2020年7月
      1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31  
無料ブログはココログ

« 福島/南相馬 南相馬は原ノ町 | トップページ | JR新三郷駅 (埼玉県三郷市) »

2017年9月 6日 (水)

北海道/小樽 石原裕次郎記念館よ、永遠に!

北海道小樽市、先月末の8月31日をもって、あの「石原裕次郎記念館」が閉館になったという事で、在りし日の同館の様子をお送りする事で、記念館よ永遠たれ!との想いをのせたい思います。

(2015年5月当時)

●記念館の帆

石原裕次郎記念館の入り口を象徴する存在の大きなひとつであるこのヨットの帆。

1991とあるのは、1991年に開館された事を示しています。

今年閉館したので、開館期間は26年間という事になりますが、この26年はあっという間のように見えて、実は石原裕次郎氏の52年の生涯の実に半分にあたる訳で、相当長きにわたり語り継がれ、そして又、形になって残っていた事を実感させられます。

ちなみに先程「そして又」というフレーズを使いましたが、これは「太陽にほえろ!」の最終回のサブタイトル「そして又、ボスと共に」からとったものです。それまで長期休演していましたが、最後の最後に病身をおして再登場を果たし、7分にもわたる「遺言」ともとれるべきアドリブ(当時はそんなこと知る由もありませんでしたが…)は、ただただ圧巻でした。

この記事の姿は今から2年前の2015年5月当時のものですが、正直やはり往時の勢いには翳りが感じられ、個人的にこの時1997年以来18年ぶりに訪問しましたが、やはり97年の方が全然盛り上がっていた、その感は否めなかったですね。ファンの高齢化、館内の老朽化…致し方なしというところでしょうか。寒冷地での設備の維持・管理は相当苦労し、これ以上は難しいと閉館に踏み切った経緯が先日記されていました。

Dsc09297

●裕次郎記念館 本体

これが裕次郎郎記念館です。またまた個人的な話になりますが、初めてクレジットカードをつくった時に「裕次郎カード」を選んで、この建物の真ん中にあるサイン?は、その時によく目にしたものでした。結局カードの期限が来た時に裕次郎カードも廃止になってしまいましたが…。

この建物は貰い手がなければ解体されるそうです。裕次郎関係の絵や字は無くなるのは仕方ないかもしれませんが、建物の面影ぐらいは残っててほしいなと願ってやみません。団塊ジュニアといわれる我々世代にとっては絶対的な「ボス」であり、それは多分死ぬまで揺らぐことはないと思います。

ちなみにこの時は、JR小樽築港駅から歩いて来ました。徒歩約10分、小樽駅からでも歩いて行こうと思えば行けなくもないですが、2駅離れた築港駅が最寄りです。

Dsc09300

●斜めから

上の写真では正面からで奥行きがあまり感じられませんでしたが、斜めから見ると奥行きが感じられ、より大きな建物に見えます。1俳優でこれほどの記念館を遺せる人物はそうそう居ない訳で、石原裕次郎という人物のスケールの大きさ、周りのサポート力の強さをひしひしと感じます。

思えば「西部警察」の全国縦断ロケなども大病後にも関わらず積極的に敢行され、全国をことごとくイベント会場にしてしまったそのスケール感たるや、圧巻の一言でした。当時、関西にもロケで来て、大阪ででっかいイベントがあって行きたくて仕方なかったのですが、そこはまだ当時中学生になったばかり、とてもじゃないけど行けたものではありませんでした…、そんな想い出も甦ってきました。

Dsc09305

●裕次郎

建物に幕の形でどでかく顔が飾られていました。この姿ももう見られないのですね。40代前半頃でしょうか。今の同年代にこんな貫禄は出せないですね…

しかし、移動記念館という形で計画されているそうで、この北の大地になかなか足を運べないというお客も沢山居たという事で、今度はこちらから出向いて記念館を開くイペントの用意がある、とまき子夫人よりあったそうです。夫人の元気な間に閉めたら?というのが渡哲也氏の進言であったようです。

