2019年3月
          1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31            
無料ブログはココログ

« 2018年4月 | トップページ | 2018年6月 »

2018年5月の7件の記事

2018年5月30日 (水)

JR粉河駅 (和歌山県紀の川市)

和歌山県紀の川市のJR粉河(こかわ)です

紀の川市ではJR打田駅をupしていますが、今回はこれにつづいて紀の川市の駅についての記事をお送りします。

-JR粉河駅-
【路線】
JR和歌山線(王寺-和歌山間)
【開業】1900年11月25日
【訪問】初訪問-2009年8月
【1日あたり平均乗車人員】 1,112人/日 (2016年)
【近隣の主要駅 (王寺方面)橋本駅→9駅  
            (和歌山方面)打田駅→2駅


●駅名標周辺

「こが」でも「こなかわ」でもなく、 「こかわ」です。

紀の川市では2駅隣の打田(うちた)駅が中心駅とされていますが、ここ粉河は市を代表する観光名所のひとつである「粉河寺」の最寄駅として、市内の重要な駅となっています。

といっても和歌山線のみに属する形であり、沿線の紀の川市の駅もすべてこの形で、特別大きい駅というのがこれといってないところが紀の川市内の駅の特徴です。むしろJRではなく、和歌山電鉄の貴志駅というたま駅長の駅の方が断然有名で、JR駅にひとつ市内の分かり易い拠点駅がほしいものだと思いました。

2009年に初訪問しましたが、これはその時の様子です。2018年、今年再訪しましたが、特に大きくは変わっていませんでした。

Himg0260

●ホーム

1面しか見えていませんが、2面3線のホームです。

ホーム上に屋根のあるエリアがかなり小さく、拠点駅感があんまりない感じです。

向かいホームとは向こうの跨線橋で繋がっています。

Himg0261

●ホーム2

上の写真にも遠目に見えていますが、粉河寺の広告塔が立っていました。

こういうところはやはり単なる1駅にとどまらないところ、というものでしょうか。粉河寺はとにかく敷地の広いお寺で、すぐには回り切れないです。

当駅から北へ1kmとありますが、駅前の道路をまずはひたすらまっすぐ歩く事となります。

Himg0259

●駅前広場

とにかく粉河寺が観光名所であるこの辺りで、900m直進で粉河寺の案内板が出ていました。

傍にいるのはビリケンさんではなくて童男大士(どうなんたいし)というもので、粉河寺の中にもその像はありますが、千手観音の化身とされています。国宝となっている「粉河寺縁起絵巻」にも載る重要人物?とされています。

Himg0263

●粉河駅前通り

過去2回行きましたが、この道しか通った事がありません(笑)

駅からまっすぐ伸びていく道です、粉河寺もこの道まっしぐらです(笑)

商店街的な性格の強い通りという感じでしたが、あまり立ち止まって行くような所は記憶にはなかったです。中心街らしく金融機関は並んでいましたが。

Himg0265

●駅前東

駅からまっすぐ伸びている上の写真の道路は駅から北へ伸びていますが、こちらは線路と平行に、駅前広場から東へ伸びている道路です。

直進すると県道7号と交差する道で、この道自体も和歌山県道123号となっています。

Himg0268

●粉河駅 駅舎

平屋建ての横に長い駅舎で、北陸の小都市の中心駅のような雰囲気でしたが、あまり駅自体のスペースが広い訳ではなかったと思います。

この沿線だと岩出駅(岩出市)や打田駅(ここ紀の川市)などの市の中心駅がありますが、どれもこじんまりとしすぎるくらいの駅舎で「これ市の中心駅か?」と思わされるぐらい小さな駅舎で、ここがかなり大きい部類に入るのでは?と感じるほどです。

駅名表示のこじんまり感もこの辺り特有という感じでした。

ここから行くならズバリ粉河寺です。ここを行かない手はないかと。

Himg0267
Himg0271

2018年5月23日 (水)

名鉄/知立駅 (愛知県知立市)

愛知県知立市の名鉄/知立(ちりゅう)です。

知立市では同じ名鉄の隣駅である牛田駅をupした事がありますが、今回は市名を名乗っている当駅の御紹介です。

-名鉄/知立駅-
【路線】
名鉄名古屋本線(豊橋-名鉄岐阜間)
       三河線(猿投-碧南間)

