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2017年3月の6件の記事

2017年3月30日 (木)

高知/須崎 たそがれの港町…

高知県須崎市、JR須崎駅からの歩き旅です。

(2017年1月当時)

須崎には1999年12月に初めて寄って、その後2006年に7年ぶりの訪問をしたものの、さして写真を撮っておらず、再々度今年の1月に約10年ぶりの訪問によって、ようやくまともな記録を残せたので、須崎の町の様子をここにお届けしたいと思います。

●動輪

須崎駅前にある蒸気機関車の動輪です。

ここ須崎は高知県で最も人口の少ない市ではありますが、 「高知県鉄道発祥の地」だそうで、土讃線発祥の地でもあるといいます。その永い歴史を永久に記念するため、ここに動輪が置かれたといいます。

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●駅前通り

駅記事(2006年当時)でも同様の姿を載せていますが、手前のモニュメントで向こうが見えない形になっていました。ここでは向こうが見える形で載せています。

基本的にほとんど変わらないですね。この短い駅前通りと、歩道のみアーケードのついた商店街と、初訪問体からだと約20年になりますがホント変わらないです。

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●観光マップ

須崎市の観光マップです。

左上に高知県の地形の中の須崎市の位置が示されていますが、高知県のほぼ真ん中の海沿いにあり、「かわうそのまち」とありました。

カワウソの中でも日本に生息しているものはニホンカワウソとよぶそうですが、現在は環境省からも絶滅が宣言され(2012年)ているものです。この須崎とのかかわりは、当時ほとんど絶滅状態と言われていた中を1979年に発見され、テレビ局や地元の人のカメラに収まり、「守る会」までつくられたといい、最後の目撃例の出た街、という事で、カワウソの町になったというものでしょうか。それにしてもカワウソなんてそこらに居るもんだと思ったら、ニホンカワウソに関しては絶滅宣言がされるほどの幻の生き物だとは、この記事を聞くにあたって調べるまで知りませんでした、色々勉強ですねsmile

ちなみにこのマップにおける須崎駅周辺は、地図真ん中やや左の色々な線の交わった辺りで、入り組んだ海辺がよく分かる地形になっています。実際港は駅から歩いて裏手に5分くらいのグッドロケーションですが。

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●須崎駅前バス停

須崎駅前広場ではなく、駅前商店街の短い通りの途中にあります。なので駅を出て数10mかは歩きます。

市内でここよりもやや賑やかに多ノ郷(おおのごう)駅行きのバスが7~16時台で全8本出ていて、1時間強に1本のペースで、この辺りにしてみれば便数の多い方かと感じます。最近特にバスを使ったりもするので、1日6本以上あれば、工夫次第で上手く使えるし、少ないとも感じなくなってきました、ある意味恐ろしいですねこの感覚。

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●すさき駅前食堂

須崎は「すき」と濁らずに読みます、今更ですが。

須崎駅前の短い商店街の突き当たり部分にあります。

駅前商店街は一応店はありますが、開いているのかいないのかよく分からない状態で、ここは確かに開いていました。開いてはいましたが、外から様子が分からず、客がいるのか居ないのかもよく分からず、入りそびれてしまいました。結局須崎では、多ノ郷駅から歩いて入ったお店でご飯を食べる事となりました。

行けなかったので調べてみるとこのお店、2010年に出来たばかりだそうで、前回ここを訪ねた時の2006年にはなかったという事になります。須崎といえば…といわれるほどの「鍋焼きラーメン」があるそうです。向かって左に立っているのが、その鍋焼きラーメンの幟です。

軒先はレトロな雰囲気に溢れていました。

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●原町

須崎駅から短い駅前商店街を通って左折した所がこの通りとなります。

特に商店街名を銘打っている感じではありませんでしたが、唐突に「ようこそ原町へ」と何か名所でもあるような雰囲気をもった看板が現われました。

ここに現われたキャラクターは「しんじょう君」といって、須崎のゆるキャラで、須崎と縁深いニホンカワウソをベースに頭部にはこれまた須崎の名物鍋焼きラーメンを被っている、全身これ須崎を表わしたものとなっています。名前はニホンカワウソが最後に発見された市内の新庄川からきており、絶滅したと宣言されてしまっても彼は日本のどこかに友達(ニホンカワウソ)がいないか、と全国を旅しているのだそうです。悲しげな夢のあるようなお話ですね。

