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2019年4月の8件の記事

2019年4月30日 (火)

大阪/交野 きさいちぃ散歩

  大阪府交野(かたの)市、京阪/私市駅からの歩き旅です。

(2018年12月当時)

▼交野(かたの)市の私市(きさいち)と、難読地名が続きますが、その私市駅を降りて程ない所にあった「天の川 散策マップ」

天の川ではありませんが、「天野川」という川が流れており、有名人の古歌に多数詠われているといい、そしたまた交野は「星のまち」を標榜している自然をウリにしたところで、大阪にあってこんな風に自然を前面に出したところはそう多くないと思うので、癒しを求める方にはとても良いかと思います。

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▼私市駅から高齢者・障がい者支援バスが1日8便このような時間帯で出ていました。

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▼これも私市駅前の一角ですが「交野市広報板」として色々なものが掲示されていましたが、やはり色んな所に色んな文化がある事を感じます。

で、交野というこの街にもいろんなイベントや開催事があるのだなという事も感じました、至極当たり前の事ですが「ここはどんな街なのか?」と疑問が湧く時、よけいにこの事を実感します。

TOEICもあれば太極拳教室があったり、環境フェスタなどもあったり、消防士の募集もキャラを登場させたり、色々でした。

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▼私市駅から出てすぐ左を向いた辺りで、既に住宅街に商店がついてるみたいな雰囲気でした。

この辺りは結構ガッツリ住宅街で、それ故先の天の川がウリにはなっているものの、それ以外のものを見つけるのがなかなか難しいものがありました。なのであまり「これ」というものは撮れませんでした。そういうものを探してはいたんですが…

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▼交野市のマンホールです。

真ん中を分断している形の横線は天野川のイメージで、市の木桜と市の花つつじがそれぞれ配され、更には市の鳥キジが添えられていて、「市の〇〇」でまとめられてしまっている感じでした。

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▼このあたりは「私市○丁目」という地名がつづく住宅街で、そんな住宅街に川沿いの家並みがありました。崖屋造りではないですが、それに似た感じの雰囲気が良かったです。

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▼私市駅前の広場と反対側へ出ての住宅街の一角です。

こちらは古くからの住宅街という感じで、いわゆるニュータウン的な感じではない、昔ながらの家々が立ち並ぶエリアで田畑もありながらのどかな雰囲気でした。

石垣塀から木が突き出しているのがとても印象的で撮ったカットです。石垣塀造る時にこの木を切らなかったのでしょうが、そんなに大事な木だったのでしょうか?カットとして面白いものになっていますが…

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▼私市駅の周りをぐるっと回るような形で、再度私市駅前広場側へ戻り、少し距離はありますが若宮神社というところへやって来ました。

270年からの歴史はあるようです。

広めの公園の中にあり、公園の延長上にある古くからの神社という感じです。

飾られている絵がインパクト大でした。龍が口から火のようなものを吐いていて。

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▼またまた私市駅を越えていく形で、ジグザグしていましたが、どの辺訪ねていいやら分からず、試行錯誤で?あちこち心の赴くままに歩いていたままの状態でした。とりあえず私市駅に戻るのはやめて、隣の京阪/河内森(かわちもり)駅へ徒歩移動する事にして、その道のりで写真を撮っていきました。

そんな中で、これらのブリキ版広告群に出会えました。

まだ全国各地に少し残っていますが、あればいちいち写真に撮ってしまいます。

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▼古めの住宅群を抜けると、こんなカントリーな感じの所へ出てきました。

「生産緑地地区」なんてあるんですね。

自治体によって指定された、農業などに使う用地であり、農地などとして残すべき土地、とされている場所です。

交野ってその名前からすると、都市的な雰囲気を勝手に抱いていましたが、その実は結構カントリーな要素に満ち溢れた街なんですね、という事を実際に訪ねてみて感じました。

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▼そしてこの辺りには結構お寺がありました。

これは浄土真宗「西念寺」というお寺です。

1624年に当時の私市の門徒さんの為に開かれたお  寺、と伝わっているようです。西念寺という名前は1719年についたといいます。

下側は門をくぐっての中の様子ですが、親鸞聖人像がありました。

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▼河内森駅へはこの道を向こうに進んで行きます。

田畑上の堤の上という感じの道路です。

河内森駅は駅舎の真裏に来てしまうと、すぐ傍にあるにもかかわらず、何百mも歩かなくてはならない超めんどくささがあり、これにも参りました。

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という訳で、これといった目を惹くものも大して見つけられず、私市駅から河内森駅まで来た感じの旅でした。