【開業】1959年4月1日
【訪問】初訪問-1999年8月
【1日あたlり平均乗車人員】 32,344人/日 (2016年)
【近隣の主要駅 (豊橋方面)新安城駅→2駅  
            (名鉄岐阜方面)前後駅→4駅
            (猿投方面)豊田市駅→7駅
            (碧南方面)刈谷駅→2駅


●駅名標

初めて訪ねたのは1999年8月と実に20年近く前ですが、出張で行ったところであり、こうして写真に収める形でプライベートに訪ねる事ができたのは2013年2月の事でした。この記事の写真のその時のものです。

知立という漢字と「ちりゅう」という話し言葉で聞いただけの地名が全く繋がらず、初めて来た(行く)時に、「ちりゅう駅」に集合、と言われたものの、漢字が「知立」というのを想像できませんでした。ちなみに江戸時代の東海道の"ちりゅう"宿は「池鯉鮒」と表記します。

知立市にはJR駅はなく、名鉄名古屋本線に属していながら三河線にも属しています。三河線で2駅隣の刈谷まで行けばJRへアクセス可能です。

Dsc08452

●時刻表

名古屋方面の左側が平日で、右側が土曜日・休日のダイヤです。

ほぼ1時間平均14本くらいあり、4分に1本来るくらい、かなり頻繁なものとなっています。

名古屋までは特急に乗れば20分程度で着くいわば都市圏に位置しており、アクセス至便で本数も多く、利用者も多く非常に重要な役目を果たす駅でもあります。

Dsc08454

●ホーム

3面5線の広いホームを持ち、この事からもここが重要な拠点駅である事が窺えます。

この時は普通に地上駅でしたが、順次ホーム切替を進めている最中のようで、2023年に高架化完成とありました。

Dsc08457

●ホーム2

名鉄の赤い電車が停まっている時のカットです。

右側は4番線の表示が見え、刈谷方面となっています。刈谷でJRへ乗換が可能となります。

右側は5番線で金山や名古屋方面となります。

Dsc08458

●ホーム構造案内

3面のホームがありますが、それらが跨線橋でも地下道でもつながっている形でした。

今はちょっと変わっているようで、この後高架化へ向けて至る所工事中状態になってしまっているようです。

Dsc08459

●跨線橋

上の案内図の真ん中を横切る跨線橋です。

真ん中から撮っていますが、2番線へのものと5・6番線のものが各々突き当りにあります。

通路幅としてはやや広めで、重要な駅の割には不思議と掲示物が見られませんでした。なので荒涼とした印象を受けました。

Dsc08460
Dsc08461

●地下道

こちらは逆に地下道の方です。

向こうが2・3番線で、この右が4・5番線として分岐しています。

こちらには掲示物というか広告看板の形で多数ありました。

Dsc08526

●改札前

ホームの上、改札入った直後辺りにこのようなものがありました。(今もあります)

「知立の弘法さん」として知られる遍照院(へんじょういん)の遥拝所となっています。こんなプチ拝殿のある駅というのも特徴的ですね。弘法大師空海が1ヶ月滞在してできたお寺という由緒ある所で、当駅からでは徒歩20分といいます。(行ってませんが…)

Dsc08463

●駅前広場

バスターミナルが駅前広場の多くを占めているという感じでした。

のりばとしては4番のりばまでのようですが、屋根が目立つのかえらくスペース取っているような印象でした。横断歩道もバス専用とかしっかり書いてありました。

Dsc08464

●街へ繰り出す通り

バスターミナルを抜けて駅前の通りを出んとするところにこのような通路があり、左には観光案内看板があります。

左向こう側の木辺りにアーチがありますが、何かあればそこにイベントなどが看板として出されていますが、この時は何もなかったのでしょうか、アーチが骨組みだけになっていました。

Dsc08466

●知立駅 駅舎

どこが一番分かり易いか?考えながら撮りましたが「知立駅」の表示が分かり易いのはこの角度でした。端から撮るような感じで全体像とか規模感が掴みがたいのですが、大体こんな感じの駅という事で。

