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2022年9月の4件の記事

2022年9月24日 (土)

生活と思い出と世の中と(1998年)その①

遡って振り返る、「生活と思い出と世の中と」。24回目は1998(平成10)年です。

この年は個人的にターニングポイントになる年で28歳になる年でした。

世間的には長野オリンピックが開催され、26年ぶりの日本でのオリンピックに湧き上がりました。

 

●仕事

この年は特に後半が激動でした。

この前年11月初めからアルバイトを始め、再就職の為の「ならし」として規則正しい生活へ修正していました。

3月くらいから再就職活動を本格的に始め、バイトしながら時々企業の面接に行っては落ちる…を繰り返していました。

そんな中7月某日ある企業の面接を受けたら、その場で「すぐ来れるか?」となり、快く返事し、8ヶ月お世話になったバイト先へ辞める意思を伝えました。ここでも何もなかったわけではなく、4月頃から現場から事務作業へ回されて計算して書類をまとめたりしてて、元々「ものづくり」系の作業で入ったバイトでしたが、社長が他に適性があると思ってくれたのでしょう。そのうちに「正社員にならないか?20万くらいは出せるで」と来ました。それは有り難い話でしたが、今は他方面で再就職活動しているんで、と正直に言ってバイトを続けさせてもらいました。

すぐ来てくれ、と言われた会社へ7月末に初出勤。あさ7:30~でした。1年4ヶ月ぶりの正社員!と張り切っていましたが…。

すぐ来てくれ、という会社ほど「ヤバい」と気づくべきでした。最初はセールストークの勉強とかしていましたが、程なくノルマノルマで怒声が飛んだり、客宅行ったらピンポン鳴らしたらすぐ突破や、とか聞こえてきて、いわゆるDQN(ドキュン)会社でした。今でいうブラックもブラック。毎週のように求人が載っていて、すぐに来いというのも無理ないな…というそんな会社でした。パシリみたいなこともしょっちゅうしましたし、ヤ○ザみたいな怒声を副部長とやらが飛ばして「分かってのんかお前ら、オー?」みたいな感じでした。朝と帰りの挨拶は所長に「ざす!」と大声で言わないと帰れず、トサカみたいな?リーゼントヘアの所長が「おつかれさま」といえばやっと帰れるみたいな…朝7:30に来て、晩11:00すぎ終電の心配しながらの日々でした。

これは無理…、、と思って10日ほどで辞めました。朝電話して胃炎だと申告して(そんな朝に病院やってない・笑)、所長が「診断書送ってくれ」と言い、診断書の代わりに退職の旨手紙に書いて出し、以来ドロンしました。その会社はもうありません。その10年くらい後に行政処分を食らって、以後名前を聞く事はなくなりました…。客宅へもしつこく居座り…とかなり悪評まみれだったようで。

再び、前年10月以来10ヶ月ぶりの無職に逆戻りでした。その頃には生活資金はかなり底をつきかけ、一刻も早く仕事を…という事で応募しまくりましたがどれも通らず、バイトでもいい、と応募してもこれすらなかなか通らず…、ようやく通過したのが宅配荷物の夜勤積み込みバイトでした。28歳にして社会人になって初の夜勤をしました。1日でガタガタになって…宅配荷物をトラックからおろして、場所別にレーン分けしますが体力が全然持たず、小荷物専用に回され、それでもガタガタになって帰ってきて、ここで辞めたかったですが、2日は働かないと給料が出ないので、ナントカ2日働いて辞めました。

またまた無職に…、10/20頃の事で、その後すぐハローワークへ行って別な仕事に応募、派遣社員でした。派遣先へ行ってそこで面接し、後日ナントカ通してもらえました。その派遣会社へ入社し、派遣先で就業する形で。この派遣先こそが今勤めている会社の前身で、紆余曲折ありつつも今日まで働かせて頂けています。

この時持ち金が1万円を切り、幸い5万強の家賃は振込済でしたが、毎日晩は残った米だけみたいな生活で、いよいよダメなら最初だけ会社から前借も…??と考えたほどでした。時給1,300円の生活でしたが、やはり保険と厚生年金を会社が折半してくれるだけで大助かりで、バイト生活の頃はほぼ増えなかった持ち金がちゃんと貯まるようになっていきました。もっとも、この年内ではほんの数万の貯金になっただけでしたが、生活資金0の破産寸前のところだったので、本当にギリギリのところで救われました。これが自分の社会人生活で最も貧乏だった時代でした。

