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2019年1月の11件の記事

2019年1月31日 (木)

JR加茂駅 (京都府木津川市)

京都府木津川市のJR加茂(かも)です。

木津川市ではのJR木津駅をupした事がありますが、今回はその隣の駅をupします。

-JR加茂
【路線】JR関西本線 (名古屋-JR難波間)
【開業】1897年11月11日
【訪問】2009年2月
【1日あたり平均乗車人員】 2,359人/日 (2016年)
【近隣の都市駅】(名古屋方面)伊賀上野駅→5駅 
          (JR難波方面)木津駅→隣駅

▼この駅の厳密な初訪問は2006年11月の事でしたが、この時は改札を出ずにホームにいたので、自分の中のルールでは訪問とみなさず、ホームに下りてちゃんと外へも出た2009年2月が初訪問です。今回記事の写真もその頃のもので、今からちょうど10年前の姿です。

新潟県加茂市にも全く同じ名前のJR加茂駅という駅があります。「加茂」の付く駅は多く、徳島県には阿波加茂駅がありますが、なんでこの木津川市と加茂市の駅は全く同じままになっているのでしょうか?

例えばこの駅が「山城加茂」駅などとなっていたかもしれないのですが、見事なまでに「加茂駅」で並び立っています。開業日も今回の木津川市の加茂駅が1897年11月11日なら、新潟県の加茂駅も同じ1897年11月20日とわずか9日しか違わない「同い年」でもあります。同い年キター、ですね(意味不明)

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▼ホームは2面3線です。

室内型の待合室を有し、階段を上がった先に改札がある形の橋上駅舎です。

所属上はJR関西本線単独所属ですが、この駅を境に

名古屋方面は「関西線」 なんば方面は「大和路線」

とそれぞれ呼称されています。

また、この駅から三重県の亀山駅までが関西本線の非電化区間で、この両サイドはいずれも電化されており「電化に挟まれた非電化」区間となっています。

ホーム屋根も広く取られています。

ちなみに木津川市の中心駅は隣の木津駅で、利用者数比では加茂駅は木津駅の約半分になります。木津川市に名前はそれぞれ、旧・木津町と旧・加茂町の中心駅でしたが、木津駅は市の中心となり、加茂は市内の1駅という立場になりました。

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▼改札を出るとこのような自由通路があり、両出口へ出られます。

1999年に現在のような橋上駅舎になったとあり、この当時はそれから10年を経ていますが、かなりきれいでした。

駅の中に特に何か店が入っているという事もないですが、1992~2016年の間は「みどりの窓口」があり、ここでも標識が覗いて見えます。

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▼加茂駅の東口駅前広場です。

ちょうどバスがロータリーを回って来ていたところですが、ロータリー周りの床地も整備されています。

バス停もただ標識だけでなく、椅子と屋根も設けられたものとなっていて、座って待てるバス停となっています。バス停の設備の有無も結構、駅の規模を計るのに有効な基準かと思っています。

東口西口とありますが、どちらかというとこの東口の方がメインで、行き来するバス路線も東口の方が多いです。

この東口からでは、奈良駅(JR/近鉄とも)行きの便も出ています。

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▼加茂駅東口の駅前風景です。

駅から一本道が出ていますが距離は短く、すぐに突き当たりに出くわします。山がそびえているのですが、南都銀行の向こうの高層マンションが異様なまでに高く、目立ち度もハンパないレベルでした。

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▼加茂駅の駅舎(東口)です。

橋上駅舎で、自由通路から両方向へ階段が下りた構造になっています。

正面は2F部分に大きな窓があります。2Fから階段が下りている分、やはり少し大きめの駅舎となっています。

横から自由通路がよく見える形で撮ると、駅舎全貌がより分かり易いです。自由通路の真ん中の線路の上部分は実に大きな窓が五角形にて設けられていました。建物として単調ではないところにお金かかってる感がありました。

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▼加茂駅の駅舎(西口)です。

どちらかというとサブ側のこちらは、駅舎の見た目は勝手反対のみで同じようなものですが、ロータリーの規模は東口の方が大きくなっています。

バスのりば周りは屋根がしっかりついたもので、東口より路線が少ないながら設備はなかなか立派なものでした。

西口からは市外へ行くものとして、バスは和束町へ行く路線があります。1時間に1本程度あるので、京都の茶どころ和束町へは、ここから気軽に寄れます。

木津川市という新しい市の中心駅でないこの駅がこんな感じでした。

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2019年1月26日 (土)

奈良/香芝 ふたかみ文化センターの昼どき

奈良県香芝市、JR香芝駅からの歩き旅です。

(2016年7月当時)

▼これが香芝駅前広場の風景です。

ロータリー状になっていないただの広場だし、アスファルトだけじゃなく砂地も無造作な境界で混在し、しかもバス停はその砂地の方にあるという、全く市名を名乗る駅と思えない様相でした。

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▼駅近くにあった石の標柱に「武烈天皇陵」「顕宗天皇陵」の文字がありました。

流石は奈良県!という感じですが、武烈(ぶれつ)天皇陵は市内の志都美(しずみ)駅から300m程の所にあり、顕宗(けんぞう)天皇陵はこの香芝駅から徒歩13分とされています。

どちらも香芝市内にありますが、顕宗天皇は第23代天皇(西暦485~487年)で、武烈天皇はその2代後の第25代天皇(西暦499~506年)です。

まだこの辺りの年代の天皇は実在するかどうかは議論のあるところですが、それでも共に墓陵が存在しているのは事実です。

現在の皇室と明確な血縁関係のある最古の天皇は、第26代継体天皇といわれ、武烈天皇はその前で、「惜しい」」という感じでした。

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▼駅前広場をそれた所にある自転車置場の外にあった看板です。

元JR下田駅であるこの香芝駅と近鉄/下田駅との場所の関係性の分かる地図がついていました。両駅間は徒歩5分程度です。

JRと近鉄の両路線がV字を描いているのが面白いですね。

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▼下田地区公民館です。

やはり香芝駅のすぐ近くにあります。

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▼鹿嶋神社・エノキの巨樹、として説明板がありました。

幹周は3.35mもあり、樹高は25mもあるエノキの木で、香芝市指定の天然記念物です。

鹿嶋の名の通り、常陸の国の鹿島本宮の分霊を勧請したのが始まりといわれています。

鹿嶋神社とありつつも、神社内にはないので要注意です。

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▼香芝 朝市とありました。

「開催中」と出ていながら、隣の建物のシャッターは下りていました。

火木土日の午前中に開いているそうですが、新鮮な野菜・果物など売っているようで、そこらじゅうでやっている感じではなく、この店内でやっている感じです。

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▼国道165号線上です。

大阪まで30km、柏原まで10kmとあり、なかなかキリの良い地点だなと感じさせられます。

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▼上の写真にも見えていました香芝郵便局です。香芝市の本局です。

周りの空の関係か、いい感じに写っていました。

門の部分?がなかなかアーティスティックな感じのものでした。

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▼香芝市役所です。

こうして見ると草むらの所に突如立った大きな建物、という感じに見えます。

2014年から9.5億をかけて耐震補強等の改修工事をしたそうで、この写真の2016年7月当時はその完了後となります。

ちなみにこの地に移転したのは、香芝町(香芝町役場)時代の1976(昭和51)年の事で、それまではJR香芝駅(当時の国鉄下田駅)付近にあったそうです。

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▼香芝の文化センターである「香芝市ふたかみ文化センター」です。

「今でしょ」の林修先生の講演会があったり、メジャーどころのイベントもあるようですが、そんなに大きなホールではなく、「市民ホール」というホールの席数は310席です。ライブハウスでもこのくらいのキャパはあるかな、というところです。

「ふたかみ寄席」という寄席や「ほっこり法話」という法話も定期的に行なわれているようで、Twitterのアカウントもありました。⇒ @Futakami_mirai    

【香芝市ふたかみ文化センター】

住所:奈良県香芝市藤山1-17-17

電話番号:0745-77-1000 

利用時間:9:0022:00

アクセス:JR香芝駅より徒歩約12

     近鉄下田駅から徒歩約8

HPhttp://kashiba-mirai.com/about_futakami

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▼そんな訳でせっかくなのでふたかみ文化ホールへ入ってみました。

