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2019年3月の7件の記事

2019年3月24日 (日)

JR東寝屋川(現・寝屋川公園)駅 (大阪府寝屋川市)

大阪府寝屋川市のJR東寝屋川(=ひがし・ねやがわ。現・寝屋川公園=ねやがわ・こうえん)です。
寝屋川市では京阪/寝屋川市駅をupしたことがありますが、今回は市内唯一のJR駅である当駅の御紹介です。
-JR東寝屋川(現・寝屋川公園)
【路線】JR片町線(木津-京橋間)
【開業】1979年10月1
【訪問】2007年5
【1日あたり平均乗降車人員】4,610人/日 (2016年)  
【近隣の主要駅(木津方面) 京田辺駅→8駅 
          
 (京橋方面) 四条畷駅→2駅
▼これは2007年5月当時の「東寝屋川」駅時代のホームで、本記事での写真はすべてこの時のものであり、記事タイトルも旧名にしています。

ついこの前までこの駅名でしたが、ことし2019年3月16日「寝屋川公園」という駅名に改称されました!本当は改称後に訪ねて写真をupできればよかったのですが、改称で話題になったので、この機に旧駅名時代のカットを記事にあげた次第です。
両サイドがこのように覆われていて、切削された中にあるホームで、1面2線のみとなっています。

また1979年開業という、珍しい時期にできた駅でもあります。当時、寝屋川市は国鉄が通過するのみでしたが、この駅がつくられて市内にはじめて国鉄駅ができて、市内では京阪駅のみの状態ではなくなりました。また同じ片町線で木津方面へ4駅進んだ「藤阪」駅(枚方市)も同日に開業しています。

市の代表駅としては京阪の寝屋川市駅となりますが、ここは開業時から「東寝屋川」(寝屋川市駅より東へ約2kmの地点にりあます)と名付けられ、次第に「そのような地名はない」等の理由で、住民から改称要求があがっていたといい、府営寝屋川公園の最寄りである事からこの名前に落ち着いた、との話がありました。
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▼切削された部分にホームがつくられており、そしてこちら側は駅舎の下となっています。
上の写真では全く屋根がありませんでしたが、ここではトンネルが屋根代わりになっている格好です。
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▼駅前広場の様子です。
イズミヤの東寝屋川店が駅前の代表的な商業施設です。
あとは現在の駅名にもなっている寝屋川公園が約600mの所にあり、野球場が2つあり、テニスコートがありと大規模な運動公園施設となっています。
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▼寝屋川駅の駅舎でホーム上にある部分です。
ホーム線路を跨いでこの建物があり、切削された掘割部分に跨っています。
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▼東寝屋川駅の駅舎として出入口のカットです。今ではこの部分も駅名が変わって表示されている事でしょう。
階段を上がってすぐ出口、の格好になっていて、駅規模としては小さいものとなっています。
階段上に建物をつくっただけ、という意味では地下鉄駅とおんなじ構造となります。
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▼反対側の駅舎ですが、こちらは建物は少し長く続いているもののやはり、階段を上がった直後に出入口がある形で同じでした。

駅名改称は大変お金のかかる事で、そこまでして狙っているものは何だろうか?という気がしますが、再開発とかそういうものがあるのでしょうか。この写真から10年以上経っているので、多少の変化はあるかもしれませんが、色々調べる限り大きな変化は今のところはないようです。

どにもかくにも、新生「寝屋川公園駅」に期待したいと思います。
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2019年3月23日 (土)

JR福山駅 (広島県福山市)

広島県福山市の福山(ふくやま)です。

福山市は、広島県の南東部に位置し、人口は463,020人(2018.10.1現在)です。広島県では県都・広島市に続く第2の人口を誇る都市です。

岡山県と接しており、備後都市圏の中心的な位置づけにあり、福山城や鞆の浦などの観光資源の豊富な街でもあります。

-JR福山駅
【路線】JR山陽本線(神戸-門司間)
      福塩線(福山-塩町間) 
      山陽新幹線(新大阪-博多間)

【開業】1891年9月11
【訪問】初訪問-2001年12
【1日あたり平均乗降車人員】20,904人/日 (2016年)  
【近隣の主要駅(神戸方面) 笠岡駅→3駅 
          
 (門司方面) 尾道駅→7駅
           (塩町方面) 府中駅→14駅
           (新大阪方面) 岡山駅→2駅  ※新幹線
           (博多方面) 三原駅→2駅  ※新幹線

