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2016年11月の12件の記事

2016年11月29日 (火)

韓国鉄道公社/餅店駅 (韓国/華城市)

韓国/軍浦市の韓国鉄道公社/餅店(병점)です。

華城市はソウル近郊京畿道の市で、人口は約540,000人で、周辺地域が市制化していく中で取り残された形となり、21世紀となった2001年にようやく市制化された新しい市です。韓国の世界遺産に「水原華城」というのがありますが、これがあるのは水原市であり、華城市ではありません。

韓国鉄道公社/餅店(병점)
【路線】韓国鉄道公社京釜電鉄線(首都圏電鉄1号線)(ソウル駅-天安間)
              餅店基地線(餅店-西東灘間)

【開業】
1905年1月1日
【訪問】2016年9
【1日あたり乗降車人員】 15,087人/日(2011年)
【近隣の主要駅】 (ソウル方面)水原駅→2駅 
            (天安方面)烏山駅→3駅
            (西東灘方面)西東灘駅→隣駅

●駅名標

餅店と書いて英字では「Byeongjeom(ピョンジョム)」と表記します。

これはさすがに日本語読みとかけ離れていて、「もちみせ」としか覚えられずにいます(笑)

韓国鉄道公社京釜線に属していますが、ソウルの首都圏電鉄1号線の延長上で、地下鉄の駅番号が適用されており、地下鉄同様T-Moneyカードにチャージしていれば自由に乗り降りできます。(地下鉄に乗ると同じように気軽に利用できます)

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●駅周辺地図

ここはさすがに日本語表記がなく、英語と漢字表記はありますが、やはりソウルを離れるとだんだん日本語に触れる事は少なくなってきます。

で、ここの駅近くに出ている施設は官公庁系ばかり?という感じでした。むしろ、観光名所が近くにあると確認できた都市の方が少なかったと思います。大抵どこ行っても結構似たような雰囲気の駅前だな…って印象もかなりありました。ソウル市外であっても。

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●のりばへの案内

右側に代表的な行先が表示されています(日本でいう大阪・京都方面的なもの)が、西東灘は本線から外れてひと駅だけ分岐する「餅店基地線」の駅で、他の平沢、天安…とあるのはいずれもソウル方面とは逆方向で、つまりはソウルから遠ざかる方向にある駅です。

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●電光掲示

完全ハングルなんでわかりません、多少読めても、読んでるうちに表示変わってしまったりで(笑)読めてもかな止まりで、なんていう感じの駅なのか、漢字の路線図を見ていても分からないという…とにかく待つだけ待っていました。

ソウル市内では放っておいてもいくらでも電車は来ますが、ソウルを出ると段々本数が減っていき、1号線の果てまで行くと1時間に2本程度にまでなってしまいます。なので、ソウル地下鉄の延長上で、ソウル市外を旅したいという方(管理人はまさにそのノリでこの時旅していましたが…)は要注意です。

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●駅構内

餅店駅舎内です。

下2枚中上側は、駅の階段を上って2F部分へ入り、改札周辺の様子です。この辺り大体どこの駅へ行ってもこんなカフェ様のお店はありました。ただソウル市外に限れば、市の中心駅らしき駅しか寄っていないので、本当に他の駅含めてこんな感じか、?と言われると分かりません。

下側の写真は入口はいったばかりの所で、階段前のちょっとしたスペースにも服の店が構えられていました。

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●餅店駅 駅舎

白の壁面にオレンジのストライプが印象的な駅舎です。

ソウルを出て地下鉄色が薄くなると、こういった本物の「駅舎」に出会えて、駅舎大好きの身としては、ようやく駅に来たなと感じました。

薄暮というレベルを越えるくらいの時間帯で、写真もぶれがちになり、駅名なんてまともに撮れたものではありませんでした。

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2016年11月27日 (日)

JR吹田駅 (大阪府吹田市)

大阪府吹田市のJR吹田(すいた)です

吹田市は、大阪府の北部に位置し、人口は377,783人(2016.10.1現在)で、千里ニュータウンとして大阪市のベッドタウン的ポジションとして有名で、また1970年に開催された万博の会場としても有名で、太陽の塔はその象徴的存在として今もインパクトを放ち続けています。

-JR吹田駅-
【路線】
JR東海道本線(東京-神戸間)
【開業】1876年8月9日
【訪問】初訪問-1999年6
【1日あたり平均乗車人員】 22,430人/日 (2015年)
【近隣の主要駅 (東京方面)茨木駅→3駅
           
(神戸方面)新大阪駅→2駅

●駅名標周辺

ブレブレになってしまいました…

ここに初めて来たのは、1999年6月の事でした。新大阪のメルパルクホールで太田裕美さんのコンサートがあって、その時に足伸ばしに寄りました。吹田市そのものでいうと初めて訪ねたのは更に遡り、1989年2月の事となり、大学受験で行きました。〇大前駅って所でしたが(笑)

割と近くながら寄る事が意外に少なく、新大阪駅の2つ隣駅ながら、新大阪とは行く頻度が格段に違います。ここは各駅停車しか停まらないので、近隣の茨木や高槻よりも行く(寄る)機会が少なくなってしまいます。

2005年に6年ぶりに再訪して写真にて記録は残していますが、性能の悪い携帯で撮ったものにつき、かなり見栄えが劣り、それ以来寄ってないのでは??と思い、つい今月のはじめに寄って撮ってきたものが、今回記事の写真となります。なので当駅記事の写真の殆どは今月のもので鮮度は十分です。(これ以外のものは撮影時期を明記します)

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●ホーム

2面4線のホームとなっていますが、実際使われているのはこの右側の3番線と右側ホームの左の線である2番線のみで、両面の内側にある路線のみという事になります。両面の外側は通過列車用の線で、利用される事が無い為、各々柵が設けられています。

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●ホーム2

上の写真と同じホームで、4番線が左、3番線が右の形で、4番線部分の柵がより分かりやすく見えると思います。東海道線の駅なのでやはり屋根のあるゾーンは広く取られています。

吹田市でJRの駅としては当駅と岸辺駅の2駅のみで、市名を名乗る中心駅ではありますが、阪急吹田駅というのも別の地にあります。JR以外では阪急千里線に数多くの駅があり、大阪モノレールや大阪市営地下鉄、北大阪急行などにも吹田市の駅があります。

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●時刻表(京都方面)

京都方面につき、東へ向かう「上り」方面の時刻表です。

普通列車しか停まりませんが、本数はこのような形で大体の時間帯は1時間あたり8本あります。

市の中心駅にしてこの辺りで新快速が停車しないのは、京都の方で向日町・長岡京などにもありますが、人口30万以上で新快速・快速すらも停車しないのはここだけです(西宮は快速が停車)。ここよりも人口の少ない、高槻には新快速が、茨木には快速が停車しますが、ここには停車しないのは単に新大阪に近いから等の距離的な部分かと思っているのですがどうなのでしょうか。

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●駅前広場俯瞰

駅を出て2F部分通路から左側へ逸れて、駅前を見下ろした様子です。

タクシーのたまり場としてキッチリ整備されていますが、ハテ前回行った時こんなだったっけ??の疑問が湧き出しました。確かこの辺はバスターミナルで2F通路からいくつも階段が下りていなかったか??と…、そればかり頭にありました。

