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2018年1月 4日 (木)

山形/天童 将棋駒と温泉を愉しむ街

山形県天童市、JR天童駅からの歩き旅です。

(2010年9月当時)

●駅前道

駅記事を2011年にあげておきながら、そこからの旅記事を2018年の今頃になってからあげるか?という感じですが、もう7年以上も前の風景になってしまいました。

それで今も変わっていないのか?確認したところ、右側の旅館は完全になくなってしまっているようで、Googleマップで見ると跡形もなく、別のものが建っていました。

この「都旅館」ですが、現役時は和室8室、シングル2室、ツイン1室があったといいます。2食付き5,800円との情報があり、駅前すぐ傍にあってリーズナブルだったのですね。

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●天童バスターミナル

駅記事の最後の写真にあったユニークな建物の一部分ですが、これがバスターミナルのものでした。

ここからは山交バスや天童市市営バスなどの便が出ています。山形市の山交ビルまで約40分で結んでおり、山形駅へもほぼ同等の所要時間となります。

ずいぶん古いビルのように見えますが、完成したのは1992年と平成になってからなのですね、逆に驚きました。昭和の建物だと思っていたので。傍には山交の旅行会社である山交観光の店が入っていました。

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●床面

駅前の一角での床面には天童を象徴するものが描かれていました。

ホオジロは天童市の市の鳥で、非常に多くの自治体の鳥として挙げられています。スズメのように見えて、スズメ目までは同じですが、スズメよりは少し大きい鳥です。日本の一部地域では絶滅危惧種に指定されたりもしています。

そして「天童花笠踊り」の絵もありました。天童の夏のイベントとして、毎年8/8・9固定で開催されている「天童夏まつり」で披露されている踊りです。昨年で第27回であったという事は始まったのは1991年でしょうか?意外に新しいのですね、これも平成が始まったばかりの頃で。

花笠まつり自体は山形市で行われているものが、東北五大まつりのひとつに称されるほどのもので、8月中に県内各市で花笠踊りの入った祭りが催されています。

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●道路標識

直進すれば「天童温泉」なる文字がありました。今だったら飛びかかってたかもですが、当時はあまり興味湧いていなかった事と、1ヵ所を訪ねる時間が短く限られていた(自分でそうしていたのですが…)為にお湯につかる事はありませんでした。非常に近くにあり、バス停ベースでも天童駅から2分です。

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●天童マンホール

流石将棋の駒の街らしく、「王将」と書かれた駒がいくつも描かれていました。

天童の将棋駒生産は全国シェアの実に9割に達するものの、最近は伝統産業の後継問題などでピーク時の1/3程になっているとありましたが、ふるさと納税などにより再度規模が大きくなり、後継者も脱サラなどで志す人が増えてきているのだとか。

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●寒河江街道バス停

天童市でも寒河江の文字がありました。

天童駅東から程無く右へそれて南下し、駅からだと徒歩約7分の所にあります。県道22号(山形天童線)上です。

山形駅前までのバス路線で、ほぼ30分に1本の間隔で出ていて、なかなか本数としては多いのではと思います。

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●三日町五日町公民館

三日町と五日町の合名になった?公民館で、一瞬我が目を疑いました。

2015年1月に開館30周年記念祝賀会が開かれたという事で、1985年に開館したようです。公立の公民館ではないようで、自治会などでつくられたもののようです。

隣には五日町郵便局がありますが、ここの住所は「天童市三日町…」だそうでおもしろいですね。地名的には北から三日町、五日町、一日町と続いています。

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●仏向寺

1287年に一向上人が召還されて開山されたという歴史あるお寺で、当初は別の場所にあったものが1375年に現在地へ移転されたといいます。宗派としては時宗であったものが1942年に浄土宗へと編入されています。

関所を思わせる門が荘厳な雰囲気で、中の拝殿がまた立派でした。通路真ん中の参道とみどりがくっきり分かれていて、拝殿のカットを撮った時に締まった感じを受けました。

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●建勲神社

「たけいさお」と読みますが、お次はこの人名のような神社です。

ここはなんと、織田信長を祀っている神社で、明治政府より信長に建勲神(たけしいさおのかみ)の神号を賜った事でこの名がついたといわれています。京都市北区にもやはり信長を祀った同名の神社があります。

江戸後期から明治初期にかけて、藩祖を祀ってネーミングしたこのような神社がある種流行として多数あったのだそうです。当初の名前は「建織田社(たけしおりたのやしろ)」という露骨に?信長を祀った名前だったのを後に改称しています。

何故、この地で信長が?なのですが、ここは天童織田氏というのが藩主となっており、明治初期も織田信敏(1853-1901)という人物が藩知事を務めており、その当時に健織田社の名を賜ったといいます。

