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2018年8月の12件の記事

2018年8月29日 (水)

大阪モノレール/大日駅 (大阪府守口市)

大阪府守口市の大阪モノレール/大日(だいにち)です。

-大阪モノレール・大阪メトロ/大日駅
【路線】大阪モノレール線(大阪空港-門真市間)
    大阪メトロ谷町線(大日-八尾南間)

【開業】大阪モノレール-1997年8月22
     大阪メトロ-1983年2月8日

【訪問】2007年3
【1日あたり平均乗車人員】 大阪モノレール-14,196人/日 (2016年)
           大阪メトロ-16,124人/日 (2017年)
                            
※大阪モノレールは乗車人員
【近隣の都市駅(八尾南方面)守口市→隣駅
           (門真市方面)門真市→隣駅
           (大阪空港方面)摂津駅→2駅

●駅名標

関東の西武や東武のような大きな駅名標が、この大阪モノレールの特徴のひとつです。

大阪モノレールでは終着・門真市の一歩手前の駅です。

ここではモノレールで訪ねたので、基本モノレール駅舎の関連が記事になりますが、同じ場所で高架の上がこのモノレール駅で、これを出てすぐの所で地下へ下りれば、大阪メトロの駅になります。

当駅はモノレールと地下鉄とが同じ場所にありますが、隣の門真市駅はこのモノレールと京阪電車が同じ場所にあります。

大阪メトロとは元の大阪市営地下鉄ですが、これが今民営化され、俗には「大阪メトロ」と呼ばれ、正式名称としては「大阪市高速電気軌道」といいます。今年4月1日に大阪市交通局は、その114年にわたる長い歴史に終止符を打った訳です。

大阪の地下鉄が大阪市外にも延伸しており、ここ守口市にもですが、八尾市へも伸びています。地下鉄駅としてのこの駅の開業は1983年ですが、それ以前の谷町線は隣の守口駅までの状態で、ここから1.8km延伸されてこの大日まで伸びて、以後35年変わらず今に至っています。

本数的にはほぼ10分に1本程度運行されており、何よりここの利便性は伊丹空港へ直通で行ける事です。

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●線路

モノレールの軌道は大抵適度なカーブを描いていて、これがあたかも空へ吸い込まれるように伸びている、そんな風に見えるので、どこで見ても美しいと思ってしまいます。

周りの景色の関わり方も相まって、適度に描くカーブがとっても画になっています。

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●駅前AEON

この大日駅前の象徴的なものといえば「AEON」です。イオン大日店です。

2006年9月にオープンしたという事で、この写真は2007年3月当時のものなので、まだ開業して半年のホヤホヤ状態でした。

地下鉄都は地下道で、モノレールとは2F歩道で、このAEONとつながっており、駅前におけるこのAEONの役割/位置づけたるやただならぬものを感じました。

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●駅前広場

ロータリー上になった広場にタクシーが何台も停まっていました。

子の真ん中にあるシェルターみたいなものはオブジェでしょうか?まさかトイレがど真ん中にあるとも思えませんが…。

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●地下鉄駅

当時の大阪市交通局の大日駅です。

しっかりと天井のついた立派な地下駅舎でした。

なんというか雑な部分が微塵も感じられない、しっかりとした感じの駅でした。

モノレールの高架から降りてきて、その駅舎を出て歩いてすぐにこの入口があり、地下へ行けば地下鉄と連絡状態です。接続がある、という意味ではありません。両者ともかなりの本数停まるので、ある意味自然な接続状態かもしれませんが。

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●大日駅 駅舎

モノレールの駅舎です。

モノレール駅なので高架ですが、大阪モノレールの駅舎はどれも大規模な建物です。

駅前も雑な事なく、床面もしっかり整備され、AEONへの通路があったり、地下鉄も通っていたり、かなり手厚く施されているエリアである事を感じました。

ちなみに守口市では、京阪の守口市駅が中心的存在で規模も大きく、この駅の地下鉄での隣駅はそれこそ「守口」と市名そのものなのですが、いかにもという感じの普通に地下鉄の駅で規模も小さいです。

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2018年8月26日 (日)

岐阜/羽島 佐吉と藤とオールカラー

岐阜県羽島市、名鉄/羽島市役所前駅からの歩き旅です。

(2011年11月当時)

●佐吉大仏へ

羽島市役所前駅から徒歩で200mほど歩くとあります。

出口を出てから踏切を越えて反対側へ回る事となりますが。

この時、羽島の町を少し歩こうという事で、それまでは岐阜羽島の新幹線駅前を5分くらい歩いたぐらいで、周りにさしたるものもないと感じて以来の訪問でしたが、そんな中で、どこを訪ねようか?と考えつつ出てきたのが、この「佐吉大仏」の存在でした。大仏が見れるならいいか!って事で行ってみた訳です。

詩人・野口雨情の詩が看板にデカデカと出ていましたが、ここ羽島の竹鼻には縁の深い方のようで、しばしばこの地を訪ね、羽島の高等女学校では複数講演を行ったととの記録もありました。

大仏の拝観無料という事で、敷居も高くなく訪ねる事ができました。

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●佐吉大仏

白い鉄筋のゴツッとした建物が境内に現われ、建物の中を入っていきます。

そんなに人通りはなく、落ち着いてゆっくり見る事ができました。

中へ入ってみると、確かに存在していました!

大仏様!

1759年に永田佐吉翁により建立され、その名前がそのまま取られて佐吉大仏となっています。佐吉翁は匿名で゛奉仕活動を度々行い、親孝行を重ね「美濃聖人」とよばれた人物で、母の病気を仏様に祈ったところ全快し、これが大仏建立のきっかけになったといいます。

ちなみに高さは186cmで、日本の観光名所にあるようなものすごい大仏ではありません、ただ人間でもやや大きめのサイズの方相当の大きさはあり、大きめの仏様であるる事は変わりはありません。

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●竹鼻の商店街

この市役所駅前界隈も隣の竹鼻駅同様に竹鼻地区であり、その竹鼻の商店街として広がっていました。

こういう昭和からと思われる店がいまだ数多く並んでいました。

サイドにはなまずの幟がヒラヒラと並んでいました。

「なまずシール委員会」との名前が記されていましたが、この「なまず」をシンボルに町おこしがされたそうです。

で、このなまずシールというのは、昔懐かしのスタンプ式に集めるもので、商店街の該当するお店で100円買上げにつき1枚もらえて、600枚貯めると500円分の商品券として使える、とありました。

しかしこのスタンプシールの発行は、ナントこの平成30年8月限りだそうで、利用できるのも今年いっぱいだそうです。もうこのシールが発行されるのも今週の平日いっぱいなのですね。このなまずの幟も無くなってしまうのでしょうか?これが7年前の姿なので、今もあるのかどうかも把握していませんが。

商店街のイラストでの案内マップが商店街HPにありました。手づくり感が満載でいいですね、こういうの。

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Map

●羽島市役所

市役所前の駅からの歩きなので、当然この市役所も徒歩圏域な訳です。

割にこじんまりとしていますが、てっぺんの曲線が妙に印象的でした。羽島市の市章でも表しているのか、とも思いましたが市章のマークとは全然違ったものでした。

1959年竣工と結構な年数の経った建物で、コンクリート色そのものの部分が結構多い年季を感じさせるものでした。

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●街並み

歩いている中、随所にこのような落ち着いた街並みにお目にかかれます。

木造の家屋、商店など本当に多数目にしました。

2階部部分の高さの低い「つし二階」っぽい、江戸時代の雰囲気すら感じられる家屋が並んでいたり、どれほどの歴史ある家屋群なのか?と思わされるものがありました。特に伝統的建造物保存地区に指定されていたりという事はないようで、天然の歴史ある建造物群という感じでした。

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●竹鼻別院 拝殿

竹鼻の観光スポットとして知られる「竹鼻別院」は、この拝殿が重厚感に溢れとても立派なものでした。

創建は1235年といわれ、1470年に蓮如が中興させたとされています。

その後何度も移転を繰り返したり、天災等による倒壊などを経て、現在の本堂は1915~22年頃に再建したものだそうです。

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●竹鼻別院 藤棚

竹鼻別院といえば…

というぐらい、この藤棚は象徴的な存在です。

「美濃竹鼻藤まつり」というのがあるほど、ここの藤の存在感は絶大です。

毎年4月下旬から5月上旬までの藤が綺麗に咲き誇っている時期に開催されていますが、この写真の時期は11月初めの様子で、ちょうどそのピーク時の半年後、真裏の状態の時で藤棚はただの葉っぱの群れでした…。

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●竹ヶ鼻城跡

竹鼻の町にある城跡ですが、場所の特定まではされていないようで、建物もおそらくこんな感じではないでしょうが、地域の象徴的存在のひとつとして存在感を放っている事は確かです。

応仁年間に築城がされたという事で、応仁の乱が1467年に始まったとされているので、その頃にできたようです。

しかし苦難困難続きで小牧・長久手の戦いで水攻めに遭い、関ヶ原の戦いでも多数の戦死者を出し、遂には落城したといいます。

現在は歴史民俗資料館になっていますが、ここで開催されているものが興味のあったもので想定以上に入り浸ってしまいました。しかも「本日 入館無料」とありましたので迷いなく入りました。何と、無料のとこばっかりでした(笑)

ちなみに通常は大人300円で中学生以下は無料です。また、歴史民俗資料館だけでなく、映画資料館でもあり、ここに惹かれて入っていった訳です実は。

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●クールス!