▼新幹線の駅名標です。

福山は山陽新幹線では、広島県で最東端の駅で、「のぞみ」が停車する便もあり、近隣では割に格上の新幹線停車駅です。

隣駅は共に「新」のつく、新倉敷駅と新尾道駅で、どちらも市の中心駅ではないのに対して、福山は市の中心駅に新幹線も停車します。

在来線では、山陽本線に属するほか、福塩(ふくえん)線の始発駅でもあり、北上して塩町駅まで至りますが、途中で府中駅などを経由します。

ここへ初めて来たのは2001年の事ですが、この記事では2012年8月訪問時の写真を載せていきます。

ホームからお城(福山城)が見えているのが、ここの大きなウリのひとつです。姫路駅でも新幹線ホームから姫路城を見る事ができますが、少し先に小さく見える形で、ここ福山の場合はこんな感じ、もうすぐそこに見えるところが全然違います。

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▼新幹線のホームです。

のぞみなど優等列車も停車しますが、大抵の新幹線駅と同様に、両方面1線ずつで2面2線のホーム構造となっています。

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▼ホームからこんな感じで福山城が見えるというとても贅沢な駅です。

本当に駅を出てすぐにこのような立派なお城があるので、最低限の距離観光ができてしまうという訳です。

福山城は戦災により天守は焼失し、戦後20年経った1966年に復興された「復興天守」のお城ですが、その出でたちは壮観で、来る者には大きな印象を与えてくれます。石垣のかなり広くに使われているので荘厳感が高いです。

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▼ホームから降りてきて、新幹線改札までのスペースにて色々ありましたが、これは「鯛網」 (たいあみ)というものです。

福山きっての観光名所「鞆(とも)の浦」の夏の風物詩として観光鯛網として定着しており、その歴史は実に380年におよぶといいます。初夏に産卵のために瀬戸内にやってくる鯛を網で捕える漁法で、今では観光で観覧できるものとなっており、4月末から1ヶ月程度が対象となるようです。

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▼駅構内にあった福山夏祭りのPRとしての浴衣とマネキンです。

この時は訪ねたのが夏だったので、こういう形になっていますが、時期に応じて変わっていくコーナーだと思います。

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▼福山は「ばらのまち」だそうだす。
イコちゃんと共に駅職員さんの顔抜き看板がありました。JR西日本感満載です。
これが約7年前の姿につき、この看板も今はもうないと思います。
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▼駅から出てきてすぐの所で、こんな風に福山城を見上げる突このような感じでした。
新幹線ホームからだと見下ろす形になり、ここからでは見上げる形となり、また違った福山城の表情を見る事ができます。
空が青ければ青いほどお城が映えて、景色としては素晴らしくなるように感じられました。
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▼駅から出ての目線です。
さすが広島第二の都市という感じで、都会感はすごかったです。
中国地方全体でも人口で4位(上位は広島、岡山、倉敷)という都市なので、その重要拠点としての度合いは高く、駅前にはタクシーがズラリと並んでいます。
左向こうの天満屋福山店はまだ営業しており、三原店は閉店してしまいましたが、こちらはまだ健在のようです。
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▼福山駅の駅舎です。
中国地方有数の都市で、新幹線も停車する拠点駅だけあり、実に立派なものでした。ただ駅ビル形式ではない為、中国地方の他の人口上位の中心3駅のような高層の大規模な駅舎ではありませんでした。
熊本へは2時間と少しで、鹿児島へは3時間以内に着くと謳われていました。東京へも3時間半という事で、結構西にありつつもそんなもんで行けるのか…と驚きでした。のぞみの停まる駅は強いですね。
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茨城/龍ヶ崎 米町新町そして上町

茨城県龍ケ崎市、関東鉄道/竜ヶ崎駅からの歩き旅です。

(2012年5月当時)

▼まずはマンホールから。

龍ケ崎市の花・キキョウと市の木・マツを配し、そして市の鳥ハクチョウが牛久沼を優雅に泳ぐ姿、というのがコンセプトだそうです。

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▼龍ケ崎駅の程近くに、このような「米薬師」というお寺がありました。

「薬師堂」とよばれる事が多いようで、米薬師とはあまり呼ばれないようです。

お堂の青銅色の屋根が横から見ると程よい曲線の三角で、正面から見ると末広がりな感じになっていて、なかなか印象的なものがありました。

広い敷地の割に色んなものが、ポツンポツンと置かれているだけの感じで、特に説明板も見受けられませんでした。なので歴史も由緒もよく分からずで…。

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▼駅前広場過ぎた辺りで向こうの右側「竜ヶ崎通運」などが見えていた地点です。