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●吹田駅前2005

これは2005年訪問当時の駅前の様子のひとつです。

先日訪問して、駅は変わってないと思いましたが、駅前広場は変わってるんじゃないか?と思わされたので、帰ってから下の手持ち写真で確認したのですが、2F通路が真ん中に通っている自体は変わっていないのですが、サイドの部分がえらく変わったな、と…。

通路から下りている↓これらの階段が殆どなくなっていましたsign03

昔ここに行った時に、2F部分から各バスターミナルへ降りていく階段の分岐の多さに「ムカデ通路」と勝手に呼んでいたのですが、いつの間にか無くなっていたのです。どうやら各バスターミナルへと階段で降りていくのはバリアフリー上の不満がある、等色々要望があったようですね。駅前がかなりゴチャゴチャしていた印象が強かったのですが、実にスッキリした構造になっていました。

Photo

●AEON吹田店

駅前広場の左端を眺めた様子です。

やっぱりそうか、変わったか!というのがここを見た時の第一印象でした。

というのも吹田駅前といえば、ダイエー吹田店の印象が強く、結構長く残っていた印象も持っていたのですが、この度訪ねるとさすがに無くなっていたな、と。そしてAEONに変わっていました。しかしそれでも、今年の3月まではダイエーであったというから驚きでした。

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●ガンバ!

上の写真のAEON吹田店の建物の中にもチラッと見えていますが、ここ吹田はガンバ大阪のホームグラウンドである市立吹田サッカースタジアムがあります。

そんな関係か12人目の選手扱いのものがこうやって出てきているのですが、このゴリラ?大変インパクトありました。

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●駅前右端

転じてこちらは右端へと視点を移してのカットです。

駅前広場の中心がタクシーシェルターで外周がバスのりばという感じですね、以前は真ん中に各方面のバスのりばがあって、ホントにだいぶ様変わりしました。駅舎の変化がほとんど感じられなかったので、気づくのに時間がかかってしまいました。

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●吹田駅 駅舎

茶色を基調とした、他の周辺各モールと同化したかのような色遣いの駅舎となっています。

これだけ大きな駅で普通列車しか停車しないとは…位置的なものでしょうかやはり。他の地方なら新幹線停車駅レベルの規模かと思ってしまいますが。

この向こうにはAsahiビールの工場があり、これもまた吹田を象徴する存在かと思います。

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●おまけ

2005年当時の吹田駅の一部です。画素数の粗い携帯で撮ったものなのでかなりアレですが、、10年ちょっと前も駅舎は同じである事が分かります。

Jr

JR石部駅・三雲駅 (滋賀県湖南市)

滋賀県湖南市のJR石部(いしべ)駅/三雲(みくも)の2駅をまとめてお送りします。

湖南市では甲西駅をupした事がありますが、今回はこの甲西駅を挟む市内の2駅という形でお送りします。

まずは石部駅から…

-JR石部駅
【路線】JR草津線(柘植-草津間)
【開業】1889年12月15
【訪問】初訪問-2008年5
【1日あたり平均乗車人員】 1,783人/日 (2014年)
【近隣の主要駅(柘植方面)貴生川駅→3駅
           (草津方面)草津駅→2駅

●駅名標

JR東海道本線の草津駅から分岐する「草津線」の駅で、以前お送りの甲西駅が隣で、更にもうひと駅隣が三雲駅で、当駅含めこの3駅が湖南市内の駅となります。元々は関西鉄道というところで、その創業時の駅として「草津-三雲」間の唯一の中間駅として開業したという歴史を持っています。

で、反対側の隣駅「手原」は栗東市の駅となります。その1つ向こうは草津駅(草津市)となり東海道線と合流しますが、東海道線でも栗東駅(栗東市)があり、栗東市の駅は草津駅を挟んで、飛び地的に存在する形となっています。

石部は宿場町として江戸時代に栄え、湖南市内の3駅(三雲・甲西・石部)中で最も宿場色の強い地です。

この駅の初訪問は2008年5月の事ですが、ここでの写真は2016年7月再訪時のものを基本的に載せていきます。

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●ホーム

2面2線のホームで、草津線の途中駅であり、市の中心駅でもなく、特にどうという事のない沿線中のひと駅ではありますが、少し歩けば宿場町の面影を味わう事の出来る「渋い」地だと思います。

市の中心駅ではありませんが、平成の大合併で湖南市になる前は、甲賀郡石部町唯一の駅として町の交通の代表的存在ではありました。

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●ホーム2

2面のホームはこの跨線橋で繋がっていますが、階段部分の下りている先が各々逆方向になっていて、対向ホームの屋根のついた部分は、かなり離れた位置にあります。

また、上の写真でも対向側(駅舎のない側)のホームに屋根のついた部分がなく、ほんの一部の椅子があるところだけが屋根つきのようです。

跨線橋は橋の部分の下を見てもかなり年季が入っているようでした。

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●駅隣接

しているコミュニティセンター内のカットです。駅の真横に並んで立っていて駅とは別棟ですが、殆ど駅構内といっても過言ではないレベルです。

石部が東海道五十三次の五十一番目の宿場町として栄えた様子を押し出しており、街道関係の地図もつくられています。その手のものが駅の中でこんな形で展開されています。草津線の途中駅の中では、なかなかこのように取り上げられている駅というのはないものです。

石部駅は東海道始発の「京」を出て1日の行程にあり、「京発ち石部泊まり」という言葉がある程、1日目の宿泊地として定番であったようです。またその当時、ところてんに黒蜜をかけて食べる方式を取り入れて、そのように食べる発祥の地ともされています。

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●石部駅前公園

位置的には駅よりコミュニティセンターの真ん前に立っている格好となりますが、このような立派な門でお出迎えしてくれる庭園があります。

草津線の途中駅にこんなものがあるとは!と驚きもしましたが、この中を入ると単なる植込みが並ぶ庭園で、特別にインパクトのあるものがある訳ではないです、わざわざちょっとした公園としてスペースがつくられて維持されているんだ、という視点で見た方が良いかな、というところでした。

向こうにある看板は、石部宿のちょっとした説明が手書きタッチで書かれているものです。宿場町としての側面は勿論ですが、かつては石部町の代表駅的な位置づけからか少しだけ「石部」の名が前面に出されいてる感じを受けました。

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●駅前風景

左側が石部駅前公園、その向こうの2棟の左側の和風の建物がコミュニティセンターで、右側の平たい屋根の建物が石部駅です。

コミュニティセンターといっても観光促進用の配布物があったり、また待合室的な性格も強く、そういう意味で先述のように駅内の一角といっても過言ではないというところです、建物が別になっているだけであって。

バスは両建物のほぼ中間、幾分コミュニティセンター寄りの地点に乗り入れてきます。近場のコミュニティバスを中心に運行されていて、さすがに長距離バスの類はここからは出ていないようでした。

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●石部駅 駅舎

上の写真でチラッと覗いて見えていましたが、石部駅の駅舎です。

この沿線は意外にも?!すべて駅舎があり、また建屋規模も形も個性的で、これまた意外と?!駅舎探訪のし甲斐があると思います。そんな中でもこの駅はかなりオーソドックスなつくりというか、見る者に特別なインパクトを与えるというものではないと思います。右側のレンガ調っぽい模様は少々目を惹きましたが…

