2017年7月
            1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30 31          
無料ブログはココログ

« 2016年12月 | トップページ | 2017年2月 »

2017年1月の13件の記事

2017年1月31日 (火)

韓国鉄道公社/平澤駅 (韓国/平澤市)

韓国/平澤市の韓国鉄道公社/平澤(평택)です。

平澤市はソウル近郊京畿道の市で、ソウルから南へ約75㌔の地点に存在し人口は約406,000人です。1986年に市制化され、更には合併で1995年に現在の市制となっています。ソウルを囲む京畿道では南端の都市で、南隣は忠清南道に接する事となります。

韓国鉄道公社/平澤(평택)
【路線】韓国鉄道公社京釜電鉄線(首都圏電鉄1号線)(ソウル駅-天安間)
【開業】
1905年1月1日
【訪問】2016年9
【1日あたり乗降車人員】 13,608人/日(2012年)
【近隣の主要駅】 (ソウル方面)烏山駅→5駅 
            (天安方面)天安駅→4駅

●駅名標

平澤と書いて英字では「Pyeongtaek(ピョンテク)」と表記します。「平」は平昌が「ピョンチャン」として連日メディアで使われていますが、「澤」は「たく」と読むので、日本語読みに近いというか、韓国語分からなくてもなんとなく読めそうな感じのものです。

首都圏電鉄1号線に属しており、隣の成歓駅までは10km近く離れていて、沿線では最も駅間距離があるといいます。

Dscn0017

●ホーム

1番線と2番線の様子です。

緑の柱に青い標識というなんともカラフルな具合のホームです。

ホームドアは片側だけついていて、そのついている方はフルスクリーンではなく、途中の高さまでなので、上部は風が吹き込む形となっています。

で、ホームドアのついていない方は柵だけとなっています。ソウルから離れてくるとホームドアはあってもフルスクリーンでなくなってきたりしますが、もっと離れてくると柵だけになったりとか、結構離れ具合で変わっていくのを見るのも楽しいものです。

Dscn0015
Dscn0018

●駅周辺図

例の如く、というか主要な施設だけを載せてる感じの周辺図で、それも学校とか官公庁系ばっかりという感じで、観光地とかあるのかないのか全然分かりませんでした。見る限りある感じはしないのですが…。

Dscn0014

●切符売り場と時刻表

改札を出ての切符売り場とその上に電光掲示の時刻表がありました。

さすがにソウル中心部のように数分に1本というような短いサイクルではやってこないので、この辺りでは時刻表は重要になってきます。ただ行先が読めないとしんどいですね、読めてもそれがどっち方面かが分からないと…にもなります。

手持ちにソウル地下鉄路線図を持っていたんですが、漢字表記しかなくて…漢字表記があればなぁ、と思いましたが、そうはいきませんでした。

Dscn0020

●構内

EDIYA COFFEEの文字が目に飛び込んできました。

韓国ってどこへ行っても結構全国チェーンの店があるな、という印象が個人的には強くて、このカフェも何ヶ所かで見たように思います。韓国においてかなりコスパが良い、事に定評があるのだそうですここは。また、ゆっくりしていくよりもテイクアウトの方が多いのも特徴だとか。席数もそんなないみたいですし。

Dscn0021

●AK PLAZA

改札を出て通路も抜けて、出ようという時にこのような出入口がありました。

AK PLAZAというショッピングセンターの入口で、この平澤駅自体が駅ビルの形になっています。

このAK PLAZA、仁川国際空港にもあるそうですが、この平澤駅の駅ビルとしては若干の債務超過に陥っている、と5年程前のニュース記事にはありました。債務超過の駅ビルベスト10に入っていたというわけですが、現状は立て直せているのでしょうか…??

Dscn0022

●駅前

駅を出ての様子です。

整備されて歩道としての広場スペースが広く取られていました。

Dscn0023

●平澤駅 駅舎

ソウル市を出て、近郊の駅でこれほど大きな駅はこの時初めて見ました。

それまで果川、軍浦、烏山などの駅を見てきましたが、ここまでの規模ではなく、駅ビル的なものがそっくり入った規模の駅は初めてだった訳です。

真ん中に下りている大きな階段が印象的でした。日本でいうと、鹿児島中央駅がこんな階段だったような…、今は隠れてしまっているようですが。

釜山近郊を地下鉄めぐりしていた時は、釜山から大きく離れる事がなく、接しているいくつかの小都市の駅に行って、そこは大抵大した規模ではなく、寂しさすら漂う、という状態でしたが、ソウルからは地下鉄の延長で色んな市に行けるので、非常にいいなと思います。まさにこの時、色んな市に行く事をコンセプトにしていたので、ホントにその通りの事ができて良かったな、と思っています。

Dscn0026
Dscn0027
Dscn0025

2017年1月29日 (日)

神奈川/逗子 鎌倉の鶴 逗子の亀

神奈川県逗子市、JR逗子駅からの様子です。

(2011年2月当時)

●逗子マンホール

今回の逗子市は、旅というより、JR逗子駅から京急/新逗子駅までの徒歩移動しただけ、という感じで、その途中の風景はこんな感じという記事にとどまるかと思いますが、そんな中でまずはこのマンホールから。

「ずし」などの明記がなく、市のマンホール化よく分かりませんでしたが、検索すると市のマンホールのようです。海の波につばきを散りばめたものだとか。「青い海とみどり豊かな平和都市」を標榜しているそうで。

Himg0391

●逗子市役所

市役所は逗子-新逗子間というより、ほぼ新逗子駅前にあります。

マンホールの写真のところで「青い海と…」と標榜している旨書きましたが、まさにその通りの文言がここの建物の幕にも吊るされていました。

よくある感じの建物かな、と思っていましたが、入口の上の部分?の格子のベランダ??のようなものがかなり異質で、建物のアクセントとしてインパクトを感じました。

Himg0392
Himg0393

●亀岡八幡宮

なんてことないそこらのお宮かと思って、さして意識もせず通っていました、そんな大きな神社でもなかったしで。ただ、この名前の由来は鎌倉の鶴岡八幡宮に対しての亀岡八幡宮とつけられたのだとか。この辺りがなだらかな岡で亀の背中のようであった事からきているという説もありますが。ただ創建年代に関しては不明です。

それにしても鶴岡八幡宮に対して、の割に規模が違いすぎるなと…。

Himg0394
Himg0395

●保存樹木指定標識

両駅の移動のみにつき、足して写真も撮れていないのですが最後の写真です。

亀岡八幡宮の保存樹木のリストが見取図と共に表されていました。

沢山の木々が保存対象になっているのですね。

20m前後の樹が実に多く、太い幹の樹も実に多い、新逗子駅前というロケーションにおいて、異空間ともいえる場所だと思います。

やっつけ仕事の如く、逗子駅と新逗子駅行ったようになってしまったので、今度は寿司という街をちゃんと味わいながら訪ね歩いて、再び記事に載せられたら…と思いますが、それはいつのことやら…いろんな場所に対してこういう事書いてしまって。旅行で写真撮るというInputに対して、こうして記事をあげるというOutputが圧倒的に追いつかない状況がなかなか打破できずにいます。これを解消するには、しばらく旅行をやめるしかないのかな、と。

ともあれ次に逗子へ行くと時はマリーナシティーの側面をおさめられればと思います。

Himg0397

2017年1月28日 (土)

JR出雲大東駅 (島根県雲南市)

島根県雲南市のJR出雲大東(いずも・だいとう)です

雲南市では木次(きすき)駅をupした事がありますが、今回は沿線の近くの駅の御紹介となります。

-JR出雲大東駅-
【路線】
JR木次線(宍道-備後落合間)
【開業】1916年10月11日
【訪問】初訪問-1990年11
【1日あたり平均乗車人員】 164人/日 (2014年)
【近隣の主要駅 (宍道方面)宍道駅→4駅
           
(備後落合方面)木次駅 →2駅

●駅名標周辺

出雲大東という事で、平成の大合併までは旧大原郡「大東町」の中心駅でした。今は雲南市となり、市の中心は2駅隣の木次駅であり、当駅は市内の1駅という位置づけにあります。大東というと、大阪に大東市というのがありますが、ここの中心駅は住道(すみのどう)駅であり、大東駅というものは存在しません。どこにあるのかというと…存在しないようです。千葉県いすみ市に「(たいとう)駅」というのはありますが…

この駅を初めて訪ねたのはかなり昔の事で1990年11月の事でした。もう26年少し経っていて、四半世紀以上の時が流れていました。ちなみに今回記事掲載の写真は全てこの2017年1月再訪時のものとしています。

JR木次線というローカル路線で、山陰本線の宍道駅から南へ下っていく路線で、昔はオール郡部の路線だった訳ですが、合併でだいぶ市部の通行が増えました。だから活況になったという訳では全くありませんが。

Dscn5580

●電車とホーム

終着駅でもないのに、1面1線という最小限のホームでした。

電車でここを訪ねたのが初訪問の1990年以来26年ぶりで、途中一度来ましたが、それも1992年だったかで、ほぼ四半世紀この駅には寄りついていませんでした。逆にいつか行きたい、と近年思っていたのが今年の正月にやっと叶いました。正月三が日の1/3に訪ねたものです。

Dscn5579

●神阿多津姫命

「かむあたつひめのみこと」と読みます。

駅の北東には延喜式にも載っているという加多神社があり、配祀神としてこの姫命が祀られているといいます。美しい姫神であり、三神を生んだとも。隣にはそのイラストがある訳ですが、駅名標の横にこのようなものがありました。

