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2019年2月の9件の記事

2019年2月24日 (日)

愛媛/宇和島② きさいや港町へ!




愛媛県宇和島市、愛媛/宇和島① 日本に12だけの城に続く宇和島市の記事です。

前回は、宇和島駅から宇和島城を中心として訪ねたものですが、ここからは城を下りてからのものとなります。

▼街なかを歩いていると、歩道の床面にはこんなものが見られました。

いずれも宇和島の名物です。どっちも牛なんですよね(笑)

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御茶撰橋(おちゃよりばし)という橋に差し掛かりました。

崖屋造りよろしくな感じの建屋群が見えて、川沿いで雰囲気出していました。

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▼今ではこの「九島(くしま)」の架橋がされていて宇和島の街と陸続きになっていますが、これは2016年4月の事で、この当時の7年後の事でした。工事着工したのが2013年の事で、この4年後の事だった訳です。

市の負担が5億4千万とここにはありました。結局は総工費70億円と2年半の歳月をかけて全長468mの九島大橋なる橋が完成したのでした。

宇和島の街と九島はフェリーで繋がっていたのですが、橋が架かるとフェリーは廃止され、それは当然の流れと思いますが、なんだか寂しいですね。

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たこやき太郎というインパクトがありすぎる名前のお店に遭遇しましたが、10年前のこの当時ですら「貸店舗」の文字がありました。

残念ながら営業している姿を見る事ができない訳ですが、この建屋が残ってくれていただけで嬉しい?と思っていましたが、10年経った今も残っているのでしょうか??

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▼ユニーク看板のひとつですが、こんな斜め向きのがありました。

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▼宇和島城から降りて街を歩き、目指していたのは宇和島港でした。

そんな中、行き着いたのはここ「道の駅 みなとオアシス きさいや広場」です。

2009年4月に開駅し、この当時が2009年8月であったので、まだ出来たてのホヤホヤだった訳です。そして今はそれから10年の節目の年を迎えています。

さて、この「きさいや」って何??と思いましたが、「来てねー!」という意味の宇和島の方言だそうです。

【道の駅うわじま きさいや広場】

住所:愛媛県宇和島市弁天町1-318-16

電話番号:0895-22-3934

利用時間:9:0017:00

HPhttp://www.kisaiyahiroba.com/

アクセス:JR宇和島駅より徒歩約15

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▼これは「宇和島に来たら見れる」ものではありません。

この時偶々、近隣自治体の北宇和郡松野町にある「虹の森公園」内の「おさかな館」からペンギンがやって来ていて9:00~10:00にペンギンショーとしてお披露目されたものです。

偶々この時間帯に来る事ができて実にラッキーでした!

水っ気のないこんな所で生ペンギン!と思って見ていましたが、やはりペンギンが好きな人は多いものですね。

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▼さて、これは宇和島ならではのものですが、道の駅施設内にある「牛鬼館」に展示されていた牛鬼です。

いかに宇和島で貴重なものか、という事が窺え、その歴史の一端を知る事も出来ます。

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▼宇和島は港町でもあり、こうしてちゃんと港へ出てきました。

宇和島港は天然の良港とされ、他の場所から船が避難してくることもあるといいます。

近隣の複数の島への航路が出ており、1日3,4便程度が出ていますが、先述の通り九島は橋が開通したために無くなっています。

お城があり、港がある宇和島、愛媛県西部きっての観光地として訪ね甲斐のある街です。愛媛県でも松山よりかなり西で、アクセスには少々時間がかかりますが、訪ねて損はない町だと思います。

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▼最後はコレです。

港から宇和島駅へ戻る途中で通り掛かった商店街の入口です。

「きさいやロード」と表記されている「き」の文字には牛の角が生えていて、闘牛の牛を表しているのだと思いますが、そのさりげなさにクスッときました。前のマークの部分の牛の目を表している部分も、怒り目になっていて、凝ってるなという感じでした。

この時に行く事ができませんでしたが、宇和島市営闘牛場というのがあり、日本で珍しく定期闘牛大会が開催されているそうで、その時期に合わせて訪ねると更にこの街の思い出が深く残るのかな、と思います。

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2019年2月18日 (月)

愛媛/宇和島① 日本に12だけの城

愛媛県宇和島市、JR宇和島駅からの歩き旅です。

(2009年8月当時)

▼宇和島駅前の通りの一角です。

駅の南から西へ向かってのカットですが、南国ムードの漂う通りで、高木群がお出迎えです。

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▼宇和島市のマンホールです。

宇和島といえば「闘牛」の町で、この単色版では分かりづらいですが、真正面から角をぶつけ合う牛同士の姿が描き込まれています。

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▼もうひとつ、色の付いたマンホールがありました。

これは上の写真とは全くの絵柄違いでした。

こちらは宇和島で開催される「牛鬼(うしおに)まつり」の鬼の顔がドアップで描き込まれていました。

毎年7月22~24日の3日間、何mもの大きな牛鬼が何体も練り歩く、かなり迫力のある祭のようですが、昨年は西日本豪雨の為に中止になったといいます。

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▼宇和島観光マップです。

この地図では下が北になっており、駅から南側がかなり賑わっている部分とみて取れます。

宇和島城もそれらのエリア内にあり、駅から南東方向にあり、また宇和島港は西へそのまま進んでいけば行き着きます。

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▼宇和島駅前にあった蒸気機関車のこれは複元版です。

宇和島で最初に走った蒸気機関車を、資料に基づいて復元させたものだそうで、本物は1914(大正3)年に試運転が行われたといいます。

この時、私設の宇和島鉄道が開業し、その後1933(昭和8)年に政府の買収によって宇和島鉄道はその使命を終えた、とありました。

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▼これも蒸気機関車の傍に置いてあった「宇和島闘牛」の牛の立派な銅像です。