それでこのキャラ、全く知らなかったのですが、2016年のゆるキャラグランプリでナント! 「1位」を獲得しているのです。2014,15年においても2年連続4位を獲得するなど、近年安定した人気を保っており、その割には全然この存在を知らずにいました。

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●川端シンボルロード

上の写真の原町の商店街を進んで出くわしたのがこの交差点で、この交差する道路が「川端シンボルロード」という訳です。ここで右折してこのロードを進んでいきます。

市街地にして須崎のメイン通りともいえる比較的賑やかなエリアで、12月になるとX'masイルミネーションという事で、夜には約6万球の光りの海が街を包み込み、ネットで写真を見た程度ですが、それはもう綺麗を通り越した光景でした。

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●シンボルロードの向こう側

上の写真から右折した風景です。

分離帯から左が車道、右が歩道という感じで分かれていました。

本来これより向こうに少し見どころがある訳で、進んで行こうと思ったのですが、まずは港町を見ておかないと(初訪問の1999年当時見た光景とも比べてみたくて)と思い立ち、急遽ここから引き返す事となりました。

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●コンクリートそのもの

今は使われていないであろう、すごく立派なコンクリート天然色そのものの建物が残っていました。これは撮らずにはいられないというものです。

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●津波之碑

昭和21(1946)年12月21日に発生した昭和南海地震といわれる大震災で特に和歌山県・高知県で甚大な被害が出ましたが、ここ須崎では津波が発生し、地震後10分も経たないうちに津波が発生し、それまでの古老の常識であった「地震後、間を置いて津波がやってくる」を覆したといいます。

死者51名、行方不明者3名、流失160戸余りといわれ、高さ6.5メートルにも達した津波は、うねりをあげて街に流れ込み、また一瞬にして海側へとのみこんで行ったといいます。

この碑は、その脅威を今の世にも伝えるシンボルとして、昭和40年から港の少し手前に建ち続けています。

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●踏切とイカリ

津波の碑から踏切を越えて、いよいよ港周辺へ、という所でこのような大きなイカリのモニュメントに出くわしました。港町の象徴的存在といえます。

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●港町の建物

須崎港まで出てきました。

踏切越えたらすぐそこというところで、1分も歩けばかなり港の近くです。

そこに建っていた建物たちですが、1999年に寄った時はもっち古めかしい事務所もあったような記憶があり、ここにある建物もそれなりに年季入っていますが、もっと古めかしいものがあったような…もうそれらはここには残っていないのかも…とか思いながら見ていました。

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●須崎港

港の部分です。

こうして船が沢山停まっていました。船というよりボートという規模です。

大きな船も数か所で見かけましたが、行き来している感じは皆無でした。

セメントと木材の集散地点として重要な役割を果たしてきたといいます。

前にここに来た時は、ほぼ夜に近い状況だったので、やっと昼間の光景が見られた、と嬉しい想いでした。

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●儚げなる港

最後はこの写真ですが、この辺りは1999年ごろには日本にある主要な港町という事で、ここ須崎を含む各港が地図内にて紹介されていましたが、いつの間にか撤去されたようです。

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2017年3月24日 (金)

大阪/四条畷 小楠公さんと畷の里

大阪府四条畷市の旅の様子です。

(2016年12月当時)

●幻の年…

通常はどこかの駅からの歩き旅、という形でお届けするのですが、今回はJR四条畷駅からの様子で、また四条畷市では忍ヶ丘駅しかupした事が無い為、いきなり街の景色から入ります。ちなみに四条畷駅は存在しますが、四条畷市ではなく、大東市(大東市と四条畷市との境)にあります。