Dsc09313

●コンテッサ三世と軍団

記念館の外に飾られていたヨットと、ヨットに乗っていた石原軍団のスナップショットです。

ヨットは「コンテッサ三世」という名で1963年に進水し、1963,65,73年にヨットレース出場歴があるといいます。ヨット大好き裕次郎の象徴的なものは入口以外にもあった訳ですね。

そして石原軍団のショット、こういう感じのをある年の正月番組で見た事あります。石原軍団の恒例行事といった感じで、新年早々濃いなぁ…と思いつつ。裸の舘ひろしとか結構定番だったりして、あとバンダナ巻いてたりもして、それを見たビートたけしが「二日酔いの包帯」とか言ってましたが(笑)

Dsc09308
Dsc09310

●記念館入口

ここまで引っ張りに引っ張りましたが、いよいよようやく館内入口です。

こんな豪華な素晴らしい施設が無くなっただなんて、改めて寂しい限りと思うしかない状態です。

Dsc09314

●玄関でお出迎え

館内に入ったすぐ先はこんな風に等身大?かわかりませんがほぼそれぐらいのでっかい裕次郎がお出迎えです。

ちなみにこれは西部警察の課長か太陽にほえろ!のボスか、というと後者です。

昔「太陽にほえろ!」は毎年ポスターカレンダーを出していました(長寿番組ゆえ)が、それの1983年版頃のカットだと思います。家で毎年買っていたのでよく覚えています。西部警察の課長は概して服が派手です、ベストの裏地がすごかったりとか。こういうピシッとしたスタイルは「太陽~」での場合が多いです。

Dsc09315

●名車続々

いよいよ館内です!

最初の写真の手前側はRS-TURBOとして西部警察に出てきた車両です。

日産スカイラインのR30型というもので、西部警察は日産自動車がスポンサーとして全面協力し、数々の車を番組に登場させ、また活躍させてきました。このRSは1から3まで3台を有していて、各刑事が番組中で乗り回していたいわば戦闘車両です。RSの中でこの車両は「1」で他の2や3と違って戦闘車利用的な側面の強い車両です。他の車は情報収集や分析面が強い車両、とそれぞれに役割があります。

二枚目の写真はスズキ刀Rというバイクで、舘ひろし演じる鳩村刑事(ハト)が後期に乗り回していたものです。ちなみに彼は西部警察では番組スタート時に巽刑事(タツ)役で出演していたものの、契約の半年(番組自体も当初は半年程度であったとか)が過ぎた時点で、殉職の形で降板していましたが、その1年半後に鳩村刑事としてしれっと甦り、現在に繋がる人気を獲得するに至りました。巽刑事だけの出演であれば、ここまでにはなってなかったかもしれません。ちなみにタツが乗り回していたのがハーレーダビッドソンで、タツとハトって役者は一緒だし舘氏本人も変える工夫はしなかったと語っていますが、タツは髪も長めでヤンキー色の強いワイルド系なのに対してハトは髪もちゃん耳が見える程度に切り揃え、若干大人の余裕めいたものも感じられました。

最後の写真は大門団長が乗るスーパーZ「(フェアレディZ)で、何といっても真横が縦に開くこの「ガルウイング」がインパクト大な車です。右側の裕次郎氏の後ろにあるのはオープンカー「ガゼール」です。西部警察でも割と初期に乗っていた印象が強くて、大病後は車に乗るシーンはかなり減ったような気がします。

でまぁ、石原・渡・舘と西部警察の3大スターが等身大写真で現れているのですが、なぜ舘氏だけが現在の写真なのか??と思わされます。

裕次郎ワールドというば、こように西部警察色がかなり強くなり、「太陽にほえろ!」的な要素はあまりないのですが、これは「西部警察」が石原プロモーション、また石原裕次郎自身が制作者として名を連ねている文字通り石原軍団ドラマなのにたいして、「太陽にほえろ!」での石原裕次郎というのは、東宝が制作している中での1役者に過ぎない、というポジションの絶対的な違いによるものが大きいです。