交野の街の一角の風景をお伝えしただけの格好となりましたが、名前のイメージと違って、星の里でカントリーな風景という大阪の市では珍しい所と思いますので、そんな事でアプローチして見ても良い街ではないかと思いました。

 

2019年4月23日 (火)

秋田/由利本荘② お城展望台で雨宿り

秋田県由利本荘市、 秋田/由利本荘① 本荘公園は4月が旬!!に続く由利本荘の様子です。

▼今回記事は本荘公園の様子の続編として始まりますが、左端に写っている展望台の様子をまずはお届けです。

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▼という訳で、本荘公園内の展望台です。

特に本荘城の何であったという建物ではないようです。公園内に展望台としてプチ城を模してつくっただけのものかな、と。

中に階段があって上れるようになっていたので、躊躇なく上ってみました。

この時、雨模様でもあったので、雨宿りを兼ねる意味合いもありましたが…

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▼階段周りの様子です。

下のフロアの内壁は基本白で、きれいな印象を受けました。ただただ白でした。

階段はサイドは白ですが、上面から見るとコンクリート色でした。

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▼主に2Fフロアの様子です。

しっかりした建物で、色々凝った形になっていたり、ちっょとした展望台とは侮れないものがありました。

ちっょと一休みにうってつけでした。観光客が詰めかける感じでもなかったので。ただ、今の時期は桜祭りで盛況になると思うので、あちこちに人が居ると思いますが…。

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▼公園の名にふさわしく、遊具コーナーもありました。

しかし城郭の公園らしく?落ち着いた佇まいの遊具コーナーで、子供の遊び場然としていない雰囲気でした。

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▼公園の塀は、お城の塀状の形で長々と続いていました。

そこに花畑がビッシリと続いている所もあり、白壁に色とりどりの花々というのがコントラストがきいたすごい良い風景を生み出していました。

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▼これは何の建物でしょうか…???

 

こたえは…

 

小学校 です!

由利本荘市立尾崎小学校というれっきとした小学校です。

何かの科学館みたいな雰囲気の建物でした。全然学校然としてない建物てすね。

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本荘公園の続きとその延長上、という感じでしたが、雨に濡れた由利本荘歩き旅、2編にわたってお送りしました。

2019年4月21日 (日)

JR金沢駅 (石川県金沢市)

石川県金沢市のJR金沢(かなざわ)です

金沢市は、石川県の中央部のやや南に位置し、人口は465,325人(2018.10.1現在)で、石川県の県庁所在地であり、北陸3県では最も人口の多い市です。

かつては加賀百万石の中心地として栄え、日本有数の美しい庭園「兼六園」があり、また海産物を中心に賑わう「近江町市場」の存在も有名です。

-JR・北鉄・IR石川鉄道/金沢駅-
【路線】
JR北陸本線(米原-金沢間)
      北陸新幹線(高崎-金沢間)
     IRいしかわ鉄道線(金沢-倶利伽羅間)
     北陸鉄道浅野川線(金沢-内灘間)

【開業】JR-1898年4月1日
    北鉄-1926年5月18日

【訪問】初訪問-1995年6
【1日あたり平均乗車人員】 JR-22,895人/日 (2017年) 
                  IR-10,619人/日 (2017年) 
                  北鉄-3603人/日 (2006年)  ※北鉄のみ乗人員

【近隣の主要駅】 (米原方面) 野々市駅→2駅 
           (高崎方面) 
富山駅→2駅  ※新幹線
           (倶利伽羅方面) 津幡駅→3駅、石動駅→5駅
           (内灘方面) 内灘駅→11駅
           (七尾方面) 
宇野気駅→7駅

●駅名標

ここへの初訪問は1995年6月で、もう20年以上も前ですが、その後1999年、2002年に寄ったりしていましたが、この記事ではまずホーム内は2009年訪問時の姿にてお送りします。