限りなく日通に近いデザインですが、駅前にある日通がことごとく年季入っているのと同じように、ここもまたかなりの年季の入りようでした。

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▼竜ヶ崎駅バス停の時刻表です。

行先として

・江戸崎
・戸張
・突合
・佐貫駅

とありました。

佐貫駅は、市名を名乗る当駅よりも利用者数が断然多く、実質的な龍ヶ崎市の交通の中心的存在となっていますが、2020年には「龍ケ崎駅」を名乗る事が決まったそうです。

電車でも両駅は1駅挟んで存在する形となっていますが、バス路線でも繋がっています。

戸張(とはり)は、竜ヶ崎駅より少し東に位置しており、地裁や警察署などが近くにあるエリアで、江戸崎は隣の稲敷市の地区となります。

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▼竜ヶ崎駅から東へ200m程の地点で、終着駅からまっすぐ進んだ形で、このような幹線道と商店街があり、ここは龍ケ崎米町郵便局などがある辺りです。

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▼同じ米町ですが、コミュニティバスのバス停です。

きれいに1時間に1本のダイヤとなっていました。この手のバスにしては本数が多い方かなと思います。

しかし17時台が終バスという早さでした…。

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▼上の写真より少しだけ進んだ所ですが、左側の建物がまさに取り壊されようとしていた感じでした。

壁の表面がボロボロになっていて、どんだけ年季入ってるんだという感じでしたが、前面の覆いもこの時の取り壊しで組まれたものかも不明で、ずっとこんな状態ではないだろう、さすがに…とは思いましたが、実際のところどうなのでしょうか。壊されていたのだとすると、今ここは更地になっているか、別の建物が建っているかですね。

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▼米町から更に東へ進んで次の「新町」というバス停です。

コミュニティバスだけでなく、関東鉄道のバス停標識もありましたが、3路線で各々1日数本の少ない便数でした。

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▼という事で新町の周辺マップがありました。

方角は上が北で、竜ヶ崎駅から東へ歩いてきています。

現在地は、横に通っているオレンジの道路の真ん中より左の部分で、オレンジ部分の左側約1/4あたりです。

ここから進んでいくと、上町・にぎわい広場へと至る、というところです。

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▼上の地図にも載っている「八坂神社」です。

始まりは平安末期、鎌倉時代に入ろうかという頃だそうで、当時は台地より下は沼地であったという龍ケ崎の開拓にあたった農民の心のよりどころであったそうです。

1577(天正5)年に現在地に移され、龍ケ崎の鎮守として住民の篤い信仰に支えられ続けているといいます。

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▼更に東へ上町へと至り、商店街が活発になってきた気がしました。

駅から離れるほど活発化してくる気がするのもなんだか皮肉な感じでしたが、古き良き商店街の雰囲気に溢れていました。

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▼最後は、この写真です。

登録有形文化財「小野瀬(おのせ)家住宅」です。

江戸時代の18世紀末には商いをはじめていたとされ、1830年代には巨万の富を築いたとされています。

この住宅は1923(大正12)年頃のものといわれ、当初は競売にかかって存続すら危ぶまれていたところを市内の方に買い取られて存続が決定、野外文化財登録にこぎつける事となった、という経緯があります。

消えてなくなるか文化財となるかは大違いですね。

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2019年3月10日 (日)

千葉/香取 佐原・雨に濡れた水の街

千葉県香取市、JR佐原駅からの歩き旅です。

(2011年2月当時)

▼まずはマンホールから。

ここは香取市ですが、旧・佐原市時代のマンホールでした。佐原は「さはら」ではなく「さら」です。今はこの「さわら」が「かとり」に置き換わっているかもしれません。

市の花あやめが描き込まれていますが、これは現香取市でも同じ市の花だそうです。

他に描き込まれているのは「水郷 佐原の原風景」をコンセプトにしたもの、だそうです。

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▼佐原駅南口からの駅前道路にあたる部分です。

そんな高い建物はなく、商店街という感じでした。

観光地は駅から少し歩く事となり、この辺りは普通に街の一部でした。

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▼上の写真から少し進んだ所で、佐原駅から100m程の地点です。

かなり建物的に渋さが増してきていました。

向こうには大きな鳥居が見えてきていますが「諏訪神社」の鳥居で、ここから参道的な道路になっていきます。といってもきわめて普通の道がしばらく続くのですが…。

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▼上の写真の交差点を左折し、東へ100m強歩いた地点です。佐原駅からだと200m強になるでしょうか。