それで四条畷駅から適当に歩き出してみましたが、ここは大東市になります。一見何てことのないように見えて、「えっ??」と思うような文字が目に飛び込んできました。ここに写っているお店、 「創業昭和六十四年」ですって。年が明けて7日しかなかった幻ともいうべき昭和64年創業のお店に出くわしました。こうして活字で見るのは実際初めてでした。当時は世間的に自粛ムードも色濃くで、なかなか物事を始めようという雰囲気も薄かった頃ですから本当に貴重だと思います。 焼肉屋さんです ⇒コチラ


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●大東-四条畷の境目で

四条畷駅から歩いてきただけあって、駅が大東市にあるといっても、四条畷市と接していて、しょっちゅう大東市に行ったり四条畷市に行ったりを繰り返していたような気がしますが、このダイエーグルメシティのあたりにも大東市と四条畷市の境があったとは…!!そんなこんなで四条畷市の旅記事ながら、大東市の様子も度々出てくることとなります。

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●楠木正行公墓地

ここから本格的に四条畷市内の様子となります。これは昨年末の様子ですが、管理人自身が四条畷市を訪ねたのは忍ヶ丘駅に行った際の2007年5月が実質的な最初となります。

楠木正行(=くすのき・まさゆき 1326?-48)は南北朝時代の武将として建武の新政で名を馳せた楠木正成の息子で、正成を「楠公」様と呼ぶならば、正行は「小楠公」とよばれています。正行は四条畷の戦いで、足利側の高師直らの軍に敗れて自害して果て、この墓所に葬られたといいます。「小楠公御墓所」といわれています。

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●12月の銀杏

上と同じ小楠公公墓所はこのような公園状になっていて、これは去年12月の様子ですが、銀杏の葉が多数散っていました。まだ葉は残っていて、陽の光と相まってちょっといい光景にもなっていました。四条畷駅に来たなら、寄っても良い癒される空間のひとつかと思います。四条畷駅から北西へ約600メートルの位置にあります。

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●商店街

小楠公御墓所を東へ抜けてすぐの通りです、向こうが四条畷駅方面になります。

ちょっと賑やかな感じの商店街が続きます。

商店街ってこのブログでもその通りの様子を少なからずあげてきましたが、寂しいものが多く、でも大阪の商店街はどこも賑やかだという事を感じさせられます。これは人が通っていないのを狙って撮っていますが、人が少なくても店それぞれに活気を感じます。

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●更に商店街

四条畷駅へ向かって進んでいくところです。

一部閉まっていて、人通り無さ気ですが、開いている店は活発な印象でした。

そして線路の手前まで進んだ所で右へ曲がると程なく、四条畷市から大東市へと入る事となり、その傍には四条畷駅があります。こうして記事を書いていても、撮った写真をみていても、どの写真が大東市で四条畷市で…といった事が分からなくなってくる事多々でした。

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●バス停(大東市)

四条畷駅に戻って、再び大東市の様子を!

ここからバスに乗って、四条畷市某所へ行く事としました。

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●イオンモール四条畷バス停

四条畷駅からバスでやって来たのはここです、「イオンモール四条畷」!終点です。

四条畷駅からバスで15分程度、\230でした。イオン行きのバスってのは色んな街でみかけますが、イオンとバス会社がつながってんのかな??という気もします。

といっても、ここが目的地でやって来たのではありません。

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●イオンからのバス

の時刻表です。

四条畷駅までのバスもあれば、京阪寝屋川市駅までの便もあります。歩きだとちょっと厳しいので、ちょっとぐらい待ってでも足がない場合は、バスを使った方が良いと思います。

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●AEON

と青空のカットです。

バスがここまでだったので終点まで乗ってきました。

AEONの写真をこんな風に撮っていますが、かなり店舗から離れた所で撮っています。

というのも、このブログを見た方はお分かりかと思いますが、とにかく色んな所でいろんな写真を撮っています。それなりに気をつけて写真を撮っているつもりでもあります。そんな中で唯一といっていいほど、撮っていて制止されたのがAEONでした。「撮影許可得てるの??」などと。全くの店外なのに、人が全く写らない形でもダメなんだとか、どんだけ秘匿性あるんだよ??と思いましたが、警備員に猛烈に止められました、それからというもの特にAEONではまともに撮らないよう気をつけています。