Dscn5582

●時刻表

反射していて見えづらいですが、上半分が時刻表です。

都市圏からは考えられないような本数の少なさです。

数えてみたら上下共に1日11本のみsign01です。もっと少ない路線もありますが…

終電は宍道(松江)方面だと20時台という、これはずこい事になっています。この辺りの地域で21時以降に電車を必要とする事がないのか?というとYESかもしれません確かに。

真ん中あたりに駅の並びがありますが、左端の宍道駅は山陰本線へ合流する駅で、平成の大合併までは八束郡宍道町という郡部でしたが、現在は松江市内となっています。ただし、ここから松江駅へは更に4駅先となります。

下半分は主要な駅への運賃が載っていますが、松江までは580円となっていて、この時も松江から乗ったので、それだけ払って切符を買ってここまでやってきました。

Dscn5583

●ホーム

電車が去った後のホームの様子です。

2枚中の上側が木次方面(中国山脈へ向う側)で、下側が宍道(松江)方面です。

ホントに寂しげな様子です。郡部の町の中心駅であったところですが、1面1線なのかと…。

これでは便数もろくに増やせないというものか…という訳ですね。まず行き交いができないし。

Dscn5585
Dscn5584

●出口へ…

上2枚の写真の上側の方(木次方面)で、ホームを向こうへ進んでいくとこのような所へ出くわします。

そのまま左折すれば駅前広場へと出る事となりますが、直進すると広い待合スペースがあります。昔1990年代に訪ねた時にはなかったスペースです。ここは単なる待合スペースではなく、様々な施設が入ったいわば合築駅舎のような形になっています。

Dscn5586

●窓を開ければ…

待合スペースを入った所です。

広々としたスペースにまばらに机椅子が置かれ、向こうにもスペースがあり、また右に隠れている位置には簡易郵便局も入っています。

Dscn5662

●貼り紙いろいろ

これも待合室内のカットです。

ここは色々な貼り紙がありましたが、雲南の地酒で乾杯とか色々ですが、イベント案内が多くありました。この広いスペース自体でも色々催されているようです。昔のこの駅では考えられなかった事で、それなりに活性化に向けて努力されて、それなりの賑わいを見せているのかな、と感じさせられます。

Dscn5663

●簡易郵便局

これが駅舎内にある簡易郵便局です。

駅スペースに併設されている所という意味で駅舎内ではないかもしれませんが、外から見たら同じひとつの駅舎内にあると見えるので、「駅舎内」という表現で差し支えないと思います。まぁとにかくそんな所に簡易郵便局があるのって珍しいかなと。この時は正月三が日で閉まっていたのでしょうか。なにせ1月3日の事ですので…。

Dscn5664

●「阿用の一つ目鬼」自販機

阿用とはこの駅のある大東地区(旧・大東町)の地名のひとつであり、「出雲国風土記」ではここに一つ目の鬼が出て、それは人食い鬼であったという伝説があるそうで。神やら鬼やら出雲国らしさを感じます。

人食い鬼という事ですが、絵面はどこか間が抜けている感じで。逆に愛嬌みたいなものを表現しているのでしょうか、親しまれるように、とか。そんな絵の描かれた地域支援の自販機が駅内にありました。

Dscn5666

●100周年

この駅の開業が1916年という事ですが、木次線自体も去年開業100周年を迎えました。

同じ島根県でやはり同じように南北を横断する三江線(さんこうせん)2018年3月31日をもって廃止が決定してしまい、40年余りの歴史に幕を閉じる事となりますが、この木次線も安泰という訳ではなく、とにかく去年無事に100周年を迎えたという事でとりあえずはホッとしましたが、この先どうなるやらsign02という部分はまだまだあると思います。

Dscn5661

●大東駅前バス停

ここからは駅前広場へ出てのカットです。

真ん前に大東駅前なる標識のバス停がありました。

このバスは松江駅を経由して松江しんじ湖温泉駅へ向かう便が主流で、1時間に1本程度はあります。ここから電車で松江へ向かう時には、途中の宍道駅で乗換が発生してしまうので、直通で行きたければバスの方が便利ですし、便数も電車より多いので、当初はバスで来る事も考えたぐらいでした。

時間的にもそう変わらず、逆に電車だと宍道での待ち時間次第では長時間になるケースも出てきます。

Dscn5658

●駅前

床面が整備されていたのがまず驚きでした。20ウン年前に来た時は雑然としていましたが、見事なものです。

駅に来た事はあっても、駅前を歩いて…という記憶がなくて、バイクで来て寄り付いた程度のような感じだったので、こうして通りをちゃんと見るのは初めてだったかもしれません。

下側の写真の右にある大きな建物は雲南市立病院で、2011年までは公立雲南総合病院と名乗っていました。かなり前からあったようですが、駅前にこんな立派な病院があった事自体も全然知りませんでした。

Dscn5657
Dscn5593

●出雲大東駅 駅舎

出雲大東、という字を見ると「出雲大社」と一字違いですね、漢字レベルでは。

それはさておき、2007年からこの新駅舎になったという事で、以前の駅舎とは全く違っており、横が長くなっていて、駅前広場スペースも整備されて広く取られています。市になった事が関係しているのでしょうか、よく分かりませんが。横に長すぎて全体像をなかなか撮りきれませんでした。

確かにこの木次線沿線で、90年代と今と、この駅と木次駅、出雲三成駅など、かつての町の中心駅は確実に姿を変えてるな、という感はあります。木次駅は駅舎自体はほぼ同じで駅前をかなり開発した格好ですが。

とにかく生まれ変わったこの出雲大東駅、ネットでは見ていましたが、この目で初めてその姿を焼きつける事ができました。

Dscn5653
Dscn5588
Dscn5589
Dscn5592

●1990年の出雲大東駅

最後におまけですが、管理人初訪問時の1990年11月当時の出雲大東駅です。

この頃は今のようにバシバシ撮れる環境になかったので、1ヵ所でせいぜい数枚の写真しか撮れず、この辺りもこれ以外ロクに撮っていませんでしたが、これを撮っておいてつくづく良かったなと思いました。

在りし日の旧駅舎です。建物の横の長さも今とは全然違う事が分かるかと思います。

しかしこの時はタクシーが複数台停まっていて、今回訪問ではタクシーは全く見かけなかったのは逆に寂しかったかもしれません。

0011

2017年1月26日 (木)

大阪/大阪狭山 日本最古のため池「さやまいけ」

大阪府大阪狭山市、南海/大阪狭山市駅からの歩き旅です。

(2013年4月当時)

●さやまいけ!

いつも駅からの道のりをたどりながら、こういう名所に行き着く構成にしているのですが、この時は最初から狭山池目的で行った為に、いきなりこのカットにしています。

大阪狭山市駅自体に初めて来たのは2007年9月の事ですが、この時は単に駅をたずねるのが目的でもあり、駅の真ん前を歩いただけで立ち去りました。それから5年半後の2013年春にこのように「そうだ狭山池に行こう!」と思い立ってやって来たという訳です。ちなみに大阪狭山市駅からは徒歩約10分の所にあります。大阪狭山市駅って『〇〇市+駅』という駅名では日本一長い駅名という事になりますね(笑)

そうして来てみたら、この池は1400年の歴史を今に伝えるだとか、日本最古のため池とか、これは期待以上のワードが次々続々と飛び出してくるではないか!という感じでした。

そうしてこの階段を駆け上がったのでした。

Dsc00055
Dsc00057

●概要の看板

階段を駆け上がって、池が見える所へ。

まずは概要を書かれたこの看板を。

狭山池「公園」という事で、単に池だけでなく、周囲含め公園として整備された地であります。

総貯水量は280万㎥とあります。一般的な?学校の25mプールで大体360㎥との事で、これが約8,000個ある格好になります。周遊路2.85kmとなるのは、池の外周が約2.8kmあるという事で、1周歩くだけでもちょっとした運動になります。

Dsc00063

●注意事項

貴重な野鳥の生息地という事で、色々な注意事項が看板に書き連ねてありました。

当初は目立つように赤字で書かれていたのでしょう、しかし今や色褪せてしまったのか、逆に見えなくなってしまっていました。まるでチェックペンで色をつけてからチェックシートを被せた時のように(分かる人には分かる)

とにかくすっかり穴埋め問題みたくなってて、目立つどころか逆に当てはまるものを考えさせられてしまいました(笑)

Dsc00060

●いざ、池の景色!

さて、ようやく池のカット登場です。

階段を上がって右側にあたります。

こうして見ると、何てことのない風景のように思えるかもしれませんが、実際この池の景色を視界いっぱいに目にすると、なかなか壮大というか、素晴らしいなと思えるのです。

Dsc00058

●木橋!