「東通り」という事で、商店街独特の街灯と小さな幟が並んでいました。

「佐原の大祭」という関東三大祭のひとつと称される祭りがあり、そこでの秋祭りで沢山の山車が登場し、かなり華やかなものとなっていて、この幟に「大楠公」と記されているのは、大楠公=楠木正成の大人形の山車が現われる事と関係がありそうです。

楠木正成というと関西系で、この関東地方の佐原と何か関わりがあるのか?と思い調べてみましたがよく分かりませんでした。祭りの山車には様々な人物を模したものが現われますが、なぜ正成なのか?謎のままでした。しかもこうして商店街の幟にまで出てきているのに。

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▼だいぶ渋い建物が並ぶところへ出てきました。

手前の円城寺本店というてものはかなり渋いですね。看板にあたる面の形がレトロでした。これ以外にもコンクリートの渋い建物が続いていました。

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▼更に渋い街並みが続き、よりしっかりした?建屋群が続いていくここは観光客で賑わう辺りで、佐原駅から南東へ徒歩10分程度の地点です。

バス停の標識が3本立っていましたが「新橋本」とか「忠敬橋」とかありました。佐原といえば…というぐらいの象徴的存在の伊能忠敬の記念館が近くにあります。

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▼佐原の町並、として案内板がありました。いよいよもって観光地という感じで、見ておりました。

思った以上に賑わっていて、当初はそんな観光地だと思ってここまで歩いてきた訳ではなかったので、嬉しい誤算でした。

江戸末期の書物によると、佐原は下利根附随一の繁昌の地なる記載があったそうです。川がある事で水運が栄え、昼夜止むことなく狭い川を船が先を争ったとの記載もありました。そんなサバイバルをこの川でやっていたのか…と、今はのどかな川を見つめて思いました。

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▼モダンとよばれる建物もありました。

「佐原三菱館」という1914年に建てられた旧三菱銀行の支店だそうです。銀行支店の役割を終えた後、当時の佐原市に寄贈され、1991年には千葉県の有形文化財の指定を受けたという建物です。現在は観光案内所として使用されているとか。

旧ソウル駅舎のようで、どこか東京駅っぽさもあり、目に入ると大抵惹かれるだろうな、と思わされる建物です。

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▼この佐原地区の町並観光地のメインともいえる、小野川を挟んだ街の様子です。

当時のこの川幅がどの程度であったか分かりませんが、江戸時代はここでいろんな船が我先にといわんばかりにひしめき合っていたのかと思うと時代の変遷を思わずにいられず、そんな想いでこの川を眺めておりました。

このエリアをもつ佐原の街は、色々と呼び名があるようで、

  • 北総の小江戸
  • 水郷の街

などと呼ばれ、この小野川沿いの町並は、関東地方で初めて「重要伝統的建造物群保存地区」に認定されています。他に関東では5ヶ所ほどしかなく(千葉県ではここだけ)、そんな貴重な街のひとつとなっています。

更には「平成百景」というものにも指定されており、どこもそこそこ名の知れた日本の景観のある所で、また「日本遺産」にもしてされ、そのようなもののひとつに選ばれているというのは、ここはやはり本物の観光地という事を感じます。

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▼ここに写っている中村屋商店の建物の辺りが市街地と古い街並みを繋ぐ場所になりますが、この建物の辺りの写真がどこから撮ってもいい感じで、撮り所としておススメと感じます。

この商店は江戸末期1855年の築といわれ、横にある白壁の土蔵は1892年の築といわれており、いずれも築100年を超す歴史ある建物です。右から読む商店名も当時からのものでしょうか。

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▼小野川沿いの佐原の町並を歩道目線で撮ったものです。

この時は雨降りだったので、歩道も濡れて光っていました。それで全体的にダークな雰囲気になっていました。

緩い曲線もあれば、きつい曲線もありで、メリハリのついた町並でした。

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樋橋(とよはし)とよばれる、小野川との町並の中で、象徴的な橋です。

別名をジャージャー橋といい、橋の部分で水が川に向かって落ちていく仕様にされ、今の姿になったのは1992年の事で、後年「日本の音風景100選」に選ばれています。

元々は農業用水を水田へ送るため小野川に架けられた樋であったものが、人の渡る橋へとなっていったという事です。

AKB48の「言い訳Maybe」という曲にこの橋が出てきます。メンバーが次々と自転車で渡っていきますが、このシーンでは晴れていたので、この下の写真とは全然違うもののような印象を受けました。

橋のたもとにある「天候不順のため欠航 」とあるのは、この川の観光遊覧船の事であり、通常は10:00~16:00の間に行なわれていて、約30分を1,300円でめぐるというものです。