2007年に初めて香芝に来た時は、駅前をチョロっと寄っただけだったので、2016年再訪でどこか香芝らしい所?を訪ねてみようと思いましたが、ここまで来れて良かったです。

レストランまであって、小ホールの割にそのあたりは充実していました。

観光資源に恵まれている感じはしませんでしたが、こういうところでゆっくりするのも良いかな、と思いました。

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2019年1月22日 (火)

JR香芝駅 (奈良県香芝市)

奈良県香芝市のJR香芝(かしば)です。

香芝市では近鉄の五位堂駅をupした事がありますが、今回は香芝の市名を名乗るJR駅です。

-JR香芝
【路線】JR和歌山線 (王寺-和歌山間)
【開業】1891年3月1日
【訪問】初訪問-2007年6月
【1日あたり平均乗車人員】 1,572人/日 (2016年)
【近隣の都市駅】(王寺方面)王寺駅→3駅 
          (和歌山方面)高田駅→2駅

▼この駅の初訪問は2007年6月の事でしたが、ここでは2016年7月の再訪時の写真を中心にお届けします。特に断りのない場合は、2016年版です。

という訳で2007年当時は駅名標の腰の部分が青帯ですが、現在はこのようにピンク帯になっています。

香芝市にあり「香芝」の市名を名乗っている格好になりますが、この香芝駅の名前になったのは実に2004年の事で、それまでは「下田」駅を名乗っていました。静岡県伊豆市にある駅名が「伊豆急下田」となっているのは、下田駅の存在があったからと思われます。

香芝市は1991年に香芝町から市制施行されたものですが、香芝町時代も香芝駅がなく、香芝市になってから13年の時を経て市名を名乗る香芝駅が誕生した訳です。

とはいっても、香芝市の中心ではなく、あくまで近鉄五位堂駅が中心的存在で、この隣駅に同じ五位堂(JR五位堂駅)がありますが、少し距離があります。隣駅名表示が「じぇいあーるごいどう」とJRが冠されています。

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▼2面3線のホームですが殆ど屋根がありません。

この様子から見ても、市の中心駅でない事が窺えるかと思います。

看板が出ている所は逆にちょっとした規模の駅なのかな?と逆に思わせる部分もありました。

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▼ホームで屋根がある部分はこれだけです。

真正面なので見えにくいですが…

向かいの(右側の)ホームは向こうの方に屋根があり、両ホームを繋ぐ跨線橋も階段の出ている向きが互い違いになっていて、このホームは手前に下りていて、右側の向かいホームは向こうに下りています。

右側ホームが1番線で、上り電車が来て王寺駅や天王寺駅などへ向かいます。

撮っている地点のホームの右が2番線、左が3番線です。2番線は待避ホームとなっており、3番線は下りで高田や橋本、和歌山などへ向かいます。

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▼跨線橋の見える所からのカットです。

跨線橋はかなり年季が入っているうえに、屋根なしで単なる歩道橋の状態でした。

跨線橋に屋根があるかどうかは駅の格?のようなもののバロメーターと個人的に思っているのですが、跨線橋に屋根のない市名を名乗る駅、というのはちょっと駅の格としては高くないのかな?というところですね。

逸れにこのような屋根なし跨線橋は、雨の日は雨ざらしで足下が心配でもありますね。

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▼時刻表です。

左半分が平日で、右半分が土休日で、それぞれ高田・桜井(下り)と王寺・JR難波(上り)とに分かれています。

1時間に2~3本が主で、4本の時間帯もありますが、昼間は30分に1本です。

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▼跨線橋の上ですが、やはりかなり年季が入っていました。

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▼駅を出て広場にあった「香芝あんないマップ」です。

こういう案内図が出ているところに、市名を名乗る駅らしさが見えました。

現在地である香芝駅はこの地図のほぼ真ん中にあり、ここから徒歩5分程度の所に近鉄下田駅があります。

JRの下田駅は香芝駅へと改名されましたが、近鉄の下田駅は名称変更なく、そのまま現在に至ります。

自然と寺社仏閣系の見どころが多いようです。

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▼駅前広場にある香芝駅のバス停です。

香芝市公共バスというのが通ってますが、市役所経由で総合福祉センターへのルート取りとなっています。

この停留所の凄いのは、駅前広場のバス停なのに標識が木の陰に隠れてしまっているところです。1時間に1本程度あるにもかかわらず、こんなに隠れてあるのかないのか分からないような状態になっているのはなんなんでしょうか?

屋根もなく、しかしベンチは設けられています。またこのバス停は駅前広場の手前側でなく、向こう側にあります。

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▼香芝駅の駅舎です。

駅前恵広場はロータリー状にもなっておらず、単なる広場スペースとなっていて、雑然とした感じでした。

周辺も都市感が薄く、近鉄五位堂駅などと比べるとだいぶのどかな雰囲気でした。

駅舎自体は横にそこそこ広くて、人口が常に増え続けている香芝市にあって、せっかく市名を名乗る駅なので、ここらで周辺駅より大きな駅舎にならないかな、と密かに期待しているのですが、どうでしょうか。

そんな期待をしつつ、香芝駅の記事を終わります。

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2019年1月20日 (日)

沖縄/名護 2001年の名護シーサイド

沖縄県名護市、沖縄本島の北部に位置し、人口は62,535人(2018.12.1現在)で、沖縄本島北部で唯一の市であり、2000年の九州・沖縄サミットの開催地であり、また例年日本ハムファイターズの春季キャンプ地としても報道されている場所です。

(2001年4月当時)

▼古い写真ばかりになりますが、この地を訪ねたのが何せ2001年の事でしたので、まだデジカメ撮影ではなく「写ルンです」から撮った写真を掘り起こしたものです。今の姿はかなり変わってしまっているかもしれませんが。

まず最初の写真はこの名護シティマップです。四方を海に囲まれた街、というのがよく分かります。あと「街」とよべる部分はほんのわずかかな??という印象でもありました。

この時、全日空の「特割」で伊丹から那覇まで10,000円で飛んできました。

那覇空港からはバスで2時間近くかかりましたが、今でもあまり変わりはないようです。

那覇空港から名護バスターミナルまで約1時間40分、金額は便によりますが2,000円前後です。

沖縄まで飛行機で飛んで行って、その上空港から2時間近くかかりますが、この時1泊のみでこれをやりました。

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▼この時宿泊利用した「ホテルゆがふいんおきなわ」で、今でも営業しています。

【ホテルゆがふいんおきなわ】

住所:沖縄県名護市宮里453-1

電話番号:0980-53-0031 

アクセス:名護バスターミナルより徒歩5

HPhttps://www.yugaf.com/

名護バスターミナルの付近にありアクセスは実に便利でした。そういう意味でのおススメです。

この記事に載せているものは殆どこの付近のもので、このエリアに主要な施設がギュッと詰まっている感じです。

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▼名護市営球場です。

これは日本ハムが秋季キャンプに使用「していた」球場です。

「していた」と書きましたが、現在は改修のため閉鎖されています。

そんな事もあり、日本ハム一軍は現在春季キャンプを2次のみこの近辺の「21世紀の森公園」で実施するそうで、1次は海外で行うそうです。2020年には再びここでキャンプを実施する予定だそうで、1979年以来の「日ハム-名護」繋がりは途切れない、との事です。

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▼名護市民会館です。

市民会館と謳いつつ、下に中央公民館と福祉センターと併記されていました。

これらすべてがすべて入った複合施設という事で、今でもこの状態だそうです。

1985年に竣工し、大ホールは1,050人余り収容できるそうです。

名護市の成人式はここで行われていて、今年もこの1/13(日)に執り行われたとありました。

先の名護球場と共に、ここもまた海沿いに存在しており、向こうの海を見ながらの流し歩きが個人的に楽しかったです。名護の街の主要な施設をひと通り見て歩けるので、これだけで満足していました。

