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2018年4月の11件の記事

2018年4月28日 (土)

福井/敦賀 松と港のメロディー

福井県敦賀市、JR敦賀駅からの歩き旅です。

(2006年6月当時)

●気比の松原へ

いきなり敦賀駅から離れますが、敦賀駅から北西へ約3kmというところでしょうか、バスでも10分程度かかる所にある「気比の松原」へ来ました。

日本海に面した豪快な松林で、若狭湾国定公園の一部で、敦賀観光のメインのひとつであり「日本三大松原」のひとつです。

敦賀気比高校って高校野球で有名ですが、その高校もここから1、2km離れてはいますが、近くにあります。

気比ってどういう意味かと思い調べてみたら、「食(け)の霊(ひ)」が語源で、食の神的な意味だそうです。ここだけでなく各地に同様の地名があるようです。

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●松並木を突っ切って

気比の松原、の松の木の多さを感じるにはうってつけの場所といえます。

道が一本通っているところの両サイドにズラーッと松の木が並んでいて、それも深く続いているという感じで。

ここの松林は平均樹齢200年の赤松黒松が約17,000本あるという事です。殆どが赤松で85%を占めているようですが。

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●名勝 気比の松原

松林のど真ん中に入ったものです。

とにかく辺り一面が松・松・松です!

意外にも?高木も沢山あり、ひょろ~っと長いのも沢山並んでいました。

「古事記」「日本書紀」の世からその存在が語られていた伝統ある松林で、拙ブログの前の記事とように緑いっぱいの景色が続いていました。エリア内に他に特に何がある訳ではないので、余計に落ち着きます。夏は海水浴客で賑わう傍で人も多いようですが。

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●海の松原

松原は海側にあり、その延長上でこのような海岸の砂浜にも松の木がありました。こういうのって江戸時代でもそのままあった景色なんだろうな、と感じた瞬間でした。

こんな所からでも養分を吸収して松の木が生きているんだなと思うと不思議であり、何か感動ですらありました。

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●みなとつるが山車会館

海沿いの松原から街へ戻りました。

「みなとつるがやまかいかん」と読みます。「だし」ではなく「やま」なのですね。ちゃんとルビも振ってありました。「だし」であってもルビを振っていたでしょうが。

敦賀を代表する「敦賀まつり」で巡行される山車などをメインとした展示施設で、1997年に開設されました。

気比の松原の次はここへ来ました。

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●山車

山車会館に入ってみました。そのタイトルにもなっている山車がありました。

隠し撮りみたいになっていてすみません。

手前は北前船ですかね?この敦賀は港町として大いに栄え、北前船が盛んに行き来していたといいます。

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●敦賀山車の手引き

ものすごく背の高い山車ですが、上に乗っているのは「松の木」で、高さ10mもの松の木を根元から切り取って立てた、とありました。

水引幕、武者人形など山車についているものについての説明書きがされていました。

この祭りについては京都祇園祭の影響を受けて室町末期に始まったとされていて、天正年間に織田信長の祭見物の記録があり、その頃にはあったとされています。

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●はみ出し刑事情熱系 in 敦賀

当時持っていたカメラで接写が全然だめでボケまくっていてすみません。

2004年まで8シリーズにわたって放送されていた人気刑事ドラマシリーズ「はみ出し刑事情熱系」の”最終話” として、ここ敦賀でロケが行われたという事で、出演者らと山車をバックに記念撮影されたカットが飾ってありました。

このロケが行われたのは第3シリーズの最終回(1999年3月放送)で、そのタイトルも「東京-小樽-敦賀 涙の日本海殺人ルート!」と、しっかり「敦賀」の文字が入っています。

写真がぼやけていて分かりにくいですが、最前の白い服でキメているのが主演の柴田恭兵さんです。向かって右は相棒役の風間トオルさんですね、シリーズ初頭では風間さんは髭面でそれまでのイメージをガラッと覆す雰囲気でしたが、この頃にはもう元の髭なしイケメンの姿に戻っています。

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●シアター

みなとつるが山車会館では、展示だけではなくこのようなスクリーンシアターもあり、映像から敦賀の街と祭りを知る事ができます。

今流されている映像がどのようなものかと思って調べていたら、この当時(2006年)と同じもののようです。

敦賀の歴史と祭りと山車とを映像を通して学び知る事ができ、ナレーションはご当地敦賀出身の俳優・大和田獏さんが務めています。獏さんの軽妙でソフトの語り口がすんなりと頭に入っていく感じがして、とっつきやすかったというか、身になった感がありました。

大和田兄弟って俳優が本業ですが兄の伸也さんと共にナレーションは更に絶品で、こういった地元のPR映像のナレーションなんて本当にうってつけの仕事だと思いました。

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●敦賀市立博物館

みなとつるが山車会館と隣接しているのがこの敦賀市立博物館です。

大変立派な建物で、これはきっと何か由緒ある建物であったに違いないと思って調べたら「旧大和田銀行」とありました。??また大和田??

そうです、設立者の大和田荘七(=おおわだ・しょうしち 1857-1947)は大和田伸也・獏兄弟の先祖であり、1882年にこの銀行を設立し、その本店であったこの建物は1892年竣工という明治中期の歴史ある建物なのですね。

大和田銀行は1945年に三和銀行に吸収合併されるまで存在し、2年後の47年に荘七が死去し、また大和田伸也さんが生まれたのもこの年なのですね。

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●萩の花郷

敦賀港へ来ました。

港あたりのちょっとした広場スペースにちょっとしたモニュメントがあり、敦賀開港100周年を記念したものでした。そしてその節目の年にイメージソングとしてつくられたのがこの右側に歌詞が載っているものです。

「作曲者」欄をご覧ください!

なんと「五木ひろし」

これまた福井県出身の五木さんの、詞ではなくメロディーの曲です。五木さんは実は結構以前から自ら作曲した曲を発表しており、シングルで見ても1980年代前半から既に発売されています。五木さんは敦賀出身ではありませんが、隣接する美浜町の出身で、その縁からこの企画が実現したと思われます。

敦賀港の開港が1899年で100周年は1999年なのでこの時につくられたと思われますが、先ほどのはみ出し刑事~のロケも1999年、敦賀港開港100周年に合わせての誘致だったのでしょうか??

とにかくこの「萩の花郷(はなさと)」も五木さんのシングル曲として1999年1月に発売されています。そしてそれがこのように碑になっています。

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●旧敦賀港駅

これもやはり1999年の「つるがきらめきみなと博21」の時に元の場所とは別な所につくられた復元駅舎で、ヨーロッパとの玄関口として栄えた敦賀港のキーとして栄えた頃を思い起こさせてくれるものとなっています。戦災により詳細な資料がなく完全復刻ではなくイメージ復刻のようなものらしいです。

この後の2009年に敦賀鉄道資料館として再生されています。

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●再現ジオラマ

旧敦賀駅舎内の展示のひとつです。

かつての街並み再現という事で壮大なジオラマがありましたが、昔は今ほどの人口はなかったと思われ、田んぼのある所はとことん田んぼが続いている感じだったんだろうな、と思わされます。

集落は集落としてある一定箇所に固まって、あとは田んぼみたいなそんな印象が勝手にあります。

完全に海に面して人家が集中していたのですね。

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●港の風景

最後になりますが、敦賀が港町であるという事がよく分かる風景です。

単に港があるという事だけでなく、その港を中心に栄え、周辺が整備されている、そういう意味での港町です。

水資源に恵まれ、港の位置が絶好の場所にあった事からか向かいの海運中心の世の頃は大いに栄えたようで、往時を偲ばせるものそこかしこにあると思うので、観光し甲斐のある街だと思います。