映画資料館に入ってみるなりこんなでした。

個人的に超絶ツボのジャンルで、これは長く居る事になりそうだ、と直感した瞬間でした。こんな昔の映画のポスターや、当時ならではの関連資料がここには沢山あったのです。

かつてここには竹島朝日館という映画館があったのですが、1971年に閉館になって以降、建物だけが残ってしまい、1992年にここから当時の資料が大量に見つかった事を契機に保存活動を呼びかけたものの、市の財政難を理由に断念、朝日館は取り壊しとなり、1996年に当館は開館されたといいます。

所蔵の映画資料はナント50,000点余り、岐阜羽島にこんなすごい資料館があったとは!オドロキ以外の何物でもありませんでした。

それでこのクールス、「バイクと原宿をこよなく愛するチーム」として血判状でもって結成された筋金入りで、リーダーはあの舘ひろしさん(左から4人目)、相棒は岩城滉一さん など後のビッグネームを複数輩出するチームで、岩城さんは別で俳優デビューが決まっており、この中はいませんが、このチームの館さん以下の面々はロックバンドとして活動しながら、時々このように映画に出ていました。

この「暴力教室」という映画は、松田優作さん主演で1976年に公開されましたが、このクールスらが幅をきかせてのさばる荒廃した学園に赴任した不良バスター的な教師役が優作さんだった訳です。

クライマックスでの優作さんと館さんの「タイマン」での決闘シーンは、もっと語られるべき、と勝手に思っています。ストーリーはともかく、この2人の存在感そのものがものすごくて、演技力関係なしに見てるだけで迫力満点でした。

写真の下のメンバー紹介のところで、「ボス=館ヒロシ」と名前がカタカナ表記であったところが、当時の正確な表記であったのかどうか分かりませんが…。まぁこの時代は本当にTVや映画界に「ボス」が多かったものです(笑)

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●映画ポスターの数々

これはほんのごく一部だと思いますが、このポスターの数々、「゛オールカラー」とか「総天然色」とか言っていた時代でしょうか。

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●映写機

映画そのもののポスターた゜゛けでなく、このような映写機などのハード資料も沢山残っていました。映画といえばこのフォルムっていうぐらいお馴染みの形ですね。

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●歴史民俗資料

映画館の方ばかりに目を奪われていましたが、民俗資料の方もしっかり展示してありましたので。

この神輿は昭和35年ごろ寄贈されたようで、近年もこのような神輿を担がれていたようですが、その後担ぎ手が居なくなったようでお蔵入りしている、と記されていました。

渡船場の標柱などもありました。

舟便りの時代が近年まで確実にあった訳で、なんでも便利になったのは良いことかもしれませんが、どんどん風情やのんびりした時の流れが失われていくみたいで、どうなのかな??と思ったりする部分もありますね。

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といったところで羽島の旅終わりです。

本当はお寺も沢山あって、いちいち巡っていましたが、そのへんは実際にこの地で見られればと思います。オールド邦画ファンの方は、この資料館はうってつけだと思います。

新幹線で飛ばしてしまいがちな岐阜羽島ですが、少し足を伸ばせばよい旅ができるというものです。

それでは。

2018年8月23日 (木)

長野電鉄/湯田中駅 (長野県下高井郡山ノ内町)

長野県下高井郡山ノ内町の長野電鉄/湯田中(ゆだなか)です。

山ノ内町は長野県の北東部に位置し、人口は11,852人(2018.4.1現在)で、志賀高原や湯田中渋温泉郷、地獄谷野猿公苑など観光資源に大変恵まれた町です。

-長野電鉄/湯田中
【路線】長野電鉄長野線(長野-湯田中間)
【開業】1927年4月28
【訪問】2017年8月
【1日あたり平均乗車人員】 646人/日 (2015年)
【近隣の都市駅(長野方面)信州中野駅→5駅

●駅名標周辺

実際に看板形式になった駅名標があったはずですが確認できず、この駅名標を代用で載せます。一応隣駅表示があって、片側のみ記されていますが、長野電鉄の長野線の終着駅であり、ここは郡部ですがもっちも近い市の中心駅はここから5駅行った信州中野駅です。

猿の看板が印象的ですが、これは「地獄谷野猿公苑」の看板です。冬場には猿が温泉につかる国際的に有名な観光地で、ここがまずこの駅のウリです。この駅からあまり便数は多くありませんがバスが出ています。時間があれば是非寄りたい所です(寄れませんでしたが…)

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●片道切符

長野駅からの切符、乗車券と特急券です。

JR長野駅の構内を一旦出てすぐの地下階段を下りて長野電鉄ののりばへ出ます。

そしてここから買った切符です。1年前のちょうど今ごろです。

湯田中は特急停車駅につき、乗車券1,160円に特急料金100円が加算され、特急利用時は総計1,260円となります。

特急利用で長野駅から45分前後で到着します(普通列車の場合は70分余りかかります)

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●おさるスナップ

駅のホームには地獄谷野猿公苑のお猿の写真は複数あり、ちょっとしたスナップ集といった感じでした。よほどここがウリなんだろうな、と感じました。それにしても子ザルはかわいいですね。

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●電車内

これは帰りの時のカットですが、長野へ向かう電車が折返しで来ていて、出発待ちの時に誰も乗っていなかったので撮れたものです。

行きは特急で来たので上等な感じの座席でしたが、この帰りは普通列車で帰ったので、こんな感じの座席でした。これはこれでほのぼのしていてよかったです。

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●ホーム

特急列車の入ったホームのカットがいちばん上の写真ですが、特急だけあってなかなか長めでした。

2枚目の写真は古風な感じが見て取れるホームのカットです。コインロッカーも設置されています。

観光資源に恵まれて特急停車駅でもありますが、1日平均の乗車人員は600人余りとさほど多くなく、土日など休日頼みなのかもしれません。

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●楓の館

これは駅を出て裏側に当たる位置にある湯田中駅の旧駅舎で現在「楓の館」として利用されている施設です。

日本の歴史的景観に寄与しているものとして文化財登録原簿に登録された、とありました。文化財登録原簿に登録された文化財が「登録有形文化財」という訳です。

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●楓の湯

旧湯田中駅舎に隣接する形で位置しているのがこの「楓の湯」です。

この湯田中駅前の日帰り入浴施設です。

折角駅前にある訳で入りたかったのですが、行きは少し離れた渋温泉まで行く必要があり、帰りは早めに出る必要がありで、利用する事ができず残念でした。

ただ、この前に足湯があり、そこだけは浸かってきました。その足湯の写真も載せています。

【楓の湯】

 

住所:長野県下高井郡山ノ内町大字平穏3277-1
      (長野電鉄/湯田中駅より徒歩1分)

 

電話:0269-33-2133

営業時間:10:00~21:00(受付20:30まで)

料金:大人300円。小人150円

休館日:毎月第1火曜日(祝日の場合は翌日)

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●駅前広場

駅降りると湯田中温泉街という事もあり、郡部にしては賑わった駅前になっていて、広場を隔てていくつものお店があり、また多くのバスが停まっていました。長距離バスもここから出ています。

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●湯田中駅 駅舎

観光資源の豊富な場所でもあり、大きめの駅舎になっています。

階段のついた立派な建物で、駅の看板も真ん中にデンと出ていました。

白を基調とした建物で、青空によく映えています。曇天だと同化するのでしょうか。

田舎の駅だから小さいではなく、こういう駅もある訳であって、以前この沿線に行った時は長野駅から途中の信州中野駅までしか行きませんでしたが、少し足伸ばししてこんな駅があるとは!という感じでした。行ってみるもんですね。

