2023年6月
        1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30  
無料ブログはココログ

« 2022年5月 | トップページ | 2022年7月 »

2022年6月の9件の記事

2022年6月27日 (月)

生活と思い出と世の中と(2014年)

過去へと遡っていく「生活と思い出と世の中と」。第8回は2014(平成26)年です。

 

ここまでくると、「少し昔」感があるように思います。8年前、個人的には44歳になる年でした。

消費税が8%になった年で、「笑っていいとも!」が遂に終了した年でもありました。

 

●仕事

4月に新部門へ移り、前の部門が解散してあちこちバラバラになる形であてがわれました。部下が増えて2人から4人へ。それもありつつ正直、ちょっと上にややこしい存在がついて、色々振り回される事となり、2015年末までなかなか厳しい状況でした。

消費税率変更に伴う端末の仕様変更を含めた説明会という事で、地方巡りしたりもしていました。

 

●ニュース

まずは消費税が5%から8%へ変わった事でした。今は10%の消費税が8年少し前までたったの5%と、実にかわいいものだったという事に驚きを禁じえません。

そして「笑っていいとも!」の終了です。1982(昭和57)年から32年間にわたる平日ぶっ通しの放送。前番組か1980(昭和55)年にスタートした「笑ってる場合ですよ」の後番組で、タイトルもそれっぽいものとなり、当時は漫才ブームの州延期で、そんな時代からずっと放送が続いてきたのは本当にすごい事ですね。

不祥事がらみで時の人が発生した印象の強い年でもありました。「STAP細胞」の話だとか、この真偽は正直よく分かりませんが、我が県の議員が泣きながら会見してるあれがパフォーマンスにしか見えませんでした…。大人になって声を上げて泣いたことがないので尚更分かりませんでした。

大阪の「あべのハルカス」の開業がこの年でした。

ソチ五輪が開幕し、羽生結弦選手が男子シングルで初の金メダルを獲得し、男子のフィギュアスケートでは本当に快挙でした。

マレーシア航空機が突如行方不明となり、後に誤って撃墜と報道され、既にロシア-ウクライナの戦闘があり、その犠牲になったといわれていました

 

●訃報

やしきたかじんさん …関西を代表するタレントにして歌手。枠を超えた司会者としても人気を博す

高橋昌也さん …大映ドラマのナイスミドルにして腹黒い人物を演じる事が定番の重鎮

永井一郎さん …サザエさんの波平さんをはじめ、当たり役多数の昭和の名パイプレーヤー声優

宇津井健さん …ザ・ガードマン、「赤い」シリーズはじめ大映ドラマシリーズで主演級として一世を風靡

安西マリアさん …「涙の太陽」などのヒットで知られるアイドル歌手

高松英郎さん …頑固おやじの似合う名バイプレーヤー。「華の嵐」の朝倉景清役では1本筋の通った軍人役

蟹江敬三さん …初期は狂気の悪役。「Gメン'75」で演じた殺人鬼が有名、後には人情派刑事役もお馴染みに

佐野実さん …「ガチンコ」で一躍有名になった「ラーメンの鬼」

レツゴーじゅんさん …レツゴー三匹の最若手にしてギャグメーカーも最初の物故者に

林隆三さん …独特の低音でハードな作風の主人公や、たけしくんハイの父親など幅広い役で存在感のあった俳優

山内久司さん …「必殺」シリーズの名プロデューサー

竜虎さん …大相撲出身のタレント。司会に俳優に活躍、料理天国や「暴れん坊将軍」の関取。

土井たか子さん …日本社会党で初の女性委員長で、マドンナ旋風で党を押し上げた功労者

香川伸行さん …浪速のドカベンとして鳴り物入りで南海入団も失速

二代目桂小金治さん …「それは秘密です」が有名な司会者にして、時代劇の脇役でも活躍

貝原俊民さん …元兵庫県知事。阪神大震災対応に尽力

ジョニー大倉さん …矢沢永吉氏と共にキャロルを結成しロックをメジャーに。解散後ソロ歌手・俳優でも活躍

菅原文太さん …東映任侠路線「仁義なき戦い」を大ヒット、「トラック野郎」シリーズでも人気

●プロ野球

楽天の星野監督が前年優勝しましたが、この年に退任し、監督キャリア最後の年となりました。

オリックス・平井投手、中日・三瀬投手といったデビュー時にハデな活躍で躍り出た選手たちが引退しました。この二人に共通しているのは、デビュー年の印象が鮮烈で、その後精彩を欠きつつも長く現役生活を続けていた事でした。同年代では広島・横山投手、ロッテ・里崎捕手など一筋で活躍してきた選手たちも引退しました。

●大相撲

琴欧洲が大関から陥落し、関脇で臨んだ初場所、8勝7敗に終わり、関脇で10勝以上ならば大関復帰できたところが実現ならず、ただ勝ち越した事で関脇の地位を保つことはできました。翌春場所は初日に勝ったものの、その後は連敗を重ね1勝9敗となったところで引退しました。

その他は小結を務めた若荒雄が引退しました。

幕内では白鵬の天下で、春場所以外の5場所を優勝し、幕内最高優勝回数が大鵬の32回に並びました。また年間勝利数も実に81勝を挙げました。

●ハロプロ

8月にBerryz工房が「活動停止」を発表しました。来年3月3日のデビュー11周年をもって活動停止する、と。実質的な解散な訳で、ものすごくビックリした一方で、どこかでそろそろくるのかな、というのはありました。ラストシングル「ロマンスを語って/永久の歌」が最後に最高売上を更新し、いい形になったのはせめてもの救いでした。

モーニング娘。がこの年からモーニング娘。'14など、この年から後ろに「年」を冠する事となり、楽曲と発売年が分かり易いように、との事で始まりましたが、この流れは現在も続いています。12期メンバーとして4名の加入が発表されました。2022年の今もうち3人が残っていて、皆息長く活動しているなとつくづく感じます。
そして、人気メンバーでリーダーとしてもグループを牽引した道重さゆみさんが卒業しました。後任リーダーは譜久村聖さん、現在もリーダーなのでその在職歴の長さが分かるというものです。

スマイレージが春の「ひなフェス」で、初の武道館ライブ決定をサプライズで発表されました。当時会場に居合わせたので、大変びっくりしました。次の曲振りがなされて、イントロがなかなかかからない…と思ったらつんく♂氏の顔がビジョンにドアップで映って。そして7/15に無事初の武道館ライブが決行されました。日に因み「なぁ行こう」という事で。
その後は超多忙スケジュールで過密状態、地方ライブの連続で半分狂気と思えました。そして9月には新メンバーが加入する事と、更には「改名が発表されました。「スマイレージからの改名」にメンバーは全員、お通夜のような消沈状態でした。この当時のハロプロはこういう試練を見せる事が多かったと思います。結局10/4に新メンバーとして3期の3名が加入、この年末に「アンジュルム」への改名が発表されますが、この年から2021年まで8年連続で1人以上新メンバーが加入しています。改名は当初一般公募でしたが、結局はメンバーの中西香菜さんの案が採用されました。 この年はほぼ「スマイレージ」として活動していました。

 

●旅行

海外は夏にタイへ行ってきました。それまでで最も遠い海外旅行で、6時間のフライトに少々不安がありましたが、無事につきました。

それまで台湾、韓国しか行った事がなかったんで、初めてのカタカナ国でもあり、それらとは比べ物にならない長時間フライトで、時差2時間の国も初めてで、台湾韓国のような日本に近い感も薄く、それだけに素晴らしい文化や景色も感じられました。日本語での詐欺勧誘で、教科書通りの勧誘を受けたのも面白かったです。

ワットポーへ行くのに船で渡って、楽しかったです。タイ語なんて「コップンカップ」ぐらいしか喋ってないですねけど(笑)

P1010188_20220627214701

国内は、初めて「奄美大島」へ行きました。いつか行きたいと思ってきましたが、ようやくここで叶いました。名瀬の街歩きとかしましたが、意外と?都会的でした。

2022年6月25日 (土)

生活と思い出と世の中と(2015年)

遡ってお送りする「生活と思い出と世の中と」、第7回は2015(平成27)年です。

「爆買い」という言葉やもラグビー・五郎丸選手の「五郎丸ポーズ」が流行った年でした。

 

●仕事

今の地位になる一段階下にいた主任クラス最後の年でした。

で、年末に異動と昇格の発表もされ、プレッシャーもありつつ、やりがいと光明を感じた時期でした。こんなに評価されるのか、とも感じたり。とにかく45歳で課長になる事に。

自分自身が肩書についていかず「やれるのかな」と思い、今でも肩書に見合ってるとはとても思えないでいます。

異動前の部門でキツイ1年間でもありました。上とモロにぶつかったり。5年間参加した会議体を卒業し、翌年から1クラス上の会議体参加となりました。部下のひとりから恨まれたり…もありました。

 

●ニュース

北陸新幹線が開業し、長野-金沢間が新幹線で結ばれる事となりました。東京から金沢が3時間47分から2時間28分と約2/3になったといいます。

その新幹線絡みで、のぞみの車内で油を被っての焼身自殺が発生、巻添え被害者も出たといい、新幹線を多く利用する者としてなんとも言えないものでした…

和歌山電鉄のたま駅長が天国へ、いまだにここ行った事がないですが、一度見たかったです。

大阪都構想の住民投票があり、反対多数なんてのもありました。個人的には胡散臭さしかなかったですが…。

 