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▼名護市役所です。

市役所にしてこのようなアート感覚に満ち溢れたこの建物、本当に衝撃でした

1981年に完成し、「古代遺跡のよう」とか「要塞のよう」とか様々に形容されますが、およそ市役所らしくない実に荘厳な建物でした。

自分の中で素晴らしい建物の市役所№1です。

これだけのカットではその素晴らしさを全然伝えきれていませんが、これはもう実際に来て「見て下さい」というしかありません。

この時にデジカメを持っていたら、色んな角度から写真を撮って、このブログ記事にも色んなカットを載せいてた事でしょう。

名護に来たなら、これだけでも絶対に見てほしいと思います

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2019年1月19日 (土)

愛知/犬山 12/25,000の奇跡!日本最古の天守

愛知県犬山市、名鉄/犬山駅からの歩き旅です。

(2008年5月当時)

▼犬山駅からまっすぐに伸びた道を西へ200m程歩いた所です。

幹線道ではなく、車は通るのでしょうが、商店街というう雰囲気でもない、駅前の割に微妙な雰囲気の通りでした。

犬山理容と看板が出ていますが、この写真は訪問した2008年当時で、まだ現役だったと思われ、「犬山理容」としては2015年には既に閉店していたようです。

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▼上の写真の道路で、真ん中部分だけ横切るように違う色になっていましたが、右側にこのような「熊野神社」がありました。

そしてそこには「熊野町」の立札がありました。

熊野神社ゅがある事からこの町名がついた、とあり、以前は熊野山があったともありました。江戸時代には城下町と外部の境をなしていた、ともありました。ちなみに今は熊野町ではありません。

向こうに見える「住吉臺」と書かれた建物には、犬山祭の車山があります。

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▼街を歩いていたら、鈎型十字路がありました。

さすが城下町犬山!天守が現存していて国宝となっている犬山城の街の貫禄の一端が、この渋い家並みと共に窺えるというものです。

戦国時代などの当時もこのような通路の形をして、敵の侵入を少しでも食い止めていたのでしょうね。

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▼本町とよばれる城下の中心街へ出てきました。

城下町時代はこの辺りはかなり賑わったようで、賑わうような店を集めたそうです。そしてまた問屋場、高札場なども設けられ、住人達へのお触れもこの辺りで出していたといいます。

人の集まる、情報の集まるそんなエリアだったかと思いますが、今でも観光客で賑わう通りになっていると思います。

そしてこの店の看板、初めて見た時「がんばるの店」だと思っていました。なんだよ、がんばるんって、と。よく見ると「人」でした、がんばる「人」の店でした。自然食品の店のようですね、軒先にリポビタンDの自販機がありましたが。

そしてまたこの軒先には、からくりみくじがありました。

小っちゃい太鼓を叩いて、大吉が正面を向いたらラッキーとありましたが、ここでは小凶が正面を向いております(笑)

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大手門いこいの広場という事で、広場スペースがありました。芝生のある部分?はそれらしい憩いのスペースという感じはしますが、土の部分は何の役割をしているのか??と思わされました(笑)

犬山城下絵図と犬山の街の航空写真がありましたが、絵図は1740年に描かれたものを明治4年に写したものとありました。

城下町と一体になったいわゆる「総構え」の構造となっています。

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▼街の中にひっそりと標柱があり、近くに大きめの説明板がありました。

犬山の藩校であった「敬道館」の跡地との事です。

敬道館は1840(天保11)年に。8代藩主成瀬正住が建てたとされます。その流れを引くものが犬山北小学校という事で、この小学校は現存し、1873年に稲黄義校というものができたのがその起源とされています。

義校というのは、藩校の進化形のようなもので、敬道館は明治4年まで藩校の役目を果たし、義校へタスキを繋いだのですね。

ここでは8歳で入所し15歳で退館するのが決まれとされ、ほぼ小中学校に相当する形なのかな、と想像させられます。15歳以降も希望すれば居られたらしいです。

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 「犬山城三の丸 武術稽古場跡」と標柱が建っていました。

という事で犬山城の付近まで来ている訳ですね。

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針綱(はりつな)神社という神社の鳥居の所にやって来ました。 「尾張五社」と冠されています。

ちなみに尾張五社としてここ以外には以下あります。

◆熱田神宮(愛知県名古屋市)

◆尾張大國霊大社(愛知県稲沢市)

◆津島神社(愛知県津島市)  ⇒津島神社についてはコチラの記事を

◆千代保稲荷神社(岐阜県海津子)

延喜式には既に「針綱」の記載があり、太古の昔よりこの犬山の峯に鎮座し、あらゆる事象に神威顕著で、白山大明神と讃えられ、濃尾の総鎮守であった、との記載がありました。

犬山城の登城口にあり、犬山城の守護神でもあります。

そしてまた犬山祭では、市内の山車が集結するというそれはもう賑やかであろうことになる場所でもあります。

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▼針綱神社境内の一角です。

半円型ブリッジの下に屋根の妻部分のてっぺん?のようなものがありました。

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▼針綱神社の拝殿です。

上の写真のブリッジの下にあったものが、この屋根の正面部分にあるもののようだ、と言いたかったのです。

軒に綱がまかれていて豪華感が出ていました。

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▼神馬像が複数ありました。

上側の写真の方は、雲の上を駆け上がっているように表現されています。

また台座の部分には「奉献」の文字が右側から記されていて、これは戦前からあったであろうものとされ、上の馬の部分は元々銅製であったものが戦時中供出され、現在の陶彫りのものになっているそうです。

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▼犬山城へいよいよ入ります。

両サイドを高い石垣で覆われた門を入っていきます。

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▼天守閣メインのカット以外のものです。

さすがは国宝!なのかも土産物屋さんがありました。

これがあるかないかで、そのお城の立派さや観光資源としての力みたいなものが計れると思っていますが、やはり国宝だなと感じました。

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▼天守閣メインのカットです。

天守閣は地下2階、地上4階の建物です。

この日本にはお城とよばれるものの数は25,000以上といわれ、これには単に柵で囲われただけのものも含まれますが、天守が当時から残っているお城はわずか12城しかなく、ここ犬山城もそのひとつあり、しかもその中で「最古」です。

纏めると「日本最古の現存天守のお城」です。日本一です!

他の現存天守のお城といえば…

弘前城  ★松本城  丸岡城  ★彦根城  ★姫路城 

備中松山城  ★松江城  丸亀城  高知城  宇和島城

と錚々たる面々の中にここ犬山城も含まれている訳です。

上のマークは「天守が国宝指定されている」お城です。

犬山城は1537年、織田信康(織田信長の叔父!)により創建されたお城で、尾張といえば名古屋城のイメージが強いかと思いますが、犬山城は現存天守というのがやはり強みだと思います。1891(明治24)年に一度半壊していますが、復興して現在に至っています。

愛知県だと他には岡崎城、豊橋城、小牧城、清洲城などホントに立派なお城が多いので、お城めぐりして見るのも良いと思います。

【国宝 犬山城】

住所:愛知県犬山市大字犬山字北古券65-2

営業時間:9:0017:00

電話番号:0568-61-1711 (入場は16:30まで)

アクセス:名鉄/犬山駅より徒歩15

料金:大人550 小人110

定休日:12/2912/31

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2019年1月15日 (火)

兵庫/三木 三木合戦とナメラ

兵庫県三木市、神戸電鉄/三木上の丸駅からの歩き旅です。

(2015年10月現在)

▼2枚写真を載せていますが、いずれも三木上の丸駅前すぐの様子です。

(上)2015年当時

(下)2007年当時

若干撮っているアングルが違いますが、いずれにしても駅前広場スペースが皆無で、いきなり道路です。強いて言えば道路幅が少しだけ広がっていますが、これはバスが停まるために広げられているだけのものです。

この8年間で基本変わっていませんが、「室山書店」という本屋さんの表看板のペイントが変わっていて、ピビッドな空色になっていました。

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▼これまた2枚写真を載せていましたが、駅を出てすぐの道を左へ進んですぐの所に、この「ナメラ商店街」の看板があります。

