宮崎/日南 日本100名城『飫肥城』へ行こう!
宮崎県日南市、JR飫肥(おび)駅からの歩き旅です。
(2010年8月当時)
●観光案内
まずは飫肥駅での観光案内です。
飫肥といえば、何といっても飫肥城に代表されるような城下町です。お城に多少興味のある方でないと馴染みが薄いかもしれませんが「九州の小京都」といわれています。
ちなみに日南市では市名を名乗る「日南駅」がありますが、観光を考えた時にどちらに行くか?となって飫肥を選んでここに来た次第です。分かり易い観光名所の方を優先しました。
電車の本数が1,2時間に1本程度につき、両方を選ぶという選択肢はありませんでした。こういう所へ来ると、そのような選択を迫られる事もある訳ですね、
で、現在地となる飫肥駅はこの地図の右端にあたりますが、飫肥城は川を隔てた向こうの地図左上に位置しています。川が「ひ」の字形になっているのが面白いですね。
ちなみに、飫肥の「飫」は「あきる」それも「食べ飽きてぐったりする」という意味があるそうで、「肥」は肥え太るなので、食べて肥え太る的な言葉が続いている格好ですね、土地が肥沃であった事が由来のひとつとされているようですが。
●駅前道
宮崎県道445号として「飫肥停車場線」というのが通っています。
駅から短距離のものと思われますが、調べても驚くほど情報がないですね。
紛れもなくこれが飫肥駅前の風景の一角です。コインランドリーなどは見受けられましたが、これが約7年前の姿につき今でもあるかどうか…当時の風景と思って見て頂ければと思います。こんな様な穏やかな風景である事は今でも変わりないかと思います。
飫肥駅から出ている道路はそれほど長くなく、駅と平行に、時には交差しながら通っている国道222号を西へと進んでゆきます。
駅からは左を向いて進む格好になりますが100mも歩けば、こんな見事なS字カーブに出くわします。ここも建物はかなりまばらです。飫肥は観光地ではあるものの市の中心駅ではなく、駅前のこの風景もこんなもんかな、というところでしたが。
ちなみに飫肥駅から飫肥城へのバスはありますが、9時前が始発で16時台には最終便となります。また間隔的には1時間に1本のようですが途中で大きな空きがあり2時間ない時間帯もあります。所要時間は8分程度ですが、歩いて行けない距離でもないので、この時はこうして歩いて行きました。
飫肥城下街という事で石碑がありますが、橋を渡っていきます。
といっても飫肥駅からは200m程の所であり、むしろここからまだ歩いて進む必要があります。
幹線道(飫肥駅前のS字路から国道222号の続きな訳ですが)と両サイドに商店が立ち並んでいて、ここからようやく飫肥の街らしい風景というか活気あるところを見られたように思いました。
そしてここには「新町」というバス停がある訳ですが、ナント立札形式。城下町ならではですね。「バス 新町 宮崎交通」ってなんか…ネットの検索入力のような並びで(笑)
と題された碑文のある大きな石がありました。
柳田國男「海南小記」よりのフレーズが引用されているとの事です。柳田國男は明治末期と大正9年の2度この飫肥を訪ねており、大正期に12年ぶりにやって来た事がこのフレーズの冒頭に記されています。またこの地のそこかしこに懐かしさを感じ、この近くの酒谷川は水煙りが大いに立っていた、とも記しています。
単なる城下町というより「水郷城下町」という側面がこの飫肥には見られるという事で、島根県の松江などもそのような側面の強いところで、ちょっとイメージを重ね合わせてしまいました。
進んで行きますが、かなり雰囲気が出てきました。引続き国道222号線上です。
和風建築の建物もあちこち見られます。
これを少し歩いて右へ曲がれば飫肥城跡へかなり近づいていきます。
現・飫肥郵便局は先ほどの写真の道路上にあり、通過した事になりますが、ここには旧の郵便局跡として石碑が建っていました。
説明文が木の版に直接書かれたもので消えかかってよく分からない部分もありますが、郵便局としては1873年に開業したそうで、その当時はこの地にあったのでしょうか。
本町商人通り、と冠された形での石碑がありました。お城の御用商人なんかが多く住んでいたエリアだったのでしょうか。
ここから城下町とかなんとかさんざん引っ張りますが、段々と雰囲気が出てはきています、近づいていくごとに。
普通の旅ブログだと、肝心なところをかいつまんで出していくんですが、このブログはそこへ至るところの途中の風景なんかも出してくるので、かなり引っ張ります、すみません。
としてまたまた碑の登場ですが、明治末期の条約改正に尽力した小村寿太郎氏は当地の出身です。
歴史の教科書でも有名ですが「関税自主権の回復」に尽力した人物であり、不平等条約といわれていた当時のアメリカとの条約での厳しい面を一歩前進させた功労者として後世に名を残している訳ですね。髭の長い顔写真のイメージしかありませんてしたが、このような写真は逆に新鮮でした。
関税自主権の回復とは、それまでは外国からの安い製品に関税をつける事ができなかったものが、出来るようになったということで、日本の地位向上にも一役も二役も買っという事ですね。
