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2016年9月の13件の記事

2016年9月29日 (木)

JR米子空港駅 (鳥取県米子市)

鳥取県米子市のJR米子空港(よなご・くうこう)です。

米子市では中心地のJR米子駅をupした事がありますが、今回は市内にある空港駅の記事となります

-JR米子空港駅
【路線】JR境線(米子-境港間)
【開業】1902年11月1
【訪問】2014年6
【1日あたり平均乗車人員】 4人/日 (2007年)
【近隣の主要駅(米子方面)米子駅→9駅
           (境港方面)境港駅→6駅

●駅名標

デカデカとになりますが、米子-境港間の途中駅としては初めての駅記事となります。なかなかのこの間の駅でこれというのがない部分があり、ここだけは異質かなというところです、なにより空港と直結の駅ですから、もうこれは山陰唯一です。

ただ当駅がこの名前になったのは2008年の事で、それまでは800m米子側(南側)に「大篠津(おおしのづ)」という駅があり、これが前身となっています。この大篠津駅、昔々1990年代前半に寄ったような気がしますが定かではありません。隣駅が「大篠津町」となっていますが、これもこの時に改称されたもので、それまでは「御崎口(みさきぐち)」という駅名を名乗っていました。

利用者数が4人/日となっているのは、この移転前の統計であり、旧大篠津駅は周辺が大変廃れた地区であったそうです。私が訪ねたかどうかの90年代では、空港というより基地の街の飛行場というイメージがかなり強く、何があるという印象は殆どなかったです。

山陰唯一の海外定期便の就航する空港であり、現在は香港と韓国仁川の便があり、国内は東京だけで、逆に海外の方が多い状態になっています。

かつては、新千歳、成田、茨城、関空、伊丹、神戸、隠岐、福岡、那覇などの空港へと結んでいましたが、近年では特にスカイマークの縮小による影響が大きく、写真のこの時も実は神戸空港へと戻る時だったのですが、その便も今や過去のものとなってしまいました、まだ2年半と経っていない、2014年6月当時です。2013年に米子-神戸便が就航し、2年と持たず、その間にこうして利用できたのは実にレアだったと思います。

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●ダイヤ

境線という本線から外れた路線で、山陰本線の主要駅のひとつである米子駅から境港への分岐になる事から、さほど便数がないかと思っていましたが、なかなかどうして境港が観光地として成功した影響があったのか、この地域で毎時1本以上あれば、かなりの上出来かと思います。ヘタすれば山陰本線より多いレベルかと?!

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●ホーム

全くの単線で1面1線のホームです。向こうが米子方面(南側)です。

結構本数が多いながらもこのホームで行けるのですね、1時間に1、2本で行き交いがなければ大丈夫なのかなと。

すぐ向かいには空港がある訳ですが、そんなロケーションとは思えない、穏やかな佇まいのホームでした。

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●ホーム2

上の写真と反対方向を眺めたカットで、向こうが境港方面(北側)です。

切符の回収箱が手前に見えます。空港駅にして無人駅というのも珍しいのでは、と思います。

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●ホーム3

これは中央部をアップ気味にしたカットで、時刻表の横あたりになります。

やはり方向を間違える人がいるのでしょうね、こうして表示があるところを見ると。

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●路線図&運賃表

境港までは190円、米子駅が240円と米子の方がやや遠い恰好になります。

島根県に入って松江までは760円、米子から近いように見えて電車賃はかなり違うもんですね…。逆方向で倉吉までは1140円、これは結構な距離です。この辺でと知って来れ位なんですよね、米子の隣には安来もありますが。ちなみにICOCAなどありません、山陰はいまだに自動改札ではなく、駅員手作業ですし。

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●目玉おやじ電車

またホームのカットに戻りますが、電車つきのもので。

全面に目玉おやじのドアップはかなりインパクトがありますね、側面は多数の目玉おやじで百目タイタンのよう(全然違いますが…)

この境線は水木しげるロードのある境港市を通る路線であり、とにかく水木しげるワールドです。この目玉おやじ以外に鬼太郎は勿論、ねずみ男、ねこ娘など6種類の電車が走っているそうです。

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●券売機

壁つきの券売機ではなく、山陰線にも多いこういうタイプの箱形の?ものでした。この辺りの中心駅以外の駅ではスタンダードですね。

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●駅舎内

改札に相当する設備は皆無で、切符回収箱のみです。

その他のゲートやポールすらもない単なるコンコース状態でした。

ただ新築駅舎らしい木目のきれいな内装ではありました。ベンチ状に木製長椅子状態になっているのもgoodです。

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●空港連絡通路

手前が駅側、向こうが空港側になりますが、両者をつなぐ通路です。間の道路が交通量が多い訳ではないので、平地を歩いた方が断然早い、というのはこの際言いっこなしってことで(笑)

にしても設備に金かかってるな、と感じざるを得ませんでした。勿論バリアフリーの意味合いもあるでしょうが。

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●駅前道路

単なる空港前の道路という感じで、人家などは向こうに僅かに見える程度でした。

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●米子空港駅 駅舎

空港とを歩道橋で結ぶこじんまりとした駅舎です。

境線の途中駅で元々大きい駅舎どころか、駅舎のある駅すら半分あるかどうかですが、この駅に初めて寄るという時に、どんな規模かを想像しながら行ってみると、予想以上に小さかったです。が、この辺りの駅には似つかわしい規模かなとも感じました。

ちなみに境線では、各駅に妖怪に因んだ愛称がつけられていますが、当駅は「べとべとさん」駅です。べとべとさんとは、夜道を歩く人間の後をつけてくる妖怪だそうで、80年代のバレーボール中継等に欠かせないキャラクター「パボちゃん」のような球体の姿に口だけが大きく開いた姿の妖怪です。何でこの街にその妖怪か、の因果までは分かりませんが…

しかし折角山陰の空港として多方面に乗り出したと思ったら、長く続かずに先細りになってしまっている現状は残念で、この当時よりだいぶ就航路線が減ってしまっているのでは?と思います。陸の孤島とはいわせない、そんなパワーをこの山陰に感じさせてほしいものです。

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2016年9月28日 (水)

岩手/滝沢 岩手県大・自然の恵み

岩手県滝沢市、IGRいわて銀河鉄道/滝沢駅からの歩き旅です。

(2014年5月当時)

●滝沢市案内板

駅記事にも書きましたが、この時は滝沢「村」から「市」になってわずか1ヶ月という時期でした。ここには堂々と滝沢「市」とあるのが素晴らしいですね。

岩手県のほぼ真ん中にあって、盛岡のベッドタウン的存在であり続け、人口はずっと郡部で最も多い時期が長かったのにいつまでも「村」だったこの滝沢、「町」を飛び越えていきなり市になった訳ですが、AKB関係の痛ましい事件が起きたのもこの市でした、関係者も無事回復して本当に良かったなと。心まではどうなのかですが…。

で、この絵は無形文化財である「チャグチャグ馬コ」というものです。農耕に欠かせない馬の勤労に対して無病息災を祈念したのが起源とされています。歩くたびにチャグチャグと音が鳴るとされる鈴の音は「残したい日本の音風景100選」に入っているといいます。

キャンプ場がちょいちょいありながら北西端には岩手山がそびえたっています。そんな中でどこへ行こうか?駅近くではあまりなにも見れないかな…?と思いながら街を歩いておりました。何も見つけられないままかも…と思いながら。

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●バス停

駅横といった感じの位置に広場があって、そこに複数バス会社のバズが乗り入れていました。ここにある岩手県交通というものと、岩手県北バスというものです。ここに写っている分は便数がまだありますが、県北バスの方は1日6便程度しかありませんでした。

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●天皇皇后行幸啓記念碑

滝沢駅前の小高い丘にあったものです。

昭和49年12月とありました。

これを書かれた上田常隆(1900-80)という人物は毎日新聞の社長を務め、日本新聞協会の最高顧問を務めた人物で、出身は大阪ながら郷里が岩手県であり、ここ滝沢村(当時)の名誉村民でもありました。

