高知/須崎 たそがれの港町…
高知県須崎市、JR須崎駅からの歩き旅です。
(2017年1月当時)
須崎には1999年12月に初めて寄って、その後2006年に7年ぶりの訪問をしたものの、さして写真を撮っておらず、再々度今年の1月に約10年ぶりの訪問によって、ようやくまともな記録を残せたので、須崎の町の様子をここにお届けしたいと思います。
●動輪
須崎駅前にある蒸気機関車の動輪です。
ここ須崎は高知県で最も人口の少ない市ではありますが、 「高知県鉄道発祥の地」だそうで、土讃線発祥の地でもあるといいます。その永い歴史を永久に記念するため、ここに動輪が置かれたといいます。
駅記事(2006年当時)でも同様の姿を載せていますが、手前のモニュメントで向こうが見えない形になっていました。ここでは向こうが見える形で載せています。
基本的にほとんど変わらないですね。この短い駅前通りと、歩道のみアーケードのついた商店街と、初訪問体からだと約20年になりますがホント変わらないです。
須崎市の観光マップです。
左上に高知県の地形の中の須崎市の位置が示されていますが、高知県のほぼ真ん中の海沿いにあり、「かわうそのまち」とありました。
カワウソの中でも日本に生息しているものはニホンカワウソとよぶそうですが、現在は環境省からも絶滅が宣言され(2012年)ているものです。この須崎とのかかわりは、当時ほとんど絶滅状態と言われていた中を1979年に発見され、テレビ局や地元の人のカメラに収まり、「守る会」までつくられたといい、最後の目撃例の出た街、という事で、カワウソの町になったというものでしょうか。それにしてもカワウソなんてそこらに居るもんだと思ったら、ニホンカワウソに関しては絶滅宣言がされるほどの幻の生き物だとは、この記事を聞くにあたって調べるまで知りませんでした、色々勉強ですね
ちなみにこのマップにおける須崎駅周辺は、地図真ん中やや左の色々な線の交わった辺りで、入り組んだ海辺がよく分かる地形になっています。実際港は駅から歩いて裏手に5分くらいのグッドロケーションですが。
須崎駅前広場ではなく、駅前商店街の短い通りの途中にあります。なので駅を出て数10mかは歩きます。
市内でここよりもやや賑やかに多ノ郷(おおのごう)駅行きのバスが7~16時台で全8本出ていて、1時間強に1本のペースで、この辺りにしてみれば便数の多い方かと感じます。最近特にバスを使ったりもするので、1日6本以上あれば、工夫次第で上手く使えるし、少ないとも感じなくなってきました、ある意味恐ろしいですねこの感覚。
●すさき駅前食堂
須崎は「すさき」と濁らずに読みます、今更ですが。
須崎駅前の短い商店街の突き当たり部分にあります。
駅前商店街は一応店はありますが、開いているのかいないのかよく分からない状態で、ここは確かに開いていました。開いてはいましたが、外から様子が分からず、客がいるのか居ないのかもよく分からず、入りそびれてしまいました。結局須崎では、多ノ郷駅から歩いて入ったお店でご飯を食べる事となりました。
行けなかったので調べてみるとこのお店、2010年に出来たばかりだそうで、前回ここを訪ねた時の2006年にはなかったという事になります。須崎といえば…といわれるほどの「鍋焼きラーメン」があるそうです。向かって左に立っているのが、その鍋焼きラーメンの幟です。
軒先はレトロな雰囲気に溢れていました。
須崎駅から短い駅前商店街を通って左折した所がこの通りとなります。
特に商店街名を銘打っている感じではありませんでしたが、唐突に「ようこそ原町へ」と何か名所でもあるような雰囲気をもった看板が現われました。
ここに現われたキャラクターは「しんじょう君」といって、須崎のゆるキャラで、須崎と縁深いニホンカワウソをベースに頭部にはこれまた須崎の名物鍋焼きラーメンを被っている、全身これ須崎を表わしたものとなっています。名前はニホンカワウソが最後に発見された市内の新庄川からきており、絶滅したと宣言されてしまっても彼は日本のどこかに友達(ニホンカワウソ)がいないか、と全国を旅しているのだそうです。悲しげな夢のあるようなお話ですね。
それでこのキャラ、全く知らなかったのですが、2016年のゆるキャラグランプリでナント! 「1位」を獲得しているのです。2014,15年においても2年連続4位を獲得するなど、近年安定した人気を保っており、その割には全然この存在を知らずにいました。
上の写真の原町の商店街を進んで出くわしたのがこの交差点で、この交差する道路が「川端シンボルロード」という訳です。ここで右折してこのロードを進んでいきます。
市街地にして須崎のメイン通りともいえる比較的賑やかなエリアで、12月になるとX'masイルミネーションという事で、夜には約6万球の光りの海が街を包み込み、ネットで写真を見た程度ですが、それはもう綺麗を通り越した光景でした。
上の写真から右折した風景です。
分離帯から左が車道、右が歩道という感じで分かれていました。
本来これより向こうに少し見どころがある訳で、進んで行こうと思ったのですが、まずは港町を見ておかないと(初訪問の1999年当時見た光景とも比べてみたくて)と思い立ち、急遽ここから引き返す事となりました。
今は使われていないであろう、すごく立派なコンクリート天然色そのものの建物が残っていました。これは撮らずにはいられないというものです。
昭和21(1946)年12月21日に発生した昭和南海地震といわれる大震災で特に和歌山県・高知県で甚大な被害が出ましたが、ここ須崎では津波が発生し、地震後10分も経たないうちに津波が発生し、それまでの古老の常識であった「地震後、間を置いて津波がやってくる」を覆したといいます。
死者51名、行方不明者3名、流失160戸余りといわれ、高さ6.5メートルにも達した津波は、うねりをあげて街に流れ込み、また一瞬にして海側へとのみこんで行ったといいます。
この碑は、その脅威を今の世にも伝えるシンボルとして、昭和40年から港の少し手前に建ち続けています。
津波の碑から踏切を越えて、いよいよ港周辺へ、という所でこのような大きなイカリのモニュメントに出くわしました。港町の象徴的存在といえます。
須崎港まで出てきました。
踏切越えたらすぐそこというところで、1分も歩けばかなり港の近くです。
そこに建っていた建物たちですが、1999年に寄った時はもっち古めかしい事務所もあったような記憶があり、ここにある建物もそれなりに年季入っていますが、もっと古めかしいものがあったような…もうそれらはここには残っていないのかも…とか思いながら見ていました。
港の部分です。
こうして船が沢山停まっていました。船というよりボートという規模です。
大きな船も数か所で見かけましたが、行き来している感じは皆無でした。
セメントと木材の集散地点として重要な役割を果たしてきたといいます。
前にここに来た時は、ほぼ夜に近い状況だったので、やっと昼間の光景が見られた、と嬉しい想いでした。
最後はこの写真ですが、この辺りは1999年ごろには日本にある主要な港町という事で、ここ須崎を含む各港が地図内にて紹介されていましたが、いつの間にか撤去されたようです。
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