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●畷の里温泉

イオンと道を隔てて向かいに立つ日帰り温泉です。

ここに来るためにイオンまでバスに乗って来たのです。

帰りは最寄となる忍ヶ丘駅まで温泉から出ている送迎車で送ってもらいましたが、その時は年配の運転手から「にぃちゃんどこ行くんや?」てな感じで訪ねられました。なんでそんな上からやねん?とか思ってビックリしました。

とにかく温泉でホッコリしてきました、大阪の各都市でなかなか見るモノがない、という時にこんな風に温泉に浸かってくるとこれがまたいい思い出になるなと思いました。口の荒いおっちゃんに訪ねられたのも四条畷の思い出となりました。

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2017年3月17日 (金)

福岡/直方 陣屋と遺跡と昭和と

福岡県直方市、JR直方駅からの歩き旅です。

(2010年4月当時)

●駅前通り

今から約7年も前の姿になりますが、直方駅の駅前広場から駅前の道路へと進んで行く様子です。

左側に見えている「Sun Live(サンリブ)直方」という、中国地方西部から九州に多数店舗を持つスーパーマーケットチェーンが写っていますが、昨年2016年8月に閉店してしまい、1.5kmほど北の郊外に移転してしまったそうです。ドーナツ化現象なのか、小都市の駅前って寂れていくなぁ、という事を先日別の町で体感しましたが、ここもそうなったか…という感じでした。

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●直方陣屋城下町

という看板が駅前にありました。

江戸初期の1623年に黒田長政の遺言により、福岡藩の支藩として開かれたのがこの直方藩であったといわれ、当初は東蓮寺藩という名称であったそうです。

この絵にあるのは1700年ごろの城下町の様子です。

藩ができた頃は数百人の下級武士がいたとされ、市街地が形成されていったそうですが、当時は一国一城令のもとで、藩主は城ではなく、陣屋に住んでいたといい、陣屋城下町といわれるゆえんでもあります。藩が開かれて50年ほど経った1675年東蓮寺の地名を直方に改められ、「直方藩」という名称になったそうです。その後1720年に藩主の黒田長清が没し後継がなかった為、直方藩も廃藩を迎え、この藩は約100年でその役目を終える事となり、本藩の福岡藩へ還付されたといいます。

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●圓徳寺

直方駅よりほど近い位置にあるこのお寺、先述の直方藩の創設に伴って、この地に移設されたといわれています。城下町を守る要塞としての役割を果たしていたといいます。

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●直方マンホール

市の木「たいさんぽく」と明確に銘打って表示されています。この潔さがなんとも素晴らしいですね。あんまり「市の木」と律儀に書いてるマンホールは見た事がないので。

たいさんぼくは、「泰山木」あるいは「大山木」と表記し、モクレン科の常緑高木という事ですが、花径が50~60㌢にもなるといわれ、日本の樹木としては最大の花径を誇るといいます。

また直方市では、このたいさんぼくの他にもヤマボウシというミズキ科の植物も市の木として指定され、市の木が複数存在しています。

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●懐かしげな一角

これまた直方駅前よりほど近い地点のカットですが、この昭和感はたまりませんでした。建物の出来合い感というか、看板も何十年となく変わってなさそうな印象も受けるし、この前に立ってしげしげと見続けていたいとさえ感じました。

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●林芙美子 碑

直方駅前にある公園の一角です。先ほどの昭和感満載の一角の道隔てて向かいにあります。

「私は古里を持たない 旅が古里であった」と刻まれていました。

舞台上演回数が実に2,000回を越えた「放浪記」の作者として名高い林芙美子(1903-51)は幼少時にここ直方の木賃宿に滞在し、両親と行商生活を送っていたといいます。母親がバナナの叩き売りをして、近くで芙美子自身もアンパンを売っていたと。親が旅から旅の行商生活というところから出てきたフレーズでしょうか。代表作が「放浪記」というのも実に「らしい」と思います。

