大分/豊後大野 三重町の懐かしげな風景
大分県豊後大野市、JR三重町駅からの歩き旅です。
(2013年1月当時)
▼駅前マップ
JR三重町駅を現在地とするマップです。
駅前通りは両サイドに青丸がついていて、なにがしかの店が必ずあるという状態、さすがは駅前通りといったところでしょうか。
▼商店街
駅前商店街のスタート地点ともいうべき初っ端の部分ですが、なんといってもこの「大五郎」の名には惹かれました。豊後大野=大五郎が自分の中で形成されてしばらく離れませんでした。
▼つづく商店街
駅前通りを少し進んだ所、やはり商店街の街並みが続きます。
2F建てまでの建屋が続く通りで、これ以上高い建屋は見えませんでした。郡部の延長上で市になった町、というのが如実に表れてる感じですね。
▼三重町駅前バス停
と、そのバス停の待合室です。
「三重町駅」バス停ではなく、駅「前」バス停という事で、駅から少し距離があります。
そのバス停にこんな屋内型の待合室があるとは!バス停に待合室があるって、鉄道駅に待合室がある事よりも貴重に思え、グレードが高い気さえもします。ここは室内型といってもドアとかある訳じゃないですが、それでも前面以外の3面に壁と屋根があるというのは、バス停としては素晴らしい部類だと勝手に思っています。
▼三重郵便局
といっても、三重県の郵便局ではありません。
旧・大野郡三重町の中心郵便局が、当時の町名をとった「三重」郵便局な訳です。
▼アップダウンの路地
石垣風の建屋が立ち並び、道路は上り坂と思いきや下り坂になっていく、そんな通りでした。
▼三重町市場発祥の地
としてお札が立っていました。
この正龍寺(しょうりゅうじ)の古文書に「永正4年三重郷市庭」という記述があり、永正4年は1507年なので、500年前には市場が開かれていたという事です。現在もその名残か市場という地名が当地に残っています。
歴史でいうと、室町時代後期で細川氏が隆盛を極めていたという頃で、この1507年には細川政元が暗殺され、この事件は「永正の錯乱」と呼ばれています。
▼正龍寺
という訳で、上の写真の古文書があるお寺、正龍寺です。
浄土真宗本願寺派に属するお寺で、三重町の駅からは約300mほどの所にあります。
白壁にグレーの渋い色合いの屋根が多く、印象的な光景でした。
▼旧・長田医院
1927(昭和2)年に長田松三郎氏によって建設された豊後大野初の洋風病院建築だそうで国登録有形文化財です。当時としては画期的なモダン建屋という事で見物人が絶えなかった、書いてありました。今は病院ではなく、居酒屋その名も「れと絽」として活用されています。
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