2023年に高架化される時はどのような姿になっているのか、その時また行ってみたいものですね、実はつい先週行ったのですが駅舎の外観としてはまだこのまんまでした。

もうすこし大きくなっても良い駅だとは前々から思っていましたが、5年後に大きくなっていたら良いなと。駅構内に色んなテナントを抱えたりするような。

そんなこんな妄想?を膨らませつつこの駅の記事を終わります。

Dsc08473

2018年5月19日 (土)

JR西舞鶴駅 (京都府舞鶴市)

京都府舞鶴市のJR西舞鶴(にし・まいづる)です

舞鶴市ではJR東舞鶴駅をupしていますが、今回は同じ舞鶴市内で東舞鶴駅とツートップというべき存在のこの駅についての記事をお送りします。

-JR・京都丹後鉄道/西舞鶴駅-
【路線】
JR舞鶴線(綾部-東舞鶴間)
    京都丹後鉄道宮舞線(西舞鶴-宮津間)

【開業】JR-1904年11月3日
    京都丹後鉄道-1990年4月1日

【訪問】2009年10月
【1日あたり平均乗車人員】 JR-1,455人/日 (2016年)
                 京都丹後鉄道-400人/日(2016年)

【近隣の主要駅 (綾部方面)綾部駅→4駅  
            (東舞鶴方面)東舞鶴駅→隣駅
            (宮津方面)宮津駅→6駅


●駅名標

東舞鶴駅と並ぶ、舞鶴市のツイン中心駅のひとつといった位置づけの駅であり、利用者数も東舞鶴駅とほぼ同数です。

舞鶴市には「舞鶴駅」というものは存在しませんが、当駅が元々「舞鶴駅」を名乗っていました。1904年の開業から1944年まで舞鶴駅でしたが、市域の拡大により「西」が冠され現在に至ります。

東舞鶴駅はJRの小浜線と舞鶴線を繋ぐ役割を果たしているのに対して、この西舞鶴駅は舞鶴線と京都丹後鉄道(旧・北近畿タンゴ鉄道)を繋ぐ役割を果たしています。

Himg0038

●ホーム

JRでは2面3線を有し、京都丹後鉄道では切欠き上に1面1線のホームを持つ形で構成されています。

1999年に橋上駅舎になったという事ですが、中心駅のひとつの割には、遅くに開発されたのだなと感じました。ただこれと同時に多数の留置線が削減されたようです。

この駅のホーム内の写真はこれだけしか撮っていませんでした。東舞鶴駅も駅舎の写真しか撮っておらず、意図していませんでしたが舞鶴市の駅はあまりちゃんと撮れていない事を改めて感じます。

東舞鶴はかつての軍港として栄えた所で、ここ西舞鶴は城下町として栄えた所です。

Himg0039

●駅前俯瞰

ホームから上がった先から駅前を眺められますが、いかにも城下町という感じの駅前広場周りです。

真ん中に立っている櫓のようなものがひと際目を惹きます。

これは舞鶴城の太鼓堂を再現した時計塔で、毎日12時と17時には太鼓の入った音楽が流れるといいます。かつてのここ田辺藩では誇れるものとして謳われていたともいう。この辺りの代名詞的存在です。

この辺りは当初は「田辺」と呼ばれており、舞鶴は明治になってからの呼び名といわれています。田辺城が鶴が舞うように美しく見えるからという事で、管轄するのも田辺藩であったものが明治維新頃に舞鶴藩になったとか。

Himg0037

●芸屋台

駅舎内に展示されていたものです。

江戸時代に子供を主とした歌舞伎が「屋台芸」として2日間にわたり行われ、その舞台としてつくられたのがこの芸屋台であるといいます。

起源として時期的なものは不明ですが、1743年には屋台の寸法が示されてたというので、これ以前には存在していたとされています。

江戸時代の途中で飢饉が発生した際に一時廃れましたが、現在では10近い地区でこの屋台が保存されていて、田辺城まつりに参加している、とありました。

Himg0001

●駅前広場

実際に降り立ってのカットです。

やはり太鼓堂が絶大なインパクトを放っていました。

Himg0003
Himg0004

●西舞鶴駅 駅舎

全面ガラス張りのインパクトのある駅舎です。

この時の訪問が2009年で約9年前の姿ですが、駅舎は今もこの形です。

中の階段が透けるように見えていたりして、反射するガラス張りでない形のものでした。

城下町の側面が強い所の割に、和風建築だとかそんな要素は駅舎自体には微塵もない、近代的な雰囲気でした。

東舞鶴駅の方はよく撮らないままで約20年訪ねておらず、再度ちゃんと訪ねて記憶にも記録にも残したいと思いました。

Himg0007



2018年5月15日 (火)

