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2017年6月の5件の記事

2017年6月25日 (日)

福岡/小郡 何気ない日本三大合戦舞台

福岡県小郡市、西鉄/小郡駅からの歩き旅です。

(2011年3月当時)

●駅前通り

駅前ロータリーから西へと通っている通りです。

中層の商店が立ち並ぶ中で、高層マンションがちょいちょい見えていて、という
駅前風景になっています。そのおかげか、閑散という感じではなく、それなりの
街感?はあります。

甘木鉄道の小郡駅はこれを右にそれた形に位置しており、200mも歩けば
行き着きます。

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●街灯

小郡には織姫彦星の伝説があり、「織姫オーディション」なるものがあったり、
ゆるキャラも「彦星くん、織姫ちゃん」なるものが存在しています。

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●小郡市役所(本館)

西鉄小郡駅から出た冒頭写真は駅西側ですが、市役所は駅東側にあります。

という訳で反対側に回り込んでのここ小郡市役所です。

この建物は4F建ての「本館」で、他に5つほどの別館が周辺を固める感じで
建っています。本館は昭和37年築でそこから増築や耐震対応などを経て、
今に至るというところです。人口5万人台の市役所の割に規模大きいな、というのが
感想でした。

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●小郡市役所 南別館

本館とは唯一道を隔てた形で存在する「南別館」です。

本館のようなピシッとした建物とは対照的な感じで、コンクリート色丸出しな建物
となっています。昭和50年築との事で40年以上が経過しています。

正面に市役所別館という表示があるので分かったのですが、そうでなければ
金融機関の建物かと思ってしまいます。実際「福岡県南部信用組合」がこの市役所の
建物に入っていますが、この信組は久留米に本拠地があり16店舗を数えるといいます。

金融機関だけの建物ではなく、市役所の機能も有していて、信組は1Fの半分を
占める形で、残り半分は市役所の生活環境課などがあり、2F3Fも市役所の部署で、
農業振興課等々がここに入っています。金融機関の方と、市役所の方が知り合う
事もあるかな、という感じの共有の建物となっています。

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●市役所前の道

市役所本館と南別館を隔てている道路で、市役所前の道という格好になりますが、
こんな感じの街並みです。

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●市役所横の公園

市役所本館のすぐ東にある「東町公園」です。

とにかく碑が沢山建っているのですが、1359年に起こった大原合戦とよばれる
壮烈な戦いの舞台になったという事で、下に載せている写真のいちばん上の写真の
左端には「鎮魂」碑がありますが、これはその戦いの650年記念として2009年に
造られたものです。

この戦いはあまり知られていないかもしれませんが「筑後川の戦い」とも呼ばれ、
日本三大合戦のひとつとされている事があります。戦死傷者は2万5千を数える
といわれ、それだけに鎮魂費や関連遺跡が多数あるとか。結構地味にすごい場所
であったりしました。

ここはそれらのものが集結している感じで、特に夜になると「気」のようなものが
強く感じられるのかもしれません。

あまり歴史の教科書的には知られていない事かもしれませんが、この合戦により
南北朝時代の10数年間は九州では菊池氏が政治実権を握っていた形となります。
九州といえばどうしても島津氏や大友氏などを想像しがちですが、少なくとも
今の熊本県菊池市は今も自治体名としてその名が残っている格好になっています。

教科書では教えてくれない歴史を現地で学べるのも旅の醍醐味のひとつですね!

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●無料回収

市役所や東町公園に面した道路を東へ(駅から離れて)進んだところに、
このような不用品引取りのスペースがありました。手書き感が凄かったです。

期間延長の「延」の字がよく分からない事になっていました。

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●小郡郵便局

先程の引取り場のすぐ傍にある小郡市内の中心局です。

駅からだと400mくらい歩く事になるでしょうか。

山口県のJR新山口駅を最寄とする郵便局も「小郡郵便局」としてその名が残って
おり、駅名は小郡⇒新山口に変わっても郵便局名は変わりなかったようです。

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●西側へ

最後に西側へ戻ってきましたが、そのワンカットを。

何という事はないのですが、この標識の角を右に曲がると小郡駅前の広場に
行き着く事となります。

左側に写っている西日本シティ銀行は、2004年に西日本銀行と福岡シティ銀行と
が合併してできたもので、全188店舗中160店舗が福岡県内にあるといいます。

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2017年6月17日 (土)