元々JR北陸本線の駅でしたが、2015年3月に北陸新幹線が開通して、当駅まで延伸されました。ここから西へは計画はありますが未開通の状態で、そしてこの写真の当時はまだ新幹線の未開通時でした。

今は北陸新幹線は金沢まである状態なのですね、敦賀まで延伸すると関西人から見て北陸に対しての新幹線メリットも感じられるのでは?と思いますが、現時点では北陸へはやはりサンダーバード頼りの感は否めないところです。

新幹線の開通によって当駅より西の新幹線未開通区間はそのまま北陸本線の駅となっていますが、新幹線の開通された当駅より東の石川県の駅は「IRいしかわ鉄道」の駅となり、更には富山県の駅は「あいの風とやま鉄道」の駅となっています。複数の路線に属していますが、どれかしら全て起点終点となっている節目の駅でもあります。

所属はしていませんが、北の能登半島へ向かうJR七尾線への乗入れもなされています。

JRと、以前JRであったIRはここで共同ホームとして使用され、北鉄金沢駅は改札を出て少し進んだ所に別にホームを有しています。

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▼これも2009年当時のものです。

今はもうないと思いますが、当時の金沢駅は「ホームにタコ焼き屋のある駅」として話題になった事がありました。

黄色と黒の縦じまでどこかの雰囲気満載でしたが…

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▼ここからは改札を出てからの様子ですが、以後は2016年訪問時の写真でお送りします。

これは金沢駅西口広場にある金沢市制100周年の記念モニュメントです。金沢市は1889年に市制化された為、1989年つまり平成元年につくられたということでしょうか。

このモニュメント、斜めになっているものは60°の角度との事で30°傾いており、高さは約20mもあります。未来へ向かって伸びゆく姿、を表現したものだそうです。

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▼西口である「金沢港口」の駅前の様子です。

どちらかというとサブ側で、後発で開拓された側という感じです。

それもあってか賑やか度合いは東口とはかなり違った感じでした。

ビルは大きいのが建っていましたが、何か取って付けた感がありました。すみません全てこれ感想ですが…

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▼金沢駅西口駅舎です。

駅ビルがホテルになっていて「ヴィアイン金沢」が入っています。

サブ側といえど、庇の部分は実に重厚でお金かかってそうな感じがしました。

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▼転じてメインの東口(兼六園口)の駅舎建物を出たばかりのところです。

この全体を覆っているものは「もてなしドーム」とよばれる巨大な総ガラス製の建物で、2005年に完成したものです。この2016年当時、2002年以来14年ぶりの金沢訪問(2009年はホーム内立ち寄りのみ)で、いつの間にこんなすごいものができたんだ?とただただビックリしました。

真ん中向こうにあるゲートは「鼓門(つづみもん)とよばれるこれまた立派な建物で、もてなしドームと同時にできましたが、これら含めて総工費は実に172億円!という莫大な費用が投じられたものです。鼓門だけでも3.5億円という巨費です。

ものすごい費用がかかってる訳ですが、さすがにこれだけのものが造られると、旅行者は写真撮る人が結構いました。

下の方には地下の様子も写り込んでいましたが、地下広場があり、北鉄の金沢駅へはここを下っていく事となります。

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▼駅を出てドーム内で、駅側に見た様子です。

この地点はまだ鼓門内なので門は写り込んでいません。

ドームの荘厳さがよく分かると思います。

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▼更に引いて、鼓門を含めた金沢駅東口駅舎の様子です。

もてなしドームと鼓門は立派すぎるぐらい立派で、金沢駅といえば…という存在ですが、逆に金沢駅の駅舎建物そのものがよく分からなくなってしまっています。これらすべて含めて金沢駅の駅舎と捉える、が正解なのでしょうか。

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▼先の写真にもありましたが、JR金沢駅の改札を出て地下へ階段とエスカレータが出ていました。

基本的に休憩や広場的なスペースで、地上の賑わいとは随分と違ったのどかな雰囲気でした。

普段はどうか分かりませんが、実はこの時団体行動をしていて、時間を切って個人行動になったのですが、この地下へ行き着くとそれまでの喧騒がうそのように静かで穏やかでした。