とにかく今いる世界で仕事を始めて、覚える事は多かったですけど「ここなら大丈夫」という感じでやっと年末に安心して働けたのを覚えています。すごくいい感じで丁寧にイチから色々教えてもらえました。

 

●ニュース

やはり冒頭の長野五輪がまずありました。

スキージャンプの原田選手の時の実況「高くて、たかくてたかくて…」というのがすごい印象的でした。

衝撃だったのは和歌山の「毒入りカレー事件」でした。ヒ素を混入させて4人死亡63人が中毒症状となり、以後各地でも続発したという怖い事件がありました。必ず模倣犯というものは現れますね。

金融破綻や政治汚職事件も多い年でした。新井将敬氏の自殺など。

郵便番号の7ケタ化がこの年から始まりました。それまで5ケタで慣れ親しんでいたのですごく不思議な感じでした。

 

●訃報

景山民夫さん …放送作家ながらメディアにも積極的に出演。出火により死去

石ノ森章太郎さん …「仮面ライダー」「HOTEL」はじめ様々な作品を世に送り出した漫画家。

新井将敬さん …国会議員として活躍も金融スキャンダルの波にもまれ死去

剣晃 …大相撲元小結。原因不明の奇病に侵され治療法もなく、現役中に30歳で死亡

稲場義男さん …「ザ・ガードマン」のレギュラーの一人。その後は主にお偉方の役どころで多数出演。

大泉滉さん …長めの髪と伸びたヒゲがトレードマークで、ユニークなコメディリリーフとして活躍した俳優。

hideさん …X-JAPANで活躍も32歳で謎の自殺。

宇野宗佑さん …1989年竹下内閣総辞職を受けて、平成初の首相になった人物も在任期間は短命に終わった。

牧冬吉さん …「仮面の忍者赤影」などで活躍し、コメディリリーフから小悪党まで多彩に演じた俳優。

村山実さん …元阪神のエースとしてザトペック投法で有名になり、兼任監督も務め、引退後平成になった時も監督を務めていた。

黒澤明さん …「世界のクロサワ」ともいわれる名監督。死去の際には号外が配られた。

秋山武史さん …石原プロ所属の俳優として、「あぶない刑事」などにレギュラー出演するも45歳の早世。

淀川長治さん …黒縁メガネで「サヨナラ、サヨナラ、サヨナラ」のフレーズが有名な映画評論家。

太宰久雄さん …「男はつらいよ」のタコ社長で有名な俳優。

中山昭二さん …「ウルトラセブン」のキリヤマ隊長、「特別機動捜査隊」でも主任として活躍、時代劇悪役でも存在感あった俳優。

森乃福郎さん …関西でお昼のワイドショーを担当していた噺家。「日本のアランドロン」と自称していた。

 

何故か昔ほど、色々と語る量があって、長くなりすぎるのでここで一旦切ります。

次は1998年その②としてお送りします。

2022年9月17日 (土)

生活と思い出と世の中と(1999年)

遡って振り返る、「生活と思い出と世の中と」。23回目は1999(平成11)年です。

遂に1900年代への遡りです、個人的には29歳になる年ですが、人間的成長がないのか、今もほとんど変わらないような気がします(笑)

 

●仕事

前年末に入社し派遣社員としての生活が軌道に乗り始めたという感じ、最初はまだ慣れない部分もあったものの、春ごろくらいからペースが掴めてきた感じでした。

フォークリフトの免許を取らせてもらったりしてました。実技試験が6月の炎天下でなかなか厳しかったです。

事務所のメンバーはパソコンにメール入れて活躍していましたが、自分はまだメールアドレスがあてがわれず、オンライン端末だけで仕事してて、連絡を取る手段は電話だけでした。それくらいがいい時代だな、、と思いますが、昨今は会社から携帯支給されSMSやteamsやと、「効率化」の名のもとに会社からふん縛られてるとしか思えないのです…。。電話で最初冗談を言いながら本題に入っていくのが良かったのに…。

 

●もちもの

この年、初めて「携帯電話」というものを買いました。28歳にして初めて「携帯」を持ちました。「セルラー」のcdma Oneだったでしょうか。メール機能はついてなかったので、電話機だけでしたが、着信音を手打ちして「ミッキーマウスのテーマ」とか「エレクトリカル」とか「踊る大捜査線のテーマ」とか、そういうBGMを設定する事を皆楽しんでいましたね。

