三重/亀山 間違えられた城
三重県亀山市、JR亀山駅からの歩き旅です。
(2016年3月当時)
●駅前広場
を横から見た様子です。
亀山駅は左に隠れている状態です。
なので、右側の建物群は亀山駅に正対する形になりますが、寂れてる感がなかなかのものでした。
この駅には初めて来たのが2008年5月の事ですが、当時駅前に寄っただけで写真をあまり撮っておらず、今年3月に8年ぶりに再訪して、少しは旅らしいこともしてきました。この駅前辺りは前回も行きましたが、あまり変わってないなというのが率直な印象でした。かつてはこれらがすべて有効活用されるぐらい賑わっていたのでしょうか?その頃があったならば是非に体感したいところですが…
右側の青いひさしのたてものも完全な空き建物でした。この右半分に写っている建物がヘタすると今全く使われていないのかも…完全駅前空洞化?すら感じさせられました。
駅記事では、駅前広場の大鳥居の写真を載せていましたが、その向こうの位置から駅前のメイン通りを眺めた様子です。
右手前は坂本屋旅館という旅館の建物ですが、現役のようには見えませんでした。
その旅館の建物のひさしの下へ行ってみました。
ちょうど角の部分は上側の写真のように「食堂」の表示がありましたが、営業してなさそうでした。駅前通りに面した側は下側の写真のように「旅館」の看板がありました。看板周りは現役っぽかったのですが、でもやっぱり閉まってるな…という雰囲気しかなかったです。
亀山は東海道46番目の宿場町として栄えた街で、同時に城下町でもありました。そんなイメージをアピールしてなのか駅前の郵便局もこのような和風建築となっておりました。
ちなみに亀山市では亀山宿以外にも隣の「関宿」があり、ここの宿場町通りは実に素晴らしく、ホントにタイムスリップしたかと思わされました。関宿の辺りは旧・鈴鹿郡関町に属していましたが、平成の大合併で旧・亀山市と合併して現在に至ります。この関宿の様子も是非ともアップしたいのですが、記事にしたいネタが多すぎて力がなかなかままならない状態です。
城下町・亀山らしく城郭(多門櫓)がメインに描かれ、また足下の部分には市の花である花菖蒲が描かれています。
亀山は駅前が色んな建物があって賑わってるのかと思いきや、使われている建物があまりなく、結局あまり時間を潰せなかったのが初訪問時の印象でした。
中心地が駅から離れた所にあるようで、駅前広場を抜けて、このような橋状になった道路を抜けていく必要があります。駅前だけチョロっといっても亀山ご当地らしいものには出会えない、と感じたのが前回訪問時の反省でした。
亀山駅前の次のバス停にあたります。駅から1停留所分進んだ所、という事にもなります。
バス停標識が2本立っていますが、いずれも亀山市コミュニティバスのものです。
手前が「野登(ののぼり)・白川ルート」のもので、ここには2路線の時刻が載っていて、左側が野登ルートで、右側が野登・白川ルートの形になっています。朝夕のみの運行で計6本(右側の白川地区を通る分は夕方の2本のみ)という形になっています。
向うの標識は、おなじくコミュニティバスですが「さわやか号」というもので、市内の要所をループする形のものです。これも本数的には1日6本の運行となっています。
料金はいずれも1回100円で、さわやか号は1/1~1/3を除く全日運行してい間ますが、野登ルート側は日祝日も運行無しです、今日のような振替休日に現地へ行って、ここで待っていても来るバスはさわやか号だけという事になります。
亀山駅前の橋状の道路を抜けると「亀山駅前」交差点があり、これを右折しすぐさま左折して進んだ道路です。駅からだと300m程度の地点になるでしょうか。普通の幹線道路沿いの表情という感じですが、昭和色濃いお店が並んでいる通りでした。
手前のミノヤというお店は靴とカバンのお店のようですが、ブログがありました→コチラ 膝に良いくつ選びを呼びかけられています。
先程の西町の通りから歩いてくると上り坂になっていて、そんなところにこのような休憩所スペースが丘状につくられていました。
しっかり「東海道 亀山宿」の表示もありました。階段を上るとちょっとした公園的なスペースになっていて、屋根のついた休憩所的なものもあり、その屋根の内部てっぺんには「お城見庭園」なる記載もありました。椅子は柱を中心とした真ん中にあるタイプのものでした。
駅からそんな長距離ある訳ではないのですが、ここでちょっと一休みしながら、また亀山の主要な部分をちょっと展望できるので、その意味でもよいスペースかと思います。大した高さではないものの、ちょっと高いだけでこんなに見下ろせるのか…と思いましたね。
昔の亀山宿は西町と東町からなる…の記載がありますが、今もこの辺りは「西町」という地名としてそのまま残っているのですね。ここに跡地の看板がありますが、後世の道路改良等でその位置を厳密に特定する事は困難なようですが、19世紀期初めの当地の絵図などから、この辺りではないかという事で、この看板が立てられています。
上の写真の休憩所を降りるとこの橋に差し掛かります。これを渡り終えて少々歩けば、亀山城というロケーションです。この写真でも見えていますが、この橋から亀山城が見えています(左端に)。ちなみにこの水は川ではなく池です。決して広い池ではないのですが、何を埋め立てようとしていたのかは分かりませんでした。
こういうのを見ると必ず撮りたくなります。ズーム使いまくりで。
お城の水辺には大抵何かいると思って見ていたら、何羽か泳いでいました。
板倉家という当地の藩主であった家系が1744年に備中松山(日本三大山城のひとつ)へ移る事となり、代わって石川家がこの亀山にいわばトレードの形で赴任してきました。この75年前である1651年にはやはり石川家が当地に赴任(1659年に転封)しているので、二度目の亀山藩赴任という事になりました。
再び備中松山から亀山に来た石川家ですが、当時備中松山には飛び地があって、その領地内に「伊勢国亀山領」なる石柱が今もあるという事で、岡山県の中に三重県領地がある、と考えると非常に面白い話と感じます。
池之側橋を渡ると学校のグラウンドを横目にこの道路を進んでいけば、亀山城はすぐそこです。駅から歩くと10分程度ですが、初めて行くともう少しかかる感じがしました。
マンホールにもありましたが、高い石垣がかなり印象的です。この上に建つのは天守ではなく、「多門櫓」という櫓です。天守はあったそうですが、丹波国の同じ亀山城の天守解体を命じられた際に、間違ってここの天守が解体されたといいます。
肝心の天守が失われた後、天守台に建ったのはこの多門櫓という事ですが、ナントこの多門櫓は原位置のままで遺っており、これは全国でも数少ない事例だそうで、三重県下では唯一の遺存例であるといいます。間違って天守が解体されたにもかかわらず、こうして残ったというのは大変素晴らしいですね。
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