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●これから行くところ

ここ滝沢が長年5万を越える人口を有しながら、市はおろか町にすら昇格しなかったのは、昇格要件を満たしていなかった事とされており、その重要な一つが「中核となるエリアが存在しない事」でした。

その事は知っていたので、ここへ来てもあまり「中心地が栄えてる」的な予想はしませんでした。でも実際来ると本当にコレというものがなく、なんとなく街が続いている感じでした。駅前も駅前通り感皆無で、普通の街なかの通りでした。

それもあって、どこへ行こうかと思っても中心地にはさしたるものもなしでは??と思っておりました。ダメ元ではないけど、ここに標識の出ている「岩手県立大学」とやらへとりあえず歩いてみよう、駅前で思案の末、出た結論はこれでした。

そんな訳で、この駅前広場を右へと折れます。

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●たきざわマンホール

村のものか市になってからのものか、ここにはその疑問は不要ですが、案内図に出ていたチャグチャグ馬コとバックには岩手山の組み合わせ、これで滝沢という街を語らん、というのがマンホールで感じられました。

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●右へ折れて進む

岩手県大目指してこんな道路を進んで行きます。

駅前ラーメン入口、とありながら更地が続いて、その先にいくつかの建屋がありましたが、特定しづらいものがありました。

本当に駅前だからといってさしたるものがない通りです。長年市にならなかったわけだ、と。

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●むらの市

という看板が目立っていますが、「日の丸青果店」というお店です。果物野菜等のちょっとした食品が売っているようです。行った時は開いていませんでしたが。

ウリは学生(岩手県大?)に人気の200円の焼き芋だそうです。HPはコチラ 

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●銀行 コンビニ

こんな感じの街並みの中にこうして銀行があるのも、滝沢市ならではのような気がします。

大抵は市の中心駅前の通りに建っていて、街並みに溶け込んでいる感を銀行に対してい持っていますが、ここの場合は街から浮き上がっている感じすらして、市の中心駅の駅前だから賑わっている、の原則?!を崩して確たる中心地を持たないこの地ならではです。

コンビニはローソンが駅の真ん前にあったと思ったら、少し歩いたところにセブンイレブンがありました。本当に主要な施設が「点在」という感じでした。

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●郵便局

これまたポツンと唐突に郵便局がありました。パッと見てそれと分かる建物ではないので、右側の道沿いにあるオレンジの看板を目安にして下さい。それが郵便局です。滝沢駅からだと距離にして500m程度です。

左側は森林のような空間になっています。市の中心駅前数百mで北海道の自然のようなこの風景です。

で、郵便局に話を戻しますが、市の駅前にあるので本局かと思いきや、単なる駅前局で「滝沢駅前郵便局」です。では本家の?!「滝沢郵便局」はどこにあるのかというと、ここから10kmほども離れた全然違う場所にあります。ここ滝沢駅前が盛岡の北にあるとすれば、滝沢局は盛岡のほぼ西に位置し、この駅のあるIGRの路線と全く別の沿線(JR田沢湖線)にある大釜という駅から北へ1kmの地点にありますが、これとて本局ではないようです。このあたりも明確な中心地のない当地らしいロケーションかなと。結局それに行き着いてしまいますが。

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●野沢バス停

滝沢駅前バス停同様に、岩手県交通と岩手県北バスが乗り入れています。

後者の方はダイヤがこんな感じで、1日6便程度です。

左側はこんな感じで、山林の景色です。実際これを中に入って行ったら…と思うと、少々怖い感じすら覚えました。道はありますが、いつの間にか道がなくなっていそうで。

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●わかれ道

滝沢駅前をずっと歩いて来ましたが、ここが遂にわかれ道で、この先の行程はこれを右に折れる事となります。

郵便局からさほど歩かないうち、本当にすぐの地点ですが。しかしこの先を直進したとすると、それまで左側だけが高木の並木道でしたが、遂に両サイド高木に覆われる事となります。本当にこの先は何があるかが分からない、後で調べたら一応中学校や幼稚園はあるようですが、それだけという感じでした。

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●桜と山

5月上旬でも桜がこんなに綺麗に咲いているあたりはさすがに東北地方です。

そのバックに雲をたたえた大きな山がいい感じで写っています。とにかく素晴らしい景色、これで滝沢に来て良かったと思えました。山は先述の岩手山で、ここは2,000m級のなかなかの高山(頂上2,038m)で、岩手県では最高峰を誇ります。

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●県大入口 バス停

駅前の直線道路を右に折れて進んで行くところ。

やはりここもバス停標識が2本立っていました。いずれも県大入口という事で。この道を左へ折れていけば県大の敷地に入れます。公立大学ですよね、今頃気づきましたが。

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●大学通り

さて、滝沢駅から1kmあまり、ようやく岩手県立大学のほん近くまでやってきました。大学前のこの通りは、桜並木がお見事で、まさに「咲き誇る」という言葉がピッタリはまります。

そして、大学前の標識には右に大学、左には各研究機関の数々が点在し、このエリアは滝沢氏屈指のブレイン地域とでもいったところでしょうか、滝沢の英知がここに結集している、そんなエリアでした。

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●岩手県立大学

ここまで1kmほどの道のりで引っ張りに引っ張りましたが、今回記事の主題ともいうべき存在、岩手県立大学です。

この分度器みたいな?アーチをくぐる形で門を入って行きます。それこそオープンキャンパス、まったくノースルーで入れる感じでした(入りませんでしたが…)

学内地図もありました。同名の短期大学部も包括する形となっていて、看護学部や社会福祉、ソフトウェア情報学部など、かなり専門性の高い学部が多いのが特徴といえます。1998年開学という事で、我々が学生時代存在を全く知らず、それもそのはずで当時なかった訳です(笑)

県立大学という事で、県知事がかなり開学に尽力した模様です。開学して20年経っておらず、4年制の1期の卒業生でも現在35,6歳というところでしょうか。著名人は輩出するのはこれからでしょうね。

でも本当に自然豊かで落ち着く雰囲気のエリアです。若い人たちからすると活気がなくてさびしく持て余す感じもないとは言えませんが。旅行者としては本当にこのエリアに来れて良かったですし、滝沢にて良いひと時を過ごせました。

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●学舎

最後にこの写真を。

こんなのどかな場所で学び育っていくわけです。

キャンパスというより山里の分校のようでもありました。

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2016年9月23日 (金)

鹿児島/出水 いわし雲とe顔

鹿児島県出水市、JR出水駅からの歩き旅です。

(2012年8月当時)

●マンホール

冒頭のリンク先とした駅記事ですが、旧駅舎の時のもの(1997年訪問)を載せており、15年後の2012年再訪時のものを載せていなかったので、まずはそちらから載せようと思っていたのですが、この記事を先に書いてしまいました。

今は出水駅は在来線がJRから肥薩おれんじ鉄道へと転換され、新幹線が通るようになって新幹線のみがJRに属する格好となっています。

そして冒頭にこのマンホールの写真を持ってきましたが、とにかくここ出水は「ツルの里」、ツルの飛来地として有名な街です。仲睦まじそうな二羽のツルが向き合った、ご当地らしいマンホールです。

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●ホテルウイングインターナショナル

鹿児島の未訪市訪問として巡る際に前泊として利用させて頂いたホテルです。

駅に着いたのが夜8時台、でもひっそり感満載で、駅近のこのホテルがなかなか見つけられませんでした。駅周りも驚くほど寄る所がなくて。新幹線のある駅でもこんなに荒涼としているのか…と感じざるを得ませんでした。ちょっと幹線道へ出れば別ですが。

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●駅前道

各方面の標識がズラッと並んでいました。

南九州の方になると、どこへ何kmの標識の距離がえらいことになる事が多く、一見してそれらは行く事をまず諦めますが、武家屋敷群は遠くないし魅力あり、と感じさせられました。南九州市知覧の武家屋敷群も非常に良かったですが…。