池のど真ん中を渡るような橋はありませんが、橋の部分で、直角に折れながら続く、すごく渋い木橋がこの池にはあります。

つい最近の狭山池観光のブログを見ると、この木橋が工事中で通行できなかった、とありました。定期的にメンテナンスしているんでしょうか。

でもホントにこの木橋の存在があるからこそ、単なる池に終始せず、公園としての側面もしっかり持つ事ができているのかな、と感じました。

Dsc00064
Dsc00059
Dsc00062

●木橋の屋根下から

池の上にある木橋の端っこが、ちょっとしたスペースになっていて、休憩ではないですが、くつろげるというか、少しだけ広くなっています。

下に柱1本で支えられていて、端から見るとなんともいえない危うさすら感じますが、いざ立って見るとひんな事は感じなくて、むしろ柱1本で支えられてると意識しながらここにいると、ちょっとスリリングな気分になるかもしれません。

Dsc00070
Dsc00071

●色んな角度から

池を見てみました。

丘の上からこのように池が見える事もあってか、なかなか全体の形が分かるような撮り方ができませんでした。なので、左端とか右端とか真ん中とか、そういう断片的なカットばかりになってしまいました。もっと池を見ての感動を伝えたい訳ですが、なかなか伝わりづらいですね。

Dsc00068
Dsc00073
Dsc00076

●狭山池博物館

ここの特徴は単に池の公園だけでなく、池の博物館があるという事も、その大きな特色のひとつです。

奈良時代に「敷葉工法」という方法で築かれた堤を起源にして、以後何度も改修を繰り返されてきたという1400年余りの歴史をもつ最古のため池であり、その事を後世に伝える役割を担う施設というところですね。その歴史は東樋(ひがしひ)の年輪年代測定結果からも証明されており、写真に転がっているものも相当な歴史をもつものと思われます。

川の歴史、橋の歴史など色々なものに歴史がある訳ですが、普段見るようなため池にも歴史ありで、改めてそんな所に目を向けると面白い発見があるかと思います。

おかけで、大阪狭山といわれてそれまでぴんと来なかったものが、狭山池という自分の中で明確に代名詞として浮かぶものができて、本当に良かったと思います。大阪狭山に来たなら、狭山池をまず観られては??と思います。

Dsc00090
Dsc00094
Dsc00095

2017年1月23日 (月)

秋田/能代 バスケット・ロードと昭和の匂い

秋田県能代市、JR能代駅からの歩き旅です。

(2012年11月当時)

●17・51分発?!

能代駅前のバス停標識ですが、何を標識に「17・51分」などと時刻を書いているのか??と思いました。もしかして1日に1便、17時51分にしか来ないのかな??と思いましたが、さすがにそれは違いました。

この能代市の「市街地巡回バス」がぐるぐる回って、この能代駅を発つのが毎時17分と51分という事でした。4年以上経った今でもサイトを見たところ、同じ時間に出発しているようです。

という事で、月~土曜日は1日9便で、8時台から16時台まで毎時運行されており、17分発と51分発はそれぞれ方向が別のものです。16㌔の距離を1時間かけて1周するそうで。日曜日はやや減便となり、10時台から15時台までの6便となり、出発時刻は全く同じです。朝晩がないという結構妙な時刻編成で、17時を過ぎると、少なくともここからは1本たりとも乗る事ができないという事です。こういうコミュニティ系のバスとしては本数が多めなのは良いと思います。1時間に1本はあるというのが個人的には、なかなか頑張ってるなと感じます。

Dsc03748

●駅右

駅を出て、駅前広場から右を向いた景色です。

能代の町の印象は、あちこちの店のシャッターにバスケットの絵が描かれている事と、と前右にあるようなコンクリート色そのもののゴツゴツした年季の入った建物がズラッと並んでいた、この2つに尽きました。

Dsc03755

●更に進む

上の写真から少しだけ進んだ所で、年季の入った建物が立ち並んでいる様子が分かりますが、これらの店という店が全く営業していないんだろうか??と考えさせられてしまいます。

歩道の上にアーケードが設置されていて、昔は立派に商店街を形成していた事が分かりますが、一体何十年前まで現役バリバリの店舗群だったのかな??とか考えてこういう街並みを歩くのが大好きです。結局疑問は解けない訳ですが(笑)

Dsc03756

●バスケットシャッター

こんな感じのシャッターがあちこちで見られた、という事です。

建物は古そうで店も営業していないかも、というところですが、シャッターは妙に新し目に感じました。街の活況と店舗数の多さがつり合い取れていない感じで、多くの店が営業していないのかな??と感じさせられます。

Dsc03759

●大栄百貨店

駅前広場を過ぎて直進して最初の交差点からのカットですが、右側がその「大栄百貨店」です。下を見ると「市民プラザ」とありました。

市民プラザは2009年にオープンしたようで、節目の時には時々イベントが行われているようで、物産品・木工品の販売等のイベントのようですが。

百貨店として稼働している感じではないようで、ピンポイントにボクシングジムや何やらの施設が入っている程度で、虫くいの状態で稼働しているようです。調べても意外なほど情報がなく、辿ってきた経緯も全然分からずでした。昭和時代は百貨店として、能代の顔として操業していたのでしょうか??全く分かりませんが…。

Dsc03760

●右折

能代駅から直進して100mほどの地点に最初の信号がある訳ですが、これを右折したらこのような風景となります。ここは県道205号線(富根能代線)で、富根とは、能代駅から西へ3つ先にある駅でもあり、この区間分続いている県道という事になります。

向こうには昭和そのままの店舗ビルが延々と軒を並べており、個人的に能代に対する印象が、イコールこの街並みという感じでした。

ちなみにこの交差点を右折せずに、駅から500m程度直進すると、国道101号線と交差します。この国道は青森市から秋田市まで260km余り続く東北北西部の主要道のひとつです。

Dsc03761

●能代駅前郵便局

能代駅から100mとない地点にある小さな駅前局です。

基本平日のみの対応で、ATMがこれに加えて、土曜の午前中のみ稼働している形です。

能代の中心局である能代郵便局は駅前最初の交差点を右折した県道205号を500m程(北へ)進んだ地点にあります。

Dsc03765

●能代マンホール

能代駅前にもありましたが、シャチ流しのシャチがお城の上にでっかく描かれています。

こういう、ご当地らしさを分かりやすく描いたマンホールは見ていても楽しくなっていいですね。こうしてカラー版に出会えると尚良しです。

Dsc03766

●続いていく…

県道205を北へ進んでいったところです。このようなコンクリートゴツゴツの昔ながらの建物が続きます。北海道の小都市の駅前道と交差する主要道もこんな感じの所が多いですね、砂川とか。

手前の建物は「のしろ木工品市場」という事で、ここは建物の側面から撮っている格好なので分かりにくいですが、正面から見ると現役バリバリで稼働している建物でした。

能代は「木都」ともいわれ、木工品がそのアピールポイントの一つとなっており、この建物の中では、能代市近郊の木工所から取り寄せた製品を展示しているそうです。

Dsc03768

●まだまだ

続いていくコンクリートの建物群です。

建物自体が素気ないコンクリート色そのままでありながら、下のシッャターはカラーペインティングがなされており、その上下のギッャブぶりも凄いものがありました。

Dsc03775

●更にバスケシャッター

下側のようにまともにバスケ選手を描いたものもあれば、上側のようにバスケットボールが木になる実として扱われているものもあったり、実に多種多様な絵が通りに存在しています。

上側の写真の右端には毬のように描かれたバスケットボールに「はたまち」とありますが、この辺りを畠町といい、県道は畠町大通りとされています。

Dsc03776
Dsc03778

●バスケボール・マンホール

マンホールの別バージョンがありました。

正面から「バスケの街」と銘打って、真ん中にズバリバスケットボールそのものを配するという、なんとも直接的な街アピールのマンホールとなっています。

Dsc03783

●横道へ

能代駅前の交差点から右へそれて200m程、県道205号を通ってきましたが、ここから左へそれようかと向こうの様子を見ていたら、(写真真ん中にあるような)半円状のアーチのようなものが見えたので、何があるのかな?と思い、引き寄せられるようにそれていきました。

それにしてもここでもまたコンクリート色そのままの建物が続いています。

Dsc03780

●たっぺの坂へ

上の写真の所から左へそれると下り坂になっており、その始点の近くには「たっぺの坂」なる表記がありました。

「たっぺ」とはなんぞや??思いますが、この裏面に説明が書いてありました。「江戸時代に住んでいた田畑多兵衛」の名前が訛ってついた、とされている、と。たへい→たっぺ、というわけですね。人名由来とは。

ここからゲートのついた商店街に入るのですが、どうにも中途半端、というか営業している店が殆どなさそう??せっかくゲートがありながら「〇〇商店街」的な表示も無く。ハードだけはしっかりしたものがありながら、その後から店が抜けていったのでしょうか、分かりませんが。

この商店街をぬけるとイオン能代店があります。これらの店々はイオンにその役割を明け渡す事になったのでしょうか。

Dsc03785
Dsc03786
Dsc03792
Dsc03789

●金子の坂

この坂の場合は、大正から昭和にかけて、金子書店という書店があった事からつけられたといわれています。実質人名由来でしょうかこれまた。

Dsc03802
Dsc03800

●引き返し

2つの坂を見てから、県道205号を反対方向へと引き返し、能代駅へと戻っていきます。

やはりゴツゴツした建物が続いています。何十年この景色変わっていないのだろう??と考えさせられます。そしてこれからも何十年となくこの景色は続いていくのでしょうか??建物の倒壊とか心配ないのかな?老朽化更新するのかな??とかいった事が色々と気になります。

Dsc03797
Dsc03808

●能代駅前へ戻る

最後の写真はこれです。

県道205号を引き返して、能代駅に戻ってきた時のものです。

「バスケの街のしろ」が非常に目を惹きます。

人で賑わう街とは少々言い難い面がありますが、街を歩くだけで十分面白い能代の街。こんな旅もあるという事で。

Dsc03817

2017年1月17日 (火)

JR湯田温泉駅 (山口県山口市)

