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2016年2月12日 (金)

鹿児島/日置 伊集院の街を眺め行く

鹿児島県日置市、JR伊集院駅からの歩き旅です。

(2012年8月当時)

●駅前通り

伊集院駅には、片側(南側)のみ出口がありますが、その駅前広場からまっすぐに伸びた通りです。

市街地の両サイドといった感じで、特別に駅前感がある訳ではないと感じましたが、中層のビルがいくつか並ぶ形で、駅前通りが形成されています。

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●駅前の街灯

上の写真の通りを少しだけ進んだものですが、独特の灯籠風の街灯がついていました。

伊集院の駅前に堂々と建っていた島津義弘公ゆかりの地という事で、歴史ある街である事の表れでしょうか。

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●徳重橋

更に進んで、伊集院の駅からだと100m程直進した地点でしょうか、「徳重橋」なる橋に差し掛かります。

端にのでっかい石造りの燈籠の置かれた、なかなかの橋でした。

これを渡り終えると南日本銀行があり、また小学校や図書館などの主要施設も更に進めばあります。逆に日置市役所などの施設は、駅から見てこちらと反対側(北側)になります。

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●三文字

と書かれたバス停です。

伊集院駅から徳重橋を渡り切った地点にあります。

鹿児島交通のバス停としては「三文字」、日置市のコミュニティバスとしては「伊集院三文字」の名前で同じ場所に標識が建っています。また、この辺りは「〇〇三文字」なる停留所名のバス停がちょこちょこあるようです。それだけ聞くとちょっと怪しいですね、色々といわれがあると思いますが。

向こうには「銀天街」なる看板が見えていますが、駅前の商店街の名称のようで、駅前の通りの始点からになるのか詳細は不明でしたが…

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●ザビエル歴史街道

上の写真の「三文字」バス停の道を進み、差し掛かった交差点を右折して程ない地点です。伊集院駅からでは200mほどになるでしょうか。「ザビエル歴史街道」なる標識が出てきますが、かなり街らしい景色になってきました。

向こうには「一宇治城跡」の城山公園があります。

一宇治(いちうじ)城は、元々この地名にあたる伊集院氏が築城したとされ、強大な権力を誇っていたものの、15世紀半ばには島津氏に取って代わられ、島津氏はこの地を拠点に家中統一を果たし、当時の当主・島津貴久はフランシスコ・ザビエルと対面し、ここで日本初のキリスト教布教の許可が下りたといわれています。

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●ある肖像画

街を歩いていて目に止まったものです。

ここ日置市出身の長渕剛肖像画、バックには桜島と思われる山が。全国各市を訪ねていて、「その市らしい」何かを得られれば、といつも思っていましたが、こんな形でその市ならではのものに出くわせるとは!

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●きばれ商店街?

別に「きばれ商店街」というものがある訳ではないようです。きばれ!商店街、なのでしょうか(笑)

「笑」品券とされていますが、市内の特定のお店で使用できる商品券に関する幟であったと思われ、今は有効ではないかもしれません。こういうのも時代を切り取るカットとして基調になっていくのかも、と思います。

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●妙円寺詣り

のポスターがありました。

妙円寺とは、この地に縁のある(伊集院駅前の像にもあった)島津義弘公の菩提寺として知られ、そしてこの「妙円寺詣り」は鹿児島三大行事のひとつ、といわれるほどの伝統行事です。

ここ日置市内と鹿児島市内とに跨る形で、約20kmの道のりを歩いて参拝するというもので、毎年10月第4日曜日を軸にして開催され、甲冑をまとった武者たちの行列も見られるとか。「薩摩の歴史、ここに現る」というほど、薩摩の歴史が凝縮されたものでしょうか。

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●日置市商工会館

石とコンクリートでゴツゴツ感丸出しの渋い建物でした。

バックの青空が実によく映えていました。この時の鹿児島の未訪市を巡る旅では、空や雲に大変恵まれていて、これらが違うだけでこんなに写真うつりが違うのか!という事を強く感じさせられました。

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●図書館・武道館前

のバス停ですが、この通学小学生?と思われる銅像に衝撃を覚えました!この時代にこんなものがあるのか!!という感じで。

この辺りで伊集院駅から400mほどになるでしょうか。武道館は「日置市伊集院武道館」という名称で、市内の他地区にも旧町名称の武道館が存在します。

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●有馬新七の墓

通りから少し外れて小高い丘を上っていった所にありました。

有馬新七(1825-62)とは幕末の薩摩藩士で、寺田屋事件で死亡した志士でもあります。元は坂木四郎兵衛という人物の子として、ここ伊集院に生まれ、後に有馬家の養子に入ったとされます。

山崎闇斎派の儒学者に師事し、文武両道の俊傑の誉れ高い人物ともされており、尊皇攘夷の過激な行動を続けながらも、郷土の英雄として讃えられている人物のひとりなのでしょうか。

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●南方(諏訪)神社

「みなかた」ではなく、 「みなみかた」神社と読みます。

室町時代の後期に中島少輔という人物が神体を奉守し、以前、諏訪の地頭で諏訪神社を崇敬していた、島津の藩主を慕って薩摩に下ったとあります。

当時の領主は島津忠国という人物で、一宇治城の向かい側にあたるこの地に諏訪神社を建立し、その約100年後島津貴久の時には貴久が一宇治城を拠点とし、中島氏に次いで小田原氏が宮司を務めた、とあります。

鹿児島には、諏訪神社から南方神社へ改称させられた例が多いそうで、ここもその一つのようです。

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●伊集院の街並み

をそれなりに見下ろせる、この南方神社一帯。一宇治城の現役時はどんな街並みがここに見えたのでしょうか?そういうのにな思いを馳せて想像できる人、というのが羨ましいものです。そういうのが想像できずに歴史の深さを味わえずにいるのかな、と感じる事が多々あるもので。

それでも歴史あるここ日置市伊集院です。

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