この界隈には色んな温泉があります。それらをくまなく巡ってみるのも良いかなと思います。

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2018年8月22日 (水)

北海道/名寄 1997年のシンデレラ・リバティ

北海道名寄市、JR名寄駅前の様子です。

(1997年4月当時)

●駅前の一角

名寄駅よりほど近い地点の写真です。

といってもここ名寄を訪ねたのは1997年、実に今から21年も前の昔々の様子です。

平成になってまだ10年経っていない、昭和の色も濃く感じられる時期でした。この97年に1度行ったきりの名寄であるので、また行ってみたとしたらここからどの程度変わっているのか?ですね。

左側の建物は「パチンコ名寄センター」とありました。この当時ですら営業していたのかどうか?ですが2001年頃まで営業していたようで、2004年のニュースでは「跡地」となっていたので、建物ごと無くなっていた可能性があります。

今は場外馬券売り場「ハロンズ名寄」としてこの地に存在しているようです。

ちなみに今回記事で載せている写真は各々下に「フォトスキャン by Googleフォト」とありますが、拾い画ではなく昔「写ルンです」で撮った写真をスマホでスキャンしたものです。

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●商店街

車道の両サイドに歩道がついた商店街が続いていました。

両サイドのアーケードの外側まで跨いだゲートがかかっていましたが、骨組みだけになっていました。1997年当時でこの様子でしたが、いつだかまではきっとここにお店の名前が書かれた看板やらで埋まっていたのではないか?と想像します。元々骨組みだった訳ではないと思うのですが…。

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●宿泊ホテル

生まれて初めて北海道へ行った時は、軽い北海道一周的な旅をしていましたが、その2日目に泊まったのがここ名寄であり、その宿泊先がこの「ビジネスホテル リバティ」でした。

名寄駅から歩いて7分くらいの所にありました。

色々調べていましたが、このホテルは今はもうないようで、同じ位置に「二条旅館」として存在しているようです。

全くの飛び込みで予約なしで入ってみましたが空室ありでした。旅館の玄関形式で共通の靴置場にそのまま靴を置いて、宿泊手続きそして部屋へ、という流れでした。

確かお風呂は、普通の家のお風呂みたいなこじんまりとした感じで、1人入ったら鍵をかけて…という形で順番取りで1人ずつ入る共同浴場形式だったと記憶しています。

このホテルの周辺にはなかなか食べに行くところが見つけられず、駅の周りをウロウロと歩いていたら飲み屋街的なエリアを嗅ぎつけて見つけた、そんな感じでした。帰って来たらすっかり夜で12時までとはいきませんでしたが、結構な時間でこのリバティに着いたのでした。

インターネットで検索して、このホテルの名前自体はいくつかは見つかりましたが、こういう形でこの看板のついたホテルの写真はなかなか見つけられずでした。そんな意味でこの写真を載せるのはとても貴重な事ではないかな??と勝手に思いました。

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もう20年以上行っていない名寄ですが、稚内へ上る「宗谷本線」の途中駅で本数も極少で時間もかかるので、次行く機会があるのかどうか正直分かりません。

20年以上も前の姿を今ここで公開するのも悪くないかな、と思って載せてみました。

こうして見ると20世紀ってだけで懐かしく思える、そんな時代になったのだな、、と痛感します。

2018年8月19日 (日)

島根/松江② 美保関 青石畳と港の眺め

島根県松江市、島根/松江① 宍道地区 八雲本陣に続く松江市の旅の様子です。

(2018年8月当時)

松江市の観光記事として前回は旧・宍道町にスポットを当てましたが、今回は旧・美保関町です。

またまた、平成の大合併前の旧・松江市外のものをお伝えしますが、旧・松江市内だとかなり王道なものとなってしまうかな、というところで、まずは敢えて旧市外にスポットを当てました。

という訳で今回は美保関(みほのせき)編です。

●万原バスターミナル

この美保関には1989年に初訪問以来何度か訪ねていますが、旅として行く事をあまりしていなかった事もあり、今回はそういう視点から今月初めに訪ねたものをお送りします。

まずはここ「万原ターミナル」です。

鉄道駅舎のような風貌に見えますが、これはバスターミナルで、現在は松江市美保関町ですが、旧・八束郡美保関町の交通の中心的な存在です。JR松江駅から「美保関行」として出ているバスも一旦ここまでの運行となり、ここを基点に旧・美保関町内の各所への便が出ている格好です。

美保関の観光の中心的なエリアである港の方や、それより先の灯台などへ行きたい場合は、ここではまだまだ届かないので、一旦乗換える事となります。実際この時も接続が悪くて、このターミナルで1時間待つ事となりました。

この周辺も小学校や体育館などの施設はそれなりにあるエリアですが、観光に関してはあまりありません。

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●町民バス標識

2005年に松江市になった美保関ですが、旧町の名残りなのか「町民バス」のまま運行されていて、時刻表が見えていました。名称として正確には「美保関コミュニティバス」です。

JR松江駅から美保関の観光地へ行くには…

JR松江駅 

  ↓ 一畑バス 「美保関ターミナル」行 約40分 750円

(乗換)万原ターミナル 

  ↓ 美保関コミュニティバス 「美保関」行 約25分 200円

美保神社前 

が公共交通機関では一般的なルートです。

という訳で、うまく接続しても1時間以上はかかります。便数的には概ね1時間に1本です。しかし時間帯によっては接続のない場合があり、今回見事にこれにハマってしまいました。

ちなみに「美保神社前」停留所は、美保関行バスの終点手前の停留所ですが、美保神社の最寄りで観光客の多くがここで降りる為、この停留所を載せています。終点の「美保関」停留所もすぐ近くにある(こちらは港の近く)ので、ここで降りても全然差支えはありません。

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●「美保関」停留所

という訳で、万原ターミナルで1時間待ってから来たバスで約20分でこの終点に到着しました。先述の通り、バスに一緒に乗っていた他の数名の乗客は全員、この手前の「美保神社前」ターミナルで降りて行き、「美保神社はここで降りたらいいのですか?」と訊かれる方もいました。

また、このコミュニティバスの乗車中に、鳥取県の境港方面から来られる方々も乗り継ぎで合流していました。境港とは「境水道大橋」という高い大きな橋で繋がっているので、ここからだと松江市へ行く場合と、乗換を経て境港市へ行く場合とが選択できます。

ちなみにこの「境水道大橋」は2002年までは有料でした。今では無料なのでこうしてバス路線で行き来もできます(松江駅から境港へのバスもあります)が、有料時代には有り得ないバスルートでした。

で、このバス停は屋根もベンチもない、ただの標識のみがあるバス停でした。手前の美保神社前も同様だったと思います。

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●港町の風景

美保関を象徴するひとつである港湾風景が見事に広がっています。

初訪問から30年近く経ちますが、殆ど変わっていない気がします。

万原ターミナルでは水辺の景色は見れても、このような街の景色が見て取れないので、訪問時はここまで来て良かったと思いました。時間の関係で万原で断念するかどうか?という部分がありましたが、敢えてここまで来るべきと改めて感じました。

ちなみに旧・美保関町は合併前は人口7,000人ほどの町でしたが、現在は松江市20万の人口の一部をなしています。

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●美保神社

美保関の観光において、代表的なものとして挙げられるのがこの神社です。

1990年以来実に28年ぶりに来たと思います(笑)

表は殆ど変わっていないと思いますが「大造営中」なる大きな看板が出ていました。

このような大規模な神社では、その設備維持の為に莫大な改修費用が要る訳で、ここでは3期に分けてその工事を実施するようですが、必要な経費が約12億円!で、国庫補助等がが5億円あるという事で、目標とする浄財が7億円と記されていました。7億円の寄付が必要な訳ですね。

7億円が必要…これはハードルが高いですね。

この美保神社は事代主神という神様を祀っているのですが、この系統のえびす神社では全国約3,000ある中の総本社であるという事です。出雲国風土記にその名が登場し、単なる町の神社ではなく由緒伝統ある神社のようで、バスに同乗していた人たちも軒並みここへ訪ねて行っていました。

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●青石畳通りを往く

美保神社から出てすぐ左に広がっているのが、この青石畳通り です。

雨が降ったら石畳の部分が青く光ることから、この名前がつけられたといいます。この辺りは1年間のうちの快晴日数が少なく、雨が降る事が本当に多いので、しょっちゅう青く光るのではないか?と勝手に思ってしまいます。