山口県山口市のJR湯田温泉(ゆだ・おんせん)です

山口市ではJR新山口駅JR山口駅をupした事がありますが、市名である「山口」を冠しない駅としては初めてupします

-JR湯田温泉駅-
【路線】
JR山口線(新山口-益田間)
【開業】1913年2月20日
【訪問】2016年8月
【1日あたり平均乗車人員】 1,144人/日 (2014年) 
【近隣の主要駅 (新山口方面) 新山口駅→6駅
           
(益田方面) 山口駅→隣駅 

●駅名標周り

開業日は隣駅でもある山口駅と同じ日です。

元々は「湯田」駅ですが、1961年に現駅名に改称されて現在に至っています。

湯田温泉は中国地方でも屈指の規模を誇る温泉街を持ち、県都・山口駅の隣にあるという好立地でもあります。惜しいところは山陽本線上ではなく、山口線という南北に通る路線にある事で、どうしても公共交通機関の便数は少なくなってしまうというものです。

Dscn8603

●駅周辺MAP

さて、こっから景色は真っ暗なのですが、ここへ来たのが晩で、翌朝まで泊まって発ったので、駅名標の写真のように昼間の景色もある訳です。

で、これは湯田温泉周辺MAPという訳で、駅名標の真横にあるものです。

当駅がこの地図の最下部にあたり、真ん中らへんが温泉街なので、少し距離はあるものの、10分も歩けば立派に温泉街に行き着くので、駅からのアクセスとしては良い方かと思います。

幕末の維新と繋がるという事で長州の偉人たちや、文才溢れる歌人などに愛された湯として、ゆかりの人物についての説明書きもありました。

Dscn8508

●ホーム

最小限の1面1線ホームです。

待合室があって、そこまでの所で細い柱で支えられた屋根が取りつけられています。

まるでローカル線の終着駅のようなホームの雰囲気ですが、全くの途中駅です。

Dscn8509

●改札周辺

改札の位置に柵状のゲートが置かれていました。

早朝夜間を除いては「みどりの窓口」が営業しているという事で、駅員はJR子会社の職員が委託の形で務めているという事です。

みどりの窓口は1992年から営業開始されたという事で、元々あったものが廃止されたという事はあっても、なかったものが設けられるようになったというのは、あまり聞かない話で、当初想定よりも需要があったという事でしょうか??

2003年まで駅乗車人員は1,000人前後でしたが、今ではこの1割以上増えている状態です。決して劇的に増えている訳ではありませんが、山口線にあって人数増に転じているのはじゅうぶん評価に値すると言えます。

Dscn8510

●出札周り

着いたのが晩だったので、既閉じられていましたが、マークが入っていて「みどりの窓口」がある事が分かります。出札の窓口自体がみどりの窓口であり、別室にある形ではないです。その辺はやはりそれほど規模の大きな駅ではないという事で。しかしこの辺では十分格上の駅だと思います。

Dscn8512

●待合室内

ベンチが9脚設けられていて、自販機も駅舎内にある訳ですが、コインロッカーが設置されているところがやはり観光地の駅という感じです。

バックの窓の部分には「湯田温泉駅へ ようこそ」と何気に貼ってあったりします。

Dscn8511

●巨大白狐!

湯田温泉の象徴的存在といえる白狐が駅前にでっかく立っています。その高さはなんと8メートル!駅舎の高さよりよっぽど高いです。

滋賀県高島市のJR近江高島駅というのがありますが、そこの駅前にでっかく立っているガリバー像を思い出させてくれます。

白狐の湯(びゃっこのゆ)」との標識がバックにありました。昔、足を痛めていたと思われる白い狐が連日物音を立てながら池に足をひたしてはぎこちなく逃げて行ったのが、ある日しっかりとして足取りで逃げて行ったのを境に見かけなくなってしまい、村人がその池に行ってみるといい具合の湯加減の温泉が湧いていたという言い伝えがあり、このように呼ばれているようです。

白い狐とはまた…、、本来日本には存在しないもので、突然変異種ならばいなくもない、などとありました。それ以外だとホッキョクギツネぐらいだと。

Dscn8514

●駅前通り

駅前すぐは温泉街ではなくて、「どこが温泉駅なんだろう?」と思わされますが、10分も歩けば立派な温泉街に出くわします。

外湯めぐりもできますし、ホテルもこの温泉街に集中しています。ホテルでも温泉だけ入れる所やら、日帰り温泉で充実した設備のあるところ、お湯に入るだけの所など多種多様です。

Dscn8602

●湯田温泉駅 駅舎

巨大キツネは駅前のものですが、駅自体は実にこじんまりしたものです。

コインロッカーがあり、みどりの窓口設置駅でありながら、こんなに小さいとは!

温泉地でもあり、駅から適度に距離がある(徒歩でも行けますが…)ためかタクシーはそこそこ停まっていました。

このでっかい白狐は夜にこそ映えるのかな?という感じがします。昼も夜も撮ってみましたが、昼だと景色と同化して?!存在感がやや薄くなるのかもしれません。

「山陽路随一の温泉街」と謳われるこの湯田温泉の最寄駅、是非に行ってみられれば、と思います!

Dscn8513
Dscn8596
Dscn8595

2017年1月13日 (金)

福岡/福津 またまた又ぜー

福岡県福津市、JR福間駅からの歩き旅です。

(2011年3月当時)

●赤いバス

福間駅から眺めた駅前の様子です。

「OMNIBUS」と書かれた赤いバスがありましたが、JR九州の路線バスとありました。

JR九州といえば鉄道車両もこのような色の列車も見られますが、このバスの車体には「RED LINER」とあり、どこか鉄道車両を思わせる雰囲気に満ちていました。

Himg0657

●駅前を見下ろす

これも福間駅からの様子です。

あいにくの天気で余りで歩きづらそうであった事もあり、まず駅から見下ろしたカットをいくつか撮っていたものです。

駅前の通り様子が俯瞰できて分かりやすいと思いますが、商店街的な通りが続いている事が窺えます。

Himg0655

●駅前通り

上の写真で見下ろしていた向こうへ続いていく道を実際に下りてきて通ったものです。

「平和タクシー」という看板など、どこか昭和あるいは20世紀を思わせる雰囲気ですが、2011年当時の様子です。

Himg0663

●又ぜーが里

これも上の写真で右向こうに少し見えている靴屋さんの店先のカットです。

福間駅の記事でもありましたが、ここ福間は「又ぜー」の里という事で、福間駅の駅名標にもこの絵が描いてありますし、何せ「又ぜー」です(笑)

Himg0664

●小烏神社

「こがらすじんじゃ」というそうで、1854年築の神明造の社殿があったそうですが、約140年にもわたる星霜を経て老朽荒廃化し…とありました。1995年に再建記念碑が立てられています。

Himg0666
Himg0667

●福間マンホール

旧・福間町時代のマンホールです。

当時の町の花スイセンと「九州の湘南」とよばれる福間海岸とが描かれているそうです。

「九州の湘南」たるゆえんは、ウインドサーフィン等のマリンスポーツが盛んで、その手のものでは屈指のスポットだという事です。更には青い松林や、夕陽も綺麗だとか。

Himg0671

●福間郵便局

福津市は福間町と津屋崎町との合名による「福津」で、その福間の中心たる所がこの辺りで、同時に福津の中心にもなりますが、やはり平成の大合併で新たにできた市名に合わせるというのは合併から10年ほど経とうとしている今でもなかなか少ないものですね。

やはり改名による計り知れない費用計上を考えると、なかなか変えられない…という事になるのでしょうか?昔から慣れ親しんだ地名をなくさないでほしい!などもあるのでしょうね。

Himg0672
Himg0673

●又ぜー広告

これは福間駅のほぼ向かいのバスのりばのベンチが並んでいる所で、「お買物は 又ぜー通り商店街へ」とありました。

その下の写真では商店街の駐車場の地図もありました。ある店では、ここで買い物をすると、これら駐車場が20分フリーで利用できます、等あるようですが、「20分」とは…という感じもします。商店街といえど、構成する店の数はさほど多くないようです。

ベンチの真上に並ぶ広告群がレトロ感溢れていました。

Himg0676
Himg0677

2017年1月 9日 (月)

埼玉/日高 砂まじりの旅…

埼玉県日高市、JR高麗川(こまがわ)からの歩き旅です。

(2011年5月当時)

●マンホール

縁の内側のみデザインされているというなんだか控え目な感じのものですが、市の鳥カワセミが描かれています。

Himg0159

●高麗川駅前通り

広めの道路が通っていますが、市の中心分の駅前通りという雰囲気は感じませんでした。

そこそこの高さの建物がちょこちょこ立ってるな、という感じで。

Himg0160

●サテライトスタジオ

駅前の通りを歩いていて出くわしました。

飯能日高テレビの愛称にて飯能ケーブルテレビという会社の運営化にあるサテライトスタジオとの事です。飯能市を中心に日高市の一部地域もサービスエリアとしているという事で、飯能・日高に関する番組を作成していたりもします。

Himg0163

●高麗川郵便局

市内の中心駅とされる駅前にある、その駅名と同じ名の郵便局がこんな小さな局とは驚きでした。

しかし、こことは別に本局があり、「日高郵便局」という規模の大きい局が、駅を越えて反対側に存在します。

この高麗川郵便局も小さな局の割には、オレンジ色の看板が立っていますが…。

Himg0164

●はんしん!

こんな関東地方に「阪神?」かと思いましたが、「飯能信用金庫」の「はんしん」なんですね!

