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2018年11月の10件の記事

2018年11月29日 (木)

JR牛久駅 (茨城県牛久市)

茨城県牛久市のJR牛久(うしく)です

牛久市は、茨城県の南部に位置し、人口は84,785人(2018.10.1現在)です。牛久といえば横綱・稀勢の里の出身地として有名で、またブロンズ立像としては世界最大の120mを誇る「牛久大仏」もあまりに有名な街です。

-JR牛久駅-
【路線】
JR常磐線(日暮里-いわき間)
【開業】1896年12月25日
【訪問】初訪問-2000年1月
【1日あたり平均乗車人員】 12,895人/日 (2017年)
【近隣の主要駅 (日暮里方面)取手駅→3駅  
            (いわき方面)土浦駅→3駅


●駅名標

ここへ初めて訪ねたのが2000年のお正月の事でしたが、今回記事でお届けするのは2016年に15年ぶり再訪した時のものです。なぜ再訪分をupしたかというと、2001年当時は殆ど写真を撮っていなかったからです

隣の駅は「ひたち野うしく」で、これまた「うしく」の文字が入っています。利用者数レベルでいえば、ひたち野うしく駅はこの牛久駅の約半分で、メインはこの牛久駅になります。更に利用者数でいえば、茨城県内の常磐線の駅で6位を記録しています。

牛久の語源は、怠け者の小僧が牛になってしまい、沼に身投げをしたといい「牛食う沼」から「うしく」になったといわれています。

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●ホーム1

跨線橋のない側です。

長く屋根がつけられているのが分かります。

常磐線にのみ属していてどこにも分岐はしておらず、特急「ときわ」の一部列車が停車します。

2面2線のホームで内側に線路がある格好になっています。市の中心駅ではありますが、分岐していないので途中駅のひとつ感がもろに出ていて、特段「ようこそ牛久へ」みたいな感じもあまりなかったです。

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●ホーム2

跨線橋のある側です。

跨線橋というより、改札にもなっている橋上駅舎です。

やはり屋根が長くつづいているのが分かります。

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●自販機の並び

自販機が5つも並んでいたのが印象的でした。

なかなかこんな沢山の自販機が並んでいる駅のホームはないのではないでしょうか?

少なくとも自分の記憶の中にはなく、思わず撮ってしまいました。個人的に牛久駅といえばこれです!

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●橋の上から

線路を見下ろした様子です。

ガラスにピントが合っていて、向こうの風景がボケてしまっています。

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●ようこそ

駅ホームでなかなか「ようこそ牛久へ」的なものが見れなかったのですが、ホームから上がってようやく見れました。

やはり牛久大仏が前面に出ていました。顔抜き看板式でお出迎えとは!右側のカッパは牛久沼に棲むといわれるカッパです。しかしカッパって実在しないものなのに、皆のイメージが容易につくものであり、その浸透力たるや凄まじいものがあると感じさせられます。なんで居もしない動物?生命体??を皆いとも簡単に想像できるんだよ??と思ってしまいます。

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●駅出て目線

駅西口の建屋2Fから出てペデストリアンデッキ周辺の様子ですが、真ん前にESCADO(エスカード)牛久という複合商業施設がでっかく建っていました。

イズミヤが入っていたのですが、この後2017年2月1日に閉店となっています。これでもちょっと前の写真ですが、刻々状況は変わるのですね。

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●駅前広場

同じく西口ペデストリアンデッキから駅前を見下ろした様子です。

ロータリーが整備されたいかにも関東の都市の駅前という感じです。

デッキの1階段から降りてバス停に至るというルート取りも関東の都市の駅前に多い構造のように思います。

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●牛久駅 駅舎(西口)

メインの西口駅舎です。

2Fから撮ると全体像が掴めないため、下に降りてペデストリアンデッキ含めた状態でも撮りました。

デッキの上はただの通路で、県都の水戸駅のような、そこに色んなものがあるという感じではありませんでした。2000年に初めて来た時と基本変わっていないと思います。

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●牛久駅東口

反対側へ回って、どちらかというとサブ側になる東口です。

出口もやや簡素で、半円くり抜いたみたいなコンパクトな建物に階段が入った形のものでした。

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2018年11月25日 (日)

JRりんくうタウン駅 (大阪府泉佐野市)

大阪府泉佐野市のJRりんくうタウン駅です。

泉佐野市では南海/泉佐野駅をupした事がありますが、今回は関西空港の隣にあるこの駅の御紹介です。

-JR・南海/りんくうタウン
【路線】JR関西空港線(日根野-関西空港間)
     南海空港線(泉佐野-関西空港間)

【開業】1994年6月15日
【訪問】初訪問-1997年3月
【1日あたり平均乗車人員】 JR-3,112人/日(2016年)
                  南海-5,316人/日(2016年)  

【近隣の都市駅】(関西空港方面)関西空港駅→隣駅 
           (泉佐野方面)泉佐野駅 →隣駅
           (日根野方面)日根野駅→隣駅

●駅名標周辺

駅の開業は1994年、関西空港の開港に合わせてできた駅です。

大阪の陸地と関西空港を結ぶ真ん中にある駅で、JRも南海でも空港線として中間駅の役割を果たしています。

今年の秋には台風の影響で駅機能が停止した事でも話題に上がりましたね。

こちらはJRのホームですが、南海も同居する形になっていて、隣の関西空港駅までこの関係性は続きます。ただし大阪の陸地(本州)側は隣駅がJRでは日根野、南海は泉佐野とそれぞれ別の所へ繋がる格好となっています。

駅名標の真下は時刻表だけでなく、路線図まで載っていました。ダイヤ的には1時間に3本程度で、普通以外に関空快速などは停車しますが、特急「はるか」は停車しません。また南海では特急にあたる「ラピート」は停車します。