彼女の命日辺りにはこの石碑が少し飾られて、献花もされてということで「芙美子忌」としてちょっとした盛り上がりを見せるようです。

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●須崎町公園遺跡

その林芙美子碑が端にあるのは、この須崎町公園で、ここはまた遺跡としても存在し、江戸時代の直方陣屋城下町下で、江戸期の陶磁器などが出土した事が発掘調査で分かったといいます。

他にも江戸後期の墓地や多量の瓦を廃棄した後なども見つかったといい、江戸期の生活を色濃く伝える遺跡として貴重な存在といえます。

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●公園とステージ

最後はこの写真、公園の全体像とそこにはステージが設置され、時にここでライブや市のイベントなどもあったりするそうです。

床面が曲線で盛り上がってるのがなんとも、ですが、こういう加工って結構難しいのでは?と思ってしまいます。隙間なく、タイルの四角形の形も崩さずして、実に見事でした。

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2017年3月12日 (日)

京都/京丹後 峰山の街

京都府京丹後市、京都丹後鉄道/峰山駅からの歩き旅です。

(2010年9月当時)

●駅前俯瞰

駅からの旅、という前にまず峰山駅から見下ろした様子です。

カラフルな塔が何本か立っていました。

「羽衣天女の舞い降りた(る?)街」として、駅構内にもこのような描写の看板がありましたが、これがこの街のウリの大きなひとつなのでしょう。実際、この訪問以降の2014年に京丹後市の「駅の愛称選定委員会」で「羽衣天女の里駅」という愛称が公募を経てついたそうです。

また、この時は結構な雨で、この天気の中を街歩きして写真撮っていくのか…と思ったものでした。雨というだけでレンズに水滴がついたり、こういう写真に残す上で大きな障害となってしまうのでなかなかに辛かったです。

タクシーが意外と台数停まっていたな、というのもここでの印象でした。

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●駅前目線

駅西側、地平に下りて駅の前を見た様子です。

上の写真の塔やタクシー群からは少し右へずれた形ですが、真ん前は道路が通っておらず、少しずれた形で駅からの道路が伸びていて、この辺りは駅と正対する形で建物が軒を並べていました。

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●駅からの道

駅から右斜め前を見た格好の様子です。自転車置場が右側に見えています。

そして駅から伸びる道路への橋渡し的に歩道が伸びていました。ここから街へ出ていくという感じで、駅の真ん前ではなく、少し右へずれた形で駅前の通りが形成されています。

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●峰山マンホール

峰山らしく羽衣天女のかなりデフォルメ化されたものでしょうか?京丹後市ではなく、旧峰山町としてのマンホールでした。

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●駅前通り

といっても、商店街を形成している感じの通りではありませんでした。駅から右へそれてまっすぐ伸びている道です、歩いて行くとカーブを描いていきますが。

賑やかな感じはしませんが、労働基準監督署やハローワークなど主要施設が点在しており、延長上には京丹後市役所もあります。

ここに写っているのは「京丹後建設業協会」の建物です。土建業者等の相談所のようなものでしょうか、よく建設組合のような吾人まりとした事務所を見かけますが、そういう類でしょうか。とにかく雨の中を西へ歩き続けます。、

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●住宅

上の写真から直進し、駅から1km程の京丹後市役所へ向かう途中のカットですが、手前の2棟の建屋に惹かれました。

昭和の炭鉱夫用の住宅にこういう感じの建屋が多くて、北海道でもよく見かけた気がします。これら住宅の為に、川にコンクリートの橋が架けられたのでしょう。今はまず使われていないだろうと思いますが、昔の人の暮らしが窺えて、今は何やかやモノがあふれかえってる事を感じさせられます。貴重な文化遺産、とでもいいたいです。

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●鉄塔としごろむ

これもまた市役所への道で、NTTの鉄塔がありますが旧・NTT峰山営業所です。今更レベルで気づいたのですが、こういうNTTの営業所ってどんどん閉鎖していってるのですね。窓口問合せより電話・ネットでの問合せが大半を占めるようになったという世の流れからきているようですが、大きな建物ばかりが残って周りはひっそり…という事もよくあるなと思うようになってきました。

「しごろむ」とは手前のタクシー会社の電話番号、4567って順番はいいけど、この「しごろむ」って語呂がいいのかどうかよくわかりませんでした。関西人のノリがよく表われてると感じました。