手前には「ようこそ三木合戦の地へ」の言葉と共に派手な武将のイラスト看板があり、インパクト大でした。

三木上の丸、という駅名が示す通り、城郭要素の強いエリアで、ここを越えるとすぐに三木城跡があります。

戦国時代での秀吉の壮絶な討伐のひとつに「三木合戦」がありますが、ここがまさにその場所という事です。そんな事を思いつつ、このゲートをくぐりました。

ちなみにナメラとは、ここのかつての町名が「滑原」であったことからきているそうです。今は本町の地名になっていますが、地名として消えてしまった名前が商店街名として残っているのは良い事ですね。

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▼ナメラ商店街とあったゲートをくぐったばかりの所です。

そこには「湯の山街道」の看板も出ていました。

三木には温泉はあれど、昔からの温泉地や温泉街的なものはないのでは…??と思っていましたが、ここでいう「湯の山」とは有馬温泉(神戸市)の事で、ここ三木から有馬温泉までの道をこのように呼ばれていたといいます。

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▼上の写真では、ゲートをくぐってすぐ右側の様子でしたが、こちらはその向かいで、ゲートをくぐってすぐ左側です。

くぐるとすぐ左側には三木城址への階段があり、こんな駅近くに城址があるのか!という感じでした。

兵庫県でも姫路城や明石城みたいに観光客で賑わう、という事は正直なく、割とひっそりしていますが、それだけに手つかずの歴史を感じられる場所ではないかと思います。

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▼平地(商店街)から見上げた三木城跡の様子です。

こんな高い所にあるのか、と

城壁がずっと続いているのがここからでも見えます。

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▼階段を上がっての、三木城址です。

ここから三木城址内の様子は2007年当時のものです。

2015年に再訪して街の方は歩いたのですが、この階段上にある城址は2007年に訪ねたきりなので。(階段上るのしんどかったんで、一度行ったしいいや、がホントの理由です…)

人っ気も皆無で、塀が続いたりはしていますが特定の建物がなく、丘の上に広場があり、あとはただ樹木が広がる感じでした。

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▼お堂はありましたが、お城のあった当時のものではないと思います。

稲荷神社もありました。

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▼説明板が複数ありました。

三木城跡についての説明と、復原図とです。

築城は1492年頃とされていますが、16世紀になると戦禍に巻き込まれる事多々で、そしてやはり「三木合戦」は秀吉による「三木の干殺し」はあまりに有名で、その舞台となってしまい、そして江戸初期に一国一城令で廃城となりました。

当時の廃材は、明石城に使われる事となったといいます。

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▼三木合戦の当時の三木城主・別所長春(べっしょ・ながはる=1558~80)公の像がありました。

別所長春は豊臣秀吉と対戦しましたが、元は秀吉と同じ織田軍の武将でした。

ただ中国地方の毛利軍平定の際に、信長軍として討伐に当たったのが成り上がりの秀吉である事に不満を覚え、反旗を翻したとありました。

秀吉に抵抗して一度は攻勢に転じた事もあったものの、2年にわたる兵糧攻めに遭い、遂には城兵たちとの命と引き換えに自害して果てたといいます、享年23。一族の責を負うにはあまりに若すぎた年齢ですが、これがやはり戦国時代の現実ですね。

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▼三木城跡から下の街を見下ろした様子です。

丁度神戸電鉄の線路が入っているのを真ん中に、その周辺の様子がよく見えました。

昔ながらのゴツゴツした屋根の家屋も目立ちますね。

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▼三木城跡をひとしきり見てきて、階段を下りてきたところです。

さて、ここから向こうへと街歩きをはじめます。

のっけからやってなさそうな店が並んでるなぁ、と思いつつ歩き始めました。

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▼商店街を進んで行って、アーケードのある所へ出くわしました。

シャッターの下りた店も多いですが、時々開いている店も見受けられました。

そんな状況で、屋根はしっかり維持されているようでした。商店街として機能しなくなると、アーケードまで取っ払われる街もありますが、ここはまだ持ちこたえていました。

商店街の道幅の狭さもまた、古き時代を思い起こさせるようで良かったです。これもまた一つの観光かなと。

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▼さらに続いていくアーケード商店街です。

看板がメンテされている感じで綺麗で、シャッターの下りている所はイラストが描かれていたりしていました。

土曜日の昼間でしたが、土曜休日のお店がなければ、開いている店がほぼそのまま現役のお店で、そうでないところがもうやっていないところかな、と思いますが、半分やっているかどうか(多分半分以上やっていない)…だった気がします。

日々どのくらいのお客さんがこの界隈でものを買い求めて、どのくらいのお金を落としていっているのか?気になります。残念ながらここを通った時にお金一円も落としていきませんでした。買いたいと思えるものもなかったのですが。

ここは明治の終わりころに馬車道がつけられ、沿道に家屋が建ちだして商店街が形成されるようになった、とありました。その後はかなりの賑わいであったといいますが、今は昔ですね。

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▼この近辺で石列遺構が出土したという事で、ここを本町滑原(ナメラ)遺跡とされています。

2002年に下水道工事をしていて見つかったとありますが、そんな最近でもこんな大きなものが見つかるのですね。羽柴秀吉池田輝政の時代のものとされ、1600年前後のものかと思われます。

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▼アーケードの切れ目の部分です。

向こうが続いていたエリアですが、ここで途切れて少し全くない部分がありますが、またこの手前の部分は骨組と軒先の庇だけが残っていました。

かつては屋根があったものが取り払われたのでしょうか。商店がまだ営業しているのになんだかかわいそうですね。もう少し先ならまだ屋根が残っているというのに。

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▼この辺りになると完全に屋根の面影も見られませんでしたが、まだ商店街ではありました。床地に商店街が続いている事が確認できます。

しかし、アーケード内の商店の方が逆にノスタルジックで、廃墟感すら感じる部分もあるというのがなんとも皮肉な感じがします。逆に屋根のないこういうところの方が、そんな寂しげな感じがしないというか。

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旧 玉置家住宅として残っている住居です。国登録有形文化財です。

ナメラ商店街を抜けて逸れて、傍の幹線道へ出てきたところにありました。

1826(文政9)年に上州館林藩の財政立て直しのために切手会所(今でいう銀行)として建てられたのが始まりといいます。

なんで館林?と思いました。館林といえば今は夏の暑さが有名な群馬県の都市です。何の関係があるのか??ですが、1747~1842年の間、この三木は館林藩の飛び地であったというのです。

市街の離れた部分を「飛び地」とはいいますが、いくらなんでも飛びすぎだろ?と思いますが、江戸時代には知行高合わせや縁故によるもの等々で、様々な遠隔飛び地が存在していたようです。

館林が財政難の中、三木では金物産業が隆盛し、これに目をつけた館林藩がこのような施設をつくった背景があるとの事でした。ここに記されている玉置家の住宅となったのは、1875(明治8)年のことだそうです。

入館無料で、開館は10時から16時、火曜日が定休となっています。

有形文化財として登録されていますが入る事も出来るので、旧家に興味ありの方には是非に寄ってほしいところです。

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三木合戦の舞台である三木城跡からナメラ商店街、旧玉置住宅まで、三木上の丸駅から歩いて行ったこの旅、三木の中心街も良いのですが、ちょっと外れた所で、こんな街並みを味わうのも良いかと思いました。金物にほとんど触れられていませんが…

三木はJRが通っておらず、アクセスが不便な部分もあるかもしれませんが、訪ねてみて旅市外のある街だと思います。

という事で三木市第一弾終了です。

2019年1月12日 (土)

神戸電鉄/三木上の丸駅 (兵庫県三木市)