ここに初めて来たのは1997年の事ですが、この記事の写真は2009年5月当時のものです。

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●ホーム

2面4線のホームで、外側が南海のホームで、内側がJRのホームとなっています。

高架ホームとなっていて、ここから階段を下りて改札へ向かう事となります。

真ん中の屋根が両サイド柱で繋がっていて、その上に半円状のものが覆った模様となっています。

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●駅を出て

だいぶ夕暮れ時であったので、全体的に暗めの画像になっていますが、駅を出て、いかにも人工的な街づくりを感じさせられました。やはり関空開港に合わせて造られているので、ビルや床やなんやかや人工物に覆い尽くされている感じでした。

向かいここの遊園地で遊んだことがありますが、その時は逆バンジーとかあって楽しみました。1人でここへ来てみると、何しよか?って感じになってしまいました。

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●観覧車

りんくうタウンの象徴的なものとして有名なこの観覧車「りんくうの星」。

高さは85mにもなり、泉州平野など一望できるこの観覧車は1人あたり700円で乗れます。夜はライトアップされていてとても綺麗で、関空から帰ってくる時に目に飛び込んでくるこの観覧車が素晴らしい訳です。

中途半端に暗いとライトアップされた見え方も中途半端です(笑)

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●りんくうタウン駅 駅舎

南海とJRのマークが駅名についていました。

ANAゲートタワーホテル大阪と表記のついたホテルが写っていますが、このホテルはこの写真の2年後の2011年6月に閉館となっています。その後7月にスターゲイトホテル関西エアポートとして開業しています。

りんくうプレミアムアウトレットなどがあるので、そういうところへ行くのも良いかな、というところです。しかし台風が直撃してくると立地の関係上、えらい事になるというのがこの秋の事でよく分かったので、泊まる場所として利用するかどうか、とか考えさせられたものでした。

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2018年11月23日 (金)

兵庫/たつの 新宮 素晴らしき紅葉の世界!

兵庫県たつの市、JR播磨新宮駅からの歩き旅です。

特に今どきの時期にピッタリな紅葉名所、東山公園を中心にお送りします。

(2011年11月当時)

●新宮新町あたり

播磨新宮駅から南東へ200~300m程の地点ですが、商店街になっていて、昔ながらの街並みを愉しむ事ができました。このあたり何十年も変わっていなさそうに感じます。昭和63年だってこのような状態だったのかもしれませんし。

今回は紅葉名所中心になりますが、このような街並みをバックに歩くのも風情あっていいなと思います。

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●東山公園へのアクセス

今回の目的地である紅葉名所・東山公園へのアクセスです。

播磨新宮駅から南東へ歩いて15分強、距離にして1.2km程になります。揖保川に架かる橋を渡ってすぐです。

その道の途中に上の写真の商店街の街並みが見える訳です。

東山公園に対して「西山公園」もあります(笑)

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●東山公園橋

ここを渡れば東山公園!というところですが、これがナント吊り橋!

ものすごく風情があります

吊り橋の向こうに紅葉名所がある訳ですから、もう風情の塊です!

恐怖症の人には拷問のようなものかもしれませんが、歩く時に橋がタワンタワンなるこの感覚がなんともいえません。

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●もみじまつり

という幟と、両サイドにぼんぼり?のある道を上って紅葉の咲き誇る公園内へといざなわれていきます。

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●志んぐ荘

新宮だから「しんぐ」荘?昔々行くはずだった所?ですがお流れになって1981年に行くはずだったここに30年の時を経て来る事ができました。

東山公園に入るところにある国民宿舎です。

たつの市でも新宮地区を代表する宿泊施設といっても過言ではないでしょう。鉄筋11F建て、333名収容、和室58・洋室5の合わせて63室あり、大浴場つきで、大浴場は日帰りでも300円で利用できるとありました。料金的には大人9,440円からという事でビジネスホテルなどに比べると少々高めではあります。

ランチのワンコインレストランも惹きつけられました。

国民宿舎 志んぐ荘

住所:〒679-4313 兵庫県たつの市新宮町新宮1093

電話:0791-75-0401

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●しんぐうガイドマップ

旧新宮町での単位のガイドマップです。

町内は東の方に都会的な部分が集中している感じで、西側と密集度合いが全く違う事が見て取れます。ただ電車の線路は真ん中を横切るように走っています。

境界外は宍粟市山崎町とか佐用町三日月とか、旧の自治体管轄を遺しつつ、現在の町名等で表現されています。

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●混在紅葉

緑も黄色も赤もあるモミジです。

真っ赤っかの紅葉よりこっちの方が風情があっていいというものです。

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●鮎つかみ

の看板が出ている川がありました。

夏には鮎のつかみどりができるそうです。

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●公園案内図

公園エリア中ほどにあった案内図です。

揖保川から分岐した小川を挟みつつ公園エリアが形成されています。

左下には「新宮町」と旧町時代の表記がなされていました。

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●鴨

が川で沢山泳いでいました。

足の部分がよく見えたのが印象的で、水が綺麗なのでしょうか。

普段あまり見ませんが、水面下で足を一生懸命動かしているのがよく見えました。悠然と泳いでいるように見えるのが実はそうではないというのが見て取れたという訳です。

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●真っ赤に色づく

紅葉を片っ端からあげますが、真っ赤なものも良いし、他の色とのコントラストがまた素晴らしいなと感じさせられます。まさに今この時期、3連休スタートしたこの時期がベストではないでしょうか。

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●紅葉の織りなす幻想風景

という事で、木々と紅葉の織りなすこの時期ならではの風景を片っ端からあげてみます。

とくとご覧下さい!