右端に見える「石部駅」の表記は国鉄時代からのものと思いますが、真ん中の出入口の所にはJRの駅表示があります。

バリアフリー化や橋上駅舎化など様々な事が要望されているようですが、この先どうなっていくのやら…駅舎が変わるようであればまた見に行きたいものです。

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以上、石部駅でした。

つづいて、三雲駅です。

-JR三雲駅
【路線】JR草津線(柘植-草津間)
【開業】1889年12月15
【訪問】2008年5
【1日あたり平均乗車人員】 1,922人/日 (2014年)
【近隣の主要駅(柘植方面)貴生川駅→隣駅
           (草津方面)草津駅→4駅


●駅名標周辺

駅名標下部分が反射してしまい、隣駅表示が見えなくなってしまっていますが、甲賀市のキー駅である貴生川駅の隣駅となります。記事冒頭の石部駅は2つ隣で、この間に甲西駅があります。

駅プロフィール的には石部駅とほぼ同様で、やはり旧関西鉄道の創業当時からある駅で、石部駅と同時に開業しており、1880年代開業とかなり古い歴史を持つ部類の駅です。

管理人の訪問時も石部駅と同じ2008年5月で、石部駅は今年8年ぶりに再訪しましたが、ここはしていないので、upする写真は2008年当時のものとなります。特に大幅な更新状況も確認できず、今も大差ないだろう…と勝手に思っていますが、そう思って調べてみると、橋上駅舎化に向けて工事をしている模様です。これは新駅舎ができたら行かねば…となってしまいます。この年度末には橋上駅舎と南北連絡通路も完成予定、と湖南市長のコメントにありましたので。この記事での写真は、「当時の姿」と思って見て頂ければと思います。

利用者数も石部駅と大差なく、若干三雲駅の方が多いかな、という程度です。

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●ホーム

石部駅同様に2面2線で、両ホームは跨線橋で結ばれています。こちらは橋から下りている階段は互い違いではなく、同じ方向に下りていて、向かい側(右側、駅舎でない側)ホームの屋根も手前側にかかっています。

特に市の中心駅でなく、平成の大合併前は甲賀郡甲西町に属しており、そこでも町の中心駅は甲西駅の方で、湖南市3駅の中で旧市町制以来中心駅の経験がない駅です。

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●駅前交差点

駅の真ん前にキッチリとしたスペースがある訳ではなく、ここは駅から北へ20m程進んだ所にある、駅前の交差点周辺です。複数のタクシー会社ののりばがありました。

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●駅周辺

三雲駅を出て、上の写真の交差点を左折して西へ進むとこのような風景になります。

商店街の面影を残し、左側には接骨院があり、その向こうはカネボウ化粧品の昭和期から見かける看板が見えますが、ここは今も営業しているのか分かりません。商店がシャッターのかかったままになったり、更地になったり、駐車場やマンションになったり、かつての駅前のその後たどる姿は様々ですね。

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●ここも駅前

2枚上の写真のタクシー会社がこの位置で写っていて、これの引き版という形になるでしょうか。

右の建物の年季の入りようには目を奪われました。

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●三雲駅 駅舎

駅の前はこのような感じで、多少のスペースはありますが、駅前があまり広いとはいえず、

この駅のインパクトのある点といえば、出入口前の緑の厚い庇ですね。横から見ると分かりやすいのですが、駅舎からピョンっとせり出していて前側に支柱もなく、また建物の色と全然違うので余計にせり出している感が出ています。

なんでこんな色違いの肉厚な庇が飛び出しているのか?不思議な駅ではあると思います。建物は壁色もフォルムと妙に小奇麗という印象でした。

以上、三雲駅でした。

これで湖南市の駅はすべて当ブログの記事にあがりました。

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2016年11月21日 (月)

愛知/常滑 またまた陶器溢れる街!

愛知県常滑市、名鉄/常滑駅からの歩き旅です。

(2011年2月当時)

●ようこそ

という事で、とこなめ競艇への案内看板です。

「ようこそ」と言ってる招き猫が陶器製とおぼしきもので、陶器の街の側面がこんなところにも出ていると感じさせられました。

ちなみに競艇場というのは意外と少なく、日本に現在24ヶ所しかないのですね、ここがそのうちの1ヶ所な訳です。

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●やきもの散歩道へ

常滑駅から出て徒歩5分ほどの陶磁器会館が「やきもの散歩道」のスタートといい、その周辺案内図が出ていました。愛知県であれば、ここ常滑もそうですし、セトモノでゆうめいな瀬戸も焼き物の街ですね。

コースを見ていると、結構いいい時間かかりそうでしたが、何せ着いた時間がもはやこのような時間帯で、暗くなる一方という状況であり、駅前をチラッと歩いたのがせいぜいでした。

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●昭和30年代の常滑の風景

常滑駅の駅前広場を出てすぐの所に、このようなエリアがあって、往時の常滑の様子がここに現われています。所々に高い煙突が立ち並ぶ、ゴツゴツした感じが往時を如実に物語っています。

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●招き猫通り

今回記事の中心ネタはこれです。

というか、ここでの招き猫の写真が殆どです。結局寄る時間がなかったので、駅の程近くであるこの辺りで壁から浮き出た猫たちを色々撮るぐらいしか出なかったという事ですね。

でまぁ、こんな感じで並んでます。

上の写真の往時の常滑の風景がある左下の壁の部分にこれらが並んでいる訳です。

一番手前の猫は「健康長寿」ということで、乾布摩擦をしているところです。

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●安産

ここでの一番手前の分は安産がテーマで、それぞれの招き猫はそれぞれの御利益をもたらすとされています。しっかりお腹も大きくなっています。

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●これは??

子宝か、家内安全か、、??

ではなくて、これはペット守護・供養だそうです。

この猫が抱えてるやはり猫がペットだとは…!!

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●では、これは??

結構な顔つきで鳥の上に乗って、いささか暴力的な感もしなくもありませんが…

これは「出世」だそうです。

ひたすらに飛んでいく、感を出しているのでしょうか?

鳥がいじめられてる感じもするのですが…

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●腕を組んで

これは「縁結び」

しっかり腕が組まれていますが、組んでる方の腕が長くて、もう片方は気持ち程度、というのがまた面白いですね

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●顔と手だけ

がニョキッとでた、この大きな瞳の猫

さてこれは何を表わしているのか??

「美人祈願」だそうです。

そういう顔してますね確かに…。

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●めで鯛

これは「大漁満足」

大きな魚が獲れた様子は分かるとして、猫が上から乗りかかってる感じがある意味すごい画に見えました。上から叩いているようにも見えますし。

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●地球に立つ猫

まあるい地球の上に立った猫と、その周辺は何やら赤いものが吹き出している様子。

これは何かというと…

「地震息災」だそうで。

ちなみにこの息災という言葉、「無病息災」なんかで遣われますが、というかそれでしか聞いた事ないくらいですが、「病気をしないで、元気なこと」という意味があり、「息災に暮らす」などという言い回しもするようです。

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●ニャース?

