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2019年10月の4件の記事

2019年10月27日 (日)

ゴルフスコアの変遷

いつもの旅記事とは関係ありませんが、今回はたまに参加するゴルフで出したここまでのスコア変遷と共に、色んな事を書いていこうと思います。

 

◆第1回◆

スコア:173 (OUT84/IN89)

記念すべき第1回の参加でした。

実質40代後半で始めたゴルフ、直前の2週間になってからほぼ練習を始めた感じで、休日も平日もとにかく時間つくって急造で練習していました。

何しろコースに出た事がなくて、ひたすら打ちっぱなしで練習をして、手の皮ボロボロになっていました(ヘタの証拠ですが…)

練習もそこそこにコースに出た途端、フェアウェイの幅の狭さに戸惑いました。 「フェアウェイ、これだけ??」てな感じで。

とはいってもそもそもまず「前へ飛ぶかな??」からでした。フェアウェイの狭さも関係なしで、そもそもOBするほど飛ばなかったので。

初コースだったし、練習の時から意のままに全く飛ばないし、当たらない事も多々あった状態で、スコアがいくつになるか全く想像がつかない状態でラウンドしていました。

案の定ホールごとのスコアは12、15、12…みたいな感じで、つまりPAR×3倍のギブアップしたところもあったり、空振り、チョロ、転がり…ほとんどそれだったような気がします。

ドライバーはまともに飛ばないし、150ヤードまっすぐ飛べば万々歳モノでした。4人でコース回るうち、1人だけ全然飛ばないんで皆がカートに乗って悠々と次のショットへ向かうところを、1人で走り回っていました。

マナーも分かってなかったので、バンカーに入った時や、グリーン上の立ち振る舞いも分かっておらず、かなり常識はずれな事もしていたと思います。

そうしていくつかのホールを、同行者に打撃指導を受けつつ回って、初めて出たOUTの9ホールスコアは「84」。このままのペースでいけば、168で回る事になる、というのも見えてきました。

やる前は200ぐらい行くかな、入らずにギブアップしたらMAXで216か…とか最悪の事ばかり考えて回っていたので、とりあえず80台で済んでホッとしました。初心者丸出しのレベルですが…

 

お昼ご飯を食べて一息ついて、後半のINも同様に必死で回って、更に苦労しました。結果89と、OUTより更にダウンし、結果173。

周りから「よく数えたな」と言われた苦いデビュー戦でした。

がしかし、GROSSで下から3番目、下に2人いたのがまたビックリでした。

この時は空振りもしたし、チョロで数メートル転がって、同じとこら辺で何回振ったか、という感じでしたね、2年以上経った今、あんまりうまくなったとは思えませんが、それでも空振りはしなくなった点については、上手くなったのかな、とは思えます。

 

◆第2回◆

スコア:162 (OUT85/IN77)

1回目から半年開けての参加です。以後ずっとこのペースです。

それまで結構練習して、それでもこの程度でしたが、結果的には一応スコアは上がりはしました。

さすがにこの173から上がらなかったらヤバいだろうというところで。

INではなんとか70台におさめられて、OUT/INで初めて80を切りました(笑)、それでもパーの2倍以上ですが…

この時は朝から雨で大変でした。それもあってか、OUTでは前回より更にスコアを落として前回84に対して85でした。

このままでは170ペース、いやもっとスコア落ちるか?前回より落ちる??とかまた色々想像しました。なんとか初めて80以内に抑えられましたが…。

雨で地面がぬかるみ、バンカーから何回打っても出られず、それで大叩きしたのが、この85に含まれていて、それを2回くらいやっていました。なのでそれがなければ前回より上がってるはず、というのはありました。

アイアンは前回の初ラウンド時に7番しか使わず、ドライバーと7番トパターしか使わなかったのを、途中で自分のクラブセットに買い足した5番もつかったりしましたが、5番はこの次のラウンド以後練習で急に使いこなせなくなり今に至るくらいの重症になってしまいました。

この時も1ホールで10を超す事の方が殆どで(そりゃそうですね、162なので18で割ると平均9打なので)、ひとケタで済んでよかったと思ったり、正直実際何打かよく分からなくなってたりもしました。

最終的には初回とあまり変化が見られなかった感じでした。ただ変わったのは、谷越えができるようになったことですね。初回では谷があったらまず越えられなかったので(それくらい飛ばなかったです)。