甘木鉄道/小郡駅 (福岡県小郡市)




福岡県小郡市の甘木鉄道/l小郡(おごおり)です。

小郡市では、西鉄/小郡駅をupした事がありますが、同じ場所にある同じ駅の
御紹介です。

-甘木鉄道/小郡駅-
【路線】
甘木鉄道甘木線(基山-甘木間)
【開業】1939年4月28日
【訪問】2011年3月
【1日あたり平均乗車人員】 1,011人/日 (2008年) 
【近隣の主要駅 (基山方面)基山駅→2駅
           (甘木方面)甘木駅→8駅 


●駅名標周辺

今から6年前、2011年3月当時の姿です。

「おごおり」というと、今の新山口駅がかつて名乗っていた駅名ですが、その当時
からここ福岡県には小郡市があり、この小郡駅という名称は1986年から使用され
ていて、開業以来それまでは「筑後小郡駅」として旧国名が冠されていました。

山口県の方は旧・小郡町(現在は山口市)で、2003年までこの駅名で、以後は
現在の新山口駅となっており、1986~2003年の17年間は両方に「小郡駅」
として存在していた
格好になります。

駅ホームはこんな形で階段を上がった先にあり、その正面にこのように駅名標が
見える形になっています。

西鉄小郡駅との位置関係は互いにほぼ十字交差しており、南北には西鉄が、
東西にはこの甘木鉄道のそれぞれ小郡駅が存在しています。両駅間は約200
mで、西鉄の小郡駅の出口がここ甘木鉄道の駅からは少し離れている為に、
駅間自体は距離が短くても、移動距離としては長くなるという形です。

それにしてもこの駅名標、駅名自体は漢字表記がないのですね。

ちなみに向こう側に見えているのは大分自動車道です。

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●ホーム1

御覧のように1面1線のみのホームです。

西鉄の方がメインで、同じ小郡駅の利用者数比で西鉄:甘木では約5:1と
なります。

よってこちらの駅は市名を名乗る中心駅でも規模は小さく、単なる沿線中の1駅
の要素が強いです。

こちらは基山方面として西側へのカットですが、こちら側の隣駅である立野駅は
佐賀県であり、甘木鉄道では当駅が福岡県最西端という事になります。

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●ホーム2

反対側の甘木方面(東側)への眺めです。

自販機の横のこういうカットも少し前のものになると懐かしくて、よい記録になるな
とつくづく感じます。

向こうに薄緑の橋が見えますが、この地点で西鉄の線路と十字交差しています。

この甘木鉄道甘木線において、途中駅で他の路線との乗換があるのは当駅のみ
です。そういう意味では重要な拠点駅という事になるのかなと。

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●ガイドマップ

西鉄小郡駅との位置関係が分かり易いマップです。

この駅周辺は主要施設こそありますが、観光に適したものは別の駅の近くという
漢字です。

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●甘木鉄道売店

駅入口から階段を上がったところです。ここから上がればホームですが、
ちょうど真ん中のフロアにあたります。

酒房「道」という店が入っていたり、「取次所」として、定期の窓口になっていたり
していたようですが、この酒房「道」は検索してもなかなか出てこず、この時は
こののれんの向こうで営業していたのでしょうか?実際に行っても中が怪しげ
過ぎて確認もしませんでしたが。

沿線内で単なる1駅でない部分というと、こうした施設があるというところです。

定期窓口と居酒屋?と隣合わせた不思議な空間でした。

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●時刻表運賃表

ダイヤ的には時間帯によってかなり便数が違っていて、1時間に4本が最多で、
最少は1本となっています。通勤通学の行き帰り時間帯が多く、他の時間帯が少ない、
実に分かり易いダイヤとなっていました。

料金的には甘木駅まで310円(現在は320円)ととなっていて、隣駅でも大板井駅は
なんと110円です。JR含め大人の鉄道運賃で120円より安いものをここで初めて
見たように記憶しています。今でも後にも先にもここ以外は知らないです。安い!