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2018年4月25日 (水)

JR敦賀駅【新】 (福井県敦賀市)

福井県敦賀市のJR敦賀駅です。

敦賀駅については以前に旧の敦賀駅を記事にあげていますが、数年ぶりに訪ねたら新駅になっていたという事で2014年に再訪した際の様子です。

●駅名標

思えば旧駅の記事を載せた時は駅内の様子は全然なかったので、旧新で定点観測したかったのですが、しようもありませんでした。

この新駅舎記事で初めて駅の内部を紹介する事となりました。

2006年から「新快速」が乗り入れるようになり、その知名度もすっかり上がったのではないかと思われるこの敦賀駅です。

1時間に1本は兵庫県姫路まで乗り入れ、京阪神が近くなったと思いますが、東海道から北陸本線へ行くにつれ電車の車両数は減り、停まる駅が飛ばされる訳ではなく実質の普通電車です。

とにかく乗換えなく兵庫から中部地方まで行けるようになったというだけの事、が今の状態です。もっと敦賀以東へも乗り入れないかな?という期待があったのですが、今のところは進展ないですね。新幹線がここまで延伸してくる方が先でしょうか。ここまで来たら、関西から見て新快速で敦賀まで乗って、そこから新幹線!の図式が一応できる訳ですね。

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●時刻表

右からですが、いちばん右が大阪・米原行きとして東海道本線へのアプローチです。所属しているのは北陸本線ですが、京阪神に比べたら全然本数は少ないものの京阪神に直通アプローチできる最も遠い場所ではあるのですよね、この敦賀は。

真ん中は北陸本線であり、東海道線への逆になります。なので福井や金沢など北陸側のアプローチです。右側の東海道本線側もですが、特急停車が多くて本数がそこそこあるように見えますが、特急が停車しない駅だとかなり本数減るだろうな、という事を感じざるを得ないですね。

そしていちばん左は西へ分岐する小浜線のものです。こちらは1時間に1本あるかどうかくらいのローカル線です。小浜や若狭側へのアプローチとなりますが、三方五湖などあったりして、観光として楽しめる側面もあります。

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●ホーム

ホームは実に3面7線もあるというこの敦賀駅です。

1・2番線は小浜線で、3~7番線が北陸線という具合です。

ちなみに新幹線は2023年開業予定との事で、あと5年です。結構すぐにやってくるのではと思っていますが、その頃までにはこの辺りは豪華な出で立ちになっているのでしょうか?

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●ホーム2

跨線橋もあれば、下へ降りる階段もあるという構造です。

ホーム右側には新快速電車が覗いて見えました。これがそのまま京阪神へ一本道で直通するのですね。

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●敦賀駅 新駅舎

06年に訪ねた時は旧駅舎でしたが、14年に訪ねた時にはこんな感じの大きな駅舎になっていました。新快速が乗り入れてきた恩恵があるのでしょうか、すごく立派になっていました。

マメに訪ねて行かないといつ大きな駅に変わっているか分からないので、結構重要ですよね再訪というのは、それをすごく感じさせられました。

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2018年4月21日 (土)

北海道/恵庭 サッポロビールとカントリーロード

北海道恵庭市、JRサッポロビール庭園駅からの歩き旅です。

(2005年10月当時)

●サッポロビール北海道工場

サッポロビールの北海道工場はここ恵庭にあります。

最寄り駅としては恵庭ではなく、隣駅にあたるズバリそのまま「サッポロビール庭園」駅で、全くの徒歩ですぐにアクセスできます。

ここの駅前は目立った物はこれくらいであとは多少の人家と広がるカントリー風景といった感じで、この辺りはこの記事で伝わるかと思いますが…

「サッポロ」ビールというぐらいなので北海道とは縁が深く、北海道からビールを生産し全国へ流通させていきました。(本社は東京ですが)

1876(明治9)年に 開拓使が麦酒醸造所をつくってから、その歴史は140年におよびます。

この工場は単に生産の工場として稼働しているのみならず、見学用施設としての性格もかなり強いものになっています。これは2005年当時のもので、今から12年以上経ちますが、今もその性格は強く、周囲もそれほど大きくは変わっていないのではないかと(勝手に)思います。

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●外周

右に隠れているのは道路(国道36号)で、左側は工場の塀の部分です。

この楽々乗り越えられる塀がいい感じです(乗り越えようとは思っていませんが…)

周囲を緑の木々が並んで取り囲んでいるのがまた北海道っぽいですね。ちなみに敷地は36万Haあるといいます。

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●工場構内

これだけ「見える化」状態になっています。ウェルカムモード満点というか。

パークゴルフ場あり、レストランあり、ビオトープ園あり、工場より観光公園的な側面が前面に出ていました。

ビオトープとは『自然復元生態園』を意味し、ここでは池にコイやフナが生息し、季節に応じた鳥が飛来し、季節に応じて虫などもやってくる、自然生態を実現させたエリアという事になりましょうか。中に入ってみてみたかったものです(この時、外から眺めていただけでした)

ちなみに見学のツアーは予約のみで2名から、自由見学は行っていないとの事です。この時の自分のように独りでフラッと見に行っても入れないのですね。

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●工場らしさ

サッポロビールの工場写真はこれが最後ですが、ちゃん大きなサイロ?もあって、ビールの生産工場らしい側面も勿論しっかりとあります。

ツアーではできたての生ビールが3杯まで飲めるという事で、これは好きな人にはたまらないですね。

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●ひたすら緑

サッポロビール庭園から離れて、駅から反対方向へ。

こちらはひたすらに緑の風景が続いていて、この時北海道に行った目的のひとつであった「自然が続く風景に行く事」がかなえられた瞬間でした。

というのもこの時が自分にとって2度目の北海道だったのですが、初回の時から基本的に主要都市の駅前ばかりを歩き回っていた為、北海道独特のカントリー風景にあまり触れてきていませんでした。

それでここに来た時も敢えて市の真ん中であろう恵庭駅を飛ばして、隣駅であるこのサッポロビール庭園駅にやって来て、周辺を歩いていたらこんな感じだった、という訳です。いかにも大草原という感じで「北海道に来たんだな」と改めて感じました。

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●モーモー

たまに出くわした建物を見てみれば…

そこには牛が沢山居ました。(見えにくいですが…)

これまた北海道に来たな、と実感させられました。

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●ひたすら道

緑いっぱいの北海道では、そこを通っている道路もまっすぐ一本道で、遥か地平まで続く印象を持っていましたが、ようやくそういった道に出会えたなと感じたのもここでした。

こんなに長くまっすぐな道が続いたら、車を運転してたら自然にスピードが出てしまういうものですね、昔からそれでよく悲しい事故のニュースを聞きますが。

何もない中をただひたすら歩くのも気が疲れてきて、こういう道はやはり自転車やバイクや車、何か乗り物で突っ切っていきたいな、と感じさせられました。

この道路の独り占め感も最高でした。

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●ひたすらカントリー風景

これまたひたすらに続くカントリー風景です。

北海道らしい、日本とは思えない、大自然広がる風景がここにはありました。

言語も文化も分からない海外でこんな所へ行こうとすると様々なリスクも付きまといますが、日本に居ながらにしてこのような風景が味わえるのは北海道ならではであり、折角北海道へ行ったならば、こういう景色は見に行かないと損だと、つくづく思いました。

本当にサッポロビールの工場以外これといってないところかもしれませんが、その何もない中にある大自然の雄大な風景こそがこの地の財産、感じました。そんな旅もイイですよね。

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2018年4月18日 (水)

JR鳴子温泉駅 (宮城県大崎市)