 

◆第3回◆

スコア:148 (OUT79/IN69)

3度目にして初めてOUT/IN通じて80以上がなく、INでは60台にする事ができ、それなりに進展も感じた回でした。

ただ前半のOUTは84、85…ときて、大して変わらない79で、最終的にあんまり変わらないのかな??と思いつつ回っていました。

この時はグリーン近くでSWを活用し始めた時で、恥ずかしながらそれまでSWの使い道もよく知らず、グリーンが近づいたら9番を使っていた感じでした。

この時は5番7番SWを使っていました。

最初に比べ何が良かったのかは単にドライバーが最初よりは飛ぶようになったのですが、この回はスコアをあげるある種作戦として「プレ4」を有効活用していたところもありました。

ドライバーでOBすると「プレーイング4」で次が4打目として残り150ヤー辺りで打てるので、それまでならばこの地点で4打目どころかもっと打っていたので、4打目で自動的にここに到達できるルールは逆に有難かったです。

残り150ヤードを刻んでグリーンに持っていく形でやっていました。今もですがなかなかグリーンオンできないので、とにかく近づけようという事だけでした。

正直、後の事はあんまり覚えておらず、プレ4を有効活用して、かねてよりの目標?であった150をとにもかくにも切る事ができた、というそんな回でした。

 

◆第4回◆

スコア:138 (OUT72/IN66)

前回より10上がりましたが、ようやくそれなりのスコアになって、ド初心者より1ランク上がったかな?と感じたのがこの時でした。

目標はとにかく前回148から1打でも上げる、というただそれだけでしたが、130台に入れると思ってなかったので、それは本当に良かったです。

グリーンオンはできないながら、グリーン傍までのアブローチはなんとか早めにできるようになったかな、というのがこの回から感じた事です。しかし痛かったのが、この回以前の練習から5番アイアンが全く打てなくなってしまい、全然まともに当たらず、とても実戦で使えない!と思い、現在に至るまで封印するようになったことです。

またフェアウェイウッドも安定性に不安があり、使った事がなかったので、ドライバーショットでフェアウェイに打てても、2打目を7番アイアン以下で使うしかなかった、という状況でした。なのでグリーンオンが遅れたりしていました。

あと明確になった課題として、グリーン傍からのアプローチです。これが今に至るまで苦手で、いつもグリーン手前数ヤードくらいに落ちる為、グリーンオンがかなり苦労し、SWで打った時に飛び過ぎてしまい、反対側のグリーン外へ出てしまうという、これを結構何回も繰り返しては克服できませんでした。

ただこの時はバンカーに殆どハマらなかったので、そこは助かりました。

 

◆第5回◆

スコア:140 (OUT70/IN70)

2回目よりずっとスコアは上がり続けていて、今回の目標は130を切りたい!でしたが、それどころか初めて前回よりスコアが落ちてしまいました。

ほぼ前回同様の展開であり進展もなく、使えたクラブもおんなじという感じでした。5番アイアンもフェアウェイウッドも使えずで。

アイアンはそれまでの練習でボロボロで、始めた時よりヘタになってる気すらして使うの怖かったのですが、7番はなんとかそこそこいい具合に当たってくれました。

課題的にはやはりグリーン手前に球が落ちる事と、その後のカバーで往復する事です。2往復以上は不思議と、しないのですが。

3回目から同じようなレベルで停滞しているかな、と感じたのがこの回でした。ただし人生で初めてボギーがとれたのもこの回で、ダブルボギーすらラッキーものでしたが、ボギー取れて感激していました。それまではそれどころではなかったですからね、PAR4を8打とか。

どうも5~10ヤードくらいのやつを球をあげてなかなか打てない…という厄介な課題が付きまとい続けています。

 

◆第6回◆

スコア:116 (OUT54/IN62)

3回目よりの課題が克服できないまま、練習もロクにできないまま迎えてしまい、前回同様140くらいになるのかそれくらいで済めば御の字、と思って臨んだ回でした。

実際OUTの5ホールまで35で、このまま行って130くらいかな、というところでした。

ところがその後から神がかり的なプレーができて、生まれて初めてパーがとれたのを含め、あと全部ボギーとか、何か憑りついたのかというぐらい、ドライバーは悉くうまくいき、パターも入る(ピン近くで止まればプラス1打でOKというルール)し、絶好調で、こんな事はもうないだろうというぐらいツキまくっていました。