石川/加賀 大聖寺はお寺ばかり

石川県加賀市、JR大聖寺駅からの歩き旅です。

(2006年10月当時)

●全昌寺 山門

突然お寺から始まりますが、大聖寺駅前はお寺が密集したエリアがあり、大聖寺駅から約7分程度北西方面に歩いた所になります。この辺りはこういうエリアによくつけられる「寺町」ではなく「神明町」という住所表記になっています。

で、ここは最初に訪ねた全昌寺(ぜんしょうじ)という曹洞宗のお寺です。松尾芭蕉が立ち寄ったところとして知られ、その句碑が境内にあります。

全昌寺は1867年完成という事で、まさに日本の夜明けの時期にできたお寺です。先述の通り芭蕉ゆかりの地で芭蕉が泊まった所とされていますが、その頃はお寺としての建物ではなかったのでしょうか。

Himg0377

●全昌寺境内

隠し撮りみたいになっていますが、中の様子です。

屋根の前面にちょこっと妻の部分が出っ張っているのが印象的でした。屋根の色がどこか石州瓦っぽかったのも記憶に強く残っています。

Himg0378

●久昌山宗寿寺

次は全昌寺のお隣にあるこの久昌山宗寿寺(そうじゅじ)という日蓮宗のお寺です。

入口からコスモスのきれいなところが印象的でした。ちょうど訪ねたのが秋口というのもありましたが。

ここでは毎年2月11日に鬼子母神まつりという祭りが催され、水被りの荒行が行なわれている写真がサイトにありました。

ここの山門は大聖寺藩の関所門を移築したという由緒あるものだという事で、1610年頃のものだとか。お寺の開基時期は不詳とありました。

Himg0381
Himg0382
Himg0385

●鳳栄山本光寺

全昌寺→宗寿寺ときて、同じ方向でそのまま巡ると、今度はこの本光寺(ほんこうじ)です。

壮大な階段を上った末に山門がそびえる構造のお寺ですが、ここは法華宗のお寺で、3つ連続で全部違う宗派となっています。

このお寺の特徴はやはり、一連の寺院群で最も高い所にあるという事です。山門からの眺めも御覧の通りでちょっとした街の一望もできるという具合です。

このお寺は1642年に金沢の本光寺と同時期に開創したといわれており、姉妹寺的?なものでしょうか。

本堂の屋根がシャキーンと尖っていたり、法華宗独特の鐘楼があったり、建物も色々と独特です。

Himg0386
Himg0387
Himg0389
Himg0388

●加賀神明宮

ここまで寺・寺・寺ときましたが、ここは神社です。

今はこの名前ですが昭和34年までは「山下神社」という名前であったそうです。

加州福田の里に三光院大聖寺として壮大な伽藍が造営され…とあり、大聖寺の発祥ともとれる記載が見受けられました。創建は養老年間ともいわれ、だとすれば奈良時代初期で由緒ある歴史あるところ、と感じさせられます。

本殿はもとは慶安年間というので江戸初期のものであったようですが、昭和40年に倒壊し、再建されています。

Himg0390

●時鐘堂

これまでの延長上のように見えますが、寺社仏閣を離れ、れっきとした街なかへ出てのカットです。

元は2代目藩主前田利明によって1667年に3.6m四方で高さが5.7mであったとされ、その後度々火災に遭いながら、1934(昭和9)年の大火災により再建されなくなり、その後2003年に別の場所に再建されたのがこの建物です。この当時が2006年であった為、この時はまだできてから3年ほどしか経っていなかった事になります実は。

街なかにあって、(寺の多い)街をよく表した象徴的な建物として分かり易くて良いですね。

この大聖寺、お寺が続く御利益有りそうなそんな街並みでした。

Himg0392

2018年5月11日 (金)

愛知/愛西 佐屋の街に歴史あり

愛知県愛西市、名鉄/佐屋駅からの歩き旅です。

(2018年1月当時)