石畳も風情あるのですが、両サイドの建物にもそれぞれ味がありすぎるくらいあるのです。これをずーっと通っていくのがまた楽しいものです。

この案内札がかかっている所も江戸からの歴史を持ち、いろんな事業を展開し、一帯の商取引を統括したりなどしていたようで、その旨が記されていました。

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●さらに石畳

更に進んで行きました。

右奥の福田酒店というところも創業100年以上の歴史を持つお店といいます。

立呑みカウンターもあったりして、夕方になると地元の漁師さんで賑わうのだとか。

看板に記されているのは「神話乃酒」の文字です。ここのオリジナル商品で他店では入手不能だとか。

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●美保館

美保関の代表的な宿のひとつにこの「美保館」があります。

この石畳の通りでも建物が見えていますが、この裏に回ると海側であり、ここに来たバスの下りたところからすぐ近くです。表と裏では全然見え方が違っていますが、ここから見る建物はとても風情あるものとなっていて、とても素晴らしかったです。

そしてこの建物は登録有形文化財でもあり、2004年に登録されています。

明治41(1908)年に着工され、ここもまた100年以上の歴史を有しています。建具や電灯なども当時のものが今も使用され、黒電話もあるのだとか。

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●青砥旅館辺り

青石畳通りの中で、美保神社に最も近い地点で、神社を出て左すぐの地点です。

この辺りでは「青砥」というのは数多く見られる名前です。

左側にある旅館の建物がそれですが、現在は営業していないようです。看板だけは現役さながらでしたが…。

1850年には既に存在した問屋で、大問屋からの分家として青砥屋を名乗り現在に至る、とありましたが、現役でなくなってどのくらい経つのでしょうか。2000年の時点では旅館として登録があった模様です。この通りを歩くだけでも、現役の宿とそうでない宿が感じて取れました。何年経っても変わらない街並み…と思っていても、旅館は減るなどして時は流れている事だけは実感させられました。

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●青石畳と海辺を繋ぐ道

バスで着いた海辺から青石畳通りの距離感が分かるカットかと思いますが、時折このような狭い路地が差し挟んであって、互いの通りをこのような行き来する事ができます。

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●日帰り入浴

この辺に温泉があるとは聞いた事がなく、温泉に入れるという想定はしていませんでしたが、なんと日帰り入浴できるところが!

しかし先程、青石畳通りで裏側を見かけた「美保館」でした。これは海側にある正面玄関の入口ですが、ここに堂々と日帰り入浴の表示があり、時間と相談しつつ入る事を決意しました。

宿泊では大体¥12,000~のようですが、日帰り入浴は¥800との事でした。

早速フロントに入ってみましたが、ロビーにお客さんが数人いただけで誰も居らず…

ベルで?!鳴らす式で呼ぶようで、程なく出てこられました。御家族経営の様でした。

日帰り入浴希望の旨申し出て金を払うと「エレベーターで7Fへ行って下さい」と。また「電気ついてなかったら適当に点けてください」とも。ともかく隣にある小さなエレベーターで7Fへ。ほとんど利用者はないのでしょうか…??

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●大浴場

美保館の大浴場です。

案の定、自分以外誰も居ませんでした。

電気はとりあえずついていたようですが、脱衣所は基本カゴ置きで、貴重品は隣のBOXに入れる形式でした。マッサージ機の類は全くありませんでした。自販機類も見られませんでした。

浴場に入ると洗い場があり、シャンプー類もありました。この辺はやはり宿泊客向けにひと通りあるといった感じでしたが、眺めが最高!でした。

港周辺をパノラマ眺望!という感じで、お風呂はこれだけでサウナもなく、大して設備のない中で入浴料800円は高い??とも思いましたが、この眺めは十分その価値あったと感じました。昼見るとこんな感じでしたが、夜見るとどの程度光っているのか…??一度宿泊して確認してみたい気にもなりました。

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●なかうら

美保神社を出てすぐ右にある物産店「なかうら」です。

土産物屋さんとしてある程度まとまった代表的な店舗といってよいかと思います。

2016年12月にリニューアルされています。

土産物屋さんは勿論ですが、軽食コーナーもあり、御覧のようなそば(あごだしそば・¥600)を頂きました。バスの時間まで迫っていた事もあり、あまり味わえませんでしたが、そんなに食べられるお店が多いと感じられなかった付近一帯において貴重なところと思いました。

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●かえり

美保神社バス停から乗って松江方面へ帰りました。

行きの時のバス停とやや場所が違っていて、帰りはこの美保関郵便局の真ん前がバス停で、場所的に分かり易かったです。

ここから万原バスターミナルで一旦降りましたが、すぐ松江駅行きのバスが接続されていて、待つことなく松江まで帰ることができました。

そんな訳で、美保関の観光をギュッと詰め込みましたが、懐かしい港町に来てみたいと思ったら、時間がかかってもここへ来る事をおススメします。

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JR総持寺駅 (大阪府茨木市)

大阪府茨木市のJR総持寺(じぇいあーる・そうじじ)です。

茨木市では阪急/茨木市駅をupした事がありますが、今回は今年開業したJRの新駅をupします。

-JR総持寺駅
【路線】JR東海道本線(東京-神戸間)
【開業】2018年3月17
【訪問】2018年8月
【1日あたり平均乗車人員】 実績なし(本年開業)
【近隣の都市駅(東京方面)高槻駅→2駅
           (神戸方面)茨木駅→隣駅 

●駅名標

2018年3月17日、JRの摂津富田-茨木間3.7kmの間の駅として、エレベーターでお馴染みの「フジテック」の旧本社跡地につくられ、現在開業後5ヶ月を迎えています。

阪急に「総持寺」駅が既に存在する為、単に総持寺駅ではなく、「JR総持寺」と"JR"が冠された駅名となっています。その為、駅名標にも「JR」とデカデカと書かれています。

この関西圏域の新駅には、私鉄の同名駅が既にある場合が多いので、このようにJRが冠されているケースが非常に多くなっています。確かに場所的に他の名前を付けると混乱の元にもなると思うので、変な名前をつけられず、この形に落ち着いているのでしょうか。

この駅の沿線はほぼ阪急と平行に走っていますが、同じ名前の阪急総持寺駅は徒歩約10分の所にあります。駅名にもなっている総持寺へは徒歩5分程度で行けます。

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●待合室周辺

ホームの様子ですが、1面2線の構造で、隣の茨木駅は快速が停車しますが、当駅は普通のみの停車となっています。真ん中にシンプルな形の待合室があります。この暑い時期はここに入れるかどうかで全然違ってきます。

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●ホーム仕切り

新駅らしく?ホームの柵が設けられており、乗降口がスライドドアの形式となっていて、費用がかけられている事を感じます。

近隣の高槻駅では昇降式のホーム柵が設けられており、沿線も順次そのようにしていくのかは分かりませんが、この柵だけで見れば新幹線駅のような金のかかり具合?!でした。調べてみれば、この二重引戸の柵の採用は「JR西日本初」なのだそうで、驚きました。

改札へはここから降りていく形ですが、盛り土上に設けられたホームであり、高架駅の形ではありません。

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●改札外

階段を下りて改札を抜けて出てきたところです。

南口が公共交通機関の案内が、そして北口は施設関係の案内がありますが、正直なところこれといった何かがあるような感じではありませんでした、高層マンションなどはありますが。ちなみに阪急の総持寺駅へは南へ下る事となります。

バスは阪急茨木市駅行きなど2路線がロータリーに乗り入れてきますが、まだ初期設定というところでしょうか。今後増えていくのかどうなのか、そういう変遷を今後見て行くのも新駅の面白さかもしれないですね。

案内板の隣にある怪獣などの絵は、駅のブロジェクトで展示されているアートのひとつです。

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●北口

北口はロータリーも広場もない、ただ通路だけが線路に沿って伸びている状態でした。

駅を出て右側はいきなり封鎖されている状態で、左側から出るよりなく、これをひたすら歩いて行きました。

通路の右側は工事をしていたので何かしら開けてくるのかもしれません。もっとも向こうの柵のある部分は中学校なので、開けてくるかどうかは分かりませんが。

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●周辺案内図

バスやタクシーのロータリーのある南口にある案内板です。

阪急駅への方向でもあり、駅前の様子から見ても明らかにこっちの方がメインという印象でした。

この地図では下が北向きで、真ん中やや上が現在地であるJR総持寺駅で、左下から右上へ対角線上に走っているのがJRの路線になります。

左上をかすめるように走っているのが阪急線です。左上へ斜めに進むと阪急総持寺駅へと至り、この間が色々地図上に載っており、それなりに色々なものがあるようです。すみません実際には歩きませんでしたが(暑すぎて…)