赤い部分もそうですが、その周りにがある事によって、更には上からの木漏れ日がある事によって、更に景色が幻想的になっていく事を、この公園に行って強く感じました。赤いきつねと緑のたぬきって、まさかこのような紅葉風景に因んで名づけられたとか(ウソです)

渋すぎる紅葉名所ですが、一度行ってみてほしい、そう思わせる場所でした。

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●そんなこんな東山公園

ここは全く赤のない、純然たる緑の部分ですが、それまで目が赤で慣れていたので、緑ばかりの所に来ると不自然な気さえしました、という訳です。

以上、東山公園を中心とした、たつの市新宮町の旅でした!

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2018年11月21日 (水)

JR播磨新宮駅 (兵庫県たつの市)

兵庫県たつの市のJR播磨新宮(はりま・しんぐう)です。

たつの市ではJR本竜野駅をupした事がありますが、今回は少し離れたこの駅の御紹介です。

-JR播磨新宮
【路線】JR姫新線 (姫路-新見間)
【開業】1932年7月11日
【訪問】初訪問-1991年8月
【1日あたり平均乗車人員】 1,225人/日 (2016年)
【近隣の都市駅】(姫路方面)本竜野駅→2駅 
           (新見方面)佐用駅→5駅

●駅名標周辺

この駅を初めて訪問したのは1991年夏の事ですが、それから20年経った2011年訪問時の写真を主にお届けしたいと思います。

本竜野駅は純然たる旧龍野市からの市の中心駅ですが、この播磨新宮駅は平成の大合併までは「揖保郡新宮町」という郡部の町の中心駅でした。現在ではたつの市の新宮地区の中心駅という位置づけです。

姫路から津山を経て新見まで結ぶ「姫新線」の駅で、姫路駅から22km離れたこの駅までが現在のICOCAの使用範囲といいます。

姫新線の中でも東側の姫路-津山間は当初「姫津線」と称していましたが、その姫津線が開業したのが1930年の事で、当時は姫路-余部間の2駅分(約6km)のみだったのですが、その2年後にはこの播磨新宮まで延伸され1932年に当駅は開業しました。

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●ホーム

ホームは2面3線あります。

姫新線内においては、本竜野と佐用をつなぐ役割を担う、沿線の主要駅のひとつです。

近年橋上駅舎化されましたが、この沿線内でこれほどの設備投資される駅は少なく、それだけこの駅に対する期待感があるという事かと思います。

ホーム上に自販機があるのも、この沿線上では珍しいと思います。

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●ブンセン本社

駅のすぐ前にはブンセンの工場があります。

佃煮でお馴染みの「アラ!」はこのブンセンの商品で、そのブンセンの本社はナント、ここ新宮にあるのです。

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●向いホーム

この辺りも近年新設された部分で、この当時が2011年の姿であり、2009年頃にできているので、まだまだピカピカしていました。

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●自由通路

2010年に橋上駅舎化されて、ガラッと雰囲気が変わりました。

沿線では市内の中心地・本竜野駅とここだけが目立って設備的に進歩しました。投資された訳ですね。たつの市のこの両駅だけが恩恵を受けた格好で、この投資に見合う発展も期待されているかと思いますが、これからどうなっていくのやら…という部分もありますね。

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●自由通路2

南口への通路の様子です。

右側の看板には「JR線」とありますが、JR以外の電車が乗り入れているのか!と思われそうですが、そんな事は全くありません。純然たるJRのみの駅です。

この辺りでJR以外にも路線が入っているところといえば、姫路から離れていく津山方面で「佐用」駅があり、この駅では智頭急行も走っています。

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●長い階段

播磨新宮駅に10年以上行っていない、という方々にとっては想像もつかない画だと思いますが、駅の中にこんなにも長い階段がありました。

とても姫新線の駅とは思えない?!設備が目の前にあってビックリしたものでした。この駅が旧・新宮町にあった頃からでは想像だにつかない光景がそこにありました。

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●時刻表

姫路方面は1時間に2本、反対側の津山方面は1時間に1本程度のダイヤとなっています。姫路から離れていくほどに列車の本数が少なくなっていきます。そしてその減り方が結構顕著です。

右側は佐用・津山方面となっていますが、津山まで行くのはかなり少ないです。大体は途中で終点になってしまうので。

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●播磨新宮駅 駅舎(北口)

ブンセンの工場がある側で、ブンセンへ電車で通勤している方がいたら非常に便利な出口となります。駅前広場としてはどちらかというとサブ側になると思います。

2011年春にロータリーができたといいますが、このように橋上駅舎化される前は、こちら側に出口はなく一方のみであったので、駅の設備が格上げされ、このように新しい出口も設けられ、と本当にこの駅は発展しました。そういのがはっきり分かるのっていいですよね。

この時はまだできたばっかりで全体的に綺麗でした。

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●南口に転じて

北口は出口がつくられた事自体が画期的?で、ロータリーと時計塔だけ作りましたよ的な感じでしたが、元々出口があってメイン側のこちら南口は色々とあります。

まずはこの駅バス停があり、石のゴツゴツした柱が印象的でしたが、のりばが複数あって、ただの駅前のバス停というよりは、拠点駅感がありました。

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●駅前(南口)

駅前広場とその向こうに続く駅前通りの様子です。

「駅前食堂」なんてあるのが、旧の郡部の町の駅前感があります。

駅前通りは川に阻まれ、突き当たりまでの距離が短い状態で終わってしまいます。

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●播磨新宮駅 駅舎(南口)

メインの南口駅舎です。

かつて新宮町であった頃からは想像のつかないほどの大きな駅舎となっています。

向かって右に隣接している喫茶店「マルマス」は昔からあります。

この規模でと小都市の中心駅より大きいぐらいですね・

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●播磨新宮駅 駅舎'07

2007年当時の駅舎の様子です。

まだ橋上のカケラもない、単なる地上駅舎でした。色は時々変わったりしていましたが。

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●播磨新宮駅 駅舎'91

そしてこれは初めて訪問した1991年夏当時の駅舎の様子です。

同じ建物ですが、随分と印象が違います。

電話ボックスがあったり、床が未整備で、広場の境目に柵がなかったりして、カナリア坊とな感じがそこかしこに漂っていました。

こういう写真を撮っておくと、こんなにも変遷が見て取れるんですね、実に素晴らしい、と勝手に思いつつ、播磨新宮駅の駅記事を終わりたいと思います。

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2018年11月18日 (日)