●周辺案内図

佐屋駅前の案内MAPです。

観光案内というより「公共施設等案内図」と記されています。

公共施設がメインでこれらが目立ちがちですが、緑字の部分は見どころが何気に散りばめられていて、またそれらが一本道に集中していたりするので、その道に沿って歩くと結構良いプチ旅にになるかなという感じでした。

実際多少これらを拾い上げて巡ったりもしました。

ものすごい絶景や素晴らしいテーマパークとか、そういう派手なものは見られないと思いますが、旅好きな方ならプチ名所めぐり的な感じで楽しめると思います。

Img_6365

●佐屋駅南バス停

実質的な佐屋駅前のバス停です。

愛西市巡回バスという事ですが、下にあるように3路線あります。

・佐屋西ルート 「sayanishi.pdf」をダウンロード

・佐屋中央ルート 「sayacyuuou.pdf」をダウンロード

・立田ルート 「tatsuta.pdf」をダウンロード

いずれも1日3、4便程度です。

「佐屋東ルート」というのもありますが、このルートはここを通りません。

トータルで1日10回くらいバスがここに来ます。往復入れて20回くらいですかね。

Img_6366

●駅前の道

駅を出て右に曲がっての道路です。

まずはこちら側を進む事としました。右向きがこちらで、もちろん反対方向もありましたが、どっちにものがありそうか?と考えた時にこちら側の方が生にかありそうな感じでしたので。

「愛西市」と貼ってあるのもしっかり撮りました。こういうのが旧自治体表記のまま直っていない所もありますが、ここはしっかり新市名になっていました。

Img_6367

●ツノダの自転車

の看板がありました。懐かしい…たまに見かけますが。

佐屋駅から歩いて行った街の中で、このような懐かしい雰囲気の建物が随所に見られました。

♪ツンツンツノダのテーユー号~ のCMで昭和期を一世風靡した自転車です。テーユー、とは??と思って今更ながら調べてみたらツノダの創業当時の社名スペル「TUNODA」の頭文字から取ったそうです。意外と単純!

ちなみにのこの「株式会社ツノダ」は現在は自転車販売は行っておらず、不動産賃貸業を主にしているそうです。

Img_6373

●懐かしげなるもの

かつて商店として存在したであろうところが点在していました。

酒屋さんは現役のようにも見えますが、前の入口がなんかおかしなことになっていてよく分かりませんでした。何にしてもこれらが現役バリバリで稼働していたのはいつの事だろうか、と思いを馳せてしまいます。

Img_6374
Img_6376
Img_6379

●さや舟場道

と表記された石標が建っていました。この辺りはかつてを偲ばせるものが複数あるのでちょっとした名所的なエリアです。佐屋駅から北東へ徒歩10分くらいの地点です。

まず最初はこの「佐屋舟場道」です。

昭和54年にここに建てたとありますが、地元の方の寄付によるものとの事で、その屋敷内にあったとか。船場への道標との説明もありました。

この先200m程西に川が流れていて、そこに船が出ていたのでしょうか。いや、そんな小さな川ではなくて、よく見たら2kmくらい西に大きな木曽川が流れていて、そこから三重県の桑名に繋がります。東海道佐屋路は佐屋宿より船で桑名へ渡った、という記載が見られました。

Img_6384
Img_6385

●きこくの生垣

先程の舟場道の写真の石碑の道向かいに見えていたのがこれです。

「江戸時代この辺りは佐屋宿の舟番所の前で旅籠があった」と記されています。

きこくとは「枳殻」と書き、カラタチの別名といいます。

佐屋宿については「佐屋街道」の宿場町で、このエリアでは最大規模を誇ったといいます。先述の通り、桑名宿へは舟渡しにより結ばれていました。

佐屋街道は東海道の脇街道的な役割を果たし、東海道自体は、名古屋の熱田から三重の桑名まで舟運で結ばれましたが、北へ迂回する脇往還という形で通っていました。

Img_6388
Img_6387

●佐屋代官所跡

佐屋舟場道のほぼ道向かいにあるのがこの碑でした。

大きい方の碑には「徳川家康が大坂夏の陣の際に、ここから船を出して大阪へ向かったなる記載があり、尾張藩祖が東海道佐屋宿や、佐屋湊佐屋御殿を設け、佐屋の名は全国に知られるところになり、それから109もの村を治める代官所ができたといいます。