宮城県大崎市のJR鳴子温泉(なるこ・おんせん)です

大崎市ではJR古川駅や鳴子御殿湯駅をupしていますが、今回は鳴子御殿湯の隣駅で鳴子温泉郷のメインともいうべき駅の御紹介です。

-JR鳴子温泉駅-
【路線】
JR陸羽東線(小牛田-新庄間)
【開業】1915年4月18日
【訪問】2017年5月
【1日あたり平均乗車人員】 226人/日 (2016年)
【近隣の主要駅 (小牛田方面)古川駅→11駅  
            (新庄方面)新庄駅→12駅


●駅名標

JR鳴子御殿湯はupしましたが、昨年GW期間中にこの傍の宿に泊まっていました。そしてその隣駅であるこの駅へは、宿をチェックアウトしてから徒歩で向かいました。多少時間はかかりますが、歩いてでも十分に行けたので。

両隣駅とも温泉街です。鳴子御殿湯は前述の通り既に記事upしていますが、東鳴子温泉を形成していて、反対側は中山平温泉駅です。こちらはまだ行った事がないので、今度は行ってみたいものですが、12軒の温泉宿があるとかでやはり温泉街なのですね。

このあたりでは鳴子温泉郷という形で総称され、なかでもこの鳴子温泉エリアは最も栄えてる感じでした。

鳴子温泉駅として現名称になったのは1997年の事でわずか20年前の事で、それまでは「鳴子駅」と称していました。近年こういう駅名に「温泉」をつけて、観光誘致しようとする街が増えましたね、かみのやま温泉駅とか城崎温泉駅とか。

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●春夏秋冬

ホームの壁に貼ってあった鳴子温泉の春夏秋冬の様子のポスターです。

今は春ですが、春はお花畑の風景が綺麗なようです。

そして東北地方なので冬はやはり雪景色が美しいようです。

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●ホーム

JR陸羽東線に属している鳴子御殿湯の隣駅で、あちらは1面1線のみでしたが、こちらは2面3線あり、温泉郷の中心の風格がそれなりに感じられます。

1日平均の乗車数は226人とあまり多くはありませんが、隣の鳴子御殿湯駅は約60人なので約4倍多い事にはなります。

正面に時刻表がありますが、左半分が上りで右半分が下りです。見えにくいかもしれませんが、下りはかなり本数が少なく10本程度です。これでは隣の中山平温泉へ行きたくても容易ではありません。

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●ようこそ鳴子温泉駅へ

ちょっと立派な感じの横断幕がホーム壁に出ていました。

下端にいろんな国の言葉で書いてあります。

そういえば駅名標もハングル表記もされていました。

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●顔抜き看板

駅舎内にあった顔抜き看板です。

源義経と弁慶と思われます。

彼らの終焉の地・平泉へ落ちる際に通り掛かった地であり、ここで義経の正室が子供を産み、その子がなかなか泣かなかったのがこの地で湯を浴びて泣くようになってから「啼子」が転じて今の「鳴子」になったという、義経が名づけたともいえる地だったのですね。

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●ぐるり雛壇

この駅の最も特徴的なものといっても過言ではないのが、このグルッとなった ひな壇形式の待合スペースです。無料休憩スペース「喜観舎」と名付けられています。

決して大きい駅ではないのですが、このイベントホールのようないでたちは強烈でした。特にイベントをやっている風ではなく、ステージになるようなスペースもあるとは思えませんでしたが…ところどころに座布団を置いてるのがまたいいんですよね。

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●発車時刻表

先のホームの写真にもありましたが、ここできっちり撮ったものがありましたので載せておきます。

上りと下りでは本数は違っていて、上り(古川方面)はざっくり1時間半に1本くらいで、下り(新庄方面)は2時間に1本くらいでしょうか。下りの2本目から4本目は3時間近くに1本くらいになってしまいます。

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●駅名由来

東北地方の駅によくあるこの「駅名由来の説明板」がここにもありました!

由来に2説が記されていますが、うち一つは先ほど書いた義経がらみの件です。

古くは火山が大爆発した記録も見られ、結構ハードな地なのだなと思わされ、温泉もできるべくしてできたのかな、という感じもしました。

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●足湯

駅を出ると足湯があります。 「ぽっぽの足湯」といいます。

よく駅前広場に足湯がある事が多いですが、ここの場合は、駅舎の下というか1Fの窪んだ部分にある感じです。なので屋根つき足湯な訳ですね。

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●町の…

町木みずき、町獣かもしか、町花りんどう…などとありました。

自治体の木とか花とかはありますが、他は「鳥」とかですよね、ここの場合は町「獣」とは…。

また「町」とありますが、これは現大崎市のものではなく、旧鳴子町時代のものです。鳴子町は人口8,500人くらいの町で、2006年3月に古川市その他と合併して大崎市となっています。

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●こけし柱

鳴子といえばやはり「こけし」!

「鳴子のこけし」っていつのまにか習って覚えて頭に染みついていましたが、でもその鳴子がどこかとか全然意識していませんでしたし、関東??ぐらいにしか思ってなかった時期も結構ありました。

宮城県にあって、それも内陸の方になるという事で、こうして訪ねてみればいやが追うにも覚えるというものですが、子ども時代に本だけで覚えてもよく分かんないんですよね。やはり行ってみるがベストです。

こけしにも色々種類があるそうで、ここのこけしは首がくるくると回る特徴があるといいます。「日本こけし館」という博物館があるくらい、こけしが代表的な工芸品です。

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●駅前広場

駅前そのものはあまり派手ではないですが、街へ出るにつれて温泉街的な雰囲気が顕著になってくる感じです。

この右側の階段を上がって街を通るルートもあれば、階段なしで街へ出るには左に隠れている部分を通る事となります。

「ようこそゆのまち鳴子温泉郷」と看板が出ていました。「なる子ちゃん」という鳴子温泉のイメージキャラクターで、頭の大きなこけしの妖精で、足には下駄を履いています。

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●鳴子温泉駅 駅舎

車の大きさに対して駅の大きさが分かると思います。ものすごい大きな駅ではないですが、この沿線では大きな駅です。観光案内のセンターも併設されています。

白を基調にした綺麗な色の駅舎で、このように青空をバックにするとより一層綺麗に映えます。

一連の温泉駅の総本山的な位置づけでもあるのがこの鳴子温泉でもあり、かつて人口8,000人余りの町の中心駅といえど、やはりそこは鳴子温泉という観光資源を持ち、ホテル旅館の類もかなり存在する訳で、この駅の大きさはダテじゃない、と感じさせられました。

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2018年4月14日 (土)

福井/鯖江 緑あふるる西山公園in2006 

福井県鯖江市、福鉄/西山公園駅からの歩き旅です。

(2006年6月当時)

