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2016年7月の12件の記事

2016年7月31日 (日)

広島/熊野 とにもかくにも筆の街

広島県安芸郡熊野町、広島県の南西部に位置し人口は25,620人(2016.6.1現在)で、広島市に接していて、そのベッドタウン的な役割を果たし、広島県の町では府中町、海田町に次ぐ3位の人口です。いずれも広島市のベッドタウンです。府中町はここ30年くらい人口50,000の水準にありますが、市制化の話を聞かず、やはり県内に府中市が既に存在するからなのか、と思わされてしまいます。

熊野町は『筆』の生産量が全国一であり、熊野筆として化粧筆などで有名な町でもあります。タレントとしてピンで有名になった有吉弘行さんも実家がこの町の筆屋だといいます。猿岩石両名ともこの町の出身という事で、猿岩石を生んだ町ともいえます。

●広電バス熊野営業所

※この町の訪問は今から5年前の2011年4月で、写真もすべてその当時の様子です

熊野町には鉄道駅がなく、バスにてアクセスしました。熊野町の交通の中心地ともいえるところで、左は待合スペースで右にはバスがズラリと並んでいるのが見て取れます。

広島市のJR矢野駅から20分くらいでしょうか。団地街などを抜けてきてやってきました。

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●道向かい

熊野営業所と大きな道路(県道34号)を挟んで向かいの様子です。

先にも書きましたがこれが5年前の様子、という事で、ここに「Fデポ」というお店が写っていますが、ナントこの年の8月には閉店してしまったようで、今はドラッグストアの「ウォンツ」という店になっているそうです。ちょっと行かないとすぐこんな風に目まぐるしく変わってしまうのですね。

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●街歩き始め

バスの営業所から東へと、この主要道を進んで行きましたが、いきなり筆の標識が!

左の丘の上に見えているのは筆の工房なのですが、こういったものがこの通りだけでも多数あります。

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●熊野町マンホール

徹底して「筆」でした。

全面的にいくつもの筆が外へ向かって張り出しているような、とにかく筆筆筆でした。

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●広銀と標識

歩いて行ってしばらくすると、広島銀行に差し掛かりました。

その横には「筆の里工房」や「筆の街交流館」など、ここでもやはり筆でした。いずれも1kmほど進めば行き着きます。

右向こうにマツヤデンキが写っていますが、この当時でも既に閉店になってから何年も経っていたそうです。でありながら看板が残っているとは…。

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●選挙ポスター

これは平成23年当時のものですが、訪ねた時がたまたまこの選挙戦をやっていた時で、演説カーも結構な頻度で行き来していました。

こんな記録を写真で残しておくのも、後から振り返ってみれば結構貴重なものだと思えます。

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●出来庭

熊野町出来庭という地名です。

ここに出来庭二丁目とありますが、2007年ごろに住居表示が変わってこのようになったようで、以前は単に「出来庭」という字名の後にそのまま番地がついていたようです。

この地名表示の下にもちゃっかり筆の絵がついている徹底ぶりです(笑)

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●一休園

筆関係の建物の多い中で象徴的ともいえるエリアで、左側の筆の立っているのが「一休園筆センター」というもので、ここでは筆工房の見学も実施されています。基本的に土日祝の9:00~17:00という事で、詳細はコチラ

右側に見えているのは、「全日本書作家練成道場」という厳かな?名前の施設ですが、芸術としての「書」に励む方々を対象にした道場で、やはり筆の町ならではの施設課と思いました。

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●JA

安芸郡農業協同組合…とありますが、右横にJAの看板が掛かっています。

全くJAらしからぬ建物で、またここまでもが「筆」が掛かっており、どこまでも筆の徹底ぶりをまたまた感じたのでした。

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●城本勝司氏 頌徳碑

最期になりますが。昭和54年につくられたという、熊野町発展に尽力した故・城本勝司氏の頌徳碑です。

昭和22年に26歳で熊野町議会議員に選出されてから熊野町長、広島県議会議員も務め、また全国書道用品生産連盟の会長も務めて書の普及にも尽力されたとして、政治・文化共に貢献した人物という事です。

ちなみにこの碑の書の主は、当時の内閣総理大臣・大平正芳氏の手によるものだそうです。

筆の町らしく、やはり筆に関しての功労者の碑がある訳ですね。

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2016年7月30日 (土)

近鉄/奈良駅 (奈良県奈良市)

奈良県奈良市の近鉄/奈良(なら)です。

奈良市では先日、JR奈良駅の記事を載せたばかりですが、今回は近鉄の同名駅の記事となります

-近鉄/奈良駅
【路線】近鉄奈良線(布施-近鉄奈良間)
【開業】1914年4月30
【訪問】2008年1
【1日あたり平均乗降車人員】 54,727人/日 (2015年)
【近隣の主要駅(布施方面)大和西大寺→2駅、生駒駅→7駅

●ホーム

JR奈良駅とは約1kmもの距離がある全くの「別もの」です。JR奈良駅に遅れること24年の1914年に開業し、一昨年に開業100周年を迎えています。

東大阪市の布施駅から奈良線として、当駅まで路線が構成されており、所属路線としてはこの奈良線のみとなります。ですが、京都への特急列車も乗り入れてきており、路線には属していないものの、京都へ直通しています。また奈良線では、路線上は布施までですが、これを越えて難波や、更には近鉄の枠組みを越えて神戸まで通っている便もあります。

また奈良県では唯一の地下駅だそうです。いわれてみれば奈良県は地下駅なんてないかなと…。こういう県を代表する駅が地下駅という点も珍しいかなというところです。

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●ホーム2

4面4線という珍しい構造ですが、終着駅であるが故です。

付近の近鉄駅では2駅隣の大和西大寺駅で交差をしていますが、ここから2駅分(新大宮駅と当駅)飛び出している格好の終着駅となっています。

ホームを見て印象的なのは、何といってもこの緑の太い、丸い柱ですね。

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●ようこそ奈良大和路

駅を出るところで、天井から吊り下がった大きな歓迎看板がありました。これは今からもう8年前の2008年1月の様子ですが、まだこの看板があるのかどうか…。JRの旧奈良駅舎がこんな感じの建屋ですが、今も残されているんですよね。