●訃報

斎藤仁さん …山下泰裕氏とならぶ80年代日本柔道の双璧の早すぎる死

10代目坂東三津五郎さん …坂東八十助の名で長く活躍した美形歌舞伎役者も早世

三代目桂米朝さん …関西落語界の重鎮の筆頭的存在。

愛川欽也さん …キンキンの愛称で「ハイ&ローゲーム」などで親しまれた司会者。トラック野郎では文太の相棒

加瀬邦彦さん …ザ・ワイルドワンズ。私鉄沿線97分署の音楽も担当。

萩原流行さん …2時間ドラマの悪役として君臨、バイク事故死

今いくよさん …くるよさんとの女性漫才コンビで一時代築く

今井雅之さん …性格俳優も涙のガン闘病会見直後に早世

小泉博さん …平日夜の帯番組「クイズ・グランプリ」の名司会

今福将雄さん …おじいさんを演じさせるとピカ一の存在感

たてかべ和也さん …ジャイアンやゴリライモなど巨漢の声が当たり役

貴ノ浪関 …元大関も43歳の早世

花紀京さん …昭和の吉本新喜劇を岡八郎氏などと盛り上げた「京やん」

庄司永建さん …西部警察の係長「だーいもんくぅ~ん」の甲高い声で有名

塩川正十郎さん …政界に飄々と生き延びた「塩爺」

中村勝広さん …阪神のスター選手にして指導者へのエリートコースを進む

8代目橘家圓蔵さん …旧名「月の家円鏡」でメディアでも有名になった落語家

盛田幸妃さん …大洋の中継ぎエースから、近鉄で脳腫瘍を乗り越えて奇跡のカムバック

深江章喜さん …時代劇・刑事ドラマでの用心深い悪役として活躍。

山根伸介さん …チャンバラトリオの甲高い声で存在感あり人気を博す

阿藤快さん …「なんだろな」で有名になった、悪役から旅人へ

北の湖関 …輪湖時代を築いた昭和の大横綱。「憎たらしいほど強い」といわれた

水木しげるさん …「ゲゲゲの鬼太郎」の作風が印象的。境港に水木しげるロードあり

野坂昭如さん …日刊アルバイトニュースの「犬洗い」バイトが個人的印象。大島渚氏との殴り合い。

 

●プロ野球

世代交代の激しい年でした。

まず50歳まで現役でありつづけた中日・山本昌投手が遂に引退しました。

更には巨人・高橋由伸選手が引退し、即監督に就任という長嶋茂雄さんと同じルートで巨人軍監督に就任しました。チーム事情があって、監督にならざるを得ず、強制的な引退感もあり少々残念ではありました。その高橋選手と同学年で巨人に移籍してきていた井端選手も同時に引退し、高橋新監督を支える事となりました。2,000本安打間近というところでの引退でした。

その井端選手が元居た中日では川上憲伸投手が退団。昔は「この選手はこの年で引退」というのが明確でしたが、現役への未練で浪人や翌年発表や…とズルズルしたものが増え、その人たちの自由ですが正直潔さが感じられず、いつ引退したか分からない選手が増えました。

2,000本間近というと、オリックス・谷選手が無念の引退、46歳まで現役を務めた日本ハム・中嶋捕手が遂に引退し、45歳の中日・谷繁兼任監督も捕手最多出場の記録を残して引退、200勝に近かった西武・西口投手や2,000安打を達成した中日・和田選手も引退、おなじく2,000安打達成のガッツこと中日・小笠原選手も引退、更には楽天・斎藤隆投手も引退、40代の大ベテラン選手がごっそりと去っていって、たぶん自分の中でこの時期を境にプロ野球離れが加速化していったと思います。あっという間に知らない選手ばっかりになりました。

他にも、オリックス・平野選手、阪神・関本選手、ソフトバンク・帆足投手、巨人・金城選手、広島・東出選手など活躍した選手の引退が多かった印象が強いです。

●大相撲

元小結・豊真将の引退に始まり、関脇として実力者だった旭天鵬や若の里といったベテランも引退しました。

照の富士が最初に大関昇進したのが、この年でした。

●ハロプロ

Berryz工房が、デビューした3月3日をもって、11年間の活動に幕を下ろし「活動停止」となりました。停止直前の有明コロシアムのライブは直接観に行きました。日本武道館のラストコンサートは、仕事の都合で映画館参加、少し遅れていきましたが、ライブ自体も少し遅れていたようでした。映画館でも多くの人たちが泣いてたのを覚えています。

スマイレージがアンジュルムへ、前年末に「改名」が発表されましたが、実質この年からアンジュルムとしての活動となり、前年加入した3期メンバーも実質この年から活動となりました。改名初シングル「大器晩成」はグループのカラーをも変える勢いに満ちた曲で、既にその後のアンジュルムを示唆していたようでした。 5月に初期メンバーの福田花音さんが卒業発表し、11月の武道館公演で卒業しました。

こぶしファクトリーが年初に結成され、9月にはメジャーデビューし快進撃のスタートとなりました。遅れる事数ヶ月4/29につばきファクトリーが結成されましたが、メジャーデビューは約2年後となり、対照的なグループの対照的なスタートになりました。「こぶしファクトリー」のネーミングは、ハロプロらしくぶったまげたものでしたが、「つばきファクトリー」は全然受け入れられて不思議なものでした。

モーニング娘。'15ではエースとして活躍した鞘師里保さんが卒業しました。

 

●旅行

種子島へ行きました。1泊でよいところを敢えて2泊で。なので結構ディープに巡りました。

会社旅行で城崎温泉へ。湯の町巡りができてよかったです。

海外は台湾へ、これは仕事で行きました。仕事では3回目でしたがこの時は会議参加だけだったので良かったです。プライベートでは初の中国!「大連」へ行きました。良くも悪くもとにかく「中国の文化」を身体で感じました。日本から近いので気軽に行きました。

▼金州駅(大連)

P1020235

北海道・小樽へ18年ぶりに行きました。石原裕次郎記念館へも再訪、この後に閉館になってしまいます。

浅草・浅草寺や京都の醍醐寺にじっくり居たのも思い出です。

 

 

ブログランキング・にほんブログ村へにほんブログ村

2022年6月24日 (金)

生活と思い出と世の中と(2016年)

遡って綴っていく「生活と思い出と世の中と」、6回目は2016(平成28)年です。

リオ五輪の開催された年でした。そして、まさかのSMAP解散も。個人的には46歳になる年でした。

 

●仕事

この年1月1日をもって、他部署への異動と昇進とが重なり、大きな節目となりました。

前の部門の数人を連れていく形で新部門に入り、これからいろんな事をやっていこう、と意気盛んだった年でもありました。

またすごく沢山の人たちが入ってきて、そういう意味での激変の年であったようにも思います。会社に長い事いると、そういう変化の大きい年ってあるものですが、まさにこれでした。

●ニュース

SMAPの解散がありました。彼らなら50代に入っても存続しそうで本当に「まさか」でしたが、実際ありました。

考えてみるとその後のTOKIO、V6、嵐…と考えてみても、やはり50代のアイドルグループは「存在しないもの」という事でしょうか。

東京都知事が現在の小池百合子さんになりました。舛添前知事の辞職を受けて。コロナ禍も含めここまで6年も務め上げておられるのはやはり立派ですね。

熊本地震がありました。益城町よく中継があったものでした。

軽井沢のスキーバス転落で15名の方々が亡くなられました。そんな事あるのか…と思いますが、人間の運転するものだし、長時間という事を考えると改めて怖いものと感じました。

北海道新幹線が開通、遂に新幹線が青函を越えました。まだ青森から北を新幹線で行った事がないので実感ありませんが、北海道の方は東京から新幹線で帰省されたりするのでしょうか?

相模原の障碍者施設で19人もの人が刺殺される痛ましい事件が起こりました。

清原和博氏の覚せい剤使用による逮捕がありました。

一方でイチロー選手が大リーグで3,000安打を達成しました。偉業すぎて規模感が分かりません…。

アメリカでトランプ氏が大統領に就任、奇跡のマジックレベルでした。

●訃報

4代目江戸家猫八さん …江戸家子猫として長年親しまれたモノマネ芸人で、父の猫八を次いでこれから、という時に…。

大平透さん  …「ハクション大魔王」の魔王に、「秘密戦隊ゴレンジャー」をはじめ初期戦隊シリーズのナレーターなど独特の低音

山本功児さん …巨人で王選手の後釜の一塁手、ロッテでレギュラーを取り、後に監督も務める

戸川昌子さん …作家にしてシャンソン歌手にして「プレイガール」の"影の女 マサコ"

蜷川幸雄さん …情熱的な演出家として有名、演劇文化に多大な発展をもたらす

工藤幹夫さん …1982年日本ハムで20勝して一躍有名になるも後が続かず

後藤次男さん …1970年代末期の阪神監督、解説者でも親しまれた「クマさん」

白川由美さん …姑役の女優として人気、二谷英明夫人

守田比呂也さん …昭和50年代フジテレビ「江戸の…」シリーズで定番のベテラン岡っ引き

鳩山邦夫さん …政治家。鳩山由紀夫氏の弟。麻生内閣の総務大臣。

永六輔さん …放送作家にして「上を向いて歩こう」の作詞でも有名

大橋巨泉さん …なんといっても「クイズダービー」。そして「11PM」に「ギミア・ぶれいく」。セミリタイア。

千代の富士 …昭和の大横綱。優勝31回のウルフ。

加藤紘一さん …YKKとして日本政治家のホープに挙がるも「加藤の乱」…

井上竜夫さん …吉本新喜劇の「たつじい」。「お邪魔しまーんのやわ」等のギャグで有名

肝付兼太さん …「ドラえもん」スネ夫など、昭和アニメに欠かせない存在

平尾誠二さん …神戸製鋼のラグビーで有名なミスター・ラグビー

小川宏さん …「小川宏ショー」で有名なキャスター

荒川博さん …王選手に一本足打法を指導。ヤクルト監督を務め、解説でも人気。

加藤初さん …巨人の先発投手として活躍した「鉄仮面」

 

国民栄誉賞にも輝いた千代の富士関の61歳の早世が衝撃でしたが、その後意外にあっさりしてた感がありました

 

●プロ野球

広島東洋カープが実に25年ぶりにリーグ優勝を果たした年でした。1991(平成3)年以来ですが、それまであれだけ強かったカープが長年Bクラスを続けていくとは…夢にも思いませんでした。

●大相撲

1月に大関・琴奨菊が優勝し、2006(平成18)年の栃東以来10年ぶりの日本人力士の優勝でした。

この年はその後豪栄道も優勝していますが、それまでいかにモンゴル勢の壁が厚かったか、という事ですね。

●ハロプロ

アンジュルムで田村芽実さんが卒業しました。ストイックで表現力に富んだトリックスターの損失はとても大きく、5月に武道館で卒業公演が行われ、清々しい笑顔で旅立ちました。スマイレージ不遇期から活躍してきた「2期メンバー」最初の卒業でした。