後半は多少スコアを落としましたが、前半の神がかりとは言わないまでも、ドライバーの好調が続き、OBを殆どせず、またこの回ではそれまでショートホールのティーショット以外で封印していたフェアウェイウッドを遂に2打目以降に使いました。そしてそれがまたうまくいって、グリーンアプローチが楽になりました。

相変わらずグリーン傍からのアブローチはヘタでしたが、往復は少し減りました。転がって無理矢理グリーンオンなんてことも何度もありましたが…。

INの後半はOBが増えてプレ4していたので、そこはスコアダウンの要因になりましたが、最終的に116.

恐ろしいほどの好結果が出て、そろそろ趣味はゴルフです、と言っても良いかな、とか調子に乗りたくなるくらいでした。

やはり課題はグリーン傍からの寄せでした。ただしバットは往復は全くなく、これ以上望めない程度だったかなと。

ショートホールでの失敗が目立ち、6打とか8打とかやってしまったので、ここも課題となりました。

とにかく「100を切る」なんて一生考えもしないであろう事を、このスコアが出た事によって考えるようになって、妙に色気づいてしまいました。

それまで上がり目も感じられず、モチベ自体も上がらず、ずっと140レベルで停滞するのかな?そろそろ辞めようかな?と思っていたところにこのスコアです。これはもう100切る練習と戦略を、となってしまっております。

 

2019年10月23日 (水)

このブログの今後の運営について

いつも当ブログをご愛顧いただき、誠にありがとうございます!

 

いつも旅記事を中心にお世話になっていますが、今後このブログの更新に関して「制約事項」が出てきましたので、この記事では今後の運営につき記したいと思います。

 

まずは、このブログの続編としてAmebloで「続トラベルとかナントカ」を立ち上げていますので、これからは本来の旅記事については、こちらをメインに更新を重ねていきます。

 

そして、こちらのブログ更新の「制約事項」とは…、、写真のアップロードにつき限度の2GBに近づいている事で、現在既に1.93GBを使用しており、残り写真を載せられるのは極々限られた状態になって来ています。

 

その為に、これまでのペースで容量や枚数を載せていると、あっという間にメモリ限度に達してしまう為、今後は

①写真を使わない記事(今回のような)

②小容量の写真で済む記事

これらを基本線として、細々と更新を重ねてゆこうと思います。

更新をしないのも、アクセスが亡くなってしまう等の心配があり(またアメブロの続編ブログのアクセスも芳しくない事もあり)、よろしくないと思い、更新自体は頻度が落ちても、していこうと思っています。

 

今後細々となっていきますが、これまで載せた記事の写真は、これからも生き続けていきますので、これからも引続きご愛顧のほど、宜しくお願いします。

2019年10月19日 (土)

カントリー・ガールズの事実上解体

♪午後10~時のSNS~

という感じで、ハロプロ界に激震が走りました!

http://helloproject.com/news/11156/

カントリー・ガールズが「活動休止するとの事。

活動休止、とありますが、事実上の解散、解体です。

 

2人の専任メンバー(山木梨沙・小関舞)は卒業、更に「アンジュルム」との兼任メンバー(船木結)までも卒業、

残るのは「モーニング娘・'19」との兼任メンバーである(森戸知沙希)ただ一人…。

激震でした、専任メンバーもですが、まさか兼任メンバーまで卒業するとは…

 

カントリー・ガールズは元々はTVで世に出た「里田まい」らの「半農半芸」を標榜するアイドルユニット「カントリー娘」がその母体であり起源であった訳ですが、その後事実上の活動休止をしつつも、里田さんが1人で残ってグループの看板を守っていた格好でした。

その後2014年に、、里田さんがスーパーバイザーに就任する形で、グループの一線から離れ、当時Berryz工房の無期限活動停止を公表していた「ももち」こと「嗣永桃子」をプレーイングマネージャーとして兼任させ、新メンバーを5人抜擢して、カントリー娘からグローバルに通用するように「カントリー・ガールズ」と改名して再始動しました。というwiki的な事をサワリとして(笑)

ももちはBerryz工房活動停止後に専任となりますが、その後2年余りの間「ももちイズム」を仲間に叩き込み2017年6月に卒業します。これは既定路線だったので、惜しまれつつも皆彼女の夢を応援する形で、送り出されていった訳です。今回の激震とは真逆の状況と言ってよいです。

