統工芸品となっています。

-JR二本松
【路線】JR東北本線 (東京-盛岡間)
【開業】1887年12月15日
【訪問】2011年8月
【1日あたり平均乗車人員】 1,966人/日(2010年)
近隣の都市駅(東京方面)本宮駅→2駅 
    
      (盛岡方面)福島駅→5駅

前回の喜多方駅の前日に訪ねた所で、今年盆の旅で茨城県の未訪市訪問、続いて栃木県の未訪3市を訪ねてから福島県入りして最初に入ったのがここでした。二本松と伊達は前年2010年にいわき市などを訪ねた時に通り過ぎてしまったので、いつかはリベンジを…と思っていました。

二本松市にはJRのみ3駅あり、その中心駅ですが、2010年に1日平均乗車人員が初めて2,000の大台を割るなどして利用者が減少傾向にあります。

香川県に「三本松」という駅がありますが、それより一本少ない、と(笑、まぁ広島県には八本松という駅がありますが。


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▼上の写真にも写っていましたが、10月には「ちょうちん祭り」という祭りがあります。

二本松神社の例大祭として行われ、日本三大提灯祭りのひとつとされており、福島県の重要無形民俗文化財に指定されています。7台の太鼓台に各々300もの提灯をつけて曳き回すというものだそうで、300年余りの歴史をもつといわれます。ここで見る限りでも提灯が夜には電飾となり、実にきらびやかでスケールの大きさを感じます。

10~11月には日本最大の菊人形もあるんですね。


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▼名所案内です。

安達太良山(あだたらやま)も二本松の代名詞的に有名な山ですが、国立公園に指定されているんですね。温泉も数多く、同時にそれらがスキー場という東北らしさを感じます。

霞ヶ城公園は二本松城跡で、1.5㌔で行く事ができ、二本松少年隊の墓も1㌔との事です。時間があれば行きたかったんですが、時間もなく天候も悪くで叶いませんでした。時間がない、っていつも言ってるような気がしますが、全部行きたいと思ったらとても時間が足りないんですよね。


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▼ホーム周りの写真を2枚。

上の写真は駅内の跨線橋が見えてる側です。橋の部分にいくつもの筋交いが入ったこの跨線橋でこの2面2線の両ホームはつながっています。

2線といっても右側ホームの左側の線はガードレールで仕切られて廃止されており、どちらのホームも向かって右側の線が利用されている状態です。

下の写真は反対向きで、こちらは駅外の自由通路が写っています。駅内跨線橋より重厚感があります。


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▼駅前の「霞城の太刀風」と記されている二本松の少年隊士像です。隊士の高さは約1.4㍍、台座を含むと2.5㍍にもなるそうです。

二本松少年隊士のひとりが二本松伝統の剣法「突き」で長州の将を倒したという史実に基づき作られたといわれ、このタイトルは今からナント80年前の昭和6年に制作された無声映画のタイトルでもあるそうです。


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▼ここにも東北の都市駅によくある駅名由来が記されていました。

一説には、この付近の東安達の山あいは元々「六本松」と呼ばれていたそうで、そのうちの二本を西安達に「二本松」となったそうで、元々六本松だった東安達は「四本松」になったという、なんか引き算のようなお話ですが、実際に二本松市長折四本松という地名が存在します。

もう一説は出羽へ嫁ぐ弱い姫君と随行の老女が死んでしまい、弔ったところ二本の松が芽吹いたという御話です。


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▼駅前広場周辺です。

間延びした感じのスペースにゆったりと車がまばらに停まってる感じです。

ロータリー外周沿いのバス待合等のひさし?!ではなく、飾り?!が芸術的な美しさを感じさせます。雨風よけの機能は全くないようだし、飾りのようなものなのでしょうか。

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▼広場からみた駅前通りの様子です。

片側だけ建屋が並ぶような感じで、左側の特に手前の方は空きが見られます。

ゆるい上り坂になっていて、また林に突き当たるので道路はここで終わり、交差する道路が駅前道の続きのような感じになります。駅前道でありながら、この視点で見て信号が見当たらない所に非・都会な部分を感じなくもないですね。

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▼二本松駅の駅舎です。

城下町を前面に押し出したやや大きな駅舎になっています。2F部分(に相当するところ)の窓の多さが素晴らしいです。

バス乗降場のひさし?!(か飾りか?!)はやはりひと際美しく、これがあるとないとではこの駅前広場の様子もグンと違ってくるというものですね。

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▼駅前交番を「奉行所」と書けるほどの洒落っ気には脱帽ものです。

城郭を模した交番は他にも見たことありますが、交番と書かないところが素晴らしいです。

左には目安箱もちゃんとあるんです。徹底してますよね、ここまでくると。

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2011年12月25日 (日)

JR喜多方駅 (福島県喜多方市)

福島県喜多方市のJR喜多方(きたかた)です。

喜多方市は福島県の北西部に位置し、新潟県や山形県にも接していて人口は51,718人(2011.11.1現在)で、会津若松市と共に福島西部の会津地方の主要都市で、蔵の町として有名で、食べ物としては喜多方ラーメンで有名な町です。2005年に旧・耶麻郡の2町2村と対等合併し、人口3万余りの旧・喜多方市から新生・喜多方市となりました。

-JR喜多方
【路線】JR磐越西線 (郡山-新津間)
【開業】1904年1月20日
【訪問】2011年8月
【1日あたり平均乗車人員】 1,186人/日(2010年)
近隣の都市駅(郡山方面)会津若松駅→6駅 
    
      (新津方面)五泉駅→17駅

今年の盆の旅でまず茨城県の未訪市をつぶして(訪ねて)いく事が最初の目標でしたが、それなりに達成した後にどうしてもしておきたかった事が「喜多方に行って、本場の喜多方ラーメンを食べる事」でした。

磐越西線の駅初登場です。喜多方市内の鉄道はこのJR磐越西線のみで、上記の目的のため、磐越西線で初めて会津若松より西へ進む事となりました。この先は新潟県五泉市の五泉駅まで17駅も市の中心駅がなく、喜多方市と五泉市の間は郡部が続く事となります。

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▼ホームは2面3線で、白壁に緑屋根のこの跨線橋でつながっています。

階段部分が四角い窓が段々に続いていて、なかなか目を惹くものがあります。

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▼こうして見ると、階段横の窓の並び具合に「おおーっ」と思わされるのが分かるのかもしれません。結構密度濃く?!窓が続いているんです。

階段途中をホーム屋根が横切ってるのも、絶妙の具合というか、うまい感じで交差してて絵になってる気がします。

階段下に何気に物置があるのもいいですね(笑

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▼跨線橋の内部です。

割に広めの通路で、白を基調として横筋のしっかり入った頑健感の漂う雰囲気となっています。窓下のスペースは掲示物で埋められ、窓上の方は喜多方の市内の風景写真が展示されていました。
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▼跨線橋から見下ろしたホームの様子です。

こちら側は屋根が長く続いていますが、下の写真の反対側は屋根がなく、線路のひとつは途切れて車止めも見られます。

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▼駅を出て出迎えてくれるものの一つが、この立派な石の足がついた看板です。

何の町か、一目でわかるこういうものがあるのは大変ありがたい事ですね。

ラーメンが目的でしたが、同時にここで蔵の街並みも巡ってみようという気が一気に高まりました。

「ラーメンのまち」ってあるのもいいですね。、
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▼これも駅前で出迎えてくれるもののひとつです。

地元の農業高校の作によるものですが、愛を感じる形をしています。ちょっと「きたかた」というのが読みにくい気がしないでもないですが…

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▼駅前の自販機は、蔵の町仕様か?!このような下半分が「なまこ壁」バージョンでした。その左の建屋の下部もなまこ壁が続いていて、自販機は完全に同化してしまってます。

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▼駅名の由来も記されています。

東北の主要都市には、このように駅名由来の記された看板がある所が少なからずあり、こういうのがあると、より一層その地に親しみが持てるというものです。

元々は会津盆地の北にある事から「北方」と呼ばれ、この表記であったものが、明治になってから「喜び多い」町という意味の現在の表記になったとあります。
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▼喜多方駅の駅舎です。

駅前広場を離れて、駅前交差点を越えた所から撮っているのでちょっと小さいのですが、横に長い建屋なので、全体に近い形を撮ろうとするとこうなってしまいます。

真ん中にレンガっぽい蔵の母屋のような建物を据え。サイドには足下になまこ壁模様のものがついた蔵づくりっぽい建屋が従えられる形となっています。
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▼アップの駅舎も載せておきたいので、あげておきます。

「花でもてなす 喜多方」として、大きな看板が。

花の町という側面もあるんですね。

出入り口のてっぺんの半円の部分がまた蔵っぽくていい雰囲気です。強いて言うなら、真ん中と両サイドの建屋の雰囲気が違いすぎるんですが、これも個性と捉えるとしましょう。
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2011年12月24日 (土)

JR野洲駅 (滋賀県野洲市)

滋賀県野洲市のJR野洲(やす)です。

野洲市は滋賀県南西部に位置し、人口は50,667人(2011.11.1現在)で、2004年に旧・野洲郡の野洲町と中主町が合併してできた新しい市です。旧郡名からの市名となったという事でしょうか。2010年の国勢調査レベルでは49,879人という事でしたが、これを基にした推計人口の2011年11月時点では5万人の大台を越えています。また大相撲の名力士で後にタレント転身し42歳の若さで夭折した蔵間氏の出身地です。

-JR野洲
【路線】JR東海道本線 (東京-神戸間)
【開業】1891年6月16日
【訪問】初訪問-1995年4月?!
【1日あたり平均乗車人員】 13,313人/日(2009年)
近隣の都市駅(東京方面)近江八幡駅→2駅 
    
      (神戸方面)守山駅→隣駅

▼ここも栗東と共に、とっくにUPしてよかったところですが、訪問すれども写真として記録に残すことを全くしてなかったので、今夏に栗東と共に記録として残すために再訪しました。なので、写真はすべて2011年7月のものです。

初訪問は確か1995年4月ごろだったように思います。すいません、定かではありません。いずれにしても94,95年のどちらかで、滋賀県で初めて訪ねたのが米原(当時:米原町。'93年)で、その次に訪ねたのがここ(当時:野洲町)で、滋賀県は97年に大津を訪ねるまで郡部しか行ったことのない状態でした。

市内では唯一の駅で、旧・中主町には駅はありませんでした。また開業は前記事の栗東駅のちょうど100年前にあたります。

草津から、栗東、守山ときて当駅まで市の中心駅が4つ続くところの東端の駅で、次の篠原は市内の1駅ですが、その次は近江八幡でまた市の中心駅がくることになります。

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▼ホームは2面3線あり、新快速も停車します。栗東と共にかつては郡部駅でしたが、ここはかつてより新快速が停車していた(覚えがあります)