兵庫県三木市の神戸電鉄/三木上の丸(みき・うえのまる)です。

三木市では神戸電鉄/三木駅などをupした事がありますが、この三木駅の隣駅がここ三木上の丸駅です。

-神戸電鉄/三木上の丸駅
【路線】神戸電鉄粟生線 (鈴蘭台-粟生間)
【開業】1937年12月28日
【訪問】初訪問-2007年4月
【1日あたり平均乗車人員】 178人/日 (2017年)
【近隣の都市駅】(鈴蘭台方面)鈴蘭台駅→12駅 
          (粟生方面)三木駅→隣駅

▼ホームの様子はこんな感じです。

これでも市の中心の三木駅の隣駅ですが、雰囲気はガラッと変わってローカル感満載です。

これは初訪問時の2007年4月の様子ですが、8年後2015年再訪時もさして変わりありませんでした。(今もさして変わっていないはずです)

ホームはこの1面1線のみで、やや幅が狭くなっている部分にのみ屋根がついていて、大半は屋根なしエリアです。特に優等列車が走る訳でもないので、その辺りの考慮は不要という事で。

1937年12月28日に開業していますが、12月28日といえば昭和が生んだ大スター、石原裕次郎さんの誕生日です。裕次郎さんは兵庫県で生まれていますが、その3歳の誕生日に当たる日に同じ兵庫県にてこの駅は開業しました。

しかしその年には北海道の小樽へ転居したので、おそらくこの開業日には既に小樽への転居後と思われます。

屋根のないエリアに広告つきのベンチが並べられていました。

屋根のある部分の木造の渋さはハンパありませんでした。

高架ホームではなく、盛り土の上にある感じで、少し階段を下りて更に坂を下りる形で出口へと至ります。

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▼ホームからの眺めです。

やや高い所にあるので、なかなか眺めが良いです。

古風な家屋が随所に見受けられ、かなり渋い眺めでもあります。

そんな中で「光証券」の看板は浮いているように見えますが、今も存在しているようで、神戸に本店を構え、ここ三木支店です。

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▼駅構内から出口へ向かってのカットです。

ここもまたホーム上の屋根あり部分と同じように渋すぎる木造建築物です。

少しの階段を借りて改札へ。

渋すぎる木造建築の中に自動改札機のあるこのギャップの大きさがすごいです

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▼改札を出て、駅舎内です。

出札はシャッターが下りたままになっていますが、自動券売機があり、駅舎内の構内スペースがしっかり残っていて、また自販機もありました。これは10年ほど前の様子につき今は不明ですが。

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▼こちらは上の写真と反対側で、駅舎内から出口へ向かってのカットです。

駅舎内にもベンチが設けられているのが見えます。ホームのベンチは陽ざらし雨ざらしですが、ここでは室内で座って待つ事ができます。ただし吹き抜けにつき完全なる室内ではありませんが。

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▼駅を出てすぐの所です。

この坂を下りて右へ折れた所が出口ですが、駅前広場スペースもなく、いきなり道路に行き当たります。

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▼逆に坂を下りて駅を振り返った様子です。

これこそが三木上の丸駅の駅舎です。

なんとも渋すぎる木造駅舎で、坂の上にポツンとあります。

なので駅舎の真ん前へ車が乗り入れる事は不可能な構造でもあります。

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▼坂を下りきって道路に出ようとするところで、駅の場所を示すゲートが立っています。

ここの真ん前にバス停があります。

ここに立ってるのはゲートだけで、その向こうの青い角ばった建屋は駅舎ではありません。

ちょっと特殊な構造の駅で、のどかな感じですが、古き良き商店街が続いていたり、三木城跡があったりして、この近くは実は見どころが沢山あります。個人的に三木市でいちばん好きなエリアです。後の記事でその辺りをお伝えできればと思っています。

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2019年1月 9日 (水)

JR西都城駅 (宮崎県都城市)

宮崎県都城市のJR西都城(にし・みやこのじょう)です。

都城市は、宮崎県の南部に位置し鹿児島県に接しており、人口は161,968人(2018.10.1現在)で、宮崎県都の宮崎市に次ぐ県内第2位の人口を誇る街です。

南九州を牛耳っていた島津氏のルーツの地であり、廃藩置県後の1年程度は都城県であった事もあります。

宮崎県知事であった東国原英夫氏の出身地は宮崎県というのは有名ですが、それもこの都城の出身です。

さてこの西都城駅、2019年新年早々行ってきました!

-JR西都城
【路線】JR日豊本線 (小倉-鹿児島間)
【開業】1923年1月14日
【訪問】2019年1月
【1日あたり平均乗車人員】 446人/日 (2017年)
【近隣の都市駅】(小倉方面)都城駅→隣駅 
          (鹿児島方面)財部駅→2駅

▼駅名標です。

JR日豊本線で、小倉から鹿児島方面へ向かう時に隣の五十市(いそいち)駅が宮崎県最後で、その次の財部駅から鹿児島県へと入ります。

隣が市の中心である都城駅ですが、市役所など公共施設の最寄り駅はここ西都城駅です。両駅が垂直に位置していて、これらを結ぶ線路と共に市の各施設を囲うような状態になっています。そのためかバス路線も都城駅に引けを取らない程度に頻繁にあります。

かつては国鉄志布志線も通っていて、志布志駅と結ばれていましたが、当時の路線で残っている駅は志布志駅とこの駅という両端だけとなっています。

民営化してJRになる直前の1987(昭和62)年3月28日に志布志線は全線廃止となりました。

にしみやこのじょう

ひらがなで表記すると長いですね…

ローマ字表記はもっと長くて、何が書いてあるのかよく分かりません!

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▼西都城駅のホームです。

2面3線の高架ホームを持ち、やはりやや大きめの駅という雰囲気を感じます。

単なる市内の市名を名乗る中心駅以外の1駅、というよりも都城駅に準じて「西」を冠している市内№2の駅、という印象を受けます。

特急「きりしま」が停車し、都城駅と連続して、駅を飛ばさずに特急が停車します。

ちなみに利用者数で都城駅と当駅の関係は2:1というところで、都城駅の半数程度の状態です。

ホーム屋根が広く取られているのは特急停車によるものでしょうか。

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▼ホームの階段を下りて改札を出る前の構内広場から、階段周辺の様子です。

片側(写っていない方)が1線のみで、鹿児島中央など鹿児島県方面です。

そしてここに写っている2線が宮崎方面です。

都城というと、宮崎県にありながら殆ど鹿児島県寄りに位置しており、宮崎市へは東へ進む事となります。こちら側は新幹線のない方となるので電車での移動はかなり時間を要します。

ついこないだ、この都城から関西へ帰ってきましたが、「乗換案内」で検索すると、宮崎方面へ抜けて出る選択肢は上ってこずに、飛行機ルートか、あるいは鹿児島中央駅まで出て新幹線に乗換えて帰るルートばかりが出てきます。

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▼これも改札内の様子です。

両サイドにホームへ上がる階段がある、改札入る側からいうと突き当たりの位置にあります。

あまり派手なものを置いてはいませんが「都城島津邸」と書かれた幟が両サイドにありました。

島津家のルーツはここ都城と先述しましたが、この邸宅も西都城駅の駅付近にあります。時間その他の関係で見れませんでしたが…

ここではよく見えづらいのですが、この都城島津家の家紋は本家島津家とはやや違ったものとなっています。

本家の家紋は〇と十の文字がくっついていますが、ここの都城島津家家紋は〇と十の文字が少し離れて隙間があります。藩の命令で(本家と区別がつきにくいので)隙間を開けるように、となったそうです。

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▼駅構内、改札を出た後のスペースですが、人の出入りはすごくまばらで、そんな中でおそろしいほどだだっ広いスペースでした。

人の少なさにスペースの広さがついて行けない感じで、駅が大きい割に荒涼感がすごかったです。

券売機があり、特急券も変えますし、また駅員さんも居られました。

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▼西都城駅の西口です。

駅名の表示もなく、ただの階段つき出口という感じで、コンクリート色のみで素っ気もない感じでした。

上の写真の構内写真の向こう側がこの出口で、自動ドアではなく、開くのかどうか(締切ではないかと思いましたが…)と思いつつ、そろりと開けていました。

ちなみにここから歩いて5分くらいで日帰り温泉へ行けます。その名も「幸福」温泉で、正月から縁起の良い名の温泉へ行く事ができました!