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●甘木鉄道小郡駅 駅舎

こじんまりとした建物ですが、3F建てとなっています。

入口階段横の銀河鉄道を思わせるデザイン描画が何気に印象深いです。

駅舎自体がボコボコした雑然とした雰囲気ですが、このイラスト部分だけ
がキリッとした感じになっています。

特別これといって駅前広場的なスペースがなく、バス・タクシーなども西鉄駅の
方に集まる形となっていて、そこから200m歩くとこんな感じで、道の一角に
唐突に駅が建っている、そんな感じです。この駅舎は6年経った今も変わっていない
ようです。

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JR横須賀駅 (神奈川県横須賀市)

神奈川県横須賀市のJR横須賀(よこすか)です

横須賀市は、神奈川県の南東部、三浦半島に位置し、人口は403,429人
(2017.5.1現在)で、昭和50年代の歌謡曲でも度々取り上げられた港町で、
思いつくだけでも

「横須賀ストーリー」


「横須賀Baby」

「港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカ」

といった具合です。

人口は最盛期では43万を数えた事もありましたが、今は減少に転じて、
神奈川県では人口第5位の都市となっています。(横浜・川崎・相模原・藤沢に次ぐ形)

-JR横須賀駅-
【路線】
JR横須賀線(大船-久里浜間)
【開業】1889年6月16日
【訪問】初訪問-2004年6月
【1日あたり平均乗車人員】 5,583人/日 (2015年) 
【近隣の主要駅 (大船方面)逗子駅→3駅 
           (久里浜方面)久里浜駅→2駅


●駅名標

三浦半島の先端まで走る「横須賀線」の駅で、その先端の久里浜駅まで
2駅という事で、かなりのシーサイドなロケーションになっています。つまり
海の近くにあるという事なんですが…。

横浜と並び称される事もよくありますが、横浜のような街の賑わいではなく、
もっと海の際のような場末感があるというか、横浜よりアウトロー感が強い
かな、と感じます。

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●側線上

ホームから離れた側線に停まっていたこの車両はいわゆる「マルタイ」(マルチブル
タイタンパー)で、軌道整備用のものです。レールの寿命を延ばすため、レールの
頭部を極々薄く削り取るなどをしています。

ユニオン建設というところのものですが、デザインがいいですね、色んなものが
あしらわれていて。作業車両にしとくのが勿体ない?!

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●ホーム

人口40万超の大都市の市名を名乗る中心駅の割に、実質1面2線という
規模の小さいホームとなっています。この右にももう1面ホームはあるのですが、
使われておらず草むらと化し、このホームの両端のみが実質有効となっています。

屋根が長く取られ、幅も広いのでそこだけは大きな駅という感じですが、
都市の大規模駅とは全然違う感じです。このひと気の無さからも感じられると
思いますし、利用者数も1日平均5,000人程度なのです。

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●幻の一面

先述の草むらと化した1面が左端に写っています。

この面は手前側のホーム部分はこんな形なので活用もされていませんが、
出口に近い向こう側は活用されていて、その様子はこの後の写真に出てきます。

で、右側に見えている線路はここで行き止まりになっていて、いわゆる
頭端(とうたん)式ホームの形になっています。終着駅でもないのに頭端式ホームが
あるという不思議な状態になっています。

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●幻ホームの活用部分

上の写真ですっかり草むら化していた端側のホームですが、この手前が出入口で、
この見えている部分のみが活用されていました。

トイレであったり、鉄道写真を展示していたりとギャラリーとしての活用もされて
いました。「旧・駅長室」という表示も見られます。

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●頭端部

駅の改札を入った直後辺りの様子です。

この正面の線路部分は、頭端式で行き止まりとなっていて、左側の線路部分は
途中駅らしく、線路が続いています。なんとも不思議な構造です。

ここまで見て分かるかと思いますが、ホーム内は一切の階段・段差がありません。

そして改札外も全くそのようなものはなく、駅に入ってから電車に乗るまで、
一切の段差がない、天然の完全バリアフリー構造の駅なのです。

それにしてもこの雰囲気、人口40万超の都市の市名駅とは到底思えない、
のどかで穏やかな雰囲気そのものです。

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●駅舎内も

御覧のように完全バリアフリーです。

対応しなくても完全に天然バリアフリーなのです。素晴らしいですね。

広々とした構内ですが、これという施設はありませんでした。この時は2013年
でしたが、右に写っているコンビニのNEWDAYSぐらいでした。

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●駅出て目線

くるっと丸いロータリーにバスが数台停まっていました。この角度から見ると
ちっぽけですが、違う角度から見るとこれが素晴らしい姿になります。
これもまた次の写真にて。