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●昔ながらの酒屋さん

看板の色褪せきった感じが実にすばらしかったです。それと屋根下から出ているちょこっとした庇、こういう模様のものを見ると「昭和」を感じます。

しかしここの店名は笹原酒店か、やまぐち商店か?二世帯同居?(笑)

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●春日町バス停

南国バスというバス会社が運営しているバスの停留所です。

ダイヤ的には意外と?本数があり、1時間と開いていない感じで、こういう地方のバス停としてはなかなかのもの、と感じました。コミュニティバスよりは本数がかなりある感じで。ただ夜の終わりが早いのと、また土日祝になると本数が減ってしまいます。

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●コンクリート

のゴツゴツ感丸出しの建屋にも引き込まれます。

この年季からは考えられないほどの現役バリバリの会社です。→コチラ

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●巻積雲

「けんせきうん」と読みます。いわし雲とかうろこ雲とかともいいますね。

この一連の鹿児島の旅では、とにかく見事な雲に恵まれていい写真がかなり撮れた感がありました。この雲だけで絵になってる、まさにそんな感じでした。

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●春日橋

出水駅から駅前の道路を500m程行った所にあり、流れる川は米之津川というもので、出水市の海の部分から内陸へと約25kmを流れている川です。

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●出水税務署

あまり税務署の写真というのは撮らないのですが、ここではあるものが目について撮りに行きました。

それは「イータくん参号」という、ここの玄関脇に居た「e」の顔をしたものです。アゴのしゃくれ方!顔が「e」だからしょうがないですね。イータ君のプロフはコチラ 

e-Taxという自宅から納税や申告の申請ができるシステムがこの名のもとですが、そのイメージ定着のため2004年に誕生したという事です。

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●金龍

前夜に寄ったラーメン屋さんです。

朝が来てからもう一度散歩がてら訪ねてみました。

夜見た景色とこうして明るい時に見る景色とではまた違う、そんな当たり前のことに改めて気づかされました。

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●春日町へ戻る

向こうが出水駅ですが、橋の方まで行ってまた駅へ戻るというところです。

行きがけはバス停の写真だけ撮っていましたが、帰りはこのような周りの風景も。

新聞屋さんの建物が『毎日新聞』と2つも並べていました。

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●観光案内図

最後は駅に戻ってきてのこの写真です。

武家屋敷群行っておけば…と後悔しています。

遠くてなかなか行ける場所ではないので結構悔やんでいます。駅からそう遠くないので、出水駅から歩かれる時は是非に行ってみられて、感想をお聞きしたいものです。

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2016年9月21日 (水)

上毛電鉄/中央前橋駅 (群馬県前橋市)

群馬県前橋市の上毛電鉄/中央前橋(ちゅうおう・まえばし)です。

前橋市ではJR前橋駅 をupしましたが、今回は上毛電鉄にあって前橋を名のる当駅をお届けします。

上毛電鉄/中央前橋
【路線】上毛電鉄上毛線(前橋-西桐生間)
【開業】1928年11月10
【訪問】2016年5
【1日あたり平均乗降車人員】 1,712人/日 (2013年)
【近隣の主要駅(西桐生方面)赤城駅→17駅

ホーム

まず、この駅に寄ったのはJR前橋駅から歩いていた途中で出くわしたもので、前橋駅に来て駅前案内図を見るまで、この駅の存在を知りませんでした。JR前橋駅から約1km、歩いて行ける距離にこんな駅があるとは…!全くもって知りませんでした。

それで前橋駅から歩いてきて、この駅を見つけ、駅舎に入ってそこからこのホームをガラス越しに見ていました。改札もあり駅員配置駅でもあるので、スルーで入って行けず、電車利用する気もなかった(別に用があった)ので、こうやって中の様子を見ていたのでした。

広々としたホームで頭端式の3線3面、つまりすべてここで行き止まり形式の3面のホームがあります。上毛電鉄上毛線の始発駅で、同電鉄はこの路線のみ存在しています。ちなみに終着は西桐生という駅で、JR桐生駅から歩いてすぐの所に向かい合うようにしてあります。

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●ホーム(外から)

上の写真は駅に入って窓越しにホームを見たものですが、こちらは外から覗き入るようにしてのカットです。

今使われている車両は京王電鉄からの譲り受けだそうです。電車の色が独特で、前面の上半分のみが赤という車体でした。がしかし、調べてみるとこれはひとつのパターンに過ぎず、この型の車両ばかりではありますが、赤・ピンク・緑・青・黄色など7種の色が各車体に施され、 「レインボーカラー」と呼ばれているそうです。

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●ダルマ

上毛らしさを象徴する存在、として欠かせないのがこのダルマ。駅の構内の一角にありました。これも窓越しにホームが見える位置です。

何が実現されれば、この片目には墨が入るのでしょうかね??

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●駅舎内スペース

駅の待合スペースです。ここもまたガラス越しにホームが見える形です。

3辺に木製のしっかりした椅子が設置され、ホンワカした雰囲気に包まれている感じがしました。衝立にあたる部分にはポスターがいくつも貼られていますが、右端のは「群馬」として、おもてなしのポスターです。地元の有名人として中山秀征さんと井森美幸さんのコンビ、「秘密のケンミンSHOW」でも見た事があります。

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●北口入口

入ったところにコインロッカーがありました。

平日は23:00、日祝日は22:30を過ぎると、通り抜け不可になるそうです。

ダイヤ的にはほぼ30分に1本、主要な駅として赤城駅へは40分弱(610円) 、終着の西桐生駅へは50分強(670円)で着きます。

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●上毛電鉄の自販機

駅の入り口前に置かれていたものですが、全て上毛電鉄なる記載がされており、うち2台は「ぐんまちゃん」のイラストも入っています。

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●北口出たところ

なんともいえない歴史感に満ち溢れた?!こんな建物に出会います。

北口に限らず、どこから見てもインパクト大の建物ですね。それこそ昭和感満載です。

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●中央前橋駅 駅舎

「中央前橋」などと堂々としたネーミングで、前橋の中心らしい大きな拠点駅と思いきや、こんなにこじんまりとした駅であるなどと誰が想像したでしょうか?

平屋建ての駅舎から1文字ずつ飛び出してくる感じのレトロチックさ溢れる駅舎ですね。昔はこんな感じの駅名表示よく見た気がします。

ちなみに手前のスペースは駅前広場です。バスのレーン表示もあります。JR前橋駅行きのものもあります。JRの方からここへのシャトルバスが15分おきに出ているそうです。

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2016年9月20日 (火)

SMRT/光化門駅 (韓国/ソウル特別市)

韓国ソウル特別市のSMRT/光化門(광화문)です。

-SMRT/光化門(광화문)
【路線】ソウルメトロ5号線(傍花-上一洞間)
【開業】
1996年12月30日
【訪問】2016年5
【1日あたり乗車人員】 32,247人/日(2011年)
【近隣の主要駅】 (傍花方面)忠正路駅→2駅
            (上一洞方面)鐘路3街駅→隣駅


●駅名標周り

光化門と書いて、「クァンファムン (Gwanghwamun)」と読みます。東大門(トンデムン)でもそうでしたが、、「門」は"ムン"ですね。

ソウル特別市都市鉄道公社(SMRT)の5号線にのみ属しています。ソウルの地下鉄は号線ごとに管理運営会社が異なるので、複数路線分岐する駅はそれぞれに管理運営されている格好になります。仁寺洞の最寄りのひとつである鐘路3街駅が隣駅となります。

で、出口は1・8番出口のみここから右で、それ以外は左になっています。

副駅名として「世宗文化会館」と付されています。韓国最大の複合芸術施設で、その面積は50,000㎡を越えるといいます。大劇場は3,000席余りの収容が可能で、韓国初の液晶モニターが採用された所でもあるという事です。

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●みどころ?