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●南口周辺

案内板を含む南口ロータリーの様子です。

FUJITECに高層マンションに…とそんな建物は目立ちますが、デパート系や飲食系が前面にある訳ではなく、いかにもつくられた感じの雰囲気でした。

駅前も人で賑わう感じではなく、まばらな感じで、行き交う車もあまりありませんでした。

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●JR総持寺駅 駅舎

南口から見た駅舎です。

北口は先の写真のとおり、通路だけにつき南口からのみ、このように駅舎然とした建物として見る事ができます。

この時はタクシーが停まっておらず、バスの行き来も確認できませんでした。車の行き来は時々あった程度でしたが、これからどうなっていくのやら…というところですね。

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●おまけ

として、これは駅前というより、駅横にあたる部分で、真ん中が高架下でくぐる形ですが、駅入口までは距離がありながらも単なる標識ではなく、れっきとしたJRでの駅名表示がついていました。

北口通路の写真にもありました菅、やはり築堤サイドの石造り部分はやはり印象的な駅でした。

今後、阪急総持寺との連携や周辺駅の乗客取込みや色々と将来が考えられますが、そんな可能性にも期待しつつ、この記事の結びとしたいと思います。

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2018年8月18日 (土)

名鉄/竹鼻駅・羽島市役所前駅 (岐阜県羽島市)

岐阜県羽島市の名鉄/竹鼻(たけはな)駅・羽島市役所前(はしま・しやくしょまえ)の2駅の御紹介です。羽島市では、新幹線停車駅の岐阜羽島駅をupした事がありますが、羽島市では名鉄駅の方が多く、今回はその名鉄駅の方をupします。

まずは竹鼻駅から。

-名鉄/竹鼻
【路線】名鉄竹鼻線(笠松-江吉良間)
【開業】1921年6月25
【訪問】2011年11月
【1日あたり平均乗降車人員】 2,046人/日 (2016年)
【近隣の都市駅(笠松方面)笠松駅→6駅
           (江吉良方面)新羽島駅→3駅

●ホーム

名鉄竹鼻線という10km程の短い路線の駅のひとつで、その線名を名乗る駅でもあり、それなりの駅でもあるのかな、という感じでした。竹鼻線は名鉄でも愛知県を全く通らない数少ない路線のひとつでもあります。

ただホーム自体は1面1線のみでした。路線自体が短いのでホームが広い必要がないからでしょうか。利用者は少ない訳ではなく、1日あたりの乗降者は2,000人は超えています。ダイヤ的には15分に1本来る形で、決して少なくはないです。

竹鼻線の江吉良方面で江吉良駅へは2駅ですが、隣の羽島線との一帯運行で、その次の駅が新羽島駅であり、ここはJRの岐阜羽島駅と隣り合わせの駅です。つまりは新幹線駅までわずか3駅で着く格好となります。

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●ホーム2

沿線の1駅という感じで、特に何という事はありませんでしたが、広告看板の需要は最近やはりあんまりないのでしょうか。ここでも歯抜け状態になっていますが、昔はどこもこういう看板はビッシリだったような気がします。

ちなみに開業は1921年当初いまの竹鼻駅でしたが、その後1929~51年の間は「栄町」駅を名乗っており、その後また竹鼻駅に戻って今に至っています。開業当時は名鉄ではなく、「竹鼻鉄道」という鉄道会社が管轄しており、その本社がここにあった訳です。

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●竹鼻駅 駅舎

分かりづらいカットでしか撮っていないのですが、駅舎と周辺の様子です。

この駅ではホームで駅名標も撮っていなければ、駅舎もこんな適当な感じのが1枚あるだけで、特に急いでたとか撮れない状況であったとかの記憶はないのですが…。

平凡な駅舎のように見えて、中部の駅百選として第2回目に選定されています。

ちなみにこの訪問の4年前である2007年までは有人駅舎であり、現在は無人駅となっています。

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以上、竹鼻駅でした。

つづいて、羽島市役所前駅です。

-名鉄/羽島市役所前
【路線】名鉄竹鼻線(笠松-江吉良間)
【開業】1929年4月1
【訪問】2011年11月
【1日あたり平均乗降車人員】 1,989人/日 (2016年)
【近隣の都市駅(笠松方面)笠松駅→7駅
           (江吉良方面)新羽島駅→2駅

●駅名標

「市役所前」という路面電車の駅か、バス停かのような駅名ですが、れっきとした名鉄の駅です。

先の竹鼻駅の隣駅であり、この訪問時は竹鼻駅からこの駅まで歩いて行きました。両駅間は約1kmにつき時間さえあれば全然歩いて行けます。ただし、今のような酷暑の時期は1km歩くのも苦行ですが…。

隣駅は江吉良駅であり、竹鼻線としてはここまでとなりますが、その隣が新羽島駅で、江吉良駅から先の羽島線との一帯運行につき、新羽島まで2駅で着き、イコール新幹線駅のJR岐阜羽島駅までわずか2駅の好立地という事になります。

そしてひの一帯運行の竹鼻線・羽島線では、竹鼻線で名古屋本線と接する笠松駅を除いて唯一の有人駅です。それだけキーになる駅という事でしょうか。

利用者数的には竹鼻駅よりほんの少しだけ少ない恰好となっています。

この駅は改称履歴が多く、1929年の開業当初は隣にある「竹鼻駅」をこの羽島市役所前駅が名乗っていました(この時に現・竹鼻駅は栄町駅に改称)。現・竹鼻駅が栄町駅から現在の竹鼻駅に戻った1951年に、当駅は「西」竹鼻駅に改称しています。更には1959年に羽島駅となり、1982年に現駅名になって今に至ります。

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●ホーム

1面2線のホームを持っており、この点では隣の竹鼻駅よりも優位性があるというか、設備としても恵まれた格好になると言えます。

待合室もしっかりした重厚なものがホーム真ん中にデンと構えています。

ホームの柱も、待合室の骨組みとなる部分もピンクが使われており、ピンクの大変印象的な駅となっています。

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●ホーム連絡

ホームと改札の間は構内踏切で結ばれていて、踏切を渡った後は長く緩いスロープになっていて、両サイドには手すりもつけられていました。

スロープの部分は屋根がついていて、ホームまで濡れずに行けるちょっと優しい、またちょっとお金のかかった?!仕様になっています。

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●ホームを外から

1面2線ホームを斜めから見た様子です。

真ん中に待合室が存在感を放っているのと、やはりピンク色を配されているのが目立ちます。

重厚な屋根が長く続いているのも特徴的で、設備的にも周辺の沿線駅より恵まれているのでは、という印象を受けました。

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●羽島市役所前駅 駅舎

こちらは横幅はコンパクトですが、ちょっと高めで2階建ての駅舎になっています。

2階は宿直施設との事で、一般用ではなく駅職員用のようです。実質1Fのみですが、それでも駅舎としての建物が2F建てで、有人駅であるという事での規模の大きさが表われています。

タクシーが複数台停まっていて、ここにもまたそれなりの駅であることが表われているように思いました。

という訳で、竹鼻駅とこの羽島市役所前駅につきお送りしましたが、この時の観光で楽しめたのはちょっとした大仏(佐吉大仏)や歴史民俗資料館などでした。街並みも昭和情緒が色濃く残っていました。新幹線だと岐阜羽島は飛ばしてしまいがちですが、ここに降り立ってちょっと足を伸ばす事で、また面白い旅ができるので、行っても行ってもまた行きたい所が増えてしまうのです。

以上、羽島市内の2駅でした。

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2018年8月17日 (金)

大分/佐伯 B-1グランプリの頃

大分県佐伯(さいき)市、JR佐伯駅からの歩き旅です。

(2016年11月当時)

●佐伯駅 駅舎2016

本記事冒頭の佐伯駅リンクは、初訪問した1997年当時の駅舎を載せていますが、2016年に実に19年ぶりに再訪したのが今回記事のものとなります。

19年ぶり訪問となった訳ですが、その訪問のほとんどがこの時に開催されていた「西日本B-1グランプリ」に費やされたものでした。

この時、別の用で大分に行っていましたが、佐伯に長いこと訪ねていなかった事と、その当時も駅前をちょろっと歩いただけで、まともに街探訪していなかったという事で訪問を決めたところ、偶々その日が「B-1」の開催日と被った訳です。