あまりにもひらがなのインパクトがあり過ぎて、思わず撮ってしまいました。

やはりこのあたりは飯能が中心の文化圏なのかな、という感じでした。

Himg0165

●陸橋

この向こうに見えている階段を上ると、線路を跨ぐ陸橋があり、駅出入口のある方と反対側へ行くには、ここを通る事となります。高麗川の駅からは300m程を要し、向かい側へ行くのもなかなか大変という事を身をもって感じました。

ちなみに陸橋下は無料の駐輪場だそうです。とめてもいいけど一切責任は負わないスタンスのようで、その旨の注意書きがありました。

Himg0167

●橋を渡る

線路を越えて橋を渡りゆくところです。

住宅地が見えますが、更に向こうへ行けば、道路沿いは郊外型の店舗がズラリと並んでいる通りになります。

日高市役所はこの先の2つ目の信号を左折して1kmほど進んだ所にあり、駅出口とは反対側にある格好になります。

Himg0172

●日高市生涯学習センター

上の写真の橋を渡り切った後の最初の交差点を左折して程ない地点にあり、教育センターや保健相談センター、図書館なども入っています。

Himg0174

●カワセミと橋

生涯学習センターの真ん前を流れている小川に架かる橋の部分です。

手すり下のガードの部分には市の鳥であるカワセミが切り絵のように模様としてあしらわれていました。

Himg0176

●ガーデンパーク高麗川

と銘打たれていたガーデニングスペースです。

地元有志で整備しているのか、希望した人間が割り当てられた土地の分だけやっているのか分かりませんでしたが、高麗川駅の裏手にあたる地点で結構きれいな風景を見る事ができました。

ただ、この記事タイトルにもあるように、この日ちょうど風が激しく強くて、まともに目を開けて通れなかった思い出しかないくらいです。景色見て高まる事など皆無で、ただただ苦行のように歩いて周囲の景色を見て回っていました。まるでそれが義務であるかのように。

砂煙が常に目に入ってきそうで…、でもせっかく来たのにどこにも行かずに帰るのか?も頭をもたげ、体調もあまり良くなかったうえにまともに目を開けて歩けず、正直この辺りの旅はいい思い出がないかったので、今度は別な素晴らしい所へ行ってリベンジが果たせればという気もします。

Himg0179

韓国鉄道公社/烏山駅 (韓国/烏山市)

韓国/烏山市の韓国鉄道公社/烏山(오산)です。

烏山市はソウル近郊京畿道の市で、ソウルから南約50㌔の地点に存在し人口は約200,000人です。日本での平成元年にあたる1989年に市制化されており、それまでは華城郡烏山邑(村)であったといいます。1950年の朝鮮戦争で、米軍と北朝鮮軍が初めて地上戦を行った地でもあります。

韓国鉄道公社/烏山(오산)
【路線】韓国鉄道公社京釜電鉄線(首都圏電鉄1号線)(ソウル駅-天安間)
【開業】
1905年1月1日
【訪問】2016年9
【1日あたり乗降車人員】 9,802人/日(2011年)
【近隣の主要駅】 (ソウル方面)餅店駅→3駅 
            (天安方面)平澤駅→5駅

●駅名標

烏山と書いて英字では「Osan(オサン)」と表記します。大変覚えやすいですオッサンみたいな名前で(笑)

首都圏電鉄1号線に属しており、直接ソウル駅まで行く事も可能で、距離としては56kmあります。隣駅の一方は「烏山大」駅で、烏山大学校があるとされていますが、2kmいじょをうの距離があり、むしろ当駅からの方が近いぐらい、とありました。隣駅につける名前がなくて烏山大にしたのでしょうか?(笑)

前回、韓国の駅記事で送りしました餅店駅から3駅のところにあり、更にソウルから離れた方向にあります。

前回の餅店駅までは昨年9月の韓国旅行の初日の模様でしたが、ソウルのホテルで泊まってから、この駅は2日目で最初に訪ねたところです。泊まった明洞からは1時間以上かかりましたが。

Dscn9953

●保線車

上の写真でも見えていましたが、保線用と思われるもの等々色んな車両が停まっていました。黄色と青の車両がなんなのか?昔のコンテナカラオケBOXみたいでした。すごく不思議な雰囲気を放っていた、コントラストバッチリの車両でした。

Dscn9952
Dscn9959
Dscn0008

●ホーム

柱に屋根の縁に濃い緑が配されていて、なんとも印象的です。

先程の車両ともからんで、この駅では本当にたくさんのピビッドな色を見た印象が強いですね。

Dscn9955
Dscn9954

●地図と案内

日本のもののようにあれこれ書かれておらず、駅の周りがスカスカになっています。

出口案内には漢字での表記もありますが、殆どが学校という印象です。

Dscn9956
Dscn9957

●利用案内図

ホームと改札の関係を立体で示した形の案内図です。

ホームから上がって来て、また出口へと下りるという橋上駅舎方式ですね。

Dscn0003

●階段

ホームから改札へ上がる際の階段ですが、丸屋根で交尾に色が配されていて、シンプルな曲線ステンドグラス風とでもいうか、ひと手間入った屋根になっていて、このように撮っても絵になります。

Dscn9960

●線路を見下ろす

改札階からホームを見下ろした形のカットです。

ホームは緑の屋根で覆われていて、ほぼ線路しか見えない形となっています。

階段の屋根が曲線であるのもよく分かります。外から見るとビニールっぽくて安っぽい感じもしますが、中を通っている時は風景的な?アクセントがあってよいかと思います。

Dscn0005

●烏山駅 駅舎1

まずは駅を出たばかりのカットです。

エスカレータも階段もあります。そういえば韓国ではエスカレータなどが壊れていて放置という経験は現時点ではないですね、中国(大連)ではショッピングセンター(地下)へのエスカレータでありましたし、駅では券売機が壊れてても放置で結局窓口販売に切り替わり筆談なんて事になりましたが。

ここは出てからはこのくらいのスペースがあるだけで、すぐに道路に面する事となります。

Dscn9961

●工事中?

上の写真の右側でも柵がなされていますが、駅前が2007年7月までの予定で工事中の模様です。ここに載っているのは完成予想図でしょうか。

Dscn9999

●烏山駅 駅舎2

全景が取れる形で…と思いましたが、真ん前が工事中の柵で覆われて殆ど見えなくなっていました。とりあえず駅舎の規模感ぐらいは窺えるでしょうか。

この時の趣旨は、ソウル市外の他の市の中心駅をできるだけ行こう、というものでしたが、それぞれ他所の個性はあるものの、大きくは違わないのかなと感じた部分もありました。全国規模チェーンのお店がどこへ行ってもあったのがその要因かもしれません。その土地土地ならではのものを見つけるというのは、多少はできたものの、完全にはでき切らずでした。それでも、そこで見たもの感じたものはそれぞれなので、その辺りはひとつひとつ思い出せます。(ここでは表現しにくいですが)

ここでは、1日Wi-Fi使い放題のカードをコンビニで買って、ネット接続に不自由しなかった、という街とは何の関係もないものですが、それとて良い想い出です。

Dscn9963

JR能美根上駅 (石川県能美市)

石川県能美市のJR能美根上(のみ・ねあがり)です

能美市では、JR寺井駅を既にupしており、この時に『市内唯一の駅』と記したのですが…、、市内に新駅ができたsign03 …のではなく、駅名が改称されたのです。

寺井駅から「能美根上駅」に改称された事をつい先日知り、先ごろ北陸の数市を改めて訪問した事もあって、今回新駅名になった形での再訪として記事をupします。

●駅名標

かつて「寺井」であったものが、このように「能美根上」に変わっていました。ちなみにこの再訪問は2016年11月当時のものです。

ここが能美市になったのは2005年の事ですが、以後もずっと寺井駅で通してきたのが、2015年3月に「能美根上」へ駅名変更となりました。元の駅名である寺井という地区はここから1km程離れた所にあり、ここは旧能美郡根上町の近くにあるという事が起源のようで、能美市がJRに要望していたようです。根上の名がある方が親しまれやすい(森・元首相や松井秀喜氏の出身地のイメージも強く)という想いもあったのでしょうか。

Dscn3537

●ホーム1

1面2線のホームです。

駅名に能美の名を冠するようになり、それまでも自治体名と一致しなかった「寺井」という駅名であった状態から一転、市の中心駅として内外にアピールされた訳ですが、ホームを見る限りではその雰囲気はほぼ感じられませんでした。