そして当時12歳の笠原桃奈さんが1人で電撃加入、発表からそのままパフォーマンスに入る異例のデビューでした。人見知り全開の中学1年生で、「この子大丈夫かな」と周囲の声もありつつ、5年後卒業時には押しも押されもしない自分の言葉を持ったすっかり強い女性になっていました、このへんのドラマがハロプロならではであり、またアンジュルムに入った事による効果ともいえます。舞台「MODE」観に行きました。

juice=juiceが地上波で主演した連続ドラマ「ドラマ武道館」が放送されました。実際のグループの武道館への進出も重ね合わせながらのドラマ展開、後にこのドラマの出演者(共演陣)から複数の不祥事が起きたのはショックでした。

こぶしファクトリーはメジャーデビュー2年目を迎え波に乗り、リオ五輪に合わせた「サンバ!こぶしジャネイロ」という曲もリリースされ♪4年後は東京~ と歌われつつ、この曲は年を経るごとにライブで♪3年後は~ ♪2年~後は ♪らいねーんは と変わっていきました。

つばきファクトリーは6人で頑張ってきましたが、メジャーデビューならず、8月には3人増員で9人体制になりました。しかし翌9月にサプライズでメジャーデビューが発表され、2017年に遂に実現する事となります。

モーニング娘。'16は明るいキャラクターの鈴木香音さんが卒業しました。

そして、、℃-uteの解散が発表され、翌年6月にラストコンサートを行う事となります。

●旅行

正月から香港へ行きました。初香港。入国時スタンプじゃなかったのが新鮮でした。海辺の夜景が印象的でした。高層ビルが色を変えながら動いているように見えたり。

Dscn2788

金沢へ1週間に2度も行きました。会社の旅行と、帰ってすぐにプライベートで。兼六園の夜景を初めて見たのと、金沢城の夜のライトアップが素晴らしかったです。

冬に九州の九重連山に行ったのも印象深い旅の思い出ですし、夏は滋賀県の伊吹山8合目までバスで上って、後は歩いて景色を楽しんだり。

草津温泉に初めて行きましたが12/24で、カップル地獄に陥りました。伊香保、水上温泉にもこの時行きました。

2022年6月21日 (火)

生活と思い出と世の中と(2017年)

1年ごとに遡っていく「生活と思い出と世の中と」、5回目は2017(平成29)年です。

 

今から5年前、振り返ればちょっと昔という感じはします。

平成も20年代最後の年で、個人的には47歳になる年でした。

 

●仕事

それまで、業務ラインそのものから外れた立場で物事を進めていたのが、業務ラインにモロに乗っかる立場として課の配置換えで就任し、あたふたし始めていた頃でした。といってもまだ翌年のような強烈なストレスに見舞われず、部下の仕事ぶりを温かく見守りつつ、組織をしめる役どころをしていた、そんな頃でした。全社プロジェクトの代表纏め役に就いたのもこの年で、ある意味自分のキャリアでピークだったかもしれません。

ピークだった、と書いたのはこの年の途中まで幹部の集まる会議体に出ていましたが、途中から参加なしとなりました。でもそれでよかったと思います。

●趣味?

この年初めてゴルフのラウンドを始めました。ゴルフクラブ握って打ったのは19歳の時に何度かありましたが、これは大学の体育の授業でした。

その時以来27年ぶりにクラブを握って、初のコンペに参加。46歳にして初ゴルフ、散々でしたね…173というえげつないスコアを叩きました。それでも下位に2人いましたが(笑)、次は少し良くなったけど162…。苦行でした。自分がドライバー飛ばないから、他の人はカート乗って進むけど、自分だけ走って2打目打って、組の人に追い付くまで打ち続けるという…。これでも後年は少し上がりましたけど…。

●ニュース

神奈川県座間市で9人分の遺体が発見された事件が衝撃的でした。

プレミアムフライデーが始まったのがこの年だったそうですが、その後どうでしょうか?今も採用している企業ってあるのでしょうか。うちじゃ検討にもならなかったですが…、最初見ただけで「これムリ」と思って見てました。

上野動物園で誕生したパンダの赤ちゃんがシャンシャンと名づけられました。昔はパンダの赤ちゃんが生まれて育つなんて、奇跡みたいに思っていましたが、ランランカンカンの頃とは全然違うんですね。

●訃報

神山繁さん …エリート系の上官などが当たり役、かなりの高齢まで第一線で活躍。

松方弘樹さん …任侠系の映画で一時代を築きつつユーモアある役もこなし、釣りを愛した人。昭和の芸能人の象徴的な存在

藤村俊二さん …おヒョイさんで有名、ドラマのコメディーリリーフや「ぴったしカンカン」の解答者でも有名。

中山三保さん …ミポリンではない吉本新喜劇の女優さん。

土屋嘉男さん …無骨な正義感、頑固おやじ、悪役まで幅広くこなした名脇役

かまやつひろしさん …ひょうしょうとした雰囲気で初期グループサウンズを支え、ソロでも「我が良き友よ」がヒット

渡瀬恒彦さん …渡哲也さんの弟にしてヤクザから良きお父さんまで幅広く演じ常にヒーローであり続けた人

京唄子さん …鳳啓助さんとの漫才に、渡鬼での姑に、しゃべくりで一時代を築く

野際陽子さん …元NHKアナから女優へ転身した草分け。お姉さんから姑まで高い存在感。

小林麻央さん …小林麻耶さんの妹にして、市川海老蔵さんと結婚して梨園へ。病の為早世。

永射保さん …ピンクレディー「サウスポー」のモデルといわれた左のリリーフ投手として西武日本一に貢献

上田利治さん …常勝阪急の名伯楽。イキのいい選手が出てくると「ええで」と絶賛

平尾昌晃さん …作曲家にして「カナダからの手紙」では歌ってヒット。必殺シリーズの音楽を担当

羽田孜さん …首相経験者にして短命内閣。半袖スーツ?で有名

篠沢秀夫さん …「クイズダービー」の1枠で一躍有名になった「教授」

真屋順子さん …「欽どこ」で欽ちゃんの奥さん役で一躍お茶の間の有名人に

深水三章さん …屈折した悪役を中心に活躍

 松方弘樹さん、渡瀬恒彦さんら、任侠系から刑事など、幅広い役柄でヒーローであり続けた人が相次いで他界、一時代の終わりを感じたものでした

 

●大相撲

稀勢の里が遂に横綱に昇進しました。当時はモンゴル勢がすごかった事もあり、既に30代になっていましたが、待望の日本人横綱といわれました。

そして新横綱の場所で激闘の末、優勝しました。しかし…これが最後の晴れ舞台で、以後は連続休場記録を塗り替えるほどの状況となり、新横綱の場所ですべてを使い果てしてしまった感がありました。

●ハロプロ

この年は「ひとつの時代が終わった」強烈な年でした。

なんといってもまず℃-uteの解散です。Berryz工房の活動停止から2年余り、遂にやってきた解散でした。ハロプロを出て継続か解散か、という事だったようで、エライ事を突き付けるな…と思っていましたが…。

そして、ももちこと嗣永桃子さんのラストコンサートでした。ももちも、仲間である℃-uteの解散を見送ってすぐ、芸能界引退の形でアイドル人生を終えました。最後に、立った小指を残して…

そして、これらに取って代わるように、カントリーガールズの兼任化がありました。ももちがいなくなって、他のメンバーだけでメインの継続ができず、一部を除きメンバーたちがの他のグループへ移籍し、合間にカントリーガールズでも活動を継続する「兼任」の形で、梁川奈々美さん(やなみん)がjuice=juiceへ、船木結さん(ふなっき)がアンジュルムへ、そして今日、6/20に卒業した森戸知沙希さん(ちぃちゃん)はモーニング娘。'17へ移籍となりました。

各グループのリーダーが新メンバーを呼び込んで、そのメンバーが移籍先を知るというサプライズで、発表時から見る側としてもすごいドキドキしていました。他に研修生から、段原瑠々さんがjuice=juiceへ、川村文乃さんがアンジュルムへ加入しました。

アンジュルムでは、先の2人が加入したものの、既に芸歴が長く、新人感のない新人ともいわれ、逆に戦力の底上げが早く整う事にもなったようでした。この年の武道館は「変わるもの 変わらないもの」で、卒業発表も何もない状態での武道館、今回今年6/15に開催された武道館と同じ状態で開催されたのがこの5年前のライブでした。

この年で印象的だったのが、メンバーが2、3人ずつで全国各地へ分散してキャンペーンし、最後大阪で全員集結するというイベントがあり、これで北海道メンバーが飛行機が少し遅れ、イベントも長時間になって、最初は一部メンバー抜きでやって、その後合流するやそのままイベントの続きに突入した、というハプニングまみれの、でもだいぶ得した感のあったイベントでした。ホントに涙あり笑いありで。

juice=juiceは、先述のメンバー追加で、初めての追加メンバーとなり、それまでほぼ5人で突っ走ってきたグループの大きな転換点となったと思います。こぶしファクトリーが激動で、「JK忍者ガールズ」という舞台をやった後に、メンバーの卒業が発表されながら、前倒しで脱退に始まり、1人また1人と、結局この年だけで3人がごっそり抜けて、8人から年末には5人となり、まさに試練の状況となりました。

つばきファクトリーが念願のメジャーデビューを果たしました。結成から約2年もの間、インディーズ活動をこなし、こぶしファクトリーと比べられて、暗いといわれながら、新メンバーを追加した後にメジャーデビュー発表が前年にあり、無事に2月にデビュー、それまでの女の子の心情を描いたソフトタッチの作品が主でしたが「初恋サンライズ」のようなアップテンポの曲が意外で、鮮烈でした。年末には日本レコード大賞の新人賞を受賞しました。

 

●旅行

この年から温泉旅館にハマるようになりました。

それまでは旅行において、宿に重きを置かず、とにかく東横インに泊まって、10回泊まれば次無料になるので…という事で安定の東横インばかり探していましたが、この年から宿に重きを置いて、食事があるとか温泉や大浴場がある所を優先順の上に持ってくるようになりました。今では部屋しか風呂がないホテルはまず避けてるぐらいで。

最初に泊まったのは、岡山県湯原温泉の温泉宿でした。また泊まってはいませんが、地元県で行っていなかった湯村温泉にも行きました。

あとは鳥取県の浜村温泉、前から泊まりたいと思っていた所でした。GWには宮城県の東鳴子温泉へ、年末は10年ぶりくらいに来た神奈川県の湯河原温泉へ。前回は温泉も行かず日替わりで駅周辺を歩いただけでしたが、今回はしっかり温泉を楽しめました。