正直、今の世で佐屋と聞いて全国的な知名度があるかといわれると、そうではないかな?という気がしますが、往時は有名な所だったのかなと。そんな往時を偲ぶ意味合いもあってここにその碑が、このように大層に?立てられているようです。

舟場道と共に歴史感あるプチ名所エリアです。

Img_6390
Img_6391

●佐屋三里之渡址

今度は先ほどの代官所や舟場道などの碑などT字に交差した道路にあり、先ほどのものがT時のしたの縦の部分の両サイドにあるとすると、こちらはTの左上にあるような、そんな位置関係で、いずれにしてもT字上にこれらがぎっしり詰まったエリアとなっています。

それでこの「佐屋三里の渡し」は佐屋宿と桑名宿を結んでいた渡しで、佐屋の渡しとも言われていて、三里(約12km)の水上ルートでした。海上ルートではなく、川の上の航路であったため、盛んに利用されたといいます。

そんなこんなで佐屋の歴史を垣間見るエリアは集中していますが、派手な旅ではないけれど、歴史に触れるちょっとした旅を、この愛西市では味わう事ができます。

Img_6395
Img_6394

2018年5月 6日 (日)

宮城/栗原 大きな水車と広がる平原

宮城県栗原市、JRくりこま高原駅前の風景です。

(2012年11月当時)

●カリヨン公園

くりこま公園駅前ひろばにある水車群です。

ここには3つの水車があって、真ん中のいちばん大きなものは直径10mあります。ヨッ日本一、などと書いてはいますが、日本で一番大きな水車は木造のものでも24mはあります。

その10mとなっている理由も記されていて、国内で最も水車の台数が多かった昭和初期には日本に約10万台あったとされています。

両サイドにも直径3.5mと2mの水車がそれぞれあります。

何もない駅、として平成初期に雑誌の記事になった事がある当駅ですが、こうして見て楽しむものはあります。

Dsc03210
Dsc03208

●トヨタレンタカー

駅前が寂しげな新幹線駅の前に決まってある(と勝手に思っている)のが、レンタカーのお店です。

特に公共交通機関の多くないところはレンタカーの需要も少なからずと思われ、周りに何もないとよけいにこういう建物が目立つ、そんな典型のように感じました。

ちょっと時刻的なものとこの時の天気の関係か、空が幻想的な感じになっています。

Dsc03214

●広がる平原

向こうに山もなく、道路一本あるだけでのどかな風景が続く駅前です。これが新幹線駅の駅前の風景だというので、見ても驚くと思いますが、実際に通ってみても更に驚くというものです。

この駅のある所は、今は栗原市ですが、1990年の駅開業当時は栗原郡志波姫(しわひめ)という人口約7,300人の町でした。それから2005年に栗原市になるまで15年間は郡部の駅でしたが、志波姫町の頃に新幹線通勤できるようにと設置された「請願駅」であるといいます。新幹線開業当初ではなく、途中から追加されてできた駅は大抵、請願駅ですが…。

Dsc03216

●マンホール

すみません、これ90°右になってしまっていますが、旧志波姫町のマンホールです。

右半分(この写真でいう下半分)が、町を象徴する水車(駅前にありました)で、あと半分は町の木ウメと町の花コスモスが上下に配されている形です。

Dsc03217

●学びの道

2枚上の写真の所から更に駅から離れて進んだ所です。

向こうに見えているのは中学校(志波姫中学校)で、その右隣には小学校もあります。

この道が特別そのように呼ばれている訳ではありませんが、進んだ先が小学校と中学校しかないので、ここで勝手にそうつけただけです。

Dsc03218

●のりば

さしたるものもなく、という形で歩くだけ歩いて、くりこま高原駅へ戻ってきました。

バスのりばがありました。

東日本急行のりば…「高速仙台-金成(かんなり)線」として、仙台駅前への便が出ています。仙台駅自体へは新幹線で行ける訳ですが、その途中の所で降りられる点は便利です。

宮城交通JRバス東北…下に栗夢(くりむ)号しゃとるとありますが、この路線は2006年に既に廃止されています。形だけ残った格好なのでしょうか?