今でこそバイブが多いのですが、当時は「いかにユニークな音の着信音を鳴らすか」半ばウケ狙いでやってた節もあったような感じでした。まだそういう音のモラルに対してもうるさくなくて、やがてそれらが「うるさいもの」とされてから廃れていきましたね。

メールがなかったので、周りでメールしてる人たちが羨ましかった覚えがあり、翌年機種変でメール機能付きに買い換えました。今もその後のau携帯を使っているので、歴23年のベテランです(笑)

PCは持っていましたが、インターネットのない「箱モノ」としてExcelを使ったり、CDーROMを買ってきてみたりぐらいだったので、逆に今ほどPC漬けの日々ではありませんでした(笑)

 

●プライベート

親友とも呼べる友達が結婚しました。入籍したという話を聞いてビックリしましたが、結婚式に来てほしいと言われた時もビックリしました。遠方だったのもありますが、その神前結婚式で結婚を認める「署名をしてほしい」と頼まれた事が驚きでした。

で、いざその式で署名をする時に、緊張もあってか差してあるペンがなかなか取れなくて、心の中で焦った事も思い出でした。とにかく見届ける事ができて良かったなと。その後はみんなで連れ回って遊んだり、30歳を目前に良い想い出でした。

当時あった、大阪フェスティバルゲートにも仲間内で行きました。楽しい空間でしたがすぐになくなってしまって…。まだ友達周りで独身者が多かったので、そういうの結構ありましたが、30越えるとほとんどなくなり、自分だけが独りではないものの、取り残された感は否めません。

離れて住んでいた実家が引っ越す事となり、年末に初めて新しい実家へ行きました。

 

●ニュース

世紀末の混沌とした感があってか?残酷な殺人事件が多かった印象が強いです。山口県光市のマンションでの母子殺害事件や、ドラマにもなった埼玉県桶川市のストーカー殺人事件…この事件をキッカケにストーカー規制法ができたんですよね。

東京の池袋や山口県の下関駅でも通り魔殺人が発生しました。

東海村の臨界事故もありました。「被ばく」という言葉が一気に認知されましたが、できれば認知されたい方が良かった言葉ですね。

石原慎太郎氏が東京都知事に就任したのはこの年でした。4期目途中の2012(平成24)年まで実に13年も務めていました。

「瀬戸内しまなみ海道」が開通したのもこの年で、いくつかの島を繋ぐ道として車や自転車で走れる道になりました。

11/11が「ポッキーの日」となったのは、この年からだそうです。

同じこの平成11年の11月11日に岡山県の井原市駅から広島県の福山駅までを繋ぐ「井原鉄道」が開業しています。

新幹線では、山形新幹線が新庄駅まで延伸開業しています。

 