ここ宇和島は闘牛で、高知市は土佐の闘犬があったり、四国は闘いものが好きだな、と感じました。

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▼街なかのとある地点、国道56号線上ですが、松山まで93kmで大洲までは39kmと絵的に面白い事になっていました。

国道56号線、宿毛街道と称されていますが、南へ高知県の宿毛市まで伸びている国道で、鉄道路線の全くない四国の南西部をぐるっと海沿いに伸びていきます。この写真では、松山や大洲方面が向こうとなるので、宿毛方面は手前になります。

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▼宇和島市の「袋町商店街」というアーケードつきの立派な商店街です。宇和島駅から南西徒歩10分圏内にあります。

バレンタインダンスコンテストなどというイベントがあり、今年は第8回として2月9日に行なわれたそうで、活性化に向けて色々手は打たれているようです。

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▼宇和島バスセンターがありました。

ここから大阪や神戸に行けるんですね。

それぞれ昼夜1便ずつあるようで、神戸を経由して大阪が終点の形です。

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▼ここからは宇和島城の様子です。

ここは宇和島藩家老の桑折氏の邸宅の長屋門で、昭和27年にここへ移築したといいます。江戸中期のものといわれており、これを知ると歴史を重く受け止めて見るようになりました。

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▼宇和島城の石垣の一角にて。この近くに宇和島城の説明板がありました。

1595年に藤堂高虎が転封してきて、翌年より築城を開始し5年ほどかけて城郭を築き上げた、とされています。1615年からは伊達市が入り、幕末まで迎える事となります。

愛媛県は個人的に「お城の宝庫」と勝手に思っていて、松山城もあるし、大洲城、今治城とそれぞれ都市部にあり、お城には事欠かないかなと。これらお城めぐりでも立派な旅になると思います。

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▼宇和島城は平山城という事で、高い所にも主要部分が多く、こんな石段を上り、平坦な道を経てはまた上り、と繰り返しやっていました。

なのでそれこそ平坦な道のりではありませんでした。

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▼階段を上ってまた荘厳な石垣がありました。

堅固な守りを築こうとして造られたのだな、という事を感じました。

それから当時の姿はこうだったのかな?とか色々想像しました。

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▼井戸丸跡の標柱があり、柵で囲われた井戸がありました。

宇和島城に3つ残る井戸の中で最も重要視されていたものだそうです。

本丸とか二の丸とか、〇〇丸というのはよくありますが、ここには「井戸丸」がある訳です。井戸丸御門、井戸丸矢倉などがあり、厳重に管理されていたようです。

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▼さて再び、階段から平坦な道、また階段…と同じ形を繰り返す事となりました。

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▼そしてまた大規模な石垣、こんなとこまで繰り返すのか、って感じでしたが、更に上っていきました。ただただ石の量凄いなと(笑)

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▼上っていく内に出くわした三之門跡、そして一之門跡です。

だんだんと中心に迫っていきます。

結構階段を上るので、訪問時期は考えた方が良いと思います。

夏の暑い盛りにここの階段を上っていこうものなら、かなり体力を消耗するし、暑さで参ってしまいます。この訪ねた時期も実は8月末でまだまだ暑い時期でした。多少はマシでしたが、7月後半~8月前半などの時期に行ってたら、上り切れたかどうか…でした。

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▼階段をいくつも上ってきたので、さすがに良い眺めが得られました。

宇和島って結構都会だな…と思わされました。四国の西端では随一の都市ですが。

こんな所にお城が築かれて、江戸のお殿様は暮らしていたのかな、と想像をしつつ、当時この下はどんな感じだったのかな?とも。城下町が展開されていたのでしょうか?一方で、山の姿は変わっていないのかな?とかも考えてしまいますね。

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▼ようやく上りきって、宇和島城の天守へ。

日本百名城に選ばれており、おとな200円(こども半額)で中へ入る事ができます。

標高74mとされていますが、結構上った感があったのに、そんなもんかって感じでした。

今は堀も海も埋め立てられているという事ですが、当時は水辺にあり、平山城であると共に水城であったといいます。

しかしなんといって、ここ宇和島城は日本にわずか12しかない「現存天守」のお城であり、これがまず誇るべきところです。

先に愛媛はお城の宝庫のような事を書きましたが、現存12天守で1都道府県に複数あるのは、松山城と宇和島城をもつ愛媛県だけです。また四国だけで12のうち4つ(他に丸亀城と高知城)が現存天守をもつ城となっています。

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2019年2月16日 (土)

JR新尾道駅 (広島県尾道市)

広島県尾道市のJR新尾道(しん・おのみち)です。

都城市ではJR尾道駅をupした事がありますが、今回は新幹線単独駅であるこの駅をupします。

-JR新尾道
【路線】JR山陽新幹線 (新大阪-博多間)
【開業】1988年3月13日
【訪問】2018年11月
【1日あたり平均乗車人員】 1,046人/日 (2017年)
【近隣の都市駅】(新大阪方面)福山駅→隣駅 
          (博多方面)三原駅→隣駅 ※駅数はいずれも新幹線駅ベース

▼昨年11月、やっとの事で訪ねました。

東海道・山陽新幹線で最後に訪ねた駅です

冒頭も触れましたが、新幹線のみの駅で在来線はありません。しかも在来線の中心である尾道駅へはバスで15~20分もかかり、利便性は良いとは思えないです。

でありながら、尾道市や縦に繋がる自治体を中心とした寄付金で工事費62億円を賄ったといい、いわゆる「請願駅」で、昭和最末期の1988年3月13日に開業していますが、2つ隣の東広島駅(やはり同じ新幹線専用駅)も同日に開業し、1日に広島県で2つも新しい新幹線駅ができた形になります。これは路線の初期開業ではなく、既設路線に新規開業された場合では非常にレアなケースではないでしょうか。