ちなみに新快速では大阪まで55分と1時間を切るところから通勤圏内として発展を続けています。姫路でも大阪から新快速で約1時間という事を考えると、じゅうぶん通勤圏内というのは納得できます。

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▼この電車に乗って訪ねました。

といっても普段通勤で使う電車が延長線上でこの辺りまで乗り入れているので、何の違和感なく見れてしまいます。異なる地に来た、という感覚がまるでないんですよね。
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▼野洲といえば、「銅鐸の里」。

日本に現存する銅鐸では最大のものがここから出土し、144cm、45kgにもなり、その分は東京に所蔵されているそうですが、市内には銅鐸博物館があります。

銅鐸の役割としては、叩いて使う「鳴り物」としてと、単純に鑑賞する「見るもの」としてのものがあるといいます。
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▼駅前通りです。

3F建て程度の建屋が連なったり途切れたり、の中途半端な感も受ける通りでした。それでも民家など見受けられず、商店系の続く街並みで市の中心の駅前という感じがしないでもありませんでした。

ここには何度か行ってるんですが、実はこちらの出口から来たのは初めてで、初訪問から16年以上も経って初めてこの風景を目にした訳です。

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▼野洲駅の駅舎です。(南口)

という訳でここも今夏初めて見ました~

分かりやすい橋上駅舎です。

階段部分の屋根が曲線状の半透明になっていて、カプセルっぽくていい感じです。

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▼こちらは北口の駅舎です。

初訪問以来、訪ねる度ずっとここに来てました。知り合いとの待ち合わせ場所でもあり、送ってもらった場所でもあったので。

階段とそれを覆う壁という感じの建屋で、基本南口と変わりません。

自由通路から見ると、同じ方向に階段が下りている為、南口と北口では階段の下りる向きが逆で、こちらは右に下りていて、南口は左側に下りる格好となっています。
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▼で、その北口の駅前広場あたりの様子ですが、昔からずっとあるこの「鈴木イチロー」の連絡所の札…。地場の議員さんだそうですが、この表記って…。

こちら側にはホテルがいくつかあり、南口とはまた違った顔が見受けられます。
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JR栗東駅 (滋賀県栗東市)

滋賀県栗東市のJR栗東(りっとう)です。

栗東市は滋賀県南西部に位置し、人口は64,306人(2011.11.1現在)で、2001年に旧・栗東町から市制施行された、市になって10年という新しい市です。新幹線の新駅構想でも話題になりました。

1969年にJRAで最初のトレーニングセンターが開設された事で有名で、関西地区の4競馬場を主戦場とする馬たちの調教が日々行われ、西日本での中央競馬の調教拠点となっており、また騎手の武豊、幸四郎兄弟もこの地の出身となっています。

-JR栗東
【路線】JR東海道本線 (東京-神戸間)
【開業】1991年3月16日
【訪問】初訪問-2005年1月
【1日あたり平均乗車人員】 11,493人/日(2009年)
 
【近隣の都市駅(東京方面)守山駅→隣駅 
    
      (神戸方面)草津駅→隣駅

▼この栗東の地が市になってわずか10年ですが、この駅自体も開業してまだちょうど20年で、平成になってからの1991年の開業です。

栗東市の鉄道はJRのみで当駅は市名(開業当時は町名)を名乗った中心駅で、他には草津線の方にもう一駅(手原駅)が存在します。

両隣は守山、草津と、共に市の中心駅で、更には守山の隣は野洲駅があり、草津-栗東-守山-野洲と、この栗東が市になった2001年からは4駅連続で市の中心駅が続く状態となっています。

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▼ホームは2面2線で、東海道本線としては各駅停車の列車しか停止しません。両隣の駅はそれぞれ新快速が停車しますが。

向こうに見える跨線橋でつながる橋上駅です。

さすがにここを走る電車は車両が長いですね。
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▼駅を出るとペデストリアンデッキが長く続きます。

その途中からホーム周りの様子を。

両ホーム間の距離はかなり短く、せせこましい感じもします。

ここに初めて来たのは2005年の初めで、市制施行後それ程経っていない時期だったのですが、知り合いを訪ねて来たもので写真とか全く撮っておらず、また2007年にも来ましたが夜遅く真っ暗で、とてもupできるような写真でなく、その後も2010年1回、2011年は2回も訪ねながらいずれも晩でなかなかUPできずにいました。

2011年7月、この年3度目、通算6度目?の訪問でようやく昼間に来ることができ、このように普通に見える?!写真に収めることができました。
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▼駅舎内の自由通路から、外を眺めたところです。

台形を横倒しにしたような形の広いガラス窓に、格子状の四角い目が施されて、独特の形となっています。
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▼2F部分は先ほどのようにペデストリアンデッキ(通路)になっていて、「AL PLAZA栗東」につながりますが、これとは別に下へ降りていく階段も勿論あります。何度も訪ねましたが、この時の訪問で初めてこの階段を利用したのでした。

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▼栗東駅の駅舎です。

上の窓の形が階段の傾斜に平行になったもので、かつ下の部分は真っ平らで、実に見事な駅舎です。

青空に妙に映えて、絵みたいに見えますが紛れもなく写真です。何度でも撮りたくなるようなホントにかっこいい駅舎でした。

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▼木々でごちゃごちゃしてやや見えにくいですが、駅周りの様子です。

高層マンションもあちこちに見られ、発展の様子がうかがえます。
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▼駅からの通路はこんなに長く続いています。

この駅から知り合いのいる店まで何度か足を運んだものですが、昼間来たのはこの時初めてだったんで、こんなすばらしい景色だとは思いませんでした。

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2011年12月23日 (金)

JR川之江駅 (愛媛県四国中央市)

愛媛県四国中央市のJR川之江(かわのえ)です。

四国中央市は愛媛県の東端に位置し、他の四国3県すべてに接していて人口は89,643人(2011.11.1現在)で、四国の「エックスハイウェイ」が交差する交通の要衝で、2004年に旧・伊予三島市と川之江市、および宇摩郡の1町1村が合併してできた新しい市です。

紙生産が盛んで、その出荷額は6年連続日本一といわれ、また工業製造品出荷額は県内の西条市に次いで四国では2位という、四国屈指の工業都市といえます。

-JR川之江
【路線】JR予讃線(高松-宇和島間)
【開業】1916年4月1日
【訪問】2006年8月
【1日あたり平均乗車人員】 不明
【近隣の都市駅(高松方面)観音寺駅→3駅
          
(宇和島方面)今市駅→隣駅

▼四国中央市の鉄道はJRのみで、この川之江駅は旧・川之江市の中心駅でしたが、合併で現本庁舎は旧・伊予三島市の方となった為、市の中心駅の座からは外れました。とはいえ、市内はこの川之江と伊予三島が共に栄えているような状態ではあります。

訪問は2006年8月、ここ最近UPの記事で、日光、米沢、大曲と3回連続で同じ旅のものですが、当駅は時期こそ近いですが、それらの訪問の1週間前の旅で寄ったものです。この当時、愛媛県へは初訪問より実に12年ぶりってことでワクワクしつつ入ったのを覚えています。しかも、ここは四国で香川県側から愛媛県に入って最初の町(最初の駅でもある)でもあり、より感慨がありました。

川之江市であるうちに訪ねたかったのですが、当時は既に合併して四国中央市になってから2年後、その事を知らずに市名が変わっていたことに驚きました。

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▼ホームはわずか1面2線ですが、かつての市の中心駅であり、また今でも特急が停車します。

このホームの両サイドに電車が停まり、この跨線橋で改札側とつながっています。

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▼ホームからの跨線橋を渡って改札へ出るところです。

通路は風よけか雨よけか途中まで上半分に壁がつけられている格好になっています。

右手前にあるのは川之江の特産品の展示です。
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▼これです。

川之江の物産、とあります。

「紙のまち」という事で、紙製品がかなり目立っています。
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▼駅構内です。

無人だったので撮れましたが、既にこの時は外は真っ暗。ここへは2回来た事があり、初訪問が2006年8月で写真は全部その時のものです。2回目は4年後のシチュエーションで、まともに昼時に来た事がないのです。まぁそれでも鑑賞に堪え得る程度に町の写真も撮れたので、良しとするかな、と自己満足してます。ちなみにここで見たのは川之江港と川之江城などです。
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▼川之江駅の駅舎です。

コンクリートの建屋に出入口の部分だけ異質な空間を追加したような駅舎となっています。

同じ市内の中心駅といえる伊予三島駅は隣駅になりますが、こちらは四国初の橋上駅舎だそうで、それよりはこじんまりした感じかもしれませんが、伊予三島と共に四国中央市の双頭として栄えていってほしいものです。

下の写真は、もう少し視線を右にずらしたものです。四国の主要駅の必須アイテムともいえる「ウィリーウィンキー」のパン屋さんが入っていました。
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▼駅出て駅前広場を隔てて向かいには、すぐ商店街の入口が見えます。

ここに「紙のまち 川之江」と出ています。

こういう、何のまちかすぐに分かるようなものがあると、この町に来て収穫あった、とか感じます。逆にその先入観がついてしまう、というのもありますが。訪ねてはみたものの、結局何の町かよく分からないまま後にする事になるよりは、ずっといいかな、と思ったり。ちなみに2度目の訪問時は晩にこの手前の食堂?!で晩御飯を頂きました。

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JR日光駅 (栃木県日光市)

栃木県日光市のJR日光(にっこう)です。

日光市は栃木県の北西部に位置し、福島県と群馬県にも接していて人口は88,680人(2011.11.1現在)で、日光東照宮をはじめ日光猿軍団、日光江戸村などあまりに有名なものが数多くある屈指の観光都市です。

2006年には旧・今市市や周辺町村と合併し、新生・日光市となり約1450k㎡の面積を誇り、日本で3番目に広い市となっていて、今では足尾銅山も市域に入っています。人口9万ほどの新生・日光市ですが、そのうち旧・今市市の合併前の人口は6万以上で、合併を構成する中で中心となる市の名前が消え、わずか1万7000ほどの人口だった日光市の名が残る事になるとは…、人口規模よりも名前の通りが優先されてという事でしょうか。

-JR日光
【路線】JR日光線(宇都宮-日光間)
【開業】1890年8月1日
【訪問】2006年8月
【1日あたり平均乗車人員】 896人/日(2010年)
【近隣の都市駅(宇都宮方面)今市駅→隣駅、鹿沼駅→4駅

▼日光市内にはJR、東武、わたらせ渓谷鉄道、野岩鉄道と多数の鉄道が通っています。また、この日光駅はJR以外にも別に東武日光駅が存在し、両者は200メートルほどの距離がありますが、乗継には不便でもないかな、と感じました。これが直通なればもっといいなし思いますが…。

ホーム周辺写真を撮っておらず、駅舎内の写真からです。思ったよりはっきり周りの方々が写りすぎてしまったため、加工してあります。2階への階段が洋館の内装風でオシャレな感じがします。

