茨城/鹿嶋 鹿のいる神社
茨城県鹿嶋市、JR鹿島神宮駅からの歩き旅です。
(2011年8月当時)
●駅から…
鹿島神宮駅を背にした形で、鹿島神宮へ向おうという駅前広場の様子です。
この時は2011年夏…、春に東日本大震災が発生し、この鹿嶋市でも多数の被害が発生しており、この駅前広場の床面もブロックがガタガタになってしまっていて、工事用の柵が置いてありました。
この震災ではどうしても東北の被害がクローズアップされますが、関東でもこの茨城では少なからずあり、千葉県にも波及していたという事で、その範囲の広さと爪痕の深さを改めてここで思い知ります。
って野球の話ではありません。
鹿島神宮への道です。
ここはとにかく鹿島神宮の門前町の要素が濃い所です。
鹿嶋市ですが、鹿「島」神宮なのです。これは鹿嶋市という表記が佐賀県の鹿島市との混同を避けた意味合いがあり、それまで鹿島町であったここの自治体名が市制化されるにあたり鹿嶋「市」となったのは1995年の事でした。
そしてこれは駅前広場から離れて上り坂になっているのですが、夏の暑い盛りに通ると、とてつもなく体力を消耗しました、それが当時の感想です。そんな感じで駅からほぼ400mで鹿島さんです。
道路が整備されているようないないような、という雰囲気ではありましたがね震災直後という背景があったのかもしれません。
鹿島さんへの上り坂を歩く途中でちょっとした階段状のスペースがあって、そこには「剣聖」と謳われた塚原卜伝(=ぼくでん<1489-1571>)の像がありました。
この地、当時の常陸の国の鹿島で生誕したといいいます。生没年がこの通りであるとすれば、82歳没な訳で当時としてはかなりの長寿であったのではと思います。それも幾多もの真剣勝負を経験しながら、刃傷が全くなかったという伝説もあり、生死の背中合わせの剣豪として長寿を全うしたのは特筆に値すると思います。
そんなものを横目に見つつ、神宮への道を進みます。
市の鳥キジ、市の花ハマナス、市の木マツというよくある市の〇〇の組み合わせでつくられたマンホールで、色がついてないとキジかハトかよく分かりませんでした。おそらく縞々のところでキジを表現したものと思われます。
ひたすらレンガ色の床の坂をのぼってきましたが、街らしい?アスファルトの道路へ出てきて、ここには信号もありました。
先の塚原卜伝の幟が並んでいました。当時はNHKでBS時代劇としてまさにそのまま「塚原卜伝」が堺雅人さんの主演で放送されていました。津本陽さんの「塚原卜伝十二番勝負」をドラマ化したものでした。
ご当地にスポットが当たったという事で、観光地に華を添える形でこの幟も立ち並んでいたのでしょう。
鹿嶋といえば神宮も勿論ありますが、やはりこれ「鹿島アントラーズ」です!住友金属のサッカーチームが前身で、Jリーグ発足時はジーコなどもいましたし、アルシンドも一時非常に有名になりましたね。
さてようやく鹿島神宮です。
まではこの看板から。
主な祭典の時期を写真付きで紹介されていますが、時刻まで記載されているのが何だか新鮮でした。大抵は「何月何日」の表記でとどまっているところですが、全て時刻つきという案内の親切さです。
真ん前に腹のでっぷり出た「布袋さん」が座ってるのも、なんともインパクト大でした。
鹿島神宮前の門前町の街並みです。
鹿島そばなどのお店が出ていました。
この石に埋め込まれた時計も何気にインパクトがありました。
大きな「鹿島神宮」の石碑を真ん中にしたカットですが、左端が入口になります。
ここにも先程の大看板と同様に主な祭典・行事の紹介があり、ここにも時刻が載っていました。こだわりの時刻載せという感じです。しかし祭典の数もただならぬ多さですね。
広大に敷地に600種もの植物が生育しているとありました。
緑の占める割合が高く、建物はその中の一部という感じがしました。
メインは楼門をくぐっての周辺エリアでしょうか、本殿拝殿宝物館といったものが囲むように存在していました。
このすぐ奥がメインゾーンというところですが、この赤を主体としたカラーリングは建物の大きさも相まって壮大な雰囲気満点でした。
この楼門は国指定重要文化財で、本殿拝殿仮殿など多くの建造物が同様に国指定重文という宝の山というか、文化財の宝庫という感じです。
この3年後に「御船祭」という式年大祭があり、その事が看板にも表されていました。1870年に復活したという事ですが、12年に一度の開催という事で現時点では2014年が最新という事です。
震災発生当年でもあり、被害も少なからずで、復興義援金のお願いという事で呼びかけられていました。
あとは塚原卜伝の看板も。やはりTVの力ですね。
これも重要文化財ですが拝殿です。
祭神は武甕槌大神(たけみかつちのおおかみ)とされ、雷神かつ剣の神とされ、また相撲の元祖ともされるという多くの顔を持つ神様です。当地に因んで鹿島神とも。
ここ鹿島大社や春日大社、そして全国の同名大社にも祀られているといいます。
楼門を入って拝殿や本殿等メインの最も賑わったエリアから更に奥へ並木道を進んで行きます。
そこに、この神宮の文字通り奥深い部分が現われるのでした。単なる神社仏閣にとどまらないものがそこにはあったのでした。それがこの次。
説明板がありましたが、このバックに鹿園がありました。
ビックリしました、単なる大きな神社と思ったら鹿が居るちょっとした動物園の要素も中にあったとは!というところで。単に動物園というのではなく、この神宮の使いが鹿であるという事で「神鹿」とされていますが。
この地は元々香島とされていたのが今の鹿島となったのも、鹿との縁によるものとされており、確かに鹿島って「鹿」の字だよなと初めてここで意識したのでしたって何回「鹿」って書いたのでしょうか?(笑)
奈良でも宮島でもなく、鹿が沢山居ました。
立派なツノが生えたものもいれば、ツノなしもいて、皆それぞれでした。
こんな所で鹿を見れるなんて思ってもみませんでした。
この時拝殿でお参りしたら帰ろうかと思っていたのですが、その先の何もなさそうな並木道をよく歩いて行ったもんだな、と我ながら感心しました。これを見るのと見ないのとでは鹿島神宮に対する印象は全く違ったものになっている訳で。
最後の写真は…右とか左とかあんまりそういうのはないのでアレなんですが、これは日本国家の「君が代」に出てくる「さざれ石」というものです。この時、それとして初めて意識して見たような気がします。
そもそもさざれ石とは、「小さな石」を意味するといいますが、小石の欠片の隙間を炭酸カルシウムなどが埋める事で一つの大きな岩の塊に変化したものを指すともいいます。これもその姿なのでしょう。でも君が代で歌われているのは本来の「小さな石」という意味だそうです。
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