天気が良ければ川を船がめぐる姿が見られたかもしれませんが、結構な雨が降っていて叶いませんでした。

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▼街並みを歩いていて横目に見える「伊能忠敬記念館」です。

佐原といえば伊能忠敬、というくらいの象徴的な存在で、この町並とともに観光名所として一体化しているのが、この記念館です。

残念ながら中には入りませんでしたが、伊能忠敬の生涯に迫り、また忠敬の業績といえる「伊能図」を余すところなくご紹介、とありました。また、地図の歴史にも迫るコーナーもあるとか、行っておけばよかったな、と少々後悔しました。

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▼伊能忠敬記念館から小野川を挟んで向かいにある「伊能忠敬旧家」です。

この母屋は忠敬自身の設計といいます。

伊能忠敬は現在の千葉県にあたる地の生まれではありますが、九十九里の生まれであり、伊能家へ婿養子に入る形でこの佐原へやってきたといいます。

当初は家業の醸造に勤しんでいたといい、勝手に生粋の測量家かと思っていましたが、測量に興味を持つようになったのは48歳ごろと「人生50年」の時代において、かなりの「御年」ではなかったかと思います。

江戸へ出たのは50歳の時で、測量を始めたのは55歳で、随分と大器晩成というか、今でいうと80歳くらいで物事を始めるようなそんな感覚でしょうか。とにかく年齢の割にかなりのバイタリティーを持った人物だったのだな、と感服せざるを得ませんでした。

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▼最後はここ、伊能忠敬旧宅の庭にあたる部分です。

「この一歩から」の碑文が心に沁みました…

日本全土の測量という大事業を成し遂げた人物でも、最初の一歩がなければ達成しえない事である訳で、この一言がすべてを物語っているな、と感じざるを得ませんでした。

伊能忠敬と佐原の街とでお届けしたこの香取市、千葉でも指折りの観光地と思われ、派手な所ではないと思いますが、歴史や町並を楽しみたい方にはうってつけの地だと思います。

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2019年3月 8日 (金)

秋田/大館 そこかしこに秋田犬

秋田県大館市、JR大館駅からの歩き旅です。

(2014年5月当時)

▼大館駅前広場を駅から目線で見たカットです。

真ん中の安全地帯的な所は、ハチ公や秋田犬の銅像が立っている場所で、左に隠れている部分にバスターミナルがあります。

駅前をざっと見る限り、高い建物は見受けられませんでした。

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▼駅前の通りにあたる道です。

なんとも閑散とした感じでした。

建物は3F建てがせいぜい…というところで、古めかしいものが目立っていました。

右側の建物はトヨタレンタカー取次店なる表示がありましたが、建物の大きな看板も取り外されたようで、やっているのかいないのか不明の状態でした。この建物のすぐ奥に隠れるようにして交番があります。

左の建物は、下側の写真にある鶏めしのお店でした。面によって壁の色も雰囲気も全然違うので、一部だけ見たら空き店舗化と思いきや、全面見たら間違いなくやってる店だ!となりました。

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▼駅前広場の左端すぐから分岐しているV字ロードです。

このVの字の根元にあるお店が古風な感じでいい味出していました。軒先の屋根だけ妙に新しくてとってつけた感満載でした。

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▼通りを歩いていたら、こんなものに出くわしました。

キリタンポのイラストが歩道の柵にあり、見てはいませんが秋田犬の同様のものがあったのでは??と思いました。

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▼歩道の柵ではありませんでしたが、秋田犬のイラストが道路にありました。

道路の地面に、それも点字ブロックを分断する形で存在していました。これはちょっとすごいなと思いました。この絵で分断してしまってよいものかと。

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▼長距離バスの案内板が出ていました。

駅から100mと行かないところにあるバス会社の敷地付近のものですが、仙台や盛岡など東北の主要都市とバス網で繋がっており、都心の池袋や埼玉の大宮への便も出ていました。

実際この時、ここへ来たのも盛岡からバスで来ましたが、ほぼ1時間に1本出ていて2時間半ほどで着くという事で、とても便利です。

仙台へは1日2便でした。5時間弱位かかります。イラストでバスの運転手が秋田犬らしきもので面白かったです。高速バスとホテルのパックになった形でも売り出されていました。

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▼そのバス会社の建物がこれで、バスのりばにもなっていた「秋北(しゅうほく)バス」の大館営業所です。結構立派な建物でした。

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▼昭和から時が流れていないのでは?ぐらいな雰囲気の風景でしたが、この「かぶちゃん」というお店はこの訪問時2014年時点では現役のお店で、今も現役かもしれません。