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●近鉄奈良駅 駅舎

地下駅ではあるものの、高層建築の駅舎です。

一番下の写真の手前に立っているのは行基さんの像です。山梨県甲府市の甲府駅のような、待ち合わせ場所として有名な地のひとつといいます。

JR奈良駅の記事でも触れましたが、JRの奈良駅より利用者数の多い、奈良駅随一の街の駅で、まさに奈良の中心です。

JR奈良駅とは徒歩で15分、バスであれば3,4分で着くそうです。しかし両者に連絡がないのはちょっと寂しいですね。たまに行く時はJR奈良で降りて、この近鉄奈良まで商店街を通って歩いて行ったりしていましたが。

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2016年7月26日 (火)

中国/大連⑤ 大連労働公園のひととき

中国/大連市、 ④金石灘の偽ドラえもんだらけ!」に続く、大連の旅記事第5弾です。

だいぶ間隔が開いてしまいましたが…大連旅行記でまだまだ載せきれていなかったので、久々のupです。気がつけば、実際の旅行から間もなく1年が経とうとしています。

●正門

労働公園の門です。

実は最初からここへ行くつもりはなかったのですが、迷ううちにだいぶ歩いてしまってて、結果的にこれを越えた距離を歩いてきてしまっていたので、じゃあ戻る時はここを通って戻る事にしようとなりました。折角なので寄って行こう、という事で寄った次第です。

中途半端に門が開いていて、有料なのかどうかも全く分からず…、とりあえず入っていく人がいれば、それに合わせて動けばよいかと思い、合わせたところ、全くの無料でフリーで入れましたsmile

海外で言葉も分からずに、入って行けるか否かは現地人の動きに合わせる、これ鉄則ですね。あと中国は道路の横切りも現地人に合わせれば大体大丈夫かと。

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●入口

無難に入れた後の入口はこんな感じです。

意外にも盆栽チックというか、日本的で驚きました。中国もこういう文化あるのかな、と思ったり。

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●これぞ中国文化!

この時初めての中国旅行で、中国に来たな…という実感は、機械が停まっていても放置れていたりとか、そういうインフラ面で感じた事はあったものの、文化として触れる事はあまりなかったのですが、この多くの人々が一斉に踊る体操を見てつくづく「中国だな…」という実感がわいたのでした。

一緒に輪の中に入っていってもなんの違和感もなく、快く迎えて下さると思います。この時は入りませんでしだか、別の地でもこれとおんなじような事をやってて、その時は輪の中に入ってみました。

これ、ゆるゆると踊っているように見えますが、実際入って踊ってみると、(曲によりますが)結構しんどいものがありました。ここでのものは盆踊りのように輪になって進んでいくだけのものだったので、そうでもないですが、プチディスコみたいな踊る集団の中だとそれはもうしんどかったです。

いずれにしても中国らしい文化を感じるし、平和だなという事も併せて感じさせられました。中国って色々言われますが、中国の楽しみ方のひとつは、こういう点にあると思います。

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●公園MAP

大連では最も広い公園で、その面積は約100万㎡、正方形にすると1km四方という事になりますが、その中に池や庭園、バラなどの植物園、テニスコートに小動物園、遊園地まで有する実に多機能な公園でもあります。

大連駅からは約1km、方向さえ間違わなければじゅうぶん歩いて行けます。

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●池と蓮

池があって周辺はベンチで囲まれています。

ここまで相当な距離を歩いてきたので、とにかくどっかで座りたかった…と思った時にここのベンチの存在は助かりました。

そしてこの池は蓮で埋め尽くされた部分がありました。蓮っ葉のみならず、立派に見事に咲き誇っている蓮が見られて、感激でした。中国でもきれいな蓮が見れた、という妙な感動をしてしまいました。

大連は中国の中でも特殊ともいえる街で、ロシア風建築の建物が多数見られたりなど、近代的な歴史遺産は多いものの、いわゆる中国四千年を感じさせるようなものが目立たず、こういう佇まいのもの(場所)はあるのかな?と思っていたのですが、今回の大連旅でその事を最も感じられたのがこの労働公園だったように思います。

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●水に浮くもの

水に浮いている大きな球体。この中に小さい子どもが入って遊び回るという大きなおもちゃです。実際に子供が中に入って遊んでいたのを見ましたが本当に楽しそうでした。ハムスターが滑車で遊んでいる姿を思い浮かべました。

前の受付らしき所には「20元/人」とあり、1人あたり20元、つまり300円余りするという事ですね。

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●ロケットとコースター

がいきなり現われますが、この公園はこういった遊園地スペースもある訳です。

メリーゴーランドもありました。こういうスペースへはかつては有料であったものが無料で入れるようになったといいます。エリアには立ち入りできて、各乗り物を利用時にお金を払うシステムでしょうか。

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●遊園地ゲート

夜間は有料という事でしょうか?3元とか4元とか表示がありました。簡体字ホント読めなくてスミマセン…というところですが。

ちなみに公園内のトイレも有料だそうで、この時はどこにあるかも意識していませんでしたが、後から他のサイトで調べると有料とありました。

海外へ行くと、公衆トイレが有料かどうか?というのはとても気になるところで、まして暑い季節に行く事が多いので(調子を崩しがちで)尚更です。タイに行く前はホントによく調べました。どこにトイレがあるのか等含めて。

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●テレビ塔

と手間はサッカーボールのオブジェです。と思っていましたが、中は芸術館なのだそうです。

大連は中国では最もサッカーが盛んな町だといいます。そういえば地下鉄沿線でも、こんなような大きなサッカーボール状のオブジェを道の真ん中で見たように思います。友好広場だったかで。

テレビ塔は夜のライトアップが大変きれいなのだとか。夜はあんまり出歩かないようにしているので見るはずもありませんでしたが。

この2つも、この労働公園で見られる大きな名物です。

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●紫薇園

紫薇とは中国でサルスベリ(百日紅)を意味するそうで、この石碑の奥の植物園的エリアでは、このようなピンクとも紫ともいえる色の花が多数咲き誇っていました。

とまあ、ひとくちに労働公園といっても実に多数の顔を持つこの大連労働公園。

大連に来たからには中山広場近代家建築群や金石灘などと共に外したくない一ヶ所、と言えると思います。

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2016年7月24日 (日)

JR奈良駅 (奈良県奈良市)