沿線の、市の中心以外の駅のひとつとさして変わらない様子でした。屋根が広い事と時計がある事ぐらいでしょうか、その辺の駅と違うところといえば。

Dscn3535_2

●ホーム2

こちら側の眺めでは、両出口の様子が窺えます。

これまでは改札と地下通路で繋がる形となっており、ホームから階段を下りていましたが、今は階段を上がって改札へ向かう形となっています。

それまでは単一の出口であったものが、両サイドに分かれており、橋上駅舎化されたことが分かり、この面では確かに駅として進化した事を感じ取れます。

Dscn3538

●自由通路

改札を出たところですが、これまでなかった自由通路がこの駅改装時にできました。

駅名改称に先立っての橋上駅舎完成となっていますが、通路の真ん中にいくつものパネルが立てられていて、街の案内等々観光に一役買っています。

それまでは片側出口の駅舎内に待合スペースがありましたが、両サイドへの出口は階段のみとなってしまう為、このスペースが改札外での待合スペースとなります。

Dscn3541
Dscn3545

●能美市観光マップ

寺井駅時代は市街地マップ程度のものはありましたが、ここまでのものはあった覚えがなく、松井秀喜ベースボールミュージアム等各名所への案内が明示されています。

前にも行きましたが、駅の周りにはほぼなんにもない状態で、松井秀喜ベースボールミュージアム(HPはコチラ)へも当駅からバス(1日4便のみ)で20分程度かかります。

他にも駅から離れた所へは点在していますが、駅の近くだけで何かを見ようと思っても少々厳しい感じです。

Dscn3546

●階段

これもまた今日橋上駅舎化の産物で、両方向への階段ができた訳です。

踊り場が2つあるくらい、階段は結構あります。

Dscn3550

●バスのりば

以前はただ広場スペースがあるだけの駅前であったのが、ロータリーが形成され、バスの位置等区画も整備されています。

この1月10日(つまり明日sign03)から「社会実験」として臨時バスが運行される旨の貼り紙がありました。

「高校生の通学支援の為」とありましたが、この臨時便の利用状況を見て今後の便の検討を進めるのでしょうね、沢山利用されて一定の便数が確保されれば良いなと思います。

Dscn3618
Dscn3619

●能美根上駅 駅舎

以前の寺井駅の頃とは全く変わっていました。

駅前ロータリーが整備されているのは勿論、駅舎も平屋の平屋根であったものが、てっぺん部分の高さでいえば石川県の駅屈指ではないかというレベル?になりました。

階段とエレベータはありますが、エスカレータがなく、また出口を出る際は階段のみであり駅に何か施設が入っている訳ではなく、その辺りが少々寂しいかなという点ではありましたが、まずはハードはそれなりのものがつくられたかな、というところでした。

あとは駅前の通りは寺井駅当時とさほど変わりなく、この辺りが今後どうなっていくのかも気になるところです。

Dscn3553
Dscn3552
Dscn3617

2017年1月 6日 (金)

JR岡崎駅 (愛知県岡崎市)

愛知県岡崎市のJR岡崎(おかざき)です

岡崎市は、愛知県のほぼ中央に位置し、人口は383,383人(2016.10.1現在)で、愛知県では名古屋市、豊田市につづく3位の人口を誇る都市で、豊田市とは西三河を代表する中心都市として双璧の関係にあります。江戸幕府を開いた徳川家康の生まれた城として岡崎城があり、八丁味噌の産地としても知られる街です。

-JR・愛知環状鉄道/岡崎駅-
【路線】
JR東海道本線(東京-神戸間)
    愛知環状鉄道線(岡崎-高蔵寺間)

【開業】1888年9月1日
【訪問】2007年4
【1日あたり平均乗車人員】 JR-17,077人/日 (2014年)
                  愛知環状-4,566
人/日 (2014年)
【近隣の主要駅 (東京方面)蒲郡駅→5駅
           
(神戸方面)安城駅→2駅
           (高蔵寺方面)三河豊田駅→9駅


●駅名標(JR)

JR東海道本線に属すると共に、愛知環状鉄道線の始発駅としても機能しており、駅舎としては両者共存しております。

訪問が2007年で当時の写真を載せていますが、当時の隣駅の一方(東京方面)は、こうだ(幸田)駅となっています。この後、2012年に「相見(あいみ)」駅が開業したため、幸田駅は隣駅ではなくなりました。

時刻表の上半分が見えていますが、1時間に6本はコンスタントに来ている形で、長く待つ事はないかなというところです。特別快速も停車する分、便が多くなっていて、周辺の中心駅でない所では少し便が減る事となります。

新幹線レベルでは三河安城と豊橋の間にあり、三河安城までは3駅という位置にあります。

Himg0171

●自由通路

改札を出た後の自由通路の様子を天井寄りに。

屋根が尖がっていて、明り取りの窓が飛び飛びについています。こういうのもアクセントになってていいですね。平屋根よりもとんがった屋根の方が見栄えもよく。

Himg0179

●駅名標(愛知環状鉄道)

0番線のみ使用している愛知環状鉄道側の駅名標です。

色遣いからするとこっちの方がJRっぽい気がしなくもないですが…

始発駅につき、隣駅は片側のみの表示です。

環状鉄道、という名前ですが、路線は環状ではなく普通に棒状というか始発と終着が1本の線の状態になっています。

Himg0180

●愛知環状鉄道の車両

0番線ホームから出た車両です。現在もこの車両が使われている模様です。

ここ岡崎から高蔵寺駅までの約45kmを23駅で結んでいて、駅間の距離は比較的短く、高蔵寺側へ進むにつれてその距離が長くなっていく感じです。この時行ったのは2駅先の中岡崎駅まででした、ただ「乗った」というだけで…。ただこの中岡崎駅では、名鉄の岡崎公園前駅と十字交差している格好で、垂直にお互い位置し合ってる感じです。

Himg0181

●歓迎看板

駅から出て、駅前広場の歓迎看板です。

なんといっても徳川家康の生まれ故郷が最大のウリ?かと思います。他の地方の方々からすると岡崎って愛知県で3番目に人口が多くて、しかも40万近くの人口がいるというイメージが薄いのでは?と勝手に思っていますが、新幹線が停車しない事もそう思える理由の一つかもしれません、ですがやはり徳川家康の故郷、もちろん城下町、立派なお城をもつ街でもあります。

Himg0173

●駅前道

そこらじゅう工事をしていて、建物周りもそうでしたし、更地も多かった、そんな印象でした。

この辺り全くの駅前ですが、取り立てて建物が見当たらない感じでした。今から約10年前の姿ではありますが。

Himg0175

●駅前スペース

建物丸ごと改装のような状態でした。

しかし駅の歴史を調べてもこの時期の事については一切触れられておらず、何だったのか?と思わされてしまいます(再開発の途中だったようですが)。ただ、こうして記事に格段になって初めてといっていいぐらい、ここが40万近い人口を有する都市という認識がありませんでした。少なくともこの訪問時にそんな事は全く感じませんでした。

岡崎市の中心駅はここよりも、名鉄の東岡崎駅といわれており、ここが必ずしも中心地ではない、という側面もこのように思わされたうちのひとつかと思います。今度は東岡崎駅へ行かねば…です。

Himg0174

●岡崎駅 駅舎

JRに加えて愛知環状鉄道の名前とマークも添えられています。

なかなか大きな駅ではあるのですが、1つのビル状がデンと立っているのではなく、いくつもの塊がくっついてできてる感があって、個人的にはかなり寄せ集めなイメージです。

JRでは市名を名乗るので、中心的存在になっていくのならいいのですが…といって10年近く寄っておらず、ただ特別にニュースもないようなので大きく変わった様子はないようです。同等の人口規模の一宮市にある尾張一宮駅がショボい小駅から大駅舎へ変貌を遂げたので、ここにも続いてほしい想いはあります。

Himg0178
Himg0172

2017年1月 4日 (水)

島根/飯南④ 赤名宿とエンターテイメント衣掛

島根県飯石郡飯南町、島根/飯南③ 24年ぶり赤名へ!に続く飯南町の旅記事第4弾で、飯南町の記事はひとまずこれが最後です。

(2016年8月当時)

今年盆旅の様子をupしていくもまだ初日の分しか上げられず、気がつけばこれも去年の旅の様子となってしまいました。当ブログの中では鮮度の高い方ですが(^_^

●橋を渡れば…

という事で、前記事では主に赤名バスセンターを中心とした国道54号線上の主要施設についてのお届けでしたが、今回は国道をそれて、この橋を渡ったところから始めたいと恵思います。

ちなみにこの橋は「下市大橋」という事で、これでも一応”大橋”です。

これを渡る手前は国道54号で、渡った先は赤名宿として栄えた街並みを垣間見られる住宅や商店のエリアとなります。

Dscn8076

●赤名の街並み

橋を渡った先は国道54号と川を隔ててほぼ平行に通っていて、この記事はこの通りに沿う形でお送りしていきますが、まずはこのカットにて。

国道沿いの方は交通機関や役場、道の駅などの主要施設がありますが、ここでは商店や住宅、金融機関もあります。ただコンビニに関しては国道も含めこの辺りでは皆無でした。

Dscn8081

●逆向き

上の写真から少しだけ進んで、反対側から撮ったものです。

右側の建屋の横からの様子がこんなに素晴らしいものだったとは!板張りが高く続いていってて実に見事でした。こういうの見ると、いつ建てられたんだろうコレ?と思ってしまいます。

アプリで人の顔を解析?して「何歳」とか年齢を出すものが一時期流行っていましたが、これ建物版ってないかな?と思ってしまいます(笑)

ともあれ、この道を道なりに向こうへ進んで行きます。

Dscn8087

●道しるべ

大森銀山道の道標という事で足下にありますが、説明板が設置されていました。

同じ飯南町のかつての町の中心地であった頓原の中心道ではこういったものに出くわせませんでしたが、ここ赤名はれっきとした宿場町だけあってこのようなものも見る事ができます。

大森銀山道は大田市の温泉津(ゆのつ)を起点にして、現在の広島県や岡山県に繋がっていきますが、ここ赤名は広島県へ繋がる国境の役割を果たしていたのでしょう。この国境には赤名峠があったので。

道標には「左は石州さけ谷 大田 大もり五百らかん」とあり、別の面には「右ハとん原 まつえ 大やしろ一ばた」と刻まれていて、安政三辰二月とあり、1856年につくられたとされています。大やしろ、というのは大社の事ですね。「石州さけ谷」というのがいくら調べてもサッパリ分かりませんでした。 