2014年時点で食べログに書き込みがあり、創業30年余りとの記載があったので、1980年前後の創業と思われますが、しかしこの店名の文字はそれ以上に古めかしい雰囲気を醸し出していました。

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▼駅から少しずつ離れて歩いて行きましたが、この右側の枠はきっと看板がズラーッと並んでいたんだろうな、と思わざるを得ないものでした。

枠だけが延々と残り続けているのがなんだか凄かったです。巨大な残骸という感じで。

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▼大きな看板群の枠だけが延々と続いたと思ったら、その先にはこんな廃線の線路があり、簡易な柵で通行禁止にされていました。

大館に奥羽本線と花輪線以外に所属路線があったのか??と思わされましたが「小坂精練」というところが運営していた貨物路線で、1994年までは小坂線として旅客営業もしていたといいます。

その後貨物専用となり、2009年に廃止されてしまいますが、この時はそれから5年経った姿という事になります。

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▼屋根つきの歩道がありました。

2丁目大通りという商店街ですが、「御成町」2丁目ということで、バス停もその名前で存在していました。

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▼その御成町2丁目バス停ですが、意外にも?!本数はかなり多かったです。

主に大館駅行きのものでしたが、左側が平日で、右側が土日祝のものです。平日はかなり多く、休日になると減ってしまい、11時台には1本のみでした。

しかし終バスはかなり早くて、平日は19時台が最後で、休日はナント18時台が最後です。

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▼マンホールは秋田犬でした。「おおだて」などの文字はありませんでした。

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▼前半で、秋田犬のイラストが出てきていましたが、これもまた点字ブロックを思いっきり分断する形で描き込まれていました。

朝市とありますが、大館駅前朝市というのがあり、「朝市」とドでかく書かれた建物に複数の店舗が出て、朝一が展開されているといいます。来たのが夕方近かった事もあり、存在に気づきもしませんでした。

長木川というのは大館市内を流れる23.6kmの川で、東北第5の川とされる米代(よねしろ)川の支流です。

そしてここに白鳥の絵が描き込まれていますが、長木川はその白鳥が飛来してくる県内有数の地である、という事です。

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▼かなり大館駅の近くまで戻って来てのレトロな雰囲気溢れる店々のカットです。

軒先の看板が割れてしまっていたり、廃墟らしき建物が並んでいたりで、下側の写真の真ん中の建物は、2F部分が傾いてるのか?錯覚する様な建物でした。

全般的にのどかな雰囲気で、駅前でも結構のどかでした。冬は雪とハチ公銅像の絡みが画になる風景が見られます。

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▼最後はこれです。

とにかく秋田犬に最も近づける街?は、この大館です。

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2019年3月 3日 (日)

JR大館駅【再】 (秋田県大館市)

秋田県大館市、以前にJR大館駅をupした事がありますが、これは2000年訪問時のもので、写真が駅舎1枚のみであったので、今回は2014年再訪時のものを詳しくお送りしていきます。

▼2000年以来14年ぶりにやって来て、当時はこのように中の写真など撮る事がなかったので、記録として残そうと思って、再び来た訳です。当時より特に改装等されていない為、記事タイトルは【新】ではなく、単なる再訪として【再】としました。

JRで奥羽本線花輪線に属している交通の要衝です。特にこの辺りは、他の路線の分岐する駅があまり多くないので、その役割は重要なものとなります。

個人的に秋田県で初めて訪ねた町だったので、その点での愛着はあります。

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▼ホームの地面から立っている形の駅名標もありました。

ホームは2面3線で両ホームは向こうに見える跨線橋で繋がっています。

3線のうち2線が奥羽本線に、残り1線が花輪線に割振られています。

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▼駅舎内の横断幕が華々しく飾られていました。

キリタンポ忠犬ハチ公のふるさととありました。

忠犬ハチ公の出身地はここ大館で、「ハチ」は1923年に当時の北秋田郡二井田村という現在の大館市にあたる地で生まれ、1935年に渋谷で亡くなっています。

この間、ここ大館にいた期間は短く、生後間もない1924年の始めには米俵に入れられて東京まで20時間かけて送られていったといいます。当時のペットの列車での移送の扱いはどんなものだったのか?と思わされます。

そしてキリタンポ、秋田といえばキリタンポですが、その本場はここ大館とされています。

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▼光が入ってしまい、上手く写っていませんが「天然記念物」と冠された秋田犬のカットがありました。