奈良県奈良市のJR奈良(なら)です。

奈良市は奈良県の北部に位置し、人口は359,415人(2016.6.1現在)で、奈良県の県庁所在地であり、かつては平城京が置かれた日本の都でもあった地のため、歴史遺産には事欠かない、京都と並ぶ歴史の宝庫ともいえる街です。東大寺の大仏などあまりに有名ですね。

-JR奈良駅
【路線】JR関西本線(名古屋-難波間)
     桜井線(奈良-高田間)

【開業】1890年12月27
【訪問】初訪問-1996年11
【1日あたり平均乗車人員】 17,486人/日 (2014年)
【近隣の主要駅(名古屋方面)木津駅→2駅
           (難波方面)郡山駅→隣駅

           (高田方面)天理駅→4駅 
           (京都方面)城陽駅→8駅

●ホーム

ホーム上ではほぼこのカットしか撮っていません(都市駅になればなるほど人が多く撮りづらくなるので)が、この記事では2007年6月当時の姿にてお送りいたします。もう9年も前の姿であり、そこかしこ今とは違う姿になっているかもしれませんが。

JRでは関西本線と桜井線に属しますが、京都とを結ぶ「奈良線」の列車も乗り入れてきます。奈良県のJR駅ではこういうカラーの電車をよく見るな、という印象が個人的には強いです。

近鉄にも「近鉄奈良駅」が存在していますが、両者の距離は1km近くもあり、全くの「別物」です。また、利用者数的に近鉄の奈良駅の方がこちらの倍はあり、近鉄駅の方が実質的な市の中心駅の位置づけをされています。

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●支え続けたもの…

1934年にできた2代目駅舎にて約70年間、奈良駅を支え続けたという松杭が保存されていました。現在は3代目駅舎ですが、2代目駅舎もその隣にしっかりと残されています。

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●並びに並ぶタクシー

観光都市としては屈指の街なので、タクシーは欠かせない足として重宝されているが故か、このタクシーの量でした。

奈良市は地下鉄もなく、JR以外の私鉄(近鉄)の同名駅とも離れており、また市電もなく、という事で、観光資源に富みながらも交通機関が発達しているとは思い難く(新幹線も停まらずで)、他の都市にも増してタクシーが貴重なのかと感じさせられました。

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●駅前風景

このスーパーホテルが個人的に最も印象に残る建物です。何度かここに泊まろうと思いましだか、当日泊では大抵予約などできない状況でした。京都奈良では当日泊は本当に難しいものです。

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●JR奈良駅 駅舎

下に2枚張りますが、上側の白い建物が現在の駅舎で、下の豪華建築物が先代の2代目駅舎です。駅高架化により取り壊される予定であったそうですが、歴史的価値が高く、撤去反対の声も強かったようで、そのまま残される事となりました。

先代が素晴らしすぎて、随分と地味な駅舎になってしまった感しかないですが、先代の駅舎もしっかりと保存されています。初めてここを訪ねた時は先代駅舎だったので、正直えらく拍子抜けした覚えがあります。

この写真の新駅舎はまだ仮駅舎的なもので、その後2010年に3階建ての高架駅舎が完成し正式に供用されています。したがってこの写真は、その過渡期の非常にレアは写真という事になるでしょうか?!そうなるとまた今の完成形の姿を見に行きたくなるというものです。

旧駅舎の素晴らしい建物は今も残って、往時を伝えています。こうして共存しているのもいいものですね。

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2016年7月23日 (土)

三重/志摩 鵜方駅前歩き旅

三重県志摩市、近鉄/鵜方駅からの歩き旅です。

(2012年12月当時)

●鵜方駅から

歩いた様子です。

道中通して空がきれいだったので、総じて良い風景に写っています。

そして右側に川の流れるこの通りを向こうへと歩いて行きました。

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●川の幕

島の産直品の朝市・フリーマーケットという形で、「日曜朝市」がある、という事ですね。日曜朝市が名物になっているまちはいくつかありますが、こういう所でも何気に行なわれている、という事を知りました。

伊勢地方なので、赤福の看板もバックに出ていました。

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●リバーサイド

川沿いをずっと歩いて行きます。

蒼い空に、コンクリート色丸出しの建物、よく映える風景だなと改めて感じます。

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●鳥たち

川沿いに進んで行くと、鳥たちがこうして群れている姿が見えました。

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●志摩庁舎へ

鵜方駅から東へ300mほど進んだところの橋です。

右側に見えているのが三重県の志摩庁舎で、下側の写真は橋を渡り切った後の庁舎の建物です。

三重県の庁舎は大きくは、北勢、中勢、南勢、伊賀、東紀州と分かれ、当地は南勢(=なんせい。つまり南伊勢。志摩も含む)地方の中にある2つの庁舎のうちのひとつで、ここともう一ヶ所は伊勢市の伊勢庁舎という構成になっています。実際にこの南勢地方で市は伊勢市とこの志摩市のみです。

志摩市が発足した頃はここは志摩市役所の本庁舎として2008年まで利用されていたといい、現在の志摩市役所は、標識が覗いて見えますが、この庁舎の向かいにあります。

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●志摩市役所

三重県の志摩庁舎とは道向かいに建っているのが、この志摩市役所です。

概ねカクカクッとした窓も整然とした建屋ではありますが、真ん中てっぺんの曲線を帯びた出っ張りがなんとも印象的でした。

正面玄関の扉の真ん前の柱の部分にバス停標識がありました。本当に建物の真ん前までバスが乗り入れてくるんですね。

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●スナック街

「街」というほど広いエリアでなく、ヘタするとこの建屋だけかも、というぐらいですが、この何十年も変わっていなさそうな雰囲気がなんともいえないですね。同じ建物にいろんな看板がついていますが、各店どこから入るのか?妙に気になります。袖の階段はどの店に通じているものなのか、なども含めて(笑)

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●各標識

こちらは逆に鵜方駅から西へ300m足らず歩いた地点です。

ここにはこんな標識が出ていました。

大王崎というのは市内にある岬で、その突堤には灯台が立っていて、日本の灯台50選にもえらばれているといいます。

志摩市といえば賢島、英虞湾等海に関するものが多く、ここにも出てくるのは「崎」が多いですが、これもまた海沿いのもので、ここからだと結構距離はあるものの、海辺の風景に恵まれているのはここの強みです。

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●阿児郵便局

このエリアは志摩市の中でも、平成の大合併前は阿児(あご)町という人口約2万3千人の町に属していて、当時の町名を名乗ったものが残っています。名前はナント英虞湾からきているといいます。よく社会の授業なんかでアゴ湾アゴ湾と言ってたのを思い出します。

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●水戸黄門?

