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2019年2月 2日 (土)

京都/木津川 加茂駅前 昭和の灯が残る街

京都府木津川市、JR加茂駅からの歩き旅です。

(2009年2月当時)

▼マンホール

木津川市のものではなく、旧加茂町のマンホールがありました。

表記が「KAMO」で漢字ではありませんでした。

上半分は、町の木クロマツ、町の花アジサイ、そして下半分は特産のお茶とシイタケという形で載っていました。

さて、木津川市の中でも中心的な部分はJR木津駅の辺りになるかと思いますが、あまり詳しく行っていない部分もあり、この加茂駅周辺の方がより詳しく歩き回っていたので、このエリアをあげる事としました。

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▼加茂駅東口の駅前広場のすぐ横にある「駅東公園」です。

約5,600㎡の面積を有する公園になっていて、水の部分もあったりして、単なる広場ではない感がありました。そして緑もあります。

駅東公園が剥き出しな硬質の感じなのに対して、こちらは自然に溶け込んだ感じのものでした。

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▼駅前にあった旧加茂町全域図です。

木津川市は2007年3月に市になったところで、この写真の当時は2009年2月だったので、まだ市になってから2年と経っていない時期でもあり、旧加茂町の名残りがまだまだ強く残っていたようです。

街を木津川が横切る格好になっていて、江戸時代は舟運で賑わっていたといいます。東部になるにしたがって、線路と木津川の距離が縮まっていきます。

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▼これまた公園で「井尻公園」とありました。

これは加茂駅から東へ少し進んだ所のものですが、それでもまだまだ駅近でした。ここは駅東公園にはない遊具類もあります。

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▼加茂駅前には動輪がありました。

この動輪は1914年生まれの8620型蒸気機関車の主動輪で、全国を快速旅客車として走行したものといいます。加茂は水運から鉄道の発展と共に躍進してきた、との記載もあります。

案内板のタイトル通り、木津川市の誕生を記念して、旧加茂町長の名のもと「私費で」設置されているとの事で、木津川市の誕生が2007年3月12日につき、ここにある3月吉日とはその当日という事でしょうか。

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▼上の写真の広場の一角にもうひとつ案内板が見えていたのがこの分です。

「大仏鉄道ってなに?」とありますが、「だいぶつ」ではなく…と書こうとしましたが実際に「だいぶつ」と読みます。 「だいぶつてつどう」です。

まさに奈良の大仏に因んだもので、東大寺の西約1.8kmの地点にあり、現在の奈良市にあった「大仏駅」と、この加茂駅が結ばれていたとあります。

この大仏駅は1898年に開業したものの、かなりの急勾配路線であり、1907年には木津経由の平坦な路線への変更がなされた為に廃止となり、年内には駅舎も撤去され、わずか9年でその役目を終え姿を消した、まさに「幻の駅」です。

その数少ない遺産を大切に残したい、との想いからこの案内板が建てられ、これら遺産も点在しています。

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▼そしてその大仏鉄道の数少ない遺構と思われる、レールやレンガ片が動輪の傍にありました。

しかしちょっと雑然としたこの置かれ方はなんなのだろう?と思いましたが…

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▼少し場所を離れて、これもまた大仏鉄道の遺構で、その中でもかなり分かり易い形のものですが、赤レンガ造りの「ランプ小屋」です。

前照灯や尾灯や室内の照明、またこれに使用する灯油などが保管されていたといい、案内板にもある通り1897年加茂駅開業当時の建物なので、今はもう築120年以上という事になります。

この建物が建ったわずか30年前は江戸時代であった事を考えると、非常に貴重な遺構である事が感じられると思います。

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▼加茂駅西口駅前では昭和チックな風景、スポットが満載だった印象が強く、ここからはそんなカットをお送りしたいと思います。

先ずはこの商店街の一角ですが、看板が時の止まったままの状態でした。今からちょうど10年前の姿なので、変わっているのかいないのか今は定かではないですが、少なくとも2009年でこの姿、というのはそれだけでも貴重だと思います。

手前の店の幟に「恭仁京カード」とありました。恭仁京(くにきょう)は、かつての日本の都で、平城京が740-745年の間に一時、都でなくなっていた頃の740-743年に都として存在しており、その場所はこの木津川市の加茂地区であったといいます。つまりここも日本の首都であった訳です。歴史の教科書だと710-794年が奈良時代で首都が平城京であったように見えますが、結構いろいろと変わっているのですね。

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▼古い街並み感が漂う一角がありました。

木津川の水運で栄えた町の雰囲気が感じられ、京都・大阪方面の物資が行き来したりなどして栄えていたといいます。

路地に入れば板張りの建物など見るとやはり惹かれます。

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▼昭和の自販機が残っていました。

これ3つともすべて同じ商店の前に点在する形で置かれていましたが、敢えて残されていたのかもしれないですね。10年経った今も残っているといいなと思いますが…

これらが現役で稼働していた昭和期ですら、個人的に見た事のないタイプの自販機でした。特にいちばん上のアイスの自販機などホントに見た事がなかったですね。

真ん中の自販機はBOSSなどあるので、平成の初期には稼働していたのかも。またUCCのコーヒーが3種類あって、現在も残っているミルクコーヒータイプのものに加えて「BITTER」「HALF BITTER」がありました。これも90年代前半にあったものですね。個人的にHALF BITTER大好きだったのに、何でなくしたんだよ??とずっと思ってました。

カップヌードルの自販機は昔見た事がありますが、いつの間にかカップめんの自販機無くなってしまいましたよね、、外で食べられるのが良かったんですが。

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▼この看板は昭和のいつ頃に作られたのだろう??と思わされる看板がありました。

児童と思われる子たちの顔が古風で、時代を感じさせられます。平成の世からこの顔は書けないだろうなと。この字体も出てこないと思います。

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▼最後に、これまた昭和な看板群です。

ビタワンは定番ですが「いの一番」が見れるとは思いませんでした!

「いの一番」って日本語の言葉遣い?として「いの一番に報告する」みたいなのがありますが、個人的にはこの商品名でこの言葉を覚えたので、日本語の言葉遣いでこういうのがあるのを逆に知りませんでした。「いの一番」ってこの商品名でしか知らなかった訳です。

TVCMでやっていた記憶があり、色々調べてみたら、まだ存在している事が分かりビックリしました。1961年に発売され、自分が存在を知ったのが1980年頃かと思いますが、まだあったんだな、と…。ロングセラーとして愛されている調味料なのですね。

看板の右上にタケダのマークがありますが、昭和期はタケダ食品の商品で、女優の故・真屋順子さんがCMをされていました。現在はタケダの商品ではなく、MCフードスペシャリティーズという会社の商品で、これは2001年のキリンとタケダの業務提携に端を発してこの会社になっているものです。

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そんなそんなで、木津川市加茂地区は渋い所目白押しでした。

この写真から10年経って残っているかどうか確かめるのも面白いと感じますが、古い息吹を感じていたい時に気軽に寄ってみられては…??という気もします。

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