●西山公園前 交差点

2006年という事で今から12年前の風景です。

西山公園駅から緑のあるエリアをぐるっと回ってきて信号のある所に出てきました。

この辺りは広大な西山公園と周辺の道で構成されている、そんな感じでした。

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●橋へ

上の写真で見えていた橋の部分へと上ってみたものです。

この上にある三角のてっぺんみたいなものは、橋と平行にあるのではなくて、橋の上を跨ぐ形で建っているんですね。道からでもよく見ればそのよう見えるんですが。

この辺りは西山公園駅から行くよりは、隣の西鯖江駅の方が実は断然近いです。その駅名に騙されましたけど、実際そうです。

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●池のほとり

ちょっとした庭園が見られ、つつじと思しき花々が咲き、休憩所のような建物との一体化した風景は、穏やかな佇まいに満ち溢れていました。

この時は6月でしたが5月上旬にはつつじまつりがあり、つつじは実に約5万株も植えられているといいます。

付近一帯丘陵という感じでしたが、こういった水辺の風景も少なからずありました。

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●緑と水辺の道

池から転じて小川の風景ですが、ここも緑いっぱいで藤棚があったり、今のような春の季節は特に良いのでしょうね、緑に満ち溢れて。

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●ホタルの里

6月になると沢山見られることでしょう、という事で、まさにこの時その6月でした。

夜見に行ければよかったのですが、こんな明るくては見えても意味がなく…で、夜もこの公園はおススメですよ、という事になるでしょうか。

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●西山古墳群

ここの丘陵を長泉寺山といいますが「長泉寺山古墳群」と総称され約70基の古墳があると記されていました。で、ここにある西山古墳群はその支群のひとつであると。

この場所の傍が1号墳で、あと3号墳4号墳の場所が示されていましたが、約1,700年前のものとされています。

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●街を見下ろし

西山から鯖江の街を見下ろした風景です。

それなりの高さまでくるので、こんな感じで街並みの一部が見えます。この辺りは緑が多いですが。

右端真ん中の辺りが最初の写真の橋になります。

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●冒険の森

という標識に沿って進めば、このようにアスレチックがありました。

運動もできるようになっている訳です。

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●運動会

下りてきての様子ですが、近所の小学校で遠藤会があったようで周辺も賑わっていました。良い時に来たなと思ってしばらく眺めていました。

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西山公園は11月のつつじが咲き誇る頃が見ごろだという事で、その時にまた行ってみたいものです。それから『西山動物園』という動物園も隣接していて、そこへも行きたかったですが、今度行けるなら是非行きたいところです。

2018年4月12日 (木)

茨城/鹿嶋 鹿のいる神社

茨城県鹿嶋市、JR鹿島神宮駅からの歩き旅です。

(2011年8月当時)

●駅から…

鹿島神宮駅を背にした形で、鹿島神宮へ向おうという駅前広場の様子です。

この時は2011年夏…、春に東日本大震災が発生し、この鹿嶋市でも多数の被害が発生しており、この駅前広場の床面もブロックがガタガタになってしまっていて、工事用の柵が置いてありました。

この震災ではどうしても東北の被害がクローズアップされますが、関東でもこの茨城では少なからずあり、千葉県にも波及していたという事で、その範囲の広さと爪痕の深さを改めてここで思い知ります。

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●神宮への道

って野球の話ではありません。

鹿島神宮への道です。

ここはとにかく鹿島神宮の門前町の要素が濃い所です。

鹿嶋市ですが、鹿「島」神宮なのです。これは鹿嶋市という表記が佐賀県の鹿島市との混同を避けた意味合いがあり、それまで鹿島町であったここの自治体名が市制化されるにあたり鹿「市」となったのは1995年の事でした。

そしてこれは駅前広場から離れて上り坂になっているのですが、夏の暑い盛りに通ると、とてつもなく体力を消耗しました、それが当時の感想です。そんな感じで駅からほぼ400mで鹿島さんです。

道路が整備されているようないないような、という雰囲気ではありましたがね震災直後という背景があったのかもしれません。

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●塚原卜伝生誕の地

鹿島さんへの上り坂を歩く途中でちょっとした階段状のスペースがあって、そこには「剣聖」と謳われた塚原卜伝(=ぼくでん<1489-1571>)の像がありました。

この地、当時の常陸の国の鹿島で生誕したといいいます。生没年がこの通りであるとすれば、82歳没な訳で当時としてはかなりの長寿であったのではと思います。それも幾多もの真剣勝負を経験しながら、刃傷が全くなかったという伝説もあり、生死の背中合わせの剣豪として長寿を全うしたのは特筆に値すると思います。

そんなものを横目に見つつ、神宮への道を進みます。

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●鹿嶋マンホール

市の鳥キジ、市の花ハマナス、市の木マツというよくある市の〇〇の組み合わせでつくられたマンホールで、色がついてないとキジかハトかよく分かりませんでした。おそらく縞々のところでキジを表現したものと思われます。

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●レンガを抜ける

ひたすらレンガ色の床の坂をのぼってきましたが、街らしい?アスファルトの道路へ出てきて、ここには信号もありました。

先の塚原卜伝の幟が並んでいました。当時はNHKでBS時代劇としてまさにそのまま「塚原卜伝」が堺雅人さんの主演で放送されていました。津本陽さんの「塚原卜伝十二番勝負」をドラマ化したものでした。

ご当地にスポットが当たったという事で、観光地に華を添える形でこの幟も立ち並んでいたのでしょう。

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●ボール

鹿嶋といえば神宮も勿論ありますが、やはりこれ「鹿島アントラーズ」です!住友金属のサッカーチームが前身で、Jリーグ発足時はジーコなどもいましたし、アルシンドも一時非常に有名になりましたね。

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●鹿嶋神宮 看板

さてようやく鹿島神宮です。

まではこの看板から。

主な祭典の時期を写真付きで紹介されていますが、時刻まで記載されているのが何だか新鮮でした。大抵は「何月何日」の表記でとどまっているところですが、全て時刻つきという案内の親切さです。

真ん前に腹のでっぷり出た「布袋さん」が座ってるのも、なんともインパクト大でした。

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●門前町の街並み

鹿島神宮前の門前町の街並みです。

鹿島そばなどのお店が出ていました。

この石に埋め込まれた時計も何気にインパクトがありました。

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●神宮入口

大きな「鹿島神宮」の石碑を真ん中にしたカットですが、左端が入口になります。

ここにも先程の大看板と同様に主な祭典・行事の紹介があり、ここにも時刻が載っていました。こだわりの時刻載せという感じです。しかし祭典の数もただならぬ多さですね。

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●鹿島神宮説明&案内図

広大に敷地に600種もの植物が生育しているとありました。

緑の占める割合が高く、建物はその中の一部という感じがしました。

メインは楼門をくぐっての周辺エリアでしょうか、本殿拝殿宝物館といったものが囲むように存在していました。

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●楼門

このすぐ奥がメインゾーンというところですが、この赤を主体としたカラーリングは建物の大きさも相まって壮大な雰囲気満点でした。

この楼門は国指定重要文化財で、本殿拝殿仮殿など多くの建造物が同様に国指定重文という宝の山というか、文化財の宝庫という感じです。

この3年後に「御船祭」という式年大祭があり、その事が看板にも表されていました。1870年に復活したという事ですが、12年に一度の開催という事で現時点では2014年が最新という事です。

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●境内

震災発生当年でもあり、被害も少なからずで、復興義援金のお願いという事で呼びかけられていました。

あとは塚原卜伝の看板も。やはりTVの力ですね。

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●拝殿

これも重要文化財ですが拝殿です。

祭神は武甕槌大神(たけみかつちのおおかみ)とされ、雷神かつ剣の神とされ、また相撲の元祖ともされるという多くの顔を持つ神様です。当地に因んで鹿島神とも。

ここ鹿島大社や春日大社、そして全国の同名大社にも祀られているといいます。

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●国宝 直刀

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●拝殿を奥へ

楼門を入って拝殿や本殿等メインの最も賑わったエリアから更に奥へ並木道を進んで行きます。

そこに、この神宮の文字通り奥深い部分が現われるのでした。単なる神社仏閣にとどまらないものがそこにはあったのでした。それがこの次。

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●神鹿について

説明板がありましたが、このバックに鹿園がありました。

ビックリしました、単なる大きな神社と思ったら鹿が居るちょっとした動物園の要素も中にあったとは!というところで。単に動物園というのではなく、この神宮の使いが鹿であるという事で「神鹿」とされていますが。

この地は元々香島とされていたのが今の鹿島となったのも、鹿との縁によるものとされており、確かに鹿島って「鹿」の字だよなと初めてここで意識したのでしたwinkって何回「鹿」って書いたのでしょうか?(笑)

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●鹿!