山陽新幹線では、新岩国駅に次いで利用者数が少ない駅で、利便性を考えると必然的にそうなるかと思いました。旅するという観点でも、わざわざ寄らないと行く機会のない所、と感じた事もありましたので。

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▼駅ホームから窓越しに眺めるとこんな感じでした。

これを見る限りでは、普通の都市駅という感じで、新幹線駅として不便な部分は感じられませんでしたが、下りてみての様子とはまた違う事も後で感じる事となりました。

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▼新幹線駅らしく尾道市のPRがありました。

尾道といえば港町としての側面が大きく、ここでは村上水軍に因んだ内容が取り上げられていました。大林宣彦監督の「尾道三部作」とされた一連の映画もありましたね。

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▼ホームの様子はこんな感じです。

基本的に「こだま」しか停車しない駅で、朝方に上り方面で2本ほど「ひかり」が停車するのみで、あとはすべて「こだま」のみのようです。

基本的に1時間1本のダイヤであり、尾道中心部から離れている事もあり、近隣の三原や福山からも尾道駅の方へは行っても、わざわざここまで来る人はあまりいない、というのが現状のようです。

ちなみに同日開業した、やはり新幹線のみの駅である「東広島駅」の方は、昨夏の西日本豪雨の際に山陽本線が機能しない状態に陥った際に、バスの代替輸送等でかなりの稼働をしていました。実際行った時にバス待ちの客で行列ができていたので。このような有事の際に機能するだけでも、立派な存在意義を証明できたのかもしれない、と感じたものでした。

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▼一部かなりブレていますが、新尾道駅の構内カットです。

新幹線駅という事もあり、それなりの設備は整っているかな、というところでした。

観光物産館があり、尾道ラーメンなどが売り出されていました。

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▼新幹線の駅を出てすぐに立っていた広告塔です。

てっぺんに見えるのは尾道にある国宝の寺「浄土寺」と思われます。

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▼新尾道駅の北口駅舎です。

どちらかというと、サブ側になります。山側

2F部分から階段を下りて行く形で、真ん前は駐車場です。

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▼北口の駅前です。

一応広場的なスペースはありますが、駐車場メインという感じで、タクシーは見受けられず、バス停も見当たりませんでした。

いわゆる山側ゆえ、こういう形になるのも致し方ないかな、という感じでした。

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▼南口へ転じて駅前の様子です。

ここから少し街を歩いてみましたが、ただ街が続くだけの感じで、特に目を惹くものや地元ならではのものには出くわしませんでした。

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▼南口のバスのりば案内です。

1番から3番まで30mおきに設置されています。

尾道駅への移動は1番のりばで、実際この時ここから尾道駅までバスで行きました。

2番は高速バスが通っていて、松山や今治広島空港などへの便がありました。

ちなみに尾道駅へは、バスで約15分、190円となります。便数的には日中は1時間に3~5本程度ありますが、19時を過ぎると1本になる感じで、ところどころ1時間に1本の時間帯もあります。

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▼バスのりば周辺(南口)です。

バスは南口のみにあって、北口とはかなり雰囲気が違い、尾道駅側にあたる南口はいかにもメイン側という感じでした。

のりばの屋根もぐるっと長く設けられていて、床地も整備されていて、とお金かかってる感がありました。

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▼南口の駅舎を色んな所から撮りました。

こちらから見ると新幹線駅らしい駅舎と感じます。

しかし周辺は普通の街で、ド田舎に建った駅では決してありませんが、よくある新幹線駅前のような賑わいがある訳でもありませんでした。

ちょっとこの周辺で時間つぶすのは厳しい、と感じたのが率直なところでした。

なかなか寄ろうと思って行かないと寄れないところだと思うので、敢えて、そしてようやく行く事ができましたが、こんな新幹線駅もあるよ、という事で訪ねる事ができて良かったです。

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2019年2月13日 (水)

鹿児島/姶良③ 加治木龍門滝 熱い水・冷たい水 

鹿児島県姶良市、加治木地区3本目です。

これまでの記事は

鹿児島/姶良① 加治木駅からかじき港町へ

鹿児島/姶良② 加治木島津の殿様

同じ2016年10月当時の様子ですが、ここまでは加治木駅からの歩き旅をお届けの形で、今回記事はピンポイントでタクシーに頼りました。

▼そうしてやってきたのはここ「龍門滝温泉」 です

ここへ来たくて加治木に来たといっても過言ではありませんでした。

加治木駅からタクシーで10分弱くらいでしょうか。ちなみに帰りも呼んだら同じ運転手さんにお世話になって、うまいものとか教えて頂きました。それはまたこの記事に出てきます。新川タクシーさん、ありがとうございました!

さて、この温泉のプロフィールを。

【龍門滝温泉】

住所:鹿児島県姶良市加治木町木田5271-1

電話番号:0995-62-2488

利用時間:6:0022:00

休業日:毎週水曜日

アクセス:JR加治木駅より車約8

料金:大人250 小人110

なんといっても、料金250円が魅力です

250円といっても浴槽があるだけの銭湯然とした施設ではなく、食事処もあり(もちろん別料金ですが)、縁石サウナや電気風呂灯複数種のお風呂があってのこの料金なので、すごくお得感がありました。

スーパー銭湯並みの施設があっての250円、というとお得感が伝わるでしょうか?