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▼西都城駅の東口出口前の様子です。

上の写真の西口と比べると全然違っていて、明らかにこちらの方がメインであり、この差が大きすぎて分かり易い、なんとも落差の激しい駅だと感じさせられます。

駅から出たところの庇が長く続いていました。

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▼パスのりば

西都城駅バス停として駅前広場にあります。

複数の標識が立っていましたが、鹿児島交通と宮崎交通とありました。

宮崎交通側は活発に運行されているようで、1時間に7~8本来る時間帯もあり、1路線あたりの本数はそんなに多くなくても、この駅ロータリーはしょっちゅうバスが行き交っていた印象があります。

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▼都城バスセンター

駅前バスのりばそのものから右を向いてすぐにこのバスセンターがあります。

ここはここで、駅前バス停とは別にのりばが設けられていて、都城の交通の中心が都城駅前ではなく、この西都城駅前にある、と感じさせられました。

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▼西都城駅の駅舎です。

実に堂々とした立派な駅舎です。

駅名の前に家紋がある駅というのもなかなか珍しいですね。

この辺りは新幹線と無縁の地域ですが、ちょっとした新幹線駅っぽい雰囲気を持った大きな駅舎でした。しかし駅がこれだけ大きいだけに、人の出入りがまばらときたら、かなりの荒涼感です。

全く居なかった訳ではなかったのですが、本当に2、3人くらい常時いるような感じで、ここでは時間つぶせないな、という感じでした。

ちなみにこれだけ大きな駅でありながら、店の類は一切入っていません。レンタサイクル用の自転車が2台ほどポツンと置いてあっただけで。

大変きれいな駅舎ですが、2017年11月にリニューアルがなされたばかりでもあり、折角お金をかけてここまで綺麗になったので、もっと活性化してほしいものです。駅前はそこそこ施設がある為、決してなんにもない駅前ではなく、街歩きには良いかと思いました。

都城島津邸は行きたかったところです。

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2019年1月 6日 (日)

埼玉/本庄 かるたと七福神で巡る街

埼玉県本庄市内の旅の様子です。

(2018年10月当時)

▼前にJR本庄早稲田駅の記事にて、この駅付近の宿に泊まった事を書きましたが、これがその宿です。 「いやし処ホテル 寛楽」というホテルでHPはコチラ 

熊谷で用事があったので本当は熊谷で泊まりたかったのですが、いつものように?!ギリギリまで宿が決められなかったが為に、日が迫ってしまい選択肢がなくなり、近郊のこの本庄に予約できる宿があったので泊まった次第です。

ちなみに熊谷と本庄では新幹線1駅分の距離があり、新幹線で移動するならば9分で着きます(本数が多い訳ではないので、ダイヤは要確認です)

この宿は左側の建物と右側の向き互いの建屋の両方が繋がっており、2F建ての低層ながら横長になっている形です。

このホテルが一号店で、現在二号店を準備中だそうですが、かなり新しいホテルのようでした。

大浴場があるという点が宿泊にあたっての決め手のひとつとなりました。この時の宿泊費は8,300円でした。早めに予約するとか、食事なしとかすればもう少し安くで泊まれるようです。

                         
【いやし処ホテル 寛楽】
住所:  
埼玉県本庄市早稲田の杜2-1-12
 
電話番号:  
0495-25-8088
 
アクセス: JR本庄早稲田駅より徒歩5分

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▼これは泊まったホテルの館内案内図です。

建物が分かれていましたが、1号棟と2号棟になっていました。

大浴場が15:00~24:00と翌朝5:00~9:00まで利用できます。

それぞれ2F建てですが、低層ホテルのメリットはなんといっても「エレベーターで困る事がない」点です!

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▼ホテルの室内はこんな感じでした。

全体的に暗いカットになっていますが、雰囲気的にこういう感じという事で。

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▼複合店舗エリア

本庄早稲田の駅から道を隔てたすぐ向こうに、このような飲食等の店舗が固まったエリアがあります。上の写真のホテルは駅からこれらの施設を経て向こうに位置しています。

飲食店ばかり写っていますが、スポーツ関係のお店もありました。

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▼飯玉神社という、ホテルの程近くにあった神社です。

この神社のある久下塚という地区名は当時治めていたとされる久下塚氏からきているそうで、また「久下」は古代の役所である「郡家」が転じたものともされています。

創建年代は不明との事ですが、地場の古い神社ではあるようです。

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▼本庄早稲田駅前の風景はこんな感じです。

向こうに見えるのが本庄早稲田駅で、先ほどの店舗群は左向こうに隠れている部分に位置しています。

LAWSONが右向こうに見えていますが、Family Martもこの近くにあります。

駅の立地としては既にあった在来線の本庄駅から南へ約2kmの所にあり、在来線(JR高崎線)と平行に走っている所にはあります。

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▼いきなり景色ガラッと変わりますが、これは在来線であるJR高崎線本庄駅前の広場のカットです。

本庄早稲田の駅前を徒歩探索していましたが、これ以上歩いても…と思い、バスに乗ってここ本庄の駅までやって来ました。所要時間は約15分、料金170円でした。

直線距離であればこんなにはかかりませんが、あちこち回る事もあってそれなりの時間がかかってしまいます。

この時は10月末でしたが、11/2~3の「本庄まつり」に備えて駅前広場の真ん中にこのような提灯群が出ていました。

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▼本庄駅の駅舎は絶賛工事中でした。

自由通路やエレベーターの改修をやっているとの事でした。

それぞれ既に設置から20~30年経過しており、経年劣化は否めないという事で工事着手しているようで、駅入口周辺自体は何も囲われていませんでしたが、これ以外の半分くらいは工事資材で覆われていました。

駅が大きくなるのかと思いきや、改修のようでその期待は外れました。

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▼本庄駅北口の駅前の様子です。

先程の駅舎や駅前広場の北口のものです。

駅前広場の様子から見ると、どちらかというと南口の方がメインで、こちら側はサブという印象でした。

しかしこちら側は「本庄七福神」巡りを楽しむ事ができ、七福神がそれぞれ点在しています。

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▼前回2011年に一度本庄駅前の街歩きをしていますが、これというものが得られなかった事もあり、昨年再度ここを訪ね歩きました。

これにあたり、何を見るか?を考えて、新幹線の本庄早稲田駅前では飯玉神社くらいしか地場のものがなく、本庄駅前の方に来てみたら何かあるか??と思ってきましたが、ちょうど七福神めぐりの看板があったので「これだ」と思い、全部でなくてもよいので探してみよう、となりました。

北口の駅前を歩いて早速、ひとつ出会えそうだったので、看板の案内に沿って進む事にしました。

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城立寺(じょうりゅうじ)にやってきました。

本庄駅前の通りから路地を入るとそこはスナック街で、そこからしばらく(角を曲がって90m)歩いた所にあるのがこのお寺です。

あまり出くわす事のない(と個人的に思っている)日蓮宗のお寺でした。

安土桃山時代の天正年間が創建とされ、1898(明治31)年に当地に移転したとあります。

そしてここには七福神のうち「大黒尊天」が居ました。さっき角を曲がる際に既に予告ありでしたが。

インドの神と日本の大国主命を合体させた神で五穀豊穣、財福の神との事。神は合体もするのですね。というか純然たる日本の神でなかった事に今更驚きました。

という事でまずは一体目!コレクション的な趣向で観光客に制覇させる向きがあるのか、「七福神めぐり」として幟も多く立ち並んでいました。鎌倉など他の都市でもあるようですね。

そしてそして、より本庄らしさを感じられるものがこのお寺の境内にありました。

それは…

「本庄かるた」 です

ここのかるたの最初の文字はナント「ゑ」でした!