ポケモンの敵キャラ?!ニャースにそっくりなこの猫、頭の上から手のようなものが千手観音の如く伸びていて、下の方は乗り物に乗っているような、これの意味しているものは…

「心願成就」

だそうです。

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●スーパーマン

分かりやすく猫のスーパーマン、壁から今にも飛び出してきそうでした(笑)

これの意味は「無病息災」 強くたくましく、の想いが込められているのでしょうか。

とか、1つずつ見てきましたが、全39体もあり、さすがに全部という訳にはいきませんでした。でも、そのひとつひとつに重いと願いが

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●INAXへの道

現在のLIXILですが、この当時はLIXILになる直前で、まだINAXで通っていた頃でした。

本社はこの常滑で、INAXの前は「伊奈製陶」といっていました。

常滑の誇るニッポンの大企業ですね。

時間がなくて、というより着いたのが遅すぎてまともに回れませんでしたが、今度行く時は「やきもの散歩道」をちゃんと回ってみたいものです。

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2016年11月17日 (木)

佐賀/伊万里 陶器溢れるこの通りに

佐賀県伊万里市、JR伊万里駅からの歩き旅です。

(2011年12月当時)

●マンホール

まずは伊万里市のマンホールです。

江戸時代の古伊万里(焼き)の積み出し風景だそうです。もっと焼き物を前面に出したものを想像していました。伊万里港から長崎を経由してヨーロッパへ出ていたそうで、今ヨーロッパでその陶器を持っている方は居ないのか??等想像してしまいます。

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●駅前道

JRと松浦鉄道をつなぐ形で駅が構成されていますが、その両者をつないでい歩道の下を交差している道路の南側を眺めた様子です。

これは今からちょうど5年前の姿ですが、このガストは今もあるようです。

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●ロードギャラリー

伊万里焼ロードギャラリー事業という事で、この訪問の前年にあたる2010年3月に伊万里市が「伊万里当時工業組合」の協力のもと設置した、とありました。

以降、いたる所でこのような街なかに陶器を目にする事となり、これが伊万里の「ウリ」という事を改めて感じさせられます。

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●伊万里牛

伊万里は焼き物だけではなく、伊万里牛としても知られており、その上質さは佐賀牛と同じものであり、生産がJAの伊万里管轄であれば「伊万里牛」と呼ばれているだけだそうです。

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●これも陶器!

器だけではなく、こんな陶器もありました!

これなんの着物の女性??と思い説明書きを見ると「伊万里色絵夫人立像」とありました。

江戸時代でも寛文年間といわれる17世紀後半ごろの風俗画を特徴づける美人画の様式との事で、こういうものまで焼き物でつくられていてビックリしました。

絵画の世界では、この後浮世絵が流行し出して、絵のタッチが変化していきますが、陶器の世界ではこの様式が踏襲されていったそうで、それぞれの世界でそれぞれ別の変貌をしていくのか…と思わされました。

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●牛の首

ユニークな看板、というかこの三次元的なのがなんとも目を惹きます。

壁から牛の頭の部分がニョキッと突き出している訳ですから。

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●浜町交差点

伊万里駅から北へ2つ目の信号、距離にして200m程のところにある「浜町」交差点です。

ブルー・寿というホテルのブルー具合が妙に目立ちます。

あまり駅前にホテルがポンポン立っているような町ではありませんが、ホテルはちゃんとあります。「じゃらん」では都市によっては探せないところもあったりして、つい県庁所在地や大都市に目がいってしまいますが…。

手前のおもちゃ屋さんが存在感があっていいですね。カラフルな店名表示はまるでア●ヒペンのようです(笑)

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●佐賀銀行と伊萬里津

上の浜町交差点から北へすぐの所で、橋の手前にあたる部分ですが、そこに佐賀銀行があります。で、この佐賀銀行には面白いものがありました。マンホールにあったものと同様に、伊万里焼を積んだ古い船を三次元化したものです。これが銀行の軒先にあるという訳です。

下の説明板には「伊萬里津と伊萬里商人」とのタイトルで説明がありました。江戸時代には伊万里川の河口に開けた街並みを伊萬里津とよんでいたそうです。「萬」と旧字?表記だったのですね。

これ以前は伊萬里浦とよばれていたのが、17世紀の前半に港が整備されたそうです。あとはは先述通り長崎まで船で、生産された陶磁器が運ばれ、遠くヨーロッパへ渡ったといい、いわば「陶磁器ロード」の出発点といわれています。

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●樽に乗る人

上の写真の佐賀銀行の向こうには、このような橋の片鱗が見えていた事と思いますが、遂にその橋までやってきました。

するとその手前はこんなファンキーな陶磁器像が出迎えてくれました。

説明板には「伊万里色絵酒樽乗人物型注器像」とありました。よみはまんまです、「いまりいろえさかだるのりじんぶつがたちゅうきぞう」と。

酒樽に乗った人がつくられているのですが、この人はオランダ人です。この像はオランダからの依頼で江戸時代に陶器としてつくられたものだそうで、実用品は首の部分が蓋となって取り外しができていたものだとか。首を取り外す事で酒を注ぐ事ができていた訳ですね。

下にある酒樽の前面には蛇口がついています、変な位置に突起物がついているので、あらぬ誤解を受けそうですが。左手に酒瓶を持って覗き込んでいるというのですが、どう見てもマラカス振って踊り狂ってるアジアの志士の仲間のようにしか見えませんでした。

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●和風な堤防

この橋のある川は伊万里川で、かつては焼き物を運ぶ船が行き来していました。伊万里港から流れ込んでくる形で、長さは約10kmあります。

そしてこの堤防たち、下2枚中の上側は和風建築の象徴的存在ともいわれる「なまこ壁」を前面に出したスタイルの堤防で、いまひとつは城郭建築の片鱗を感じさせる屋根と白壁がズラリ並んだ堤防です。後者は堤防というよりは柵的な要素の方が強いですが。

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●和風な堤防2

白壁が全面にドーンと立った堤防もありました。しかも「伊万里津」の絵つきで!

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●堤防裏から

川の外側からのカットのひとつですが、伊万里津の古絵図がありました。横には古い写真も並べられ、往時の伊万里をここで窺い知る事が出来る訳です。

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●壺

「伊万里色絵楼閣山水門大壺」(いまりいろえろうかくさんすいもんおおつぼ)という壺がありました、これもまた橋の上です。

模様や形はかなり派手ですが、描かれている絵は実に和の佇まいに溢れた穏やかなものである事が窺えます。

ここでの説明板では「中国では沈香壺に香木を入れて、普段は蓋をしていて、来客時にはき蓋を開けて香りを漂わせていた、とありました。アロマテラピーのはしりのような事がなされていたのでしょうか。ヨーロッパを席巻したこの古伊万里もこの形は踏襲したものの、部屋の飾りなどに使われていたのが主であったとされています。

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●壺2

こちらは「伊万里色絵菊梅文壺」 (いまりいろえきくうめもんつぼ)というやはり壺です。上部の模様からすると縄文土器を連想させられます。

ヨーロッパでは器としてだけではなく、金工技術も加えて、王侯の宮殿や館の壁面などを飾ったといわれ、これはローソクの燭台仕立てになっているのですが、その事との好例として挙げられています。

上部の曲線を駆使した部分はロココ様式とされ、これに壺本体の鮮やかな彩色がよく合った好例としても挙げられているようです。壺の面に埋めや菊の花があしらわれています。

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●オーム鳴く

最後ですが、これは「伊万里色絵鸚鵡像」 (いまりいろえおうむぞう)です。要は陶磁器でつくられたオームですね(笑)