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●京丹後市役所

峰山に着いてからどこへ行こうかと思いましたが、歩いて行ってもこれはというものが見つけられず、雨の中を駅から1km程度歩いてようやく着いたこの京丹後市役所、とりあえず市役所は見ておこうと思って辿り着きました。

京丹後市は網野や久美浜、大宮といった旧町がありますが、市役所があるのはここ峰山地区であり、他の地区には庁舎がそれぞれ存在しています。

白系の一色で新しい建物、感が出ていました。

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●みねやまMAP

京丹後市役所の前にある峰山地区のイラストマップです。

右上の部分に集中しており、峰山駅もこの部分にあり、鉄道路線は右端部分を通っていて、左の部分はかなり寂しげな感じになっています。左下の部分で、兵庫県豊岡市と接しています。

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●市役所抜けて

駅から西へ歩き続け、市役所へはほんの少し北へ入ると出くわしましたが、更にこれを北へ。川を隔てた向こうの街の様子です。

住宅街という感じですが、年季の入ってそうな建物が並んでいる感じでした。

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●川を渡る

上の写真では飛田橋という橋を渡るところからまっすぐ見たものですが、こちらは横向いて川の方向を見たものです。雨で結構流れが速くなっていて、色も濁り気味でした。

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●商店街

こんな所にあったのか商店街!という感じでしたが、市役所から川を隔てた先にありました。駅から来た通りからみて北に平行に通る形ですが、かなり商店街的側面の強い通りでした。

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●続く商店街

この通りでは逆に峰山駅方面へ戻る形で進んでいました。

昔ながらの商店が軒を並べていていい感じでした。各店にお客がそれほど入るとも思えず、どこも維持していくの大変だろうな、とか考えてしまいます。全国チェーンや量販店が幅を利かす時代になり、この辺りの街の景色は大きく変わらずとも、賑わいはだいぶ減ったのかな、と思ってしまいます。

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●峰山橋

更に峰山駅へ戻る道中のカットです。

この地点は既に通りは突き当りまで来て、右折してあとは峰山駅までわずか、という所まで来ていますが、そんな場所にこの峰山橋は架かっています。

両端に石が突出していて、その上に街灯代わりか網籠に入る形でランプがついていて、単なる橋でない、ちょっとした橋だなという事を感じさせられました。

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●丹海バス

というところの京都行き、大阪行きの高速バスのりばがありました。峰山橋を峰山駅方面へ渡ってすぐで、峰山駅からも5分もあれば歩いてこれます。

大阪と京都だけのようで、大阪までは3時間強、京都までは3時間弱で着くようですが、同じ京都府内でも京都駅まではかなりかかるようです。京都府といっても兵庫に接するような丹後地方なので、随分と毛色も違うし、時間もかかるという訳ですね。

そんなこんなで京丹後市は、峰山にスポットを当ててお届けしましたが、他の地区にも行ってるのでそこの様子もお見せできればいいなと思います。

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2017年3月 8日 (水)

南海/高石駅 (大阪府高石市)




大阪府高石市の南海/高石(たかいし)です。

高石市ではJR東羽衣駅という、1駅だけの盲腸線の駅をupした事がありますが、今回は市名を名乗る中心駅の御紹介です。

-南海/高石駅-
【路線】
南海本線(難波-和歌山市間)
【開業】1901年4月13日
【訪問】初訪問-2007年3
【1日あたり平均乗降車人員】 9,463人/日 (2014年)
【近隣の主要駅】 (難波方面)浜寺公園駅→2駅
            (和歌山市方面)泉大津駅→3


●駅名標

南海の駅につき、駅名標はちょっと小さ目でライトな感じです。

隣に羽衣駅がありますが、JRでは東羽衣駅があります。

高石市では、市名を名乗る駅はJRにはなく、この南海の方にあります。岸和田なんかもそうですね。泉大津、泉佐野など大阪の南部は割とそういう所が多いのかなという感じがします。昨年2016年で現駅名になってちょうど50年になり、それまでは「高石町」という駅名でした。

