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2019年1月19日 (土)

愛知/犬山 12/25,000の奇跡!日本最古の天守

愛知県犬山市、名鉄/犬山駅からの歩き旅です。

(2008年5月当時)

▼犬山駅からまっすぐに伸びた道を西へ200m程歩いた所です。

幹線道ではなく、車は通るのでしょうが、商店街というう雰囲気でもない、駅前の割に微妙な雰囲気の通りでした。

犬山理容と看板が出ていますが、この写真は訪問した2008年当時で、まだ現役だったと思われ、「犬山理容」としては2015年には既に閉店していたようです。

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▼上の写真の道路で、真ん中部分だけ横切るように違う色になっていましたが、右側にこのような「熊野神社」がありました。

そしてそこには「熊野町」の立札がありました。

熊野神社ゅがある事からこの町名がついた、とあり、以前は熊野山があったともありました。江戸時代には城下町と外部の境をなしていた、ともありました。ちなみに今は熊野町ではありません。

向こうに見える「住吉臺」と書かれた建物には、犬山祭の車山があります。

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▼街を歩いていたら、鈎型十字路がありました。

さすが城下町犬山!天守が現存していて国宝となっている犬山城の街の貫禄の一端が、この渋い家並みと共に窺えるというものです。

戦国時代などの当時もこのような通路の形をして、敵の侵入を少しでも食い止めていたのでしょうね。

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▼本町とよばれる城下の中心街へ出てきました。

城下町時代はこの辺りはかなり賑わったようで、賑わうような店を集めたそうです。そしてまた問屋場、高札場なども設けられ、住人達へのお触れもこの辺りで出していたといいます。

人の集まる、情報の集まるそんなエリアだったかと思いますが、今でも観光客で賑わう通りになっていると思います。

そしてこの店の看板、初めて見た時「がんばるの店」だと思っていました。なんだよ、がんばるんって、と。よく見ると「人」でした、がんばる「人」の店でした。自然食品の店のようですね、軒先にリポビタンDの自販機がありましたが。

そしてまたこの軒先には、からくりみくじがありました。

小っちゃい太鼓を叩いて、大吉が正面を向いたらラッキーとありましたが、ここでは小凶が正面を向いております(笑)

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大手門いこいの広場という事で、広場スペースがありました。芝生のある部分?はそれらしい憩いのスペースという感じはしますが、土の部分は何の役割をしているのか??と思わされました(笑)

犬山城下絵図と犬山の街の航空写真がありましたが、絵図は1740年に描かれたものを明治4年に写したものとありました。

城下町と一体になったいわゆる「総構え」の構造となっています。

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▼街の中にひっそりと標柱があり、近くに大きめの説明板がありました。

犬山の藩校であった「敬道館」の跡地との事です。

敬道館は1840(天保11)年に。8代藩主成瀬正住が建てたとされます。その流れを引くものが犬山北小学校という事で、この小学校は現存し、1873年に稲黄義校というものができたのがその起源とされています。

義校というのは、藩校の進化形のようなもので、敬道館は明治4年まで藩校の役目を果たし、義校へタスキを繋いだのですね。

ここでは8歳で入所し15歳で退館するのが決まれとされ、ほぼ小中学校に相当する形なのかな、と想像させられます。15歳以降も希望すれば居られたらしいです。

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 「犬山城三の丸 武術稽古場跡」と標柱が建っていました。

という事で犬山城の付近まで来ている訳ですね。

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針綱(はりつな)神社という神社の鳥居の所にやって来ました。 「尾張五社」と冠されています。

ちなみに尾張五社としてここ以外には以下あります。

◆熱田神宮(愛知県名古屋市)

◆尾張大國霊大社(愛知県稲沢市)

◆津島神社(愛知県津島市)  ⇒津島神社についてはコチラの記事を

◆千代保稲荷神社(岐阜県海津子)

延喜式には既に「針綱」の記載があり、太古の昔よりこの犬山の峯に鎮座し、あらゆる事象に神威顕著で、白山大明神と讃えられ、濃尾の総鎮守であった、との記載がありました。

犬山城の登城口にあり、犬山城の守護神でもあります。

そしてまた犬山祭では、市内の山車が集結するというそれはもう賑やかであろうことになる場所でもあります。

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▼針綱神社境内の一角です。

半円型ブリッジの下に屋根の妻部分のてっぺん?のようなものがありました。

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▼針綱神社の拝殿です。

上の写真のブリッジの下にあったものが、この屋根の正面部分にあるもののようだ、と言いたかったのです。

軒に綱がまかれていて豪華感が出ていました。

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▼神馬像が複数ありました。

上側の写真の方は、雲の上を駆け上がっているように表現されています。

また台座の部分には「奉献」の文字が右側から記されていて、これは戦前からあったであろうものとされ、上の馬の部分は元々銅製であったものが戦時中供出され、現在の陶彫りのものになっているそうです。

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▼犬山城へいよいよ入ります。

両サイドを高い石垣で覆われた門を入っていきます。

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▼天守閣メインのカット以外のものです。

さすがは国宝!なのかも土産物屋さんがありました。

これがあるかないかで、そのお城の立派さや観光資源としての力みたいなものが計れると思っていますが、やはり国宝だなと感じました。

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▼天守閣メインのカットです。

天守閣は地下2階、地上4階の建物です。

この日本にはお城とよばれるものの数は25,000以上といわれ、これには単に柵で囲われただけのものも含まれますが、天守が当時から残っているお城はわずか12城しかなく、ここ犬山城もそのひとつあり、しかもその中で「最古」です。

纏めると「日本最古の現存天守のお城」です。日本一です!

他の現存天守のお城といえば…

弘前城  ★松本城  丸岡城  ★彦根城  ★姫路城 

備中松山城  ★松江城  丸亀城  高知城  宇和島城

と錚々たる面々の中にここ犬山城も含まれている訳です。

上のマークは「天守が国宝指定されている」お城です。

犬山城は1537年、織田信康(織田信長の叔父!)により創建されたお城で、尾張といえば名古屋城のイメージが強いかと思いますが、犬山城は現存天守というのがやはり強みだと思います。1891(明治24)年に一度半壊していますが、復興して現在に至っています。

愛知県だと他には岡崎城、豊橋城、小牧城、清洲城などホントに立派なお城が多いので、お城めぐりして見るのも良いと思います。

【国宝 犬山城】

住所:愛知県犬山市大字犬山字北古券65-2

営業時間:9:0017:00

電話番号:0568-61-1711 (入場は16:30まで)

アクセス:名鉄/犬山駅より徒歩15

料金:大人550 小人110

定休日:12/2912/31

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