滋賀/湖南 石部宿を往く!
滋賀県湖南市、JR石部駅からの歩き旅です。
(2016年7月当時)
●駅からの道
これが実質的な石部駅の駅前通りで、駅前広場を抜けると、この通りを進んで街へ出る事となります。中心地は少し行った先の為、この辺りは駅前感は希薄です。この辺りだけ見て「石部は何にもない」と思うのは早計で、少し歩いて宿場町を堪能する、これがここの基本的な楽しみ方だと思います。
「湖南市 石部」の標識が立つ県道118号は「石部停車場線」ということで、石部駅周辺のわずか1.0kmの短路線です。
石部駅前の通りからは左へ折れていくとこの道で、これを向こうに進んで行きますが、まだ単なる幹線道という感じであり、駅前感はやはり希薄であり、宿場の雰囲気も全く感じられない状態でした。
この辺りで石部駅からの距離にして100mあまりです。
この辺りで駅から400mというところでしょうか。
直進するのと右折するのとで辿り着く主要施設が異なる事となります。
「石部町役場」と旧自治体のままになってるのがいいですね。
ともあれ、主要施設への標識が出てきたという事は、中心地街もそう遠くはないな、、と確信できた瞬間でもありました。ひと口に「駅から400m」といっても、初めて来る知らない街を駅から400m歩くというのは結構なものです。ましてやろくに何もなくて、この先何かあるのかな?と思いながら歩いていると尚更です。
一応、石部宿の街並みは駅からどのくらい距離があるのかくらいは調べますが、「少し離れている」ぐらいの情報に留めています。よく調べれば安心できるのですが、それよりも予備知識なしに出くわす光景に感動したい気持ちも強いので、基本的に必要以上のリサーチはしない事にしています。どうしても行っておきたい場所がある場合は別ですが。
石部町といってもその中で、石部西一丁目から三丁目までの表示がされています。
この地図では北が右下になりますが、石部駅が真ん中の下の方にあって、これを赤い線に沿って矢印地点までが、ここまで辿ってきた道のりです。この地点で石部駅から500mほどで、逆に市役所西庁舎までバス停ひとつ分です。
上の写真の住居地図のある辺りの角のバス停です。全くの角っこにあってすごいなと。普通曲がり角の何m以内にはバス停を置かないとかなかったでしたっけ。
これは石部駅行きのバス便な訳ですが、結構本数が多い事に驚きました。この辺りにしては1時間に3本もある時間帯などもあり、これはすごいなと。1日に片手で数えられるほどしかなくてもおかしくない、と思ってましたので。数えてみると27本もありました!ただし休日になると激減し、ほぼ1時間に1本で、本数にして12本、半数以下になってしまいます。この時も結局、バス便の時間があまりあてにならなかったので、全編歩き旅となったのでした。
和風建築っぼい雰囲気満点のお店で、「石部の里 大峯」とありました。
和食単品料理を中心に会席料理やセットものもラインナップされているようでした。→コチラ
アクセスとして石部駅から徒歩5分とありましたが、駅からここまでは10分では済まなかった気がします。勿論写真撮りながら立ち止まりながらというのもありますが。とにかく駅から歩いてきてようやく、この辺りで明確な飲食店を見つけました。駅前コンビニなどあるはずもない状態でしたから。
ハッキリ街らしい景色が見えてきました!