店先には「ビデオ」水戸黄門とありますが、レンタルビデオ店です。この名前だけ惹かれて中身を詳しく見ていませんでしたが…。しかしこのマークとか問題ないんでしょうか、許可得てるのか、色々ツッコみたくなります。

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●鵜方公民館

最後になりますが、青々とした空に実に映える真白な建物の公民館です。

ゴツゴツしたつくりがまた、青い空から浮き上がって出てきているように見えて更に素敵に見えました。

志摩市では、この鵜方、磯部、賢島と行きましたが、それぞれの土地にそれぞれの味がある、その事がよく分かる、それぞれの旅でした。

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2016年7月16日 (土)

大非常線 「高山刑事死す!」

今回は昔の刑事ドラマの記事を!

ものすごくレアな刑事ドラマですが、「大非常線」という、杉良太郎主演の「大捜査線」てもなければ、織田裕二の踊るそれでもありません。

大非常線とは、今からちょうど40年前の1976年1月~3月に、当時アクションスターの第一人者で多数の映画ドラマで大活躍をしていた千葉真一主演にて、わずか10回で終わってしました刑事ドラマです。

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当時「千葉アクションドラマ」として、1974年の「ザ・ボディガード」を皮切りに「ザ・ゴリラ7」という探偵風のアクションドラマが続き、刑事ドラマに転じて「燃える捜査網」 (これも某人気ドラマと紛らわしいタイトルですが…)が放送され、これが唐突に何の前触れもない最終回を迎えたのちに、この「大非常線」がスタートしました。本来は「燃える捜査網」が半年のところを視聴率が振るわず打ち切られ、「大非情線」と合わせて半年になったのかな、という感じでした。

この「大非常線」は、それまでの千葉ドラマと違って?事件に至る背景や犯人の心情描写もかなり盛り込まれていて、また意外にもハッピーエンド的なラストが多くて、「太陽にほえろ!」的な要素がかなりあって、千葉ドラマとしてはかなり異色なテイストを感じました。(それが逆に好きでしたが…)

レギュラーキャストはこんな感じです。

五代刑事 …千葉真一 

「チーフ」と呼ばれる捜査主任的役どころでアクションも率先

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井手刑事 …川地民夫

五代とほぼ同年代で、サブリーダー的存在、切れ者の雰囲気

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高山刑事 …谷隼人

若手刑事のリーダー格で熱血漢。最終回で壮絶に殉職。

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新川刑事 …大門正明

若手刑事。高山と対照的な朴訥とした雰囲気で粘り強い。

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伊丹刑事 …井上誠吾

男性で最年少の新人?刑事。ボーヤ的な存在。

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若林刑事 …ひし美ゆり子

高山と同年代の女性刑事。演じるはウルトラセブンのアンヌ隊員!

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桂木刑事 …志穂美悦子

最年少の女性刑事。演じる志穂美さんは当時20歳!

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相良課長 …北村和夫

捜査五課課長。五代以下の取纏め役。彼らを戒めつつ暖かく見守る

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…といった感じですが、わずか10回の放送であるにかかわらず、全員揃った事が殆どなく(揃ったのは初回だけ?)、毎回誰かしら欠場しており、課長も後半は欠場がちで、主演の千葉ちゃんすら欠場の回もあり、出場していてもワンシーンのみとか、他の刑事が主演張っていたりなどもします。昔のドラマは多いですよねこういうの、他の仕事との掛け持ちをされていた役者さんが多くて。

そんなこんなで10回目の最終回がこの記事タイトルである「高山刑事死す!」てした。主役の五代ではなく、なぜ高山が殉職??みたいな感覚を持ったのですが…。

では本編を↓

事件が発生し、しゃにむに突っ走っていく高山。谷隼人氏、アツいです…

谷氏はちょうど時期的にこういう長髪スタイルの最末期だと思われ、同年の映画「男組・少年刑務所」(舘ひろし主演!)では、30歳にして学ラン姿で登場し、髪も角刈りになっていて、以後短髪スタイルが何十年と定着していきます。

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要人警護を任を受けていた高山は、その要人こそが周りの人間を殺させるべく、自分を狙うようにカモフラージュしていた事が発覚、自身の運転手の口まで塞いでしまおうと、狙撃者が遠くから狙ってきました。

それに気づいた高山が単身乗り込み、間一髪のところで彼を救ったシーンです。右側の要人運転手役は、かつての国民的子供向けドラマ「ケンちゃんシリーズ」の後期のお父さん役で名を博した故・高津住男氏です。当時はまだこの役を貰う直前で、お父さん役としてのイメージが強かった故・牟田悌三氏が演じておられました。高津氏といえば、妻は女優の真野順子さん、これまた国民的バラエティー「欽どこ」のお母さんとして長らく人気を博しましたが、その後病気により夫の高津氏が献身的に介護していた事が話題になりました。

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上のシーンでの、運転手を庇った際に、遠方からのライフルにより左わき腹を撃たれてしまった高山、まだこうして途中で倒れながらも、狙撃犯を走って追い詰めるべく、発砲しながら林の中へと入りこんで行きます。(画像汚くてすみません…)

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林の中の追跡である為か、狙撃犯の行方が知れないままに走りながら追跡を続ける高山。しかしそこに、犯人のライフルがどこからか狙ってきて、遂に高山は右胸を撃たれてしまいます。これがかなりのダメージとなり、以後はほぼ走って追う事が不可能となってしまいました。

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右胸を撃たれて崩れ落ちる高山。そこへようやく駆けつけたチーフの五代、高山の援護も間に合わず、既に2発撃たれてしまいました。

しかもライフル犯は、今度は五代の命までも狙おうと銃口を向けてきて、更にはどこから出てきたのか?(笑)、林の中に突如として何人もの作業用ヘルメットを被った愚連隊風の男たちがシャベルなどを武器に、五代に襲いかかってきました。

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何人もの武装した男たちに苦戦する五代は、被弾した高山に近づく事も出来ず、またライフル犯が五代に銃口を向けているのを、よろよろと這いつくばりながら目にした高山。