Dsc09316
Dsc09317
Dsc09318

●パネル

色んな写真がありました。

真ん中のは遺影としてよく出てくる分ですね。これはどっちかっていうと西部警察での服装という感じがします、派手な色のシャツとかが。

Dsc09322

●出演映画の数々

銀幕の大スターといわれるだけあって、数々の映画に主演してきたその足跡をパネルで楽しむ事ができました。TVスターとしてしか知らない我々世代にとっては、へえ~ものでしたが。

下側の写真は後期のものが多く、影狩りなどは「太陽にほえろ!」で初めてテレビ進出した頃の作品で、1970年代に入って映画産業も斜陽化していくと共に出演作品も減っていく訳ですが、テレビドラマに進出してからは更に映画出演が減り、「太陽~」のスタート翌年である1973年の「反逆の報酬」 (右下の)が最後の主演作となり、映画での主演は38歳が最後となりました、ちなみにこの作品では渡哲也氏とも共演しています。

Dsc09325
Dsc09326

●最後の映画

1973年「反逆の報酬」を最後に映画での主演はなくなり、それまで殆どの映画を主演で登場しながら、最後の作品はその3年後、1976年中村雅俊が直後に妻となる五十嵐淳子と共演した「凍河」での友情出演のものでした。ポスターにあるようにここではもう裕次郎の顔すら登場していません。最後の出演作品の割にはかなり認知度が低いようで、Wikipediaにもこの作品は載っていないようです。

この時代は「太陽にほえろ!」のボスとしてお茶の間の大スターの座を不動のものとし、また自社での制作を始めた頃でもあり西部警察の前身ともいうべき「大都会」シリーズを開始させた頃でもあり、完全なTVスターだった訳ですね。

Dsc09327
Dsc09328

●西部警察ワールド

ここまでは映画の世界でしたが、ここからはTVの世界、やはりどうしても西部警察に偏りがちですが、撮影に使ったカメラ群にまず圧倒されました。

DVDの立て続けのリリース時に話題になったのも、このドラマの元々の人気の地力的な部分があったものかと思います。

最後は団長である大門の殉職という形で5年間の放送に幕を閉じた西部警察、1984年のことでした、ギリギリ昭和50年代、本当に熱く素晴らしい時代でした。大門殉職はショッキングでしたが、自分が死ぬという形で皆さんに恩返しをしたかった、とは当時の渡氏の弁でした。

Dsc09332
Dsc09334
Dsc09337
Dsc09342

●コンテッサ

最後はこの写真、コンテッサってどっかで聞いた名前…

と思ったら館外の一角にあったヨットですね、そこからとられたと思いますが、館内には飲食施設もありました。

飲みものが中心でしたが、裕次郎パンというのも売っていました。今思えば、これを食べなかった事を後悔しています…

Dsc09343


これは2015年の姿でしたが、偶然とはいえ閉館2年前に再訪する事ができて本当に良かった思いました。観光記というよりはヲタクが熱を語っていただけのようでしたが…

これからは移動記念館として活動予定があるとの事ですが、こういう固定の記念館として26年間もの長きにわたりの御活躍、本当にお疲れさまでした!

石原裕次郎記念館よ、永遠(とわ)に!

« 福島/南相馬 南相馬は原ノ町 | トップページ | JR新三郷駅 (埼玉県三郷市) »

旅行・地域」カテゴリの記事

01北海道」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 北海道/小樽 石原裕次郎記念館よ、永遠に!:

« 福島/南相馬 南相馬は原ノ町 | トップページ | JR新三郷駅 (埼玉県三郷市) »