そんな訳で、普段の佐伯とは全く違ったであろう賑わいを見せていました。駅前にもイベント用のテントが設営されていたりなどして。

ちなみに駅は1997年当時とほとんど変わっていませんでした。屋根の色が茶色から青に変わってはいましたが。

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●さいきマンホール

佐伯は城下町である、という事を19年ぶりに訪ねて初めて知りました。

それくらい当初は無知で、とにかく佐伯という地に足を下ろして「行った事がある」地を増やしたかっただけだったのかなと。

しかしこのマンホール、情緒あって美しいですね。 

「佐伯の春 先ず 城門に 来り」という独歩の文が綴られていました。

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●平野入口 バス停

佐伯駅から一つ目のバス停、というところでこの右に隠れている部分の駐車場的なスペースから、B-1グランプリ会場行きの臨時バスが出ていました。その臨時バスも乗るやたちまち定員に達して、えらい賑わいでした。

なんとか歩いてでも行ける所にあるというので、この道を向こうへまずは歩いてみる事としました。バスの混雑と、歩く苦労と、どちらを取るか??と言われたら個人的には後者を取りますね。

時刻表的には、色んな行先のものが出ていますが、それぞれそんなに本数が多くないながら、このバス停自体には毎時間帯2~5本のバスが停まる形となっており、地方都市の割には頻繁に行き来するかな、という印象でした。

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●B-1グランプリ看板

まさにこの日曜日11月20日(日)の方にここを訪ねました。

「西日本」B-1グランプリとして、2016年はここ佐伯が開催地で、翌2017年は兵庫県明石市へとバトンが渡されました。

このB-1もそんなに歴史のあるものではないでしょうが、すっかり定着しましたね、開催されるとそにこは人がどっと押し寄せてきて。よくここまでのイベントになったな、と思います。

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●佐伯市役所会場

佐伯駅から南西へ約1.5km歩いてようやく、市役所前のB-1グランプリ会場のひとつに着きました。

特設ステージが設けられてイベントが行われていましたが、もちろん屋台のお店も多数出ていました。それでも城門の所の会場に比べたら小規模だったかな、という感じでした。

建物にある横断幕には、このイベントが開催される事が記されていました。

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●市役所会場のようす

「市役所会場」として9:30~15:30となっていました。

チケットを購入して、そのチケットでもって各店で買う方式につき、まずチケットを1,000円(10枚)分買う必要があり、このうち300円とか400円分(3、4枚分)を各店で渡す形です。だから1店しか行かないと損してしまい、複数のお店で買わなければ…となってしまうのです。

色んな店が出ていて盛り上がっていましたが、ここはその会場のひとつで、別の場所でも盛り上がっていた訳です。どこもえらく並んでいて、なかなか買いに行けず、ここではチケットを買う事すら断念しました。

お店は勿論色んな街から出ていて、田川(福岡)、明石(兵庫)、出雲(島根)、徳島、今治(愛媛)、佐賀etc…の実に多数の幟が立ち並んでいました。

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●新町通り

市役所会場を抜け出て、次の会場への移動中に出くわした通りです。

地方の駅前にありがちな空洞化に対して、この辺りでもクローズアップされ、周辺の整備に乗り出したという事で、2007年にリニューアルされ、テープカットを伴う通り初めが行なわれたといいます。

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●新町通りを進む

ゲートのある入口は穏やかな雰囲気でしたが、少し進めば夜は結構賑わっているであろう雰囲気が如実に見て取れる雰囲気を醸し出していました。

この街にこんな華やかな通りがあるとは…、駅前をちょっと歩いただけでは知るはずもないというものでした。

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●なかまち

佐伯市内で唯一、アーケードのある商店街としてあるのがこの「仲町商店街」です。

ここもまた空洞化が目立ち、七夕まつりのイベントを積極的に行うなどして再生が図られている所といいます。

で、このB-1の時は、軒を並ぶ店々がB-1仕様になっている所も少なくなく、この商店街が普段どの程度賑わっているのか分かりませんが、この時はおそらく普段よりかなり賑わっていたのではないか、と感じました。

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●お祭り広場会場

佐伯駅からは最も遠い、この時のB-1でメインの会場がこの広場でした。

佐伯城門に向かっての通りでズラーッとお店が並んでいました。

とにかく何か食べたかったので、ここではチケットを買いましたが、どこも結構並んでいて、極力並んでいないところを探していました。

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●佐伯城門

佐伯は城下町である事を19年ぶり2度目の訪問でようやく知り、この事をB-1会場で体感する事となりました。それにしてもこんな立派な城門があるとは…嬉しい誤算でした。

ここは佐伯城の三の丸櫓門という事で、坂道を上った後に築かれていますが周辺には石垣が高くそびえていました。江戸時代に入ってからの1606年築城とありました。

この下一帯の広場がB-1のメイン会場であった訳です。

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●佐伯のグルメ

佐伯「ごまだしうどん大作戦」と銘打たれて大々的アピールの下で展開されていました。全国に広めることがこの時のミッションとして記されています。

佐伯の名物として飲食店で「ごまだしうどん」の文字が暖簾に見られたところもあったぐらい、地元にも浸透しているようです。

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●佐伯ごまだしうどん

ご当地佐伯のうどんを頂きました。

真ん中部分がごまだしという訳ですね。

味噌みたいな見た目になっていますが、同じように汁に溶かす形で味をしみこませて食べるようです。

あれこれ見て回っているうちに時間が来てしまい、日曜日に大分南部から帰らなければという事で、結局チケット1,000円分買って、利用したのはここだけに終わってしまいました。

B-1グランプリ開催というのは、各都市をアピールする場である事は勿論ですが、その開催した土地の観光面を潤すという非常に良い機会でもあると思いました。偶々B-1に出くわしたからこういう賑わいの佐伯に出会えたわけで、普段の佐伯の姿ももう一度見てみたい気もしました。

お城周りは城門しかここでは触れていませんがもっと広く風情ある部分がありますので、この点に絞っても佐伯という街の観光のし甲斐はあると思います。という事で一昨年の佐伯のB-1めぐりでした。

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2018年8月11日 (土)

愛知/津島 水鳥の襲撃

愛知県津島市、名鉄/津島駅からの歩き旅です。

(2018年1月当時)

●駅前スクランブル

向こうに伸びるのが津島駅からの実質的な駅前通りという感じです。

しかし駅の真ん前からこのようなスクランブル交差点とは…

横断歩道のペイントがアートを織りなしているようでした。

ちなみに津島駅の駅記事は2007年5月の事ですが、今回記事の街の様子については2018年1月当時の様子で、実に10年半ぶりにここ津島を訪ねたのでした。

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●興禅寺

「こうぜんじ」と読みます。

ローマ字も振ってありましたが、「Kozenji Temple」でした。

山門が重厚感とは程遠い、実にライトな感じでしたが、中に入ってみれば重厚なお寺で、そのへん凄いギャップがありました。入口は山門の屋根だけが重厚で韓国の寺院のようでした。

この日は雪が残っている状態で、これがまた境内の植込みに適度に積もっていて、雰囲気出ていました。

1396年創建という歴史ある曹洞宗のお寺で、津島の曹洞宗寺院では中心的な存在であるようです。

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●三吉稲荷殿

三吉と書いて「さんきち」稲荷と読みます。赤い鳥居があるように「お稲荷さん」です。

「毎日心の中で御本尊を思い、"南無三吉稲荷"と唱え手を合わせると。学力向上、良縁成就などの様々な願いが叶う」と記されていました。

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●喫茶よしみ

神社仏閣へ寄り道していましたが、再び街の通りへ出てきました。

そこで、こんな喫茶店に出くわしました。実際には帰りにここに寄って昼食したんですが、マンガ本の結構多い喫茶店でした。

津島駅から西へ約250m程の地点にあります。メニューもなかなか豊富で一服にはちょうど良かったです。

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●通りを進む

昭和時代から変わっていなさそうな街並みを進んで行きます。

今回は今年1月に訪ねた訳ですが、前回が10年余り前で、その当時は駅前をほんの少し寄った程度だったので、やっとガッツリ歩けた感じで、こんな通りにも出くわして、津島の街並みを歩きながら楽しむ事ができました。

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●御神木

御神木として縄まで施されていますが、神社の境内にあるものではなく、津島駅から歩いてきて、津島神社の手前にある大イチョウの木です。

この地は元々天王川の堤防に位置しており、そこに津島神社の御旅所があった為「御旅所の大イチョウ」として親しまれており、樹齢は約400年といわれています。こういうのを見る度に、300年前には樹齢100年といわれていたのか??と思ってしまうのですが。