日本の駅でいう名所案内的なものでしょうか。

9番出口は「光化門広場」という事で、これはソウル屈指の観光名所「景福宮」の門の前に通路となっている広場です。ここへは別に3号線で「景福宮」駅というそのものズバリの名前の駅もあります。

5番出口は清渓川方面という事で、かつて自然河川として下水道代わりの川として存在しながら、その後水質汚濁となり、その後更に覆蓋される事で姿を消し、2005年に人工河川としてよみがえった所だそうです。いわゆる暗渠化されて、姿を見せなくなったものの、汚濁が深刻となり、河川の復元がなされたというところてしょうか。

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●ステージと「ヘチ」

駅構内に突如としてこのようなステージ状のスペースがありました。

そしてそこに埋め込まれている狛犬ような物たち。

日本語の説明もあって助かりました。 「ヘチ」というもので、善悪を見分ける「正義」と「清廉」の動物、とありました。ソウルの至る所に存在し、守護者として役割を果たしてきた、という事で沖縄のシーサーのようなものでしょうか?ステージ中央の黄色いのはなんでしょうか?と思い調べたところ、ヘチをデフォルメ化したもののようです。→コチラ

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●世宗大王銅像

駅を降りて文字通り交換の方へ進むと、金色の巨大な銅像が現われます。

ハングルをを創製したといわれる朝鮮王朝4代目の王、世宗(セジョン)大王の像です。この光化門駅の副駅名もこの大王の名前からきています。

2009年の、ハングルの日といわれる10月9日にこの地に建てられ、高さが6.2m、幅が4.3mとそんな驚くような大きなものではないのですが、実物はこのように聞く以上のスケールの大きさを感じます。重さは実に20tもあります。質感は文句なし、貫禄十分です。

この像の姿は彼が制定したハングルの解例本を手に百姓たちと向かい合っている姿、なのだそうです。かなりの好学家であったようです。

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●光化門駅 駅舎

単なる地下駅というよりはちょっと趣が変わっていて、このようななだらかな坂を下りて駅に入って行く格好となります。勿論多数の出口があり、それぞれに違った形となっていて、この出口はメインの通りのど真ん中にあるせいか、特別仕様になっているのかもしれませんが。

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●李舜臣像

豊臣秀吉の朝鮮出兵時に朝鮮側の将軍としてリーダーシップを発揮した英雄・李舜臣(イ・スンシン)の像が雄々しく建っています。上の写真の裏手に載っていましたが、駅の裏に位置しています。1968年の光化門再建時に建てられたといいます。

この英雄の像は韓国内にどれほどあるのか分かりませんが、釜山でも「忠烈祠」に彼らの霊が弔われていましたし、釜山タワーのある「龍頭山公園」も彼の像がありました。

世宗大王が好学家なら、こちらは勇猛果敢なリーダーと対照的なキャラクターではないかと思いました。このように偉大な英傑の像に挟まれた駅という事になりましょうか。ソウル訪問に欠くべからざる駅のひとつかと思います。

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2016年9月19日 (月)

三重/亀山 間違えられた城

三重県亀山市、JR亀山駅からの歩き旅です。

(2016年3月当時)

●駅前広場

を横から見た様子です。

亀山駅は左に隠れている状態です。

なので、右側の建物群は亀山駅に正対する形になりますが、寂れてる感がなかなかのものでした。

この駅には初めて来たのが2008年5月の事ですが、当時駅前に寄っただけで写真をあまり撮っておらず、今年3月に8年ぶりに再訪して、少しは旅らしいこともしてきました。この駅前辺りは前回も行きましたが、あまり変わってないなというのが率直な印象でした。かつてはこれらがすべて有効活用されるぐらい賑わっていたのでしょうか?その頃があったならば是非に体感したいところですが…

右側の青いひさしのたてものも完全な空き建物でした。この右半分に写っている建物がヘタすると今全く使われていないのかも…完全駅前空洞化?すら感じさせられました。

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●駅前通り

駅記事では、駅前広場の大鳥居の写真を載せていましたが、その向こうの位置から駅前のメイン通りを眺めた様子です。

右手前は坂本屋旅館という旅館の建物ですが、現役のようには見えませんでした。

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●ひさしの下

その旅館の建物のひさしの下へ行ってみました。

ちょうど角の部分は上側の写真のように「食堂」の表示がありましたが、営業してなさそうでした。駅前通りに面した側は下側の写真のように「旅館」の看板がありました。看板周りは現役っぽかったのですが、でもやっぱり閉まってるな…という雰囲気しかなかったです。

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●亀山駅前郵便局

亀山は東海道46番目の宿場町として栄えた街で、同時に城下町でもありました。そんなイメージをアピールしてなのか駅前の郵便局もこのような和風建築となっておりました。

ちなみに亀山市では亀山宿以外にも隣の「関宿」があり、ここの宿場町通りは実に素晴らしく、ホントにタイムスリップしたかと思わされました。関宿の辺りは旧・鈴鹿郡関町に属していましたが、平成の大合併で旧・亀山市と合併して現在に至ります。この関宿の様子も是非ともアップしたいのですが、記事にしたいネタが多すぎて力がなかなかままならない状態です。

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●亀山市マンホール

城下町・亀山らしく城郭(多門櫓)がメインに描かれ、また足下の部分には市の花である花菖蒲が描かれています。

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●駅前の交差道路

亀山は駅前が色んな建物があって賑わってるのかと思いきや、使われている建物があまりなく、結局あまり時間を潰せなかったのが初訪問時の印象でした。

中心地が駅から離れた所にあるようで、駅前広場を抜けて、このような橋状になった道路を抜けていく必要があります。駅前だけチョロっといっても亀山ご当地らしいものには出会えない、と感じたのが前回訪問時の反省でした。

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●御幸町バス停

亀山駅前の次のバス停にあたります。駅から1停留所分進んだ所、という事にもなります。

バス停標識が2本立っていますが、いずれも亀山市コミュニティバスのものです。

手前が「野登(ののぼり)・白川ルート」のもので、ここには2路線の時刻が載っていて、左側が野登ルートで、右側が野登・白川ルートの形になっています。朝夕のみの運行で計6本(右側の白川地区を通る分は夕方の2本のみ)という形になっています。

向うの標識は、おなじくコミュニティバスですが「さわやか号」というもので、市内の要所をループする形のものです。これも本数的には1日6本の運行となっています。

料金はいずれも1回100円で、さわやか号は1/1~1/3を除く全日運行してい間ますが、野登ルート側は日祝日も運行無しです、今日のような振替休日に現地へ行って、ここで待っていても来るバスはさわやか号だけという事になります。

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●西町

亀山駅前の橋状の道路を抜けると「亀山駅前」交差点があり、これを右折しすぐさま左折して進んだ道路です。駅からだと300m程度の地点になるでしょうか。普通の幹線道路沿いの表情という感じですが、昭和色濃いお店が並んでいる通りでした。

手前のミノヤというお店は靴とカバンのお店のようですが、ブログがありました→コチラ  膝に良いくつ選びを呼びかけられています。

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●休憩所

先程の西町の通りから歩いてくると上り坂になっていて、そんなところにこのような休憩所スペースが丘状につくられていました。

しっかり「東海道 亀山宿」の表示もありました。階段を上るとちょっとした公園的なスペースになっていて、屋根のついた休憩所的なものもあり、その屋根の内部てっぺんには「お城見庭園」なる記載もありました。椅子は柱を中心とした真ん中にあるタイプのものでした。

駅からそんな長距離ある訳ではないのですが、ここでちょっと一休みしながら、また亀山の主要な部分をちょっと展望できるので、その意味でもよいスペースかと思います。大した高さではないものの、ちょっと高いだけでこんなに見下ろせるのか…と思いましたね。