海外は台湾へ2泊3日、今持っている一眼レフを買って初めて使ったのがここでしたが、初めて東側の街(花蓮・写真)へ行きました。

Img_2252

今の時代との違いをなかなか書きづらい(浮かばない)ですが、遡っていくうちに、隔世感のある文章になってくると思います。

 

 

 

ブログランキング・にほんブログ村へにほんブログ村

2022年6月18日 (土)

生活と思い出と世の中と(2018年)

2021年から振り返っていく「生活と思い出と世の中と」、4回目は2018(平成30)年です。

 

平成も遂に30年目となり、1年間「平成」で通した最後の年で、個人的に48歳になる年でした。戌年。

 

●仕事

正直思い出したくない事の多い年でした。特に後半、苛烈、ハード…帰宅時間の一番遅かった頃で、22時過ぎに最寄り駅にいたら早くてラッキーと思っていたぐらいです。帰ったら食べて風呂入って寝るだけ、ストレスフルだったので、ヤケ食い気味かつすぐ食べれるものばかり、身体に良い事は何一つしてなかったですね。外部から納期を迫られ、上から下から詰められる日々…徹夜でメール返信材料の調査もしました。こんな日々を送ってはいけません。ダメ、ゼッタイ。

●旅行

平日のストレスとホントは休日もやらないといけない程、仕事プレスの強い中、その反動で色々行きまくっていました。

前年から温泉宿にハマっていたので、そんなところをよく探していました。香川県琴平の温泉宿では、プライベートで寄りながら仕事のやり残しでパソコンにて調べものとメール回答の纏めばかりしてて、むしろそっちの思い出が強くて、いつか純粋な旅したいなと。

第二の故郷・島根県松江市の「水郷祭」を初めてまともに見ました。住んでいた頃見た事なくて30年目にようやくでした。日帰り温泉に行ったり、また別日に再訪して、旧松江市外の現・松江市域を複数日滞在して、昔をなぞるように旅した思い出も。

長崎の街を初めてじっくり巡ったり、箱根に2度目の訪問をしましたが、初めて大涌谷まで行って満喫、年末は千葉の九十九里の温泉宿でお世話になりました。

海外は6月に2度目の香港へ行きましたが、弾丸でこれは後述します。

 

●ニュース

カーリング「ロコ・ソラーレ」の「そだねー」が流行ったのがこの年であり、「もぐもぐタイム」なんかも同じなんでしょうね。

レンタル「はれのひ」事件もこの年で、成人式の晴れ姿を楽しみにする人々からこれを奪うとは…呆れた事件でした。

神戸電鉄・三木駅の駅舎が全焼という事で、市の中心駅にしては破格の小ささですが、これもこの年だったんですね。

現時点で日本最新の市となる福岡県那珂川市が誕生し、翌年ここへ行きました。この時に新幹線の「博多南駅」へ行きました。

日大の反則タックル事件も…その後も日大は不祥事があり、イメージをだいぶ下げてしまった感があります。

 

●訃報

輪島大士さん(元横綱・輪島) …北の湖・輪島の時代に相撲を見始めたのでやはり衝撃でした。金のまわしで6時前に現れての横綱相撲でした。

菅井きんさん …必殺仕事人の中村主水の母役「ムコ殿!」の定番セリフでイビる役柄がはまり役ながら、「太陽にほえろ!」のジーパンの母親役で「おふくろ」をすごく体現した人、大往生でした。

津川雅彦さん …長門裕之さんの弟ですが、やはり「必殺」シリーズでゲスト出演しては「爪痕」を何か残す狂信的な悪役がインパクト大でした。その後シリーズの「必殺橋掛人」で主役も務める大出世、ここでのとぼけた役柄が好きでした。「野々村病院物語」の危なすぎるセクハラ医師がピッタリと思ってしまいましたが(笑)

常田富士男さん …「日本昔ばなし」の2人しか声優のいないうちの男役で有名でした。この声聞かないと土曜日が過ぎないくらいの。

生田悦子さん …女優さんですが、「欽ドン」でコメディアン的側面を見て初めて知った人。良いOL役。「よせなべトリオ」で「大きな恋の物語」というシングル曲も出していました。ここでは年長だったこともあってすごくオバサンいじりされてました。

西城秀樹さん …まさに「ヤングマン」が毎日流れるTVを見て育ったので、かけがえのない大スターでした。まだ63歳の若さで。確かに何度か脳梗塞の大病を患い、思うようにらなかった晩年だったでしょうが。

ヒデキの死は個人的にこの年最大の衝撃でした。

夏木陽介さん …青春学園ドラマヒーローの草分け的存在。そして「Gメン'75」小田切警視などのクールファイターが似合う人でした。

川地民夫さん …渋い佇まいが印象的で主にゲストで活躍されましたが、数少ないレギュラー「大非常線」井手刑事役が好きでした。

左とん平さん …脇役として貴重な存在「非情のライセンス」右田刑事や「西遊記Ⅱ」猪八戒…。「とん平のヘイ・ユウブルース」なんて曲も。

星野仙一さん …「燃える男」「闘将」がピッタリの熱すぎる野球人でした。めちゃくちゃ怖い印象でしたが、多くの選手がその一方で「すごい優しい」と言うのが意外でした。もうなかなかこんな野球人は出ないですね。

衣笠祥雄さん …2215試合連続出場の日本記録を誇る、山本浩二選手と共に赤ヘル黄金時代を支えた「鉄人」でした。

 

●プロ野球

松井稼頭央選手の現役引退と、菊池雄星投手の日本での最後のシーズン、ということぐらいしか記憶にありませんでした。

●大相撲

栃ノ心が平幕優勝からブレイクして、3場所連続好成績をおさめ、大関に昇進しました。

御嶽海が関脇で優勝し、長野県出身としてはかなり久々で話題になりました。

横綱陣は低調なイメージで、白鵬は休場が目立ち、稀勢の里は毎回のように休場で「激励」処分?を受けたとか。

貴乃花親方が退職したのはビックリでした。

 

●ハロプロ

ハロプロが20周年という事で特にアニバーサリーな年でした。

アンジュルムは色々ありました。

まずは、遂にこの時が…という感じでしたが、前身スマイレージの結成からリーダーであった和田彩花さん(あやちょ)が卒業を発表しました。卒業は1年以上先、という事で随分早い予告で、「まだ日はあるから」と思っているうちに1年2ヶ月…早かったものでした。

そんな中で迎えた武道館「十人十色+」、多くのメンバーが史上最高だったという、見てても完成度的にはひとつの到達点だったと思います。

この年はあやちょが卒業発表したものの、卒業がなく、またこの時点ではまだ新メンバー加入もない、経験値的に高かった状態のものだったという事もあるかもしれません。当時の新メンバーがカントリーガールズ兼任の船木結さん(ふなっき)と地元のロコドル時代から芸歴の長い川村文乃さん(かわむー)という、新人らしからぬ新人だったのもありますが、呼吸ピッタリ感がすごかったと思います。

そして、初の海外公演がフランスでした。さすがにこれは行けませんでしたが、その次がアジアツアー、台湾、香港、韓国を3日連続ってどんな日程だよ?ですが、このうちの「香港公演」に行きました。47歳にして生まれて初めて海外でライブを見ましたねこの時。

会場へ行ってみたら、香港にこんなにヲタクいるんだと感動でした。日本人が少なくて、たまに「日本の方ですか?」と声かけられたりしてました。ライブの会場がすごい広くて逆に埋まってなかったけど、すごく楽しめました。何より海外でアンジュルムがライブやってるそこに立ち会ってる高揚感が半端なかったですね。

Img_0074 Img_0073

8月には「ロッキン」茨城県ひたちなかで盛り上がって、室内の小さめのステージだった記憶が。この時、ビール飲みながらほろ酔いで参戦しようと思ったら暑さで脱水症状が促進されて気持ち悪くなり、慌てて水を買いに出たので、少し後ろで見てました。夏のビールは状況を考えて飲まないとですね。

11月にパシフィコ横浜で5,000人を集めての公演、新メンバーが遂に2人(伊勢鈴蘭さん・太田遥香さん)加入し、挨拶していたのを生で見れました。「はちれら」と呼ばれたこのコンビをもう少し長く見ていたかったですが…。

12月に「アタック№1」の舞台を観に東京へ。あやちょ最後の舞台でしたが、主人公の相原こずえ役とは!空気で膨らました棒?を使って観客も応援の形で参加型の舞台になっていました。そういえばアンジュルムの舞台はこれ以降ないですね。

年末にまたロッキンに出演して幕張へ。大きなステージになっていて、それをかなり前で観れて感動モノでした。その足で西へ帰って忘年会…と大変でした。

この年に出た「46億年LOVE」は、グループ最大の盛り上がり曲として、ダントツの再生回数を誇っています。

アンジュルム以外だと、モーニング娘。'18尾形春水さん、飯窪春菜さんとWはるなが相次いで卒業し、juice=juiceは先日5/30に卒業したばかりの稲場愛香さんが、ハロプロ研修生北海道の纏め役から、ハローのメンバーに復帰しました。

その復帰先が元々いたカントリーガールズではなかった事が、えらく話題を呼びました。色々事情があっていいと思いますが、最初のグループを「卒業」の形で出て、そこには戻れないだろうというのはありました。またカントリーは前年にメンバーたちを「兼任」の形で、他のグループへ移籍させていて、今更そんなグループに戻せないだろう、という向きはあったと思います。

こぶしファクトリーは本格的に5人体制がスタート。前年末から遂に5人となり、結成当初の8人から1人ずつ減っていってましたが、最終的にこの5人で最後まで走る事になります。新メンバー加入プランもあったようですが、メンバーたちが拒んだのもあったようです。元々表現力の高いメンバーが残ったのもあり、パフォーマンス力は抜群に上がったと思いますが、商業的な成功には結びつかず、そのせいではないでしょうが2年後に解散に至りました。この年の岡山県アリオ倉敷のイベントで、整理券番号2番を引いたのが自己最高記録で、間近で感動しながら見てました。