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▼温泉施設全貌はこんな感じです。独特の真ん丸の建屋で派手さはありませんが形がとてもユニークなものでした。

龍門「滝」温泉というぐらいなので、滝があります。

龍門滝は日本百名滝にも選ばれている素晴らしい滝であり、この施設の右横を通って向こうの方にあります。

そしてこの温泉からは。滝を見る事ができます。滝を見ながら温泉に浸かる…250円でできるこの贅沢…という感じです。

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加治木町史跡めぐり1万歩コース、として看板が出でていました。

この1万歩を歩く事によって、加治木の様々な史跡巡りができる、という訳ですね。

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▼ 「翔ぶが如く」の文字を久々に見ました。

この700m先にロケ地として使われた龍門司坂というのがあるとの看板が出ていました。

「翔ぶが如く」は1990年に放送されたNHK大河ドラマで、西郷隆盛を西田敏行さんが、大久保利通を鹿賀丈史さんが演じていました。昨年の「西郷どん」もそうでしたが鹿児島がメイン舞台の大河ドラマだった訳です。

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▼観光タクシー案内板 としてバス停の標識の如く立っていました。

コース案内としてABCとありましたが、4,000円台とか5,000円台とかそんな感じでありました。

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▼滝の手前の部分からのカットですが、左側に写っているのが龍門滝温泉施設の建物で、滝はこの川の向こうにあります。しかしまだここからではまだよく見えていません。

流れている川は加治木の街なかを流れていたのと同じ「網掛川」です。

また、こうして見ると周囲を山で囲まれている様子がよく分かると思います。

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▼川にはこんな鳥がいました。

所により少々激し目に流れているこの川にあって、優雅な雰囲気を醸し出しておりました。

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▼是枝快春(=これえだ・よしはる1924-90)の歌碑として置かれていた石です。

戦後の暗い時期に、この加治木の町において文化の灯りを点した先駆者として讃えるべき人物、として有志一同にてこれをつくったのだそうです。

ちなみにここからもう既に龍門滝は見えています。

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▼流しそうめん、流れてくるやつではありませんが、ぐるぐる回転するやつからそうめんを拾って食べるタイプのでした。これが滝の手前にありました。

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▼滝へはこんな感じの階段や通路を進んでいけば。より近くで見る事ができます。

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▼長く引っ張ってきましたが…

最後はもう、滝 滝 滝 です。

とにかく色んな滝の姿を。

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▼最後ですが、龍門滝へやってくる時に加治木駅から乗ったタクシーで運転手さんが進めてくれたお菓子です。

加治木駅の真ん前にある「岡田商店」というところのお饅頭です。軒先には「加治木まんじゅう」して売り出されています。

包装紙にあった住所表記が、旧加治木町時代のものというのも良かったです。

加治木駅に来たらまずここで饅頭を買いましょう。

以上、3記事にわたって加治木についてお送りしてきましたが、今回で終了です。色んな所を巡れてよかった、とつくづく思い、姶良市の良さも伝えられたのでは、と思います。

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2019年2月11日 (月)

鹿児島/姶良② 加治木島津の殿様

鹿児島県姶良(あいら)市、鹿児島/姶良① 加治木駅からかじき港町へに続く姶良市加治木地区の旅です。

山形屋ショッピングプラザです。加治木駅から南西徒歩7分程度と少し距離があります。

山形屋といえば鹿児島県を本拠とし、南九州で展開されている老舗百貨店チェーンで、地方の百貨店の先駆け的存在といわれています。

鹿児島市では、バスセンターがあった所で、必ず山形屋に停まる形となっている要衝でしたが、2015年にバスセンターが閉鎖されたようです。

ここはそんな山形屋の加治木店で、老舗百貨店の中で歴史は浅く、2002年開店だそうです。

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▼この上の写真までは、駅より南側の街の姿を数々お伝えしてきましたが、ここからは線路を越えて駅北へ。

加治木駅から北西へ200~300mの辺りへやって来ました。この辺りは結構歴史を感じられるエリアでもあります。

そしてこれは「曽木家の門」として遺っているものでした。加治木島津家の上級武士の屋敷門で、ブルーシートが屋根に掛かってボロボロになっているような地味ないでたちでありますが、鹿児島県でも有数の茅葺の武家門で、現存するものは本当に少ない貴重な文化財といわれています。

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▼旧加治木町の有志にて1978(昭和53)年に建てられた曽木隆輝という人物の像がありました。

旧加治木町の町長を1947(昭和22)-1954(昭和29)年と1958(昭和33)-1974(昭和49)年と実に23年も務めてきた人物です。途中1期だけ別の人物が務めていますが、これを除けば1947-74年の間、加治木町の町長を務め、戦後の復興期から高度経済成長期まで町政の第一線にいた人物だった訳ですね。そりゃ銅像も建てられるわな、と勝手に納得していました。

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▼この交差点、十字ではなく少し鈎型になっていますが、右に見えているのは「加治木護国神社」です。

加治木の歴史がギュッと詰まったエリアといっても過言ではない所で、ここに見える石垣からもその歴史に思いを馳せる事も出来るのではと思いました。

前回の1回目の記事では、どちらかというと街の様子が主でしたが、今回記事は歴史的な部分が主になると思います。

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▼上の写真の交差点の左手前に隠れていた部分はこの建屋です。

FANTAとCoca-Colaの看板が昭和丸出しでよかったです。よくこれを遺してくれたなと。

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▼2枚上の写真の左側に写っていますが、加治木護国神社と並んでいる姶良市立柁城(だじょう)小学校です。

歴史あるエリアに溶け込むように和風の塀と立派な校門で覆われています。

江戸時代の1784年に加治木島津6代目の島津久微によって郷校「毓英館(いくえいかん)」がそのルーツとされる非常に歴史のある学校です。

小学校となったのは1876年の事で、その時には現在の校名になっていたといいます。ちなみに公立の小学校ですが、制服があるそうです。

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▼加治木護国神社にて、周辺の地図がありました。幕末当時の周辺図という事で。

島津義弘公が同じ姶良市の帖佐(ちょうさ)から1607年に当地に移り、天守閣を持たない屋形群で構成した居館とし、北隣の加治木高校の敷地がこれにあたり、義弘の没後に柁城小学校の敷地にあたる部分を別館にしたといいます。