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▼これも駅舎内の様子です。

結構広いスペースがあり、また観光地だけあって人の行き来も活発です。よくこんな状況で写真撮ったな、と我ながら思います。多分今なら撮らない気がします。
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▼階段を上ったところですが、この木製の手すりが実に見事です。

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▼2Fはギャラリーになっていました(2006年当時)

当駅は関東の駅百選の中に入ってます。駅階段の内装だけ見ても、その一端が窺えました。

かつては一等客の特別待合所として使用されていた、とありました。
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▼ギャラリーには写真が展示されてはいましたが、その数はあまり多くはありませんでした。会議用なのか?!机と椅子が多数置いてありました。

内装がまた素晴らしくて、カーテンも豪華な感じだし、シャンデリアも見事でした。勿体ないスペースの使い方してるようにも思いますが、あまりこの2F部分まで来る人は見られませんでした。来たからには見てほしい、と思うようなすばらしいスペースなんですが…。

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▼駅出て目線です。

老舗と思える重厚な建屋がドーンと視界に飛び込んできます。多角形の建物がよりインパクトを感じます。

手前の柱は駅舎のものです。これだけ見てもこの駅の素晴らしさの一端が窺えるというものです。

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▼散々引っ張ったようですが、いよいよ日光駅の駅舎です。

この見事な駅舎、迎賓館?!的な素晴らしい風貌です。関東の駅百選には当然のように入る、といった風格を感じます。

旧・日光市が人口1万7000ほどしかなかったとはとても信じられませんでした。この当時は合併して5ヶ月という時期ですが、そのあたりは合併前とか後とかあまり関係ないですね。定住人口は少ないけど、観光人口がずっと多い、という感じなのでしょうか。

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▼出入口周辺をアップで。

荘厳感がより一層感じられるカットのように思います。建屋から手前に出ている平屋根が遠くから見るより、ずっと大きなものであることがよく分かります。

東武日光駅も独特の形をしたユニークな駅舎ですが、荘厳さはこちらの方が断然!と思います。もし東武から日光へ来た方でも、少し歩いてここまで寄ってくる価値は十分にあると思います。
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2011年12月21日 (水)

JR米沢駅 (山形県米沢市)

山形県米沢市のJR米沢(よねざわ)です。

米沢市は山形県の南東端に位置し、福島県にも接していて人口は89,029人(2011.11.1現在)で、置賜(おきたま)と呼ばれる山形県南部地方の中心都市で、米沢牛の肉は全国的にも有名です。

また、江戸時代は上杉氏の城下町で、中興の祖である上杉鷹山による藩校・興譲館が開設され、今も米沢興譲館高校として名を残しています。

-JR米沢
【路線】JR山形新幹線(福島-新庄間)
      奥羽本線(福島-青森間)
      米坂線(米沢-坂町間)
【開業】1899年5月15日
【訪問】初訪問-2006年8月
【1日あたり平均乗車人員】 2,369人/日(2010年)
【近隣の都市駅(福島方面)福島駅→8駅(新幹線では隣駅)
    
      (青森方面)赤湯駅→3駅(新幹線では2駅)
          (坂町方面)今泉駅→7駅

▼米沢市内にはJRのみですが、当駅には山形新幹線が停車し、在来線は奥羽本線と更に米坂線にも属し、ここでは始発駅となっています。

ここに初めて来たのは2006年8月。2006年盆の旅で寄った町のひとつで、前回記事の大曲駅の時と同じ旅で行ったものです。次に訪ねたのが、4年後の2010年9月。この時は佐渡からの旅で、新潟の村上や中条(胎内市)から米坂線経由でここへやってきて、電車待ちのような形で久々に降り立っただけでしたが…。両時期に風景上の特別な変化が見受けられないので、特に断らない限り○○年当時のもの、という表記は割愛致します。

この駅名標は、隣駅が一方向にしかないので米坂線のものでしょう。

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▼改札周りのホームの様子です。

駅弁が売られていたりして、そこそこ賑やかな様子でした。

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▼駅舎内の様子です。

そんな大きな駅ではないんですが、2Fスペースもあり、米沢の物産品が販売されています。地酒・ワイン・米沢織・工芸品・米沢牛・鯉等々の文字が階段縁に見受けられました。

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▼米沢駅の駅舎です。

見事な洋館風の駅舎は壮観で、2006年に初めて寄った時に撮りながら、2010年再訪時も飽きずに撮っていました。風景が変わっていないのに、なんか妙に撮りたい衝動に駆られる見事な建屋です。

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2011年12月20日 (火)

JR大曲駅 (秋田県大仙市)

秋田県大仙市のJR大曲(おおまがり)です。

大仙市は秋田県の南東部に位置し、岩手県にも接していて人口は87,153人(2011.11.1現在)で、2005年に大曲市と仙北郡7町村が合併してできた新しい市で、旧・大曲市と仙北郡のそれぞれ頭文字から現在の市名となっています。

旧・大曲市時代から毎年8月に全国花火競技大会が行われ、規模・権威共に日本一の花火大会とされる「花火の聖地」ともいうべき町です。

-JR大曲
【路線】JR秋田新幹線(盛岡-秋田間)
      奥羽本線(福島-青森間)
      田沢湖線(盛岡-大曲間)

【開業】1904年12月21日
【訪問】2006年8月
【1日あたり平均乗車人員】 2,160人/日(2010年)
【近隣の都市駅(盛岡方面)角館駅→6駅(新幹線では隣駅)
    
      (青森方面)秋田駅→8駅(新幹線では隣駅)
          (福島方面)横手駅→3駅

▼大仙市内にはJRのみですが、秋田新幹線が当駅に停車します。秋田新幹線の駅初登場です。

そして開業日が明日12月21日で、107年を迎えます。

ちなみにこの写真は2006年夏当時のもので、今から5年前、大仙市になった翌年という事になります。旧市時代も変わらず、この旧市名を名乗る大曲駅が市の中心駅です。

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▼ホームは新幹線あわせ3面5線ももっています。

訪問時が既に薄暮状態で蛍光灯がつき始め、写りがかなり粗いものになってしまっています。

ちなみに秋田新幹線は当駅でスイッチバックを行います。新幹線がスイッチバックとは珍しい、と感じました。

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▼改札周辺は見事なものでした。

訪問時がちょうど盆の頃で、市の一大イベント・花火大会を控えるという状況もあって、一層力が入っていたものと思われます。こういうのホント癒されます。

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▼駅構内の一角です。階段と共にエスカレータもついています。

この翌年に開催される「秋田わか杉国体」のPR大ポスターがデデーンと張り出されていました。。ちなみにこの杉のキャラクターは「スギッチ」というそうです。スギッチはこの後も県のマスコットとして存続し、2008年には主任に昇格したとか!私、まだ主任にもなってないんですが、、

また、この訪問当時2006年の国体はわが地元・兵庫の「のじぎく兵庫国体」でした。この時はやはり後に兵庫のマスコットとなる「はばタン」が活躍を始めたのでした。

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▼そして階段を下りて行かんとするところです。

「大曲の花火」がアピールされています。第一回大会は1910年に開催され、既に100年の歴史を持ちます。この2006年は第80回という節目の回でした。

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▼そんな節目の回という訳で、駅表玄関もこんな風に「80th」と大々的に。Anniversaryですね。

この年の開催日は8.26で訪ねたのは約2週間前の8.13でした。

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▼階段にはいろんなスギッチがペイントされていました。

今もこんな風なのでしょうか…?

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▼駅内通路の「ハミングロード」です。

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▼大曲駅の駅舎です。

1997年の秋田新幹線開業時にリニューアルされた見事な駅舎です。

鈴木エドワード氏設計による格子状に幾多の線が織りなされた見事な前面の壁が大変印象的なこの駅舎は、翌1998年に通産省のグッドデザイン賞を受賞することになります。

ロータリーの見事な時計塔も目を惹きつけてくれます。

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2011年12月19日 (月)

JR東舞鶴駅 (京都府舞鶴市)

京都府舞鶴市のJR東舞鶴(ひがし・まいづる)です。

舞鶴市は京都府の北東部・日本海側に位置し、福井県にも接しており人口は87,975人(2011.11.1現在)で、軍港として栄えた東舞鶴と商港として栄えた西舞鶴の両方で栄えています。海軍の拠点として栄えた東舞鶴には引揚記念館がある事でも有名です。

-JR東舞鶴
【路線】JR舞鶴線(綾部-東舞鶴間)
      小浜線(敦賀-東舞鶴間)

【開業】1904年11月3日
【訪問】1999年3月
【1日あたり平均乗車人員】 1,288人/日(2009年)
【近隣の都市駅(綾部方面)西舞鶴駅→隣駅
    
      (敦賀方面)小浜駅→9駅

▼舞鶴市内にはJRと北近畿タンゴ鉄道が通っていますが、西舞鶴と両雄並び立つ?!形で、ツイン中心駅といった状態でしょうか。いずれもそれぞれに発展し、中心的な機能を持っているといえます。所属する小浜線と舞鶴線のいずれにも終着駅となっており、利用者数はJR自体は東舞鶴の方が勝りますが、タンゴ鉄道の駅も持つ西舞鶴が総数では勝る格好となります。

ここへ訪ねたのは1999年3月、12年も前の事で、京都府では京都駅に次ぐ2駅目の訪問でした。今では府内100何駅と訪ねていますが、20世紀中に訪ねたのはほんの数駅(他に松井山手駅など)しかありません。個人的にはそんな貴重な駅です。

ちなみにもう一つの中心駅・西舞鶴を訪ねたのはこの10年後、2009年秋の事になります。ここでは舞鶴城跡などを見ることができ、軍港色の強い東舞鶴とは違う味わいがあります。

昔の訪問であまり撮っていないので、ここでも「1枚の写真」記事にさせて頂きます。カットもむちゃくちゃですみません!今でもこんな駅のようですが、当時から高架駅舎でした。

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2011年12月17日 (土)

JR郡山駅 (奈良県大和郡山市)

奈良県大和郡山市のJR郡山(こおりやま)です。

大和郡山市は奈良県の北西部に位置し、人口は88,324人(2011.11.1現在)で、1954年に市制施行されましたが、福島県郡山市と区別するために、「大和」と旧国名が冠された形の市名となりました。奈良県屈指の城として名高い郡山城跡をもち、また昔から金魚の養殖が盛んで、「金魚の町」として「全国金魚すくい大会」が行われたりしています。

-JR郡山
【路線】JR関西本線 (名古屋-難波間)
【開業】1890年12月27日
【訪問】2006年11月
【1日あたり平均乗車人員】 5,058人/日(2008年)
【近隣の都市駅(名古屋方面)奈良駅→隣駅
    