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●西町問屋場跡

昔の亀山宿は西町と東町からなる…の記載がありますが、今もこの辺りは「西町」という地名としてそのまま残っているのですね。ここに跡地の看板がありますが、後世の道路改良等でその位置を厳密に特定する事は困難なようですが、19世紀期初めの当地の絵図などから、この辺りではないかという事で、この看板が立てられています。

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●池之側橋より

上の写真の休憩所を降りるとこの橋に差し掛かります。これを渡り終えて少々歩けば、亀山城というロケーションです。この写真でも見えていますが、この橋から亀山城が見えています(左端に)。ちなみにこの水は川ではなく池です。決して広い池ではないのですが、何を埋め立てようとしていたのかは分かりませんでした。

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●池を泳ぐカモ

こういうのを見ると必ず撮りたくなります。ズーム使いまくりで。

お城の水辺には大抵何かいると思って見ていたら、何羽か泳いでいました。

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●備中松山と伊勢亀山の交代

板倉家という当地の藩主であった家系が1744年に備中松山(日本三大山城のひとつ)へ移る事となり、代わって石川家がこの亀山にいわばトレードの形で赴任してきました。この75年前である1651年にはやはり石川家が当地に赴任(1659年に転封)しているので、二度目の亀山藩赴任という事になりました。

再び備中松山から亀山に来た石川家ですが、当時備中松山には飛び地があって、その領地内に「伊勢国亀山領」なる石柱が今もあるという事で、岡山県の中に三重県領地がある、と考えると非常に面白い話と感じます。

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●亀山城跡

池之側橋を渡ると学校のグラウンドを横目にこの道路を進んでいけば、亀山城はすぐそこです。駅から歩くと10分程度ですが、初めて行くともう少しかかる感じがしました。

マンホールにもありましたが、高い石垣がかなり印象的です。この上に建つのは天守ではなく、「多門櫓」という櫓です。天守はあったそうですが、丹波国の同じ亀山城の天守解体を命じられた際に、間違ってここの天守が解体されたといいます。

肝心の天守が失われた後、天守台に建ったのはこの多門櫓という事ですが、ナントこの多門櫓は原位置のままで遺っており、これは全国でも数少ない事例だそうで、三重県下では唯一の遺存例であるといいます。間違って天守が解体されたにもかかわらず、こうして残ったというのは大変素晴らしいですね。

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2016年9月18日 (日)

島根/飯南② 頓原Ⅱ・街の核心に迫る

島根県飯石郡飯南町、島根/飯南 ここが彼の地、頓原か!に続いて町内の頓原(とんばら)地区歩き旅第2編です。

(2016年8月当時)

●商店街はつづく

頓原の道の大動脈である国道54号をそれて、すぐ出てくる橋もそれた先に、頓原の中心街的なこの通りが続いています。国道54号が時計の針でいう12時なら、この通りは2時あたりの角度でそこから分岐して続いています。

商店、廃屋、民家…そんなものが続きながらのこの通りを歩いていました。お客様は皆近所の人たちなのかな?等々想像しながら。低い建物がずーっとまだまだ続いていってました。歩いている人は皆無で、地場の人が近所を訪ねるべく出歩いているのが殆どだった気がします。近所付合いが切っても切れない「村」であることを感じました。

訪ねたのがお盆だったせいもあるかもですが、どこかのお家から大きな声のお経を読む声が聞こえてきました。

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●中心地へと

通りも最初のうちは淡々と商店や民家が続いていく形でしたが、かなり歩いて行くと中心的な雰囲気?ちょっと賑わいのようなものすら感じました。元々郡部の町の中心地付近でしたが、やはりそれらしい雰囲気は残ってるのかな、というところで。

大森酒店という酒屋さんが写っていますが、手前にも酒屋さんがあり、こういった地域と酒屋の関係って切っても切れないものがある事を感じさせられます。

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●しましんATM

古風な建屋が立ち並ぶ中、突如としてこのようなボックス状の建物が!

遂に金融機関が現われました。

「しまね信用金庫」の頓原"出張所"という事で、この辺りには支店はなく、このようにATMのみ設置しているようです。土日でもそれぞれ17時まで利用できます。(平日は19時まで)

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●浄土真宗 一念寺

商店街を通っていて、しましんATM付近にこのような参道的なものがあり、一旦それてこのお寺に向かいました。浄土真宗本願寺派の一念寺です。京都市にも同じ宗派の同名のお寺があります。

島根県でも辛うじて東部ながらオレンジの石州瓦が印象的ですが、山門は瓦の見えない下から見ると、木造感に溢れていて実に立派です。

こんな立派なお寺ですが、開基等々プロフになるデータがほとんど見当たらず、ただただ謎です。頓原にこんな立派なお寺がある、とだけここでは書いておきます。

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●飯南町役場 頓原庁舎

遂にいかにも中心地、という分かりやすい場所に到達しました。

旧頓原町役場で、昭和32年につくられた建物という事で、既に築60年近くになるという事ですが、この5月20日をもって閉庁されました。玄関口に閉庁の旨貼り紙がありましたが、5月20日金曜日とだけあり、いつの年かを含め色々調べてみたら今年でした。もう少し早く行ってれば、この建物が現役であったのに…というところでした。

現在は「飯南町保健福祉センター」というところに、頓原基幹支所として機能が移転されています。

ちなみに庁舎閉庁貼り紙の横にある妙なポスターは「ゆるキャラグランプリ」のもので、ご当地には「いーにゃん」という招き猫のようなキャラが居て、現在全国88位、県内では屈指の得票数を記録しています。→いーにゃんエントリー

2014年度140位、2015年度93位という事で順調にステップアップしていますね?!

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●飯南町商工会支援センター

飯南町商工会の頓原支所的なものでしょうか。旧頓原庁舎の2つ隣にある建物です。

本当にこの辺りが頓原の中心か、と実感します。金融機関もこの辺りに複数あるしで。

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●ごうぎん

島根県を代表する金融機関である「山陰合同銀行」が左側の赤い看板に見えます。

ここも頓原"出張所"ですが、窓口営業はやっています。ATM稼働時間はしまぎんの出張所と同様でした。差がついてないので共存できるのか?分かりませんが…。

県内でも主要市以外では、合銀がある場所はそれなりの所という基準のようなものがあると感じます。この辺りでは、歩く人の通行はご近所さん以外皆無で、車は通るだけ、という感じですが、唯一ここだけは絶え間なく車が止まり、お金をおろしては去って行く…という流れがありました。頓原の中心中の中心のカットといえば、自分の中ではこのカットですね。

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●きらく食堂

この頓原の商店街を歩いていて、看板はあれこれ出ているもののいったいどれほどのお店が今も稼働しているのか?と疑問も沸々湧いておりました。ここもその1つでした。幟が出ているところを見ると現役っぽいと思いましたが、その後の調べで現役と分かりました。

食べログにもこのようにありました。→きらく食堂 

このお盆(ナントこの訪問の翌々日!!)に書き込みがありましたので、正真正銘の現役食堂です。いいですね、こういうのはいつまでも残ってほしいものです。

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●畳

再び国道54号へ抜けました。

手前には通りにあった大森酒店の看板が出ていました。

で、この家屋、屋根の妻の部分にうっすらと「畳」とありました。かなり色褪せていて分かりにくいですが、いつまで現役の畳店として営業されていたのだろうか?とこういうのを見る度に思わされます。平成にはもう廃業しているか?昭和でも40年代にはあったかな?とか色々思いを馳せてしまいますね。

ここが現役の時はこの辺りはどれほどの賑わいだったのか、とかそういうものを決して肌で感じ取る事ができないし、記録にもなかなか残っていないと思うので、いくらインターネットが普及してもこの辺りは何か埋めきれないものか?いつも思ってしまいます。

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●さらば頓原

という事で、①の記事から今回の②のラストのこの部分まで実に30分余りで駆け抜けて、バスに乗るため戻ってきました。

ここへやって来た三次へ戻るのではなく、途中の「赤名」まで戻るべく「飯南町営バス」を利用しました。このバスは驚いた事に次停留所のアナウンスが一切なく、運転手ひとり、乗客自分ひとりの中を無音で過ごした20分でした…そのあたりはまた赤名編としてupできればと思っていますが、頓原からは以上です。やっと来れた頓原、さようなら!