そして高山は決意したのでした…

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高山は五代に向けられたライフル犯の銃口を自分に向けさせて五代を救おうと、最期の力を振り絞ってライフル犯に対峙し、掴みかかろうとしますが、振りほどかれてこのように至近距離からライフル弾を撃ち込まれます。

高山がライフルで撃たれるのをただ見ているしかできなかった五代…、まだまだ男たちは次々と彼に襲いかかってきています。

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至近距離から撃たれても尚、ライフル犯に向かっていく高山。

ほぼ自決に近い形でライフルの盾となり、銃口を自分の身体に押しつけて犯人に撃たせる形で更にライフル弾を浴びます。背中にはライフル弾が貫通した描写がなされ、穴が開いています。

これまで何発撃たれても撃たれても、犯人に立ち向かっていった高山も、ついにここで力尽き、倒れ込んでしまいます。ちなみに時期的には「太陽にほえろ!」のテキサス(勝野洋)も同年に同様の殉職を遂げていますが、この高山の方が放送時点では半年先になります。

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高山が遂に力尽きてしまった直後、五代は男たちをようやくの想いで全員倒し、そしてライフル犯に強烈なキックを浴びせます。

そして高山を自分の目の前で無残にも殺された(この時はまだ生きてましたが…)怒りから、力の限り犯人をぶちのめして、ようやく高山のもとへ。

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瀕死の高山は五代にメッセージを残しました。

あれだけ撃たれてもまだ生きていたのか、というツッコミはドラマなので別にして、自分が守っていた要人邸宅のお手伝いさん(運転手の娘)に買ってあげたネックレス?を五代に託したのです。

高山がこの捜査の時に彼女に関わると、いつも不慮の事故で彼女の持っていたものを壊してしまっていたので、そのお詫びに贈ろうとしていたものでした。「俺…、彼女のもの…次々ぶっ壊してしまって…」というような言葉を遺して…高山は息絶えました。

彼の死の直後に仲間の刑事たちは駆けつけ、間一髪死に目に遭えずでした。

独り立ちすくむ五代、そして亡くなった高山を囲む同僚たち…

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最後は、五代が桂木(志穂美さん)に、高山から託されたネックレスを彼女に贈り、同時に高山の死も知らせ、父である運転手ともども高山の死地で手を合わせていました。

EDでこれまでのハイライトを静止画でピックアップする形で終了となった大非常線でした。

…と、なかなかこのネタの詳細を検索しても出てこないと思い、記事としてあげてみました。

2016年7月12日 (火)

大阪モノレール/彩都西駅 (大阪府茨木市)

大阪府茨木市の大阪モノレール/彩都西(さいとにし)です

茨木市では阪急/茨木市駅をupしていますが、この駅はその隣駅となります。膳所と書いて「ぜぜ」と読む難読駅のひとつでもあります。

-大阪モノレール/彩都西駅-
【路線】
大阪モノレール彩都線(万博記念公園-彩都西間)
【開業】2007年3月19日
【訪問】2007年10
【1日あたり平均乗車人員】  7,471人/日 (2014年) 
【近隣の主要駅 (万博記念公園方面)万博記念公園駅→4駅

●駅名標周辺

大阪モノレールの支線であり、正式名称を「国際文化公園都市線」といいますがと通称として「彩都線」の名で通っている路線の終着駅で、盲腸線である為、この先は行き止まりの状態です。

開業が2007年3月とまだ10年経っていない駅ですが、この訪問時も同じ2007年の10月ということで、開業後約半年の状態で訪ねました。もう9年も前の姿ですが。

この彩都と称されるエリアが国際文化公園都市という名のニュータウンとして開発され、そこに万博記念公園からモノレールを通らせた格好で、起点から4駅あるものの距離にしてわずか2.4kmという短いものとなっています。

ダイヤ的には昼間は20分に1本程度で、それ以外は10分に1本が多くなっています。

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●レール

モノレールにつきこのような形となっていますが、モノレール駅はどこも見晴らしが良くて本当に絵になります。

彩都西という駅名が示すように、同じ彩都エリアに中部、東へと延伸計画はあるそうですが、現在のところはここ彩都西で止まっている状態です。

2004年に最初の街開きをしたという事で、この当時が2007年、まだまだ開発はこれからという感じだったのでしょうか?これ以来もう10年近くも行っていないので、今どうなっているのか分かりませんが。

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●ホーム

モノレール駅でありながら、ホームからは上る形で改札へと向かう構造で、橋上駅舎となっています。

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●駅屋根

V字切れ込みの入る形の明かり取り窓がてっぺんにあって、凝った模様で何気に見る者を惹きつけて?きます。

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●改札へ

ホーム階段を上って改札へ向かうところです。

当時まだ開業半年だけあって、実にきれいでピカピカでした。

今約10年経って少しは年季が入ってきたのでしょうか。

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●駅を出てみて…

角度によってその風景が全然違うところが驚きでした。

山や緑が一面に続く何にもない所もあれば、高層建築物が続く所もありで、ある意味ニュータウンの側面を如実に見た思いもありました。

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●駅前ロータリー

ダイソーがあるのが見えました。

2007年当時はまだこれだけの光景でしたが、その後歳月を重ねて、この辺りももう少し充実してきたのでしょうか、久しぶりにまた寄りたくなるばかりです。

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●彩都西駅 駅舎

大きな橋上駅舎とこれに沿うきれいな道路が美しい風景を織りなしている、その一言でした。

駅舎自体は窓がいくつもついていて、ニュータウンに見合うようなオシャレなセンスが感じられました。

この先の延伸がいつなされるかは分かりませんが、とにかく少しでも早く再訪して見たいものです。ついこないだ行ったばかり、と思っていましたが、もう9年も経っていたのか…という感じで。これまで一度行った所は行かない、という考えを持っていましたが、やはり変わりゆく景色はその度目にしたい、と思うようになりました。これもまた旅の醍醐味ですね。

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https://blogcircle.jp/commu/17/topic/6

2016年7月10日 (日)