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▼地下へ下りて少し歩いて左側にこの「北鉄」(北陸鉄道)の金沢駅があります。

表記上は「北鉄金沢駅」となっています。

この隠れている右側に券売機があります。

ここは北鉄の浅野川線という路線ですが、この金沢駅から内灘駅までの6.8kmを結ぶ路線で、沿線全12駅のうち当駅を含む10駅が金沢市内で、のこり2駅は内灘町の駅という構成です。

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▼北鉄の切符です。

あまり時間もなかったので、とりあえず一区間だけ!ってことで、隣の七ツ屋駅までの切符を買って乗ってきました。

自動改札ではなくて、改札を通って駅員さんが押してくれる方式です。

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▼北鉄金沢駅のホームです。

駅舎はJRなどと共通で、改札は北鉄だけ地下にある形です。

北鉄の他の駅は基本的にホームだけの所が多く、地下でこれだけの立派なホームは始点であるここぐらいです。

北鉄の電車は1時間に2~3本で、日中は30分に1本出ている感じでした。

石川県の鉄道では、JR以外では「のと鉄道」とこの北陸鉄道くらいが目立ったところなので、これからも発展していってほしいものです。

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▼最後はおまけですが、1999年当時の金沢駅の駅舎です。

もう20年も前かと思うと感慨深いものがあります。

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2019年4月20日 (土)

秋田/由利本荘① 本荘公園は4月が旬!! 

秋田県由利本荘市、JR羽後本荘駅からの歩き旅です。

(2012年8月当時)

▼羽後本荘の駅から出てすぐ、このような大通りへ。

広い道路にゴツゴツした建物が続いていて、北海道の小都市の駅前にこんな感じの街並み多かった印象が強いのですが、ホントそれによく似た感じでした。

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▼道中に食堂の建物に出くわしましたが、既に「貸店舗」の表示が…

この名前で検索しても全然出てきませんでした。閉店後相当経っているのかもしれないですね。

昭和期には食堂としてさぞや栄えたのでは…?と思わされる雰囲気をすごく感じました。

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▼更に駅から離れる形で進んで行ったところです。

色んなお店や施設が並んでいる「幹線道の商店街」という感じの駅前通りです。

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▼由利本庄市文化交流館「カダーレ」です。

カダーレ、とカタカナ表記がされていますが、その名前由来は「仲間に入って」という意味の方言「かだれ」からきているのだそうです。

羽後本荘駅から西へ約300~400m程の地点にある複合公共施設で、図書館・公民館・教育学習施設などを持ち、文化ホールも有しており、2011年に開館しましたが、この時の訪問が2012年当時で、まだ出来たてのホヤホヤだったのでした。

それだけあってフォルムも斬新な建物で、BCS賞などの建築関連の賞も頂いたりしています。

前の道路の曲がり具合と建物の曲がり具合が妙にマッチしてる感じでしたが、そこを狙って設計しているのかもしれません。

建物の形そのものも実にユニークで、建物を見てるだけでも充分堪能できました。

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▼本荘は城下町の側面も強く、電話ボックスがこんなに立派なところもありました。

白壁の和風建築電話ボックス、なんとも贅沢です。

そしてサイドには城壁を模した塀が。

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由利本荘市役所です。

茶色と白のビビッドの色遣いがとても印象的な、学校風の建物でした。

てっぺんの部分が出っ張っているのも建物としてインパクトがあります。

旧・本荘市時代の1969年竣工という事で、建物として今年でちょうど50周年を迎えます。

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本荘公園として整備されている辺りで、塀は城郭風ですが、その周辺の木々や床面などもかなり整備されていました。