問題はその後で残ったメンバーから山木梨沙ちゃんをリーダーにするなどして、ももちイズムを継承しながら「第二章」をスタートするものだと勝手に思っていましたが… 

ナントその後の展開は「山木・小関は学業と両立しつつ活動を抑えて継続」、「森戸・梁川・船木は他のグループと兼任」というここからが迷走でした。

その後、カントリー・ガールズとしての活動が著しく減り、新曲はハロコンに合わせて出る程度で、通常のシングル的には売り出されず、またシングルのリリースイベントはなく、節目のイベントだけで、なんとも細々とした活動展開となり、他グループとの兼任メンバーにとっては、兼任先が主で、カントリーがたまに帰ってくる実家的な感じになっていきました。出される曲は概ね可愛いものが多く、好評ではありましたが、一定のところで無難にまとまっている感じがして、冒険心がないというか、カントリーのもうひとつの味であったオールディーズ的なものは完全になくなってしまいました。

 

これはカントリー・ガールズ改名初期の頃に行ったイベントのポスターです、4年半ほど前ですがナント懐かしい…今は亡き「千里セルシー」です。

写真横になってすみません、修正できないもので…

まなかん(稲場愛香)デコ出し設定だったよな、と…

そしてうたちゃんはカントリーヲタの希望だったよな、とも。この2人とも途中で離脱してしまいましたが。

Dsc_1198
Dsc_1199

 

これはその3か月後、1人脱退して5人体制になった時のものです。

カントリーのミニライブあんまり行ってなかったけど、こういうイベントもほぼ「ももち先輩」がいた頃だけだったかなというところです。

この時は、うたちゃんロスみたいなのが結構あった頃ですね。新生カントリーの超人気メンバーでもあったし。

Dsc_1575

 

↓上の写真のから1年少し経って、こんなのもあったな、という事でこれは、追加メンバーとして加入したふなっき(船木結)とももち先輩との姫路でのトークイベントの時のです。

ラジオ関西の番組の公開録音で、番組タイトルコールをヲタ全員でやってたっけ?と思い出されます(自発)

ふたりともちっちゃいので、後ろからだと全然見えませんでした(笑) 声だけ聴いてる感じで。

Dsc_2045

 

これは2017年3月のSATOYAMAイベントの時のものです。

やはり追加メンバーだったやなみんとももち先輩とのショットですが、このときもう「ももち」は卒業を発表していて、残された時間を過ごすという状態でした。

Img_b8u0cd

ももち卒業後に、著しい活動縮小があり、それなりに皆の理由づけにより色々動いていった訳ですが、その中で色んな力が働き、その中には無理な力もあったように思います。

なんとなく、もう死に体の状態を保持するようにしか見えなかった、と感じた時もありました。

フルに活動する状態に戻すには、また兼任メンバーの兼任を解除しなければならない訳で、結局それはしなかった訳ですね。

ここの事務所は「とりあえずこうする」と暫定的に置いたものはそれが定着する、のがほぼ100%だったので…。

 

今となっては残された時間を楽しむ事と、新たな道へ進むメンバーの発展・多幸を祈るばかりです。

 

2019年10月 6日 (日)

JR高原駅 (宮崎県西諸郡高原町)

宮崎県西諸県(にしもろかた)郡高原町のJR高原(たかはる)です。

高原町は宮崎県の南西部に位置し、人口は8,725人(2019.6.1現在)で、「天孫降臨」伝説の神話のふる里として知られています。

また、町名が示すように高原が広く、町域の50%を高原が占めているという、高原の町というわけです。

-JR高原駅-
【路線】
JR吉都線(吉松-都城間)
【開業】1913年5月11日
【訪問】2019年1
【1日あたり平均乗車人員】 94人/日 (2015年) 
【近隣の主要駅】 (吉松方面) 小林駅→2駅 
           (都城方面) 都城駅→7駅

▼高原と書いて「こうげん」でもなければ「たかはら」でもなく「たかはる」と、いかにも九州らしい読み方の町であり、駅であります。

この時は、霧島温泉郷の旅から始めて、初日は霧島温泉郷のホテルで泊まり、そこから霧島温泉駅へ出て、吉松駅まで来て吉都線に乗り、次の宿泊予定地である都城へ行くまでを楽しんでいました。 

