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2019年1月 5日 (土)

茨城/笠間 日本三大稲荷への道!

茨城県笠間市、JR笠間駅からの歩き旅です。

(2011年8月当時)

▼笠間駅からの道はこんな感じからスタートです。

今から7年余り前の様子ですが、今もきっとあまり変わっていないだろうと(勝手に)思っています。

この時は、ただただ笠間稲荷神社を目指しての歩き旅でした。夏の暑い日でヘトヘトになりながら歩いていました。

日本三大稲荷のひとつとして有名なところだけに、初詣客も三が日だけで約80万人(年間では350万人)だそうで、茨城県で1位の参拝客数を誇る神社です。今年の場合は1/5・6と土日である為、まだ混雑は続くものとされています。

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▼上の写真の駅前の道を歩いて程ない所に、この笠間駅前郵便局があります。

どことなくちょっと普通の郵便局とは違う雰囲気がする建物、という印象をうけました。建物構造そのものはまさに郵便局なのですが、色使いが他のスタンダードな郵便局と違うのか?何か違う感じがしたのでした。

左側の建物だけであれば、郵便局とは思い難い感じでした。というか幟以外何の表示もないなと。

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▼笠間駅からどんどん離れていったある地点で、このような標識に出くわしました。

「やきもの通り」??

笠間は焼き物の街として栄え、江戸中期から「笠間焼」が造られたといいます。

関東では益子と並ぶ窯業の産地というこで、教科書で習った中に「益子焼」は確かにありましたが、笠間焼というのは記憶に薄く、焼き物の街という事はここへ来て初めて知りました。

春に行なわれる「陶炎祭」は実に50万人の人出があるそうで、笠間市の人口から考えると6倍以上にもなる訳で、初詣といいこの陶器のお祭りといい、結構な観光動員を誇る街だという事を改めて思い知らされました。

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▼笠間市のマンホールです。

市の花である菊が前面に描かれていますが、市の木である桜や市の鳥うぐいすは一切現われていないようです。

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▼変電所前というバス停がありました。

笠間駅から北へ進んで3つ目のバス停で、駅からの距離にして400m程度です。

古めかしくて錆びたまんまのバス停標識が渋くて暫く見入っていました。

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▼笠間稲荷へ向かって更に進んで行きますが、廃屋の続く商店街という感じでした。

この建物は薬局だったのでしょうか、軒先の十字に赤十字的なものを連想したのですが…

そんなこんなで昭和遺産と思われる建物がそこかしこで見られました。

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▼笠間稲荷神社への道中に案内図がありましたが、笠間稲荷周辺は右下に詳細地図が追加されていました。

この記事の行程がほぼこの通りですが、笠間駅から笠間稲荷までこんな感じで、距離にして1.7kmにつき、歩いて行く事は可能です。

この工程の赤矢印の真ん中部分に青で横線を入れていますが、これが現在地で、ほぼ中間地点にあたります。

ただしこの時はお盆時期で折からの猛暑により歩くのも辛く、時期によってはこの距離でも困難な場合もあります。

という事で、バスを利用する手段もありますが、御覧のように便数がかなり少ないようです。時刻表はコチラ

これは土日祝ダイヤで、平日はこれに+α程度です。びっくりでした、「これだけしかないの??」という感じで。ちなみにバスでは4分程度で着きます。(徒歩では約20分)

歩くのがしんどい場合はタクシー利用で十分です。距離的に料金は問題ないと思います。ただし初詣時期は歩いて行った方が早い、となるかもしれません。

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Photo

▼行幸町というバス停がありました。

行幸(みゆき)というズバリそのものの名前で、天皇や皇族が訪問した地か?と思って調べてみたらその通りでした。

1900(明治33)年に明治天皇がこの地に宿泊したことで、そのままこの町名になったといいます。

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▼いよいよお稲荷さんが近づいてきた、という事でお出迎えの灯籠が立っていました。