そして本荘公園の地図があり、由利本荘市の案内図や広域案内図まで並んでいました、この辺り由利本荘の観光のメインになっている事が窺えます。

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▼お堀周辺の様子です。

よく整備されて、水面はぼんやりと樹木が映っていました。

この時はあいにくの天気で、そのせいで霞んでいた部分があったのかもしれません。

本荘城は当時の遺構があまり多くなく、公園として整備され出したのは1990年代に入ってからといいます。そんな中で水掘は貴重な遺構のひとつです。

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▼復元された大手門です。

本荘城は、最上義光の家臣である楯岡満茂によって、江戸時代に入ってからの1610年に築城されたもので、元は「本城」であったようです。

門をくぐれば本格的にお城の公園です。

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▼大手門をくぐって公園スペースへ。

このような庭園状のスペースや、芝いっぱいのスペースなどがありました。

そして正面には階段がデンと構えていました。

その階段の辺りから大手門へ向かっての眺めが3枚目の写真のカットです。

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▼石段を上がった先の公園案内図です。

昔の城郭感の溢れる地割というか、そういうものをすごく感じました。

桜の名所として秋田県内でも屈指の地のようで、東北地方の桜の開花時期を考えると、ちょうど今この時期がまさに桜の最盛期ではないかと思います。

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▼その階段を上って行ったところには、本丸の館として休憩室的な建物と「修身館」として本荘のまち・歴史・文化などを学ぶ体験学習的な施設などがあります。この建物へもまた階段を上っていきましたが…。

修身館は本荘城三の丸にあった藩校「修身館」からそのまま名前が取られていますが、利用状況としては年間1万人強の方々が利用されているようで、その中でもこの4月の利用者数が断然多く、桜祭りなどの影響大との事でした。やはり今が旬なのですね、この本荘公園は。

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▼本荘城の本丸跡に鎮座している「本荘神社」です。

右側には稲荷神社が建っていて、これと並ぶ形で存在しています。

例祭が4月28日にあるという事で、これまたもうすぐな訳で、桜の見ごろと共に色々とあるこの界隈です。

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満州開拓の碑というのがありました。

正式表 記は「満開拓の碑」とさんずいの付く形でした。

もうすぐ平成も終わり令和を迎えますが、この日は平成元年に設置されたとありました。

中国にある満州国への「由利郷開拓団」が結成され、秋田県派遣の開拓団の中でも最大規模の人数で大きな成果を上げたという事で、ここにその功績を讃える形でつくられたようです。

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▼本荘公園には色々なものがあり、何故かこんな鳥の大きなケージがありました。

インコのような鳥が1羽確認できましたが、あとはいるのかいないのか分からない状態でしたが…

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▼由利本荘の街を見下ろした様子です。

平山城である本荘城なので、少し高い所へも行く訳で、それなりの街の眺めが堪能できます。

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▼本荘神社周辺の様子です。

桜の時期などの賑わう時期を除けば、割と穏やかでのんびりした感じで見られると思います。観光客で賑わうという感じではありませんでした。

ただこの時はそれに輪をかけて、雨天でもあり出歩く事自体が失敗だった感がありました。

その為に少し雰囲気の出たカットになったかな、という感じはしますが…

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一旦ここで切って、主要な建物に焦点を当てて次の記事にてお送りしたいと思います。

2019年4月11日 (木)

福島/須賀川 花火ボータンの街

福島県須賀川市、JR須賀川駅周辺の様子です。

(2006年8月当時)

▼「EKIMAE-DORI」ってそのまんま駅前通りです。

何故こんな外国人にも分かりにくい表記にしたのか?と思わなくもありませんが、昔は結構スタンダードな表記だったかもしれません。

今から13年ほど前の景色ですが、ここはあまり変わっていないのでは?と勝手に思っています。

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▼ある地点の道路標識です。

空港の街・須賀川だけあって福島空港への標識が出ていました。

空港へは須賀川駅から約12kmの距離にあり、15~20分で着くと思われます。

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▼須賀川の滞在は時間がなかった事もあり、短時間であったので、あまり遠出はできていませんでした。

そんな中でここは最も駅から離れて訪ねた地点ではないかと思います。

須賀川駅から南へ約400mの所で、「釈迦堂川」に架かる橋です。欄干の部分に灯籠状のものが建っていて、ただの橋ではない所が感じられました。

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▼冒頭に「EKIMAE-DORI」とあった訳ですが、今度はもっと長い名前の通りに出くわして、そこもしっかりローマ字表記が長々となされていました。