これであっさりと都城まで行くのも味気なく、時間的な余裕もあったので、どこか吉都線の駅で1ヶ所寄りたい と思い、どこにするか??となったのですが…

その条件として…

 ・自治体の中心駅

 ・行った事のないところ

で考えると、答えはこの駅だけになり、やって来ました。

しかし本数をかなり気にしないと…というところで、やはり計画は大切です。

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▼ホームは幅の広いホームに1面2線の形です。

この時は両サイドに電車が停まっている形でした。

片方には吉都線のキットカット電車が停まっていました。

ホーム屋根はそこそこの長さが取られていて、ホーム幅の広さもあって、ワイドな屋根となっていました。ちょっとばかり大規模駅感が垣間見られる、そんな感じでした。

ちなみに優等列車の停車などは特にありません。

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▼ホームは1面のみですが、そのホームと改札を繋ぐものとして、構内踏切が設けられていますが、跨線橋はありません。

利便性という点だけでは非常に良いのですが、設備としては寂しいものがあり、規模の小ささも感じてしまいます。ホーム屋根は大きめなんですが…

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▼ホームから離れていく方向の線路の様子です。

電車が通り過ぎていくところ、田舎町を儚く通っていく、どこか寂しさを感じました。

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▼駅にあった、いかにも手書きの味のある看板で「神武の里 高原」とありました。

ここ高原町は歴代天皇の初代である神武天皇伝承地として、生まれた時の産湯とされるもの、おなじく生まれた時の穢れを落とした池、等々さまざまな伝承物があるといいます。

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▼写真が横になりすみません。

路線図と時刻表です。

路線図は見えにくいですが、右上の赤い部分が当駅湖で、そこから下へ茶色の路線が吉都線で、ブルーのライン(日豊本線)と交差する部分が都城駅です。

この路線図においては都城がもっとも都会です。そしてその都城駅までは560円となっていました。というこの時も、この駅から都城駅へ行って宿に辿り着きました。

時刻表は御覧の通り、1時間に2本以上ある時間帯はありません。

加えて、0本の時間帯も多数あり、上下線とも1日に8、9本しかありません。「計画が大事」そのもので、よく時刻表を確かめて旅しないとエライ事になります。

特に吉松方面は8時10分の次は13時05分まで、約5時間電車がありません

都城・宮崎方面は20時30分が終電で、これを逃すと電車は来ません。

心して旅しなければ…

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▼駅舎内の様子です。

1本の通路がある両サイドに待合室と「駅市」のスペースがありました。

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▼高原駅の駅前広場です。

真ん中部分に丸く植込みが設けられ、ロータリーが形成されていました。

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▼高原駅開業100周年記念碑がありました。

大正初期の1913年に開業したので、2013年にこれが造られたといいます。

斎藤茂吉がここ高原駅から高千穂峠を眺めて詠んだとされる歌です。

 

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▼たかはる駅前イルミネーションとして看板が出ていました。

この時は明るいうちに着いたので、イルミネーションがあるんだなと思った程度でしたが、暗くなるまで居たので、その効力を後で知る事となります。

この時は今年の年始でしたが、おそらく季節限定のものだと思います。

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▼高原駅の駅舎です。

この駅名表示にも、下の部分に「神武の里 たかはる」の表記があります。

高原観光センターとの合築の形で、駅舎も少し大きめになっています。

屋根がいくつもつくられていて、妻も出ていたり、かなり凝った面が見受けられました。

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▼最後にこれは、高原駅駅舎の夜の風景です。

電車がなくて2時間ほどいる事になったので、この駅の夜景を見る事ができました。

寄る所、というか時間つぶしに少々苦労しましたが、暗くなるまで居る事ができて良かったです。

ロータリーの真ん中も円錐?状に電飾がなされていたのは勿論、駅舎の軒下にも電飾が張り巡らされていました。

2017年では12/1にイルミネーションの点灯式があったとの記録があり、今年も同じであればもう2ヶ月もしないうちにここにまた灯りがつくことになるのかなと。

中途半端に明るく写っているので、ものすごい風景という訳ではないのですが、実際これより暗かったので素晴らしいものでした。

ここだけでなく、周辺の施設にも電飾がなされていたのもありましたので、それを楽しむ事もできます。

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