和歌山/紀の川 粉河寺35,000坪に酔え!
和歌山県紀の川市、JR粉河駅からの歩き旅です。
(2018年1月当時)
●粉河駅前通り
それなりの高さの商店や施設に囲まれる中で多少のカーブをつけながら続いていくこの道は、そのまま粉河寺へつながっていきます。
「とんまか通り」という典型的な門前町が形成された通りで、この県道124号線は名前もそのものズバリ「粉河寺線」で、まさに粉河寺への道です。
粉河駅から粉河寺への約1kmの道のりの途中にあるお店です。
この昭和感満載の店に括目せよ!という感じでした。
粉河寺の手前の橋ですが、思い切り工事中でした。
ここからはほんの少しで粉河寺の門が待っています。
という事で粉河寺の山門です。
この赤を基調とした大きな山門がかなり印象的でした。
「大門」といわれ、重要文化財に指定されています。
この大きな門は和歌山県では、高野山・根来寺に次ぐ規模といわれ、粉河寺ってこの粉河に来るまでは正直知りませんでしたし、その存在を知った後も規模など全く関心もなかったのですが「行けば分かる」としか言えないですね。
1706年に建てられた総欅造りの建物で、のっけから威圧感抜群でした。
大門の前に建っていた説明板です。
桁行が12.5m、梁の間が7.5mという大きさを誇ります。
当時あまり例のないスタイルで建てられていたという事ですが、当時の形態がよく保たれてもいるようです。
大門を通ってすぐの地点ですが、えらい広いお寺だな!とここで初めて気づきました。
それでもこの向こうに見えている所に拝殿があって、それぐらいの所だと思っていました、しかしそれが違う事に気づくのはもっと先へ進んでからでした。粉河駅にえらくこの粉河寺がアピールされていたな、と思っていましたが、そこらのお寺の広さではなかったのですね。
上の写真にも見えていますが、粉河寺入ってすぐの右側にある茶屋です。
いかにもそれっぽいメニューの看板が出ていて分かり易いです。
単に茶屋だけでなく土産物屋さんもあります。
茶屋と道を隔ててある石垣の坂道です。この先通っていないので何があるのかは見ていませんが、坂道だけでなく、サイドの壁?にあたる部分まで石垣となっていて石垣づくしのゾーンでした。
茶屋を通過した直後にこの長屋橋があり、その下を流れている長屋川は綺麗なカーブを描いていました。これまた石垣の素晴らしい所でした。
この川に粉河の地名由来があるようで、この川に対して「粉をすって入れたような白い流れ」といわれた事からきているとか。
大門から茶屋を通ってすぐの所で一旦右へそれ、お寺の施設を少々外れる形で案内標識が出ていたので行ってみました。
旧家があるだけですが、えらく案内標識が出ていました。
という事でやって来ました、旧南丘家住宅。
元禄年間というので1700年ごろには鷹狩の調達役の役人の長屋があり、周辺には御鷹部屋や鷹匠屋敷も存在していたと記されています。今でも「鷹匠町」として地名に残るところもありますが、この辺りはそういう町だったのでしょうね。
紀州藩では和歌山城下以外でこのような鷹狩りに関する職制があったのはここ粉河だけで、藩主の鷹狩の拠点であったとの記載もありました。
紀州藩といえば「暴れん坊将軍」の徳川吉宗の将軍になる前の拠点で、その頃からかなり盛んであったのでしょうか?江戸でもそれまで「生類憐みの令」で禁止されていた鷹狩が、吉宗の将軍治世に復活したともいわれています。
旧南丘家住宅を見てから、また茶屋の所へ戻ってきて、境内を直進します。
最初に行き当たった建物はこの「不動堂」でした。
弘法大師爪彫の不動尊を安置す、とありました。爪彫って爪で彫ったという事なのか…弘法大師爪彫の…というのは他にも出てくるようですが、弘法大師はどこでとんだけ色んな事やってたんだ?と思いますよね。
がありました。
普通の寺社なら拝殿までたどり着いている距離でも、このお寺ではまだまだ全然序の口の地点です。本堂なんてまっだまだ先です!
現在地が左端の真ん中とすると、これを横にずーーっと行っても左折してまだ進むという感じで、一通り見るのにどれくらいかかるか、ここで全貌を知りましたが、本当に大きなお寺です。紀の川市随一の観光地といっても過言ではないと思います。
上の写真の案内板の所を右折して、ずーーっと直進していきます。
左には寺院の建物が続き、右には川の流れが続いていきます。
粉河駅の記事で、駅前に童男大士像というのがありましたが、これを祀っているお堂で、1679年の建立と考えられています。
粉河寺本坊とあった門の立派な建物で、御池坊ともいわれています。
建物の名称を金色で書かれていてこれがまた素晴らしい、格調高い感を与えてくれます。
お釈迦様の足跡が刻まれており、その大きさはすなわち人徳の大きさを表しているといいます。
この門の中が池を含んだ庭園になっています。
このお寺を象徴するといってよい童男大士が柳の枝を手に白馬に乗って現れたとされています。千手観音の化身といわれますが、現世利益の佛としてたいへん霊験あらたかであるともいわれています。
これも一連の境内を直進する中にあったものですが、光明殿ともいわれています。
阿弥陀如来の安置された江戸時代後期建立で総欅造りのお堂です。入る時の大門も総欅でしたが、ケヤキはお寺の建材に欠かせない、丈夫で耐朽性の高い木なのですね。
あまりに多くて一度に紹介しきれないので、一旦ここで切ります。
粉河寺の広大さは訪ねてみて大いに実感するので、この広さと建物の多さに是非とも酔いしれてほしいと思います。
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