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2016年9月16日 (金)

琴電/志度駅 (香川県さぬき市)

香川県さぬき市の琴電/志度(しど)です。

さぬき市では、JR志度駅をupしましたが、今回は同名の琴電(琴平電鉄)の駅をお届けします。

-琴電/志度駅
【路線】琴平電鉄志度線(瓦町-琴電志度間)
【開業】1911年11月18
【訪問】初訪問-2001年4
【1日あたり平均乗降車人員】 1,439人/日 (2001年)
【近隣の主要駅(瓦町方面)琴電屋島駅→9駅

ホーム

琴電志度線の終着駅で、このように線路が途切れています。

1面1線きりのコンパクトなホームです。

「ことでんしど」と平仮名で同じ大きさの続き文字で表現されると、どこで切るやらよく分かりませんね。

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●ホームと駅と

この柵の向こうがホームになりますが、この小さな駅の正面から入って左へ90°曲がる形でホームへと入っていきます。

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●琴電志度駅 駅舎

上の写真で既に見えていた訳ですが、改めて駅舎です。すぐ近くにあるJR志度駅とは全く違う規模で、近くにありながら連携性は全くありません。同じ香川県の高松駅と高松築港駅のような関係、といえば分かる方には分かるかと思います。

白とスカイブルーの織りなすソフトタッチの配色、加えてこれが木造建築と相まって、何とも言えない味を醸し出しています。

それにこのコンパクトな駅舎が可愛らしくて、色々と魅力に満ち溢れている、個人的にすごくツボな駅舎だと感じます。

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●バス停

駅舎がすぐ傍のこんな位置に琴電志度駅のバス停があります。

JRの志度駅からは100mも行かない所にあり、駅前通りを歩いているとすぐ、唐突に見えてきます。駅を出てすぐの時は、ロクに見えないのですが、歩いていると道路脇に突如として出てくるのです。

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●駅前道路

手前がJR志度駅側になりますが、前述の「唐突に現れる」というのが分かると思います。本当にこんな駅前の道路の脇にひっそりと存在しています。

駅前広場スペースなど皆無で、気持ち道路脇が広めかなという感じで、上の写真のバス停もこの道路脇にあります。

同じ志度駅でもJRと琴電でこんなに違う、という分かりやすい形になっていて、こういうかわいらしい駅舎を見るのも駅を訪ねる醍醐味のひとつかと改めて感じます。

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2016年9月14日 (水)

山口/下松 1月2日にねこ3匹

山口県下松市、JR下松駅からの歩き旅です。

(2009年1月当時)

●ガイドマップ

「星ふるまち」として様々なイラスト入りのMAPでした。

もう7年以上前の姿なので、今もこの形かどうか分かりませんが…

下の部分には「笠戸島」がありますが、大橋で陸続きになっている様子が見て取れます。イラストだけ見ていてもちょっと面白そうですこの島…。ちなみに人口は1,200人ほどだそうです。陸続きの島なので、あまり島独自文化的なものは薄いようですが…

北の方はビッシリ山に取り囲まれている感じですね…

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●下松駅前広場

東口の駅前で、線路沿いに眺めた感じですが、ステーションホテルというホテルがあり、反対の西口駅前にも別のホテルがあったり、意外と泊まる場所はあります。これ嬉しい誤算といいますか…。

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●北斗町

まだまだ駅の真ん前ですが、駅前広場をぬけて駅前の通りへ差し掛かった地点で、この交差点が駅から最初の交差点になる、というところです。

丸い枠で覆われた球体の街灯が設置されていて、中央通り的な雰囲気は出ていますが、マンション以外にはさほど高い建物はない、そんな駅前の街並みです。

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●下松駅を振り返る

一番最初の交差点(北斗町)を過ぎてから、下松駅を振り返った画です。駅前遠景、ともいいますが(笑)

高層マンションは存在感ありますが、商店的な活気はそうでもないかな、というところですね。

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●北斗町・西

これまた北斗町交差点を今度は左へ向いた(西向きの)様子です。

山口銀行が見えますが、これは下松ローンプラザ出張所だそうです。

こうして7年前の姿を振り返っていますが、ほぼ駅の真ん前の交差点までしか行かずに引き返してきていて、ろくに行ってなかったんだな、と今頃になって気づかされます。当時はひと駅ひと駅訪ねるスタイルの旅をしていたので、一ヶ所にかける時間がかなり短く、こういう事もしばしばでしたが、これはもう下松へは再訪しなければ、と思わされてもいます。

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●いかにも、な屋台

下松駅へ戻ってきたところですが、なんとも直球的な「屋台」という感じのものがありました。普段ここで屋台出して、そのままにしているのでしょうか?こういうのって放置できるものでしょうか?よく分かりませんが、何せ昼の日中に閉じられた形でこのようにデンと置かれていました。

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●下松のねこ

下松駅前広場外周の自転車が散発的に置かれていた部分の陰に居た猫たちです。

1匹見たと思ったら、2匹3匹と…。

7年前のこんな猫たちを見てると、「もう生きてないかな?」とかついつい考えてしまいます。最近のニュースでペットのネコの平均寿命は12歳とありましたが、野良だと半分以下なのかな…?とか思ったり、そうすると彼らの子どもすら生きてるかどうか…

でもまぁ、彼らの生きていた証としてこうして載せるのもいいのかな、と思ったりします。

下松の、決して旅とはいえるものではないかもしれませんが、今度はちゃんと旅したい、ものです。

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2016年9月13日 (火)

島根/飯南 ここが彼の地、頓原か!

島根県飯石(いいし)郡飯南(いいなん)町、島根県の中南部に位置し人口は4,965人(2016.6.1現在)で、広島県に接していて、町内の9割が山林・原野となっています。島根県と広島県を結ぶ主要な国道54号にて、橋渡しとなる役割を担う「赤名」地区があります。

今回記事はこのお盆の旅行にていちばん最初に行った、町内の「頓原(とんばら)地区」についてのお届けです。

●頓原 バス停

飯南町は2005年1月に旧頓原町(ここ)と赤来町が合併してできました。旧飯石郡の中でも、三刀屋町や掛谷町(故竹下登元首相の出身地)などは合併により、雲南市となりましたが、南部にあるこちらは飯南町として再スタートを切る事となりました。

その中で、旧頓原町の中心的エリアがこのバス停辺りになります。昔島根県に住んでいた頃に山道の一部の道をこの頓原町内で通った事はあったものの、街の部分は全然知らないまま島根を離れ、ずっと行きたいと思っていて20数年、ようやくこの8月に訪問が叶いました。

ここへのアクセスについて触れます。

JR広島駅

   ll JR芸備線 100分(快速80分)、または高速バス105分

JR三次駅

   ll バス 備北交通「花栗口」行 67分 1,340円

「頓原」バス停

三次駅から頓原へ向かうバスは1日に4便しかないので、時刻表チェックは必須です。

「tonbara.pdf」をダウンロード

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●バス停2

こちらは反対側、帰る時に待つ方の待合室です。

来た側にも待合所はありましたが、人が居た為撮らず、こちら側のみ。

小ぎれいな外見の待合所でしたが、中身は昔ながらという感じでした。どのくらいメンテされているのか気になってついつい座れずにいてしまいます。

ここで時刻チェックしておかないとまともに帰れないので、すぐさま寄って確認しました。

4枚あるうちの3枚目が主な時刻表で、一番下の柱に巻いてある感じのはよく分かりませんでしたが、時刻的に朝の分のみでした。とりあえず3枚目の時刻表のが重要で、中でも最下部の「赤名吉田線」の時刻が重要でした。この辺りは路線によっては土日運休のルートもあるので前以て確認したつもりですが、それでも気になってしまいます。

