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2013年5月 1日 (水)

JR新山口駅 (山口県山口市)


山口県山口市のJR新山口(しん・やまぐち)です。

山口市は山口県の中部に位置し、人口は195,688人(2012.12.1現在)で、瑠璃光寺や湯田温泉など観光施設も多く持ちますが、行政面に特化した県庁所在地という日本でも珍しい性格の都市でもあります。

ついに、、当ブログで県庁所在地の駅が初登場しました!

このブログではアクセス数以上の都市は記事にしない、という事を当初より貫いてきました。くだらないこだわりですが、それが自分にとってブログを続けるモチベーションの維持であり、励みでもあった訳で、今回累計20万アクセスに手が届くところまで来て、19.5万の県庁所在地、山口市の駅をupできるに至ったのはとても良い節目となりました。

ちなみに山口県では最も人口が多いのは下関市で、県内人口2位の県庁所在地であり、平成の大合併直前はわずか14万程度で4位でした。この時期は中国地方の県庁所在地は鳥取も松江も15万に満たない状態でした、岡山・広島の人口がダントツで。今も大きくは変わりませんが。

-JR新山口駅
【路線】
JR山陽新幹線(新大阪-博多間)
      山陽本線(神戸-門司間)
      山口線(新山口-益田間)
      宇部線(新山口-宇部間)

      

【開業】1900年12月3日
【訪問】初訪問-1997年4月
【1日あたり平均乗車人員】 7,416人/日 (2011年)
【近隣の主要駅(神戸方面)防府駅→3駅 ※新幹線では徳山駅→隣駅
          (門司方面)宇部駅→4駅 ※新幹線では新下関駅→2駅
          (益田方面)湯田温泉駅→6駅、山口駅→7駅
          (宇部方面)宇部新川駅→14駅


駅名標

かつては「小郡駅」の名で親しまれていました。

私が初めて訪ねた1997年当時も小郡駅であり、当時は山口市内ではなく、吉敷郡小郡町という郡部の新幹線駅でした。なので、現・山口市域での初訪問はこの1997年4月になりますが、平成大合併前の旧・山口市域では2000年5月の山口駅訪問の時になります。

当市には山口駅、というれっきとした市名を名乗る中心駅があるのですが、山陽本線から外れているなど交通アクセス的にマイナス印象の要素があってか、利用者数は新山口の2割ほどしかない状態です。

2003年に当駅が新山口を名乗るようになり、のぞみも停まるようになったといい、山口県の新幹線駅でも重要な存在となっています。当時まだ合併前の小郡町の頃で、2005年に新設合併の形で山口市の駅となりました。山陽新幹線のみならず多くの路線に属し、名実ともに山口県の交通の要衝となっています。

この駅名標は、山口駅へ進む山口線の駅名標です。

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電車

山陽本線のだと思いますが、黄色の電車はインパクトあります。

この駅には1997年の初訪問以来、少し間が空きましたが、2006年、2008年、2009年、そして2012年と何かにつけ訪ねています。この記事でお送りする写真は特に断りを入れない限りは2012年の最新訪問分です。

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ホーム

しょっちゅう寄る割に(しょっちゅう寄るから?)あまりホームの様子を詳しく撮ったものがなく、駅舎側のこんな感じのものしかありませんが、在来線のホームです。

壁が素晴らしく、山口県の玄関的存在に相応しいものと感じました。

電車は山口行のものなので、山口線のものですね。
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りほごお

旧駅名「小郡」の名での旧表記「おごほり」の形で、右から読みのレトロ風の駅名標がホームに置いてありました。

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動輪展示

これもホーム上にあったD51の主動輪です。

D51には4つの動輪があり、そのうちの前から3番目のもので、連結棒を介して他の3つの動輪に回転運動を与えているというとても重要な役目を担っていたものです。

直径1400㍉、重量は3.3tもあるそうです。3.3tと書くものの、その重さたるや凄まじいものがありますね、鉄の塊や多くの人を支える訳で、相応の重さが必要な訳ですね。

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室務事長駅

ホームの駅舎側ですが、

駅長事務室 です。

これもレトロ調で右読みとなっていて、「駅」の字も旧字表記してありました。

モダン建築風で、お隣福岡県の門司港駅の構内を思わせる部分もありますが、ナント自動販売機まで保護色の如くレンガ風のボディーになっていてビックリでした。

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大きな徳利

駅前にあるモニュメントです。個人的に新山口(小郡)といえば、この徳利をまず連想します。

「おごおり 種田山頭火 其中庵」と書かれています。

其中庵(ごちゅうあん)というのは、漂泊の俳人・種田山頭火が昭和7年~13年まで結んでいた庵で、昭和15年に亡くなっているのでここ小郡は晩年を過ごした地になります。平成になってから庵は再建されています。

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新山口駅 駅舎(在来線口)

在来線側の駅舎です。

何回も来た事がありますが、写真として撮っているのはいつもこちら側ばっかりでした。去年GW立ち寄った時に初めて新幹線側も撮りましたが…。

さっきの徳利もこういう形で位置しています。

徳利の真下は山口市の案内図があります。

とても数年前まで郡部だった所の駅とは思えない規模の大きさで、さすがは新幹線の通ってる駅、という雰囲気ですが、去年の夏から解体工事が始まったそうです。この訪ねた時が去年のGWで、全然気づきませんでした。

そんな話を知ってしまうと、また行きたくなってしまうというものです。ここはいつでも気軽に行けるとこなんですが…。

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在来線駅舎アップで

上の写真から寄って行ったカットです。

さすがは新幹線駅、でもこちらは在来側なんですね。新幹線側とは通路がつながりますが、やや距離があります。

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在来線駅舎アップで・2

こちらは初めてここを訪ねた1997年春当時の、上の写真に近い位置からのカットです。

「小郡駅」がそのまま「新山口駅」に置き換わっている格好です。

この時は西京高校が選抜に出ていたんですね、横断幕が見えます。

この時が初出場だったそうですが、秋季大会で中国地区で優勝し、甲子園でも2勝してベスト8まで残る活躍を見せていました。その後、同じ年に夏の甲子園にも出場しましたが、現時点では以後の出場がなく、この97年春夏1回ずつのみの甲子園出場となっています。

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連絡道路

在来線側と新幹線側を結ぶ道路の入口部分です。

この駅は両社それぞれに多少の距離があるので、こういう連絡橋の存在は大事です。

この度の駅舎改築はこの辺りの連結を良くするという意味合いもあるのでしょうか。

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新幹線側

在来線側から橋を渡って出てきました。

こちらには種田山頭火の像が立っていました。

バックには駅前広場が見えています。ちなみにこの時は、こちら側からバスに乗って萩に行ってきました。片道1900円くらいだったでしょうか。

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新山口駅 駅舎(新幹線口)

新幹線側の駅舎です。

何度も来た割に新幹線側の写真を撮ったのが去年の訪問で初めてでした。

泊まりに使っていたホテルが大抵在来側だったというのも大きかったと思います。

在来側の駅舎でもなかなかの規模を誇っていたのに、さすがは新幹線側、より豪華ないでたちとなっています。「新」の冠はつきますが、山口市、ひいては山口県を代表する駅である事は間違いありません。山陽線から外れていますが、市名を名乗る山口駅もあります。ここに来た時は、周りの建物があまりに低いことに驚きましたが…、新山口の方が今後の発展の伸びしろがあるというものでしょうか。

さすが県庁所在地の駅、という規模ですが、この後も人口の少ない県庁所在地の駅については、近いうちに掲載予定です。

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