その名も「釈迦堂川花火通り」です。先ほどの釈迦堂川から取られた名前で、名物の花火とくっつけての命名と思われ、須賀川は空港の街であると共に、「花火の街」でもあり、こんな名前の通りもあるわけだ、と納得したのでした。

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▼駅に程近い地点、歩道の花々がとってもきれいでした。色も鮮やかさに溢れていて。

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▼須賀川が花火の街である、事の象徴的なものがこのマスコットキャラクターの存在です。

この時は2006年という時期でまだ「ゆるキャラ」など流行っていなかった頃で、こういう2次元キャラクターはよくあったな、というような時代でした。

このボータンは、須賀川市のマスコットキャラクターですが、プロフィールがここにありました

    ↓

http://www.city.sukagawa.fukushima.jp/3403.htm

平成6年3月28日生まれというかなりの先駆け的存在で、まぁいえば25歳な訳です(笑)

三次元スタイルもあるのですね → https://www.facebook.com/sukagawacity.botan/

ボータンの名は火祭りの火のボーっと燃える音のイメージ化と思ったら、加えて「牡丹園」のボタンからも来ているとは!

あまり遠出できなかった須賀川ですが、今度来る事がアレば少しはじっくり訪ねてみたいものです。

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2019年4月 9日 (火)

新潟/燕 雨に煙るスワローシティ

  新潟県燕市、JR燕駅周辺の様子です。

(2015年1月当時)

▼駅前広場にあった燕市街図です。

かなり色褪せたままになっていて、市名を名乗る駅前の広場にある地図なのにこんなもんで良いのか??と思ったものでした。

こういうところひとつ取っても観光に力を入れているかどうかも窺えるというものです。観光側面よりも市内の各施設の案内図的な側面が強いようです。

川の曲がり具合がすごく特徴的な街でもあるなと感じます。

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▼実質的な燕駅前の駅前通りで、これを入ったばかりの地点です。

この時は雨雪の舞い荒れる中での訪問となってしまい、まともな景色は撮れないわ、写真撮るのもままならないわで大変でした。

殆どの写真が雨や雪が線状になってのカットになっているかと思います。

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▼上の写真から進んですぐの所です。

駅前であっても軒の庇がめくれ上がったきりになっている建物もありました。

この時は終始あいにくの天気でしたが、道路が水面のように映えて、あちこちで建物が写り込んでいました。ここもそんな一端が窺えると思います。

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▼右側の渋い建物に「雪印メグミルク」の新しい看板の組み合わせがどこか妙な感じで撮ったカットです。

そして雪印の看板に雪が叩きつけていました…

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▼こちらは全面レトロ感満載といったところ、昭和から時が止まってる感に満ち溢れていました。

看板の字体など、今の時代で書かれる文字とは思えないほど?でした。

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▼上の写真で右側に見えていた建物です。

あまりの渋さにどんなたいそうな建物か??と思っていましたが、

「理髪店」でした。

燕の街で個人的に最も印象的な建物でした。

そしてここはまた「燕本町」のバス停でもありました。

ちなみに燕は昔は「津波目」と表記したそうです、津波という事ではないと思いますが、水とかかわりの深い街ではあったのだと思います。

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▼そしてまた街を歩いて、悉くというくらい古い建物に出会っていました。

建物は古いのに、道路はピッカピカで不思議な光景、燕の街ではこういうのばっかり目にしていたような気がします。

それぞれ昭和何年にできた建物なのか??アプリで年代を特定できたらいいのに…と思わされます。

それにしても今度は一度、好天の時に訪ねたいものです。

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2019年4月 6日 (土)

三重/名張 サンロードに栄光あれ!