「縁日に うちわ太鼓が 鳴り響く 祖師と薬師の 城立寺」というものでした。

この本庄かるたは街の中で随所に見られました。これこそ「本庄の街を旅してる」事を明確に実感できるものでした。

ちなみに「うちわ太鼓」とは柄の付いたうちわのような形の太鼓で、手に持ってもう片方の手で叩くやつです。個人的にはコントでよく見るタイプの太鼓です(笑)縁日の時はここでそんな風に太鼓が鳴らされて、盛り上がったのでしょうか?かつては。

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▼本庄市のマンホール、カラー版で出くわしました。

この魚は…??と思い調べてみると…

埼玉県の指定天然記念物「ムサシトミヨ」が描かれているとの事で、かつては本庄でも見られたそうですが、今では熊谷の保護センターを中心に保護下に置かれている絶滅危惧種だそうです。

トミヨという魚の一種で、関東に生息する為この名になったと思いますが、定まった学名がないそうです。

このようなトミヨの一種はいくつかありますが、純然たるトミヨ以外は絶滅危惧種または既に絶滅してしまったもの(ミナミトミヨ)もいるそうです。

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▼はにぽん自販機

本庄市のゆるキャラ「はにぽん」の自販機に出くわしました。

最近は個人のお店でもこういうラッピング型の自販機が出てきていますね。

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▼本庄駅北口の駅前通りを突き当りまで400m程歩いた辺りですが、昭和な雰囲気の店が並んでいました。

今も営業しているものもあれば、そうでないものもありますが、昭和な雰囲気を残しつつ営業しているならばそれは素敵だと思います。

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▼これまた印象的な風貌であった戸谷八商店というガラス・セトモノを扱う商店がありました。

ここは本庄駅から北へ進んだところを左折して県道392号線へ入った所です。

軒先に「創業 永禄三年」とありました。

永禄??

西暦でいうと1560年です。 「桶狭間の戦い」で織田信長がその名を上げた年です。といっても歴史の授業で習ったレベルの事ですが。

江戸時代よりも前の創業で「埼玉県最古の企業」ともされているようですが、戸谷氏というのは江戸時代の豪商として知られ、代々戸谷半兵衛を襲名していたといます。昭和風景どころではない深い歴史を持った店をここで見る事ができ、驚きでした。

その周辺はやはりシャッター商店街が多く、明らかに稼働しておらず、老朽化の激しい建物もありました。

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▼上の写真にもチラッと見えていましたが、本庄まつりの提灯群が郊外にもありました。

祭の2週間前くらいの時期であったので、このくらい盛り上がっていたのかな?というところですが、山車が10台ほど集結する壮大なお祭りだそうです。

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▼中山道 本庄宿の標柱が立っていました。

場所は本庄仲町郵便局の前です。

本庄は中山道の宿場町で、江戸から数えて10番目にあたり、武蔵国では最後の宿場で、中山道では人口・建物とも最大規模であったそうです。

お城が早い時期に廃業になった事が、逆にこの町を宿場町として充実させていった原因と記されていましたが、それだけ栄えた町であったという事実を今まで知りませんでした。もっと宿場町として掘り下げて訪ねても良かったかな、とも感じました。

ただ当時の歴史的な遺産があまりなかった印象もあり、それは宿場町として栄えすぎた故火災が多く発生し、焼失したものも多かったともありました。

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▼ほんじょうかるたが郊外にもありました。

ここでは「ね」です。

「練り歩く 神輿で街は 人の波」というものでした。

これは今でも本庄まつりで、その雰囲気が引き継がれているのでしょうね。祭りとしては江戸時代から記録が残っているといいます。

11/2・3頃は祭りで賑わうこの街、この時期は混むから避けるか、祭りが好きなら見てみるか、ですが、毎年曜日に関わらず、11/2・3の2日間にて祭りは開催されるとの事です。

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本庄かるたと七福神めぐり、また古代史に興味のある方なら古墳訪問という、本庄訪問の選択肢は色々あるな、と訪ねてみて知りました。

という事で、旅のし甲斐のある本庄の街でした。

2019年1月 5日 (土)

茨城/笠間 日本三大稲荷への道!

茨城県笠間市、JR笠間駅からの歩き旅です。

(2011年8月当時)

▼笠間駅からの道はこんな感じからスタートです。

今から7年余り前の様子ですが、今もきっとあまり変わっていないだろうと(勝手に)思っています。

この時は、ただただ笠間稲荷神社を目指しての歩き旅でした。夏の暑い日でヘトヘトになりながら歩いていました。

日本三大稲荷のひとつとして有名なところだけに、初詣客も三が日だけで約80万人(年間では350万人)だそうで、茨城県で1位の参拝客数を誇る神社です。今年の場合は1/5・6と土日である為、まだ混雑は続くものとされています。

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▼上の写真の駅前の道を歩いて程ない所に、この笠間駅前郵便局があります。

どことなくちょっと普通の郵便局とは違う雰囲気がする建物、という印象をうけました。建物構造そのものはまさに郵便局なのですが、色使いが他のスタンダードな郵便局と違うのか?何か違う感じがしたのでした。

左側の建物だけであれば、郵便局とは思い難い感じでした。というか幟以外何の表示もないなと。

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▼笠間駅からどんどん離れていったある地点で、このような標識に出くわしました。

「やきもの通り」??

笠間は焼き物の街として栄え、江戸中期から「笠間焼」が造られたといいます。

関東では益子と並ぶ窯業の産地というこで、教科書で習った中に「益子焼」は確かにありましたが、笠間焼というのは記憶に薄く、焼き物の街という事はここへ来て初めて知りました。

春に行なわれる「陶炎祭」は実に50万人の人出があるそうで、笠間市の人口から考えると6倍以上にもなる訳で、初詣といいこの陶器のお祭りといい、結構な観光動員を誇る街だという事を改めて思い知らされました。

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▼笠間市のマンホールです。

市の花である菊が前面に描かれていますが、市の木である桜や市の鳥うぐいすは一切現われていないようです。

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▼変電所前というバス停がありました。

笠間駅から北へ進んで3つ目のバス停で、駅からの距離にして400m程度です。

古めかしくて錆びたまんまのバス停標識が渋くて暫く見入っていました。

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▼笠間稲荷へ向かって更に進んで行きますが、廃屋の続く商店街という感じでした。

この建物は薬局だったのでしょうか、軒先の十字に赤十字的なものを連想したのですが…

そんなこんなで昭和遺産と思われる建物がそこかしこで見られました。

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▼笠間稲荷神社への道中に案内図がありましたが、笠間稲荷周辺は右下に詳細地図が追加されていました。

この記事の行程がほぼこの通りですが、笠間駅から笠間稲荷までこんな感じで、距離にして1.7kmにつき、歩いて行く事は可能です。

この工程の赤矢印の真ん中部分に青で横線を入れていますが、これが現在地で、ほぼ中間地点にあたります。

ただしこの時はお盆時期で折からの猛暑により歩くのも辛く、時期によってはこの距離でも困難な場合もあります。

という事で、バスを利用する手段もありますが、御覧のように便数がかなり少ないようです。時刻表はコチラ

これは土日祝ダイヤで、平日はこれに+α程度です。びっくりでした、「これだけしかないの??」という感じで。ちなみにバスでは4分程度で着きます。(徒歩では約20分)

歩くのがしんどい場合はタクシー利用で十分です。距離的に料金は問題ないと思います。ただし初詣時期は歩いて行った方が早い、となるかもしれません。

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▼行幸町というバス停がありました。

行幸(みゆき)というズバリそのものの名前で、天皇や皇族が訪問した地か?と思って調べてみたらその通りでした。

1900(明治33)年に明治天皇がこの地に宿泊したことで、そのままこの町名になったといいます。

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▼いよいよお稲荷さんが近づいてきた、という事でお出迎えの灯籠が立っていました。

その後ろには胸像があり、「詩人 高野公男之像」とありました。

高野公男(1930-56)はここ笠間出身の作詞家で、春日八郎氏の「別れの一本杉」の作詞家で有名になった人物ですが、当時不治の病であったか肺結核により26歳の若さで夭折されたといいます。