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▼護国神社の鳥居と拝殿です。

たいそうないでたちで、すごい神社ではないかと思いましたが、普段は人のいない神社でした。それこそ、おみくじが売っていたり巫女さんが要るような所では全然なくて、敷地は広いけど閑散とした所でした。なので拝殿も大層な建物ではなく、実にひっそりとしたものでした。

元々神社としての江戸時代からの歴史があった訳ではないのもありますが、起源は明治初期で戊辰戦争や西南戦争の加治木町内の殉死者を英霊を祀るものだったといいます。

今の場所に移ったのは昭和34年という事で今年でちょうど60年になります。

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▼護国神社の敷地内です。

他にこれといった建物が特に見受けられない、本当にひっそりしたところです。

逆にこれで当時の歴史に思いを馳せられるのかも。

江戸時代はここが加治木の中心地であり、殿様もいた所だったんですよね。

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▼護国神社のすぐ北にある加治木高校です。

小学校は神社の西隣にあり、この高校は神社の北隣にあります。

殿の居館もあった訳で、ここも小学校ほどの大層な塀ではないものの、少々雰囲気のある門になってはいます。

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▼最後は、加治木商工会館です。

通りかかりに撮ったんですが、なんといってもこの2F部分の窓のブルーの縦線がインパクトすごかったです。これがあるのとないのとでは建物として全然違う感じがします。

柱の下まで通っている所は、そのブルーラインが地面まで続いてしました。

姶良市内はJR姶良駅前をフラフラしていたのですが、いまひとつ記事にし辛いかな、という感じであったので、中心地の加治木を訪ねて、その街なかを歩いてみて、それなりの風景が撮れたかなと思いました。

歴史に触れたいならば、加治木駅の北西300mほどの加治木護国神社周辺を歩き回ってみては?と思います。

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鹿児島/姶良① 加治木駅からかじき港町へ

鹿児島県姶良市、JR加治木駅前の歩き旅です。

(2016年10月当時)

▼加治木駅前の通りはこんな感じで、見たところ高い建物は殆ど見受けられず、道が続いていくだけな感じでした。

右手前に写っている「旅館 風月」は現在営業しているか確認できませんでした。

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▼上の写真の駅前通りを見て、この先に何か目を惹くものがありそうな気がしませんでしたが、とにかく歩いてみる事にして撮ったカットです。

三州自動車というところのスクールバスのりばの標識が立っていました。

これは2016年、まだ2年半も経っていないのですが、この後三州自動車はバス事業を鹿児島交通に譲渡して2018年3月に解散し消滅してしまっています。この写真のわずか1年半後です。このような地方にも時の流れが時として激しくなる事もあるのだな、とつくづく感じさせられました。

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▼ろうきんがあったであろう建物です。

2013年7月に移転した旨が貼ってありましたが、この写真の3年以上前に移転したようです。この告知イラストでカエルが後ろから女性のお尻にタッチしているようにしか見えませんでした(笑)

しかし移転先はここより7、8kmも東へ離れた霧島市国分で、名前も加治木支店から「霧島」支店となっています。JRで2駅離れた先でもあり、ここ加治木では実質上の廃止ではないかなと思いました。

ちなみに「ろうきん」は銀行のような営利目的のものではなく、また融資先も殆どが個人なのだそうで、「労働金庫」の名前から企業が殆どで、逆に個人には縁が薄いのかと思っていたら真逆でした。

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加治木町循環バスのバス停がありました。

ここは現在は姶良市ですが、旧は加治木町であり、今となっては姶良市加治木町としてのコミュニティバスという位置づけで運営されているようです。

便は日曜が最少で1日3便で、土曜は4便、平日は6便ありますが、曜日により若干の時刻違いがあるようです。

しかしこの標識の絵柄を見てギョッとなりました。これを載せるか??という感じでしたが…。

その絵柄とは「クモ」です。個人的に一番苦手なもので、出来る事なら見たくもなかったのですが、絵柄と割り切って撮りました(笑)

何故クモかというと、加治木では「加治木クモ合戦」という400年の歴史があるとされるコガネグモを闘わせる競技があるそうで選択無形民俗文化財というものにも登録されているそうです。

島津義弘公が1592年に兵の士気を高める為に始めたとされますが、文献となって残っているのは1925年が最初との事で、その歴史の実際の深さはよく分からないようです。

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▼天神公園という所へ来ました。

色んな遊具のある広い公園でした。

かたつむりのやつがなんだかおもしろい形でした。

ステージもあったりしてイベントが開催される事もあるのでしょうか?

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▼菅原神社とその傍の大楠のカットです。

菅原神社は名前そのもので、菅原道真公を祀っている神社です。

文献上の歴史は1552年に始まるとされ、当時は海岸砂浜の大洲の上にあったとも記されています。

そしてこの大きなクスノキは菅原神社の御神木で、この加治木ではもっとも大きくて古い木とされています。根の周りが12mあり高さは25.5mあります。神社造営の1552年に神木として植えられたとの記載があるそうで、460年以上の樹齢があるとされています。

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▼タイヨーというスーパー・チェーンがありました。イズミヤと勘違いするようなマークでしたが、イズミヤと見比べると全然違う事に気づきます。

鹿児島市に本社を置き、鹿児島県及び宮崎県にも展開され、1960年創業という事で間もなく還暦を迎えますが、九州沖縄のスーパー業界において第4位の売上を誇っているといいます。

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▼通りの一角に「龍門司焼(りゅうもんじやき) 三彩大花瓶(さんさいだいかびん)」とあるものが飾られていました。

1688年からの歴史がある龍門司焼の作品のひとつとして飾られており、現在もその作風が引き継がれているといいます。

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▼タイヨーの辺りは、賑やかな商店街になっていて、この加治木地区の商業の中心地のようでした。駅のすぐ前より、少し離れたこの辺りの方が人通りもありました。