Dscn8088
Dscn8091

●左折して

先程の道標のところを左折して、街道の面影をたどり続けます。

この道にはSNACKがあります。町役場からは坂を下りて道と橋を渡って道なりに進むと行き着くところなのであるいはこういう所で憩いの時を…とか想像してしまいますがその辺はよく分かりません。ただ娯楽のスペースはどこかにあるはずだとか思ってついつい探してしまいます。どんな田舎でもこういう所が必ずある、というのが今まで色々巡ってきて思う所ではあるので。

Dscn8092

●梶谷先生頌徳碑

上の写真の通りの左向こう側の斜面にこの頌徳碑といくつかの石碑が建てられていました。

梶谷先生に関しては、説明板もつけられていましたが、ネットで調べてもどんな人物か全くわからず、この説明板にある事がすべてという感じです。

これによれば、梶谷金三郎は赤名冨屋梶谷家三代とあり、1866年生まれで1949年に82歳で没していますが、明治14(1881)年に赤名小学校に就任し、大正5(1916)年まで30年余りにわたってこの町で教育の基礎を確立された、とあります。

15歳で小学校の先生??と思いましたが50歳過ぎで退官??人生50年時代だとすれば無理からぬ事かなと。この間明治44(1911)年には島根県知事表彰、大正4(1915)年には文部省の表彰を受けています。昭和10(1935)年に建立とあり、氏の生前にこれはもうできていたんですね、これもなかなかビックリものでした。

Dscn8095
Dscn8094

●まっすぐな道

左折右折を繰り返した道も、ここからはまっすぐ続いていきます。

やはり人家と商店が共存する形ですが、ここにこうして商店が営業し続けているという事は、住民のニーズの元に成り立っているという事なのかな、と感じます。

Dscn8102

●良田山

まっすぐ続く道から横へそれると、お寺へ続く道があるというのがここの通りのひとつのパターンでもあります。

突き当たりにはお寺の山門がそびえていますが、これが木製の上半分がガッシリした立派なものでした。

Dscn8104
Dscn8108
Dscn8111

●明窓院

境内に入ってのカットですが、良田山明窓院という名称です。

曹洞宗のお寺だそうで、その歴史は1451年から始まるとか。

島根県では東は出雲、西は石見と分かれる中で、この地方はどちらかというと出雲かな?というところ(かなり真ん中に近い)で、石見のようなオレンジ色の瓦(石州瓦)ではなく、やはり出雲地方なのかな?と思わされました。石見でもすべてオレンジ屋根という訳ではないでしょうが、行った限りでは結構多い印象はあります。

街道から横道それるとお寺に入るというのが何ヶ所かあるパターンとして滋賀県湖南市の石部の通りを思い出します。ここも宿場町で栄えたところで、街の構造的に似た感じでした。

Dscn8113
Dscn8114
Dscn8118

●再び通りへ

大きな家が立ち並んでいて、オレンジの石州瓦屋根の住居も結構目立ちます。

この風景は何十年くらい変わってないのだろうか?とか考えて歩くと楽しいなと思います。戦前、大正期、明治の頃はどんな建物だったんだろう?とか、江戸時代の宿場町として機能していた頃はどんな建物でどの程度密集していたのかな?とか、いろいろ考えると楽しいのでこういう所を歩くのが好きなのかな?と思いますが、それがもっと具体的にイメージでき~もっといいだろうな?と思います。当時の写真というのは都市部はあっても地方のものはあまりないんですよね…。映像となるともっと少ないので、想像力が頼りです?!そんな中で、昔の写真サイトが見つかりました →コチラ

ただ、ここの場合は大正8(1919)年の大火で街の大半が焼失するという事故が発生し、これ以前の面影はほとんど残っていないのだそうですね。逆にそれでもその後復興してこのような立派な家並みが形成されているのは対応力があり、各々100年近くぐらいの歴史は有しているのかな?というのは感じさせてくれます。

Dscn8119

●赤名宿

通りを歩いていて、初めて「赤名宿」の名前に出くわしました。

明治初期で家数150程度で600人ほどが居たそうです。

Dscn8120

●赤名中市バス停

この街道を歩き始めた地点は「赤名下市」バス停付近でしたが、ここは中市。飯南町営バスの標識ですが、ちょっと簡易な感じです…

赤名方面と頓原方面にそれぞれ1日6便出ています。赤名方面といってもここから歩いて行けるレベルですが…。

Dscn8123

●ファミリーショップ

割に重厚な建物の多い中で、異彩を放っている感じだったのがこのお店です。

といってもいかにも昭和風のお店ですが、華は感じますね。かつては色んな人たちがこの店先を賑わせたのでしょうか?などと想像してしまいますね。

また、このお店から宅配荷物を送る事ができるという事で、その意味では重宝されているのかもしれません、この辺りはコンビニがないので、かなり重宝しているかもです。

Dscn8125

●ごうぎんと本陣跡

通りの中に金融機関がありました。

頓原の町でもごうぎん(山陰合同銀行)がありましたが、ここの通りにもありました。宿場街の通りにこうしてあるという事で、この通りが街の中心的な部分にあたるという事が感じ取れます。

隣の建屋には赤名宿本陣跡の碑がありました。

肥後屋という所に本陣が置かれていたようで、その屋敷がこの周辺にあったようです。「銀山街道」とある通り、石見銀山から運上の銀や銅が運ばれ、その規模は人夫400人牛馬300頭の大所帯であったようです。その銀銅の受け渡しで賑わったという訳ですね。ちなみにあの伊能忠敬も測量の途中で肥後屋に宿泊した記録が残されているそうです。

Dscn8129
Dscn8128

●さらに赤名宿

更に進んでいくと、赤名宿についてきっちりクローズアップしたものがありました。

説明板によると季節ごとに大きな市が開かれ、その度毎に遠方からも人が押し寄せた、とありました。またこの辺りの道筋は当時の様子を概ね留めたもので、火災後の復興時にそのようにした旨が記載されていました。

瀬戸山城の城下町として形成されたというのが元で、一国一城令が発せられても国境という位置的な重要性ゆえか、城の番が派遣されて麓に侍屋敷が立ち並んでいたとも。銀の荷継ぎ行程が広島側の国境である布野から三次まで延長されると(その距離が延びるので)、ここの業務負担が増大し、負担軽減の訴えを起こした事なども記されていました。

Dscn8132
Dscn8133

●バス車庫

これも宿場街の通り上にありました。

そろそろこの辺りで建物が立ち並ぶエリアも途切れていくかな、というのが見えてくるぐらいの所にありました。

車体前面に「いーにゃん」というゆるキャラの顔面がのせられています。

頓原から赤名まで町営バスに乗りましたが、全く無音であった事はなかなか忘れそうにないと思います。

Dscn8136
Dscn8130

●夢街道

夢街道ルネサンス推進会議なるものが「夢街道」として認定されており、その認定証が飾られていました。表には酒樽も!

Dscn8137
Dscn8138

●赤名郵便局

赤名の本局、今では飯南町の中心局という事になるかと思いますが、こじんまりとした規模の局でした。建屋も昔ながらですね。

Dscn8142

●廃屋

これはかなり街道の通りも終わりというところですが、廃屋とみて間違いないような家が目立ってありました。解体の予定もないのか分かりませんが…。

こういう家屋見ると、この家はいつまで人が住んでいたんだろう?とすぐ考えてしまいます。よく観光地で旧家の実物展示みたいなのがあって、往時の暮らしを伝えてくれるのですが、昭和の庶民層の…というのがなかなかなくて、逆にこういった家屋を材料に往時の暮らしをを学ぶことができないか?という事はかなり思うところではあります。

Dscn8148
Dscn8151

●国道54号へ

街道をずーっと歩いてきて、ひとしきり見たところで右折して、再び国道54号へ戻ってきました。この向こうへ行けば赤名バスセンターへ至りますが、ちょうどぐるっと一周しようかというところです。

「島根和牛の本場 飯南町」としてデカデカと塔がつくられていました。「飯南町」のぶぶんだけきれいになっていたので、元々は古くにつくられていて、赤来町→飯南町へ貼り換えた事が簡単に分かってしまいますが。

国道54号でありますが、184号も被っています。

Dscn8157

●衣掛(きぬかけ)橋

更にバスセンターへ近づいていくと、この衣掛橋に差し掛かります。

記事タイトルに「衣掛」としていますが、この辺りの山が衣掛山という山で、瀬戸山城もこの山にあり、赤名の起源となる「赤穴氏」が支配していたといいます。

Dscn8169

●衣掛

記事タイトルにした「衣掛」はこの建物の事です。

赤名バスセンターの向かいに建っている、宿あり食事あり温泉ありの赤名ひいては飯南町きってのエンターテイメント施設です。

バス便の都合もあり、ここに3時間居る事となったので、歩き回った後にここを利用させて頂く事としました。

Dscn8175
Dscn8182

●衣掛 温泉

という訳で、早速入ってみました。

入った先のフロントで入浴したい旨を告げて、450円+貸バスタオル代を払って、エレベータで最上の5Fまで。

5Fがまるまる温泉スペースで、休憩室を挟んでこのような大浴場へ。

他に誰もいない1人だけの貸切状態であったので、このように撮らせて頂きました。

お風呂はこの大浴場だけで、露天も他の風呂もサウナもありません、まったくの1種類です。この地でお風呂に入れるだけよしというものかなと。完全にガラス張りで外の景色が良く見えるのは素晴らしかったです。