つばきファクトリーは、この年初めてライブツアーが行われました。それまではイベントを精力的にこなし、単発でライブがあった形でしたが、待望のライブツアー公演が行われいくつか見ましたが、うち愛媛の公演が、当日四国を渡る電車が停まってしまい、間に合わなかったことがありました。昼公演だったので諦めて、夜公演だけ参加できましたが…えらいアクシデントでした。

そして5月に、こぶしファクトリーとつばきファクトリーのいわゆる「こぶつば」という同期グループで、「KOBO」と題された合同ホールコンサートが行われました。翌年にはこぶしが単独でホールコンサートを開催し、つばきも翌年予定されていましたがコロナ禍で中止、2021年秋にホールを越えて「武道館」を実現しています。こぶつばの並び立つ姿がこれっきりで終わるとは、この時思いませんでした。

全体では、10月に「ハロフェス」というコンサートイベントが埼玉県のくまがやドームで行われ、この時BEYOOOOONDSのグループ名が発表されました。

色々書きすぎましたね、すみません。

●その他ライブ

太田裕美さんのコンサートで京都へ行きました。

イルカさんや庄野真代さんなどとのジョイントが結構ありますが、単独を京都劇場でやるのが近年の定番で、この頃はがん発覚の少し前だったと思います。今は病気と付き合ってかと思いますが、全快を祈るばかりです。この時はMCで昔の話を沢山知れて面白かったです。

当時の京都といえば、駅前の京都タワー辺りの地下に「yuu」という日帰り温泉がありましたが、2021(令和3)年6月末日をもって閉店となました。何度かお世話になってただけに残念でした。

そして、久々に甲斐よしひろさんのコンサートへ飛び込みました。当時65歳?メチャメチャ元気でした。前に彼のコンサート観たのが1996(平成8)年だったので、22年ぶりでした。枯れなど微塵もなく、久々に純粋にロックのライブを見ました。

 

色々書きすぎて壮大になってしまいました。以後考えなければ…

2022年6月16日 (木)

生活と思い出世の中と(2019年)

2021年から振り返っていく「生活と思い出と世の中と」、3回目は2019(平成31/令和元)年です。

 

ついに2010年代の振り返りです。

 

個人的には49歳になる年で、いよいよ40代も終わりか…という頃でしたが、この年は、なんといっても平成から令和になった年ですね。

それまでの天皇陛下が上皇になって譲る形での皇位継承という歴史的な出来事を経て、4/30をもって平成が終わり、5/1から「令和」になりました。自分の人生では2度目の元号変更でした。

 

●プロ野球

巨人・阿部慎之助選手が引退しました。

まだやれそうでしたが、40歳を迎えての引退、その後の捕手が…、という現状を思うと、もう少し頑張ってほしかった気もします。巨人の捕手としてこれだけ打てた選手はおらず、歴史に残る選手だったと思います。

これ以外の事はあんまり覚えていません、2010年を過ぎてから野球に疎くなってしまいました。地上波放送しなくなったのが一番の原因でした。

●大相撲

まず1月の横綱・稀勢の里が引退しました。30歳を越えてからの横綱昇進で、短命は仕方なしと目されていましたが、横綱に昇進した場所は優勝しましたが、結局そこでの強引な取り口が命取りになったようで、まともに成績が挙げられたのはほぼこの場所だけで、以後ずっとケガとの戦いのままに、この1月は1勝もできずに引退となりました。横綱昇進時にはピークを過ぎていた向きがありましたが、周囲の批判も色々ありましたが、ぞてれも横綱になれた事は良かったとは思いますし、それだけの貫禄はあった力士でした。

豪風・嘉風という尾車部屋勢もそろって引退、そしてさらには幕内の前線で長年活躍を続けてきたベテランの安美錦関が遂に引退したのもこの年でした。

昇進では貴景勝が大関に昇進、関脇の時はすごい勢いで、大関になっても…の期待が高まりましたが、新大関は途中休場、翌場所も全休で、最短であっさり大関から陥落、関脇で10勝をクリアした為、年末には再び大関になり、現在まで務めていますが、関脇でいる時が一番強いなと思ってしまいます。

 

●仕事

4月から部門が変わって心機一転、それまで部下が多数いたところから一旦なしにさせてもらいました。

新天地で困惑はしたものの、今から思えばかなりマイペースに仕事できました。逆に3月までは大変でした。2月末に異動を言い渡されてようやく少しホッとしましたが、それまでは出口のない苦しみの日々で、足取りも重く…。休みを取ってもほぼ1日リモートワークのような状態で。

資格取得を会社から命じられ、その為の講習を受けてたら実家から何度も電話がかかってきて焦りました。結局大したことありませんでしたが…。まぁとにかく「解放」の年でした。

●ハロプロ

コロナ禍前の最後の状態で、この年の末から試験的に、コンサート中での写真撮影が可になりました。いつのまにかなくなってますが、一時期撮ってました。更に末には「2020年コンサートからのジャンプ禁止」も発令されました。「統率の取れた」ジャンプなら良いと思いますが、前で狂信的に飛ばれるのも辛いので、個人的には良かったと思います。

メンバー的には、モーニング娘。'19に15期として新メンバー3人北川莉央さん・岡村ほまれさん・山﨑愛生さんが加入しました。前の期がカントリーガールズから森戸知沙希さんの兼任加入だったので、純粋な新メンバーは久々でした。

juice=juiceも工藤由愛さん・松永里愛さんの2名が加入し、アンジュルムは橋迫鈴さんが加入し、かなりの激動の年でした。

加入もあれば、卒業もある訳で、アンジュルムでは前身「スマイレージ」時代から10年にわたってリーダーを務めてきた和田彩花さんが遂に卒業、1年前から公表していた異例の形でしたが、最後のあいさつで、手紙も何も持たずに全部自分の言葉で語り上げたのは衝撃でした。続いて、juiie=juiceも結成からリーダーを務めた宮崎由加さんが卒業、皆から親しまれたその人柄がとても愛されたリーダーでした。という事で複数グループで最初からのリーダーが卒業した「激動」の時代でした。

加えてアンジュルムでは和田さんの後、追いかけるように3ヶ月毎に卒業となり、9月に勝田里奈さん、12月に中西香菜さんと相次いで卒業、激動すぎる時期でした。

 

●旅行

今から見て、直近で海外旅行へ行ったのがこの年でした。
夏野長期休暇で初めてアメリカ大陸へ。カナダ…素晴らしかったです。これまでの海外旅行で文句なしの1位です。

Kimg2412 Img_8169 Img_8023

国内旅行では…中津川の旅が印象的でした。馬籠宿や中津川宿を歩いたり。あとはかねてより行きたかった「白川郷」もこの年行きました。ちょっと人が多すぎて、自然風景に触れるには…という感じでもありましたが、建物は素晴らしかったです。

令和最初の日となった5/1に島根県安来市(広瀬町)の月山富田城の近くまで行って、同地28年ぶりくらいの訪問でしたがこれも思い出深いものでした。

●芸能

「嵐」の年末限りでの活動休止が衝撃でした。それまでSMAPの解散も衝撃でしたが、嵐はそこから下の世代で、まだまだこれからと思っていた矢先でした。ホントに活動停止するのか?と思っていましたが、実際にそうなり、意外と歴史の終わり的なそういう感じがなかったのが何やら不思議でした。

●ニュース

池江璃花子選手の白血病が公表されました。その後の驚異的な復活は周囲への影響大だったと思います。堀ちえみさんの舌癌が公表されたのもこの年でした。

消費税がついに10%へ、10/1からスタートしました。これは家計には重いですね、8%になってから数年で10%はキツイです。今も10%ですがこれ以上は上がらないで頂きたいものです。

沖縄で唯一の鉄道「ゆいレール」で、首里駅から延伸され、初めて那覇市外である「浦添市」に駅が誕生しました。

 

2022年6月13日 (月)

生活と思い出と世の中と(2020年)

さて前回記事の続きで1年ごとに遡っていきます「生活と思い出と世の中と」。

今回は「2020年」について触れていきます。

 

個人的にはちょうど生誕半世紀を迎え、50歳という節目の年となりました。ついこないだの事ですが、振り返ってみると2年前か?ともなります。

なんといってもコロナ禍の始まりで、生活が激変した年でしたね。そしてその状況下は、withコロナという形で今もなお続いています。

 

●コロナ

中国・武漢からの大流行の疫病という形で、当初は昔のSERS?のような感じで捉えていて、海外からもたらされた流行り病だけど、そのうちほとぼりが冷めるだろう、的に思っていましたが…

 

まさか2022年の現在まで解決せずに引きずっているとは、当時思いもよりませんでした。

 

もうすでに最初の頃の記憶がなくなりつつありますが、いつの間にか海外渡航が禁止になり、国内出張も県境を越えるのがNGとなり、スポーツも中止、ライブやイベントも中止…何もかも中止になりました。東京オリンピックも延期になりましたね。

マスクが必要となり、アクリル板が、アルコールが、と次々と色んなものが必要となりました。

マスクは品切れで、かつてのオイルショックの時の紙のようであったといわれ、実際売っていなくてドラッグストアで開店待ちに並ぶ人たちが1日に少ししか出ないマスクを買い占めたとか、今とは桁違いな法外な値段で売ってて、実際自分で買った時、50枚入りで3,600円で買いました。ホント桁違いですよね。

検温計を買い、検温表を作り…ビニールカーテンを発注し…コロナに関連する業務が増えました。

雇用調整金の関係で、月に1度くらい?平日に休めましたが、基本コロナ禍になって忙しくなり、周りがリモートしていても、自分が現地にいなといけないのでリモート勤務なんてできませんでした。

GW…ほとんどゴーストタウンでした。店が開いてない事…。旅行なんて当然行かないし、行っても感染したらルートを辿られるなど大変面倒なので、行こうとも思いませんでした。その後も緊急事態宣言は時々出ていたものの、最も休業が多いと感じられたのはこの2020年GWだったと個人的には思っています。

歓迎会も送別会も当然なくなり、会社の飲み会はむしろなくなってくれて助かりましたが、プライベートの飲み会もできず、年に一度の旧友との再会もできず、これはいまだに果たせずにいます。

 