この左に隠れている部分が海になり、シーサイドロードがずっと続いていく訳で、
いかにもというぐらい「横須賀の海辺」を堪能する事ができます。

それにしても閑散気味でした。決して田舎ではないんですが、これだけ見ると
田舎っぽさも想像するかもしれませんね。

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●横須賀駅 駅舎

何度も言いますが人口40万超の中心駅です。

この建屋がそれに見合う規模とはとても思えません。なんでこんなに小さいの??
と思うでしょうが、これも先述の通り利用者数が少ないのです。

バスがズラッと並んでいる光景は圧巻でした。

いわゆる「どぶ板通り」は、ここから少し歩けば行き着きますし、「スカジャン」
売ってる店も多数あります。

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2017年6月11日 (日)

栃木/下野 小金井駅前のちょっと素敵な風景

栃木県下野市、JR小金井駅からの歩き旅です。

(2012年7月当時)

●駅前広場から

毎度毎度の鮮度のない記事で恐縮ですが、今から5年ほど前の様子です。

「小金井駅」というと、東京の小金井市を連想される方も居るかもしれませんが、
東京のは武蔵小金井駅と、「武蔵」の旧国名が冠されていて、本家?!小金井駅は
ここ栃木県下野市にあるという訳です。

で、これは小金井駅前ロータリー周辺の様子ですが、正面に見えるパチンコ屋が
なんとも哀愁を感じさせます。市の中心駅の駅前にこのようなものが残っている事が
またなんともすごいです。

昔は、こんなこじんまりしたパチンコ屋が沢山ありましたが、今はPARLORとか
いって、こんな規模のものは本当になくなりましたね。この店はいつまで稼働
していたのか?想像しても分かりませんが、こういうの見る度に気になります。

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●国分寺町

この地域の旧自治体名「国分寺町」の表記が駅前街灯に残っていました。

2006年にこの国分寺町を含む3町が合併して新たに下野市が誕生したのですが、
これはその誕生から6年を経過した時点のものです。今も残っているのか…?

国分寺町とあるようにこの地域は下野国国分寺がおかれていた地であり、
それ故「下野」市という命名に繋がったのかと思われますが、
「下野市って何があるの?」となった時にまずはこの国分寺の存在を挙げる
事ができるかと思います。

しかしまぁ国分寺町で小金井という地名、東京と混同してややこしいですね。
東京には国分寺市と小金井市があるもので、地図を見ていても名前だけだと
栃木のを見ているのか、東京のを見ているのか分からなくなります。

その向こうには先ほどのパチンコ店の名前が見えています。上の写真では
木で隠れていましたが…。2F部分は雀荘になっていますが、廃墟サイトに
載っている事もあり、まず営業はしていないのかなと。

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●まつり

この時訪問したのが7月だったのですが、来たる御神輿御祭典の為に、
小金井駅前通りには交通規制の案内看板が出ていました。

この時に来なければ、この事も知らないままでした。7月に神輿が通るんだ
という事。偶々ですが良い時期に来たなと。もっと言えば当日に来ると
より面白かったと思いますが、たまに遭遇する街もあります。

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●飾付け

駅前通りは提灯やら飾付けがなされていて、お祭り感に溢れていました。

そういう意味でも本当にいい時期に訪ねる事ができたなと思いました。

これがなかったら単純に「駅前通りの風景」となるだけなので。

駅前通りはそのまま栃木県道104号「小金井停車場線」となっており、
小金井駅前から国道4号との交点までの140mがその長さとなります。

県道でよく「○〇停車場線」として駅から実に短い距離のものが数多く存在
しますが、これらは整備の対象として必要な事から距離が短くても番号を
振っている、というような事が書いてありました。駅前だけにやはり整備を
怠る訳にはいかない、という事もあるのでしょうかね。