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▼水辺へやって来ました。

網掛川という二級河川に架かる網掛橋というところです。欄干の端にはここにもまたクモが…。

この辺りは加治木港町といわれるエリア内で、ここはまだ港より引っ込んだ川の部分です。加治木港は旧薩摩国と大隅国の境に位置し、交通の要衝として栄えていたといいます。

この網掛橋は江戸時代にいち早く架けられた橋で、当時の絵図にも2連式の板橋が描かれていたといい、鉄筋コンクリート化は昭和元年とかなり早期ではないかと思います。

この橋から眺めた川の様子が、サイドの高木と相まって実に素晴らして景色でした。高知市の高知橋から見た風景にちょっと似ていました。

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▼港町の飲食店街という通りに出くわしました。

加治木駅からだと南西に約0.8kmの地点になりますが、この旅館江戸川というのも営業が確認できませんでした。ちょっと看板が年季入っていて、やっているかどうか…という部分はありましたが。

向こうへ進むにつれ飲み屋街的な雰囲気になっていきました。

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中浜の恵比須神詞との説明板がありました。

先の網掛橋の所で「かじき港町の名所案内」の説明板がありましたが、その中に載っていたひとつです。

1890(明治23)年にここ加治木の商工業者が建てたもので、世は第1回帝国議会が開催され、その趨勢を受けて経済発展を祈念して建てたもの、とありました。

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▼加治木港へ向かって南へ下っていくと、石灰やセメントなどの工場がありました。

海へと間近に迫ったところ、立ち入れそうになかった感じだったので引き返しましたが、向こうには桜島が見えました。そう、ここ加治木港は正面対岸に桜島が見えます。

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▼港から加治木駅方面へ引き返すところですが、「しばらく」という名のお店があったり、「宝」という字に濁点をつけた「宝゛」「だから」と読むお店があったり、ユニークな名前にいっぺんに出くわしました。

この姶良はなんだかんだめぐってきたのですが、港まで来た時点のここまでで第1編とします。

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2019年2月 8日 (金)

茨城/石岡 タヌキがウナギをつかまえて

茨城県石岡市、JR石岡駅周辺の様子です。

(2012年5月当時)

▼石岡駅前の様子ですが、右に隠れている部分が石岡駅になります。

駅記事では初訪問2007年当時の様子を載せていますが、今回記事は5年後の2012年再訪時のものが中心で、時折2007年当時のものも差し挟みます。

左側のビルのてっぺんにある「白鹿」の広告看板は変わらずにあって、石岡駅前の象徴的な存在と勝手に思っていますが、ただ地方の駅前や駅舎には何故か酒の名前がよくあったなと感じます。昭和期の名残りだったのか。

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▼その隠れていた石岡駅を含めた駅前広場の様子です。

タクシーがそこそこ停まっていて、スペースも広めに取られていますが、賑やかさはあまり感じられなかったですね。

しかしこの姿は今となっては「旧駅舎」です。

この後2016年に橋上駅舎が完成し、今では大きな駅舎となっています。この当時見ていて市の中心の割に小さい駅だな、と思っていましたが、すぐ後に駅舎が大きくなるとは!

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▼駅前の通りです。

中層の建物が続いていますが、昔からあまり変わっていなさそうです、昔の姿は知りませんが建物が年季入っていそうで。

右手前にある食堂ですが、昭和の雰囲気満載で営業しているのかどうかと気になって調べると、食べログにて2018年時点で営業している事が分かりました。こういう食堂は平成の世を越えてもやっていてほしいなと思います。

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▼上の写真の駅前通りの手前側にある「石岡駅」バス停です。ただしこちらは降車専用です。

しかし「駅前広場まで乗り入れないの??」という感じでした。

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▼記事タイトルにもある「タヌキがウナギをつかまえて」いる置物がポツンとありました。

個人的に石岡で最も印象的なものがこの置物ですが、ロープを張られた先の更地にポツンと置かれて孤独感満載でした。

この像にお目にかかったのは、実はこの時2回目で前回訪問の2007年当時にも写真を撮っていました。

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▼という訳で、これが2007年当時、上の写真の5年前の姿です。

更地ではなく、店の軒先にマスコット的に置かれていました。

この弁天屋といううなぎ屋さんの軒先にあった訳ですが、これが閉店/解体され更地となった所に、置物だけが残された格好になっていました。捨てるには忍びない…と判断されたのでしょうか、しかしこれだけよく残ったものですね。

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▼石岡市のマンホールです。

駅記事にもありましたが「石岡のおまつり」の獅子が前面に出た絵柄となっています。

カラーだとよりイメージが湧きやすいですね。何より絵柄が印象的でマンホールにも手抜きがない?感じがします。

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▼最後ですが石岡駅を出て左側すぐにあるバスのりばです。

茨城空港へアクセスするバスもあり、この時ここへ来たのも茨城空港からのバスでやって来ました。

茨城空港からは概ね1時間に1本、所要時間33~40分程度、料金は620円です。

この訪問当時は駅西口の写真の所にあった訳ですが、その後変更になっており、今では反対の東口の「BRT専用バスターミナル」のところとなっているので要注意です。

この記事の写真は矢印で変更前の位置であり、いまでは矢印で変更後の所になっているので、今回記事の写真は色々なところで現在とは違った形になっていますが「在りし日の姿」という事で見て頂いたら良いかと思います。

石岡には2回も来ている割には大して深く訪ねていない事に改めて気づかされ、今度は何かもっと深く訪ねてみたいな、とどこの記事でもこんな事書いてしまいますが、素直にそう思いました。

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案内略図

2019年2月 6日 (水)

JR都城駅 (宮崎県都城市)




宮崎県都城市のJR都城(みやこのじょう)です。

都城市ではのJR西都城駅をupした事がありますが、今回は市の中心であるこの都城駅をupします。

-JR都城
【路線】JR日豊本線 (小倉-鹿児島間)
      吉都線(吉松-都城間)