●自転車

春先に久々にスポーツ系サイクルを買いました。といってもマウンテンバイクや細い車輪のやつじゃなくて、ママチャリの延長上のものでしたが、それまで数年間はなんの足もなく、徒歩と公共交通機関だけで暮らしてきたので、久々の「足」でした。結局いつの間にか盗まれてて1年強ほどしか乗りませんでしたが、休みごとにチャリで出かけて、近所においての行動半径がグッと広がりました。

そしてよく隣の市の喫茶店やカフェでモーニングしたりしていました。

●バイク

年末に久々にバイクを買いました。ヤマハ「トリシティ125」という前二輪の三輪バイクを45万程度で、初めて新車を買いました。スクーターは16年ぶりに乗り、前のスクーターが90ccだったので、125ccとなると1994(平成6)年以来26年ぶりに乗る事となりました。20代前半までしか乗ってなかったバイクを50歳になって乗る訳で、不安もありましたが、体力もそんな落ちてないしと思って。あんまり関係ないですけど…

Kimg0010

最初はあまりに慣れな過ぎて道路へ出るのもしんどくて、スピード感もすっかり忘れてしまってました。徐々に慣れる形で、とにかく慣らしでやっていたのが、この年の最後の1ヶ月間の事でした。

●髪

一時期黒染していたものの、髪が急に細くなりやめていましたが、あまりに真っ白になっていくので辛抱できず、黒染を習慣化しました。利尻昆布のシャンプーを買ったり。即効性のある白髪染は一切使いませんでした。それだけはしたくなかったので。最初はなかなか染まりませんが、徐々に黒くなっていく感じでした。

また50歳を目前に生涯初の「美容院」に行きました。髪を大事に扱ってくれるのは非常に感じましたが、髪以外のカットができないとのことで眉毛がおろそかになったり、とかはありました。セットしても結局後で崩れてしまうのですが。また髪を染めてても、自前での染だったので髪切るとまた白髪が目立つのもありました。

●相続

伯母が亡くなり、ナント結構な額の相続金が入る事となりました。

正直自分の父親からの金額より遥かに多くてびっくりしました。そんなに深いお付合いではなかったにも関わらず…

結局8割方母親に渡しました。

 

●断捨離

それまで相当な汚部屋で、ゴミ屋敷とまでいわないまでも結構足の踏み場もなかった部屋にいよいよメスを入れました。

強いてる布団の両サイドと頭側は床が見える程度にしよう、という事で、それまでほとんど埋まっていて、しかも敷布団上まで色々紙類が散乱している状況でした。ゴミ袋10個くらい消費したでしょうか、色々捨てまくりました。その頃捨てたものに関しては一切後悔していませんでしたが、今残っているものを捨てようと思うには、結構思い切りが必要で、今また少しものが増えつつあります。墓場まで持っていくものかどうか?よく問いかけて進めたいと思います。

●仕事

会社の組織変更で、春から部下持ちに。前年に部下なしになってフリーで動けたのに、逆に不自由になりました。何回も席替えしてややこしかった事も。ちょっと目算狂ったかなという感じで。

 

●政権

長期を誇った安倍政権から菅内閣へバトンタッチされ、コロナ対策を迫られていました。

●プロ野球

コロナで開幕が遅れて、6/19に開幕しましたが、120試合だかで内容は正直全然覚えてないです。

ただ一つ記憶にあるのは、無観客で試合やっていたのをTVで見て、かなり異様でした。ホームランが出ても無音で。

●大相撲

3月場所の開催が危ぶまれながらなんとか開催したものの、5月場所のみ中止でした。やはり中身は覚えてないですね。

●ゴルフ

家からの最寄りの練習場が夏に閉店となりました。ゴルフスクールに変わり、だいぶ行く頻度は減っていましたが、夏に最後に行ってから全然行かなくなり、他の場所へ久々に練習に行ったのは1年後の事でした。この年からコンペにも参加せず、現在に至ります。

●ハロプロ

年初から激震でした。「こぶしファクトリー」が解散を発表し、3/30をもって活動終了となりました。この間にコロナ禍が押し寄せ、当初から東京ドームシティホールでラストの予定で、これ自体は叶いましたが、結局無観客での寂しいラストになってしまいました。そしてまた遂に日本武道館での公演は実現できず、結成から5年強、メジャーデビューから4年半、最後の5人体制になってから2年強での解散となりました。

色んなステージやイベントが中止になりながらも、春恒例の「ひなフェス」に代って「ソロフェス」を実施、無観客でメンバー1人1人が全員、ソロパフォーマンスをやるという、画期的な手法で展開されました。その後も「BALLAD」という形で、声を激しくあげない、ハロプロ曲縛りのない、往年の名曲等当てこまれた曲を、またも一人一人が歌っていく形で展開されました。

なかなかグループでのコンサート・ライブが思うようにできない中で、違った形での展開をされることにより、個人個人の歌やパフォーマンスレベルが上がっていったのは間違いなく、良い企画であったと思います。そこで何もかも中止にならなかったのも良かったです。

コロナ禍でグループ活動も停滞する中で、卒業メンバーもあり、juice=juiceでは宮本佳林さんという中心メンバーが、アンジュルムでは室田瑞希さんという歌唱の中心が無観客で卒業、年末は有人でしたが、武道館で船木結さんが卒業しました。「ふなっき」の卒業はコロナで延びに延びて、「もう卒業忘れたかな?」と思っていましたが、残念でした。またアンジュルムでは太田遥香さんが活動停止となり、結局は契約解消となりました。もう少し「はちれら」が下っ端の頃を観たかったのですが。

コロナ禍もあってか楽曲もあまり売れなかったようで、個人的にすきな「ミラー・ミラー」がどうなかったのかよく分かりせんでした。

こういう時節柄、新加入も少なく、アンジュルムに3名川名凜さん、松本わかなさんがオーディションから、為永幸音さんがハロプロ研修生から昇格の形で加入し、彼女たちはそのメンバーカラーから「三色団子」と呼ばれ現在も親しまれています。

●旅行

年初だけ旅行していました。

この年は熊本県の菊池温泉で泊まり、山鹿温泉の日帰り温泉に行ったところ激込みで落ち着かなかったのを覚えていますが、温泉が好きといっても、人の海の中で入るのは厳しかったですね。逆に行きたくなくなる程でした。

あとは、三重県の南鳥羽にあたる「相差(おうさつ)」の海岸線や、奈良県橿原市の「今井町」の街並みなど、コロナ禍ギリギリ前の旅を楽しんでいました。

 ▼相差のホテル

Img_1353

…その他あまり浮かびませんが、何かあれば追記します。

以上 2020年でした。

2022年6月12日 (日)

生活と思い出と世の中と(2021年)

今回、コーナー的に自分の人生を個人的に綴る機会を「年」ごとに設けたいと思います。

ただし、自分の思い出だけだと公表の意味がないので、当時の生活を交えたり、TVやメディアで知った事も反映させながら、「こんな時代だったな」と共感頂けるところも併せて綴っていきたいと思います。

去年2021年から1年ごとに遡っていく形で、まずは去年2021年から。

●PayPay

この2021(令和3)年、個人的には「PayPay」を始めました。PayPay自体は2018(平成30)年からサービス開始となったそうです。

それまでICカードをはじめとして、スマホでキャッシュレス払いをした事がなかったので、支払いも釣銭の事も考えず、楽だな、と感じたものでした。ただスマホの動きが重くてなかなか動かない時は、結局現金で払ったりすることが時々ありますが…。

 

●バイク

前年2020(令和2)年末に久々にバイクを購入し、21年から本格的に乗り回していました。

ヤマハの「トリシティ」という、前が二輪になっている三輪バイクで、125ccです。

行ったのは近場ばっかりでしたが、日曜ごとにちょっと普段の都市的エリアからちょっと離れたところへモーニングしに行くのが習慣でした。

前にバイクに乗っていたのが2003(平成15)~2004(平成16)年にAXISという90ccバイクに乗っていましたが、この当時に比べたら運転が楽になりました。前が二輪だから?分かりませんが。前が二輪といっても自立しないので、結局足で支える必要があり、転倒の可能性もある訳です。

前に乗っていたのが30代前半でまだ若かったのですが、今回50歳になってバイク買って大丈夫か?とスゴイ思いましたが、体力的にそんな落ちた感もないし、反射神経が鈍ってる感もなく、むしろ後ろの車間距離が昔より皆空けてくれるようになった?感もあり今のが楽かなという感覚です。

Kimg0336

●コロナ

コロナ2年目で、「お正月がコロナ禍」という初めての状況でした。

実際、自分も実家へ帰るのは控えていました。そういうご家庭も多かったのではないかと。だから帰省ラッシュもそれほどではなく。

夏頃は本当に厳しい状況でした。度重なる「緊急事態宣言」の発令で、店は閉まったり営業時間制限があったり、感覚的には前年ほどではなかったですが…。前年のGWは本当にゴーストタウンみたくなっていたうちの近所でしたが、2年目でwithコロナ的な雰囲気だったのか、どこもかしこも閉まっている、という感じではありませんでした。

緊急事態宣言下で、1日に2万以上の新規感染者が出ていましたが、数だけなら今年の方が10万人超出ていたり、今年のがひどいじゃないか!となりますが、重症化が少ないから?か、去年の方が規制が厳しかったですね。

 

そして、そんな規制が緩くなった背景と思われるのが「ワクチン」です。

当初は希望する方的な雰囲気だったのが、段々義務感的になっていって、表向きは強要しないものの、実際は「ワクチン打ったのか」と職場でプレスがかかる、そんな感じでした。

そんなこんなで、ワクチン2回打ちました。

それまで聞いていた「副反応」が恐ろしくて、かなり嫌でした。世の中の流れに従う形で?地元の市民会館へ打ちに行って、水とバファリンを用意して、きたるべき時に備えていました。

しかしながら1回目は肩周辺の痛みだけ、2回目は首周りの倦怠感のみ、熱は全く出ませんでした。自分の人生で10歳以降ン10年間、熱を出した事がないので、余計に副反応が心配でしたが、やはり熱は出ませんでした。

3回目…現時点まだ打ってないです。インフルにも生誕以来縁がなく予防接種経験もなく、そんなものかからないとどこか思っていますが、いつかかるか、いや人に発症させてしまうかも分からないので、いつか打たないとですね。

ワクチンの事以外でいうと、基本2020年の延長上ですが、それでも慣れた部分のせいか、秋を過ぎるとだいぶ緩くなった気がしました。

 