三重県名張市、近鉄/名張駅からの歩き旅です。

(2006年2月当時)

▼もう今から13年も前の姿になりますが、名張駅前にあるこの「ビジネスホテル栄」に宿泊しました。

駅近でリーズナブルで、泊まるだけなら申し分のない宿でした。そして又コンパクトな宿でした。贅沢な事を求めるとちょっと違う…となりますが、駅まで来て疲れて一刻も早く寝たいな、という状況下での宿泊にはうってつけです。

名張の街を本格的に訪ねたのはこの時が初めてだったのですが、それまで知人から周りに何にもないと聞いていて、若干不安がありました。しかし駅の周辺はそれなりに街であったので、そんなに閑散というイメージはありませんでした。

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▼名張駅前の幹線道の様子です。

名張駅前という交差点があり、そこから北西へ進む感じです。

今のgoogleマップでこの辺りを見てみると、大方は変わっていませんが、ちょこちょこ色んな所が変わっていました。

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▼これも上の写真とほぼ同じ地点で、方向違いのカットで、方角的に南側を向いてのものです。

左側の千成という旅館はあまりに渋くて、もうないのかな?と勝手に思って調べていましたが、まだ現役でやっているようです。googleマップで出てくるという事はそういう事ではないかと思っています。冒頭のビジネスホテル栄と同様に、ホテルのHPが確認できないので、本当に営業しているのかはっきり掴めませんが…。

ちなみに右側の岡三証券は、この2006年内に駅隔てて向こう側へ移転しており、現在この地には魚民が営業をしています。

こうして昔の写真を載せると在りし日の姿が残っていて、いいなとつくづく思います。

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▼名張藤堂家邸というのがありました。

名張の領主として江戸時代を通して続いてきた「名張藤堂家」の邸宅です。

江戸期は「名張陣屋」として存在し、現在はその跡地として公開されていますが、学術的にもかなり貴重な資料があるのだとか。

藤堂、といえば藤堂高虎が有名ですが、その高虎の養子となった藤堂高吉がその祖となり、200年領主の座にあり続けた名張の名家です。

【名張藤堂家邸跡】

住所:名張市丸之内54-3

電話番号:0595-63-0451

利用時間:9:00~17:00

入館料:大人200円、高校生100円、小中学生 無料

休館日:毎週月・木曜日(祝日の場合は各々翌日)

HP:http://www.city.nabari.lg.jp/s061/020/000/050/201502051899.html

アクセス:近鉄名張駅西口より徒歩約7分

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▼名張本町商店街、として店配置の簡易マップがありました。

一応狭いエリアながらビシッと埋まってるよ的なアピールでしょうか。

「人情味あふれるまちづくり」をキャッチフレーズに約20ものお店が並んでいました。

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上本町サンロードと書かれたアーケード商店街のヘリの部分がありました。

屋根の隙間が垣間見えて、商店街としての充実具合に「?」を感じずにはいられず、逆に寂れていて渋すぎる光景を目にできるのか?の変な期待感もありました。

アーケードのある寂しい商店街は個人的に大好きなので、こんなのを見たら入らない訳にはいかないですよね。

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▼という訳でサンロードのアーケードの中へ。

といってもその様子を撮ったのはこの1枚だけでした…、もっと撮っておけば、、と後悔しています。

本来はもっと古めかしい雰囲気が漂いまくっている商店街なのですが、このカットからでも割にその年季が感じられるとは思います。右手前の建物の電話番号の部分とか。

そしてサンロードの端へ。ゲートの柱の細さがどこか物悲しげでした…

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▼こちらはアーケードのない方の商店街的な通りです。

商店が立ち並ぶというより街道的な側面が強いのですが、独特の街灯が立ち並んでいる部分は商店街を感じさせます。かつて商店街であったのか。

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▼最後はこの写真です。

江戸川乱歩先生生誕地の標柱がありました。

なんといっても名探偵明智小五郎です。

江戸川乱歩(1894-1965)は本名は平井太郎という実に素朴なお名前だったのですね。乱歩が本名でない事は知っていましたが…

実際に探偵として勤務していた経歴があるのは驚きでした。

乱歩はここ名張で生まれ、家は祖父の代まで藤堂氏に仕えていた藩士であったといいます。

名張で生まれたといっても、2歳の時には県内の亀山へ引っ越し、更に名古屋へ…と、生涯46回もの引っ越しをしたといいます。

明智小五郎を演じた俳優…天知茂、北大路欣也、小野寺昭…いろんな方々が浮かびますが、そんなヒット作を世に送り出した作家が生まれた地がこの名張りなのですね。

という訳で名張の街歩き、2006年当時はこんな感じでしたが、その後も何度か行ったので、別な地を紹介できる機会があれば…と思いつつ、アウトプットがなかなかおぼつかない状況をなんとかしたい…とずっと思っております。