秋田犬って個人的には子供の頃「あきたけん」と読んでいました。個人というより、周りの大人も含めそう読んでいたように思います。土佐犬も「とさけん」という具合に。

秋田犬の保存会では「あきたいぬ」として統一している、とありました。たしかに「あきたけん」というと秋田を連想してしまいますね。

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▼この駅のホーム上(改札側)は色々と賑やかな事になっています。秋田県ではホーム上にバスケットのゴールがある能代駅なんかもこんな感じですね。

比内地鶏の里、として鶏の顔抜き看板が親子でありました。

更には「JR」と冠された上で「ハチ公神社」がありました。ホーム上に神社がある訳です。

この訪問の前年にあたる2013年にハチ公の生誕90周年を記念して設置されたそうで、賽銭を入れると「わんわん」と鳴き声で応えてくれる、とありました。神社のサイドにはキリタンポが立てられていました

あと4年で2023年、ハチ公の生誕100周年を迎える訳で、この時にはまた壮大なイベントでもあるのでしょうか、ここは勿論ですが渋谷でも何かあるのかな?と思ったりします。

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▼更に更に、改札真横ともいえる位置に、このようなコーナーがあり、ここには木彫りの秋田犬がありました。

やはり代表的なものは秋田犬とキリタンポで、飾りつけにも前面に押し出されていました。

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▼これもホーム上にあったスタンプ台と駅スタンプです。

よくスタンプを押してコレクションにしている方もおられますが、個人的にはバラけるし、そんなに収集もしていないので、目についたらこうして写真に撮って記録に残しています。

やはり秋田犬が描かれていました。

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▼大館駅の社員さんがつくったという、大館駅とその周辺のジオラマがありました。

かなり手間暇かかっていますね、職員さんがよくこんなのつくったなと。

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▼寝台特急「あけぼの」号の思い出パネルが展示されていました。

あけぼの号は1970年に運行を開始し、上野から奥羽本線経由で青森までを走り、2014年3月14日に定期運行を終了したいわゆるブルートレインです。

このブルートレイン、我々の子ども時代の1980年前後ではかなり隆盛な感じでしたが、旅客レベルではこの頃既に減少の一途をたどっており、2000年に入ると急速に縮小、今はもう定期列車としてはすべてなくなり全廃されてしまったそうです。

この当時が2014年5月の初めで、ラストラン後まだ日の浅い状況で、在りし日の姿が並べ立てられていました。

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▼この大館駅は「東北の駅百選」の選定駅という訳で、しっかりこのように明記されています。

秋田犬が前面に飾られていますが、ちょっと熊になってる気もしました。

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▼駅前広場にあるハチ公の銅像です。

渋谷駅のハチ公銅像はあまりに有名で、ハチ公前とか普通に使われていますが、ここにも本家(生誕地でもありますので)ともいうべきハチ公銅像があります。ハチのプロフもしっかり刻み込まれています。

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▼ハチ公単体の像とは別に、すぐ近くにこの「秋田犬の像」がありました。

家族ショットというか、親子で共存して安定・平和をアピールし、かつ祈念しているような感じでした。

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▼大館駅の駅舎です。

2000年訪問時と同じものでさして変化はありません。

ただ、来た時期が全然違っていて、2000年版は冬の真っただ中で雪が降り積もる中での訪問で、この2014年版はGWで雪など関係ない時期であったので、趣は全然違ったものとなっていました。

という事で大館駅の再訪記でした。

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2019年3月 1日 (金)

京都/城陽 気になる木なら見てみよう

京都府城陽市、JR城陽駅からの歩き旅です。

(2012年5月当時)

▼城陽駅の線路に沿った道は整備されていて、つつじ?が咲いた通りとなっていました。

そして、ここへ来るまで知らなかったんですが、城陽市は京都サンガのホームタウンです。と、いってもホームタウンのひとつで、色んな市がホームタウンとなっているので、そのうちのひとつという感じです。

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▼踏切周辺の様子です。

駅から100m程南の所にあります。北側はもう少し近い所に踏切があります。

予備校とか銀行などがありました。

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▼上の踏切から西へ進んだ所にあった「城陽模型」のウインドウに沢山のプラモデルの箱がありました。

しかし、この城陽模型…

2017年9月初めをもって閉店したそうで、こんなニュースにもなっていました。

1972年に創業されて、80年代初めはガンプラで盛況したのかな?と想像しますが、いつの間にやらプラモデル店というのも少なくなったなと感じていたところ、ここに出くわしたのでいつまでも存在していてほしいと思ったのですが、現状調べてみたら閉店していました…