山電/荒井駅・伊保駅 (兵庫県高砂市)

兵庫県高砂市の山電/荒井(あらい)駅・伊保(いほ)駅を合わせて御紹介です。

高砂市では、同じ山電の高砂駅や、JRでは宝殿駅・曽根駅をupした事がありますが、これらに続いての駅紹介の形となります。

まずは荒井駅からです。

-山電/荒井
【路線】山陽電鉄本線 (西代-山陽姫路間)
【開業】1923年8月19日
【訪問】初訪問-1991年8月
【1日あたり平均乗車人員】 6,279人/日 (2016年)
【近隣の都市駅】(西代方面)高砂駅→隣駅 
           (山陽姫路方面)飾磨駅→8駅

●駅名標と時刻表

隣が市内中心の高砂駅ではありますが、あまり街の中心という感じでもないかな、という中途半端な印象です。高砂駅は特急停車駅でもありますが。

ダイヤ的には昼間が少なく、15分に1本程度ですが、朝晩は多めです。

ここに初めて来たのが1991年夏に通りかかった時ですが、その後しばらく行っておらず、これは一昨年2016年3月、今から2年半ほど前の姿になります。

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●ホーム1

出口への通路へと至るホーム周りですが、木製ベンチが距離を置きながら設置されています。

向こうの階段を下りて出口に向かいますが、出口の階段はイコールホーム幅で、ここへ出るしかという感じです。

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●ホーム2

向かいのホームと共に見えるカットですが、2面2線のホームというのが分かります。

隣の高砂駅が特急停車駅である事に対して、1.2km離れているだけの当駅は特急は停車しませんが、駅乗車人員としては高砂駅の倍程度あり、高砂市内の山電4駅(高砂、荒井、伊保、曽根)ではダントツで最多です。工場勤務者によるところも多いかと思いますが。

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●跨線橋周辺

エレベータが取りつけられていて、2011年にバリアフリー対応になっているとの事です。

それまで地下道で繋がっていて、今もその状態は保っていますが、そちらのバリアフリーはなく、このエレベータで対応している状態です。

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●地下道

ホームからの階段を下りて行ったところの地下道の様子です。

その降りていった通路の向こうに改札がある、という構造になっています。

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●地上改札

上の写真の改札は南側の工場通勤者向けが主になりますが、通常の街へ出る改札はこちら側の北の改札になります。

南側は工場の立ち並ぶエリアで、キッコーマンや三菱重工、神戸製鋼などの工場があり、またタクマという一部上場企業もあります。

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●駅前目線

駅を出るとこんな感じで、駅前広場にあたるスペースは殆どありません。

ちょっと通路があるだけで、すぐの所にコンビニがあります。

交差する道路が駅前通りという事になりますが、単なる市街地であまり駅前道的な性格のものではない感じです。

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●マップ

「あらい浜風公園周辺マッフ」という形で、駅のすぐ前に出ていました。

南側である海側が工場の立ち並ぶ地帯で、北側が街の方である事がはっきり分かる形で示されています。

そこにはあらい浜風公園という公園がある事がアビーされている感じですが、夕陽のきれいなスポットなのか、そこから見た夕陽の写真も載っていました。

また高砂市民プールも近くにあり、北口の街側では荒井神社や高砂市民病院等があります。

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●荒井駅 駅舎

街側である北口の様子ですが、小さな駅舎であるものの、モニタが設置されています。

駅前の通路がこんな感じで、ホントにスペースが皆無なのが分かると思います。左側はコンビニの建物で、右側は柵で覆われ、幅がこれだけしかなく、車の乗り入れなどできない状態です。

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さて、次はとなりの「伊保駅」です。

-山電/伊保
【路線】山陽電鉄本線 (西代-山陽姫路間)
【開業】1923年8月19日
【訪問】2003年
【1日あたり平均乗車人員】 1,437人/日 (2016年)
【近隣の都市駅】(西代方面)高砂駅→2駅 
           (山陽姫路方面)飾磨駅→7駅

●駅名標周辺

壁掛けタイプと地上から立っているタイプと両方撮れたので載せています。

ここへ初めて来たのは2003年の事と記憶していますが、この記事での写真は基本今から1年前の2017年11月当時の様子です。

曽根と前述の荒井が両隣駅で、これらはいずれも高砂市内の駅です。曽根はJRにも同名駅がありますが、JR曽根駅とは距離があり、連絡性はありません。

駅の開業日は高砂駅、荒井駅と同じで、1923年の神戸姫路電気鉄道の開業時に設置されています。1954年までは伊保村という自治体として存在し、この時に高砂市になって現在に至ります。ちなみに先の荒井駅も同様に、1954年までは荒井村という自治体として存在していました。

伊保は港町として栄え、高砂市内の山陽電車駅の中でも、最も港町の性格の強い駅というところです。

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●ホーム

下3枚のうち、上の2枚は改札方向(姫路方面)で、下の1枚は反対方向(高砂・明石・神戸方面)のものです。

やはり2面2線のホームで、特急停車でない沿線駅は大体このスタイルになっています。

木製ベンチが並んでいますが、荒井駅より密度が高く、数も多く置かれているようでした。

といっても駅の利用者数は、荒井の1/4程度で高砂市内の山電駅では最少です。

≪高砂市内の山電駅利用者数≫

  1. 荒井駅     …6,279人
  2. 高砂駅     …3,328人
  3. (山陽)曽根駅 …1,768人
  4. 伊保駅     …1,437人