      (難波方面)王寺駅→3駅

▼市内の鉄道はJRと近鉄が通っていて、いずれも「郡山駅」が存在しますが、両者間は徒歩10分程度の距離があり、乗継には適しているとは言い切れない状況です。奈良県では、奈良駅も同じような状況で、JRと近鉄が一体となった形としては天理駅や王寺駅、桜井駅などが当てはまりますが、奈良や郡山などの主要といえる都市の連絡が今ひとつな印象を受けます。

また、市名は大和郡山市ですが、駅名はいずれも「郡山」のままです。

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▼このグリーンの列車に奈良県の電車、というイメージをもってます、個人的に。王寺駅やこの駅でよく見かけるような気がして…。

前面だけが白いラインが真ん中よりやや下に入っています。

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▼駅舎は橋上タイプでのこのような自由通路を通って両側の出口へ出られるようになっています。片側が窓枠を除いて全面ガラス張りタイプになっていて、なかなか見晴らしの良いものがあります。

全体的にピカピカしていて橋上化後日が浅かったのでしょうか、この写真は2006年11月、いまから5年前のものですが。

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▼駅前広場にある時計はこんな形で大変印象的です。

12と6だけ数字があって、とってもシンプルです。

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▼大和郡山市の案内図です。

JR郡山駅と近鉄郡山駅に幾分かの距離があるのが分かるかと思います。

実際この時も、近鉄・郡山駅からここまで歩いてきました。

郡山城跡は近鉄駅の方がかなり近くになります。

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▼駅出入口部分です。

とりあえず「郡山駅」とハッキリ表記されてるのが分かるカットとして撮った、と記憶しています。

立派な柱が印象的で、また駅名の下の濃淡のグレーが交互に織りなす模様に目を惹かれました。後ろにコンビニがあるのがすぐに分かりますね~

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▼郡山駅の駅舎です。

全体が見えるように遠景のカットになっています。

郡山城がモチーフだそうで、城とライトグレーの穏やかなタッチのなかなか立派な建屋となっています。てっぺんに煙突のようにポコッと出てるのもいいアクセントになってますね。

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▼別の角度から見ると、また素晴らしい雰囲気が伝わってきます。

バスのりばのひさしも城の屋根をイメージしているようでした。

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JR君津駅 (千葉県君津市)

千葉県君津市のJR君津(きみつ)です。

君津市は千葉県の南西部に位置し、人口は88,678人(2011.11.1現在)で、新日鉄の製作所の操業開始で発展した町で、1971年に市制施行され今年で40周年を迎えます。久留里城も市内にあります。

-JR君津
【路線】JR内房線 (蘇我-安房鴨川間)
【開業】1915年1月15日
【訪問】2011年10月
【1日あたり平均乗車人員】 8,817人/日 (2010年)
【近隣の都市駅】(蘇我方面)木更津駅→隣駅 
          (安房鴨川方面)大貫駅→2駅

▼開業は1915年と100年近くも前ですが、君津駅となったのは1956年のことで、それまでは周西(すさい)駅を名乗っていました。

市内の鉄道はすべてJR駅で、内房線ではこの君津駅のみで、隣の木更津駅を経由する形で久留里線に入り、沿線に数駅あるといった状態です。

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▼乗ってきた内房線の電車です。黄色と青のツートンが実に鮮やかでした。車体横には上下にこのラインが入っているんですね。

この時は市原の姉ヶ崎駅付近で宿泊する事となり、朝はまず大貫駅に行ったのですが、その途中の電車待ちで数分停まってこのホームに初めて降り立ち、その後大貫に寄ってまた戻ってくる形で、正式にここを訪ねました。この日2番目に訪ねた市になります。

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▼ホームは2面3線で、向こうにある跨線橋でつながっています。

跨線橋の色がユニークで橋部分と階段部分では全然違う色になっていて、橋部分は白の地に窓の上下に茶系が入る形になっています。

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▼両サイドの青い鉄柱が印象的なホーム周りです。

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▼跨線橋からホームを見下ろした様子です。

ここもまた屋根が広くとられ、木更津と2駅続く市の中心駅の様相を呈しています。

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▼駅前広場を見下ろした様子です。こっちは南口だったでしょうか。

ロータリーが整備され、高い時計塔が立っています。内部にはレンガ色のタクシー溜まりを持ち、色分けがされているというのはこんな風に上から見ても実に見栄えの良いものがあります。

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▼こっちは北口でしょうか。上の写真とは違った形のロータリー周りの様子です。自動車教習所みたいですね(笑

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▼これまた南口に戻ってのカットだと思いますが、この君津駅周辺で撮った写真で最もお気に入りがこれです。角度がすごくいい感じで(自画自賛、バックのビルの写り具合もGoodな感じがしました。

手前のモニュメントが漢数字の「八」みたいで末広がりな感じがします。

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▼「君津中央通り」と標識で銘打たれた駅前道です。

その割に周囲は閑散とした雰囲気で、ここ歩いててなんかあるのかな??と思いながらこの駅前道をトボトボ歩いていました。

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▼君津駅の駅舎です。

いかにも橋上駅と分かる、出口二股分かれの二等辺三角形型とでもいいましょうか、そんな駅舎です。

建屋の軸の部分が曲線というか円形?!になっているのがユニークですが、そこからパステル調の階段が両方向に下りてきています。薄いグリーンを基調としつつブルーのラインも入るという形で、軸の建物と全く違う色になっているところが面白いです。

あと、密かに注目すべき点は、その軸の建屋の真ん中の層の部分、そこの柱が虹色になっているところです。あまりに何気なさ過ぎて、ここに記事UPしてしげしげと見つめるまで、全く気づきませんでした。

駅舎前面と橋上部分が全く違う色模様なのも、この駅の大きな特徴といえるかもしれません。

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2011年12月15日 (木)

JR御殿場駅 (静岡県御殿場市)

静岡県御殿場市のJR御殿場(ごてんば)です。

御殿場市は静岡県の東部に位置し、人口は89,114人(2011.11.1現在)で、富士山の山裾にある高原都市です。徳川家康の遺体を久能山から日光東照宮へ移送する際に仮の御殿を立てたことから、この地名が生まれたといいます。

-JR御殿場
【路線】JR御殿場線 (国府津-沼津間)
【開業】1889年2月1日
【訪問】2007年9月
【1日あたり平均乗車人員】 4,820人/日(2009年)
【近隣の都市駅(国府津方面)松田駅→6駅
    
      (沼津方面)裾野駅→4駅

▼市内の鉄道はいずれもJR御殿場線に属し、3駅あるうちの中心駅です。

東海道本線から外れた御殿場線にある市は発着部分を除くと、裾野市とこの駅のある御殿場市のみで、特に御殿場からは国府津方面ではしばらく郡部の駅が続く事になります。

御殿場線は、かつては東海道本線の一区間だったのが、昭和初期に東海道本線が熱海経由に変更されたという歴史を持っています。また、JR東海が管轄する在来線で唯一、関東地方に乗り入れしている路線でもあります。

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▼名所案内です。

勿論、というべきか当然のように「富士山」があります。

新五合目まで22.3km、バスで45分とあります。登山しなくてもいいから、そこまででもいいから行ってみたい気はします…。

あとは高山植物が2,000種類もあるという御胎内清宏園、富士仏舎利塔平和公園などがありますが、すぐ近くのものはなく、それなりに時間をかけないと行けない所ばかりですね。

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▼ホームは2面3線で、跨線橋でつながっています。

写真の側のホームは手前に階段が伸びていますが、その向こうにはエレベータが覗いて見えます。

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▼1番線の松田・国府津方面のホームです。

こちらは郡部の駅が続き、当駅から国府津の手前・下曽我駅(小田原市)にてようやく市の駅に入るのですが、ここまで9駅を要します。静岡・神奈川という東京近郊のイメージのあるロケーションにおいては、かなり意外な感じもしますが…

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▼跨線橋から見下ろした様子。

短い車両の電車が停まっているところでした。

屋根が結構広くとられていて、市の中心という感じです。この辺りはこういった規模の駅が少ないので、貴重なキー駅となっています。

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▼改札口周辺、自動改札が入っています。それ程多くの台数は設置されていません。

向こうがホームへの階段で、右が1番線、左が2・3番線と別れています。

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▼広大な自由通路。

その中にポツンとだんご屋さんがあるのがいい感じでした。

窓のてっぺんは山のような形ですが、これはやはり富士山を模したものでしょうか。

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▼駅前にある御殿場市観光案内の地図は、もう富士山そのものの形をしています。

こういうベタな感じ、好きですね~

このデフォルメ感がより一層ツボでした。分かりやす過ぎて。

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▼トイレも富士山です。

富士山口トイレとあり、こちらの西側出口が富士山口なんですが。

ちなみに東側は、乙女箱根口といいます。

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▼御殿場市の市制施行50周年を記念して建てられたという「鉄道唱歌」と汽車ポッポの歌詞の石碑です。唱歌の15番に御殿場について歌われています。右側のボタンで歌が聞けるんでしょうか、スピーカーがついてるので。

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▼御殿場駅の駅舎です。

階段部分の袖には「富士山口」と銘打ってあり、駅舎の形は富士山を強く意識した感じが窺えます。ただてっぺんは二等辺三角形という感じではなく、若干傾きや長さが違っています。

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▼駅前の広場スペース込の様子です。

手前右のひさし?!がいい味出してます。バスの乗降口ですが、富士急バスというのが出ていて、その建屋も垣間見えています。富士山駅(2011年6月までは富士吉田駅)行きのバスもあります。しかし、富士山駅とは思い切った駅名改称をしたものです。

御殿場、って聞くと「御殿場までが矢のように過ぎ…」って歌詞が浮かびます。(「ひぐらし」太田裕美・1975年)

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2011年12月13日 (火)

北総鉄道・千葉ニュータウン中央駅 (千葉県印西市)

千葉県印西市の北総鉄道/千葉ニュータウン中央(ちばにゅーたうん・ちゅうおう)です。

印西市は千葉県の南東部に位置し、人口は89,291人(2011.11.1現在)で、1996年に印西町から単独で市制化された新しい市で、市制化直前は全国の郡部で最も人口の多い「町」でした。

北総地域の千葉ニュータウンを構成するうちの1市(他に船橋市、白井市)で、1985年には3万5000だった人口が、90年にはなんと5万5000、95年には7万2000とこの10年間で倍増するという凄まじい伸びをみせました。今でも増加傾向を続け、9万の大台も目前という状況になってきています。

-北総鉄道・京成電鉄/千葉ニュータウン中央
【路線】北総鉄道・北総線
           (京成高砂-印旛日本医大間)
    京成電鉄・成田空港線(京成高砂-成田空港間)

【開業】1984年3月19日 (訪問は2011年8月)
【1日あたり平均乗車人員】 29,628人/日 (2008年)  
【近隣の都市駅】(京成高砂方面)白井駅→2駅 
          (印旛日本医大方面)成田空港駅→5駅 
 

▼この夏の盆休み旅の終盤に怒涛の勢いで?!訪ねまくった千葉県の未訪市。鎌ヶ谷、白井ときて最後がここ印西でした。この辺ニュータウン系の街並みで、旅するには正直かなり味気なかった印象が強かったです。