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●マンホール

下野市というか、旧国分寺町のマンホールのようです。

鞠?なのか、解説を書いているサイトになかなか行き着けず、よく分かりません
でした。

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●白壁

の家屋に出くわしました。まだまだ駅前です。

こういうすばらしい建物に複数出会えたのも下野の思い出のひとつです。

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●古き良き…

昭和の香りを残した、金物店がありました。

金物店という響きがつくづく昭和と感じますが、この色褪せ感がなんとも
たまらない、というところです。小金井駅前をちょっと歩くだけでいろんな
昭和遺産?に巡りあえます。

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●小金井一里塚

江戸時代、日光街道として重要な役割を果たしていた小金井宿がこの地にあり、
日本橋から22里目を示す一里塚がありました。

元々は約9m四方の塚があり、榎が植えられていたのが、いつの間にか
今では丸型となり何代目かの榎とクヌギが同居する塚になった、とあります。

この一里塚は国史跡に指定されているもので、またここに植えられている
榎とクヌギは下野市名木30選に挙げられているといいます。

こと、塚に関しては規模は縮小したものの、幕府の命で築かれた構造物が
良好な形で残っているといいます。

説明板の最後に露骨に「下野市教育委員会」と貼り換えられているところに
どうしても目が行ってしまいます。

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●旧日光街道と一里塚

という事で説明板が出ていました。

右側にある日光街道の図の最下部が江戸日本橋ですが、ずっと上がっていって
赤い部分が当地「小金井宿」です。

小金井宿は、本陣脇本陣が各1軒ずつあり、旅籠は43軒あるとされています。
宿場の西側で黄金が採れたということから、金井村と元々は言われ、そこから
宿場として移転時に「小」の字を入れて小金井の名になったといいます。「小」を
けずに金井村だと露骨に金や富を思わせるから付けたのでしょうか?

日光街道を辿ってみたい方には良いコースだと思います。他の方のブログを
見ているとそのような記事も散見されました。

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●駅前バス停

小金井駅の駅前バス停です。

下野市でなく、小山市コミュニティバスのバス停として存在しています。
下野市では『デマンドバス』方式での運営で、ワゴン車に乗り合いの形となり、
また事前に利用申請証や1時間以上前の予約が必要となったりして、
来たものに対して乗る方式では全然ないようです。

基本的に小山市内を回っているバスではありますが、北端をちょっと抜けた
位置にこの小金井駅があり、そこまで延伸した形でしょうか。
この「羽川線」で小山駅までつながっています。そこから新幹線で移動も
出来る訳ですね。

ここに『予定時刻』として記載されていますが、便数としては土日祝は
これより1便減る形になるだけで、平日は1日9便であり、コミュニティバス
としてはかなり多い部類になると思います。

大体1時間半に1本の形ですが、これくらいなら、少し長く居られれば利用
してみようかな、と思わなくもない程度の便数でした。

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●酒蔵 甲賀屋

という白壁(様)の建物に出くわしました。

酒蔵というより酒屋という感じでしたが…、酒蔵で調べてみてもなかなか出てこず、
「酒蔵甲賀屋」で検索しても、マピオンの地図情報的なサイトばかりでした。

酒屋さんだとしてもこの建物は立派でインパクトがありました。

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●足利小山信用金庫

普通に信用金庫の看板見ても何も思わないのですが、この「足利小山」
という部分が目に飛び込んできて思わず撮ってしまいました。
実は90年代からそのような動きがあって、90年→2002年で約2/3にまで
減少していたそうですが、全く気付きませんでした。

都銀が色々と合併を繰り返してその名が重なるのはよくあった事ですが
(太陽神戸三井銀行みたいな)、地元の信用金庫ですらこういう事があるのか、と。

沿革を見ると、2004年に足利信用金庫と小山信用金庫が合併して
今に至るとありました。両金庫はそれまで約50年間、それぞれの名前で
運営されてきましたが、この時に合名したのですね。ちなみにこれをもって
栃木県下最大の信用金庫となったそうです。

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●国道4号上

小金井駅から停車場線の名のついた駅前通りを通り過ぎると、この国道4号と
交差します。ここで左に曲がって400m程進んだ地点で、小金井駅からでは
約500mの地点の様子です。