   ※1日あたりの乗車人員数

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●構内踏切

荒井駅とは違い、構内踏切で両ホームが繋がっていて、遮断機が下りている時は行き来できない状態です。

面倒なのが、ここで踏切を渡って駅を出て、北へ向かって街なかに出る時に再度踏切を渡らなければならない点です。ここに限らず構内踏切がある駅はどこもそうかもしれませんが、とにかく陸橋などの交差設備が全くないのです。

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●駅前風景

駅前は非常に狭く、とても車など乗り入れられる状況ではありません。

そして狭い道を隔てて、この喫茶店があります。

ここ営業しているようですが、本当にやっているのかどうかわからず、結局入った事がありません(笑)人が出入りしているところを見た事がなく、人通りのある所でもないので入るのに勇気が要るなと…。

建物の雰囲気が独特すぎますが、いつできたのかすごく気になります。建物ができ時期もそうだし、喫茶店として開業した時期も。往時は栄えていたのかな?とか、そういう近現代的な歴史に何かと興味がいきます。建物の雰囲気からして、元々は何かの施設だったのかも…などと思いを馳せてしまいます。喫茶店の入り口とは思えない建物ですよね。

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●伊保駅 駅舎

初めてここに来た2003年も、この記事の2017年当時もこのアングルの姿は殆ど変わっていません。

駅を出ると、この狭い路地を通って、左側に商店が1軒あって、ここで右折するところの踏切を渡って街へ出ます。

駅舎は荒井駅のように横長ではなく、完全に小屋状というか小さな建物としてポツンと存在しています。スペースのせいか建物としてはこれが限界というところでしょうか。踏切渡ってすぐがこの撮影地点なので、車など乗り入れるスペースがありません。

荒井の駅前は店がコロコロ変わったりマイナーチェンジを繰り返していますが、この伊保駅前は変わらず、ある意味落ち着いた街並みが迎えてくれます。

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こんな感じで、荒井駅・伊保駅でした。

2018年11月13日 (火)

徳島/阿南 ANANでもアンアンではない

徳島県阿南市、JR阿南駅からの歩き旅です。

(2009年8月当時)

●阿南駅前(西口)

どちらかというと、こちら側がメインな感じでしたが、駅前広場に時計塔があり、各主要施設への方向案内肥様式が出ていました。

向かいにはタクシー会社も見えます。

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●駅前通り

そこそこ高い建物が続いていました。

人口7万台ですが、徳島第2の人口を誇り、四国の南東部では重要な都市という位置づけになるかと思われ、それなりの姿でした。人通りが多かというと、そうでもなかったですが…。

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●ANAN一番街

阿南のローマ字表記はANANで、アンアンと一緒です(笑)

駅前からこんな風に分岐している中から、商店街のゲートがはっきりとあった「一番街」へ進んで行きました。

シャッターの降りた店が少なからずでしたね。ゲートや街灯周りは立派なものでしたが、過去に掛けられたお金という感じがしました。

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●阿南市役所

阿南駅から北西へ約500mの位置にあります。

桑野川の川沿いにあり、橋詰にもあるというロケーションの市役所です。

といってもこの建物は、今となってはもう「旧庁舎」です。

2015年に新庁舎が竣工ということで、この姿は2009年当時の在りし日の旧庁舎となります。現庁舎は7階建てという事で、これよりも高層になっています。何年も前の写真をこうして載せると、既に過去の姿であったりする、というのはもはやあるあるです。

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●牛岐城址公園!

阿南駅の駅記事で挙げていましたが、俳優の原田大二郎さんが朗読会をしていた題材であるこの「牛岐城(うしきじょう)の城跡公園です。

お城らしさを感じさせる部分があまりなく、向こうのこじんまりした林?の部分のみ、という感じで、あとは広場として整備されていた感じでした。まぁそれでも阿南市の公園の代表的なもののひとつではあると思います。

夜にはこのてっぺんの建物(牛岐城址館)からLEDによるイルミネーションが大変幻想的といいます。春にはサクラが綺麗だとか。夜にも春にも行っていないので残念です!

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●牛岐城址公園 完成予想図

この2009年当時で「完成予想図」とありました。既に公園としてあったじゃないか、と思いますが、キッチリと公園として竣工したのは2016年3月の事で、この姿以降色々なものがつくられていったものと思われます。

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●説明板

牛岐城についての説明板がありました。

ここの地名である富岡城ともよばれており、1575年には後に四国を平定する長宗我部元親が侵攻してきて、最後まで抵抗した城であったものの、遂には多勢に無勢で落城したとありました。

その後は秀吉の全国平定がある訳ですが、最終的には1638年に一国一城令でこのお城を取り壊される事となりました。

殆ど遺構は残っていないそうですが、先の草むらの部分のみ残っていて、これが城址公園を形成している格好です。

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●映画「奇跡の海」 ロケ地

この牛岐城址公園は「奇跡の海」という映画のロケ地として使用されました。

どんな役者が出ているのか、と思って見たら、篠田拓馬というNHK「私の青空」で有名になった子役がいて、当時13歳であったそうですが、他は渡辺裕之、田中好子、伊武雅刀、伊吹吾郎、そしてこの牛岐城についての朗読を行っていた俳優・原田大二郎という錚々たるキャスティングでした。

原田さんは後年にも阿南の夏祭り に参加したり、何かと阿南との縁は浅からぬものとなったようです。

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●光のまち阿南

阿南はなんの街かというと「光のまち」だそうで、その事を前面に売り出されている感がありました。

昼間しか訪ねていなかったので、勿体ない事をしたと思いましたが、城址公園のイルミネーションが綺麗だったり、あちらこちらが綺麗であろう事は想像できます。

ここは敢えて夜に訪ねて宿を確保して夜の街をあちこち巡ってみるのも、この街ならではの楽しみ方なのかもしれません。

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2018年11月10日 (土)

愛知/碧南 お城に見える色々なもの

愛知県碧南市、名鉄/碧南中央駅からの歩き旅です。

(2011年2月当時)

●マンホール

碧南市のマンホールです。

なんと、このマンホールのデザインは公募作品だそうです。それも当時中学三年生の作品が採用されたのだとか!