奈良でも宮島でもなく、鹿が沢山居ました。

立派なツノが生えたものもいれば、ツノなしもいて、皆それぞれでした。

こんな所で鹿を見れるなんて思ってもみませんでした。

この時拝殿でお参りしたら帰ろうかと思っていたのですが、その先の何もなさそうな並木道をよく歩いて行ったもんだな、と我ながら感心しました。これを見るのと見ないのとでは鹿島神宮に対する印象は全く違ったものになっている訳で。

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●さざれ石

最後の写真は…右とか左とかあんまりそういうのはないのでアレなんですが、これは日本国家の「君が代」に出てくる「さざれ石」というものです。この時、それとして初めて意識して見たような気がします。

そもそもさざれ石とは、「小さな石」を意味するといいますが、小石の欠片の隙間を炭酸カルシウムなどが埋める事で一つの大きな岩の塊に変化したものを指すともいいます。これもその姿なのでしょう。でも君が代で歌われているのは本来の「小さな石」という意味だそうです。

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2018年4月11日 (水)

静岡/伊東 温泉レスで街を眺む

静岡県伊東市、JR伊東駅からの歩き旅です。

(2012年1月当時)

●駅前通り

駅前のど真ん中を通るメインの通りです。

車道にアーケードつきの商店街が続く格好でした。

ここは割とありふれた感じの雰囲気で、むしろここから逸れた通りの方が賑わっていて、楽しげな感じでした。

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●マンホール

伊東市のマンホールです。

荒波にのまれている人たちのようで、なんだこれ??と思って調べたら「松川タライ乗り競争」を表したものだそうです。

直径1mのタライに乗って、しゃもじのような櫂で漕いで400mくらいの距離を競争するものだそうで、4つのタライを繋げての「団体レース」もあるといいます。

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●湯の花通り

駅前通りとは南へ平行に走る通りですが、賑やかな通りで、車の行き来も多く、お店もそれぞれ派手な感じでした。天狗の鼻が伸びてるやつとか印象的でした。

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●駅前仲丸通り

駅前通りのすぐ南側にある平行な通りです。

狭い路地にお店が密集して、人の通りも賑やかで、メインの駅前通りだけ通って変えるのと、少しそれてこの通りを通って帰るのとでは、この伊東駅前に対する印象が全然違ったものになるでしょう。

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●犬の皆さんへ

ユニークな注意書きがあったので撮りました。

犬の散歩させてる人間へというより、人間を散歩させてる犬の皆さんへという目線で書かれていて。ちゃんと人間にスコップと袋を持たせてください、と。

たばこのポイ捨てやこういう糞尿の始末の関連ってここ20年くらいで急速に美化というか意識が向上したなと思います。昔なんてホントにそんなマナーあったかな、ってくらいたばこのポイ捨ても普通に見かけましたし、そもそもTVでもフツーにやってたのを見て育ったので逆にそれ基準になってしまっていますが…。

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●猪戸温泉通りの由来

猪のブロンズ像の下には「猪戸温泉通りの由来」として記されていました。

「中伊豆方面に至る伊東温泉の玄関口として古くから拓けました」と。猪戸=伊東と思いましたがそうでもないのでしょうか?この猪戸は「いど」ではなく「ししど」と読みます。ジョーですよ(違いますcoldsweats01)

猪が温泉の湧出を発見し、猪戸の元湯として親しまれて来たとも記されています。昔の温泉は動物が湯治していた系の話が多いですね、ここも御多分に漏れずという感じで。

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●本町

横道それた筋に本町商店街というものがありますが、この幹線道には本町というバス停があります。

狭い商店街に店や人が密集していて、こういう広めの通りには人影まばら、というのが個人的なこの街に対しての印象でした。そのギャップがすごくありましたね。

で、本町バス停ですが本数はかなり多いです。東京の都心でもこんなにバス来るか?ってぐらいの本数がありました。

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●東海館

伊東の地を歩いてて印象的だったのは狭い中の密集具合という事を書きましたが、見たものについていえば、この「東海館」が実にインパクトがありました。下に3枚あるうちのいちばん下のカットは裏手からの眺めになります。

昭和初期の建築様式をそのまま残す佇まいで、このカットでは人は写っていないように見えますが、人のいない隙を狙って撮ったもので、結構絶えず人通りがあって写真を撮る人も少なからずでした。

この時は知りませんでしたが、土日祝は時間限定で日帰り入浴できるのだとか。

昭和3(1928)年創業とありました、以来約70年旅館として活躍してきた建物ですが、旅館としては1997年にその役目を終え、伊東市に寄贈される事となり、伊東市文化財として、その姿を今の世にも留める事になったといいます。旅館ではもう現役ではないのが少々寂しいですが、往時の姿を今も見せてくれる、建物を維持してくれるというのは嬉しい事ですね。

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●浄ノ池通り

とにかく「〇〇通り」に数多く出くわしたこの伊東の街、次はこの浄ノ池通り です。

浄円寺の池ということですが、江戸時代の元禄大地震の頃に浄円寺と池があり、大名らの宿舎として利用れていた辺りで、お寺だけ別の地に移って池だけが残ったか格好となり、それがいつしかこの呼び名になったとありました。

この池から微温湯が湧出するとして南国産魚類の棲息を可能として観光客で賑わったとの記載もありました。しかし1958(昭和33)年に狩野川台風で、棲息魚類を失い指定解除になったともあり、かなり災害に振り回された歴史を持つエリアという事になりましょうか。

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●和田の大湯

として看板のついている立派なこの建物は「和田湯会館」です。

健康長寿の風呂 和田寿老神の湯とも表されています。

開館が14:30~でこの時まだほんの昼過ぎで入る事ができませんでした、ここに行きたい場合は事前に開館時間のチェック要ですね。

江戸時代に将軍に献上されたという伊東最古の源泉を引いているとして、長寿の湯などといわれ建物は新しい感じですが伝統と由緒ある温泉地という事でしょうか。1936年には種田山頭火が入浴した歴史を持ち、かなり由緒正しさを感じさせます実は。

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●アーケード商店街

冒頭では歩道のみにアーケードのついた幹線道沿いの商店街がありましたが、こたらは完全に歩行者用の、ホコテン形式のアーケード商店街です。駅前に色んな商店街があるのも、この地の特徴の大きなひとつでそれもひとつひとつにかなり表情が違うのも魅力であり特徴かと思いました。道幅の広さ、屋根の有無、人の賑わい具合、どれもが十人十色というか、様々でバラバラで個性的でした。

伊東温泉のバス停も駅からそんなに遠くない所にあったり、温泉を愉しむのが第一義かもしれませんが、時間もあまりなかったし時刻の関係で入れなかったのもあったので、温泉には浸かれませんでした。

今度伊東に行く時は絶対どっか温泉には浸かってこようと、このブログを書いていて固く心に誓ったのでした、ってそんな暇がいつ訪れるやら…ですが。

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2018年4月 8日 (日)

JR伊東駅 (静岡県伊東市)

静岡県伊東市のJR伊東(いとう)です

伊東市では伊豆急行/伊豆高原駅をupしていますが、今回は市名を名乗る駅の御紹介です。

-JR伊東駅-
【路線】
JR伊東線(熱海-伊東間)
    伊豆急行線(伊東-伊豆急下田)

【開業】1938年12月15日
【訪問】2012年1月
【1日あたり平均乗車人員】 JR-7,576人/日 (2016年)
                  伊豆急-5,296人/日(2016年)