なかでもここは駅名がそのものズバリで、King of ニュータウンという感じです。

印西市はJRに2駅、この北総鉄道に3駅ある状態で、中心駅はJR木下駅とされています。

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▼ホームは1面2線、京成成田空港線は2010年開業したばかりで、それまでは2駅先の印旛日本医大駅までで行き止まりでしたが、成田空港駅まで約20km延伸されました。

堀切のような所にホームがあるという形は以前UPした白井駅も同様のタイプで、この沿線の特徴なのでしょうか。四角く頑丈そうな白い柱がとっても印象的なホーム周りです。

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▼今年のお盆の訪問と書きましたが、東日本だけにすっかり節電モードでした。正直、西日本に住む者としてはカルチャーショックでした。

やはり震災後の危機感がまるで違うというか、うちの近辺でエスカレータが停まってるということはなかったんですよね。みんな階段で上り下りしてるのが新鮮というか、、暑い盛りでもあったのでしんどかったのも正直ありました。そんな時にエレベータも使えず、何駅も階段昇降するのは体力的な消耗も激しかったので。でもこんな時こそ、、と思いつつへばりながら階段利用してました。旅の終盤という事もあり、ニュータウンの味気なさもありで、撮った写真もだいぶ雑というか、色々に気が向かなくなっていった部分も見受けられます。

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▼これもホームからの風景です。

緑もあって、広い土手とその上に店の群れが。

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▼白井市にある競馬学校ゆかりのものが駅舎内に展示されていました。

馬の絵とかミニチュアとか、下の写真のは切り絵??なのか、競馬学校の騎手課程の方々の政策によるものでしょうか。

競馬学校は1982年に発足し、全国で白井市ただ1か所のみなのです。騎手課程は3年制で武豊騎手はじめ名だたる騎手がここを卒業し活躍している訳ですね。

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▼駅出た所の風景のひとつです。

洗練されきったニュータウンの風貌、、個人的に旅しづらい街並みです。勿論いい所かどうかという話とはまた別次元です。どこ行っても同じ景色のように思えるから、旅しててもなんかワクワク感が少ないような気がするだけです。

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▼いかにもニュータウンらしい駅前の風景を。

昭和の刑事ドラマのタイトルバックに出てきそうです。

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▼向こうの駅部分から土手の上を渡るように長い通路が伸びていて、出口へと至ります。その景色の素晴らしさがここでのハイライトという感じなのでしょうか。

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▼駅舎です、駅名長いので改めては書きませんが…

駅舎というか、ホーム上に覆いかぶさった柱という脚付きの建屋、という感じじでしょうかね。そう呼べる建屋がこれなので、いちばんよく写ったのをUPしました。

上にボコッと台形状に出っ張ってるのが建屋としてよいアクセントになっています。

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2011年12月12日 (月)

名鉄/甚目寺駅 (愛知県あま市)

愛知県あま市の名鉄・甚目寺(じもくじ)です。

あま市は愛知県の西部、名古屋市の西側に位置し、人口は86,627人(2011.10.1現在)で、2010年に旧・海部郡の美和町、七宝町、甚目寺町の3町が合併してできた愛知県で最も新しい市です。愛知県では2010年1月にみよし市が市制施行になりましたが、あま市は3月22日と更に歴史が浅い格好になります。

旧郡名をひらがな表記にした形の市名となっており、3町のみの合併でこれだけの人口規模を誇る訳ですが、なかでもこの駅のある旧・甚目寺町は約4万の人口を誇っていました。

七宝焼の里であり、また日本唯一の漬物の神様が祀られるとされる「萱津神社」があります。また戦国武将として名高い蜂須賀小六や福島正則を生んだ地で、昭和50年代のアイドル歌手で今もなおその可愛らしさを保つ石川ひとみさんの出身地でもあります。

-名鉄・甚目寺
【路線】名鉄・津島線 (須ヶ口-津島間)
【開業】1914年1月23日
【訪問】2008年5月
【1日あたり平均乗降車人員】 4,611人/日 (2010年)  
【近隣の都市駅】(須ヶ口方面) 須ヶ口駅→隣駅 
          (津島方面) 木田駅→2駅、津島駅→6駅

あま市には名鉄のみ駅があり、この甚目寺、七宝、木田(旧・美和町)と旧町に1駅ずつある状態です。現在の市役所は旧・美和町にあり、そういう見方からすると木田駅が中心駅になりますが、利用者数が最も多いのはこの甚目寺駅になります。

尚、隣の須ヶ口駅は清須市の中心駅的存在です。

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▼ホームは2面2線で、ホーム屋根が実にすばらしい見栄えになっています。

この訪問当時は2008年でまだ合併前の「海部郡甚目寺町」時代です。名古屋近辺の駅をあちこち訪ね歩いた2008年のGWでしたが、ここへは明確な目的を持って訪ねました。それは、、、先述の萱津神社を行く事!  どこかの電車の中吊りで見かけた「日本唯一の漬物の神様」に惹かれて。。漬物が特段好きな訳ではないんですが、知り合いのお母さんが好きだったりして、ちっょと行ってみようと思い立ったのでした。

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▼駅出てすぐの踏切の近辺です。

ヨシヅヤという地元スーパーのチェーン店が立っています。愛知県内に16店ある他、岐阜に3店、三重に1店あるということで、この甚目寺店は2011年10月に建替オープンとなったそうで、この写真の約2年半後の2010年10月3日に一時閉店していて、1年ぶりの復活となったようです。

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▼甚目寺駅の駅舎です。

2008年当時のものですが、正直小さい駅舎と感じました。でもそんな中に持ち帰りの寿司屋さんがあったことがとってもユニークでした。

この後2011年、つまり今年ですが北口が新設されたとあり、早くも市制化による変化が見られた(予定されていたんでしょうが…)のかとなんか嬉しくなり、またその発展した姿を見たい衝動に駆られました。

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▼駅を出てほどなくの地点でのカットで、案内ゲートがいい雰囲気だしてます。

この時はまだ「町」という自治体で存在していたのですが、ここの様子も市となった今では変わっているのでしょうか、そんな事も気になったりします。

ちなみにここを訪ねたこの日は終日雨で、なかでもここを訪ねた時が雨で最もひどい目に遭いました。傘も持たずに来て、延々と歩く事にもなりで…、辛い思い出でもありますが、その分心にはしっかりと残り、思い入れも強い町のひとつです。


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2011年12月11日 (日)

JR四街道駅 (千葉県四街道市)

千葉県四街道市のJR四街道(よつかいどう)です。

四街道市は千葉県の北部に位置し、人口は87,852人(2011.11.1現在)で千葉市に隣接し、ベッドタウンとして今も人口増加を続ける町です。1970年にはわずか2万6000だった人口が10年後の1980年には倍以上の5万9000にもなっています。1990年には7万2000と近年になるにつれ伸びは鈍化しているものの、今でもまだ増加を続けているところには目を見張るものがあります。ちなみに市制施行は1981年になってからで、今年で市制施行30周年を迎えます。

市内に四方の道標があり、それぞれに街道名が記されていることからこの地名→市名になったといわれています。

-JR四街道
【路線】JR総武本線 (東京-銚子間)
【開業】1894年12月9日
【訪問】2011年2月
【1日あたり平均乗車人員】 21,776人/日(2010年)
【近隣の都市駅(東京方面)千葉駅→3駅 
    
      (銚子方面)佐倉駅→2駅 

▼総武本線で千葉から銚子方面に向かって、千葉市を出るとこの四街道市に入ります。四街道市にはJRのみが通っており、当駅と隣の物井駅の2駅のみです。

ちなみに茨城県常総市に水海道と書いて「みつかいどう」という駅があり、平成の大合併までは水海道市を名乗っていました。よつかいどうは「街道」で、みつかいどうは「海道」なのですね。

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▼総武本線のこの電車に乗ってやって来ました。

乗車人員は総武本線の千葉以東・以南の駅では蘇我駅に次ぐ2位の多さを誇るそうで、2面3線で幅の広いホームを持っています。

この日は近くにある佐倉で宿泊し、ここを起点に銚子まで東へ進み、また西へ引き返す形で佐原(香取市)へ寄り、何とかまだ明るかったので朝活動していた佐倉を越えて、ここへ寄りました。東金、成東、旭、八日市場、銚子などへ寄り、ここへは来れたらラッキーぐらいに持っていましたが、夕方に来れたわけです。

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▼車庫?!がありました。

こういうのがあるとつい撮ってしまいます。

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▼ホーム真ん中が工事中でした。

何の工事かよく分かりませんでしたが、中には「土嚢」が沢山積んでありました。

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▼四街道駅の駅舎です。

出入口屋根の上に一文字ずつ浮き出ているのが印象的です。

また2F部分の台形状の建屋と半透明のガラス張りがいい感じです。

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▼やや引いたカットで、ロータリーが全体的に分かるカットを。

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▼駅前広場の中を。

枝垂桜?! ぐにゃりと曲った枝を持つ木が大変印象的です。
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▼駅前には比較的高い建屋があちこち立っていて、都会的な雰囲気です。さすがに千葉市の隣、という感じで。

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JR豊岡駅 (兵庫県豊岡市)

兵庫県豊岡市のJR豊岡(とよおか)です。

豊岡市は兵庫県の北東部に位置し、京都府とも接していて人口は84,833人(2011.10.1現在)で、兵庫県北部の中心都市です。

カバンの生産が盛んな「カバンの町」として知られ、日本最後の野生コウノトリの生息地としても有名で、今もコウノトリの動向が注目されています。また2005年に周辺の町と合併したことにより兵庫県で最も広い市となりましたが、城崎温泉や出石そばの店店なども市域に入るようになり、観光の要素が増したといえます。

-JR/北近畿タンゴ鉄道・豊岡
【路線】JR山陰本線 (京都-幡生間)
    北近畿タンゴ鉄道・宮津線(西舞鶴-豊岡間)

【開業】1909年7月10日
【訪問】初訪問-1993年5月
【1日あたり平均乗車人員】 JR-2,007人/日 (2008年)
                  北近畿タンゴ-198人/日 (2008年)
【近隣の都市駅】(京都方面)八鹿駅→3駅 
          (幡生方面)城崎温泉駅→2駅
          (西舞鶴方面)峰山駅→7駅

▼兵庫県北部の中心都市・豊岡の中心駅であり、JRと北近畿タンゴ鉄道の駅が並び立っている状態です。個人的にも兵庫北部で初めて行った市の駅です。といってもそのはずで、初訪問した1993年5月当時は北部には市はまだこの豊岡しかなかったので(笑。 

