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2013年1月14日 (月)

京都/長岡京 勝竜寺城跡とアヒル

京都府長岡京市、JR長岡京駅からの歩き旅です。

長岡京はかつて、平城京と平安京の間の時期に日本の都でしたが、そんな長岡京の市域にも城跡があったのか、と思って訪ねたのが今回の勝竜寺(しょうりゅうじ)城跡です。(2006年11月当時)

見えてきた

長岡京駅の裏手を線路に沿うように歩いていると、目に飛び込んできます。

隅櫓を角において直角に塀が続き、外周を堀が囲っています。

勝竜寺城は1339年細川頼春が、京をうかがう南朝の牽制のために建てたと言われ、前年に室町幕府が開かれたばかりの京都で、しかも京都では山崎城に次ぐ防衛拠点という重要地点であり、激動の町の、激動の時代の産物といえます。

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隅櫓と土手と堀

上の地点から進み、櫓と堀の様子を。堀の部分は傾斜のついた土手で守り、その上に塀などの建造物という構造になっています。

塀の内側は幟が連なっていて、武士の拠点らしさを演出しています。

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正面の掘

上の写真と直角をなす堀周辺の様子です。

架かっている橋を渡って中へ入っていくことになります。

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堀に浮かぶ

ミニ屋形船…というか、小屋船というかですが、

中になんか入っていました。

しかも動いてたし…

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出てきたのは…

浮かぶ小屋に入っていたのはこのアヒルたち。

これは…獲物を仕留めるシーンに遭遇!だったかな、与えられた餌だったか、記憶が定かではありませんが、なんか喰らいついてます。

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入城

フリーで入れます。

建物は模擬櫓であり、遺構としては神足神社境内の土塁や空堀などが該当し、ここに見えているものは当時の様子を伝えるものではないようです。それでも雰囲気出てるから良しとして。

決して天守閣のある派手な城建物ではないですが、前に門があったりしてそれらしい雰囲気は見せています。

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直角

右が入った所で、門まで直角に曲がっている所に城らしさを感じます。敵が直進できないように、というところで。

ところでこの城は、世間的にはそれ程有名ではないかもしれませんが、歴史にはしっかり名を残しています。

1568年、織田信長が上洛の直前に、家臣に命じて三好三人衆の属城であったこの城を攻撃させて、近畿攻略の足掛かりとしています。

また1571年には細川藤孝が堅固に二重堀の城に改修し、その嫡男・細川忠興とガラシャはここで盛大な結婚式を挙げ新婚時代を過ごしたといわれています。

そして1582年、本能寺の変が起きて明智光秀の属城となり、その後の山崎の戦いで光秀はここに一度帰ったものの、ここを出て坂本城へと落ち延びる途中で殺害され、その後はこの時に猛追した豊臣秀吉が入城したといいます。

そんな数々の歴史に名を刻んだこの城ですが、その後荒廃し、江戸初期僅かに修築されたといいますが、程無く1649年には廃城となったといいます。

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天守をもった城跡もあちこちありますが、こういった櫓だけの城跡も数多く、また町の象徴として存在感を放っています。廃城となった城でも、当時は天守閣など建てられておらず模擬の天守が造られた城でも、町のシンボルとして脚光を浴びるのは良い事だと思います。

史実通りに建っているのもいいですが、旅してこういう素晴らしい建物に出くわすと単純に高まるので、ホントいいなと思います。

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現時点では長岡京の旅行記で載せられるのはこれくらいですが、一度長岡天神をちゃんと行っておきたいと思っています。あと長岡京跡なども。

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