今の世であれば治ったかもしれないし、まだ生きておられても88歳で不思議な年齢ではなく、もっとヒット作が飛ばせたかもしれず、残念ですね。

2017年に亡くなられた船村徹先生は「親友」としており、船村氏の逝去時にこの高野氏の名前がネットニュースに挙がっていました。

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▼笠間稲荷に着きました。

ここは境内でお店が立ち並ぶエリアで、お稲荷さんでありつつ飲食のコーナーもありますといったところでしょうか。笠間焼の販売もありますが。

笠間はこのお稲荷さんの存在により古くから門前町として栄え、また笠間城の城下町としての側面を有しており、このような門前の店店は古くからあったようです。

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▼神社の概要図がありました。単色で少々分かりにくかったですが。

御祈祷は午前8時から午後4時まで1時間ごとに行うともありました。

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▼左は車祓い所で、交通安全祈願を斎行しているもので、右は楼門になります。

楼門は赤を基調とした実に立派な建物でした。笠間稲荷の実質的な入口として相応しい風格に溢れた建物、そんな感じでした。

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▼楼門が立派なので単独で撮ったカットも載せます。

赤色が青空に映えて更に引き立っていました。

袖にあたる部分もかなり色々凝っていて、ミクロで見てもマクロで見ても見応えのある建物です。

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▼手水舎

お水で清めるあの場所ですが、、この建物の屋根が亀の甲のようなゴツゴツした感じのもので、ものすごく重厚感に溢れてインパクトがありました。

手水舎でこんなすごい屋根のものってあんまり見た事がないように思いました。屋根と柱のバランスが見た感じ、危なげですらありました。かなり屋根重そうで。

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▼境内に藤棚がありました。

この時は8月だったのでこんな感じでしたが、藤が咲き誇る5月頃などはとてもきれいな光景を見る事ができ、GWに行く事がおススメと思います。ただしその分だけ混むとは思いますが…。

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▼この建物は絵馬殿です。

明治32年築のなかなか歴史のある建物で、絵馬などが奉納されている所です。

これもまた屋根の重厚さが目立つたてもので、柱とのバランスを見ると大丈夫かな、とついつい思ってしまいます。これだも柱は14本あるそうですが。

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▼参拝時にお馴染みの拝殿です。

楼門と並んで、笠間稲荷の象徴的存在で、またここでお祈りをするところとして不可欠な存在です。

この建物は昭和35年竣工の建物で、ものすごい歴史があるわけではありませんが、この奥にある本殿は江戸末期のものだそうで、この神社で唯一の重要文化財となっています。

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▼笠間稲荷を出ました。

門前町として栄えた様子を今に伝えているような、神社付近の商店街の様子がここにありました。

全国的な知名度がどの程度かよく分かりませんが、笠間稲荷がどれだけビッグな神社かという事がここに現われているかと思います。

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▼ラストはおまけカットです。

街角の一角で見つけたベンチですが、ここに「スノーラック」とありました。だいぶ字が薄く褪せてしまっていますが。

今は亡き飲み物ですが、雪印が1957年に販売開始したビン型の子供用フルーツ飲料的なもの、といえばよいでしょうか(ここにも記されていますが乳酸菌飲料だそうです)

自分も個人的に幼少期に飲んでいた覚えがあり、愛着があります。親が家で牛乳を取っていたので、その延長上で自分もこれを取って飲んでいた格好です。いつ生産中止となったのか調べてもなかなか出てきませんが、まさかこんなところでスノーラックに出くわすとは!でした。

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初詣で賑わう笠間大社がこの笠間の最大のウリですが、他にも神社仏閣が目立つようです。これら以外のものとしては「笠間つつじ園」などもあるようです。

2019年1月 2日 (水)

JR本庄早稲田駅 (埼玉県本庄市)

埼玉県本庄市のJR本庄早稲田(ほんじょう・わせだ)です。

本荘市では在来線のJR本庄駅をupした事がありますが、今回の本庄早稲田駅は逆に新幹線のみの駅です。

-JR本庄早稲田
【路線】JR上越新幹線 (大宮-新潟間)
【開業】2004年10月21日
【訪問】2018年10月
【1日あたり平均乗車人員】 2,218人/日 (2017年)
【近隣の都市駅】(大宮方面)熊谷駅→隣駅 
          (高崎方面)高崎駅→隣駅

●駅名標

2004年に開業した上越新幹線の新駅で、自治体や企業の寄付によって開業にこぎつけたいわゆる「請願駅」で、元々市名を名乗った中心駅である「本庄駅」がありながら、これとは別に新幹線のみの駅としてできたものです。

高崎と熊谷の間にあり、埼玉県では大宮、熊谷に続いて3つ目の新幹線駅ですが、大宮、熊谷よりは全然人口の少ない10万に満たない都市の新幹線駅として存在しています。

当初は「本庄児玉」とか「新本庄」とかいう案があったようですが、早稲田大学の本庄キャンパスがあることから、この名になったといいます。

1日辺りの乗車人員は2017年で2,218人ということで、開業当初は4,300人程度を見込んでおり、だとすると半分程度ですが、近年は微増傾向にあるようです。

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●ホーム

2面2線のホームで、この新幹線ホームのみです。

夜の10時を過ぎていたので真っ暗ですが、ここの近くの宿へ泊まりにやって来ました。

駅前にホテルが並び立っているような街ではなく、この時泊まりに行ったホテルも2階建てのこじんまりとしたものでした。

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●新幹線構内

ホームから降りて改札までのスペースにあったものです。

大抵の駅では、その地の名産や名所など象徴するものをあげるのでしょうが、相違ものが見当たらなかったのか、オーソドックスに駅員スタイルの顔抜き看板が設置されていました。

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●彩北未来空間

と記された暖簾がかかった空間がこれまた駅構内にありました。

イベントスペース的な場所で、「ふるさと納税」の幟が立っていましたが、本庄や近隣のふるさと納税商品の紹介として展示しているようでした。あとは近隣の自治体のPRポスターがあったくらいでしょうか。

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●はにぽん、とか

同じ駅構内ですが、本荘市ゆかりのキャラクターの幟が立っていました。

「はにぽん」は本庄市のゆるキャラで、2016年のゆるキャラグランプリでは見事2位に輝いたとありました。2010年にキャラクターとして決定し、モデルはその名の通り「埴輪」です。

古代遺跡が数多く出土しており、県内で最古かつ最大の古墳を有していることから、埴輪がその象徴として売り出されているものと思います。

井上小百合さんという方の幟については、ここ本庄出身で乃木坂46に在籍している方だとか。ということで「広報観光大使」および「はにぽんアンバサダー」という肩書がつけられていました。

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●さらに広報観光大使

黛英里佳(まゆずみ・えりか)さんというこの方も、同じ広報観光大使のようで幟が出ていました。

アイドルではなく女優さんで、秘密のケンミンSHOWのドラマパートやCMにも多数出演されているようです。

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●返礼品

駅構内のこういうウインドウにはよく「〇〇市の特産品」として飾られている事が多いですが、実質的にはこれと同じ「ふるさと納税返礼品」として展示されていました。

お菓子詰め合わせはもちろん、石鹸やハムの詰め合わせや、特産である本庄絣(かすり)の詰め合わせなんかもありました。

また、ここにはないですがゴルフ場のプレー券もHPには載っていました。

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●本庄市はこんな街

という事を表すものがパネル形式で並べられていましたが、塙保己一(1746-1821)に関連するものでした。

江戸中期に活躍した盲人の国学者で「群書類従」の著作で有名ですが、ここ本庄にあたる地の出身者であり、郷土の偉人として売り出されているフシを所々で感じられました。

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●本庄早稲田駅 駅舎

周りになんにもない訳ではありませんが、駅前の街並みに比べて駅舎の立派さが際立っていました。

特徴的なのは、駅出口から長い庇が出ているところです。特に何かの施設と繋がっている訳では全くありませんが。

在来線の本庄駅との距離は約2kmで、歩いて移動は可能ですが、双方を繋ぐバスが出ていて、実際これで本庄駅まで行きました。ただしあまり本数は多くないようです。

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