●アマチュア無線

令和のこの時代に出す内容か??ですが、アマチュア無線3級の講習を受けて、その場の試験で合格すれば取得、という講習に行きました。

いわゆる「3アマ」というものですが、4級である「4アマ」は2005(平成17)年に受けに行って取得していました。今回部屋の掃除で、久々にハンディ無線機を見つけて、また久々に無線を聞いてみたくなり、もっとスペックの高い機体が欲しくなり、受けに行きました。昔は国家試験でしたが、今はほぼ講習で金払えば取れるようなものです。

これが2回目のコロナワクチンを打った翌日になってしまって、副反応はそれほどでもなかったものの、色々しんどかったです。

モールス信号とか覚えて、なんとか晴れて合格。部屋用の「固定機」を初めて買って、今に至るまで毎日何かしら聞いています。

いかにも昭和の趣味らしく、聴こえてくる声にほとんど若い方のものはありません。

定年前後ぐらいのおじさんが多く、会社でも閑職っぽいコメントがよく出てきます。リモートで適当にとか、出てくるだけで5時のチャイムと共に会社出るとか、今は雇用延長で夏には完全定年でとか…。それも知り合い同士と思われる更新ばかりで、別に携帯かLINEでやれば?って感じのものばかりですね。強いて言うと、特定の人にかけずに、コールしてみて誰が出てくるかを楽しんでいるような。

仕事バリバリやってる人は、なかなかこういう所へ出てこないな、というのが聴いていての実感です。話している内容が無線とかアンテナの事がが多く、それ自体を楽しんでいるという言いようがないですが、それらを黙って聞いています(笑)

自分のもっと昔を辿ると「ハム」として中学生の学習雑誌に載っていて、この資料請求をしたのが始まりで、そのくらいには興味はありました。当時はまだ80年代初頭で携帯電話もない時代、機器で交信できるなんて「すごい趣味」という感じでした。その頃の思い出が2005年に蘇り4アマ取得、そしてこの時の3アマ取得となりました。

2005年頃は近所の消防署の救急無線が聴けましたが、今はデジタル化されて聴けなくなったのが寂しい限りでした。なので今は近所のおっちゃんの会話を聴いています(笑)

 

●資格関係

3級アマチュア無線技士の資格取得した訳ですが、あと取得した資格は「衛生管理者」でした。

これは職務上必要があり、我が事業所が50人を超えたので設置しなければ、という中で2020年10月に受験するも不合格となり、2度目でようやく合格しました。

それがものすごく合格率の低い回で、試験が難しかったです。受けた時は「また落ちた」と思って次に備えようとしてましたが、なんとか合格。前日までバッチリ仕上げて、全44問中どこから出てきても40問は絶対解ける、とほぼ満を持して臨んでみると、見た事のない問題がやたら出てきて…。

そんな受験生のようなハードな日々ではなかったものの、仕事しながら帰ってから勉強はやはりしんどく、あまり同じ資格の試験勉強を何度もやりたくないのが正直なところでもありましたが、一方で全国数か所しかない試験場の近くにいて「いつでも受けれる」感があったのが良くなかったです。さっさと終わらせてよかった、というところでした。

●仕事関係

はじめてMicrosoftのteamsというツールを使いました。箱モノを使いたがる会社?でメリットを感じませんが、会社としてやっていくのには最新のものを使うのがよしとされているんでしょうか…?すみません会社に対しては少し冷め気味につき…。

あとは部下が増えた事?1人から2人へ。一時部下なしになって、この時期がとてもやり易かったんですが。

 

●政権

日本の首相が代るのは毎年の事で、菅首相が退陣し、岸田首相になりましたが、相変わらずコロナ問題に対応しなければという状況でしたが、アメリカ大統領がトランプ氏からバイデン氏へ交代しました。いずれも高齢ですよね。トランプ氏は色々と破天荒というか話題性があったなという感じでした。

●オリンピック

2020年東京五輪がコロナで延期となり、この年実施されました。

正直ほとんど見ていません。

興味もわかなかったし、なんでこんな緊急事態でやるんだろ?というのがあり。選手にしてみれば晴れ舞台な訳ですが、政府の金儲け的な部分を感じてしまってどうにも見る気になれなかったですね。だから誰が何獲ったのかもよく知りません。元々そんなTVにかじりついてオリンピック子見た事ないですが、あったのは昔のロス五輪の時ぐらいですかね。

●大相撲

横綱鶴竜の引退、そして白鵬の引退と、両横綱が相次いで引退という世代交代の中で、長く低迷を続けていた照ノ富士が躍進し、年初は関脇でしたが大関を3場所で通過し、横綱まで昇り詰め、照ノ富士の年といっても過言ではなかったと思います。元大関が番付を大きく落として、再度大関そして新横綱になるという、異例のケースでした。しかし顔ぶれは相変わらずモンゴル勢、日本人の大関までは誕生するけど…という感でした。それにしても白鵬の引退はすごくひっそりした感がありました。

●プロ野球

野球も見なくなって久しいですが、オリックスの25年ぶりのリーグ優勝は、待ちに待ったもので大変嬉しかったです。その記憶だけはあります。中嶋選手は現役時代、阪急をはじめ色んな球団を渡り歩きながら、オリックスへ戻って来て優勝に導いてくれた、そんな感じがすごくあって、とにかくおめでとうありがとうでした。2000年代初頭のイチロー、田口などの去った後の惨状から想像すると実に感慨深いものでした。

●ハロプロ

大好きなハロプロについても。この年はコロナ禍の中で、独自の展開を見せてくれていました。

それまでの全グループ集まっての合同コンサート「ハロコン」の形態を変え、「花鳥風月」と題して、チーム花、チーム鳥…といった具合に、全グループのメンバーを4つに割ってグループ横断でチームを組ませ、そのもとでライブを行うというものでした。なので1公演ごとに見るのは、いつもの1/4の人数のメンバーですが、それだけメンバーの個性が強調され、また常に違うグループのメンバー同士が同じ曲に取り組むスタイルにつき、いつもと違う感覚で見られるというものでした。

その一方で、グループごとの「単独ライブ」がなかなか開催されないとの声も大きくなり、モヤモヤした感がファンにもメンバーにもスタッフにもあったと思います。

単独で例外的に開催されたのが日本武道館等の大きなステージでの公演で、主にメンバーの卒業公演として各グループで開催されていました。モーニング娘。'21では人気メンバーの佐藤優樹さん、juice=juiceではリーダーの金澤朋子さん、アンジュルムでは将来のリーダーと目された笠原桃奈さん、それぞれが単独コンサートで区切りをつけ卒業していきました。

またjuice=juiceに3人、つばきファクトリーに4人の新メンバーが加入したのも大きな話題でした。そしてこの誰もがみんな即戦力だったのがすごかったです。どちらもグループもそれまでハロプロ研修生あがりしか途中加入していませんでしたが、今回は初めてオーデイションでのメンバー加入という形が、両グループにありました。

つばきファクトリーは10月に初の日本武道館公演が決定し、卒業者のない形で新メンバーを迎えて大舞台に立ちました。2020年に中野サンプラザ等初の「ホールコンサート」が決定し、それまでライブハウスでのツアー経験しかなかった為、歓喜に溢れていましたが、直後にコロナ禍の状況がスタートし中止になった過去がありました。そこからホール経験もないまま、ライブハウスでの実績しかない状態で、武道館公演が決まったのでそれは驚きだったと思います。

年末に恒例のカウントダウンライブが開催され、いつもより早めに終わる形でしたが、近所の映画館へライブビューイングの形で参加してきました。この時にアンジュルムの新メンバーの発表があり、平山遊季さんの加入・即パフォーマンスがありました。事前に新メンバー加入の話があり、期待を込めて平山さんを予想していたらナント当たってビックリでした。

 

思いつくのはこんなところ…でしょうか。

なんかあれば追記かつい記事にてもします。

次回は2020年です。

2022年6月 5日 (日)

俺たちのヒーロー列伝・その26 水谷豊(1952~)

俺たちのヒーロー列伝・その25 森田健作(1949~)

 

つづいてのヒーローは…

 

水谷豊(みずたに・ゆたか)さんです。

 

言わずと知れた国民的俳優と言っていい存在と思いますが、助演から主演へ躍り出て、来月で70歳を迎えます。

今年「相棒」などで主演となれば、「20代から70代まで連続して、連続ドラマ主演俳優」となり、ずっと第一線で、しかも主演を維持して活動している「常にトップを走っている」俳優という事になります。

当初はどちらかというと悪役、不良役というところから、刑事ドラマのエース的存在となり、やがては現在のような「飄々とした雰囲気」の俳優へと時と共に華麗にシフトしていきす。

そんな水谷さんの役柄にヒーロー性を感じたものを挙げていきす。

 

「傷だらけの天使」/乾 亨(アキラ)

1974(昭和49)年10月~1975(昭和47)年2月まで放送された探偵ドラマで、主演:萩原健一氏と兄弟分としてコンビを組んでいます。

それまでもドラマ出演はあり、なんといっても1972(昭和47)年「太陽にほえろ!」の初回の犯人役として、萩原氏と渡り合う役どころでしたが、2年後のジーパン編の末期まで4度にわたって、主に犯人役としてゲスト出演し、鮮烈な印象を残しました。

子役時代から活動歴があり、色々とドラマに出ていますが、出世作となると、まずこの作品が挙がると思います。当初は火野正平氏の構想であったそうですがスケジュール調整ができず水谷氏に転がり込んだともいわれています。

とにかく、金のない若者たちの話で、大人に翻弄されながらという回を繰返していきますが、最終的にそれらの事が元で肺炎にかかり、あっけなく死んでしまい、兄貴分の修が引くリヤカーによって夢の島へ捨てられる形で弔われます。簡単に言うと死体遺棄ですが…。

萩原氏もそうですが、水谷氏もまた若い頃は、挫折感のある若者を演じさせると画になった役者だなという事を感じます。

 