しかしその偉業を成し遂げた年と亡くなった年が同じという事にかねてから気づいていたのですが、この条約調印のわずか3か月後に結核のために亡くなったといいます。
最近ではタレントのJOYさんが結核だったと聞き驚きましたが、昔は本当に結核といえば死の病であったというので、100年後の今では信じられないですね。
古い街並みを偲ぶことができ、かつそれを維持する、平たく言えばそんな街に指定されている地区、という事になるかと思いますが、この飫肥はナント1977年に九州では初めて、この保存地区の指定を受けています。
石垣のある建物も見えてきてだいぶ城下町の雰囲気が色濃くなってきています。標識にも見どころいっぱい感が出てきています。
またこの飫肥はNHK連続テレビ小説「わかば」の舞台地、との表示もしっかりありました。
「わかば」は2004年9月~2005年3月に放送され、主演は原田夏希さん、阪神大震災で父親をなくした震災遺児が宮崎県の母の実家に身を寄せて育つ事から始まるお話で、宮崎県では日南市が舞台になっています。終了後の2005年8月には舞台でも再演されてもいます。
これ以後の原田さんはあまり派手な役どころのイメージは個人的には薄いですが、金融機関のキャラクターのイメージの方があったかも。去年結婚されて久々にWEBのニュースでその名をお見かけしたように思います。
飫肥城入館案内として料金所が設けられています。
入館は9時半から16時半までで、大人料金は600円とありましたが、これを「通行手形」と称しています。城下町保存会という財団法人の運営のようで、その維持に役立てているのかと思います。ちなみに今は610円でそうで消費税増税の影響でしょうか、10円UPしています。
門が閉まっているのは朝早くの訪問だからだと思います。商家資料館等いくつかの施設をすべて見られるためのチケットという事ですが、ここに入れなくてもお城の建物は見る事ができるので、早朝の訪問でもこの点は大丈夫です。
共通チケットで見る事の出来る施設は以下の通りです。
豫章館、松尾の丸、飫肥城歴史資料館、小村記念館、旧山本猪平家、商家資料館、旧高橋源次郎家
立派な門が入口として迎えてくれますが、実は飫肥城は創建年代がはっきりしていないそうですが1458年以前であろうといわれています。
その後の1484年から1587年にわたる実に100年余りの間、我が国最長の攻防戦が行なわれていたとありました。所領していた島津氏と攻め込んできた伊東氏による長年の攻防戦が展開され、最終的には豊臣秀吉から領地を与えられたのは伊東氏の方でしたが、伊東氏が手にしたと思えば再度島津氏が奪還したり、百年戦争や応仁の乱に並ぶレベルの異例のこの攻防戦はもっと日本史としてクローズアップされてもよさそう、この件について知るごとにそんな事を感じました。
この大手門は1978(昭和53)年に復元されたもので、1873(明治6)年に廃城となりその時にすべての建物が取り壊されたのが残念です。
これらも復元されたものでしょうか。立派な佇まいですが…。鉄砲穴もつくられています。
飫肥城といえば杉というぐらい存在感の高い木で、この後出てきますが、飫肥城は杉でもつ、という気すらしました。
この立派な建物はなんだろうと思い近づくと、歴史資料館との事でした。
島津氏との日本史上類を見ない長い攻防を経て領地を手にして、廃藩まで飫肥五万一千石を治めた伊東氏やその家臣にまつわる飫肥藩ゆかりの歴史資料が展示されているといいます。(入りませんでしたが…)
と笑っているように見えますが?!塀の控柱です。
今まで意識してなかったのかどうか分かりませんが、塀ってそれ自体独立して建っていた感しかなく、このような柱が施されているのを見たのは初めてで、これ以降もほとんど見た事がないような気がします。それだけにインパクトがありました。
飫肥城は元々天守が造られておらず、また一度全壊している為、建物としてもあまりこれというものはない状態ですが、メインの本丸での杉林が圧巻でした。「わかば」のヒロインが落ち込んだ時にはここに来て元気を取り戻した場所、という説明板もありました。
旧本丸とありますが、現在の本丸は飫肥小学校のグラウンドとの事で、ここが1693年にできる新本丸以前の城下の御殿であったといいます。
飫肥杉はブランド的なものがあり、森林組合でも住宅に活用すべく様々なところと提携して展開を進めているといいます。
一連の飫肥城めぐりも終わり。
場内ではもっと色々写真撮ってましたが、かいつまんだらこんな感じかなというところで、雰囲気は掴んで頂ければというところです。
飫肥駅から少しかかりますが歩いても行けます(約1.5km)し、バスで8分という事なのでタクシーでも5分くらいで行けるかと思います。
立派な天守閣はありませんが、お城の雰囲気はたっぷり味わえて、自然の息吹にも触れる事ができると思います。疲れている現代人にこそおススメ、って別に回し者ではありませんが、もっと一般層に?!この飫肥の名が知れたらなと思います。
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