17世紀当時でこれ以外にも、虎、鷹、獅子、鶏などもつくられ置物とされていたようです。腹回りがこんな模様のオームっていないと思うのですが、どのような意図でこうなっているのか知りたいところですね。

あちらこちらにでっかい陶器が立っているこの伊万里、歩いているだけで思わず息を飲むというものです。色んな陶器をスタンプラリーの如く制覇してみると、旅として楽しめるだろうなと思います。

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2016年11月12日 (土)

ソウルメトロ/明洞駅 (韓国/ソウル特別市)

韓国/ソウル特別市のソウルメトロ/明洞(명동)です。

ソウルメトロ/明洞(명동)
【路線】ソウルメトロ4号線(タンゴゲ-南泰嶺間)
【開業】
1985年10月18日
【訪問】2016年5
【1日あたり乗車人員】 41,833/日(2011年)
【近隣の主要駅】 (タンゴゲ方面)忠武路駅→隣駅
            (南泰嶺方面)ソウル駅→2駅


●駅名標

ソウル屈指の繁華街としてあまりに有名な「ミョンドン」の駅です。

駅を出ると明洞の華やかな通りがほぼそのまま見えます。

意外な事に?ソウルメトロで4号線に属しているだけで、他には全く分岐していない単一路線の駅です。

駅名は勿論カタカナ表記もあります。

両隣の駅「会賢」「忠武路」のどちらからも楽々と歩いてアクセスできます。

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●ホーム

ソウルの中心地駅の御多分に漏れず、フルスクリーンタイプのホームドアとなっています。

地下鉄につきあまりこれといった際立った特徴はないです。

ここには2016年5月に初訪問しましたが、4ヶ月後の9月には宿とした所の最寄駅として何度となく足を運ぶこととなりました。

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●明洞駅10番出口

忠武路駅から歩いてきた時のカットです。

地下鉄駅であり、これといった建物にある出口はなく、いずれもいかにも地下鉄出口然とした感じで、駅舎と呼べるところはなかったです。ただ地下は商店が多数あり、商店街エリアを形成しています。

ちなみに元々は9番出口まであったのですが、この10番出口は元9番出口だということです。6番出口が新しくできた時に以降の番号がずらされたのだとか。

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●明洞駅9番出口

こちらは9番出口、屋根なしのてっぺんに柵代わりの黒い枠で囲まれた形のものとなっています。両サイドの石にちょっとばかり威厳を感じさせられました。

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●明洞駅6番出口

こちらは6番出口、この時泊まった宿である「ソラリア西鉄ホテル」へのアクセスとして明洞駅6番口とあったので、ここから出てきました。この時の旅では来た時も、ホテルからどこかへ行く時もずっと、この6番出口にお世話になりました。

それまでの出口と違って、立派な屋根のついた出口で、階段も踊り場で方向転換するもので画面までついていました。そういう意味ではある意味破格の待遇、というか地下鉄駅の出入口としてはかなり豪華な部類になるかと思います。

ソウル屈指の繁華街、明洞はこの駅を出れば、その雰囲気がすぐに分かります。そしてそこには韓国であって、日本のような妙な感覚に陥り、ました。

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2016年11月 9日 (水)

岩手/宮古 大漁旗の舞う街に

岩手県宮古市、JR宮古駅からの歩き旅です。

(2013年8月当時)

●駅前広場(三陸鉄道前)

駅を出ると目に飛び込んでくる景色のひとつです。

手前の白い建物が何だったかも今となっては思い出せず、地図で色々調べてもなかなか出てきません。まさかこの3年の間になくなってしまったのか?分かりませんが…

左端の茶色がかった建屋は「キャトル宮古」というショッピングセンターで、スーパーから専門店まで各階ごとに店が配置された宮古駅前の顔的な存在です。1980年に開業し、サティが入っていましたが、2002年に閉店となり、このキャトルとなってからは震災も乗り越えて、ここまで36年間営業が続いてきています。

よくこういった都市の駅前のSCそのものが閉店→廃屋に追い込まれたり、あるいは建屋は残っていても、空洞化しながら寂しく営業を続ける様子を目にしているので、ここは是非とも頑張ってほしいものだと思います。

東北のサティの店舗の様子については⇒コチラ 

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●ミニステージ

バックの背景が正面から見ると「なぜ切れ切れになっているのか?」と思いましたが、横から見て納得しました。市内の景勝地「三王岩」のものでしょうか。

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●記念碑

左から「超我の碑」「鉄道開通記念碑」「三陸鉄道記念碑」のようです。

左の「超我の碑」は、1972(昭和47)年に建てられたものですが、1944(昭和19)年に起こった雪崩に乗り上げて起こった脱線事故が発端で、この時に運転者が瀕死の重傷を負い、事故の旨を他の職員に伝え走らせたものの、吹雪で視界不良となり、伝令者が戻った時には運転手は事切れていたそうです。

真ん中は1934(昭和9)年に建てられた鉄道開通記念碑で、右は1984(昭和59)年に建てられた三陸鉄道開業の記念碑です。

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●駅前広場(JR前)

三陸鉄道の駅前広場は本当に広場スペースという感じですが、その横にあるJRの駅前広場はこんな感じのロータリーとして機能している形です。

タクシー降場と明確に記されていたり、バスのりばがあったり、交通の集約場として機能しています。宮古市は人口5万そこそこですが、観光資源が豊富なせいか、その人口以上に賑やかな雰囲気がありました。

岩手県の太平洋岸はかなり穏やかな雰囲気かと勝手に思っていましたが、この辺りはそうでもないです。当時は「あまちゃん」の効果もあったのかもしれませんが。

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●橋の上から

踏切と立体交差する橋の上から見たホーム周辺のカットです。

いくつもの線路が織りなす模様が実に素晴らしく、交通の要衝感も出ていました。

線路の右サイドは結構更地が広がっていたりはしますが…。

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●メッセージ

三陸鉄道の駅舎内だったと思いますが、当時は震災の2年半後の頃で、まだまだ爪痕が色濃く、「がんばれ東北」のような手書きメッセージがこんなに多数、貼ってありました。

やはり直接被害を受けて、路線も途切れ途切れになったりで、バス輸送に転換されたり色々と厳しい局面に立った場所でもあるので、このような声は半端なものではなかったな、と感じます。

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●さんてつグッズ

これも三陸鉄道の駅舎内で、グッズの売店がありました。

こういうのでも儲けてるのか…とか思いながら見ていましたが、目先の資金はとにかく必要な状況でもある訳ですね。当時まさに「あまちゃん」放送中だったので、最も旬な時期にここを訪ねる事ができて本当に良かったと思いました。

放送が終わるとどうしても潮が引くようになってしまうし、また演じている女優さん自身がまた窮地に立ってしまったり、今行くとまた違った雰囲気になっているのかな、などと想像してしまいます。

かいけつゾロリのグッズが売っていましたが、作者に縁やゆかりがあるという訳でもなく、ただ「かいけつゾロリ号」なるラッピング電車を三陸鉄道に走らせており、ここに原作者の原ゆたか氏が全面協力している旨の記述は見られました。