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▼城陽市役所バス停へ来ました。

ベンチが複数脚あるバス停ってなかなかお目にかかれないのでは?と思い見ていました。

ちなみにここでは近鉄寺田駅行きで、寺田駅はここから西へ1km弱の地点にあります。

ダイヤ的にはきれいに1時間に2本、8時台~18時台のみで設定されていましたが、その18時台のバスが最終です。

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▼城陽市役所の建物をいろんな角度から。

市役所は城陽駅から南西方向にあり、徒歩5分程度で着きます。

白を基調とした角ばった建物で、窓の部分の黒っぽい色と交互に織りなされたツートンストライプの形になっており、また表の入口の庇部分は円盤が半分飛び出たような形になっていました。

前の広場もなく、いきなり道路に面して建っていることに驚きましたが。

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▼城陽市役所から南東へ200m程歩いた所に、この城陽郵便局があります。

面によって色が違う建物となっていて、片や白で片や茶色という構成でした。角度が違えば全然違う建物の様でした。

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 「サポウト」の文字が目に入って撮っただけのものです(笑)

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▼城陽の駅前は味気ない感じだったな、というのがそれまでの訪問での感想で、商店街はどこにあるんだろうと思って歩き回っているうちに行き着いたところです。

5月のGW期間中でもあったので、鯉のぼりが賑やかに舞い、街を彩っていました。

個人的に城陽市で最も印象的だったカットです。

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▼城陽高校バス停に行き着きました。

落ち葉が凄かった覚えがありましたが、写真で見てもこんな感じでした。

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▼そしてその城陽高校の入口スロープと校舎が見えました。

この高校は城陽が市となった1972年に開学しており、先の城陽模型が創業したのもこの年であり、城陽にとっての1972年というのは色々と縁の深い年という事を感じさせられます。

先に載せた商店街の鯉のぼりですが、この高校のボランティアのメンバーが飾りつけをした、とありました。

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▼城陽高校のそばにある「水度(みと)神社」です。

かなり古い歴史を持つ神社のようで「山城国風土記」には「水度の社」なる記載があり、奈良時代には存在していたものとされています。

鳥居の下には綱が架けられていました。

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▼水度神社にて、坂道の続く長い参道を上っていきました。

鴻ノ巣山という山の裾にあり、緑に包まれた道を歩いて行った訳です。

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▼水度神社の拝殿です。

本殿を奥にしてくっつく形のものではなく、敷地のの真ん中にドカッと立っている感じの拝殿でした。

酒樽が沢山乗っかってるのも印象的でしたし、この反った屋根も画になる感じでした。

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▼拝所です。

屋根部分のぐにゃっとした曲がり具合が素晴らしいですね。横から撮ると奥行きが感じられて、また深い味わいが感じられました。

この奥に本殿があります。

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▼拝所の奥にある本殿です。

拝所の塀の関係で垣間見える感じにしか見えませんでしたが、風格を感じる建物でした。

この本殿は重要文化財に指定されており、1448年建立城陽市内では最も古い建物とされています。城陽に来て、その最たる象徴的な建物を見る事ができて良かったというところです。

1448年にこの京都府内で建ったという事で、応仁の乱前夜に生まれて、それからずっと世の中と共に生きてきた建物であり、時代の生き証人な訳ですね。

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夜叉ばあさんのムクノキ、と説明板にあった木です。

幹から突然ボコッと唇が出っ張っているような木がありました。老女の顔に似ているとして、この名前で言い伝えられているといいます。

ちなみにこんな風に幹からコブが出るような現象は、虫が入ったか枝が切られたか等して、木が自らを修復しようとする働きだといわれています。この辺りは結構色んな木があったりして、樹木が見どころとなっています。

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▼水度神社の参道のクスノキとして説明板のあったものです。

高さ17mある立派な木ですが、この個体は特に参道を代表する木と位置付けられているのでしょうか、枝の分岐っぷりがものすごかったです。

上の写真の木と共に「城陽市の名木・古木」の中に選ばれていて、城陽の街の楽しみ方がこれらの「木を見ること」であると気づきました。

京都府にあって「城陽市」という個人的な印象はなかなか渋い所、という感じで、何を見に行けばよいのか??何を見つけられるのか??と思ってやってきたのですが、木めぐりなんてするのも良いかなと思いました。

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▼最後はコレです。

プチ土産という感じですが、「山城風情」とか「梅城陽」というお菓子を買いました。

しかし今検索で調べてもなかなか出てこず、スポット的な商品だったのかもしれません。

それならそれで、これは貴重なカットなのかもしれません、という事で以上、城陽市でした。

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