ここから三次へ戻るのは行きとおんなじで1日4便ですが、途中の「赤名」バス停までの便が「町営バス」として走っていたので、この存在は大変助かりました。おかげで赤名へ寄って、そこでも過ごして三次まで戻れたので、ここ頓原と赤名と両方旅できたのです。

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●バス停周辺

妙なレンガチックな建物が続いていました。

降りたバス停はこの道路の左側のすぐ手前です。

向かい(右側)にはガソリンスタンドがあり、その向こうにはAコープがあります。

中心街はこの道路と右側に平行に走る道路にあります。

この辺りは途中で通ってきて赤名もそうでしたが、バス停ひとつ違うだけで何にもない所へ降りる羽目になってしまうので、降りる場所の周りに何があるかちゃんと確認しておかないと、という事になります。

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●Aコープ

瓦屋根のAコープでした。

Aコープ頓原店とかではなく、「エルシィー店」とありました。

なんか買おうと思って海老カツ買って食べました(笑) この頓原に落としていったお金はこれだけです。コンビニは見当たらなかったので、ここで食べ物を買うしか、という感じで。他にも食べれそうなお店も見当たらずで。それよりここには30分強しか居られないので、早く街めぐりしなければという状態でした。

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●中心街へ

この通りが幹線道としての中心地であれば、街としての中心である通りへ向おうという事で、バスを降りたこの道から三次方面へ少し逆戻りする格好で歩いて、この標識の道路を左折します。

左折すると、「頓原ラムネ温泉」の看板がありました。ここへ行きたかったんですが、赤名と2ヶ所訪ねる事を選択したため、ここでの滞在を短くせざるを得ず断念しました。温泉へはこの道を入ってずーっと歩いて行くところでした。

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●頓原郵便局 標識

この地区の本局です、旧頓原町時代は中心となる局であったろうと思います。

上の写真のバス停のある国道54号の延長上の地点にあり、ここから見ると、すぐ向こうの横断歩道の部分を右折して、街並みへ入る格好となります。

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●頓原郵便局 全体と詳細

郵便色の建物全体像です。大きめの局ではありますが、平屋建てで小型の郵便局の延長線上的な感じです。

ATMの稼働は土曜日は17時まで可能で、日曜祝日は13時まで、その辺の小さな局よりはまだ便利という感じです。

局名の部分の下にはちょっとしたアートというか、手づくり感満載の納涼イメージのものがつくられていました。

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●マンホール

現飯南町ではなく、旧頓原町のマンホールです。

琴引フォレストパークとそこを滑るスキーヤー、それと清流を流れる鮎の組み合わせで、「頓原町」という表記がなされています。よくある「とんばら」「おすい」的なパターンではありませんでした。

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●万対橋と頓原川

ここまで出続けていた国道54号を南東に下りて、頓原川の流れる所にある橋です。まんたいばしと平仮名しか分からなかったのですが、調べると「万対橋」のようでした。

そしてこの頓原川、メチャクチャきれいでした。上空の雲が川面に映える様は実にすばらしかったです。まるで透明なスクリーンのようでした?!ちょっとした天空のような錯覚すら覚えて。

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●傷だらけの縁石

すごい事になっていました。何がどうぶつかったのか?という感じで。

万対橋を渡らずに手前で引き返して左折する所で、国道54号とは平行のように見えて実は「八」の形のように広がって行くのが、このカーブの向こうへ続いていく道です。

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●頓原の街並み

民家や商店が立ち並ぶ、頓原の本格的な街並みの始まりです。歴史ありそうな建屋が続いていきます。商店街の名残か独特の街灯が立っています。今は民家でもかつては商店であった所も少なからずあったのでしょうか。

頓原の地名由来としては、戦国期に広島を中心に活動していた大内氏が出雲侵攻の際にこの地に軍隊を駐屯させていた事に端を発するとの事です。

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●夏休み とんばらラジオ体操

として8/4の6:30~とありました。手づくり感満載のこの感じ、いいですね。

1日限りなのでしょうか?夏休みだと最初の1週間だけとか、7月だけとかいう地域はよく聞きますが。

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●通りを進む

と、かなり渋い感じが色濃くなってきました。

木造の建物も目立ってきたり。

こういう所に身を置いてるだけで通常と違うモードになれますが、普段見ない世界的な感じがすごくよろしい、ホントにそんな気分になれます。

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●更に渋い建屋

へと続いていきます。

ここが20年来行きたいと思っていた頓原の町か…、そんな気持ちを噛みしめながら、こんな通りを歩いていました。

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2016年9月11日 (日)

阪急/摂津市駅 (大阪府摂津市)

大阪府摂津市の阪急/摂津市(せっつし)です。

摂津市では、JR千里丘駅をupしましたが、今回は阪急で摂津市にある駅をお届けします。

-阪急/摂津市駅
【路線】阪急京都線(十三-河原町間)
【開業】2010年3月14
【訪問】2012年2
【1日あたり平均乗降車人員】 11,769人/日 (2014年)
【近隣の主要駅(十三方面)十三駅→7駅
           (河原町方面)茨木市駅→2駅


●駅名標

2010年に阪急86番目の駅として開業した新駅です。ちなみに長岡京市の西山天王山駅はこの3年後に開業しています。この時は開業後約2年の状態で訪問し、当時では阪急の最新駅でした。

摂津市では、JRで千里丘駅、大阪モノレールでは摂津駅、南摂津駅、阪急では正雀(しょうじゃく)駅とあり、JR・阪急・モノレールの順に西からほぼ平行に走っていますが、これに加えて開業され、JR千里丘とモノレールの摂津駅との間に位置する格好となっています。

摂津市の玄関口として、の役割で開業されたというのが駅名からも感じ取れます。駅名のローマ字表記は「Settsu-shi」と間に「-」(ハイフン)が入っています。

ダイヤ的には普通しか停まらない為、他駅と比べると少な目、というところです。

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●ホーム

2面2線のシンプルな構造で、普通のみの停車で、設備的にもシンプルではありますが、実は日本初の「カーボン・ニュートラル・ステーション」であり、「エコで始まる新しい駅」として様々な環境配慮がなされています。

太陽光発電、LED照明などによりCO2排出量を約半減、排出量枠の購入で計算上、CO2排出ゼロにする予定、という内容も開業前に謳われていました。

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●駅前風景

摂津市駅を出て、駅前広場周辺の様子です。

JR千里丘駅より南東約500mの地点に位置しており、また大阪モノレールの摂津駅とは約1kmの距離があり、摂津市の玄関口を標榜して開業されたものの、摂津市に関してはいろんな鉄道会社の路線が乱立して、それぞれ平行に走っているという印象で、どれが中心なのか?やはり確固たるものを感じなかった、のがこの時の気持ちでした。新駅がてきたもの良いのですが。

阪急でいえば、高槻市駅、茨木市駅もJRの市名を名乗る駅から一定の距離があり、ここも同様、という感じでした。

バスとしては千里丘駅行きが多数出ているようです。

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●駅前風景2

上の写真の駅前風景から、やや左に目を転じた様子です。

この階段を上がって行くと、川沿いの公園状のエリアになります。街なか歩きとは違った形での、ちょっとした散歩に適したエリアです。

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●レンタサイクル

駅前にありましたが、設置箇所がコチラにありました。

朝6:30~という事で、朝早くに来ても利用できるのがいいですね。1日利用で電動車が420円という事で、電動車は駅によって置いていないところもありますが、この駅にはあるようです。時間制ではなく1日利用でこの値段(普通車では310円)というのがまた嬉しいところです。