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●おでんした

JRの宮古駅の出入口ひさし下に、「いわてさ よくおでんした」とありました。

盛岡駅にも「ようおでんした」という挨拶看板が何度か出てきたかな、とか思い出します。

よくお越しくださいました的な意味と思いますが「おでん」の文字にウケてしまいます。

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●県道138号

駅前の県道です。

宮古停車場線となっています。「停車場線」はだいたい駅から伸びている道路である事が殆どです。ここの場合は宮古駅から出て100m程で終わるようです。

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●駅前道を往く

Docomoショップやローソンなどがある駅前の通りを歩き出しました。

ここでの滞在時間は約2時間でしたが、何か食べたいという思いがかなり強く、でも見つけられずで、それだけで駅前に長々居た為、街歩きにはあまり時間を割けなかった、そんな印象を持っています。

なぜ食べる事に執着したかというと、ひとつは、三陸屈指の港町で海のものを食べない手はないだろう、という思いでした。いまひとつは、ここを出て移動する時にこの先数時間はまともにものを食べられそうにない、と予想できたからでした。

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●菓子店

駅前をずっと歩いて行ったある一角です。

この看板…、Coca-Colaの看板があるだけで立ち止まってしまいますが、それでいて現役のお店ってすごい!と驚きを隠せなくなってしまいます。

下側の写真は、「夢の星」という名前に惹かれて撮ったようなものです。おもちゃ屋さんですね。

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●大漁旗

途中でこんな大漁旗が掛かっている商店街に出くわしました。

こんな所にこうしてぶら下がった大漁旗はなかなか見た事がなく、宮古といえば…で自分の脳に鮮烈に焼き付きました。

こんな通りならば少々風が吹いても、大漁旗が揺れてるという事で、その事に気がいくのかもしれません。

海鮮丼とか食べたかったんですが、ここと思った店がなかなか開かず、結局待てずでゆっくり腰据えて食べられませんでした。電車がもう少し本数あれば…とつくづく思わされる機会もあちこち行ってればあります。

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●塩ドーナツ

宮古駅で買いました、塩ドーナツです。千葉恵製菓というところがつくっているとの事です。

ドーナツに砂糖ではなく塩です。でも全然違和感なく、普通にお菓子として食べられました。宮古駅を離れる道中にこれを食べていました。宮古土産のようなものです、すぐ消費しましたが(笑)

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2016年11月 6日 (日)

ソウルメトロ/忠武路駅 (韓国/ソウル特別市)

韓国/ソウル特別市のソウルメトロ/忠武路(충무로)です。

ソウルメトロ/忠武路(충무로)
【路線】ソウルメトロ3号線(大化-梧琴間)
            4号線(タンゴゲ-南泰嶺間)

【開業】
1985年10月18日
【訪問】2016年5
【1日あたり乗車人員】 34,959/日(2011年)
【近隣の主要駅】 (大化方面)鐘路3街駅→2駅
            (梧琴方面)薬水駅→2駅
            (タンゴゲ方面)東大門駅→2駅
            (南泰嶺方面)明洞駅→隣駅


●駅名標

この時、宿泊先であった東横イン東大門のある「東大門歴史文化公園駅」の隣にある駅で、両駅は4号線で繋がっていますが、他に3号線にも属しています。

この駅名標では水色のラインで番号も「423」として頭が4となっており、4号線のものと分かるようになっています。また4号線でもう一方の隣駅は、ソウル屈指の繁華街である「明洞」駅です。この時、明洞駅へは徒歩で行きました。

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●周辺図

忠武路駅周辺の地図がありました。

異国の地では現地の字だけ書き連ねられていても、何のことやらサッパリ分からずで、ハングルが読めても日本語に近い意味のものであればなんとなく分かるものの、そうでなければやはりサッパリ…という具合で、イラストのついたものはイメージがわくので助かります。

地下鉄の路線は色遣いされていますが、冒頭の駅名標のある路線は4号線で、この地図を横切る形で通っているものです。左へ進めば「明洞」に至ります。

これと交差するオレンジのラインは3号線のものです。景福宮などの名所へ行く場合はこの路線に乗る事となります。

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●出口案内

出口番号別に最寄施設への案内がありました。ここでは日本語でも表記されていて大変助かります。

おススメは3番出口の所に記されている「南山韓国家屋村」ですね。

駅出口のある角を曲がればすぐに見えてきて、実に程近くにありますが、伝統的家屋である「韓屋」を集めた公園スペースです。実際の昔の有力者の家屋が移築される形で集まっており、歴史を感じるエリアとして一見の価値ありかと思います。

公園前には民族衣装も売っていたりして、それはちょっとしたコスプレショップのようでした。それを着て歩いていたであろう人たちも見受けられ、派手過ぎず地味すぎず、賑わいが適度であるところもGoodでした。

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●忠武路駅 駅舎

単なる地下鉄駅で、特別駅舎然とした建物がある訳ではありません。

この歩道を向こうへ進めば明洞に行き着き、またじゅうぶん徒歩で行けます。

南山韓屋村は、明洞方向が12時だとすると、9時の方向すぐの所にあります。

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●反対方向

最後に、こちらは明洞方面と反対側。なので東大門方面になるでしょうか。

左向こうに「毎日経済新聞」と漢字表記の大きなビルがありますが、日本の毎日新聞とは直接関係なく、あくまで韓国の新聞社です。

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MTR/黄大仙駅 (香港/黄大仙区)

香港/黄大仙区の黄大仙駅です。

-MTR黄大仙(黄大仙站)
【路線】MTR観塘線(黄埔調景嶺間)
【開業】1979年10月1日
【訪問】2016年1月 
【近隣の主要駅】 (黄埔方面) 九龍塘駅→2駅
           
(調景嶺方面) 観塘駅→5駅

●駅名標

黄大仙という表記で「Wong Tai Sin」(ウォンタイシン)と読まれています。すぐ近くにある黄大仙祠に因んでの名前で、区名にも入っています。

MTRの「観塘線という路線に属しており、ここを訪ねた今年1月の時点では、油麻地-調景嶺間であったのが、つい先日10/23に2駅延伸されたばかりで現在は、黄埔-調景嶺間の形になっています。

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●ホーム

フルスクリーンタイプのホームでした。ちょっと郊外になるので、普通の地上駅みたいに剥き出しというか柵もないような状態になっているのかと思いましたがさにあらず。

黄大仙というだけあったか、柱の黄色がかなり目立っています。

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●周辺地図

黃大仙祠、正確には嗇色園黃大仙祠」はすぐ近くで、B3出口から出るとすぐです。

ここへしか行かなかった為、他の出口からの様子はほとんど見ていませんでした。

嗇色って何の色かな??とか思っていたのですが、嗇は「節約」とか「浪費しない」とかいう意味で、色はカラーの事ではなく、人間の欲望の方の「色」を指しています。

つまり嗇色とは…

初心に戻り、余計な欲望を抑えて常に自分の行為を反省し、悟りを開くまで常に修練する事」

だそうで、ここは香港を代表するパワースポットといっても過言ではなく、それが為にここへ来たかったというのも多分にありました。

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●TEMPLE MALL

大きな看板がありました。駅と直結でショッピングモールがあります。

この形はお線香を表わしていて、またあとで立体的なやつが出てきます。蚊取り線香の立体版とでもいいますか(笑)