訪問時が真冬だったもので、全くの枯れ木になっていましたが、秋深い頃に訪ねると葉が色づいて御神木に相応しい雰囲気を持った大木になっているのかな??とも感じました。

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●津島神社

今回、津島を訪ねるにあたり目的地のひとつとしていたところです。

津島駅から西へ徒歩約15分の所にありますが、前回は行けるはずもなかった場所で、今回はどうしても「津島らしい」所へ行きたかったので、1つ叶った格好になりました。

行く前まで「津島って何があるんだよ??」と思って、ご当地らしいところへちゃんと行けるのか?と思っていたのですが、ある程度予習してこないと…となって行き着いたのがここでした。

それまでは結構、行き当たりばったりで偶然目にしたものを愉しもう主義でしたが、こうしてブログを書いていて、それではただの自己満足になるなと(これでもかなり自己満足でしょうが…)と感じ、折角ならば記事としてお伝えできるものを、と思い始めたのがごく近年の事です。

そんなこんなでこの津島神社の入口、ここから進んで行きます。

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●南門

鳥居をくぐった先の立派すぎる門です。

ただの神社ではない「重み」を感じました。県重要文化財です。それもそのはずで、東海地方を中心に全国に約3,000ある津島神社・天王社の総本社なのです。そんな神社が、この津島にあるとは…でした。訪ねてみないと分からないことだらけです。

この門は、安土桃山末期の慶長3年に豊臣秀吉の病気平癒のため、子の秀頼が寄進したものと伝えられていたものの、長年その真偽は不明でした。ところが昭和34(1959)年の伊勢湾台風で、隣接の大木が倒れた為に修理をしていた時に、慶長3年の墨書きが見つかった事で、言い伝えの信憑性が確認された訳ですね。

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●拝殿

江戸初期の1619年や1626年に修理記録がある事から、これ以前に建てられたものと思割ますが、切妻の立派な建物です。屋根がいかにもというぐらい、末広がり感に満ち溢れていました。

このように正面から見るとちょっと平板に見えてしまうかもしれませんが、奥行きは結構あります。

青空とのコントラストがクッキリで実に映えていました。

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●境内

門を入った後の境内の様子ですが、向こうに見えているのが南門です。結構だだっ広い感じというか、拝殿より向こうが色々と建物が詰まっている感じで、門から拝殿は割とスペースがありました。

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●津島神社 案内図

鳥居があるのが左端で、ここから駐車場を経て南門から入り、拝殿へ至る流れでやって来ました。

上の写真でガランとした部分が見えましたが、これを見ても左上の部分がスペースあるのが分かると思います。

【津島神社】

所在地:愛知県津島市神明町1

電話:0567-26-3216

アクセス:名鉄/津島駅より西へ徒歩約15分

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●津島の目的地

今回の津島の旅で目的地としていたのが、この地図にある2ヶ所で、1つは先ほどまでの津島神社で、もう1つが「天王川公園」です。まだこの時点ではどんな公園化もよく分かっていませんでした。ただ、広めの池があるというぐらいで。ちなみに津島駅は、この右に隠れている部分にあります。

でも、しかしこの天王川公園を訪ねた事は想定以上に記憶に残りました。ただの水辺の公園ではなかったのです。その事はこの後で。

また、同じ地図に「津島4大祭」も載っていました。これらは時期を選んで行けば、いつもと違った津島が見れて、それはそれでよいかなと。左の3つは今年はもう過ぎてしまいましたが、いちばん右の秋まつりは10月初めということで、また山車や神楽など結構ド派手なものを想像させる感じの祭のようですね。

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●第二目的地

津島神社より程近くの「天王川公園」へやって来ました。

「津島 観光」で検索すると上位に出てくるので行ってみよう。とそんな感じでやって来ました。

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●水辺

貸ボートのりばの看板がある池でした。貸ボート自体は沢山置いてありましたが、閉まっていて機能していないようでした。

ここまで見る限りでは、普通の水辺の公園ですが…

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●突然…

上の写真とほぼ同じ位置でアップしたところ…

突然このような水鳥の大群が飛んできました。

ここからがここでの観光の始まりでした。

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●水鳥の大群

とにかく、この水鳥の大群です。

水辺へ降り立ってみると迫力満点です。

実際は、この写真で見るよりもっと迫力があり、飛んでくる大群が恐ろしいぐらいでした。

ウジャウジャしたの見るの怖い方は、ここから先は見ない方が良いと思います。

誰かがエサをやったりしていると、たちまちのうちに寄ってきて、大群で飛び立っていくのが恐ろしいもんでした。低空飛行するもんで尚更です。

水鳥がそこそこいる水辺はしょっちゅう見かけますが、こんなに大群で飛んできて、そして飛んでいくのはなかなか見なかったので、これだけで「津島」という街に対しての印象がすっかりできあがってしまいました。

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●朱塗りの橋

お稲荷さんから津島神社からそしてここにも、とにかく朱塗りづくしの街であった、というのがものすごい勝手な津島に対する印象でもありました。

この橋は横から青空をバックに撮って、水面に映えている姿を見ると、ホントに絵になるな、という事を感じずにはいられませんでした。

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●貸ボート

シャッターが下りていて、借りられない状態でした。

こんなに置いてあるのにナント勿体ない…。

しかしどこ撮っても水鳥が写っています(笑)

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●水辺の売店

閉め切っていて中の様子がよく分かりませんでしたが、水辺に売店があるぐらいには、栄えている公園である、という事だと思います。

水鳥たちのエサのおこぼれにあずかろうとしたのか、ネコがウロウロしていました。

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●整列

川面で、木柱らしきものの上に並んでいる水鳥たち。

椅子取りゲームのようにピッチリ埋まっていました。

水鳥づくしであったこの天王川公園でした。

津島神社に天王川公園と、津島の名所を訪ね歩きましたが、津島の楽しみはこれだけではなかったです。続編がお送りできればしたいと思いますが、今回はここまでとさせて頂きます。嬉しい誤算の津島旅、ありがとうございました。

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2018年8月 8日 (水)

近鉄/新田辺駅 (京都府京田辺市)

京都府京田辺市の近鉄/新田辺(しんたなべ)です。

京田辺市ではJR京田辺駅をupした事がありますが、これと程近い京田辺の中心的存在としてこの駅をupします。

-近鉄/新田辺
【路線】近鉄京都線(京都-大和西大寺間)
【開業】1928年11月3
【訪問】2008年7月
【1日あたり平均乗降車人員】 25,881人/日 (2015年)
【近隣の都市駅(京都方面)近鉄丹波橋駅→9駅
           (大和西大寺方面)大和西大寺駅→10駅

●駅名標周辺

JR京田辺駅がかつて「田辺駅」を名乗っており、これに対しての「新」田辺駅と思われます。ちなみに和歌山県田辺市にあるのは「紀伊」田辺駅です。

近鉄京都線は奈良市京都市を結びますが両市以外の経由地では市の中心駅にはなかなか通らないので、当駅の存在は貴重です。

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●ホーム

ホームは2面4線となかなか広く設けられています。

これは2008年当時、今からもう10年も前の姿ですが、電車が「KYOTO」の文字と共に、金閣が描かれていたり、既にラッピング電車があったんですね。

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●線路と電車

ホームを離れたところの線路の交差具合の様子と複数の留置線に停まる電車の様子です。

左向こうには車庫も見えます。

広い駅敷地を持っているのがよく分かりますね。

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●改札周辺

橋上駅舎構造で、ホームを上がった先が改札となっており、左右両側に出られるよう通路が通っている形となっています。改札を出たすぐ先はパン屋さんでした。

JR京田辺駅までは約300mほどで、徒歩移動は十分に可能ですが、連絡があるかというとそうではない状態です。

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●一休ととんちはし

一休さんのモデルである一休宗純が没した地がここ田辺であるといいます。

近くには「一休寺」というお寺がありますが、この像の真ん中には橋のど真ん中を闊歩するかのようなプチ一休さんが見受けられます。

アニメであったのが「このはし わたるべからず」と橋の前に書かれているのを、とんちを駆使して堂々と闊歩する様子でした。この端わたるべからず、って事でではなくど真ん中をのし歩いてたというものでした。

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●ありとあらゆる案内

とにかく「案内」の文字がひと通りある駅前の一角です。

新田辺駅そのものの駅前広場の案内図から、名所「一休寺」の案内図、観光案内にバス路線図にと、とにかく色んな案内がありました。

一休寺へは徒歩15分とありましたが、JR京田辺駅の方が近くにあります。一休さんが晩年を過ごされ、当地に葬られたとされ、一休ファン?にとっては垂涎の地ともいえます。