●訃報

芦田伸介さん …「七人の刑事」で哀愁漂う刑事役を熱演、時代劇ゲストでも重鎮として活躍。

大屋政子さん …「ウチのお父ちゃんは」で有名な、実業家にしてセレブタレントのはしり。

土居まさるさん …「クイズ・ヒントでピント」「ほんものは誰だ」などのクイズ番組やTVジョッキーなどの軽妙な司会で活躍

三木のり平さん …桃屋のCMの吹き替えで有名、おとぼけキャラで活躍

ジャイアント馬場さん …巨人の投手からプロレス界の巨星として活躍。16文キックなど豪快な技でプロレス界を牽引

山岡久乃さん …ホームドラマに欠かせないお母さんとして活躍。

高橋和枝さん …「サザエさん」の先代カツオ役として特に有名

沖田浩之さん …竹の子族からアイドルとして活動、「3年B組金八先生」出演や「E気持」がヒット

西岡恭蔵さん …フォーク歌手でありシンガーソングライターとして活躍。矢沢永吉氏の楽曲の作詞に多数携わった

桂枝雀さん …落語界の異端児として活躍も自殺

根本陸夫さん …クラウンを西武にして一躍常勝軍団へ仕立て上げ、ダイエーでも同様の仕掛けで強いチームへ陰で育てた

由利徹さん …チョビ髭かトレードマークのコメディアンにして独特の訛りの入ったとボケた俳優としても味を発揮

別所毅彦さん …通算310勝を挙げた巨人のレジェンドにして解説者界の御意見番

村下孝蔵さん …「初恋」がヒットして一躍有名に。独特の甘い歌唱で人気を博すも早世

淡谷のり子さん …往年の「ブルースの女王」、晩年まで第一線で活躍

松宮一彦さん …元TBSアナウンサーにして「ザ・ベストテン」での追っかけリポーターでも有名に

千秋実さん …朴訥とした雰囲気に強い芯を持ったオヤジさん的な役どころが印象的な俳優

大翔鳳 …元小結。病気により現役引退後に死去

池田貴族さん …ミュージシャン。生前よりガンを公表し、精一杯生きた証を残し続けた

 

●プロ野球

セ・リーグは中日が11年ぶりにリーグ制覇、パ・リーグはダイエーが福岡に来て初めて優勝しました。ホークスとしては1973(昭和48)年に南海として優勝して以来、実に26年ぶりの優勝でした。日本一はダイエーが成し遂げ、中日はなかなか日本一には縁が遠く、日本シリーズでは勝てませんでした。

新人王はセ・リーグは、巨人・上原浩治投手が20勝を挙げ、パ・リーグは西武・松坂大輔投手が16勝を挙げてそれぞれ獲得しました。

松坂投手は高卒でプロ入り後を興味津々で観られてきながら、新人でいきなり16勝し、改めて「怪物」である事を証明してみせた格好でした。

セ・リーグの打撃では本塁打王こそペタジーニ(ヤクルト)が取りましたが、打率と打点は横浜・ローズが2冠を獲得しました。

引退選手としては、ロッテ・園川一美投手が先発が減りながらも30試合以上投げていましたが、まだやれそうな中で引退しました。同年代の中日・音重鎮選手も戦力外となる形で現役生活を終えました。中日から広島へ移籍しましたが、中日へ復帰しての引退でした。

 

●大相撲

総じて武蔵丸が強い1年で、横綱に昇進しました。ともすれば大関に安住しそうな状態でしたが、スランプを脱するかの如くこの年は強い相撲でした。

一方で既に横綱であった貴乃花はこの年と翌2000(平成12)年の2年間は一度も優勝がなく、ケガの後遺症か特にこの年は2ケタ勝利すら1度しか挙げていない状況でした。

また兄の若乃花は、前年1998(平成10)年に横綱になりましたが、この年は初場所こそ13勝を挙げたものの、勝ち越し自体がこの1度だけという状況で、兄弟同時横綱として年間通して過ごした唯一の1年であったにもかかわらず、2人で優勝は1度もないどころか、まともに自分たちの相撲すらとる事の出来ない状況になっていました。

そして出島が大関に昇進しました。その後順調に…と思いましたが、その後は少し意外でした。

引退力士としては、「相撲界の暴れん坊将軍」と呼ばれイケメン力士としてならした元小結・旭豊が幕内に居たままあっさりと引退し、立浪部屋を継承しました。これは師匠の立浪親方の定年によるものでした。

元幕内・豊ノ海も引退しました。個人的には前の四股名「貴ノ浜」の方が印象的でしたが、相撲協会退職後昨年56歳で亡くなっています。

元関脇・栃乃和歌は幕内上位で長く活躍し、大関候補の一人にも目された実力者でした。栃乃和歌と同い年の元小結・琴稲妻もこの年に引退、共に37歳になる年まで現役を張っていました。

先述「訃報」の項にあった元小結・大翔鳳が病気により引退し準年寄を襲名するも、年内には帰らぬ人となりました。

元幕内・時津洋も引退、徳島県出身の希少な力士で、またすごく額の狭い力士として個人的に印象的でした。この人も早世しました。

最後は元小結・舞の海です。業師として鳴らし、同じ業師の智乃花との一戦は特に湧きました。小さな者が大きな者を倒す「相撲」という競技の面白さを伝えた力士でした。いまは解説ですっかりお馴染みになっています。

 

●音楽

昔は年と音楽の結びつきがあったので、この年からその振り返りを綴ります。

LOVEマシーン」/モーニング娘。…この曲より後藤真希さんが加入し、モーニング娘。のイメージを決定づけ、また代名詞ともなりました。

「GOLDFINGER'99」/郷ひろみ …♪アチチ で再びHIROMI GOブームが再燃、路上ゲリラライブでお騒がせなど話題に。

この年は新御三家が久々にメディアで話題になり、野口五郎さんは「愛がメラメラ」、西城秀樹さんは「バイラモス」でそれぞれ洋楽カバーし(郷さんのGOLDFINFER'99もそうですが)、久々にオリコンでそこそこに順位をつけていました。