市の花がハナショウブということで、これが描かれているのでしょうか?

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●駅前通り

碧南中央の駅前通りは大体このような幹線道で、この道路は駅から東へまっすぐ伸びた道で、碧南郵便局がすぐ近くにあります。

隣駅が碧南駅で、この時その隣駅まで歩いて行きました。

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●衣浦港のイラスト

街の一角の床にあった衣浦(きぬうら)港のイラストです。

碧南市だけでなく、半田市や高浜市などにもまたがる港湾で、重要港湾に指定されています。愛知県ではたった2つの重要港湾で、ここと三河港だけといいます。

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●両口屋・三州碧城

「りょうぐちや」と読みます。

碧南市役所の近くにある和菓子屋さんですが「碧南城??」「碧南って城下町だったかな??」と思わされるような立派な建物でした。

この当時は2011年で店も普通に営業していましたが、今年2018年2月に閉店してしまったそうです!

なんでこんな素晴らしい建物を持ったお店が閉店してしまうのか??とも思いましたが、素晴らしすぎるが故に閉店してしまったのかな、とも思いました。

碧南に行って最もインパクトがあったのは、やはりこの建物でしたね。

でもこの建物、よく見たら半分だけお城の形で、もう半分は普通にビルなんですよね、そういうところも面白かったです。

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●中山神明社

七五三で賑わう櫻の名所として知られる神社です。碧南中央駅からだと南東へ歩いて約10分の所にあります。当初は碧南中央-碧南の駅間は電車移動しようと思っていましたが、ここまで来て徒歩移動にしようと決めて、ずっと流し歩いていました。

この神社はちょうど11月のこんな時期こそ七五三真っ盛りではないでしょうか。桜の時期とこの時期が年の二大盛り上がり時期かな、というところです。

1622年からの歴史を持つという由緒ある神社で、中には素晴らしい建物が立ち並んでいました。

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●鶏霊塚

街を歩いていて出くわした鶏塚です。

何のいわくでここに設置されたのか全然分かりませんが、トサカのところとか赤く色づけられていて、ちょっとした思いが込められている感じでした。

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●大浜てらまち

だいぶ碧南駅周辺へと歩き着いて、碧南中央駅周辺は都会的な街並みでしたが、こちらは風情たっぷりな街並みと実に対照的です。

てらまちとあるように寺町で、川を挟むように寺院がひしめき合うように建っていて、色んな風情ある建物を立て続けに見る事ができます。

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●碧南駅前通り商店街を往く

隣駅の碧南駅から伸びている駅前商店街を進んで行った風景です。

このブログの街記事で2駅分が1記事にある事は珍しいですが、碧南中央駅前だけではボリューム的に足りないかと思い、これも載せてみました。

昭和の風情が少なからず残り、寂しげかと思いきや、意外とカラフルで派手やかな通りでした。

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●櫓の寺

西方寺(さいほうじ)というお城の櫓と見まがうような立派なお寺です。

もちろんこれは櫓ではありますが、お寺にやぐらがあるんかい、というものです。

この大浜てらまちを象徴する建物、といっても過言ではないと思います。

現在は真宗大谷派のお寺という事ですが、創建は1203年と歴史が古く、当時は天台宗のお寺であったといいます。浄土真宗に改宗したのはそれから30年と経たない1232年の事で、基本浄土真宗のお寺として存在してきました。

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この西方寺が一連の寺町の中でも代表的な建物ですが、色々なお寺が見られる寺町がこの碧南の地にはあるという事です。

素晴らしい建物に沢山出くわした、碧南は素晴らしい街です。少し隅っこ感はぬぐい切れないですが、来てみる価値は十分にアリです。

2018年11月 9日 (金)

和歌山/田辺 弁慶の生まれたところ

和歌山県田辺市、JR紀伊田辺駅周辺の様子です。

(2009年8月当時)

最近、京田辺市の記事をupしましたが、今回は「京」のつかない純粋な「田辺」市の記事です。

●ブラウン管テレビ

紀伊田辺駅前のホテルに泊まった時に部屋にあったテレビです。

当時はまだ地デジ移行前でしたが、2009年当時の薄型テレビ普及率は約50%と半数で、こらはまだブラウン管勢として残りの50%を占めていたひとつだった訳ですね。

わざわざこの写真を撮っていたのは、リモコンが昔自分の持っていたテレビと一緒だ!と思い、本体も似たようなやつだったので記念に撮った具合です。

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●ある商店街

紀伊田辺駅から南西へ約200Mの商店街の一角です。

シャッターの閉じた店もあり、昔の雰囲気を保ちつつ人の気配はまばらでちょっとゴーストな感じでした。朝早かったのもありますが。

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●闘鶏神社 入口

紀伊田辺駅前のホテルに泊まって、チェックアウトしてからこの闘鶏(とうけい)神社へ向かいました。

紀伊田辺駅からだと南へ直線距離で200m程ですが、直線で行けない為もう少し歩く事になりそうです。

「日本神話の誘(いざな)い」という幟がズラリ並んでいました。

5世紀からの歴史があるという由緒ある神社で、「権現さん」とよばれています。

湛増(=たんぞう・1130-98)という僧が源平合戦の際に鶏を紅白に分けて闘わせた為、「権現」といわれるようになり、神仏分離令の際に現在の闘鶏神社になったといいます。

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●説明板

境内に入りました。

こんな木の板で神社の説明がありました。

当初の名は田辺の宮というもので、7/24・25に紀南の大祭として田辺祭が行われるとの記載がありました。

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●闘鶏神社の指定文化財

無形民俗文化財として先に記した田辺祭が筆頭に挙げられていましたが、紀州三大祭のひとつとされています。

実に450年の歴史をもつといい、江戸時代よりも前ですね。安土桃山時代。

17世紀後半には笠鉾の原形ができあがっていたようで、今でもその笠鉾の曳き揃えがあるなどと記されていました。

古文書の類として万代記、田辺町大帳などが挙げられています。

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●鶏

その名を表す「鶏」がきっといるはず、と思って探していたのですが、居ました!