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●駅出入口

下を撮ると人が写り切ってしまうので、上だけのカットにしました。

柱やらからも荘厳な感じが窺えるかと思います。上の写真での渦巻の線香も右上に少し現われています。

香港はことのほか風水へのこだわりの強い、そういう文化圏につき、ここはその象徴的な場所として来てみたかったのです。

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●駅を出て

黄大仙祠(以下、この表現とします)の最寄り出口からだとこのような掘割というか、いわば谷のような形の光景となり、橋の下をくぐって坂を上がっていく事となります。

橋の下に差し掛かるまでの所で、何か配っていました。受け取らなかったのでよく分かりませせんでしたが、礼拝用の線香を配っていたのかも。

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●ぶら下がり線香

2枚上の写真でチラリと覗いて見えましたが、こんな感じで、駅舎建屋からぶら下がっていて、駅の象徴的なオブジェといえます。

実際寺院(黄大仙祠)がこれぐらい派手なので、この色遣いがその事をよく表していると思います。

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●黄大仙駅 駅舎

駅自体は地下鉄ですが、レンガ色のショッピングモールが派手に建っています。意外とこのモール、奥行きがあるのですね。こうして撮ったのを見て初めて気づきました。

向かって左にはオレンジの幾重もの屋根で構成された立派な門があり右側は線香やその他様々な風水グッズを売っているお店が並んでいました。

黄大仙祠本体はこの右手前に隠れた部分にあり、本当に駅前すぐです。

香港きってのパワースポット、観光には外せない場所ですね。

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2016年11月 5日 (土)

JR長野駅 (長野県長野市)

長野県長野市のJR・しなの鉄道/長野(ながの)です

長野市は、長野県の北部に位置し、人口は375,234人(2016.10.1現在)で、長野県の県庁所在地であり、日本でただ3ヶ所、オリンピックの開催された街のひとつで、善光寺の門前町としても有名です。

-JR・しなの鉄道/長野駅-
【路線】
JR北陸新幹線(高崎-金沢間)
      信越本線(篠ノ井-長野間)
    しなの鉄道北しなの線(長野-妙高高原間)

【開業】1888年5月1日
【訪問】初訪問-2006年9
【1日あたり平均乗車人員】 21,168人/日 (2015年)
【近隣の主要駅 (高崎方面)上田駅→隣駅  ※新幹線
           (金沢方面)糸魚川
→3駅 ※新幹線
           (篠ノ井方面)篠ノ井駅→4駅  
※信越本線
           (妙高高原方面)妙高高原→7駅  
※北しなの線
           (越後川口方面)飯山駅→7駅 
※飯山線
           (軽井沢方面)屋代駅→5駅
 ※しなの鉄道線  

●駅名標

1888年開業のかなり歴史ある駅で、信越地方でこの年代に鉄道が通っていたのは驚きでした。

この駅に旅行で初めて来たのは2006年9月ですが、高校のスキー合宿でこの方面に行っていて、長野駅で降りたのか記憶になく、もし降りていたとすれば、ここへの初訪問は1987年1月となります。全く記憶にないので2006年9月としています。

80年代は某ドラマのサブタイトルに「長野行特急列車」とあったりするなど、当時は東京から新幹線も開通していませんでした。長野オリンピック前年の1997年に新幹線(長野新幹線:当時)が開通し、新幹線も乗り入れるようになって約20年経つわけですが、未だに新幹線でこの駅を利用した事がありません。

というのも関西在住なもので、名古屋から中央線で回った方が早く、そういう意味では殆ど今の北陸新幹線の恩恵にあずかった事がない状態です。東京からであれば利用したのでしょうが。

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●ホーム1

2012年撮影分です。

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●ホーム2

この2枚は2011年当時です。天井部分がいくつもの木で組まれていて、素晴らしい光景でした。

色んなタイプの電車が止まっていて、さすが様々な路線から乗り入れてきているだけの事はある、と感心させられます。

下に2枚あるうちの上側は5番線ですが、色々な路線が発するとされ、見ても訳が分かりませんでした。下側は4番線、こちらは飯山線の直通列車が出ているという事です。

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●改札内

の様子です。これは2006年の初訪問当時のものです。

右側に「3・4・5」の表示があり、3番線~5番線の3つの線が同一ホーム上にあります。3番線と4番線が同一の線内で分断されて、それぞれ別ホームとなっている為です。

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●分断

前後しますが、再びホームです。おなじく2006年当時で、この先暫くその時の写真となります。

同一の線で3番線と4番線が分断されていると先に書きましたが、こういう状態です。

向こうは3番線、手前は4番線、これをこのゴツいコンクリートで仕切っているのです。

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●改札を出て

広い1本の通路が通っていて、色々な施設が入っています。

また、通路の真ん中でイベントが行われたり、臨時のお店が出たり、結構賑やかです。

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●五輪記念

長野といえばやはりこれです。

本ブログでオリンピックの開催された都市は国内では初掲載となりますが、オリンピックの開催地として数少ない、名誉ある都市のひとつです。

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●イベントの1コマ

これは2011年当時のものです。

これ以外にもいくつかのゆるキャラが駅構内に居て、「信州を元気に」というコンセプトのもと、長野に関連したイベントが盛大に行なわれていました。

それにしてもこれの正体は…??色々調べてみますがようとして知れません…

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●駅出入口

駅舎の一部の様子ですが、こちらは2006年当時のもので、大きな庇と階段、そしてエスカレータもついた形で、2F部分通路と繋がっています。

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●1F部へ

上の写真で左にそれる通路が見えますが、これを通るとこのように下へ降りていく階段があります。このような階段がいくつかある訳ですが、これでもって地上へと下りたちます。

これもまた2006年当時で今から10年前になりますが、とにかく自転車めちゃくちゃ多いですね。

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●駅前広場

長野駅に降り立ち、右側にされた形でバスのりばにたどりつきます。

この右端に隠れるあたりの部分で、長野電鉄の長野駅への地下階段があります。

ちなみにこの時、この手前に写っているバスのりばで川中島へ行きました。JRでも「川中自島」という駅が当駅から信越本線で2駅先にありますが、古戦場からは4km程離れていて、そこへ行きたい場合は、長野駅からのこのバスのりばを利用した方がよさそうです。

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●駅前広場2

上の写真でもそうでしたが、駅前は高層ビルが立ち並び、単なる地方都市とはいえない都会感が全面に出ていました。

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●駅前広場3

循環バスである「ぐるりん号」ののりばがあるほか、善光寺方面へののりばも向こうにある、というバスのりばエリアです。善光寺へはバスで15分という事ですが、長野電鉄の『善光寺下』という駅が最寄りにはなります。

ただし徒歩でもじゅうぶん行けるます。一応20~30分とされていますが、この時も善光寺へは徒歩で行きました。少し時間に余裕があれば、途中の景色も楽しみつつ徒歩で行く事もお勧めします。

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●長野駅 駅舎

綺麗な真四角の茶色のビルと手前の二股に分かれた白い通路階段部分で構成されています。

これもまた2006年当時の様子につき、この10年でどれだけ変わったかですが…。

それでもその更に10年前とではかなり様子が変わっていると思われ、やはり五輪がこの地にもたらした影響は大きいだろうなと想像します。信州一の駅としてこれからも発展を見守りたいものです。

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2016年11月 3日 (木)

豊橋鉄道/新豊橋駅 (愛知県豊橋市)

愛知県豊橋市の豊橋鉄道/新豊橋(しん・とよはし)です。

前回記事でupしました豊橋駅の傍にあります。

-豊橋鉄道/豊橋駅-
【路線】
豊橋鉄道渥美線(豊橋-三河田原間)
【開業】1927年10月1日
【訪問】初訪問-2008年3
【1日あたり平均乗車人員】 8,738人/日 (2014年)
【近隣の主要駅 (三河田原方面)三河田原駅→隣駅

