2024年12月
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31        
無料ブログはココログ

« JR高原駅 (宮崎県西諸郡高原町) | トップページ | このブログの今後の運営について »

2019年10月19日 (土)

カントリー・ガールズの事実上解体

♪午後10~時のSNS~

という感じで、ハロプロ界に激震が走りました!

http://helloproject.com/news/11156/

カントリー・ガールズが「活動休止するとの事。

活動休止、とありますが、事実上の解散、解体です。

 

2人の専任メンバー(山木梨沙・小関舞)は卒業、更に「アンジュルム」との兼任メンバー(船木結)までも卒業、

残るのは「モーニング娘・'19」との兼任メンバーである(森戸知沙希)ただ一人…。

激震でした、専任メンバーもですが、まさか兼任メンバーまで卒業するとは…

 

カントリー・ガールズは元々はTVで世に出た「里田まい」らの「半農半芸」を標榜するアイドルユニット「カントリー娘」がその母体であり起源であった訳ですが、その後事実上の活動休止をしつつも、里田さんが1人で残ってグループの看板を守っていた格好でした。

その後2014年に、、里田さんがスーパーバイザーに就任する形で、グループの一線から離れ、当時Berryz工房の無期限活動停止を公表していた「ももち」こと「嗣永桃子」をプレーイングマネージャーとして兼任させ、新メンバーを5人抜擢して、カントリー娘からグローバルに通用するように「カントリー・ガールズ」と改名して再始動しました。というwiki的な事をサワリとして(笑)

ももちはBerryz工房活動停止後に専任となりますが、その後2年余りの間「ももちイズム」を仲間に叩き込み2017年6月に卒業します。これは既定路線だったので、惜しまれつつも皆彼女の夢を応援する形で、送り出されていった訳です。今回の激震とは真逆の状況と言ってよいです。

問題はその後で残ったメンバーから山木梨沙ちゃんをリーダーにするなどして、ももちイズムを継承しながら「第二章」をスタートするものだと勝手に思っていましたが… 

ナントその後の展開は「山木・小関は学業と両立しつつ活動を抑えて継続」、「森戸・梁川・船木は他のグループと兼任」というここからが迷走でした。

その後、カントリー・ガールズとしての活動が著しく減り、新曲はハロコンに合わせて出る程度で、通常のシングル的には売り出されず、またシングルのリリースイベントはなく、節目のイベントだけで、なんとも細々とした活動展開となり、他グループとの兼任メンバーにとっては、兼任先が主で、カントリーがたまに帰ってくる実家的な感じになっていきました。出される曲は概ね可愛いものが多く、好評ではありましたが、一定のところで無難にまとまっている感じがして、冒険心がないというか、カントリーのもうひとつの味であったオールディーズ的なものは完全になくなってしまいました。

 

これはカントリー・ガールズ改名初期の頃に行ったイベントのポスターです、4年半ほど前ですがナント懐かしい…今は亡き「千里セルシー」です。

写真横になってすみません、修正できないもので…

まなかん(稲場愛香)デコ出し設定だったよな、と…

そしてうたちゃんはカントリーヲタの希望だったよな、とも。この2人とも途中で離脱してしまいましたが。

Dsc_1198
Dsc_1199

 

これはその3か月後、1人脱退して5人体制になった時のものです。

カントリーのミニライブあんまり行ってなかったけど、こういうイベントもほぼ「ももち先輩」がいた頃だけだったかなというところです。

この時は、うたちゃんロスみたいなのが結構あった頃ですね。新生カントリーの超人気メンバーでもあったし。

Dsc_1575

 

↓上の写真のから1年少し経って、こんなのもあったな、という事でこれは、追加メンバーとして加入したふなっき(船木結)とももち先輩との姫路でのトークイベントの時のです。

ラジオ関西の番組の公開録音で、番組タイトルコールをヲタ全員でやってたっけ?と思い出されます(自発)

ふたりともちっちゃいので、後ろからだと全然見えませんでした(笑) 声だけ聴いてる感じで。

Dsc_2045

 

これは2017年3月のSATOYAMAイベントの時のものです。

やはり追加メンバーだったやなみんとももち先輩とのショットですが、このときもう「ももち」は卒業を発表していて、残された時間を過ごすという状態でした。

Img_b8u0cd

ももち卒業後に、著しい活動縮小があり、それなりに皆の理由づけにより色々動いていった訳ですが、その中で色んな力が働き、その中には無理な力もあったように思います。

なんとなく、もう死に体の状態を保持するようにしか見えなかった、と感じた時もありました。

フルに活動する状態に戻すには、また兼任メンバーの兼任を解除しなければならない訳で、結局それはしなかった訳ですね。

ここの事務所は「とりあえずこうする」と暫定的に置いたものはそれが定着する、のがほぼ100%だったので…。

 

今となっては残された時間を楽しむ事と、新たな道へ進むメンバーの発展・多幸を祈るばかりです。

 

« JR高原駅 (宮崎県西諸郡高原町) | トップページ | このブログの今後の運営について »

芸能・アイドル」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

« JR高原駅 (宮崎県西諸郡高原町) | トップページ | このブログの今後の運営について »