かなり地味に居た感じですが…

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●弁慶社

同じ境内にあった「弁慶社」です。

この紀伊田辺と弁慶との関係ですが、弁慶はここ田辺の生まれとされる説があります。まず弁慶自体が実在の人物かどうかも定かではない訳ですが。

京の五条大橋だかで義経と出会ったというような話からすると、京都のそこいらの人かと思っていましたが、和歌山のこの田辺の説が有力だとは、という感じでした。弁慶の産湯の井戸や釜など色々と遺物遺跡が多く残されているともいいます。

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●湛増弁慶の像

弁慶といえば相方は義経、ここにいるのも当然義経であろう、と大方の方が思われるかと思いますが、ここにいる相方は「湛増」です。先に記した紅白二色の鳥を闘わせて、この神社の名付け親となった人物です。

実は湛増は弁慶の父親で、熊野三山の統括に当たった「熊野別当」という役職についた人物でした。湛増は実在人物のようですが、息子とされる弁慶は不明という、よく分からない状態です。ここでは親子して鶏合わせを見ているとされる画となっています。

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●拝殿

闘鶏神社の拝殿です。

ある意味独特な佇まいが感じられました。

屋根縁の両サイドがちょこっと出っ張った感じとか、真ん中に妻がちょこっと現われている感じとか。

神社特有の荘厳な感じはあまりしなくて、どこか庶民的な建物の延長上というか、親しみのようなものがありました。

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●社務所

ここに来た時はまた早朝であったので誰も居ませんでしたが、昼間は誰か居そうな感じの社務所がありました。

拝殿よりこちらの方が荘厳な印象かも…。

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●商店街と、どさん子

闘鶏神社を出ました。

そしてこんな商店街がありましたが、片側のみの形になっていて、それもシャッター商店街という感じで、そんな中見つけた「どさん子」ラーメンのお店。どさん子ラーメン今何店舗残っているのかな?と調べてみたら、昨年4月1日をもって株式会社どさん子としては消滅した、とありました。

現在はアスラポートという会社に吸収合併され、最大1,200を誇っていた店舗数も最近では139(2017年当時)にまで減っているのだとか。知りませんでしたが、「どさん」とか「どさん子大将」とかいうお店は何の関係もない会社が運営していたラーメン屋だったのでした。

この店舗ってもれなく色褪せてる感じがなんだか好きなんですよね。

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●スナック街

小都市であっても市の中心部は駅前のどっかにはこういったスナック街があるもんですね。夜は華やかであったであろう景色が、朝になると兵どもの跡、という感じです。

看板が縦に立ち並ぶ姿は昭和感満載でした。

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●田辺ステーションホテル

この時泊まったホテルです。

紀伊田辺駅を出て右へすぐのところにあり「徒歩0分」と謳われていました。いやいやさすがに1分は歩くやろ、と思いましたが(笑)

ここの駅前にはそんなにホテルがないので駅の真ん前にデンとあるのは大変貴重です。

横に非常用の外付け階段がついていますが、こういうところに昭和を感じます。

こう見えて喫茶・レストラン・土産物店も設けられています。この当時は全くの素泊まり利用でしたが。

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●弁慶イラスト

弁慶の懐中時計などと記されていました。

紀伊田辺駅前の一角で、レストランモミの木というのがありましたが、ここにはシラスやヒジキなどを使った「田辺丼」というものがあるそうです、食べたかった…。

巡る場所場所に弁慶が付きまとっていたような、そんな「京」のつかない、紀伊田辺の街でした。

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2018年11月 4日 (日)

東京/国立 クニタチのコクリツ大学

東京都国立(くにたち)市、JR国立駅周辺の様子です。

(2008年7月当時)

●マンホール

国立市のマンホールです。

国立駅の駅舎と大学通りの桜並木とか。大学とは一橋大学です。

一橋大学って個人的に当初は私立大学だと思っていましたが、その名前からまさか国立大学だなんて全く思ってなかったです。

そんな到底国立大学と思えない名前の大学がある市だから国立市というのか、と思っていました(全然違います!)が、実際は国分寺と立川の間で、それぞれを取って「国」「立」な訳です。

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●大学通り

今からちょうど10年前の姿ですが、国立駅からの駅前通りがそのまま大学通りで、一橋大学までの道を往きました。

国立市という所に来て、どこへ行こうかなと思っていましたが、駅に着いたら一橋大学が近くにあるというので、そのまま駅から歩いてここまで来ました。

東京の市部中心地の駅前とは思えないのどかさがそこにはありました。休日でもあり大学生で賑わっていなかった事もあり余計にそうでした。

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●一橋大学 入口

この国立市で訪ねたのはここ一橋大学ぐらいです。

1875年に森有礼が「商法講習所」を源流として開設され、大学としては1920年に「東京商科大学」として設置された社会科学系では日本で最古の大学です。

その後1949年に学制の改正で、大学名を学生からの投票により決定され、現在の一橋大学になったとあります。普通国立大学であれば、県名や市名などの何かしら地名が入っているものですが、ここは全然そういうのがなくてかなり名前的に異質感があります。