【近隣の主要駅 (熱海方面)熱海駅→5駅  
            (伊豆急下田方面)伊豆高原駅→5駅


●駅名標

JRでは東海道線の熱海駅から分岐した「伊東線」の終着で、ここから伊豆急で伊豆急下田へ続く「伊豆急行線」の始発でもあり、会社の違う両路線を繋ぐ役目を担っています。1938年に開業していますが、当時は国鉄のみで終着駅の状態でしたが、61年に伊豆急が開業したため、伊豆急下田まで約45km南へ延伸されて、両社路線をつなぐ駅としての役目を担う事となりました。

昔の国鉄のようなひらがなが前面に出た駅名標に「?」となりました。

両隣駅はJR(うさみ)と伊豆急行(みなみいとう)のそれぞれ別会社の隣駅が表示されています。これはここ伊東で一旦運行が途切れるものもあれば、伊豆急からここ伊東を経てJRに乗入れて熱海まで直通する便もあるので、実質途中駅という状態からきているものと思います。

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●ホーム

右側が2番線、左側が3番線です。左側隠れている部分に1番線があり、2面3線のホームになっています。屋根のあるゾーンが広くて市の中心駅的な雰囲気がありました。

ここにもありますが東海道線への乗入れもあり、電光掲示板の次発電車には東京行きの表示があり、東海道線から逸れているものの、東京駅へも電車1本で行く事ができます。

エスカレータでここから下りて行く形で、高架駅ではありませんが、地下でつながる形です。エスカレータの手前では、直進すると1番線と出口への案内となっています。

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●ホーム2

駅事務室周辺の様子です。待合室かと思ったら違いました。

伊東駅ご利用ありがとうございました、を書いてあるのですが、文字の切れ目が(笑)

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●シャボテン

伊豆シャボテン公園という約1500種類のサボテンを有する公園があり、そこには動物も120種ほどいるという事で、カピバラの露天風呂も見られます。

カピバラの入浴はすっかり有名になり、カピバラ温泉は全国で20ヶ所もあるといわれていますが、その元祖はここであるとの事です。その「カピバラの露天風呂」の企画は本園では本日4/8(日)までだそうです。

サボテンは推定150歳のものもある、とこのように駅構内でPRされていました。横にはカピバラも(笑)

このシャボテン公園へは伊東駅からバスで約35分、タクシーだと約25分とありました。

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●歓迎看板

人口7万弱の小都市の部類になるかと思いますが、そこはさすが「伊東温泉」という観光資源に恵まれた地で、バックにある大きなビル群など、人口規模に見合わない都市感に溢れていた駅前でした。

歓迎看板では、伊東温泉の画をメインとしながら「日本初!様式帆船建造の地」との文言が記されていました。

伊東温泉がどの程度有名なのかあまりわかっていませんが、1分あたりの湧出量が日本一であったり温泉地としては由緒ある地です。

周囲に熱海や箱根、伊豆など温泉リゾート地が集中しているので多少陰に隠れている感もあるかもですが、こうしてあげてみて改めて巡りたくなってきました。

この時は駅前の街巡りしかしていないので、温泉浸かれば良かったと後悔ものです。

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●駅前広場

広い駅前スペースにズラリと並んだタクシー群、人口7万程の駅の中心地前と思えない都市感で、やはり由緒ある温泉地は違うなというところで。

このビル群も都心みたいにこれがずっと延々と続いて行く訳ではないのですが。

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●伊東駅 駅舎

白壁にオレンジ屋根というどこかの駅で見たような感じですが、駅舎自体はものすごい大規模感はなく、人口相応という感じでした。

東海道線からは外れていますが、三島駅とか掛川駅とか県内の新幹線をも有する駅と同規模という個人的な印象としてはそんな感じです。

開業当時の建築という事でも今年で開業80周年を迎えますが、当時の雰囲気を今に伝える駅でもあるのですね。

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2018年4月 7日 (土)

アンジュルム和田彩花ついに卒業発表

4月5日、アンジュルムのリーダーであり、ハロー!ブロジェクト全体のリーダーも務める和田彩花さん(23)の卒業が発表されました。以後彼女の事を愛称である「あやちょ」と書きます。

 皆さまへ

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あのあやちょが遂に卒業発表…衝撃的というか、まさかと思って見ていたら現実でした…このあやちょの推しだけにショックを通り越して放心していました。

やはり「ハロプロ25歳定年説」の壁にまたもやられてしまったのか…。去年引退したももちこと嗣永桃子さんや先代のハロプロリーダーで℃-uteの矢島舞美さん、更に先代のハロプロリーダー道重さゆみさん…みんな25歳で卒業しています。初代モーニング娘。リーダーの中澤裕子さんは別として。

正直あやちょだけは、この25歳の壁を越えて、30歳に手が届くくらいになってもアンジュルムで歌って踊っているんじゃないか、と思わされ、本人もずっといつまでも活動していたい、と言っていたのですが…。あやちょをもってしても抗しがたかったこの「25歳の壁」、かなり分厚かった。まぁこれをいうとハロプロではjuice=juiceの宮崎由加さんは4月2日に24歳になり、モーニング娘。18の飯窪春奈さんも来年11月には25歳になりますが…

激しいダンスを踊りながら一定の歌唱力を求められ、1日に複数回まわすコンサートやリリースイベント、個別握手会やその他イベントなど、激務を強いられるハロー!ブロジェクトの活動において、25歳というのはある程度その限界とされる年齢、と事務所が定めているのか?と思わされてしまいます、ボクサーが原則35歳以上がNGと聞いた事がありますが、そんな感じなのかも。まして女性たちなので結婚等のライフサイクルに対する考慮や、元々のプロデューサーであるつんく♂の「アイドルとしての人生のその先を考えてほしい」という思想も反映されているのかもしれません。

あやちょは今のハロプロではリーダーであり、様々な記録?をもつレジェンドのような存在です。

ハロプロエッグ一期生

今でいう「ハロプロ研修生」で、現在28期くらいまであると思いますが、その1期生として1期生メンバーの一人として入ったのがあやちょです。2004年に入ったので、来年の卒業まで15年のキャリアをハロプロに捧げる事になります。

このエッグ一期生でいまもハロプロメンバーとして活動しているのはあやちょただ1人であり、その前まで残っていたのはやはりアンジュルムの「まろ」こと福田花音さんで2015年11月まで在籍していました。あやちょはここから3年半も唯一のエッグ初期ハロメンとして活動する事になるのですね。

ハロプロ以外であれば、このエッグ初期メンバーはアイドルやその他の世界で活動しています。かつてTHEポッシボーと称していた「チャオベラ・チンクエッティ」や、「アップアップガールズ(仮)」のメンバーも同期ですが、ハロプロ一筋でここまできたエッグメンバーは和田彩花ただ一人、ずっとハロプロをエッグ初期として守り続けてきたのです。

スマレイージ オリジナルメンバー

アンジュルムは現在10人のメンバーで活動していますが、元は4人組グループ「スマイレージ」としてデビューしました。今でもアンジュルムといわれてもピンとこず、スマイレージは知ってるという芸能人も少なからずで、それくらいのグループでした。

デビュー当時の華やかなメディアでのもてはやされぶりは、今とは全く別物という感じでした。もっとも最近は女優の蒼井優さんがアンジュルムのファンである事を事あるごとに公言しているので、その名も知れ渡ってきているのでは、と思いますが。

そんなスマイレージは2009年に結成され、4作のインディーズリリースを経て、翌2010年5月に「夢見る15歳」でメジャーデビュー、そこから快進撃とみえる重用ぶりで当時のハロプロ先輩グループのどこよりももてはやされていた感が勝手にですがありました。