神奈川/厚木 37回目の夏~ボンのいた風景

神奈川県厚木市、ここでの旅はハッキリと目的を決めてやってきました。それは…

「ボンの殉職地探訪」です。

よって、今回は旅記事というよりもドラマヲタクの聖地巡り的な要素が強くなると思います。

1972年からスタートした刑事ドラマの金字塔「太陽にほえろ!」、このドラマでは14年間の放送のうちに実に11人もの殉職者を出し、「殉職」という言葉を世に定着させたドラマといっても過言ではありませんが、その1人であるボンボン刑事(ボン=演:宮内淳さん)の殉職地が今回記事の訪問地です。

他の刑事の殉職もロケで結構行われていますが、都内だったり海外(カナダ!)だったりで、「ここなら行けるかな」と思ったのが厚木で、また歴代刑事の中でも特にボンが大好きでどうしても訪ねたかった!というのも多分にあり、2013年6月遂に訪ねました。

ボンの殉職は、長い歴史のこの番組のちょうど折り返し地点にあたる1979年7月13日の金曜日に放送されました。そのタイトルも「13日金曜日、ボン最期の日」でした。当時、小学3年生でしたが、「太陽にほえろ!」の"本放送では初めて"刑事の殉職を見る事となった(再放送ではジーパンやテキサスの殉職は見てましたが…)ので、親からその話を聞いた時は衝撃的でした。その割に「最期」の漢字が読めず、親に「"さいき"って何?」と聞くと、復活するような意味の事を言ってきて、「再起」と勘違いされたんだな、と後で思ったものでした。

今年もまたその「7月13日」がやってくるという事で、今回このタイミングでこの記事を書くという次第です。

●内陸工業団地

ボンが殉職したのは早朝の工業団地、という訳でまずは、ここまでのアクセスですが、駅近にある訳ではなく、本厚木駅近くの「厚木バスセンター」から30分以上かかってこの工業団地へやってきました。料金は忘れましたが調べると400円ほどのようです。

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●交差点

工業団地内の交差点です。

団地の面積自体は234万㎡ということで、正方形だとすると1.5km四方という事になるでしょうか。自治体レベルでは厚木市と愛川郡愛川町の両方に跨る格好です。

ボンが銃撃戦を始める前にこんな交差点を曲がり切った所で軽トラをおもむろに止めた覚えがあります。敷地内に交差点は多数あり、また当時より35年近くも経っているので、なかなか特定には至らないですが…。

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●中交差点

上の写真は東側の交差点でしたが、西へ進んでコチラは中交差点です。

ボンが撃たれてから、目標とする電話ボックスまで、瀕死の体で歩いて行く道のりに、こんなような緑が生い茂っていました。

しかし、そもそも電話ボックスは撮影用に設置されたもののようで、ここで探しても見つかるはずもありませんでした。また、ボン殉職の記念碑的なものも一切ないので、全く場所特定に行き着くには至りませんでした。ここではないか?と推測しているサイトはありますが、「ココ!」と断定しているサイトはないようで、当時を知る方が居れば、是非に場所をハッキリ教えてほしいくらいです。

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●ここなのか?!

ボンが瀕死の身体で電話ボックスまで這いつくばっていったのはここだろうか?単に感覚だけでそう思った場所です。当時とはガードレールの様子も違うし確証はないのですが、当時のようなガードレールのある場所もなかなか見当たらず、雰囲気的に近い場所としてはここかな?という感じで、暫ししげしげと見つめておりました。

なかなかここにロケで来たという記録は見受けられませんが、記念碑もないし、感覚で勝手に決めるしかないかな、と(笑)

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●西交差点

東、中、ときて、西交差点です。

この工業団地で交差点を有するのは縦に続いたこの3本の通りのみです。

それでざっと見てみても、最もそれらしい雰囲気があったのは、上の写真の所で、ここでボンが彼女を助けるために、ボスに連絡を取るために、必死になって歩き、時には倒れて意識を失いながらも、這いつくばった場所なのかな??と思わずにはいられませんでした。

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●ここはどこ?

これは「太陽にほえろ!」での劇中にボンが致命傷を被弾した時のカットです。

しかし向こうにあるようなクレーンのレーン?らしきものが全く見られず、「ここはどこなんだ?」と思うばかりでした。これも工業団地での撮影と聞いたのですが…。

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●バス停

「中一丁目」とあります。

四丁目が北端で、南へ行くにつれて三丁目、二丁目…とそれぞれ、西・中・東と縦に通っていて、ここは真ん中の通りの南端です。「団地入口」とされる所も、東南端に位置し、入口の近くにあたります。

この路線は、厚木バスセンターではなく、海老名駅に行き着くようになっています。

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…やはり、というべきか結果的に「ココ」という場所の特定には至りませんでしたが、ボンが最期を迎えた時の撮影がここで行われたんだ、と思うだけで色んな思いを馳せ、それだけで十分楽しかったのでよしとすべきかもしれません。自己満足甚だしいところですが…。

以上、ボン殉職後37回目にやってくる7月13日に向けて。

2016年7月 9日 (土)

和歌山/岩出 岩出駅前・哀愁のYロード

和歌山県岩出市、JR岩出駅前の様子です。

(2010年10月当時)

●ガイドマップ

小さい駅ながらも市名を名乗る中心駅として、駅前にはこのような案内図がありました。

現在地である岩出駅は、この図でいうと真ん中よりやや右下の大きめの丸の部分です。

すぐ下を流れているのは紀ノ川です。

地図上部にある豪華そうなお寺は新義真言宗・根来寺というお寺です。「新義真言宗」というのは真言宗の宗派のひとつで、真言宗は大日如来が自ら説法するというもので、新義真言宗では大日如来が説法の為に加持身となる、という違いがあるそうです。岩出に来たなら行ってみたいひとつかもしれません(行きませんでしたが…)、バスで10分+徒歩10分、あるいはタクシーで10分等のアクセスになるといい、徒歩ではちょっと辛いようです。

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●駅前通り

高い建物はなく、それでもそれなりには駅前らしい通りの雰囲気は出ていました。商店らしき建物が並ぶ感じで。

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●タケベ薬局

この岩出の街で見た最も鮮烈な印象をもった場所かもしれません。

こんな薬局まだあったんだ!という目で見てました。

近頃量販のドラッグストアがあちこちで見られる訳ですが、そんな中にこういった昭和の薬局の王道といえる存在がこうして見られるのは、本当に嬉しい事でした。

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●いわでマンホール

真ん中上部は市の木ウバメガシ、その両サイドに市の鳥であるウグイス、外周には市の花である桜が散りばめられているという、発想的には至ってシンプルなネタのマンホールとなっています。