そういえば昭和期の吉本新喜劇に高石太という芸人さんがいました。床へ放り投げられて腹から滑りこんで、服をまくってふっとい腹出して「あつーあつー」というギャグをやっていました、高石と聞くとなんとも懐かしいこんな話を思い出してしまいます。

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●ホーム

2面4線のホームで、ここは3番線という事で、なんば方面になっています。3・4番線はなんば方面で、右側の1・2番線は和歌山市方面となっています。

基本的に優等列車の類は通過し、各駅停車のみ停まる状態です。2005年を最後に準急の停車が無くなったといいます。

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●ホーム2

ホームを繋ぐ橋が見える側の様子です。

ホーム屋根は緑の柱に骨組みで韓国の鉄道駅でこういう色遣いをよく見ましたが、これに近い感じでした。

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●反対側

1・2番ホーム(和歌山市側)の様子です。

特別、市の中心駅的な雰囲気は感じられませんでした。優等列車も停車しないし、沿線の中の1駅にすぎないかな、という位置づけだと思います。

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●工事

ホーム横では工事が行われていたこの2012年当時。

この時何をやっていたのか全くといっていいほど意識していませんでしたが、今振り返って調べてみると高架化工事であったと。なので現在は下り線は高架に切替られており(2016年5月より)、この記事でお送りしているホームの姿は失われていっています。そういう意味では今回記事の様子は、在りし日の貴重な姿という事になるのでしょう。

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●駅前広場

駅を出ると歩道スペースが広がっていながら、せせこましく店が軒を並べている感が強くて、圧迫感すらありました。この辺りも高架化によって変わったのでしょうか、今から4年半ほど前の姿なのですが…。

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●噴水

高石駅前の名物的存在ともいえるこのゴツゴツした噴水ですが、撤去という話をネットで見つけたのですが真偽はよく分かりません、今度また見に行ってみるかですが…

ここは噴水広場としてライブが行なわれていたようで、そのような書き込みはよく見受けられました。

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●高石駅 駅舎

どうみてもこれは市名を名乗る中心駅の駅舎ではないだろう、と思わされるほど、規模の小さい駅舎でした。現在は高架化によって駅規模も大きくなっているようです。これまでが小さすぎたのかな、というところです。単に橋上駅舎で両出口がついてるだけの駅舎でしたので。

ともあれ、今回この駅記事を載せるにあたり、高架化されている事を知り、また最新の姿を見に行ってみたくなりました。こういうのもあるので旅の欲は尽きないものだ、と益々思い知らされます。

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2017年3月 5日 (日)

韓国鉄道公社/天安駅 (韓国/天安市)

韓国/天安市の韓国鉄道公社/天安(천안)です。

天安市は忠清南道の市で、この時の旅ではソウル近郊の京畿道の市を訪ね歩いていましたが、遂にこれを越えて忠清南道に突入して初めて訪ねた地でした。人口は約60万人で、忠清南道唯一の特定市という事です。特定市という事は韓国ではソウルや釜山などの広域市に次ぐ、準広域市的な位置づけになります。独立運動家・柳寛順の故郷で「独立記念館」というものがあります。

韓国鉄道公社/天安(천안)
【路線】韓国鉄道公社京釜電鉄線(首都圏電鉄1号線)(ソウル駅-新昌間)
【開業】
1905年1月1日
【訪問】2016年9
【1日あたり乗降車人員】 19,471人/日(2009年)
【近隣の主要駅】 (ソウル方面)平澤駅→4駅 
            (新昌方面)牙山駅→3駅

●駅名標

天安と書いて英字では「Cheonan(チョナン)」と表記します。チョナンカンとは無関係ですsmile

天安というと、中国北京の天安門を真っ先に連想しますが、ここにも天安がありました。ちなみに中国の天安は「ティエンアン」という感じで読むそうです。

ここまでソウル地下鉄1号線の延長上で、ソウルを出て、果川、軍浦、餅店、平澤などの駅を訪ねましたが、それらの属する京畿道を越えて忠清南道までやってきました。

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●時刻表

黄色の帯が2つありますが、左側がソウル方面、右側がソウルから離れていく方向です、それぞれ平日と休日に分かれているようですが、ソウル方面の方が断然多く、離れていく方はかなり本数が少なくなっています。