その他では栗原市民バスの乗り場として機能しており、5つもの路線が行き来する格好です。

Dsc03222

●復興企画

駅向かいの大施設「エポカ21」による復興企画という事で「地酒を味わい・応援する会」のポスターがありました。

色んな蔵元が出展していて、色んなお酒が飲めたら…酒好きな方には嬉しいかもしれない企画ですね。この時はまだ東日本大震災の翌年という事もあり、復興企画としての色合いが色濃かったものと思われます。

なかなか栗原市内といって、このくりこま高原駅の周辺を歩いただけであったので、これというものもエポカぐらいしか見つからず、いつか「これ」というところに行ってupできれば、と思います。鉄道だけでなく他の交通機関も色々駆使しなければならいかもしれませんが。

Dsc03224

2018年5月 3日 (木)

名鉄/佐屋駅 (愛知県愛西市)

愛知県愛西市の名鉄/佐屋(さや)です。

愛西市ではJR永和駅をupした事がありますが、これという中心駅があると思えず、永和駅に行った時も周辺をあまり行けなかった事もあり、中心とされる当駅を訪ねる事としました。

-名鉄/佐屋駅-
【路線】
名鉄尾西線(弥富-玉ノ井間)
【開業】1898年4月3日
【訪問】2018年1月
【1日あたり平均乗車人員】 4,275人/日 (2016年)
【近隣の主要駅 (弥富方面)弥富駅→2駅  
            (玉ノ井方面)津島駅→2駅


●駅名標

正規の名鉄独特の駅名標はあるのですが、諸般の事情で撮れなかった為、この写真で代用しています。帰りに撮るつもりだったのですが、帰りにはこの駅に寄らず、隣の駅から帰ってしまったので、結果としてこれをupする事となりました。漢字表記がないと、人の名前みたいです(笑)

名鉄尾西線の駅として1時間に4本程度出ています。尾西というのは現在は一宮市ですが、旧は尾西市という自治体にあった駅がいくつか存在しています。

路線の端の弥富駅から2駅の位置にあり、沿線の代表的存在の津島駅とも同じく2駅の位置に存在しています。

Img_6359

●ホーム

2面3線のホームで、両ホームは階段ではなく向こうに見える構内踏切で行き来する構造となっています。

1日あたりの乗降者数が4,275人という事で、同じ市内のJR永和駅の乗車数が約2,200人であり、乗降者数を半分にすると利用者数はほぼ同等というところです。ですが、この佐屋駅の利用者数はここ近年伸びてきてはいます。

個人的には構内踏切で行き来する駅はあまり大規模ではないという基準をもっていますが、大規模駅にあまりこういう構造はないかなと思いまして。なので愛西市⇒コレという市を象徴する駅の存在が感じられず、そういう分かり易いキーステーションができればと思います。

ちなみにこの駅の今の自治体は愛西市ですが、平成の大合併で2005年に愛西市になる前は海部郡佐屋町という郡部の中心駅で、佐屋町は人口が30,000人ほどいた郡部ではかなり人口の多い町でした。

Img_6358

●ホーム2

外から見たホームです。

帰りにホームにもう少し撮ろうと思っていましたがここに帰着できなかったので、ホーム内でのカットが少なくなっています。

で、これは外から電車が停まっているのも含めたホームの様子です。屋根のあるエリアは広くなさそうで、駅の規模としては大きくない感じを受けてしまいます。 「ようこそ愛西市へ」的なものもあっていいと思います。一応駅前には周辺案内MAPはありますが。

Img_6363

●駅前広場

駐車スペースがあるだけという感じの駅前広場ですが、面積は広めです。

車が停まっている向こうは幹線道になっていて、これが駅前のメインの通りという事になるでしょうか。

周辺案内MAPが右端に車の向こうに覗いて見えます。

Img_6361

●佐屋駅 駅舎

駅舎そのものもこじんまりとした建物で、改札機通ったら若干の待合スペースを抜けてすぐ出口といった感じです。

線路と平行ではなく、垂直にこの駅舎が建っています。なので改札を出てすぐに左へ90度転換する形でこの出口を出る事となります。こういう建物構造もあってか、駅を大きくするとかの改修が難しいのではないかと勝手に思っていますが、この駅には建物が少し大きくなってほしいなと思いました。

Img_6360

« 2018年4月 | トップページ | 2018年6月 »