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●天童織田氏系譜

これも建勲神社内のものですが、信長の父である信秀の代より始まっています。

個人的知識でいえば、現在でもスケート選手であった織田信成さんが居られますが、信長の子孫というと、息子の信忠が信長と同じ時に戦死し、その弟信雄(のぶかつ)が江戸幕府に収まり1630年頃まで生きた、くらいのもので、その先の事は知らない状態でした。

これを見て系譜が脈々と受け継がれている事が分かりました、歴史は土地を訪ねた方が勉強になりますね。

天童織田藩と記されていますが、天童藩は幕末といえるくらいの1830年に高畠藩から移って起こった小藩で常に財政難に悩まされていたといいます。この表で、上下断の最上部に地名がありますが、最初は「小幡」とあり、それから「高畠」「天童」となっており、それぞれ藩主を務めていた藩を示しています。

最初は小幡藩を治めていた訳ですが、今の群馬県甘楽(かんら)郡甘楽町にありました。小幡藩では1617年に織田信良(のぶよし。1584-1626)という人物が立藩したとされています。彼は織田信長の息子・信勝の子、つまり信長の孫という事で厚遇されたようです。

その後高畠藩を経て、天童藩の初代藩主は織田信美(=のぶかず。1793-1836)という人物が務め、この表の下の段の右から3人目にあたります。以後織田氏5代の藩主が務めて1871年の廃藩置県を迎えています。

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●碑

安東広重碑と、はなかみ先生顕彰碑についての説明板です。

広重といえば「東海道五十三次」があまりに有名ですが、天童藩では財政難の窮地をしのぐために広重の肉筆画を大量に描いてもらい、その難を脱しようとしたという経緯があり、東北と無縁に感じる広重の存在がこの天童でクローズアップされ、天童には広重美術館もあるといいます。

また今ではすっかり「歌川」広重としての記載が主になっていますが、ここでは安藤となっており、少し古いものかもしれません、我々の子ども時代に習ったのは「安藤」広重でした。

広重は5代まで存在するそうで、東海道-の広重は初代ですが、当人の本名が安藤重右衛門で、「歌川」姓は師匠の歌川豊広から与えられたといいます。

「はなかみ先生」の方ですが、高橋英雄(えいお)という人物で、天童出身者で文明の進化に触れたいとの思いからアメリカへの船へこっそり乗り込み20年余り文化を吸収してから天童へ戻り、その文化の遅れ具合にかなり憂い、村中を紙切れを渡して回り「鼻をかむ」という事を教えて回ったそうです。

鼻をかむ、という習慣がいつから普及したのか?考えさせられました。江戸の庶民は手鼻であったようです、平安時代からその言葉自体はあったようですが。人前で鼻をかむというのは外国では国により非常に失礼な行動にあたるので要注意ですね。

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●小路喜太郎稲荷神社

安土桃山時代、天正年間に最上・天童の戦いという覇権をかけた戦があり、天童氏家臣の狐崎喜太郎という人物が幻術により最上氏を大いに悩ませ、また天童氏の敗走も助けたとあり、ここに祀られているといいます。ちなみにこの時は、後に藩を治める事になる織田氏の事などカケラもありませんでした。時にして1584年、信長が無念の死を遂げた2年後の事ですが。

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●街へ

山深い?エリアを出て街へと再び。

市民会館やその他主要施設への道案内が出ていました。

街の中ではいたる所に将棋の駒が出てきます。

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●天童市役所

白を基調とした角のついた印象的な建屋です。

建物の向かって右側が柱で支えられている感が強くて、天空ではないですが、その辺の建物とはちょっと違った感があってインパクトがあって良かったです。

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●橋と将棋駒

出くわす橋で赤い手すりと、それぞれの将棋駒がありました。

王将や金将や銀将などありました。

桂馬や飛車や龍などもあるようです。橋の名前が将棋駒の形の中に入っているものも。

こういうのを見つけて歩くのも楽しい天童の街です。

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●Y字路

見た目が面白いので出くわすと取ってしまうのですが、この天童にもありました。

最も手前の建物の形がすごいですね、薄型って感じで。区画が決まっていて、それに合わせて建てられたのでしょうか?

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●路面詰将棋

歩道の道路面に詰将棋がありました。

見ただけでも2か所ありましたが、全部で何パターンあるのでしょうか?

公園内にも、電柱にもとあらゆるところに詰将棋があるといいます、これらは歩いていて気づきませんでしたが。

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●温泉宿

天童温泉のエリアとして、天童駅から徒歩10分圏域のこれらのホテルは代表的な温泉宿といえるかと思います。天童ホテルとホテル王将、いずれも大浴場がありますが、1人10,000円内のプランもありますし、贅沢なプランもあります。

天童では泊まった事はありませんが、泊まるならこんな所に行って温泉に浸かって贅沢に過ごしたいものです、なかなか予定はありませんが。

天童には将棋の駒の印象しかありませんでしたが、天童温泉というしっかりしたものもあるので、今度行きたいと思っている方で温泉の存在を知らない方が居られたら、是非ともそこにも着目して楽しんで頂きたいと思います。

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