年末には日本レコード大賞の最優秀新人賞も受賞し、翌2011年も精力的に活動を続けてきてまさに順風満帆、快進撃に死角なし、と思われていました…

が、2011年中にオリジナル(初期)メンバー4人のうち2人が卒業、4人の2期メンバーを迎え入れ、という展開の中ですっかり流れが変わってしまいました。その後の経緯を経て2015年11月に2人残った初期メンバーの一人である福田さんが卒業して以来、唯一の「スマイレージ」初期メンバーとして、スマイレージ→アンジュルムの全歴史を経験してきた、それがあやちょでした。その初期メンバーが遂に来年にはいなくなってしまいます。

一貫してリーダー

スマイレージ初期からリーダーに任命され、当初はリーダーってあってなかったような全員横並びの中で活動していましたが、メンバーの入退場を経験する中で確固たるリーダーとなっていきました。2期が入った頃はまだ横並びの延長のような感じでしたが、3期以降が入ってからは絶対的リーダーの雰囲気満載と感じました。

スマイレージでリーダーとして、改名したアンジュルムでもリーダーとして引き続き活動し、これを続けながら2017年からはハロプロ全体リーダーとして、文字通りグループをハロプロを引っ張ってきた大功労者な訳で、最後にはどんな舞台が用意されるのか?気にかかるところではあります。

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改名して活動

芸能界ではそこそこ名の通った「スマイレージ」の名を捨てて、アンジュルムに改名されたのは2014年12月、3期メンバーを新たに迎え6人→9人になり、一般公募で新グループ名を募り、スマイレージから一新して活動する、という事で大変話題になりました。

アンジュルムになってからはアツい、カッコいい系の曲が連発され、スマイレージ時代のかわいい曲とは打って変わって、というところでした。それだけ再出発の意味合いが大きかったと思いますが、来年スマイレージ結成以来のメンバーであるあやちょの卒業で完全に初期メンバーが居なくなり、ここからが本当の再出発になるのかなと思います。あやちょが卒業発表のブログで書いていた「意味作用が働く」という事なのでしょう。

個人ブログ

あやちょはグループ活動をしている現役ハロプロメンバーの中で唯一、ブログが個人専用となっています。他のメンバーはグループごとであったり、モーニング娘。18などは期ごとにブログが分かれていて(アンジュルムの他のメンバーも同様)、何かしらシェアをしているのですが、あやちょだけは「和田彩花オフィシャルブログ」なのです。

スマイレージ初期メンバーがすべて個人ブログであった事から、その名残で唯一残ったあやちょだけが個人ブログ所持者となった訳です。スマイレージは当初メンバー4人全員が個人Twitterアカウントを持っていて、その厚遇ぶりが窺えるというものです。今のハロメンではほぼ有り得ない事です。

さて、そんなあやちょですが、これまで書いた中でも様々な経験をしているのですが、ここからは自分が見た中で印象的なものをつれづれなるままに書いていこうと思います。

◎歌唱力

あやちょは5年間の研修を経てスマイレージのメンバーに抜擢され、デビューする訳ですが、独特の甘ったるい声ゆえか歌唱に関しての評価が高かったとは正直言い難かった向きがあったと思います。

もちろん甘いかわいい声が良い、との賛同の向きも多かった事と思いますが、ボイトレで厳しく指導される動画もありました。個人的には当時から推しでしたが、正直歌唱に関してはまぁいいかという感じで、活動さえしてくれて誰にも出せない天性のキラキラ感を放ってくれればそれでいいと思っていました。

しかし、、

その歌唱に転機がおとずれた、と感じた時期がありました。

それは2013年、シングルリリースの時期でいえば「ええか!?/良い奴」の頃でした。特に「良い奴」のソロバート♪10年先でも、の部分です。何だこの堂々とした伸びやかな歌唱は??あやちょなの?という感じで。以来この部分をかなり何度も再生していましたね(笑)

やはりグループ歌唱で、全員にそれなりのソロバート割がある状態では、声の質や大小など変化が出るというもので、それが楽しみでもある訳ですが、悪い意味で落差が大きくなってしまう事もある訳ですね。しかしこの「良い奴」のあやちょソロはその悪い意味の落差がなく、「引けを取らない」といったら失礼かもしれませんが、これはあやちょいいぞ、とめちゃくちゃ思いました。

それからというもの、独自の歌唱スタイルをすっかり身につけて声量もぐっと上がり、パフォーマンスも揺らぎないものへなっていったように思えました。

◎舞台

それまでの舞台には色々出ていたようですが正直把握しておりません、個人的に初めて知ったのがBerryz工房とスマイレージで共演した「我らジャンヌ」でした。これが歌唱が飛躍的に向上した最たるキッカケではなかったかと思っています。

何故ならばこの舞台ではBerryz工房・菅谷梨沙子さんとのダブル主演であり、クライマックスではその梨沙子とサシで歌唱するシーンがありました。それも壮大に歌い上げるものでした。

梨沙子といえばBerryzで最年少にして歌唱面では絶対的エースとして君臨し、規格外の声量と歌唱力を誇るメンバーです。そしてあやちょとは同学年とはいえ、梨沙子の方が先輩な訳で、この相手と2人で声を合わせて歌うというのは相当なプレッシャーだった事でしょう。

一緒に歌う以上、音は外せないし声量も上げないと梨沙子1人で歌っていると思われる…とにかく猛練習したに違いない…いろんなことを考えながら、梨沙子とタメで堂々と歌い上げるあやちょを見ていたら自然と涙腺も緩んだというものです。

次に見た舞台が「Lilium」で、ここではスノウという薄幸イメージ満載の主人公(モーニング娘。14(当時)の鞘師里保さんとのダブル主演で、色々救いようもない話でただただ切ない思いで見ていました。この部台では正直他のメンバーのものすごい演技に圧倒されていました。その時の2人が共に今は卒業して、女優の道に進んでいます。

次が「Smile Fantasy」、この時の初日が3期メンバーの加入発表日でした。会見が現場であるかな?とか思っていましたが流石になくて、現場に居ながら結局Twitterで事を知った訳です。

さて「Smile Fantasy」ですが、それまで薄幸のイメージしかなかったあやちょの役柄に、ようやくきた等身大の役柄。この時スマイレージが終わってしまうという現実とのはざまで複雑な思いでこの楽しい舞台を見ていました。

その後「MODE」「夢見るテレビジョン」と業界ものが続きますが、それまでのアイドル枠に収まらずキャリアウーマン的な役どころへとシフトしていってました。特に後者のヒールっぽさには、いつの間にこんなに懐が深くなっていたのか?と感じざるを得ませんでした。

◎乙女の絵画案内

あやちょが著者デビューした絵画の案内本です。

この発売日である2014年3月15日、スマイレージの福岡ライブ当日でした。

その当日に現場の物販でこの本が発売されるという事で買いました。そしたらその後、昼ライブと夜ライブの合間に、あやちょ本人が物販に降臨してきました。本人が買いに来た客に対して本を手渡ししてくれる、というものです。

既に1冊買っていたにかかわらず、また並んで買いました。で、そのお会計をしてる間にあやちょが「え!もう買ってるじゃん!」と言ってきて、ちょっと話ができた事がホントにもう嬉しかった…、個別とか行かないのでなかなか話す事もないのですが、剥がしなしでフリーで話せたのがかなり貴重でした。

◎歌詞とばし

あやちょは大舞台ではビシッとキメてくれますが、ライブハウスのツアーではしばしば自分の歌割を忘れて無音になったりして、生歌ならではなんですが、ちょっと大丈夫かな?と思ったりしましたが、ホールや武道館では全然それがないので、まぁいいかなんて思いながら見ていました、いやまだ過去形にしてはダメですね。