この当時、仕事が終わって連休を迎える前夜に、毎月のように山陰へ行っていたのですが、直に伯備線では終電に間に合いそうにないため、いっつも和田山→豊岡を経由して、夜行の急行「だいせん」を待ったものでした。この豊岡に23時台について、そこから2時間ほどの待ち時間、近くのホテルの下の食堂でビール飲みながら遅い晩飯したり、次の日の期待にワクワクしながらウトウト寝たり、ウォークマン聞いたり、それはもう幸せ溢れる時を過ごしていたのでした。

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▼初訪問は1993年と書きましたが、このホーム周辺を撮る事がなかなかなく(当初は夜中の訪問ばかりでもあり)、2010年になってようやく駅内部を初めて撮る事となりました。1993年5月から毎月のように晩に寄って急行を待ち…、とそんな時期が1994年3月頃まで続きました。

それ以降は、伯備線経由でその日の晩のうちに着く事ができるようになり、夜行に乗る事もなくなったので、1996年頃に少し寄って以来、2004年まで訪ねること自体もなくなっていました。駅外の写真はその時にようやく撮りましたが、この時とて内部の写真は撮ってなかったのでした。あとは2008年に初の豊岡泊で訪ねて、そしてこの写真の2010年の訪問と、ざっと訪ねた遍歴はこんな感じでしょうか。

2010年9月訪問時は、辺りは大工事中でした。それ以来行ってないので、様子を見たいものです。

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▼北近畿タンゴ鉄道の駅舎、というか乗換え口にあたる部分です。

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▼同じ乗換え口、ちょっと撮ってる場所は違いますが、2004年当時はこんな感じで、すぐ乗り換えできた印象でしたが、上の2010年版は両者の間に仕切りがあって移動距離が長かった気がします。工事中だったからでしょうか。
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▼JRと北近畿タンゴ鉄道の共存のためか広いホームとなっています。

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▼このホームの右側に北近畿タンゴ鉄道宮津線のりば、との案内表示があります。

右側ホームの電車はまさにそのもので、これで西舞鶴方面まで向かいます。

この時は、タンゴ鉄道の未訪問駅を少しずつ訪ねて行って、携帯が途中で壊れたためショップへ寄りたくて早く切り上げて、ここへ戻ってきたところでした。どっちみちここへは寄るつもりではあったのですが、切り上げざるを得なかったので明るい写真がとれたという、それはそれで嬉しい誤算だったのでしょうか。暗い時に寄ることが殆どだったので…

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▼上の写真と反対方向のカットですが、この木造ホーム屋根の素晴らしい事ときたら、この辺りの山陰本線の香住とかも木造の素晴らしいホーム屋根だったりして、それだけでも見る価値は存分にあると思います。

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▼だいぶ光入ってしまってますが、タンゴ鉄道側の豊岡駅の駅名標です。

終着駅につき、隣駅は片側のみです。その隣駅である但馬三江駅こそが私が兵庫県で唯一未踏の駅なのです。。この時も携帯が壊れなかったら寄るはずでしたが…。

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▼豊岡駅の駅舎です。

すぐ下の写真が2010年、その下が2004年当時のものです。長年このタイプの駅舎で、両者見てもあまり変わりがありません。

でも…

この後、2011年2月に新駅舎が誕生しました!!

まだ、その姿を見ていません、、

これを作るために、この時工事しまくってたのか、、と2010年訪問時に思ったかどうか、

今はもう下の写真の駅舎は取り壊しているのだとか。この訪問の5か月後に新駅舎が利用開始となっています。その新駅舎の写真は、この記事を書いてる今初めて見ました。

これはまた、行ってこなければ…wink

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▼駅前のショッピングセンター「Aity」周辺の駅前風景です。

この時は翌々月に運行開始となる新型特急「はまかぜ」が猛アピールされていて、この幟の並んでいる事!

ちなみにこのAityへの通路はそれまで、駅を出てから道路の手前部分の階段を上って通っているものでしたが、現在の新駅舎は改札から直通になっているそうで、実質の駅ビルだという記事を見受けました。確かにそれは進歩かもしれません。余談ですが、加古川駅とヤマトヤシキは絶対そのような関係になれず、中途半端なエスカレータ付き通路が作り変えられるのみで現在に至っています。

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2011年12月10日 (土)

JR行田駅 (埼玉県行田市)

埼玉県行田市のJR行田(ぎょうだ)です。

行田市は埼玉県の北部に位置し、群馬県とも接していて人口は84,961人(2011.10.1現在)で、「埼玉」の名称ルーツの地とされ、行田市大字埼玉(さきたま)というのがあり、1954年にこの行田市に編入されるまでは埼玉村という自治体として存在していました。その為に現在の県庁所在地・「さいたま」市がひらがな表記になったといわれています。

関東七名城のひとつ忍城(おし・じょう)の城下町として知られ、忍藩10万石の政庁となり江戸後期には足袋の生産で栄えたといいます。

-JR行田
【路線】JR高崎線 (大宮-高崎間)
【開業】1966年7月1日
【訪問】2011年5月
【1日あたり平均乗車人員】 6,750人/日 (2010年)
【近隣の都市駅】(大宮方面)熊谷駅→隣駅 
          (高崎方面)鴻巣駅→3駅

▼市内ではJRと秩父鉄道が走っており、JRは当駅のみで1966年になってできた割に新しい駅で、市名を名乗ってこそいますが、行田市の中心からは離れており、秩父鉄道の行田市駅の方が中心駅にあたります。

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▼ホームはわずか1面2線のみで、この両サイドに電車が来る格好です。

この時の電光掲示には「地震の影響で臨時ダイヤで…」と載っています。どんな状態だったか…、、今から半年ほど前の事ですがあまり覚えてません。他路線の状況だったかもしれませんが…

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▼行田駅の駅舎です。

この時、北本とか近辺の埼玉県の市の中心駅を訪ね歩いていってたのですが、終日旅を続けていた状態で夕方ともなってくるとかなりトーンダウンしてしまって、しかも近辺は同じような駅の光景というのも相まって、なんでも撮ろうという意欲すら衰えて、なんか適当に撮ってる感じになってます。気力体力衰えてくると、こういうところにも影響するんですね。ここをもし朝訪ねてたら、量/質ともに違うものになっていたのかもしれません。

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▼駅前広場の様子です。

GWだったこともあって、ピークを過ぎた桜が命を燃やすように咲いていました。

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▼ロータリー周辺の様子で、左側が駅になります。

整備されたロータリーは市の中心的な感じもしますが、JRでの市の代表駅的な位置づけで駅前でコレというものをなかなか探せずに次の地を訪ねる事となりました。今度は秩父鉄道の行田市駅の方へ行って、行田の中心地を満喫したいところです。あと忍城も!

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JR袋井駅 (静岡県袋井市)


静岡県袋井市のJR袋井(ふくろい)です。

袋井市は静岡県の西部に位置し、人口は85,065人(2011.11.1現在)で、かつての東海道のど真ん中にあたる袋井宿で栄えた町です。2005年に磐田郡浅羽町と合併し、新生・袋井市となりました。日本における耕地整理発祥の地とされています。

-JR袋井
【路線】JR東海道本線 (東京-神戸間)
【開業】1889年4月16日
【訪問】2007年8月
【1日あたり平均乗車人員】 5,335人/日(2009年)
【近隣の都市駅(東京方面)掛川駅→2駅
    
      (神戸方面)磐田駅→隣駅、浜松駅→5駅

▼隣駅の片側が磐田駅で、当駅と共に市の中心駅が2つ続く格好となります。

袋井市ではJRのみが走っており、隣の愛野駅と2駅のみです。

ここへの訪問は2007年8月、この時、東海道本線の全駅制覇を目指してひたすら乗っては降りるを繰り返し、そんな中訪ねた所のひとつです。

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▼名所案内です。

ここに挙げられているものは、駅から3~5kmという中途半端な距離に集中しています。

可睡斎というのは曹洞宗の寺院だそうで、一見お寺の名前と思えないものですが、遠州三山のひとつとされ、他の2つがその下の法多山、油山寺になります。可睡斎には徳川家康が父と隠れたとされる洞窟が残っているといいます。例年、火まつり大祭というのが行われ、今年も12月15日と載っていました → http://www.kasuisai.or.jp/news#kiji994 もうすぐですね。

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▼駅舎側のホームの様子です。

看板が並んでいて市の中心らしい雰囲気があります。
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▼駅跨線橋からホームを見下ろした様子です。

屋根が長く続いているところにも駅の規模を感じます。

ホームは3面4線もありますが、実質の使用は2線で、他の2線は待避線となっています。

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▼駅出て目線の様子です。

駅前の道路がいきなり直角カーブになってるのが印象的でした。写真手前の道路のラインの曲がり具合にその様子が窺えますが、ホントにこれが駅出てすぐの所です。

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▼駅前の道路はややせせこましい感じはありますが、駅前広場のスペースは広くとられていて、丸い球の乗った大きなモニュメントや各所の植え込み、通路と実に広々としています。

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▼上の写真でも小さく見えていますが、こんな噴水もあります。

駅前道路に比べると、ここの広場の充実ぶりは素晴らしいものがあります。

この噴水の豪華さは実に見事で、思わず見入ってしまいました。

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▼袋井宿は、東海道五十三次の27番目の宿場町で、「どまん中」とされています。
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▼袋井駅の駅舎です。

駅の真ん前の道路がカーブというのがよく分かると思います。

この時は平屋駅舎で、後に橋上駅舎になるという話が出ていましたが、ちょうどこの訪ねた頃にあたる2007年8月に延期が決定されたそうで、いまだに新駅舎になっていない模様で、その後工事協定が締結され、3年後の平成26年供用開始を目指して事業をすすめているそうです。

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2011年12月 8日 (木)

JR武生駅 (福井県越前市)

福井県越前市のJR武生(たけふ)です。

越前市は福井県の真ん中よりやや東部に位置し、人口は85,335人(2011.11.1現在)で、2005年に旧・武生市と今立郡今立町が合併してできた新しい市です。この越前市には、越前町と南越前町というのが隣接しており、非常に紛らわしいものがあります。

かつての越前の中心地で国府が置かれていたりもしました。柴田勝家が現在の福井市に北ノ庄城を築いてから地勢が変わってきたようです。また「たけふ菊人形」は日本三大菊人形のひとつといわれています。

-JR武生
【路線】JR北陸本線 (米原-直江津間)
【開業】1896年7月15日
【訪問】2006年6月
【1日あたり平均乗車人員】 2,324人/日(2009年)
【近隣の都市駅(米原方面)敦賀駅→6
    
      (直江津方面)鯖江駅→隣駅

▼前市名である武生を名乗る市の中心駅です。

越前市には、JRで2駅、福井鉄道で3駅あり、この近くに福井鉄道の越前武生駅があります(私が訪ねた時は「武生新駅」と名乗っていました)。武生、鯖江とJRでは市の中心駅が続きます。

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▼武生駅の駅舎内です。

市の中心らしく、割に広めでいろんなパンフレット類が置いてありました。
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▼武生駅の駅出て目線です。