この時確か11時台に訪ねたと記憶していますが、1時間に2本しかなく、次まだソウルから離れる方向で訪問するつもりであったので、時刻確認は必須でした。

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●ホーム

全部で4面8線もあるそうですが、広々としたホームに、待避線にあたる部分には色々な列車が停まっていました。この辺りどの駅も緑の柱に骨組み、という感じで、画一化されてるに近い印象でした。

コンテナには「K-LINE」のものがあり、「日本か!」と思いました。

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●ホーム階段

階段のサイドの部分もホームの柱などと同じ緑色でした。

そして階段横部分はホームが大変狭くなっています。

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●階段の上

ホーム階段を上がったところです。

天井の部分が曲線を描いていてちょっとしたアクセントになっています。

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●通路

改札を出た後の自由通路にあたる部分です。

窓より下の部分の内壁が色んな色にペイントされていました。ここもやはり天井部分が曲線を描いていましたが、柱の色は暗いピンク?とにかく色んな色が使われていて、カラフルにしてやろう感もあるようなないような…

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●通路の売店

なんかよく分かりませんでしたが、色んなものかカラフルに並んでいました。

駅内自体で明確にお店?があったのはこれぐらいだったような気がします。駅外に地下街はありますが。

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●駅前広場周辺

左側がロータリー状になった駅前広場で、歩道ゾーンが広がって右側に店が軒を並べています。なんでもこの街ではホドクァジャというクルミ饅頭が名物だとか。

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●駅前塔

実はそれほど高い塔ではありませんが、下からとったら高く見えてしまいました。周りのビルに比べたらよっぽど低かったです。

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●地下街入口

駅前広場にある地下街への入口です。

下側の写真の塔は入口の裏手にあるものですが、根元の部分にある三文字のハングル「쇼핑몰」はショッピングモールを意味しています。s+y+pi+mo+ru…とか読んでると、塔のてっぺんに「Let's Shoppinng」とあるのが見えて分かりました。ハングルはホント読めれば分かる言葉が多いですね。

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●天安駅 駅舎

上の写真のショッピングセンター(地下街)への階段はこの写真を撮っている辺りの位置ですが、駅舎とはこういう位置関係です。間には駅前広場スペースにタクシーが停まっているなど、日本の都市駅と同様の構造でした。

この駅自体は橋上駅舎の典型で、右側へ橋の部分が伸びていますが、その向こうにも反対側の駅舎があります。

韓国の駅舎の駅名を示す看板部分って青地に白のイメージが色濃いですね。

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●反対側

Shopping Mallはそこそこ適当に巡って、駅前の街並みもそこそこ見ましたが、駅に戻って今度は通路を渡って反対側へ出てきました。

それまでの駅前はかなり賑やかだったのが一転してひっそりとした雰囲気に。明らかにこっちがサブ側というかそんな感じでした。

ちょっとしたロータリースペースと時計塔がつくられた、というところで、日本の駅でいうと、元々片側しか出口がなかったのが開発されて、もう一方にも出口ができたけど、ロータリーをつくっただけであとはこれからだよ、という感じの所がありますが、そんな感じです(笑)

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●天安駅 駅舎(反対側)

こちら側は周りに何にもない中で駅舎が建っている状態ですが、てっぺん部分が段々になっていたり、下の階段部分もスケルトンで見えるような形になっていたり、完全に階段が横向きに下りてってる様子が分かる、いかにも橋上駅舎らしい姿となっています。

2008年まではここが地下鉄一号線の終着だったようで、地下鉄の延長上で行けたのはここまでだったのですが、その後は数駅先の新昌駅まで行けるようになり、この時もその新昌駅ではありませんが、この先の駅へ訪ねました。ソウル地下鉄の路線でTーMoneyカードさえあれば、ソウル郊外のかなり遠くまで行けて便利です。いちいち窓口行って切符買ってがmustになるとかなりハードル上がってしまうので。

そんなこんなで天安駅でした。

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