Dscn8196
Dscn8197

●休憩室

風呂から上がると、隣の休憩室へ。

真ん丸窓から街の景色を眺める事ができます。向かいはバスセンターなので、その辺りの景気はよく見えますが…。

手前に自販機があり、向こうに足つぼのマッサージ機があり、いちばん奥には身体のマッサージ機があります。右奥は小さなテーブルと座布団、小さなテレビがあります。

1団体が来たらすっかり埋まってしまうようなスペースで、この時も足つぼをやっていたら家族連れがやって来て、机周りのスペースは埋まっていました。盆時期でもありかなり空いていたようですが、年間どの程度の方々の利用があるのか気になるところでもありました。

Dscn8199
Dscn8200
Dscn8201

●つなぎ目

街道歩きと衣掛の施設利用が今回記事の中心ですが、この写真は国道54号と街道通りを結ぶあたりのひとつです。交通が不便が故に逆に昔の雰囲気を維持した街並みになっているのかとも思い、放置された部分もありますが、人の手で維持された部分は立派なものだと感じました。

Dscn8217

●最後

になりますが、これは赤名酒造の「絹乃峰」(きぬのみね)の酒蔵周りです。

1929年創業でもうすぐ90年になろうかという歴史をもっており「米の味わいがしっかりあるお酒」と評されています。後継者がいない為廃業を予定されていた、とありましたが、後継者が出て継続となっているようです。

こういう業種の後継者問題もありますし、街並みを見ていても立派な家ばかりで、それぞれについて後継者問題とかあるのかな?と考えさせられました。人口流出も少なからずで今に至るのかな…とも思ったりしますが。

そんなこんな色んなもの見て赤名バスターミナルで詰所のおばさんに色々お世話になって、ここ赤名および飯南町を後にしました。なかなか行けなかったのですが、アクセスに苦労しつつ訪ねた甲斐はじゅうぶんにありました。

Dscn8187

2017年1月 2日 (月)

JR大久保駅 (兵庫県明石市)

兵庫県明石市のJR大久保(おおくぼ)です

明石市では、JR明石駅JR西明石駅、更には山陽電車では西新町駅などをupしていますが、これらにつづく明石市の駅の御紹介です。

-JR大久保駅-
【路線】
JR山陽本線(神戸-門司間)
【開業】1888年12月23
【訪問】初訪問-1998年11月
【1日あたり平均乗降車人員】 18,739人/日 (2014年) 
【近隣の主要駅 (神戸方面) 西明石駅→隣駅、明石駅→2駅
           
(門司方面) 加古川駅→4駅 

●駅名標

大久保駅、といえば、東京でも有名な場所にもありますし、京都府城陽市にも近鉄の駅として同名の駅があります。

JR山陽本線として、西は魚住駅から東は朝霧駅まであり、今回本駅の紹介によってすべてこのブログでは明石市のJR駅は朝霧駅を除く4駅がupされたことになります。

西明石駅が隣にあり、新幹線駅まで1駅と便利な立地ではあります。ただし、新快速は停車せず、東(大阪や神戸)からやってくると各駅停車では西明石駅までの便が多く、残念ながらすぐ手前で止まる事となります。快速電車で東から来る場合は、西明石までを数駅飛ばしながら来て、この駅から西へは各駅停車となります。

Dscn5949

●時刻表

新快速、快速、普通とあるとすれば、快速しか停車せず、その快速が本駅以西が各駅停車で運行している状態で、その分がここに停車するという格好です。という事で、ほぼ15分に1本、1時間に4本停車するというのが基本線となっています。

こちらに出ているのは東行きの時刻表で、神戸大阪方面のものですが、逆に西行きの方が終電は遅い形となっています。

Dscn5958

大正二年 横河橋梁製作所と銘打たれています。ホームの柱ではなく、ホーム内の時刻表にある柱として活用されています。かつてはホームの跨線橋に使われていた橋梁だそうで、構内ではここで使われていますが、駅前でも使われています。

ちなみにここにある社名は現在は横河ブリッジとなっていますが、東証一部上場企業として存続しています。

Dscn5956

●ホーム

2面4線ホームで、下の2枚のうち、上が東側(神戸大阪方面)、下が西側(加古川姫路岡山方面)です。

新快速のの停車する加古川-西明石の間にある、各駅停車する4駅(東加古川、土山、魚住、大久保)で、最も早く橋上駅舎化された駅で、1996年に橋上化されて両側に出口のある形になっています。以後、土山(2003年)、東加古川(2006年)、魚住(2008年)の順に橋上駅舎化となり、今ではこの間の全駅が橋上駅舎となっています。

Dscn5951
Dscn5950

●南側

ホームから見た駅南側の様子です。

「VIVRE」の看板が見えていますが、駅南口がイオン明石ショッピングセンターと直結されています。

1997年10月に「マイカル明石」として開業し、ここに写っているVIVREやSATYなどの複合のショッピングセンターとして建物ごとに、1番街から3番街まで、現在では5番街も追加され、イオンのもとで運営されていますが、かつての隆盛時は店の外壁部分に巨大な広告スペースがありました。これが無くなった頃から経営がどうなのか??と心配してしまいましたが…。

なににせよこの大久保駅が新快速非停車でありながら、いち早く橋上駅舎となったのは、この巨大ショッピングセンターの誕生を控えてにほかならず、その効果によるものかと。

Dscn5952

●ホーム階段まわり

手前に時刻表がありますが、15分に1本間隔は少々長いと感じる時があります。新快速停車駅であっても、新快速しか乗らないという選択肢になる場合は同じく15分に1本という事も少なくないのですが、今のような冬の寒い時は結構こたえるものですね。

ここの電光板に出ている「PASS」は新快速等の追加です。特急や貨物列車の通過等の場合もあります。

Dscn5980

●記念スタンプ

明石原人発祥の地、との事です。

明石市大久保町八木という所で、古代人の腰骨が発見され、しかし当初は真剣に取り合ってもらえず、またいまだに年代が特定し切れない、等色々な難点があるのですが、昔の人の骨が発見された地が近くにある、とされています。

駅でいえば当駅の真南の山陽電車・中八木駅のかなり近くとなり、ここJR大久保駅はその発見された地の「JRでは」最寄駅という事になり、2km近くの距離があります。

ただ、この大久保の地でこれ以外になかなかウリがないせいか、スタンプには原人が使われている格好です。この人骨が原人の頃の物かすら不明な状態でありますが…。

Dscn5979

●南口駅前広場

南口にはマイカル明石と高層マンションが複数建っています。

マイカルへは店舗直通の通路が2F部分で繋がっていて、下の部分はこんな感じですが、ロータリーのスペースがあるのみという感じで、駅出口としては北口の方がメインになります。花壇がきれいですね。

Dscn5962

●南口出口

駅舎というより階段が下りているだけの「通路」という表現の方が合うと思います。

右側が駅ホームや改札などの駅スペースで、通路が続いていますが、左折するとこのように出口へと降りる階段があり、直進すると(この写真でいうと、左へ進むと)マイカルへの直通通路として更に繋がっています。

Dscn5961

●さらに南口

下2枚中の上側は南口の出口からかなり引いたカットで、ロータリーの外周が見える形のものです。と共に、橋上駅舎の構造も垣間見えると思います。下側の写真は駅舎のようですが、南口の階段を降りてすぐの地点からホーム側を撮った様子です。「大久保駅」と表示されているのは、南口駅舎ではなく、ホームからの階段上の(改札周辺の)建物の外壁部分にあたるもので、そこに駅名表示される事で駅名が分かる形となっています。

南口出口階段の横に表示しようとしても、その上に通路があったりして、なかなか目立つ事がないと思われてか、通路より内側の建物の横っ面に駅名表示させている訳ですね。

Dscn5964
Dscn5960

●3面時計

北口へ回ってきました。

こちらがメイン側になりますが、駅前広場も広く取られていて、その一角にはこのような時計塔もありました。

さて、この柱、どっかで見たと思ったら…

駅ホーム内の時刻表に使われていた柱とおんなじものです。

やはり大正2(1913)年製ということで、もう100年を越える歴史をもつものですが、今もこうして受け継がれているのはとても素晴らしい事ですね。この時計塔は、その重い歴史によって支えられているのですね。

Dscn5970

●北口駅前通り

大久保駅前のメインとなる駅前の通りで、ちょうど駅前広場を抜けてすぐの辺りです。

明石市は港町そのものというか、南の海側は色々と見どころがあるのですが、北側へ向かっても正直これというものが浮かばず、神戸市北区や加古郡播磨町の主要道へつながるのみ、あるいは第二神明の大久保ICへつながるくらいで、本当に明石市北部って何があるのか?と思わされます。とりあえずこの辺りのような駅前すぐだとこうしていろんな店やマンションがある訳ですが。

Dscn5973

●大久保駅(北口)駅舎

南口が階段だけであるのに対して、この北口は出口階段横に駅名表示があり、正面から見ても外側の建屋に駅名表示があったりして、駅舎然としていてやはりメイン側だなと感じさせます。

初めて訪ねたのが1998年11月の事と記憶していますが、今のこの姿とほぼ同じでした。もう少し早く訪ねて写真に収めていれば、全く違う平屋駅の姿を記録に残す事ができたのに…と思うと少し残念ではあります。

この駅舎の特徴としては何といっても、真ん中部分のルービックキューブのようなクリスタルな部分ですね。こういう形のものを見る度にこの駅を思い出します。

Dscn5968
Dscn5974

« 2016年12月 | トップページ | 2017年2月 »