タクシーは思いのほか多く停まっていました。
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▼武生駅の駅舎です。

といってもうまく撮れず、若干分かりにくい形となってしまいました。

まぁ北陸の小都市の中心駅に多い、平屋根の駅舎に一文字ずつ駅名の漢字が飛び出したようなスタイルのものです。

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2011年12月 7日 (水)

名鉄/朝倉駅 (愛知県知多市)

愛知県知多市の名鉄・朝倉(あさくら)です。

知多市は愛知県の西部・知多半島の付け根部分に位置し、人口は84,565人(2011.10.1現在)で、1970年に市制施行され、知多郡知多町から知多市になった、まさに生粋の「知多」で、江戸時代から木綿で栄えた町で、今もその当時の街並みを残そうとの動きが盛んで観光客も増えてきているといいます。

-名鉄・朝倉
【路線】名鉄・常滑線 (大田川-常滑間)
【開業】1923年5月9日
【訪問】2011年2月
【1日あたり平均乗降車人員】 7,547人/日 (2010年)  
【近隣の都市駅】(神宮前方面) 大田川駅→3駅 
          (常滑方面) 常滑駅→10駅

知多市にはJR駅はなく名鉄のみで、この朝倉駅が市の中心駅の位置づけにありますが、市名の知多駅なる駅は存在しません。ちなみに福岡県に朝倉市というのがありますが、ここの中心駅は甘木駅であり、逆にここには朝倉駅というのが存在しない状態となっています。

駅名標の隣は名所案内というより、ホントにただの近隣の案内といった感じで「知多市役所」が真っ先に書き連ねてあります。その下も体育館とか、市の施設中心といったラインナップが先きにきています。

愛知県の未訪市つぶしの一環で、実家に帰ってから用事を済ませてその足で愛知県入りして最初に訪ねた所でしたが既に夕方で何か所も行かないままその日は終わり、この日は半田で泊ったのでした。

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▼ホームは2面2線でコレといって際立った特徴は感じられませんが、高架駅で階段を下りて行って改札に至ります。

塀も高架駅ならではといえるのかもしれません。

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▼駅出て駅前広場での朝倉駅周辺案内です。

徒歩10分(500m)圏内で行ける所が列挙されていて、知多市役所、総合体育館、とこれは駅の案内板にもありました。勤労文化会館、警察署、保健センターと地域の施設ばかりでした。観光者向けのものもほしいなぁ、と思ったのですが…。

個人的には市役所訪問も好きなので極力行くようにしてますし、他に何の観光名所に出会えなかったとしてもとりあえず市役所抑えておけばいい、と思う方なので市役所がどこにあるか案内があればそりゃ助かりますけど…

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▼駅からの目線です。

ここから見ると駅前はなんにもないみたいに見えます。確かにホントの真ん前は道路だけに等しいです。

同じ知多(南知多町)の内海駅の駅前をなんとなく思い出しました。植え込みはとにかく素晴らしかったです。

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▼で、駅前ロータリーの中心部分には時計塔もあります。

時計の周りの黒い部分は知多市の市章です。昭和30年、当時知多町の町章であった頃からのマークです。

幟は「梅まつり」のものがいくつも立っていました。佐布里池(そうりいけ)の梅林には25種類、4,600本もの梅の花が咲き誇るそうです。訪ねた時がちょうどその梅まつり真っ只中の頃だったので、この時期こそが年中で最も賑やなロータリー周りだったのかもしれません。

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▼朝倉駅の駅舎です。

高架駅で高さがあり、駅舎にはステーションプラザと銘打ってあります。

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▼斜め前から極力駅舎の全体像が見えるように、と撮ったものです。

バス停のひさしが結構長くとられています。ちなみにこの手前のは降車専用だそうで…

高架下に駅舎があるのが分かりやすい建屋で、高架部分と駅舎部分がセパレートになっているようなデザインです。この辺りが一体化してればオシャレな感じに見えるな、と思ったんですが…、ちなみに高架化されたのは1982年の事で間もなく30年になろうとしています。

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2011年12月 6日 (火)

JR渋川駅 (群馬県渋川市)

群馬県渋川市のJR渋川(しぶかわ)です。

渋川市は群馬県のど真ん中に位置し、人口は82,508人(2011.11.1現在)で、2006年に旧・渋川市と北群馬郡伊香保町をはじめとする1町2村および勢多郡2村が新設合併しました。赤城山と伊香保温泉を市域に持ち、市名はそれ程有名ではないかもしれませんが、観光名所には事欠かない町と言えます。

-JR渋川
【路線】JR上越線 (高崎-宮内間)
      吾妻線(渋川-大前間)

【開業】1921年7月1日
【訪問】2011年8月
【1日あたり平均乗車人員】 3,515人/日(2010年)
 【近隣の都市駅(高崎方面)新前橋駅→3駅
           (宮内方面)沼田駅→4駅
          (大前方面)中之条駅→6駅

▼吾妻線では、渋川市以外は郡部しか通りませんが、沢渡温泉に近く特急列車も停車する中之条駅を近隣の都市駅扱いとしてあげました。

上越線の駅ですが、吾妻線にも分岐し、この駅名標では片側の隣駅は二股に分かれています。

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▼名所案内と共にホームの様子を。

駅名標の向こうにある四角いグレーの建屋は待合室で、こじんまりした独特の形しています。

名所には榛名山、榛名湖が挙げられ、次に伊香保温泉が挙げられています。西10km、バス30分とあり、じっくり訪ねないとちょっとしんどいかな、といところです。

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▼ホームは2面3線で、右側が駅舎側ホームです。

屋根が長く続いていて、市の中心らしい雰囲気です。

渋川市にはJRのみが通っていて、上越線と吾妻線にほぼ同じ駅数あり、両方に属しているのが中心駅であるここ渋川駅のみです。

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▼2面ある両ホームはこの地下通路で結ばれています。この辺りの市の中心駅はこういう構造のホームが多かった覚えがあり、沼田駅も確かこの形だったと記憶しています。

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▼その階段へ降りて地下道へ行かんとするところです。

その階段からホームを見上げてのカットで、いろんな角度から撮ると色々に見えてホーム内でもついつい色々撮ってすっかり怪しい人になっています(笑

列車や駅名標撮る人は多いけど、こんな風に色々撮る人はあまり居ないんじゃないでしょうか、あちこち撮りたくてつい長居してしまうのですが、怪しい人では決してありませんキリッ。こういう風にお伝えしたいから撮ってるだけです,ハイ。

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▼地下通路の中です。

掲示物がびっしり貼られていて、薄暗い感じも全然なく、そこそこ明るい感じの通路となっています。

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▼群馬県のマスコット「ぐんまちゃん」という馬のキャラが

「ようこそ ぐんまへ!」とお出迎えです。渋川駅として。

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▼渋川駅の駅舎です。

和風建築風の平屋駅舎で、白壁も印象的です。

屋根からせり出している時計塔の部分の下の連子(縦線の部分)がより和風な雰囲気でしっとりとした印象を与えます。

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▼最後は駅前ロータリー周辺を。

バスターミナルがあって何台ものバスが行き来していました。

こういう駅前風景は活気があっていいですね。特に地方都市ではいいなと思います。都心ではもっと過密な感じでしょうが、程よく活気がある程度が個人的にはいちばん好きですね。
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2011年12月 5日 (月)

JR宇和島駅 (愛媛県宇和島市)

愛媛県宇和島市のJR宇和島(うわじま)です。

宇和島市は愛媛県の南部に位置し、人口は82,973人(2011.11.1現在)で、闘牛で有名な城下町で、南予地方の中心都市でもあります。なお、四国には高知の土佐闘犬もあります。

-JR宇和島
【路線】JR予讃線 (高松-宇和島間)
      予土線(若井-北宇和島間)

【開業】1914年10月18日
【訪問】2009年8月
【1日あたり平均乗車人員】 1,590人/日(2006年)
 【近隣の都市駅(高松方面)卯之町駅→6駅
           (若井方面)近永駅→7駅

▼松山市以西の愛媛県になかなか行くことができずに、八幡浜、大洲と共にずっと行きたかった町のひとつで、2009年になってようやく訪ねることができました。

隣の北宇和島駅が予讃線と予土線の分かれ目のようなもので、そこから盲腸的に1駅だけ突き出しているのが当駅です。正確には予土線には属しませんが、予土線も乗り入れてくるので複数路線扱いにしました。それもあってか、この駅名標にも駅番号が2種類振ってあります。ちなみに北宇和島駅の方は所属上も両路線被っています。

予土線方面は20駅行っても市の中心駅に一つも出くわさないというところで、近隣の都市駅としては町(鬼北町)の中心駅である近永駅を上げました。高知のキー駅のひとつ・窪川駅までは実に21駅を要しますが、こことて市の中心駅ではありません。

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▼市の中心駅なのでこのような吊り式の駅名標もあります。

一日の平均利用者数はJR四国では15番目に多いとの事です。1,590人で15位とは、四国の鉄道利用事情が分かるような気がします。

ちなみにこの訪問した日は政権交代の選挙のあった日です。松山から朝一番でここへ来て、その後八幡浜、大洲、と行きました。
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▼ホーム上の屋根は真ん中だけに柱のあるV字形で、かっこいい感じです。

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▼ホームは2面3線で、ここに停まっている2つの電車の間にはある程度の距離があります。いちばん右が1番線でこちらは松山・岡山方面専用です。両方の電車は同系統の車体をしているものの、その見た目は明らかに違うものがあります。

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▼先述の通り、ひと駅だけ出っ張っている状態の駅につき、終着駅のように頭端式のホームになっていて、車止めが見られます。駅には跨線橋もなく、この車止めの向こうが通路になる形で対向ホームへ行くことができます。

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▼名所案内です。

2km以内で行ける箇所が3ヶ所あります。

宇和島城は見てきましたが、愛媛県のこの辺りは大洲城もあり、松山城もありで、城には事欠かず、どこの町に行っても城を見れる気がします。県内には今治城もありますね、残念ながらまだ見たことがないのですが…。他には川之江城も見ました。

足摺岬は一度行ってみたいのですが、交通の便があまりよろしくないイメージでまだ行けてません。宿毛市と、足摺岬のある土佐清水市に行けば、四国の市は全制覇となるのですが、来年には達成したいものです。

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▼闘牛の町・宇和島らしく、次の闘牛大会の日程が表示されていました。

現在では年5回の定期闘牛大会が行われているそうで、小高い丘の上のドーム状の闘牛場で行われるのだとか。直径20メートルほどの土俵上で1tを超す牛の激突が見られるとかで、土佐闘犬はこの目で見ましたが、その何倍もの迫力なのでしょうか?