【開業】1913年10月8日
【訪問】初訪問-1997年4月
【1日あたり平均乗車人員】 1,083人/日 (2017年)
【近隣の都市駅】(小倉方面)南宮崎駅→9駅 
          (鹿児島方面)西都城駅→隣駅
          (吉松方面)小林駅→9駅

▼この駅の初訪問は1997年4月の事でしたが、ちゃんと写真を撮っていたなかったので、今年2019年1月に約22年ぶりに再訪してきました。今回記事分はその1月当時(先月)のものです。

西都城駅の方が市の各施設に近く、どちらの駅にも特急が停車しますが、それでもやはりこの都城駅の方が利用者数が倍以上多く、市名を名乗る中心駅である事に変わりはありません。

JRの日豊本線に属しながら、吉都線の終点として分岐しており、計2路線に属しています。

市名を名乗る駅で、ひらがなの字数にして日本で最も多いのはこの「みやこのじょう」でしょう。

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▼ホームの様子です。

ちなみに今回記事の写真には昼のものと夜のものがあります。

これはここへ泊まりに来た晩と、翌日の出発の昼間とこの駅を利用していて、どっちかよいカットを各々のシーンで使っている為です。

このホームの姿は夜の方がこんな風に幻想的で美しく感じました。単に昼間にこのアングルで撮っていないだけですが(笑) 

でも夜は白光りしているこの感じ、すごい良いなと感じました。屋根も柱も骨組みも、夜の暗さに対して白い光を放っているようで。柱の骨組みがアーチ状に形成されていて、それらが折り重なって、まるで向こうへ吸い寄せられる感じすらしました。

ホームは3面5線もありました。正直そんな大賑わいする駅ではないのですが、1~3番線が日豊本線に、4・5番線が吉都線に振られています。

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▼上の写真と反対側で、跨線橋に向かってのホームのカットです。

上とは打って変わって工事中真っ只中でした、これが今年のお正月の姿です。

屋根の工事をしていたという事で。

このホーム上にはかつてKioskと軽食屋があったそうですが撤去されてしまっています。

初めて訪ねた1997年にはあったのだろうか…??しかし記憶の片隅にもございません。

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▼3面5線の広いホームがある事が窺える跨線橋周りのカットです。

やはりかなり屋根工事をしている事が窺えます。

ホームが広い分跨線橋が長くなっていますが、白を基調としたカクッとしたスタイリッシュな感じのものでした。

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▼時刻表です。

日豊本線が両サイドにあって、真ん中は吉都線です。

日豊本線は1時間に平均2本弱程度で、たまに1本の時間帯もあり、本線といえど時刻表は要確認です。

そして吉都線は本数がかなり少なく、1日9本しかありません。しかも昼間はガラガラで7:30の次が5時間後の12:27で、その次が3時間半後の16:05と、昼間の旅には大変不向きなダイヤとなっています。ちなみに吉都(きっと)松と城の頭文字です。

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▼跨線橋の内部の様子で、階段部分と歩道の部分と、そしてエレベータもついています。

階段も歩道も、腰の部分が茶色で、上の壁の部分が白で統一されていて、あまり年数も経っていないようで綺麗でした。

窓の部分が出窓になっていておしゃれ感があり、歩道部分の掲示物は途切れなく貼られていました。

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▼駅を出て、駅前広場の様子です。

宮崎県らしい南国ムードの漂うこの駅前は1997年に来た時とおんなじような気がしました。

宮崎県でもかなり鹿児島に近いので、余計に南国感が強いです。

宮崎第2の都市でもあり、ホテルは駅前にそこそこあります。

しかし意外にも駅にコンビニがありません。向こうに見える駅前の通りに1ヶ所ありますが、それが最寄りであり、他は少し離れた所にあって、こんなにコンビニ探すのに苦労する街なのか??が正直な感想でした。

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▼都城駅の駅舎です。

隣の西都城駅と駅舎規模的には大差ないかもしれませんが、やはり市の代表駅はここ都城駅です。

西都城駅は駅のすぐ前にバスセンターがあったり、そのへんの優位性はありますが、都城駅の優位性としてはホテルなど宿泊施設の多い点があると思います。

それとやはり駅舎内の賑わい具合です。西都城は一言でいうとゴーストでした。

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▼こちらは夜の都城駅です。

光で照らされて、昼間とはまた違った色遣いが見られます。

バス停の標識がありますが、市内有数の観光地「関之尾滝」へはここからバスで「霧島神宮駅」行のバスにて行く事ができます。ただし昼間3時間空きであったり、本数が多くないので、時刻表要チェックです。

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2019年2月 2日 (土)

京都/木津川 加茂駅前 昭和の灯が残る街

京都府木津川市、JR加茂駅からの歩き旅です。

(2009年2月当時)

▼マンホール

木津川市のものではなく、旧加茂町のマンホールがありました。

表記が「KAMO」で漢字ではありませんでした。

上半分は、町の木クロマツ、町の花アジサイ、そして下半分は特産のお茶とシイタケという形で載っていました。

さて、木津川市の中でも中心的な部分はJR木津駅の辺りになるかと思いますが、あまり詳しく行っていない部分もあり、この加茂駅周辺の方がより詳しく歩き回っていたので、このエリアをあげる事としました。

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▼加茂駅東口の駅前広場のすぐ横にある「駅東公園」です。

約5,600㎡の面積を有する公園になっていて、水の部分もあったりして、単なる広場ではない感がありました。そして緑もあります。

駅東公園が剥き出しな硬質の感じなのに対して、こちらは自然に溶け込んだ感じのものでした。

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▼駅前にあった旧加茂町全域図です。

木津川市は2007年3月に市になったところで、この写真の当時は2009年2月だったので、まだ市になってから2年と経っていない時期でもあり、旧加茂町の名残りがまだまだ強く残っていたようです。