●駅名標

豊橋駅の真近くにあって、JRではないのでそのまま「豊橋駅」でもよさそうなものですが、「新」が冠されています。

豊橋鉄道という事で、豊鉄(とよてつ)とよく略されますが、名鉄(名古屋鉄道)の連結子会社です。路線としてはこの渥美線と、市内を走る路面電車が東田(あずまた)本線として存在しています。そう、この路線と路面電車は同じ会社の運営なのです。

渥美線の始発駅につき、隣駅表示は片側のみとなっており、この駅から田原市の三河田原駅まで約18kmを走っているそれほど長くはない路線です。

写真は2011年3月訪問時のものを途中まで掲載しています。

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●ホーム(1番線)

三河田原方面、と表示がありますが、始発駅につきこの一方のみです。

ほぼ15分に1本間隔で出ており、終着の三河田原駅まで35分(520円)です。

1面2線ホームで、片側を停車させたまま、もう一方を発車させる「交互発車方式」に出来るようになったのは、駅移設後の2008年からという事で、現在はこの形になっています。

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●ホーム(2番線)

上の写真と反対側のホームです。

車輌は元東急電鉄のものを譲り受けているということで、同じものの色違いが両ホームに停まっていました。

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●新豊橋駅 駅舎

2008年~現在の駅舎です。

JR豊橋駅はこの右に隠れた場所に位置しています。前の歩道を右に進むと豊橋駅へと至ります。

中にコンビニの入ったビル状の建屋になっていて、以前より存在感が増しました。

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●新豊橋駅 旧駅舎

2008年訪問時の様子です。

この時はまだ旧駅舎でした。

今のようにJR豊橋駅との一体感がなく、すぐ近くにあったものの分離していて、規模もこんな感じで、隠れた存在のような状態でした。

この時は、程なく新駅舎になる事など全く知らず、ここへ寄った訳ではないのに写真を残しておいてつくづく良かったと思っています。この辺りへは、1999年1月の豊橋初訪問時にこの近くの豊鉄ターミナルホテルに泊まり、翌年もこの向こうのミユキステーションホテルに泊まったりと、行くご縁はあったもののなかなか、この駅を撮る機会がなく、たった一度この駅を撮った2008年中には新駅舎になってしまうのだから、世の移り変わりなど全くもってわからないものですね。

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http://blogcircle.jp/ping/rcv/11882

2016年11月 1日 (火)

JR豊橋駅 (愛知県豊橋市)

愛知県豊橋市のJR・名鉄/豊橋(とよはし)です

豊橋市は、愛知県の南東部に位置し、人口は374,589人(2016.6.1現在)で、東三河の中心都市であり、愛知県では名古屋市がダントツの人口トップですが、そのあとは豊田市が42万で続き、岡崎市、一宮市、ここ豊橋市は38万前後で拮抗している状態です。

ブラックサンダーでお馴染みの「有楽製菓」の実質的な本社機能はここ豊橋に有しています。

-JR・名鉄/豊橋駅-
【路線】
JR東海道新幹線(東京-新大阪間)
      東海道本線(東京-神戸間)
      飯田線(豊橋-辰野間)
    名鉄名古屋本線(豊橋-名鉄岐阜間)

【開業】1888年9月1日
【訪問】初訪問-1999年1
【1日あたり平均乗車人員】 JR-27,424人/日 (2014年)
                  名鉄-34,055
人/日 (2014年) ※名鉄は乗人員
【近隣の主要駅 (東京方面)浜松駅→隣駅  ※新幹線
           (新大阪方面)名古屋
→3駅 ※新幹線
           (東京方面)鷲津駅→3駅  
※東海道線
           (神戸方面)蒲郡駅→5駅  
※東海道線
           (辰野方面)豊川駅→5駅 
※飯田線
           (名鉄岐阜方面)国府(こう)→3駅 
 

●駅名標周辺

ここへの初訪問は実に1999年の事になりますが、当時の記録は皆無につき、この写真は2011年当時のものです。何度となく訪ねていることもあり、写真も何度か撮っていますが、写真ごとにいつのものかも書き添える形で進めます。

まずはホームの様子です。

JR東海道新幹線では愛知県の東端にあり、東隣は静岡県の浜松駅になります。東海道本線でも市の中心駅としては東端になります。他には北へ飯田線が伸びており、駅間の短い何十もの駅が長野県へ向かって続いています。

JR以外にも名鉄が通っていて、名古屋線の始発駅でもあります。ちなみに渥美鉄道の新豊橋駅は、駅を出て右側にあり、また豊橋には路面電車もありますが、名古屋には路面電車がなく、愛知県で唯一路面電車の通る街でもあります。

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●車止め

飯田線のホームと思われますが、始発駅らしさをものがたっています。

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●駅西口よりの眺め

どちらかというとサブ側になる西口の上からの眺めです。

高い建物もありますが、割に少なく、40万に近い都市の駅前の雰囲気、がやや希薄な印象を受けました。都会駅でも裏手になると、ガラッとその表情を変えたりするものですが、ここは結構その部類に当てはまるタイプですね。

ちなみにここから下の写真はすべて2008年当時のものですが、今も当時とさほど大きくは変わらないと思って頂いてよいかな、というところです。

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●豊橋駅 駅舎(西口)

どちらかというと東口の方がメインで、こちらはあまり降りない方の出入口かと思いますが、東口に比べると駅舎もコンパクトで行き来するバスもかなり本数が少ないです。

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●東口駅前

西口とはかなり違って、さすが40万近い都市の駅前感に満ち溢れています。

最初にも書きましたが、路面電車が通っています。

県庁所在地やその延長上で路面電車が通っている都市はありますが、県庁所在地でない的で単独で路面電車が通っている所といえば…高岡(富山県)くらいではないでしょうか、ちょっと他に思いつかないですね…、とにかく素晴らしいです。

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●東口出口前

東口の2F部を出たところは広場スペースになっています。

こんなアーチ状のものもあったりして。

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●豊橋駅 駅舎(東口)

東口の駅舎、こちらがメイン側ですね。

西口駅舎よりも、豊橋駅といえばこちらを連想される方の方が多いかと思います。

2F部分がスペースが広くて通路が取られているペデストリアンデッキ方式です。

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●路面電車

が見える形で豊橋駅をバックにしたカットです。

まるでこの大きな駅舎に路面電車が到着しているような画です。

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●豊橋駅'99

1999年1月、豊橋駅初訪問時の駅舎です。

ドアップすぎてよく分かりませんが、当時はここへ来たというのが分かればよいぐらいの感覚でしか撮っていないので、こんなになってしまっています。ただ、現在と同じ駅舎である事は窺い知れるかと思います。

この時はすごく雪が降っていて、かなり寒かったです。今ならこんな所新幹線でひとっ飛びですが、当時は金がなくて在来線を乗り継いでやって来たのもあって時間がかかり、時刻が遅くなって余計寒くなって、という事で、来る時の環境が酷だった時ほど鮮烈な記憶として今も残っている、といっても過言ではありません。

21世紀のこの世の中にこうして20世紀の様子を残しておくことができて、とてもよかったと思います。

Jr

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