最も盛んだったのは大正末期から昭和初期というので1920年代でしょうか。

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▼これも駅にあった牛鬼像。

闘牛で知られる宇和島には「牛鬼まつり」なるものがあります。

牛鬼(うしおに)は、鬼のような顔に長い首と牛のような胴体をもったもので、その起源は江戸末期まで遡るといわれ、更にその話のルーツは秀吉の朝鮮出兵にまで遡るといわれます。今では市民の祭りとして、この牛鬼のパレードが行われているといいます。

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▼駅にあった保育園児たちによる電車のぬり絵です。

済美高校は甲子園で大変有名になりましたが、こちらは済美保育園の皆さんによるもので、色々個性が出ていていいなと思います。

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▼駅舎内の様子です。

天井の円形部分が、換気扇のようでいい味出た模様になっています。
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▼「携帯電話」とあって、電話ボックスとは驚きました。

それも「お恵ちゃん 電話ボックス」です。

お恵ちゃんとは歌手の松山恵子さんで、この宇和島の出身です。全盛期は1960年前後で紅白には57~63年の7年連続出場の記録があり、89年にも出場しています。惜しくも2006年に亡くなられましたが、人柄が大変よく悪く言う人は一人もいない、というほどの人格者だったそうです。

この写真のは、その彼女のヒット曲の「お別れ公衆電話」を記念した電話ボックスだそうです。
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▼宇和島駅の駅舎です。

バックのホテルは「ホテルクレメント宇和島」です。

駅の上にそのままホテルが乗っかってる面白い格好をしています。駅ビルそのものがホテルというのはたまに見かけますが、こんな風に駅とホテルの建物がまるきり違うデザインで合体してるって、なんか新しい感じがしました。

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▼駅前広場周辺です。

島式のバス乗降場がありますが、屋根周りがオシャレな形で目を惹きました。丸い電燈も印象的です。

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▼駅前道路です。

なかなかに高層の建物が並んでいて、南予の中核都市らしい雰囲気が出ています。

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2011年12月 4日 (日)

JR大府駅 (愛知県大府市)

愛知県大府市のJR大府(おおぶ)です。

大府市は愛知県の西部・知多半島の付け根部分に位置し、人口は85,802人(2011.10.1現在)で、豊田自動織機の工場に象徴されるような工業都市で、名古屋のベッドタウンとして現在も発展を続けています。

個人的には元巨人の槙原投手の出身校というイメージが強いですね。高校の時から球が速い投手としてその名を聞いた覚えがあります。また後に阪神の盗塁球団記録を樹立し惜しまれながら引退した赤星選手も大府高校の出身だそうですね。

-JR大府
【路線】JR東海道本線 (東京-神戸間)
      武豊線(大府-武豊間)

【開業】1887年9月10日
【訪問】2006年11月
【1日あたり平均乗車人員】 12,831人/日(2008年)
 【近隣の都市駅(東京方面)刈谷駅→2駅
       (神戸方面)金山駅→6駅、名古屋駅→8駅
          (武豊線)半田駅→7駅

▼個人的にはここへの訪問は比較的古く(というほどでもありませんが…)2006年11月、今から5年前で、掲載の写真もその当時のものです。

この翌年に東海道線の全駅訪問を敢行したのですが、それ以前にひと足早くの訪問になりました。確か名古屋方面に出張に行ってて、仕事終わりに寄ったように記憶してます。あまり写真も撮ってなくて、掲載するネタに困るような有様ですが…というわけで、駅の内部を撮ってる写真が全くなく、最初の写真は駅外の歩道橋。広大なホーム線路の上を横切る長い歩道橋で、大府駅といえば私はこれをまず連想します。

東海道本線に属し、また武豊線という盲腸線の始発駅でもあり、半田・武豊へはこちらを利用することになります。また、半田や武豊は名鉄にも駅がありますが、大府はJRのみで、市内でもJR2駅のみ(当駅と共和駅)です。

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▼大府駅の駅舎です。

幾何学的なモニュメントが印象的です。市章かなと思ってみてみましたが、違うようです。

ロータリー内部の植え込みが真ん丸で念入りに手入れされていることが窺い知れます。

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▼ロータリーの向かって左側に写ってのカットです。

上の写真ではあまり見えませんでしたが、タクシーが数台停まっているのが見えました。

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▼駅から伸びる駅前道路です。

そこそこ高層の建物が続くという感じで、高層ビルが立ち並んでビックリするような都市景観ではありませんでした。

この町はこれ以上行ってなくて、大府市自体も共和駅もさほど寄っていません。当時はとにかく駅を訪ねることに注力していたので、駅前通りぐらい撮れれば、という感じでした。最近は極力そうじゃなしにこの市といえばコレ!というものを見つけて帰るようにしていますが、大府市のそういったものを見つけにまた行きたいものです。といいつつ、愛知県はもう全市寄ってしまったので、当分仕事以外では行かない気がするのが少々辛いところです…

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JR中津駅 (大分県中津市)

大分県中津市のJR中津(なかつ)です。

中津市は大分県の北西部に位置し、人口は84,457人(2011.10.1現在)で、すっかり一万円札の代名詞として定着した福沢諭吉の出身地として大変有名な町で、福岡県側から入ると大分県の玄関口にあたり、また大分県では大分市、別府市に次ぐ人口第三の都市でもあります。

-JR中津
【路線】JR日豊本線 (小倉-鹿児島間)
【開業】1897年9月25日
【訪問】1997年4月
【1日あたり平均乗車人員】 3,251人/日(2008年)
 
【近隣の都市駅(小倉方面)宇島駅→3駅
        
  (鹿児島方面)宇佐駅→7駅

▼大阪市にも阪急に同名の中津駅が存在します。

1997年4月、今から14年前に九州一周旅行をした時に立ち寄った駅のひとつなのですが、正直ここに寄ったことを覚えていません…、、あとで現像した写真を見てここに降り立ったことに気がつきました。駅プロフを書いてて気づきましたが、この時がちょうど開業100周年だったんですね。

実は大分県で初めて足を踏み入れた地で、そういう意識ははいつもはかなり深い方なんですが、ここに寄った記憶が何故か希薄で…、、その後寄った別府の記憶のみが大分県では残っているのでした。。

当時「写ルンです」で撮ってたので、今のように何枚も撮れず、中津での写真はこれ一枚きりです。なのでいきなり駅舎の登場です。今の駅舎もWikiで見てみましたが、基本この駅舎で変わってないようですね。看板類がちょこちょこ変わっているようですが、その位置もほとんど変わりがないようです。

何しろ寄ったことをよく覚えていないので、今度はちゃんと意識してここに寄りたいのですが、ここ最近未訪市探訪に注力している為、寄った事のあるここにはなかなか寄れないのが現状ではあります。中津城が見たいなー、とは思うんですが。。

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JR千里丘駅 (大阪府摂津市)

大阪府摂津市のJR千里丘(せんりおか)です。

摂津市は大阪府の真ん中よりやや北部に位置し、人口は84,347人(2011.9.1現在)で、1966年大阪府28番目の市として誕生したのですが、当初は三島市と名付けられるところが既に静岡県に三島市があった為、旧国名からのネーミングとなったようです。

-JR千里丘
【路線】JR東海道本線 (東京-神戸間)
【開業】1938年12月1日
【訪問】初訪問-1993年5月
【1日あたり平均乗車人員】 19,652人/日(2008年)
 
【近隣の都市駅(東京方面)茨木駅→隣駅、高槻駅→3駅
    
      (神戸方面)吹田駅→2駅、新大阪駅→4駅

▼東海道本線の大阪府の駅としては初登場です。新快速では、新大阪-高槻間にあり、快速でも間に茨木に停まるのみで、普通電車のみの停車駅です。

この駅の訪問は個人的には比較的古く、1993年5月初訪問です。まだ日本はおろか近畿すら滋賀県と和歌山県には行った事のない状態でした。就職後初めて学生時代の関係者に会ったのがこの地でした。以後何度か遊びに行かせて頂き、よい思い出のある地です。本記事で紹介する写真は2007年8月訪問時のものとなります。

摂津市では、JR駅は当駅のみで、他に阪急に2駅あり、そのうち摂津市駅は2010年に誕生した新駅です。あと大阪モノレールも通っており、ここに2駅あり、「摂津」と市名を名乗った駅もあります。

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▼ホームは2面4線で、橋上駅舎です。

この沿線はどこ見ても同じような町の風景が続いて、どの辺を走ってるのか特定しづらい、というのが個人的な印象です。

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▼千里丘駅の駅舎です。

初訪問の頃からこの形だった印象があります。

壁面のタイル状の白壁が特徴的で、縁は違う色になっています。なんだか白い部分が「円」の字みたいですね。

ロータリー周辺の待合スペースのテントが軒並み曲線になっているのがオシャレな感じで、景観的にいいなと思いました。

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▼駅からはペデストリアンデッキが設置されていて、このような長い通路となっています。

段違いになっているところもデザイン的に面白くていいなと思いました。

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▼これも通路からのもので、そこからまた階段が下りている部分がありました。

上の写真とは反対側から撮ったものにあたります。
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▼ペデストリアンデッキの続く先、、それは…

 ニッショーストア!

昔から変わらないな、と思ってこの時も見てました。千里丘駅は1993~94年くらいは時々行ってましたが、知り合いが引っ越したこともあり、長らくご無沙汰でこの当時13年ぶりくらいに来ました。どこが変わってどこが変わらないのか分かりませんでしたが、とりあえずここは変わってなかったかな、と…。

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2011年12月 3日 (土)

西武/飯能駅 (埼玉県飯能市)

埼玉県飯能市の西武・飯能(はんのう)です。

飯能市は埼玉県の南部に位置し、人口は83,093人(2011.10.1現在)で、市域の70%が山地で自然に恵まれ「森林と共にあるまち」を謳っています。

-西武・飯能
【路線】西武・池袋線 (池袋-吾野間)
【開業】1915年4月15日
【訪問】2011年2月
【1日あたり平均乗降車人員】 32,932人/日 (2009年)  
【近隣の都市駅】(池袋方面) 入間市駅→3駅 
          (吾野方面) 東飯能駅→隣駅

▼飯能市にはJRには1駅あるだけ(東飯能駅)で、あとはすべて西武の駅で、この飯能駅が市内の中心駅となります。隣の東飯能もJRと西武の両方を持つ市内きってのキー駅といえます。

ちなみに当駅から徒歩で東飯能へ行きました。徒歩10分程度、十分に歩いて行ける距離です。

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▼ホームは3面4線を持っています。

レッドアロー号とは西武鉄道の特急の愛称だそうで、池袋線では「ちちぶ」「むさし」「ドーム」などがあります。

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▼天井はこのように覆われている構造で、東京地下鉄の有楽町線・副都心線はこの駅まで乗り入れています。

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▼飯能駅の駅舎です。

というより駅の建屋が飯能プリンスホテルなんです、というべきでしょうか。

という訳で、こんな高層の駅舎なのです。

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▼駅前広場の様子です。

割に高い建物が続いていて都市的な雰囲気が前面に出ています。

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