街を木津川が横切る格好になっていて、江戸時代は舟運で賑わっていたといいます。東部になるにしたがって、線路と木津川の距離が縮まっていきます。

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▼これまた公園で「井尻公園」とありました。

これは加茂駅から東へ少し進んだ所のものですが、それでもまだまだ駅近でした。ここは駅東公園にはない遊具類もあります。

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▼加茂駅前には動輪がありました。

この動輪は1914年生まれの8620型蒸気機関車の主動輪で、全国を快速旅客車として走行したものといいます。加茂は水運から鉄道の発展と共に躍進してきた、との記載もあります。

案内板のタイトル通り、木津川市の誕生を記念して、旧加茂町長の名のもと「私費で」設置されているとの事で、木津川市の誕生が2007年3月12日につき、ここにある3月吉日とはその当日という事でしょうか。

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▼上の写真の広場の一角にもうひとつ案内板が見えていたのがこの分です。

「大仏鉄道ってなに?」とありますが、「だいぶつ」ではなく…と書こうとしましたが実際に「だいぶつ」と読みます。 「だいぶつてつどう」です。

まさに奈良の大仏に因んだもので、東大寺の西約1.8kmの地点にあり、現在の奈良市にあった「大仏駅」と、この加茂駅が結ばれていたとあります。

この大仏駅は1898年に開業したものの、かなりの急勾配路線であり、1907年には木津経由の平坦な路線への変更がなされた為に廃止となり、年内には駅舎も撤去され、わずか9年でその役目を終え姿を消した、まさに「幻の駅」です。

その数少ない遺産を大切に残したい、との想いからこの案内板が建てられ、これら遺産も点在しています。

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▼そしてその大仏鉄道の数少ない遺構と思われる、レールやレンガ片が動輪の傍にありました。

しかしちょっと雑然としたこの置かれ方はなんなのだろう?と思いましたが…

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▼少し場所を離れて、これもまた大仏鉄道の遺構で、その中でもかなり分かり易い形のものですが、赤レンガ造りの「ランプ小屋」です。

前照灯や尾灯や室内の照明、またこれに使用する灯油などが保管されていたといい、案内板にもある通り1897年加茂駅開業当時の建物なので、今はもう築120年以上という事になります。

この建物が建ったわずか30年前は江戸時代であった事を考えると、非常に貴重な遺構である事が感じられると思います。

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▼加茂駅西口駅前では昭和チックな風景、スポットが満載だった印象が強く、ここからはそんなカットをお送りしたいと思います。

先ずはこの商店街の一角ですが、看板が時の止まったままの状態でした。今からちょうど10年前の姿なので、変わっているのかいないのか今は定かではないですが、少なくとも2009年でこの姿、というのはそれだけでも貴重だと思います。

手前の店の幟に「恭仁京カード」とありました。恭仁京(くにきょう)は、かつての日本の都で、平城京が740-745年の間に一時、都でなくなっていた頃の740-743年に都として存在しており、その場所はこの木津川市の加茂地区であったといいます。つまりここも日本の首都であった訳です。歴史の教科書だと710-794年が奈良時代で首都が平城京であったように見えますが、結構いろいろと変わっているのですね。

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▼古い街並み感が漂う一角がありました。

木津川の水運で栄えた町の雰囲気が感じられ、京都・大阪方面の物資が行き来したりなどして栄えていたといいます。

路地に入れば板張りの建物など見るとやはり惹かれます。

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▼昭和の自販機が残っていました。

これ3つともすべて同じ商店の前に点在する形で置かれていましたが、敢えて残されていたのかもしれないですね。10年経った今も残っているといいなと思いますが…

これらが現役で稼働していた昭和期ですら、個人的に見た事のないタイプの自販機でした。特にいちばん上のアイスの自販機などホントに見た事がなかったですね。

真ん中の自販機はBOSSなどあるので、平成の初期には稼働していたのかも。またUCCのコーヒーが3種類あって、現在も残っているミルクコーヒータイプのものに加えて「BITTER」「HALF BITTER」がありました。これも90年代前半にあったものですね。個人的にHALF BITTER大好きだったのに、何でなくしたんだよ??とずっと思ってました。

カップヌードルの自販機は昔見た事がありますが、いつの間にかカップめんの自販機無くなってしまいましたよね、、外で食べられるのが良かったんですが。

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▼この看板は昭和のいつ頃に作られたのだろう??と思わされる看板がありました。

児童と思われる子たちの顔が古風で、時代を感じさせられます。平成の世からこの顔は書けないだろうなと。この字体も出てこないと思います。

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▼最後に、これまた昭和な看板群です。

ビタワンは定番ですが「いの一番」が見れるとは思いませんでした!

「いの一番」って日本語の言葉遣い?として「いの一番に報告する」みたいなのがありますが、個人的にはこの商品名でこの言葉を覚えたので、日本語の言葉遣いでこういうのがあるのを逆に知りませんでした。「いの一番」ってこの商品名でしか知らなかった訳です。

TVCMでやっていた記憶があり、色々調べてみたら、まだ存在している事が分かりビックリしました。1961年に発売され、自分が存在を知ったのが1980年頃かと思いますが、まだあったんだな、と…。ロングセラーとして愛されている調味料なのですね。

看板の右上にタケダのマークがありますが、昭和期はタケダ食品の商品で、女優の故・真屋順子さんがCMをされていました。現在はタケダの商品ではなく、MCフードスペシャリティーズという会社の商品で、これは2001年のキリンとタケダの業務提携に端を発してこの会社になっているものです。

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そんなそんなで、木津川市加茂地区は渋い所目白押しでした。

この写真から10年経って残っているかどうか確かめるのも面白いと感じますが、古い息吹を感じていたい時に気軽に寄ってみられては…??という気もします。

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