キャンパスはここ国立市が本部で、他に東京都千代田区と小平市にもあります。

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●キャンパス内を往く

大学キャンパス内といえば、こういう「立て看板」が立ち並んでいる、というのが個人的なイメージのひとつです。自分自身もこれよく書いていたので愛着がありますが、後の時代になってもこのような文化が続いてるのは嬉しい事です。

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●佐野善作像

この一橋大の前身である「高等商業学校」を卒業し、初の生え抜き校長となったのがこの佐野善作(1873-1952)氏です。

1920年には大学として、東京商科大学に昇格した現在の一橋大学の初代学長にも就任しています。

そんな一橋大学の礎を築いた人物として銅像が立っていました。

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●付属図書館

真ん中が高くなっているいかにも威厳のありそうな建物です。

高木群に隠れてなかなかうまく撮れませんでした。

一橋大学を象徴するような素晴らしい建物、と個人的には思っています。

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●兼松講堂

2009年に国の有形文化財に登録された建物です。

1925年に現・兼松の創業者の遺訓に基づいて建てられたものといいます。入口が半円状のアーチが3つ並んでいるのが素晴らしく、この部分は遠くから見るとなんて事がないように見えますが、近くで見ると結構荘厳な印象でした。

この大学はレンガ造りの歴史ある建物が数多い、そんな印象が強かったです。

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●東本館

これまた登録有形文化財である素晴らしい建物です。

付属図書館の前年1929年竣工とあり、間もなく90周年を迎えようかというまたもや歴史ある建物です。

建物そのものも立派ですが、扉前の庇の部分が3方向アーチの付き合わせ感がまた素晴らしいと感じました。

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一橋大学の建物ばかりに目がいってしまいましたが、歴史あるこの国立大学は、再来年2020年には大学として100周年の記念すべき節目を迎えます。

簡単ですが、国立市のようすでした。

2018年11月 3日 (土)

埼玉/蕨 日本一面積の狭い市の駅前風景

埼玉県蕨市、JR蕨駅周辺の様子です。

(2011年2月当時)

●泊まったホテル

蕨駅前すぐのホテルでした。

この日は埼玉県の各市を巡る旅をしていて、ここ蕨市は勿論の事、和光市や朝霞市へも生まれて初めて行きました。

特に朝霞市は駅前に本田美奈子.碑があって儚くも力強い存在感を放っていました。

他にも埼玉県内では川口市、志木市、新座市、所沢市、入間市、越谷市…などなどどんどん色んな市を訪ねて行ったのでした。

電車の本数が多いのでどんどん行けてしまうのですが、今思えば広く浅い旅であったので、今からでもそれぞれの街を深く訪ねたいと思っていますが、なかなか着手できていない所のひとつがこの埼玉県です。

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●駅前アーケード歩道

蕨駅西口ロータリーからすぐの駅前風景です。

東京駅から電車で約30分の近さにあるこの蕨駅ですが、駅前の道路が地方小都市のような歩道のみアーケードのついた商店街がありました。

ただ高層の建物が周囲にいくつも見られ、またシャッター商店街のようでもなく、そこはやはり都心に近い圏域という事を感じさせます。

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●駅前西口通り

上の写真の駅前西口から少し歩いて、反対向いて駅の方を撮ったものです。

商店街の店店の様子が分かると思います。

カラオケあり金融機関ありバラエティに富んでいます。

今から7年前の姿ですが、店の顔ぶれは殆ど変わっていないようです。

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●蕨ピアロード商店街

同じく蕨駅西口駅前、上の写真のアーケードつき商店街を西へ進んで、アーケードの切れ目から先がこの商店街「蕨ビアロード」です。

100mそこそこの短い商店街ですが、約30ものお店が軒を連ねています。

商店街のHPはコチラ

ここもシャッターの閉まったお店が殆どないようで、やはり都心近い事の利なのでしょうか。

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●住居表示街区案内図

日本一面積の狭い市である蕨市ですが、蕨駅前西側の住居表示です。

ここでは殆どが「中央○丁目」です。

面積は日本一狭い(5.11k㎡)ですが、逆に人口密度は日本の「市」(区を除く)では最も多く、14,498人/11k㎡を誇ります。狭い中に沢山の人が暮らしている訳ですね。

東側は駅前を歩くと程なく川口市へ出る為、蕨市内ではこの西口がメインとなる格好です。蕨駅前としては殆ど川口市内である東口の方がメインですが。ここでは右下に川口市と表記があり、蕨駅が川口市域と至近な事が分かる形です。

みどりの部分が公園エリアと思われますが、計画的に分散配置されているようです。

ただしこの案内図の作成は平成5年現在という事で今から25年も前(この訪問当時からでも18年も前)の様子です。

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●この先川口市

こちらは蕨駅前東口の様子ですが、かなり都心の様子に近い形で、高層ビルが連なっています。

蕨駅は東口の場合、駅から直進すると100m程の地点で川口市に入り、これらの街並みも実は川口市内の様子です。純然たる蕨市内である西口とはだいぶ様子が違っていました。

蕨駅の利用者数は非常に多い訳ですが、この川口市からの利用者の方が多いのではないかと思います。

蕨市ではこのように駅前西東の両サイドをチラッと寄っただけで大して実のない記事ですが、日本一狭い市であるこの蕨市でも観光できる所があり、先ほどの西口駅前にあたる「中央」徳では蕨本陣跡や、蕨市立の歴史民俗資料館等があります。

中山道で江戸から2番目の宿場であった蕨宿のある宿場町でもあり、往時を偲ばせる風景にもいくつか出会えるようで、これらは後から知ったのですが、是非そういったところにも着目として蕨の様子を愉しむ方がこれを見て1人でも居られたら幸いかと思います。

という事で蕨市の様子でした。

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