お寺は拝観料がかかるそうで、大人500円とありました。

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●一休さん

そのものズバリの「一休さん」と表示された像がありました。

いかにも寺小姓という感じで、ホウキ持ってました。

新田辺駅の象徴的な像といえるかと思います。

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●駅前通り

駅から横断歩道を挟んでホコテン様の商店街が続くこの街並みは、北海道の旭川駅前に雰囲気似てるな、と感じました。

コンビニからボウリングから本屋から、と多種多様ですが、これが10年前の姿である為、今はどのくらい変わっているやらいないやら…です。

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●新田辺駅 駅舎

ガラス張りに「本 CD」と描き込まれた形の駅舎でした。

Wikipediaで現在の駅の姿を確認しにいきましたが、やはり今回記事と同じ2008年当時の様子だったので全く一緒でした(笑)

ちなみにこちらは西口ですが、こちらの方がメインのようで、東口はもっと簡素なつくりのものでした。東口へは行っていないので西口のみのカットです。

駅の1F部分はケンタッキーとか色々お店が入っていました。そして駅前ロータリーもそこそこスペースが取られていて、京田辺の中心的な雰囲気は随所に窺えました。

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2018年8月 6日 (月)

大阪/柏原 柏原を愉しんだ3つの方法

大阪府柏原(かしわら)市、JR柏原駅からの歩き旅です。

(2017年8月当時)

●サンプラザ

中野駅ではありません、大阪の柏原駅前にも駅前に「サンプラザ」がありました。ここはホールとかではなく、スーパーマーケットです。

ちなみにここの柏原は「かしわら

兵庫県丹波市の旧・柏原町は「かいばら

滋賀県米原市の柏原はそのまんま「かしわばら」

奈良県橿原市は「かしら」

と、柏原駅の記事にも書きましたが、それぞれ読みが異なります。

駅記事は2006年11月当時とずいぶん前のものですが、今回の街記事はちょうど1年前の2017年8月当時のもので、ほぼ現在の姿といっても良いレベルです。

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●不意に見えた煙突!

柏原市に来て、何か見つかるかな?と適当に歩みを進めていたところ、全く想定していなかったものが見えてきました!

煙突 です

ということは、温泉??

と思って近づいてみたら…

新柏原温泉 とありました!

ただただ街歩きするだけのつもりでしたが、これを見て「ちょっと入ってみるか??」と急遽方向転換しました。あまり銭湯然とした所へはあまり入った事なかったのですが、表を見て入ってみようという気になりました。

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●新柏原温泉

という訳で、上の写真の所をまっすぐ向こうへ進んで回り込んだ形が、この下の写真の表口になります。

単なる銭湯然とした感じ、というよりちょっとこじゃれた感じもするかな、という雰囲気でした。この年の3月にリニューアルされたそうで、その分こじゃれていたのかもしれません。

そんなこんなで入ってみました、この新柏原温泉。JR柏原駅から約350mで、徒歩で4~5分もあれば着きます。

中に入ればお湯も結構バリエーションに富んでいて、ただの銭湯より充実していました。待合スペースはそれほど広くなく、ロビーに飲み物が売っていたぐらいの感じで、このへんはスーパー銭湯ほどの広さや設備が充実しているわけではない感じでした。

この柏原市を愉しんだいちばん最初は、この温泉でした。

<新柏原温泉>

□住 所 大阪府柏原市大正1-3-21

□電話番号 072-972-3458

□定休日 第1.3.5月曜日

□入浴料 440円

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●黒田神社

新柏原温泉を出て、再び街歩きへと出ましたが、神社が目に入りました。

ここは「黒田神社」

元々は塩殿神社と称していたといいますが、戦禍にあったりなどして藤井寺市の黒田神社祭神などを祀る「黒田神社」と改称された経緯を持ちます。農民の耕している田畑が黒々としていてほしい、という願いからつけられた名前ともいわれています。

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●柏原神社

黒田神社の北に鎮座する形で柏原駅の北西約300mの地点に鎮座しており、表の碑には「正一位 白髭大明神」とありましたが、神社としては「柏原神社」とシンプルなネーミングの神社でした。

柏原市を愉しんだ2つ目はこれらの「神社」群です。

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●三田家住宅

柏原市を愉しんだ3つ目は、このような旧家の眺めです。

ここは「三田(さんだ)家住宅」という旧家で、重要文化財に指定されています。

三田家は「干鰯」や「油粕」などを商い、柏原舟の営業をし、地主としても栄えた家で売るという事で、江戸時代は相当な有力者だったのでしょう。

この住宅は江戸時代の明和年間(1760年代)に大普請が行なわれていますが、これ以降は大きな改修がなく今の世に至るまで、当時の雰囲気を遺した素晴らしい建物である、という事です。

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●寺田家住宅

柏原市で3つ目に楽しんだ「旧家の街並み」としてもうひとつは、この寺田家住宅です。

寺田家は庄屋をしながら、三田家同様に油粕問屋や舟の運営をしていたようです。

建物も三田家同様ですが、2F部分の高さが低く見える「つし二階」構造で、大名などが行列で通る時に、建物で偉そうにしないように?!わざと低く見せているものですね。

建物はやはり明和年間のもので、門や蔵などが登録有形文化財に指定されています。

三田家と寺田家、非常に建物として共通点が多いですが、これらがほぼ真傍に建っているのも面白いですね。競合したのかしなかったのか…。

柏原にこんな旧家が並び立っているなど思ってもいなかったので、最初の温泉の発見といい、嬉しい誤算続きであった、この柏原市の歩き旅でした。

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2018年8月 2日 (木)

千葉/八街 やっちまった八街!

千葉県八街(やちまた)市、JR八街駅からの歩き旅です。

(2011年2月当時)

●駅前通り

「栄町商店会」の名前の入った看板に2連の街灯が街に続いていました。

それにしても千葉県というところは、「八」で始まる主要地が多いと感じます。ここ街もですが、日市場(匝瑳市)や、千代市など。末広がりで縁起良さそうです。ひらがなにすると、「やちまた」、「っ」を入れて「やっちまった」となってしまいますが、そこは「八」の字の縁起の良さ優先で

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●カーブする商店街

昭和の香り佇む駅前の商店街色濃いところですが、上の写真より道幅が広そうで明らかな2車線道路でした。

左手前に渋すぎる出で立ちの店が立ち並んでいました。

信州屋は洋品店で、ぽっちはここの商店かい゛の振興組合が運営する店との事で、ここの振興組合のキャラクターもズバリ「ぼっちくん」というそうです。ひとりぼっちじゃないよ、などと但し書きがありましたが…。

ちなみにここの商店街は、昔懐かしいランプ式でした。

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●八街「ほ」

電柱にあったこの文字。

八街には「八街市八街」の「い」「ろ」「は」「に」「ほ」「へ」などが住所として存在するようです。ここはその「ほ」なのです。

千葉県にはこのような形式の区割りが結構あるらしく、大字を大胆にイロハニホなどと振った事が原因といわれています。「お前住所どこ?」「へ」とかそんな会話があったりするのでしょうか?

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●八街駅入口バス停

「ちばフラワーバス」と八街市の「ふれあいバス」の標識がそれぞれ立っていました。

この停留所は八街駅バス停の隣の停留所です。

千葉らしく落花生のイラストが描かれていますが、どこか「バーバパパ」っぽいですね!

ふれあいバスの方は、東ルートとして1日9便あり月~金で運行しており、土曜日は朝便夕便を除いた7本あります。(日曜は運休)

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●けやきの森公園

八街駅から徒歩5分の所にある公園です。

2月の訪問でしたが、うっすら雪化粧の部分もありました。

案内板がありましたが、この八街の開拓は1869(明治2)年だそうで、まるで北海道の開拓かというぐらいの時期だったのですね。八街農林保育園として1990(平成2)年まで使用されていたと記されていました。

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●イラストシャッター

ちょっと裏通りという感じの通りに出てきてみたら、シャッターが軒並みこのようなイラストのあるお店が並ぶ通りでした。

下2枚の上側の写真の手前はキョーレオピンって感じの絵でした。

ひと気は皆無でしたが、イラストのあるせいかゴーストタウン的な感じはありませんでした。

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八街の名所としては、名物である落花生や、また動物にまつわるものも複数あるようで、今度はそんなアプローチからしてみるのも楽しいかなと思いました。

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