和歌山/田辺 弁慶の生まれたところ
和歌山県田辺市、JR紀伊田辺駅周辺の様子です。
(2009年8月当時)
最近、京田辺市の記事をupしましたが、今回は「京」のつかない純粋な「田辺」市の記事です。
●ブラウン管テレビ
紀伊田辺駅前のホテルに泊まった時に部屋にあったテレビです。
当時はまだ地デジ移行前でしたが、2009年当時の薄型テレビ普及率は約50%と半数で、こらはまだブラウン管勢として残りの50%を占めていたひとつだった訳ですね。
わざわざこの写真を撮っていたのは、リモコンが昔自分の持っていたテレビと一緒だ!と思い、本体も似たようなやつだったので記念に撮った具合です。
紀伊田辺駅から南西へ約200Mの商店街の一角です。
シャッターの閉じた店もあり、昔の雰囲気を保ちつつ人の気配はまばらでちょっとゴーストな感じでした。朝早かったのもありますが。
紀伊田辺駅前のホテルに泊まって、チェックアウトしてからこの闘鶏(とうけい)神社へ向かいました。
紀伊田辺駅からだと南へ直線距離で200m程ですが、直線で行けない為もう少し歩く事になりそうです。
「日本神話の誘(いざな)い」という幟がズラリ並んでいました。
5世紀からの歴史があるという由緒ある神社で、「権現さん」とよばれています。
湛増(=たんぞう・1130-98)という僧が源平合戦の際に鶏を紅白に分けて闘わせた為、「闘鶏権現」といわれるようになり、神仏分離令の際に現在の闘鶏神社になったといいます。
境内に入りました。
こんな木の板で神社の説明がありました。
当初の名は田辺の宮というもので、7/24・25に紀南の大祭として田辺祭が行われるとの記載がありました。
●闘鶏神社の指定文化財
無形民俗文化財として先に記した田辺祭が筆頭に挙げられていましたが、紀州三大祭のひとつとされています。
実に450年の歴史をもつといい、江戸時代よりも前ですね。安土桃山時代。
17世紀後半には笠鉾の原形ができあがっていたようで、今でもその笠鉾の曳き揃えがあるなどと記されていました。
古文書の類として万代記、田辺町大帳などが挙げられています。
その名を表す「鶏」がきっといるはず、と思って探していたのですが、居ました!
かなり地味に居た感じですが…
同じ境内にあった「弁慶社」です。
この紀伊田辺と弁慶との関係ですが、弁慶はここ田辺の生まれとされる説があります。まず弁慶自体が実在の人物かどうかも定かではない訳ですが。
京の五条大橋だかで義経と出会ったというような話からすると、京都のそこいらの人かと思っていましたが、和歌山のこの田辺の説が有力だとは、という感じでした。弁慶の産湯の井戸や釜など色々と遺物遺跡が多く残されているともいいます。
弁慶といえば相方は義経、ここにいるのも当然義経であろう、と大方の方が思われるかと思いますが、ここにいる相方は「湛増」です。先に記した紅白二色の鳥を闘わせて、この神社の名付け親となった人物です。
実は湛増は弁慶の父親で、熊野三山の統括に当たった「熊野別当」という役職についた人物でした。湛増は実在人物のようですが、息子とされる弁慶は不明という、よく分からない状態です。ここでは親子して鶏合わせを見ているとされる画となっています。
闘鶏神社の拝殿です。
ある意味独特な佇まいが感じられました。
屋根縁の両サイドがちょこっと出っ張った感じとか、真ん中に妻がちょこっと現われている感じとか。
神社特有の荘厳な感じはあまりしなくて、どこか庶民的な建物の延長上というか、親しみのようなものがありました。
ここに来た時はまた早朝であったので誰も居ませんでしたが、昼間は誰か居そうな感じの社務所がありました。
拝殿よりこちらの方が荘厳な印象かも…。
闘鶏神社を出ました。
そしてこんな商店街がありましたが、片側のみの形になっていて、それもシャッター商店街という感じで、そんな中見つけた「どさん子」ラーメンのお店。どさん子ラーメン今何店舗残っているのかな?と調べてみたら、昨年4月1日をもって株式会社どさん子としては消滅した、とありました。
現在はアスラポートという会社に吸収合併され、最大1,200を誇っていた店舗数も最近では139(2017年当時)にまで減っているのだとか。知りませんでしたが、「どさん娘」とか「どさん子大将」とかいうお店は何の関係もない会社が運営していたラーメン屋だったのでした。
この店舗ってもれなく色褪せてる感じがなんだか好きなんですよね。
小都市であっても市の中心部は駅前のどっかにはこういったスナック街があるもんですね。夜は華やかであったであろう景色が、朝になると兵どもの跡、という感じです。
看板が縦に立ち並ぶ姿は昭和感満載でした。
この時泊まったホテルです。
紀伊田辺駅を出て右へすぐのところにあり「徒歩0分」と謳われていました。いやいやさすがに1分は歩くやろ、と思いましたが(笑)
ここの駅前にはそんなにホテルがないので駅の真ん前にデンとあるのは大変貴重です。
横に非常用の外付け階段がついていますが、こういうところに昭和を感じます。
こう見えて喫茶・レストラン・土産物店も設けられています。この当時は全くの素泊まり利用でしたが。
弁慶の懐中時計などと記されていました。
紀伊田辺駅前の一角で、レストランモミの木というのがありましたが、ここにはシラスやヒジキなどを使った「田辺丼」というものがあるそうです、食べたかった…。
巡る場所場所に弁慶が付きまとっていたような、そんな「京」のつかない、紀伊田辺の街でした。
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