「夜明けの刑事」/山本刑事

1974(昭和49)年10月~1977(昭和52)年3月まで、2年半にわたり放送された坂上二郎氏主演の人情刑事ドラマです。

水谷氏は途中参加かつ途中退場で、1975(昭和50)年10月(第43話)~1976(昭和51)年4月(第67話)の約半年間の活躍でした。

それまで石橋正次氏が務めていた若手刑事ポジションを引き継ぎ、前任のような不良っぽい感じではないものの、正義感に溢れた若者らしい役柄でした。彼が出ていた回はほとんど見た事がなく、断片的にしか分かりませんが、「傷だらけの天使」から一変しピシッとした服装に刑事という役柄で、役者としての幅がついた作品かと思い、また彼がこの後多数の刑事ドラマに出演する事となる、連続刑事ドラマの初レギュラー作品でもありました。最後は殉職ではなく、休職届を出して署を去ったとありました。

 

「影同心Ⅱ」/留吉

1975(昭和50)年10月~1976(昭和51)年3月に放送された作品で、前作「影同心」のヒットを受けて、全く異なるキャストで制作された続編です。この放映期間は、「夜明けの刑事」の出演期間と見事に被っていて、掛け持ちしていたものと思われます。当時はよくありましたが。

「必殺シリーズ」のパクリと揶揄されながらも放送された2作目は、前作が全員同心であったのに対して、今作は黒沢年雄(当時:年男)さん演じる堀田源八郎ただ一人で、主演は浜木綿子さん(香川照之さんのお母さん)です。

水谷氏演じる留吉は寺男にして殺し屋の役柄で、口に仕込んだ楊枝を吹き矢のように口から飛ばして相手を仕留めるというものでした。このすぐ後に「必殺からくり人血風編」でピーター氏が同じような役柄かつ殺し技(針)の殺し屋を演じていました。

最後は捕らわれたところを、仲間の平七(演:山城新伍さん)に庇われて逃走、平七は壮絶な死を遂げて、最後の最後にその平七の褌を使って敵討ちを果たし消えていきました。

 

「赤い激流」/田代敏夫

1977(昭和52)年6月から11月に放送された「赤いシリーズ」の第5弾で、1974年10月~「赤い迷路」に始まり、「赤い疑惑」「赤い運命」「赤い衝撃」とすべて山口百恵さんが出ていたのに対し、今作は初めて百恵さんが出演しなかった「赤いシリーズ」(冒頭少しだけ出てましたが)となりました。

それまで「男たちの旅路」映画「青春の殺人者」など当たり役を得ての出演となりました。

主演は宇津井健さんですが、その宇津井さん演じる大沢武がピアニスト魂を叩き込む青年役こそが、彼の演じた「田代敏夫」でした。天才ピアニストの父(演:緒形拳さん)を持ちながら、その父は武とはライバル関係にあり、「武に身を滅ぼされた」と逆恨みされつつ、母(演:松尾嘉代さん)と武が結婚する事となり、敏夫にとって武は師であると共に親ともなりますが、実の父親との関係性に悩みながら、武との衝突を繰り返しながら、また殺人犯の汚名を着せられ警察のマークに遭いながら、ピアノコンクールを目指して猛練習を重ね、やがてはコンクールを勝ち抜いていくというものでした。

実質的に水谷氏が主演といっても過言ではないほど、ストーリー回しの中心にいました。野良犬と自他ともにいう彼と、竹下景子さん演じる音楽学校のお嬢様との恋愛模様や、音楽学校内のドロドロとした人間ドラマのストーリー展開も相まって、話題を呼び視聴率も良かったといいます。またピアニスト役としてかなりの猛練習をしたそうです。

一見ふざけてるようで、何を考えてるか分からない言動をくり返し、トラブルメーカー的な役どころでしたが、基本は自分の信念に忠実に行動する純粋な若者を巧みに演じていました。

 

「熱中時代」/北野広大

1978(昭和53)年10月から1979(昭和54)年3月まで放送された、小学校を舞台にした学園ドラマで、それまで高校を舞台にした学園ドラマはありましたが、小学校はこのドラマが本格的には初めてだったと思います。(中学校は翌1979年の「3年B組金八先生」にて)

ここからは主演作の紹介となりますが、俳優・水谷豊のイメージを決定づけ、国民的俳優ともいうべき位置にまで押し上げたのは、この作品の出演によるものと思います。劇中の「先生はなぁ」という北海道訛りの入ったセリフは、ドラマを見ていなくても知っている人多数でした。

という自分もこの作品はあまりよく見んにてないんですが、昔同級生で好きだった子が作文で「熱中時代の水谷豊さんのような先生になりたい」と読んでいたのをよく覚えています。

その後、この教師編は1980(昭和55)年7月から1981(昭和56)年3月に続編が製作され、またその間1979(昭和54)年4月から10月に「熱中時代・刑事編」も作成され、完全に「フィーバー」していました。この頃、歌手としても「カリフォルニア・コネクション」などのヒット曲を飛ばしています。

 

「事件記者チャボ!」/中山一太

1983(昭和58)年11月から1984(昭和59)年5月まで放送された「記者もの」です。

前髪の真ん中部分だけチョロっと尖らせた独特の髪型がニワトリのようで「チャボ」と呼ばれていました。

警視庁の記者クラブに所属し、難事件を何故か解決する熱い事件記者を演じていましたが、この作品いくつか見ているはずですが、髪型の印象ばかりが何故か強くあまりストーリーを覚えていないです。ただなんか、いつもこの手の上司役って藤岡琢也さんだなという印象はありました。個人的にこの方が出てくるたび、関西弁なのか標準語で喋るのかがいちいち気になってしまいます(笑)すごい標準語喋りにくそうで、同郷でもあるので余計に気になります。

前作にあたる「あんちゃん」で伊藤蘭氏と共演し、ここでも継続で共演、その後結婚する事となります。

 

「気分は名探偵」/夢野圭介

1984(昭和59)年10月から1985(昭和60)年5月まで放送されたタイトル通りの「探偵もの」で、「事件記者チャボ!」終了後半年を経て同じ時間帯に戻ってきており、ちょっとした続編的なイメージの作品です。

朝丘雪路さん演じる女性上司の下で活動していますが、「傷だらけの天使」以来約10年ぶりの探偵もので、相手役には岡江久美子さん、弟分に船越英一郎さんが出ていました。

 

「ハロー・グッバイ」/伊達晋作

1989(平成元)年4月から9月まで放送された刑事ドラマで、連ドラでの刑事役は79年「熱中時代・刑事編」以来10年ぶりです。

ここから刑事ドラマ出演が続き、当時舘ひろしさんと並ぶ「刑事ドラマのエース」的存在となっていきます。

80年代後半は、あまり活動して良かったようで、連続ドラマ出演は殆どなく、2時間ドラマでシリーズものをいくつかやっていたような状態でした。

しかしこの作品、それなりにアクションはあるもののビデオ映像作品で、どうしてもそのへんはチープな感じがして、上司である課長役に三田村邦彦さん、同僚の女性刑事に賀来千香子さんと、この3人が同期という設定に少々無理がありましたが、最終的に3人は事件での失態を受け、それぞれ海外へ散らばっていきます。布施博さんや川﨑麻世さんなどの部下を連れて、学校の先生の引率みたいなセリフ回しだったのを覚えています。「ハイ、行くヨー」みたいな感じの。

 

「ザ・刑事」/矢島刑事

1990(平成2)年4月から9月まで放送されたまたまた刑事ドラマで、「ハロー・グッバイ」から半年のインターバルを経ての刑事役です。

ここでは片岡鶴太郎さんとコンビを組みますが、これまたビデオ映像作品で、発砲シーンもほとんどないドラマでした。彼の演じる矢島刑事もあまり発砲をしたくないという設定でした。

ただし殉職はあり、途中の第10話で江口洋介さん演じる坂上刑事が殉職しています。その後任として小西博之さんが登場しますが、アロハシャツに黒く日焼けしてヒゲ面という、恐ろしく強面な刑事として出てきたのを覚えています。

音楽が「太陽にほえろ!」の大野克夫さんであったのが印象的でした。

 

「刑事貴族2・3」/本城慎太郎

「刑事貴族2」は1991(平成3)年4月から1992(平成4)年3月まで、「3」は1992年4月から12月まで放送されたまたまた刑事ドラマで、これまた「ザ・刑事」から半年のインターバルを経ての刑事役です。

久々のフィルム映像作品で「夜明けの刑事」以来15年ぶりとなります。

「刑事貴族」のシリーズとして初作は、舘ひろしさん、郷ひろみさんときて、「2」からシリーズの最後まで一貫して水谷氏主演です。

↓30年経って、この中で存命は3人のみとなり、今も芸能活動しているのは水谷氏と宍戸開さんのみです。

Img_20170126_070640

いかにも「破れかぶれ」な刑事としてアクション全開で登場してきました。スタート当時38歳になっていましたが、第一線の先頭を走り続ける、そんな感じの熱い男を演じ、また若手3人が田中実さん、宍戸開さん、団優太さんと田中さん以外は二世として、またいずれも長身の「ハンサムタワー」として話題にもなりました。しかし、今やこの3名のうち存命者が宍戸さんだけとは寂しい事になりました。

本城の放つ名台詞も色々とありました「お恥ずかしったらありゃしない」「あラッキィラッキィ」とか。

Cap0003

出演者の交代もあり、団さんと高樹沙耶さんに代わり、寺脇康文さんと鳥越マリさんが登場し、「3」になると庶務係の中山忍さんと、彦摩呂(超スリム)さんが登場します。彦摩呂さんは後とは似ても似つかぬ細さで、スケボーを乗り回して犯人を追ったり結構身体張ってました。

宍戸さんと鳥越さんの降板後、最後の1クールだけ高樹さんが復帰し、前田耕陽さんが登場しています。前田さんは最後の8回ぐらいしか出られませんでしたが。結局番組が翌年3月を待たずに12月いっぱいで終了してしまいました。

「2」の初回と「3」の最終回、つまり水谷氏の最初と最後の回は、同じ犯人が登場し、不死身ともいうべき恐ろしく強い体の大きな女性と対決、特に最終回は本城への強い恨みをもって巧みにおびき寄せながら直接対決してきます。その頃には40歳を迎えていましたが、特にこの最終回はホントによく走りまくってました。

Cap0023

-------------------------

その後は「相棒」が当初は2時間ドラマから、レギュラー番組に昇格して20年近くずっと下半期に定期的に放送を重ね、相変わらずの健在ぶりで、70代になってもまだまだ第一線で、活躍を続けてほしいものです。

« 2022年5月 | トップページ | 2022年7月 »