まだまだ書きたい事があるはずですが、取り留めもない事が長々となってしまい、とりあえずここで切ります。

これから1年間、卒業までしっかり見届けたいと思います。

2018年4月 6日 (金)

JR町田駅 (東京都町田市)

東京都町田市ののJR町田(まちだ)です

町田市は、東京都の中南部に位置し、人口は434,419人(2017.10.1現在)です。東京都中央部分の最南端にあるという事です。日本の首都のある東京都にあって、東京23区そして八王子に次ぐ都下3番目に多い人口を誇る町で、周囲も横浜市や相模原市、川﨑市など大都市中の大都市に囲まれている地形となっています。

-JR・小田急/町田駅-
【路線】
JR横浜線(東神奈川-八王子間)
    小田急小田原線(新宿-小田原間)

【開業】JR-908年9月23日
    小田急-1927年4月1日

【訪問】初訪問-2001年8月
【1日あたり平均乗車人員】 JR-112,447人/日 (2016年)
                  小田急-291,302人/日 (2016年) 
小田急は乗人員
【近隣の主要駅 (東神奈川方面)新横浜→7駅  
            (八王子方面)→相模原駅→4駅
            (新宿方面)新百合ヶ丘駅→4駅
            (小田原方面)相模大野駅→隣駅


●駅名標

ここへ初めて訪ねたのが2001年の事でありますが、この記事では2013年再訪時の様子をお届けします。

JR横浜線の駅としてはこのブログ初登場ですが、見事なまでに大都市に囲まれている状態で、また東京都に属していながら、新横浜などの横浜市と相模原市の神奈川県に挟まれる格好で、神奈川→東京→神奈川という具合です。

新幹線で新横浜から横浜線に乗換えて7駅で着きます。地方から出てきてもそこそこ短い時間で着きます。

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●ホーム

JRのホームですが2面4線あります。

小田急の駅もあるのですが、利用しなかったのと、ここからやや離れているのともあり、そちら側は撮っていません。また、このJR側は地上ホームで、小田急側は高架ホームとなっています。

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●横浜線の利用案内

という事で、真ん中らへんの緑の横線が横浜線にあたり、新横浜から内陸の八王子へと斜めに伸びていく感じです。

ダイヤは見た通りです。都心よりはやはり少ないけど、それなりの本数はあります。

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●駅前オブジェ

駅を出て2F部通路広場にこのインパクトのあるオブジェに出くわします。

これ、上の模様?というか格好が違っています。別角度ではなく同じ角度から撮ってのこの形です。この上の部分が常に動いているんです。フニャフニャっとした感じで動いていてなんだか不思議な気分になります。個人的に町田といえば、これを真っ先に思い浮かべます。

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●駅前

駅から出た2F通路の延長上から眺めた様子です。

左がOIOI、オイオイではなくマルイです(笑)昔は丸井百貨店とかいってたんですかね。

向こうには小田急町田駅の片鱗が覗いて見えます。

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●ジョイント廊下

町田駅からの風景でかなり印象的なもののひとつとしてこれがあります。

両建物の間をこの渡り廊下だけで繋いでいる格好のものです。

よくどっかでパキッと折れたりしないな、と思って来る度毎によく見つめます。

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●町田駅 駅舎

2F建てで2F通路の面積が多く取られている事から、なかなか全体像を撮りにくい駅舎で、関東の都市駅はこういう傾向が強いですね。

独特のJRマークと共に駅名が表示されている部分は2F出入口の屋根部分であったりして、なかなか撮れないし写らないという感じで、正直あまりこの辺の駅舎って撮り甲斐の無さを感じます。

これが今の東京第3の都市の中心駅舎の部分です。

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2018年4月 4日 (水)

福鉄/西鯖江駅・西山公園駅 (福井県鯖江市)

福井県鯖江市の福鉄/西鯖江(にしさばえ)西山公園(にしやまこうえん)です。

まずは西鯖江駅から。

鯖江市では以前にJR鯖江駅をupした事がありますが、これに続く駅としてupします。

 -福鉄/西鯖江駅-
【路線】
福鉄福武線(越前武生-田原町間)
【開業】1924年2月23日
【訪問】2006年6月
【1日あたり平均乗車人員】 348人/日 (2015年) 
【近隣の主要駅 (越前武生方面)越前武生駅→5駅
           (田原町方面)田原町駅→18駅


●駅名標周辺ホーム

福井鉄道の福武(ふくぶ)線という路線に属していますが、この路線は福井市内だけではなく、越前市やここ鯖江市にも跨った路線となっており、鯖江市では中心のJR鯖江駅とは500m程の距離があります。この辺りではJRと福井鉄道が距離が近づいたり遠ざかったりしつつ平行に通っています。

この時は少し前になりますが2006年でした。JR鯖江駅前のホテルに泊まりましたが、この駅から歩いてきました。直線距離だと500mほどですが、歩くと800mあまりで10分はかかったかと思います。

福鉄沿線では鯖江市内で6駅ありますが、その中では最大規模の駅かといえます。JR鯖江駅のような市を代表する駅ではないものの、最も中心に近いのも大きいと思います。

ホームの内側に段差があり、数段下りて電車に乗り込む形になりますが、こうして見ると少々危ないなと感じます。

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●ホーム2

この駅ではあまりあちこち撮っていませんが、ホームから横を向いて線路の向こうが見える形でのカットです。

向こうにはプチトンネルが見えました。

ホームは相対式の2面2線で、それ自体が大規模ではなく普通かなというところです。

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●駅前

というか駅横というか、駅舎真ん前の通路周辺です。

左が駅舎の一部ですが、これだけでも結構な規模である事は窺えます。

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●西鯖江駅 駅舎

福鉄の沿線ではこれほどの規模の駅舎はあまりなく、鯖江市内では福鉄では最大と思います。

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つづいて、西山公園駅です。

-福鉄/西山公園駅-
【路線】
福鉄福武線(越前武生-田原町間)
【開業】1924年2月23日
【訪問】2006年6月
【1日あたり平均乗車人員】 不明
【近隣の主要駅 (越前武生方面)越前武生駅→6駅
           (田原町方面)田原町駅→17駅

●駅前

広くない駅前スペースに無理矢理車が停められていました。

この時は近くの小学校の運動会だったのか、かなり賑やかな様子で、この関連で車を止める場所がなかったのかもしれませんが、こんな感じでした。

駅前の出口から線路に沿って申し訳ほどのスペースがある程度で、沿線の単なる1駅に過ぎず、無人駅なので乗車人員記録もありませんが、この時が最も駅前がこんなに溢れた感じだったのかもしれません。

駅構内の様子を撮っていなかったのが惜しむらくところでした。

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●西山公園駅 駅舎

上の写真から近寄っただけのカットです。

東山公園もという駅は鳥取県米子市や名古屋の地下鉄にありますが、これと反対の西山公園があるのか!とこの時は思いましたね。ここの訪問も西鯖江駅と同じ2006年です。隣駅で近くて駅間は0.7km、全然歩いて行けます。

西山公園とは市内でも観光名所といえる緑いっぱいの景色が広がり、アスレチックなどもある大規模公園です。2011年度の統計によると年間訪問者数は100万人強で、これは福井県では東尋坊に次ぐ多さという事で、人気の高さが窺えます。西山動物園という動物園もあります。

開業も西鯖江駅とおんなじ1924年ですが、当初は「下鯖江」駅と称されていて、1987年になって現駅名を名乗っています。西鯖江の隣が下鯖江だったのですね。

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以上、西鯖江駅と西山公園駅でした!

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