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2018年5月11日 (金)

愛知/愛西 佐屋の街に歴史あり

愛知県愛西市、名鉄/佐屋駅からの歩き旅です。

(2018年1月当時)

●周辺案内図

佐屋駅前の案内MAPです。

観光案内というより「公共施設等案内図」と記されています。

公共施設がメインでこれらが目立ちがちですが、緑字の部分は見どころが何気に散りばめられていて、またそれらが一本道に集中していたりするので、その道に沿って歩くと結構良いプチ旅にになるかなという感じでした。

実際多少これらを拾い上げて巡ったりもしました。

ものすごい絶景や素晴らしいテーマパークとか、そういう派手なものは見られないと思いますが、旅好きな方ならプチ名所めぐり的な感じで楽しめると思います。

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●佐屋駅南バス停

実質的な佐屋駅前のバス停です。

愛西市巡回バスという事ですが、下にあるように3路線あります。

・佐屋西ルート 「sayanishi.pdf」をダウンロード

・佐屋中央ルート 「sayacyuuou.pdf」をダウンロード

・立田ルート 「tatsuta.pdf」をダウンロード

いずれも1日3、4便程度です。

「佐屋東ルート」というのもありますが、このルートはここを通りません。

トータルで1日10回くらいバスがここに来ます。往復入れて20回くらいですかね。

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●駅前の道

駅を出て右に曲がっての道路です。

まずはこちら側を進む事としました。右向きがこちらで、もちろん反対方向もありましたが、どっちにものがありそうか?と考えた時にこちら側の方が生にかありそうな感じでしたので。

「愛西市」と貼ってあるのもしっかり撮りました。こういうのが旧自治体表記のまま直っていない所もありますが、ここはしっかり新市名になっていました。

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●ツノダの自転車

の看板がありました。懐かしい…たまに見かけますが。

佐屋駅から歩いて行った街の中で、このような懐かしい雰囲気の建物が随所に見られました。

♪ツンツンツノダのテーユー号~ のCMで昭和期を一世風靡した自転車です。テーユー、とは??と思って今更ながら調べてみたらツノダの創業当時の社名スペル「TUNODA」の頭文字から取ったそうです。意外と単純!

ちなみにのこの「株式会社ツノダ」は現在は自転車販売は行っておらず、不動産賃貸業を主にしているそうです。

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●懐かしげなるもの

かつて商店として存在したであろうところが点在していました。

酒屋さんは現役のようにも見えますが、前の入口がなんかおかしなことになっていてよく分かりませんでした。何にしてもこれらが現役バリバリで稼働していたのはいつの事だろうか、と思いを馳せてしまいます。

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●さや舟場道

と表記された石標が建っていました。この辺りはかつてを偲ばせるものが複数あるのでちょっとした名所的なエリアです。佐屋駅から北東へ徒歩10分くらいの地点です。

まず最初はこの「佐屋舟場道」です。

昭和54年にここに建てたとありますが、地元の方の寄付によるものとの事で、その屋敷内にあったとか。船場への道標との説明もありました。

この先200m程西に川が流れていて、そこに船が出ていたのでしょうか。いや、そんな小さな川ではなくて、よく見たら2kmくらい西に大きな木曽川が流れていて、そこから三重県の桑名に繋がります。東海道佐屋路は佐屋宿より船で桑名へ渡った、という記載が見られました。

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●きこくの生垣

先程の舟場道の写真の石碑の道向かいに見えていたのがこれです。

「江戸時代この辺りは佐屋宿の舟番所の前で旅籠があった」と記されています。

きこくとは「枳殻」と書き、カラタチの別名といいます。

佐屋宿については「佐屋街道」の宿場町で、このエリアでは最大規模を誇ったといいます。先述の通り、桑名宿へは舟渡しにより結ばれていました。

佐屋街道は東海道の脇街道的な役割を果たし、東海道自体は、名古屋の熱田から三重の桑名まで舟運で結ばれましたが、北へ迂回する脇往還という形で通っていました。

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●佐屋代官所跡

佐屋舟場道のほぼ道向かいにあるのがこの碑でした。

大きい方の碑には「徳川家康が大坂夏の陣の際に、ここから船を出して大阪へ向かったなる記載があり、尾張藩祖が東海道佐屋宿や、佐屋湊佐屋御殿を設け、佐屋の名は全国に知られるところになり、それから109もの村を治める代官所ができたといいます。

正直、今の世で佐屋と聞いて全国的な知名度があるかといわれると、そうではないかな?という気がしますが、往時は有名な所だったのかなと。そんな往時を偲ぶ意味合いもあってここにその碑が、このように大層に?立てられているようです。

舟場道と共に歴史感あるプチ名所エリアです。

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●佐屋三里之渡址

今度は先ほどの代官所や舟場道などの碑などT字に交差した道路にあり、先ほどのものがT時のしたの縦の部分の両サイドにあるとすると、こちらはTの左上にあるような、そんな位置関係で、いずれにしてもT字上にこれらがぎっしり詰まったエリアとなっています。

それでこの「佐屋三里の渡し」は佐屋宿と桑名宿を結んでいた渡しで、佐屋の渡しとも言われていて、三里(約12km)の水上ルートでした。海上ルートではなく、川の上の航路であったため、盛んに利用されたといいます。

そんなこんなで佐屋の歴史を垣間見るエリアは集中していますが、派手な旅ではないけれど、歴史に触れるちょっとした旅を、この愛西市では味わう事ができます。

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