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2019年4月 3日 (水)

京都/福知山 桜舞う福知山城

京都府福知山市、福知山城を中心とした風景です。

(2003年4月当時)

▼線路の北側に福知山城が見えているカットです。

この時はJR福知山駅からの歩き旅ではなくバイクで来たのですが、駅からお城まで歩いて行く事も可能です。

福知山駅から福知山城まで東へ約1.3km程度で、このカットは線路南からお城へ向かって撮ったものですが、この辺りでは舞鶴城とこの福知山城が天守を持つお城として存在感を放っています。

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▼福知山城の東側に架かっている「昇龍橋」です。

曲線具合が独特でたいへん印象的でした。高さの違う2点を曲線で繋いでいます。

龍が天を昇る姿をイメージしてつくられたのだそうですが、そんな風に見えますかね??

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▼お城の建物の通路までやって来ました。

時にもう16年も前の4/26頃でしたが、桜の花びらが散り落ちた中を通って行きました。

まだ近畿でも北部だからか、開花も散るのも時期が遅かったと思われ、近畿では中南部だと4月末に桜の雰囲気など消え失せています。

実際ここへ来た時も、そんな期待などしていなかったのですが、想定外に桜の舞う姿が見られたので、実にうれしい誤算でした。

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▼福知山城は平山城ということで、少々上っていきますが、それだけに見晴らしも相応の素晴らしさがあり、福知山の街の景色も御覧の通り、という訳です。

ライトアップの記載もあるので、夜のお城は光に照らされて、より一層にきれいな景色となるのでしょう。

昼は昼でこの雲の浮いている光景が、なんともいえない素晴らしさがありました。

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▼さて、お城と桜の景色です。

4月末でもこんだけ咲いていました、2003年の事ですが…。

GW初期に桜の舞う(もちろん桜の咲いている)福知山城が見れる、という事です。

同時期に長野や山梨などでも見た事はありますが、近畿でも北部ならば見れる、というところですね。

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▼打って変わってこちらは、緑の木々とこれに隠れる福知山城の画です。

謎のベールに包まれた要塞の様でした。

冬は木々か枯れて、お城の本体の様子がかなり見えやすくなっているのでしょうか。

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▼福知山城の二の丸の部分です。

左手前の建物は銅門番所とよばれる建物で、福知山城では唯一の現存する建物だそうです。この辺りは藩士などを詰めさせて、容易に入れないようにガードしていたといいます。

ちなみに現在のような縄張りを行ったのは明智光秀であるといわれています。

お城の歴史としては室町時代からあるとされていますが、築城年は1579年で、光秀の謀反による本能寺の変はそのわずか3年後に起こる事となります。このお城はそんな歴史の生き証人ともいえる場所で、光秀は信長を自害に追い込んだものの、その後戦いに敗れ果てに殺害されるという暗転を迎えます。そんな激動の時代をこのお城も眺めてきたのでしょうか?光秀が居城していたのはわずか3年の短さでした。

その後、秀吉の養子から始まり様々な武将の手により治められてきましたが、最終的に江戸時代末期までの200年間にわたり朽木氏が藩主として福知山を治めてきました。

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▼福知山城の天守です。

石垣の外形がとても整っていて、その上に濃い茶色の板張りが乗っかっていて、白壁の妻入り屋根と建物が重なるという、独特の色遣いのお城、という感じで、個性がとてもよく出ていてイイネ!と感じました。

不自然なくらい綺麗な形で整った建物で、逆に歴史を感じさせない部分があるとは思わされますが、スタイリッシュで良いとも思いました。

日本百名城、などというのがありますが、このお城はそれにこそ選ばれませんでしたが、2017年に「続日本百名城」という事で、つまりは日本百名城に続く101~200番目のお城を決める際に選出されています。中へは入る事ができ「郷土歴史館」という事で営業されており、おとな310円で入場可能です。毎週火曜日が休みなので要注意です。

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という事で福知山城でしたが、このGW期間の初期であれば、十分桜と共に写真が撮れる可能性がありますので、これからの時期おススメかと思います。

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