福島/二本松 がんばっぺ二本松!
福島県二本松市、JR二本松駅からの歩き旅です。
▼MAP
駅前にあった付近の地図です。
戊辰戦争の激戦地であった二本松は二本松少年隊で知られ、この地図中にも殉死の地が数々点在しています。
また「智恵子抄」でお馴染みの高村智恵子の生家もあります。
▼休憩所
駅から北へ、上の写真の真ん中の二本松駅から上へ少し行った部分(鳥居の手前くらい)にこのような休憩所があります。城下町としての側面も持つ二本松らしく、てっぺんが瓦屋根で、土台は白ではないもののどこか白壁を思わせる雰囲気です。
▼二本松神社 入口
すぐ近くにある二本松神社です。
駅から距離にして100㍍に満たないほどです。
久安年間(1142-51)に当時の領主・安達盛長が熊野大神を勧請したのが始まりとされていますが、二本松藩が建造した現存する数少ない建造物がある神社だそうです。
毎年10月4・5・6日には「二本松提灯祭り」が行われ、金箔塗の太鼓台に300個もの提灯がつけられ、それらが練り歩きという豪華絢爛ぶりは、日本三大提灯祭りのひとつと称されています。
見ての通り、この階段を上った先に拝殿等ある訳ですが、この時は上へ行ってません。
この時、悪天候であり、あまり時間がなかった事もあって、余裕がありませんでした。
▼二本松駅入口バス停
二本松駅から北へ出て約50㍍、最初の信号に差し掛かった角にあるバス停です。
屋根の素晴らしいバス停です。バス停に金かかってるのを見ると、ついすごいなと思って、見つめてしまいます。多分うちの実家の最寄バス停が標識とせいぜいベンチがあるぐらいで、かつて屋根があったのがなくなってしまった、というのを小さい時に見てきたからなのかもしれません。
▼日夏
二本松銘菓・洗心亭と看板が懸かっていますが、日夏というお菓子処です。白壁で和風佇まいの建屋が通りの中で一層目を惹く存在でした。
向こうには二本松羊羹の看板も懸かっていました。
▼二本松城 大手門跡
上の写真で駅前バス停のがあったと思いますが、駅出て北へ50㍍歩いて信号で右折し、100㍍ほど行った所を左折して程なく、二本松市立歴史資料館の向かいにこの石垣と札が立っていました。
札は二本松城跡と大手門跡についての説明があります。
二本松城跡自体はもっと北へ離れた所にありますが、この地点は堀を伴ったこの大手門が築かれたといわれています。1832年に築かれたそうですが、1643年に丹羽長秀の孫・光重が入封し以後丹羽氏の城下町となりますが、初期は藩の財政事情により大手門建造が叶わず、約200年の時を経てようやく悲願の門建造に至った訳です。
しかし、その悲願の門も寿命は大変短く、30数年後に起こった戊辰戦争により焼失してしまいました。坂の下にあったので、坂下門とも呼ばれていたそうです。
▼がんばっぺ二本松
という幟が立ち並んでいる所に出くわしました。
この当時は東日本大震災が起こって5ヶ月くらいたった頃(2011年盆)でした。
ここは福島県であり、1995年の阪神大震災当時のうちの地方の「がんばろう神戸」と実に被ります。当時抱いた思いをこの時また思い出しました。
ちなみに横に書いてある「さすけねぞい!!」ってなんじゃ???と思って調べたら、「差支えない」「問題ない」的な意味だそうです。うちの地方では「べっちょない」(別条ない)がこれにあたりますかねぇ。まぁ「大丈夫!」的なところでしょうか。大問題だと思いますが、問題ない問題いと言い聞かせてるようなところに日本人らしさを感じました。
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