その後ろには胸像があり、「詩人 高野公男之像」とありました。

高野公男(1930-56)はここ笠間出身の作詞家で、春日八郎氏の「別れの一本杉」の作詞家で有名になった人物ですが、当時不治の病であったか肺結核により26歳の若さで夭折されたといいます。

今の世であれば治ったかもしれないし、まだ生きておられても88歳で不思議な年齢ではなく、もっとヒット作が飛ばせたかもしれず、残念ですね。

2017年に亡くなられた船村徹先生は「親友」としており、船村氏の逝去時にこの高野氏の名前がネットニュースに挙がっていました。

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▼笠間稲荷に着きました。

ここは境内でお店が立ち並ぶエリアで、お稲荷さんでありつつ飲食のコーナーもありますといったところでしょうか。笠間焼の販売もありますが。

笠間はこのお稲荷さんの存在により古くから門前町として栄え、また笠間城の城下町としての側面を有しており、このような門前の店店は古くからあったようです。

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▼神社の概要図がありました。単色で少々分かりにくかったですが。

御祈祷は午前8時から午後4時まで1時間ごとに行うともありました。

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▼左は車祓い所で、交通安全祈願を斎行しているもので、右は楼門になります。

楼門は赤を基調とした実に立派な建物でした。笠間稲荷の実質的な入口として相応しい風格に溢れた建物、そんな感じでした。

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▼楼門が立派なので単独で撮ったカットも載せます。

赤色が青空に映えて更に引き立っていました。

袖にあたる部分もかなり色々凝っていて、ミクロで見てもマクロで見ても見応えのある建物です。

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▼手水舎

お水で清めるあの場所ですが、、この建物の屋根が亀の甲のようなゴツゴツした感じのもので、ものすごく重厚感に溢れてインパクトがありました。

手水舎でこんなすごい屋根のものってあんまり見た事がないように思いました。屋根と柱のバランスが見た感じ、危なげですらありました。かなり屋根重そうで。

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▼境内に藤棚がありました。

この時は8月だったのでこんな感じでしたが、藤が咲き誇る5月頃などはとてもきれいな光景を見る事ができ、GWに行く事がおススメと思います。ただしその分だけ混むとは思いますが…。

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▼この建物は絵馬殿です。

明治32年築のなかなか歴史のある建物で、絵馬などが奉納されている所です。

これもまた屋根の重厚さが目立つたてもので、柱とのバランスを見ると大丈夫かな、とついつい思ってしまいます。これだも柱は14本あるそうですが。

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▼参拝時にお馴染みの拝殿です。

楼門と並んで、笠間稲荷の象徴的存在で、またここでお祈りをするところとして不可欠な存在です。

この建物は昭和35年竣工の建物で、ものすごい歴史があるわけではありませんが、この奥にある本殿は江戸末期のものだそうで、この神社で唯一の重要文化財となっています。

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▼笠間稲荷を出ました。

門前町として栄えた様子を今に伝えているような、神社付近の商店街の様子がここにありました。

全国的な知名度がどの程度かよく分かりませんが、笠間稲荷がどれだけビッグな神社かという事がここに現われているかと思います。

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▼ラストはおまけカットです。

街角の一角で見つけたベンチですが、ここに「スノーラック」とありました。だいぶ字が薄く褪せてしまっていますが。

今は亡き飲み物ですが、雪印が1957年に販売開始したビン型の子供用フルーツ飲料的なもの、といえばよいでしょうか(ここにも記されていますが乳酸菌飲料だそうです)

自分も個人的に幼少期に飲んでいた覚えがあり、愛着があります。親が家で牛乳を取っていたので、その延長上で自分もこれを取って飲んでいた格好です。いつ生産中止となったのか調べてもなかなか出てきませんが、まさかこんなところでスノーラックに出くわすとは!でした。

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初詣で賑わう笠間大社がこの笠間の最大のウリですが、他にも神社仏閣が目立つようです。これら以外のものとしては「笠間つつじ園」などもあるようです。

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