色んな商店の続く幹線道ですが、右側の「カンベ自動車」が目に留まりました。
濁点の「ベ」なのですが最初「カン」自動車に見えたもので。中古車販売店の
ようで、車種表示の上に漢字表記もありましたが「カンベ」とカタカナにした方が
インパクトあると見てこの表記にしたのでしょうか?漢字だと「神戸」となるようで、
「こうべ」と同じ読みの方なのですね。カンベって神戸もあれぱ神のように、
『部』の方もあるんですよね。

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●おなじく4号線上

ですが、国道沿いに広い駐車場をもつ店舗エリアです。

左端は「上海Cafe招龍房」とありましたが、ググっても10年ほど前のものしか
でてこなくて、今もあるかどうか分かりません。中国の古刹を思わせる素晴らしい
建物でしたが。

右端はアジアンレストラン「アソカ」というお店で、ここは2016年末の食べログ
にも出ていたので、今も現役の可能性大です。このカラフルな建屋にトンガリ屋根
はやはり目を惹きます。

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●再び小金井駅へ

と戻ってきました。

祭提灯はやはり、街を彩ってくれますね。

これからまたここの祭の時期が近づいてくるので、このように活気づいて
くるのではないでしょうか。そんな時にこの地を訪れてみるのも良いかもしれません。

という事で下野市の記事を終わります。

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2017年6月 8日 (木)

近鉄/高安駅 (大阪府八尾市)

大阪府八尾市の近鉄/高安(たかやす)です

八尾市では、同じ近鉄の八尾駅をupしていますが、今回の高安駅はこのほど
新大関になった高安関にちなんでニュースでもその地名が取り上げられていました。

-近鉄/高安駅-
【路線】
近鉄大阪線(大阪上本町-伊勢中川間)
【開業】1925年9月30日
【訪問】2008年3月
【1日あたり平均乗降車人員】 11,538人/日 (2015年) 
【近隣の主要駅 (大阪上本町方面)近鉄八尾駅→2駅 
           (伊勢中川方面)大和高田駅→12駅

●駅名標周辺

大関になった高安とおなじ漢字、おなじ読みの「高安」です。

高安という力士が世に出てきた時に真っ先にこの駅の事が頭に浮かびました。

市の中心でも何でもないふつうの1駅なので、見た目は特に何という事はないの
ですが、かつては高安という自治体の駅でした。

昭和30年に現在の八尾市に編入されるまで、中河内郡の南高安町と高安村と
いうのが自治体として存在しており、それまではその自治体を代表する駅だった
ということですね。

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●ホーム

市の中心でない1駅といいつつも、2面4線のホームをもった駅で、
1日に乗降する利用者は10,000人を越えています。

この駅にある「高安車庫」では「きんてつ鉄道まつり」というものが開かれ、
奈良県香芝市の五位堂などで会場とされてきましたが、ここ高安も2012年
からサブ会場として使われるようになったとといいます。

運転士体験とか電車と綱引きとか、鉄道ならではのイベントとなっているようで、
近年は年1回、秋に実施されているようです。

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●ホーム2

エスカレータつきの階段で改札へ進みます。

この上へ行ったら改札で、これを出ると両側に出口があるといういわゆる「橋上
駅舎」ですが、1961年に供用開始されたといい、私鉄でこの時期に橋上駅舎と
いうのは、かなり早い時期の導入であったとあります。

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●踏切

両サイドに出口がある橋上駅舎である事は、先に触れましたが、それぞれの
階段を下りた先がそのまま出口であり、踏切の両サイドという構造です。

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●鉄柱まみれ

駅舎の橋上部分で、これを渡る形で両サイドの出口へ繋がっています。

しかしこれに被る形で、この鉄柱の数々、すごい複雑な模様と化していて、なにか
アートを見ている気にさえなりました。

「近鉄 高安駅」という表示も、この視点では隠れてしまっています。

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●高安駅 駅舎

階段を下りたところのカットです。

ホームから階段に上がって改札を出て、そのまま通路で二手に分かれて、
このような階段を下りていくだけで、他にさして設備的な物がない駅です。

これから高安関が大関になって活躍していくと、この駅も街もそれに
あやかる形で?注目を浴びるようになる、かもしれません。

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