ウバメガシとは「姥目樫」と表記し、いわゆるカシの木な訳ですが、その中でも硬い葉をもつカシだそうで、都道府県によっては絶滅危惧種にも指定されているようです。

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●岩出郵便局

岩出市の本局ですが、大きな郵便局って大抵、割に四角いゴツゴツとした存在感のある建物である場合が多いと感じますが、こんな風に庇が長くついた局は珍しいのでは?と思いました。

開設は1872年、岩出郵便局という現在の名称になったのは1883年という歴史の長い局でもあります。

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●中華料理

の看板が寂しい通りです。

庇が骨組みだけになっていますが、営業しなくなってから何年ぐらい経つんだろう、とこういう店を見る度想像してしまいます。往時の思いを馳せる、そんな感じも抱きます。

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●岩出市役所

学校のようにも見える建物でした。結構道路沿いにあるというか、道路と建物の間に広場的スペースが殆どない構造になっていました。町役場から市役所にそのまま移行となったせいなのかは分かりませんが。

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●小豆島?

街を歩いていたら、「小豆島」なる文字が道路標識に!

「しょうどしま」ではなく、「あずしま」と読みます。

川の中州ということで「島」という地名になっているのでしょうか。

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●Y字路

最後に、典型的なY字路です。

岩出公民館付近の地点ですが、挟まれる格好になるこのブルーの建屋の形がなんともいえないものを感じます。道路の形に合わせるように段々幅が広がっていく感じに惹きつけられます。

もう少し、岩出の歴史に触れるものに出会いたかったのですが、駅前をそこそこ歩くだけでは少し足りなかったかもしれません。岩出の街の風景記録としてこの記事をあげたという事で。

以上 岩出の様子でした。

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2016年7月 7日 (木)

和歌山/海南 20年ぶりの街歩き

和歌山県海南市、JR海南駅からの歩き旅です。

(2013年8月当時)

●駅前道

駅から伸びる道路ではなく、駅前広場を挟んで線路と平行に走る道路です。

この能開センターは20数年前の初訪問時もここにあった気がします。駅は大変変わりましたが、対岸は当時に近い、印象が強かったです。

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●ヴァンサンカン

海南駅と平行に走る道路上にある喫茶店です。

これも1993年訪問時にあった気がします。すごくおいしそうで、あれもこれも食べたい!と思った記憶があるのですが、あちこちでそんな事を思っていた為、本当にここだったか定かではありません。それにしてもおいしそうですね、このメニュー群。

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●一番街商店街

駅前の商店街として代表的な通りです。

商店街の振興組合は昭和52年にできて、間もなく40年を迎えようとしています。身近な女性をターゲットにイベントを企画立案、実行するという独自の取組みも行っているといいます。

この垂れ下がっている3連の街灯も独特の華やかさを感じますね。

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●海南医療センター

の前のバス停です。

元々は1939年に海南診療所として開院したもので、46年には市民病院となり、この年の3月に当地に移転したばかりの状態でした。それまで市民病院の名で親しまれて約70年、ここへの移転が大きなターニングポイントとなったようです。

バス停のダイヤを見ると、4路線のバスが止まるものの、毎日運行便はなく、月水金の運行です、等の但し書きのある状態で、各路線1日2便程度で、土日運行はありません。

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●ジャスコ跡

サビの目立った建物のてっぺんに薄く{JUSCO」の文字が…!

今は亡きJUSCOの跡地ですが、昭和42年に海南市に進出した「海南店」とは別に昭和53年に開業した「海南ココ店」の跡地のようです。この辺りは開店当時は「海南一の繁華街」といわれ、大変栄えたそうです。「ココ」という商業施設に核店舗として入ったJUSCOも2007年に29年で撤退となりました。ちなみに海南店の方は1967年開店、2001年に閉店しており、その跡地はナント、上の写真の海南医療センターなのだとか。

海南ココ店は当初、「絶対に撤退しない」との約束を反故にして撤退し、その後裁判沙汰など泥沼の様相を呈したとか。

地域にとってこういった大型SCの進出というのは、当時の周辺地域にとって脅威であったり、異物であったり、歓迎される向きではない部分も多分にある事と思いますが、それらの難題をようやくクリアして開店にこぎつけたと思ったら、20~30年程度で撤退されると、その痛手もまた大きいというものですね。

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●じどうとしょかん

という、インパクトのある文字と、インパクトのあるレンガ色の建物、大変印象的でした。

海南市の図書館としては下津図書館という旧海南市外の旧・下津町のエリアにあるものの、旧海南市内のこの辺りのエリアでは、この児童図書館しかないようで、それがなんだか意外でした。

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●海南市民会館

このコンクリートの渋さに満ち溢れた建物がなんとも印象的な市民

会館です。色んな印象的な建物が立て続けに見られた、という訳ですここまで。

派手な色にするわけでもなく、きれいな色にするわけでもなく、この色で通してきた?のも逆にすごいと感心してしまいました。いつの建築かなかなか分かりませんが、この年季は本当に素晴らしいです。

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●海南市役所

をいろんな角度から。

これまたコンクリートの年季に満ち溢れた魅力的な建物でした。

昭和40年築のもう50年にもなる建物だそうですが、色による年季感もさる事ながら、この建物の複合感というか、いろんな形を寄せ集めた感もまた妙な雰囲気を醸し出していて、見る者の心を掴んでしまう、そんな気がします。

まるでジェンガのように下の層に無理矢理乗っけられた感満載の上の層、そしてその上の層を串刺しにするような突起物(エレベータ?)、すべてのゴツゴツしたものがつくり上げた芸術感溢れる集合体、ハーモニー?書いてて訳が分からなくなりましたが、この建物を堪能せよ!という気持ちでいっぱいです。

海南へ来たなら、こんな色々な建物群に心を打たれるべし、そう勧めてもよいかなというぐらい、魅力たっぷりです。

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2016年7月 5日 (火)

JR海南駅【新】 (和歌山県海南市)