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●駅前通り

駅前広場を抜けての通りです。

とにかく高層マンションが存在感を示している、そんな感じでした。

東口の出口から見て、左側が先ほどの階段→公園エリアならば、右側はこんな風にすっかり街なかという、非常に対照的な街の表情になっています。

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●摂津市駅 駅舎

後に出来る西山天王山駅もそうですが、新駅ってどこかの間に需要があってできる事が多いせいか、規模の小さい駅が多く、ここもそんな感じでした。ただ「摂津市」と市名を名乗る駅であったので、大きめなのかな、と期待して向かってみましたが、違ってました。

隠れた日本初の駅だったりするのですが、今後駅という設備がECO化を推し進める拠点となる、そんな端緒にここがなれば、という思いもあります。

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2016年9月 8日 (木)

宮城/塩釜 塩釜から西塩釜への道

宮城県塩釜市、JR塩釜駅周辺の様子です。

(2009年8月当時)

●マンホール

塩釜市のマンホールです。

ここ塩釜で巡った場所が実は殆どなくて、JR塩釜駅と、別の線で近くを走っている西塩釜駅への移動のみです。それも結構短距離で。塩釜は港町なのは前々から知っていましたが、ここが実際どんな暮らし向きか、知ってみたいてす。行っておいてこう書くのは何ですが、ホントに殆ど滞在していませんでした。

マンホールは市の花であるシラギクを全面にあしらったものです。デザイン自体は何の変哲もない…と思ってしまいますが、よく見ると真ん中下に「東玉川」なる文字があります。ここが他の自治体と違う点で、この枠内に、設置されている地区名が入っています。「多摩川」というのもあるそうで、これはなかなか…後から知った事ですが、オドロキでした。

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●塩釜駅前

幅の広い道が通っていたりして、そこそこの駅前通りの雰囲気はありますが、高い建物で並ぶといった感じではありませんでした。宮城県で人口10万超といえば、仙台をはじめ大崎、石巻といったところで、他は中小都市という感じで無理からぬ部分があるかな、というところです。

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●さらに駅前

マンションなどピンポイントには高い建物がありますが、それ以外は歯抜け状態が結構ある印象でした。

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●公民館入口バス停

という名前の下に「白百合学園のりば」とありました。白百合学園とはまたドラマに出てくるような名前!と思いましたが、学校は仙台市にあるそうです。で、ここには各方面に出ているスクールバスの停留所があるという訳です。ここから1時間強かかって学園へ辿り着くのだとか。

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●駅前道路突き当たり

塩釜駅からまっすぐ東へ伸びる道路をそのまま歩いて突き当りの所です。かなり西塩釜駅に近い場所で、これを左折して歩いて程なく右折すると西塩釜駅です。距離にして600m程でしょうか、駅出て直進して左折して歩くと見えてくる、という感じです。

塩釜駅はJR東北本線で、西塩釜駅はJR仙石線という線に所属する別路線です。幅が広がったり狭まったりしながらも、この辺りでは両者は平行に通っています。

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●西塩釜駅前

まで来ました。

この手前のだいぶ色褪せた横断歩道のすぐ向こうを右に曲がると、西塩釜駅が目の前です。

西塩釜駅は歩道橋を降りると、狭い路地になっていて、そこから真正面を見ると、この左側にある「福助や」というお店の建屋が見えます。つまりここの駅前は、さして駅前広場もなく、唐突にこのような商店街に入っていく格好になります。

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という訳で、次はもっとちゃんと訪ねたいと思った塩釜市でした!

2016年9月 4日 (日)

山口/萩 寺町や古き街並み

山口県萩市、JR東萩駅からの街めぐりです。

(2012年4月当時)

●東萩駅から

駅前の通りです。駅前広場を出たすぐ先の幹線道路です。

ここに標識が出ていますが、萩城跡までは約3kmあります。萩へ初めて行ったのが2008年11月の事でしたが、この時は晩泊っただけで、駅近なら萩城へ…も考えていましたが、断念して別の地に行く事にしました。なので、3年半後の再訪にあたる今回写真分にてようやく観光ができたのでした。

ちなみに城下町までは2kmという事で、時間があれば十分歩いて行ける距離ではあります。

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●萩城址線

東萩駅からはすぐ、駅から100mも行かないうちに橋が出ていて、これを渡った先の土原(ひじわら、と読みます)という地区での県道295号(萩城址線)の標識です。

中国地方で唯一、近世城郭に通じる県道だという事です。

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●萩グランドホテル天空

東萩駅から橋を渡ったりしながら500mほどのところにある、市内を代表するホテルです。HPは⇒コチラ 

宿泊プランカからすると、12,000円~はかかりそうですね。

このホテル名のバス停もあり、30分に1本ペースでバスで停まります。萩市のコミュニティバスである「まあーるバス」というものですが、路線図のオレンジ部分が西回り、ブルーの部分が東回りだそうです。

まぁここまで来てしまえば、他の観光地へそのまま足伸ばしで行けてしまうので、なんだかんだ歩いて行けてしまうんですが…。ただ、今時期のように歩いて行くのは大変で、バスの来る頃合いを把握できるなら、バスで行っても良いかな、というところです。

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●萩市観光地あたり

右上の丸囲み部分が東萩駅です。バス路線は上の写真と同じになりますが、東萩駅からでは萩城の方へ行き着く格好にならないので、橋を渡ってグランドホテルまで出ていく事となります。東萩駅の左横の丸囲み部分がグランドホテルです。

ここのバス停から上部への黒線に沿ったルートで萩城跡へ行き着く事ができます。萩の城下町は街なかにありますが、城跡自体は海沿いの半島状になった部分にあります。

この地図の下の真ん中部分は、旧家が多く観光資源も多いので、このあたりも要チェックです。人口は5万そこそこと山陰でもあり小さな街ながら、江戸時代までは歴史の中心でもあり、観光地らしくバスの本数が多いのは助かります。それだけ需要が多いのかもしれませんが。

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●吉田町交差点

東萩駅から歩いてグランドホテルを抜けた直後辺りです。

右手前のめしやの建物が強烈に惹かれました。城下町として整備されている印象の強い萩市でも、こういう自然に残った部分が見えるのも大変面白いものがあります。

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●享徳寺

吉田町交差点を西へ進んだ所にお寺が並んだ寺町的なエリアがあり(バス停も「寺町」となっています)、そのなかのお寺のひとつですが、「こうとくじ」と読みます。

1452年大内義弘を開基として創建されたとあり、この年の年号がお寺の名前にもなっている「享徳」(こちらは「きょうとく」と読みます)で、これが名前由来とされています。今でいうと「平成寺」みたいなもんでしょうか、昔はもっと年号サイクルが゛早いので、かなり意味合いが違うとは思いますが。現在の住職さんは二十四世だそうです。

当初は真言宗のお寺だったのが約120年後に現地へ移され、曹洞宗のお寺になったといいます。

この山門がなんとも印象的ですが、市文化財ということです。

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●享徳寺境内

享徳寺の境内に入ってのカットです。

「吉運山」という縁起良い名の扁額がかかっています。

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●佛定石

これも享徳寺内ですが、釈尊入滅の際に残したという足跡を石面に刻んだもの、とあります。釈尊入滅の際、とはお釈迦様が亡くなる時ですね。

インドではこれらを礼拝する習慣があるのだとか。日本伝来は奈良時代で、薬師寺にあるものが日本最古とも記されています。

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●しだれ桜

これも享徳寺のものですが、ちょうどこの訪問が4月中旬で、桜の時期でもあり、境内にはきれいな桜が咲いていました。

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●熊谷美術館

「くまや」びじゅつかん、と読みます。

関所跡によくこういうのがありますが、ここは熊谷家という旧家の跡で、更に熊谷美術館として今は存在しています。熊谷氏というのは江戸時代、萩藩の豪商でした。

江戸中期の1768年新築のこの建物は江戸時代の町屋建築の代表とされ、重要文化財に指定されており、代々が収集した美術工芸品や民具など文化史料などを保存、公開する事を目的として1965年に美術館として開館されています。

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