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2019年2月11日 (月)

鹿児島/姶良① 加治木駅からかじき港町へ

鹿児島県姶良市、JR加治木駅前の歩き旅です。

(2016年10月当時)

▼加治木駅前の通りはこんな感じで、見たところ高い建物は殆ど見受けられず、道が続いていくだけな感じでした。

右手前に写っている「旅館 風月」は現在営業しているか確認できませんでした。

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▼上の写真の駅前通りを見て、この先に何か目を惹くものがありそうな気がしませんでしたが、とにかく歩いてみる事にして撮ったカットです。

三州自動車というところのスクールバスのりばの標識が立っていました。

これは2016年、まだ2年半も経っていないのですが、この後三州自動車はバス事業を鹿児島交通に譲渡して2018年3月に解散し消滅してしまっています。この写真のわずか1年半後です。このような地方にも時の流れが時として激しくなる事もあるのだな、とつくづく感じさせられました。

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▼ろうきんがあったであろう建物です。

2013年7月に移転した旨が貼ってありましたが、この写真の3年以上前に移転したようです。この告知イラストでカエルが後ろから女性のお尻にタッチしているようにしか見えませんでした(笑)

しかし移転先はここより7、8kmも東へ離れた霧島市国分で、名前も加治木支店から「霧島」支店となっています。JRで2駅離れた先でもあり、ここ加治木では実質上の廃止ではないかなと思いました。

ちなみに「ろうきん」は銀行のような営利目的のものではなく、また融資先も殆どが個人なのだそうで、「労働金庫」の名前から企業が殆どで、逆に個人には縁が薄いのかと思っていたら真逆でした。

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加治木町循環バスのバス停がありました。

ここは現在は姶良市ですが、旧は加治木町であり、今となっては姶良市加治木町としてのコミュニティバスという位置づけで運営されているようです。

便は日曜が最少で1日3便で、土曜は4便、平日は6便ありますが、曜日により若干の時刻違いがあるようです。

しかしこの標識の絵柄を見てギョッとなりました。これを載せるか??という感じでしたが…。

その絵柄とは「クモ」です。個人的に一番苦手なもので、出来る事なら見たくもなかったのですが、絵柄と割り切って撮りました(笑)

何故クモかというと、加治木では「加治木クモ合戦」という400年の歴史があるとされるコガネグモを闘わせる競技があるそうで選択無形民俗文化財というものにも登録されているそうです。

島津義弘公が1592年に兵の士気を高める為に始めたとされますが、文献となって残っているのは1925年が最初との事で、その歴史の実際の深さはよく分からないようです。

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▼天神公園という所へ来ました。

色んな遊具のある広い公園でした。

かたつむりのやつがなんだかおもしろい形でした。

ステージもあったりしてイベントが開催される事もあるのでしょうか?

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▼菅原神社とその傍の大楠のカットです。

菅原神社は名前そのもので、菅原道真公を祀っている神社です。

文献上の歴史は1552年に始まるとされ、当時は海岸砂浜の大洲の上にあったとも記されています。

そしてこの大きなクスノキは菅原神社の御神木で、この加治木ではもっとも大きくて古い木とされています。根の周りが12mあり高さは25.5mあります。神社造営の1552年に神木として植えられたとの記載があるそうで、460年以上の樹齢があるとされています。

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▼タイヨーというスーパー・チェーンがありました。イズミヤと勘違いするようなマークでしたが、イズミヤと見比べると全然違う事に気づきます。

鹿児島市に本社を置き、鹿児島県及び宮崎県にも展開され、1960年創業という事で間もなく還暦を迎えますが、九州沖縄のスーパー業界において第4位の売上を誇っているといいます。

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▼通りの一角に「龍門司焼(りゅうもんじやき) 三彩大花瓶(さんさいだいかびん)」とあるものが飾られていました。

1688年からの歴史がある龍門司焼の作品のひとつとして飾られており、現在もその作風が引き継がれているといいます。

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▼タイヨーの辺りは、賑やかな商店街になっていて、この加治木地区の商業の中心地のようでした。駅のすぐ前より、少し離れたこの辺りの方が人通りもありました。

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▼水辺へやって来ました。

網掛川という二級河川に架かる網掛橋というところです。欄干の端にはここにもまたクモが…。

この辺りは加治木港町といわれるエリア内で、ここはまだ港より引っ込んだ川の部分です。加治木港は旧薩摩国と大隅国の境に位置し、交通の要衝として栄えていたといいます。

この網掛橋は江戸時代にいち早く架けられた橋で、当時の絵図にも2連式の板橋が描かれていたといい、鉄筋コンクリート化は昭和元年とかなり早期ではないかと思います。

この橋から眺めた川の様子が、サイドの高木と相まって実に素晴らして景色でした。高知市の高知橋から見た風景にちょっと似ていました。

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▼港町の飲食店街という通りに出くわしました。

加治木駅からだと南西に約0.8kmの地点になりますが、この旅館江戸川というのも営業が確認できませんでした。ちょっと看板が年季入っていて、やっているかどうか…という部分はありましたが。

向こうへ進むにつれ飲み屋街的な雰囲気になっていきました。

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中浜の恵比須神詞との説明板がありました。

先の網掛橋の所で「かじき港町の名所案内」の説明板がありましたが、その中に載っていたひとつです。

1890(明治23)年にここ加治木の商工業者が建てたもので、世は第1回帝国議会が開催され、その趨勢を受けて経済発展を祈念して建てたもの、とありました。

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▼加治木港へ向かって南へ下っていくと、石灰やセメントなどの工場がありました。

海へと間近に迫ったところ、立ち入れそうになかった感じだったので引き返しましたが、向こうには桜島が見えました。そう、ここ加治木港は正面対岸に桜島が見えます。

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▼港から加治木駅方面へ引き返すところですが、「しばらく」という名のお店があったり、「宝」という字に濁点をつけた「宝゛」「だから」と読むお店があったり、ユニークな名前にいっぺんに出くわしました。

この姶良はなんだかんだめぐってきたのですが、港まで来た時点のここまでで第1編とします。

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