真ん前は年季の入りまくった喫茶店ですが、その向こうには「平和堂」の建物が見えてきて、いよいよ中心地が見えてきました。石部駅から1km近くになるようです。やっと来た、という感じでした。
2008年初訪問時は石部駅の前をちょっと歩いただけで、こんな景色のカケラも目に飛び込んでこなかったので再訪して良かったなと。ある程度その為に再訪した訳ですが。
上の写真の交差点を右折してすぐ、その角の部分にある石部地区の多目的ホールで1990年にオープンしています。アクセスとしては石部駅から徒歩15分となっています。
席数は502席とあり、歌手のコンサート等は確認できませんが、熊本へ送るチャリティーコンサートとかその類のものは行われているようです。
石部文化ホールのほぼ隣といっていい位置にこの分庁舎があります。
湖南市では、西庁舎・東庁舎という方式で並び立っていて、この西庁舎は旧・石部町役場で、東庁舎の方は旧・甲西町役場と、互いに元町役場の形となっています。建物が役場っていうよりマンションみたいでした。
石部地区の地図ですが、左上に石部駅があり、その下にピンクのラインが左上から右下にかけてほぼ線路と平行に通っていますが、これが旧東海道です。
楕円囲みで各所の位置が示されていますが、それらは結構バラバラでまさに「点在」という状態で、旧東海道沿いだけ歩いてもなかなかの観光になります。
石部には「あたごさん」とよばれる愛宕神社祭があり、地域内に数多くのこのような愛宕神社があります。宿場通りの脇にも多くの神社があり、神がかった?側面も強い町という事を感じました。
という交差点の角にはちょっとしたスペースが設けられていて、ミニ公園的な感じになっています。いよいよ石部宿の雰囲気が味わえるエリアへやってきました。ここはその象徴的な場所といえ、色々と絵や写真や説明板が設けられています。東海道五十三次51番目の宿駅として栄えた石部宿です。
で、ここには高札場跡であったり、石部城跡であったり、安眠米倉庫、お半長右衛門といったものの案内板があります。
石部城…元々は文明年間(1496-87年)に三雲氏によって築かれたとあり、1530年頃に築城され1573年に廃城となったとの事ですが、石部氏という一族が約40年間治めていたといわれています。三雲というのは石部の隣の駅名であり、これらの氏族から地名が取られていった様子が窺えます。城址は現在、善隆寺というお寺の境内にあります。
安眠米倉庫…1880(明治13)年に当地の服部善七(1825-83)という江戸帰りの商人が創設した制度で、稲の植え付け時に食べものない農民に安眠米(救済用のお米)として1農家に1俵貸し付け、収穫時に5升年貢徴収するというもので、その米を備蓄していた倉庫でしょうか、この時服部善七は玄米165俵を寄贈したそうです。貧農を助けた制度であり、周辺からも高く評価されたといいます。
お半長右衛門…簡単に言えば不倫心中の話ですが、なれ初めは京都の帯屋の主人が丁稚に言い寄られた女性をかくまった、というとても美しい話で、石部宿に伝わる悲恋物語だそうです。
ちなみにこのエリアは徒歩では15分ほどで、徒歩でもじゅうぶん行けますが、バス利用の場合は殆ど便数がないのでよく見ないと利用は厳しいです。先にバス停の写真で便数が多い事を書きましたが、これは石部駅の隣のバス停でいろんな路線が走っている為です。ただし市役所の「西庁舎」前のバス停であれば、同じ多くの便数がある為、ここから徒歩で数分というアクセスでここへ来ることも可能です。この時もそうでしたが、夏の暑い時に何という景色のない中を歩くのもなかなか辛いと思い、これを追記した訳です。
旧東海道とされる宿場町の面影をようやくここで辿れました。
東海道51番目の宿駅である石部宿は、京都からちょうど1日の行程に位置し「京立ち石部泊まり」といわれており、本陣2件旅籠32件があったといいます。宿場町の成立は諸説ありますが、1601年とされています。江戸時代末期に時の将軍がここに宿泊しており、14代家茂、15代慶喜と立て続けに上洛時に利用しているとの事です。
宿場町の通りに昭和の看板、素晴らしい組み合わせです。
いつも思いますけど、車に顔のついた看板は主にいつ頃頻繁につくられていたのでしょうか?やはり昭和40年代かな??などと。
細々と営業しているお店、シャッターがおりたままの元商店?等色々な顔が見られます。
かつてはこの通りは人で賑わっていたのだろうか?と妄想してしまいますが、平成の初めごろは?昭和50年代は??この通りのお店がどのくらい営業していて、どのくらいの人が行き来していたのか?なかなか知る事ができないので妄想するしかないかなと(笑)
やはり全国規模のスーパーチェーンやコンビニの進出で、時代は変わったなという事を思い知らされもします。昔は「〇屋さんで〇〇を買って、その次に□屋さんで□□を買う」時代でしたもんね。便利にはなりましたが、地域密着感が薄れてしまって。
時が止まったかのような佇まいを感じる湖南市石部の町、JR石部駅から徒歩約15分で行き着くので、これを見て行こうという気になった方が居られれば幸甚です。
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