和歌山県海南市、JR海南駅(旧)としてupしていましたが、20年ぶりの再訪で新駅舎の御紹介です。

といっても、旧駅記事の訪問年が1993年で、今回記事分は2013年当時のものです。

●駅名標

旧駅舎の記事の時は、駅舎しか撮っていなかったので、このような内部写真は一切ありませんでした。

ちなみに隣駅名のある「しみずうら」とは「冷水浦」と表記します。清い水ではなくて、冷たい水なんですね。

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●ホーム

和歌山駅から4駅という好立地で、2面4線の高架駅です。

高架化されたのは1998年の事で、旧駅記事の訪問より5年後、本記事の訪問時には既に高架化後15年の月日が流れていました。20年ぶり再訪というのはやはり、時の流れを感じずにはいられませんでした。

上側の写真の電車は117系の「和歌山色」といわれるものだそうです。「普通」とありますが、表示がなければ特急かな?と勘違いしてもおかしくないぐらいのものでした。

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●観光案内図

海南・海草 観光案内とありました。

海草とは、隣の海草郡を指していると思われます。

高校野球などで昔語りによく「旧海草中学」というのが出てきますが、これは現在の和歌山県立向陽高校という和歌山市内の高校です。尚、この学校は和歌山県内で初の中高一貫型の県立の学校として存在しています。

地図の左側に海がありますが、線路はこの海沿いに通っており、当駅もそんな海の割に近くにあります。さすがは「海」南というところで。

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●駅前広場

整備された床面がかなりのスペースにわたり広がっています。

下側はほぼ駅向かいの位置になりますが、これらの建物は20年前と大きくは変わっていない印象がありました。当時はこんなきれいな床面は殆どなかったと思いますが…。

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●駅前石碑

駅舎が見えてしまっていますが、これをバックにする形で建っている石碑です。

「紫の 名高の浦の 靡(なび)き藻の 情(こころ)は妹(いも)に 因りにしものを」とあります。

萬葉集からの撰で、作者は不詳ですが、「名高の浦になびく藻のように 私の心はあなたになびき寄ったものを」という意味だそうです。ここ海南駅の住所が海南市名高というもので、この辺りが海岸線であったとも。

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●海南駅 駅舎

1998年に新駅舎となってから、2013年になって初めて新駅舎を見た格好になります。

旧駅舎に比べて随分大きな駅舎になりました。またブルーレインボーといった感じの出入口上の模様も大変インパクトがあります。

向かいの海南駅しか知らない、という方にはこの姿は是非とも見てほしいものです。

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2016年7月 2日 (土)

JR膳所駅 (滋賀県大津市)

滋賀県大津市のJR膳所(ぜぜ)です

大津市では中心駅の大津駅をupしていますが、この駅はその隣駅となります。膳所と書いて「ぜぜ」と読む難読駅のひとつでもあります。

-JR膳所駅-
【路線】
JR東海道本線(東京-神戸間)
【開業】1880年7月15日
【訪問】2007年2
【1日あたり平均乗車人員】  12,623人/日 (2014年) 
【近隣の主要駅 (東京方面)石山駅→隣駅、草津駅→4駅
           (神戸方面)大津
→隣駅、京都駅→3駅

●駅名標周辺

東海道本線で西からやって来て、滋賀県で最初に入るのは大津駅ですが、当駅はその隣駅になります。

同じ文字が続く2文字だけの駅というのは非常に珍しいと思います。通津と書いて「つづ」と読む駅ならありますが…。

開業は実に1880年!というかなりの草創期であり、滋賀県内では最も古い駅で、全国でも19番目に開業した駅とされています。

ちなみに開業時の駅名は「馬場」で、途中で大津駅を名乗ったりもしましたが、再び馬場になり、1934年に現駅名になっています。それにしても「ばば」から「ぜぜ」とは、新旧駅名共に同じ文字が続く2文字だけの駅名であるケースはおそらく日本唯一でしょう。

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●ホーム

2面4線のホームを持っています。

大津駅の隣である事もあってか、新快速は停車せず、この両サイドの大津、石山の各駅は新快速が停車するものの、当駅は普通列車のみの運行となっています。

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●ホーム2

上の写真と反対方面のカットです。

これは2007年当時の様子ですが、現在は新駅舎の工事中で2017年度辺りに完成予定とか大津市HPはじめいろいろなサイトで見かけます。

橋上駅舎化するようで、今回当駅を記事に取り上げるまで、その情報を知らずにいたので、また暇が見つかれば現況を見てみたいところです。

新駅舎になると、こういう姿もまた貴重な写真になっていくのでしょうね。

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●改札外

膳所駅の改札を出た様子です。

この改札から駅を抜けて、50mも歩かない間に京阪電車の膳所駅に行き着きます。京阪膳所駅へはとりあえず改札を出てから、また入り直しとなります。

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●駅前ロータリー

「芭蕉 義仲 顕彰の街」とありました。

源氏の木曽義仲はこの地に葬られたとして、近くの義仲寺(ぎちゅうじ)というお寺があり、またこれより500年ほどの後、松尾芭蕉が度々この地を訪れ、生前の遺言によって、この地に墓が建てられたとの事です。このお寺へは行ってませんが、当駅から北へ徒歩約10分の所にあります。

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●駅前通り

駅前ロータリーから通りを眺めた様子ですが、左端には京阪膳所駅が写り込んでいます。

手前には「ときめき坂」なる標柱が建っていますが、この辺りはときめき坂商店街となっていて、「〇〇(店名)ときめき坂店」のようなところもあります。

狭い車道に車が行き交い、また歩道も広くないので、この時雨天だった訳ですが、そうすると傘も広げる訳で、狭苦しくて歩きづらい印象でした。

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●膳所駅 駅舎

手前にあるシェルター状?の曲線はタクシーのりばの庇で、駅舎の屋根ではありません。

大きな駅ではありません、といっても橋上駅舎化へ向けての工事中で、今はかなり姿も変わっていってるのでしょうか?

しかし長らく「ぜんしょ」と読んでいたのは自分の中での恥でした。実際、台所という意味での「膳所(ぜんしょ)」という言葉は存在します、変換しても出てはきませんが…。

この大津に都があった頃、歴史に名高い天智天皇の「陪膳(おもの)の所」(=食事をされる場所)という事で、それが縮まって膳所となったようですが、「所」の字を「ぜ」と読むのは当地と、奈良県御所市(ご「せ」し、ですが…)だけだそうです。

右端にある庇はずっと伸びていて、そのまま京阪膳所駅まで続いていく形となっています。

以上、膳所駅でした。

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