「だんご三兄弟」も流行りましたね。

●テレビ

同じく昔は、年と見たテレビ番組の結びつきが強かったので、この年からその振り返りを綴ります。

朝の情報番組は個人的にTBSを20年以上観続ていますが、この3月で「おはようクジラ」が終了しました。当初は渡辺正行さんが司会で、その後、元ヤクルト選手の青島健太さんが司会をしていたのを見ていました。4月からは「エクスプレス」という番組になり、女性色が前面に出た雰囲気になっていました。

ドラマは…、観ていたものでいうと、

「新・俺たちの旅ver.1999」:あのかつて青春ドラマ隆盛期に沸かせた「俺たちの旅」のリメイクをV6のカミセンメンバーがやっていたのですが、、、二番煎じに当たりなし、個人的にはそんな感じでした。どうしても元ネタを基準に見てしまうので…

「ザ・ドクター」:堤真一、長嶋一茂という対照的なキャラクターの医師が絡み合う、これまた「振り返れば奴がいる」のような作風でした。

当時一茂さんは結構役者やってましたよね…。

再放送で「俺たちの勲章」がやってて録画して見れました。以前1986(昭和61)年にあったのですが、学校でほとんど見れず、当時は家にビデオデッキもなく、やっと記録できました。

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また「西部警察」の再放送が全国各地で行われていたようで、石原裕次郎さんの13回忌法要のテロップが流れていましたが、それに合わせて各地で再放送されていました。

 

●旅行

この当時は社会人になってから最も貧乏期であったので、旅行らしい旅行には行けず、一度島根には行ったものの、岡山、大阪などの近場を1、2回行ったぐらいで、全体的につつましやかな生活をしておりました。

 

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2022年9月12日 (月)

生活と思い出と世の中と(2000年)

遡って振り返る、「生活と思い出と世の中と」。22回目は2000(平成12)年てす。

 

西暦がちょうど2000年、20世紀最後の年「ミレニアムイヤー」として大いに話題になり、2000円札も発行されました。

個人的には30歳になる節目の年でもありました。

 

●仕事

1998(平成10)年末から派遣社員生活が続いていて、この年も「通し」でそうでしたが、この年4月~初めて自分より後に人が入り、1年半続いた自分が一番下っ端体制が崩れました。と同時に、その人たちに仕事を教える事になり、この世界で初めて人にものを教える事になりました。

そういう意味で自分のポジションがひとつ上がった事を感じた年でもありました。色んな事を覚えて、教えることで理解して…と、この当時は色々知識吸収欲が高かったように思います。新システムの事を検討するという事で別室に籠って考える日々も送りました。

出張にも結構行かせていただきました。作業的なものや、打ち合わせ的なもの、現場工事手伝い…多岐にわたり、仕事の充実した年でもありました。

 

●ニュース

西暦2000年問題がすごく話題になりましたが、結局何も起こりませんでしたし、世界が滅ぶこともありませんでした。

しかし色んな事件やアクシデントは起こりました。

現職の小渕恵三首相が倒れ、森喜朗氏が首相の座に就きましたが、小渕氏は亡くなってしまいました。「平成」を掲げた人物でしたが、こんな形で亡くなるとは…。

西鉄バス乗っ取り事件は衝撃的でした、犯人が17歳少年とは…昭和の犯罪のような…。

有珠山の噴火や、鳥取県西部地震があり、特に鳥取地震は個人的に影響があり、山陰地方へ行くルートを変えて乗車したりして時間がかかったりしていました。

シドニー五輪が開催されました。高橋尚子選手の走りが感動でした。この絡みでよくhitomiさんの「LOVE2000」が流れていました。

 

●訃報

二階堂進さん …晩年まで総裁選に野心を燃やした政治家

荒井注さん …元ザ・ドリフターズで一世を風靡、脱退後はコミカル系の俳優へ。

橋本功さん …「江戸の旋風」シリーズの岡っ引き勘八や「明日の刑事」佐藤刑事などがらっぱち系の役の似合った俳優

高原駿雄さん …「秘密戦隊ゴレンジャー」のスナック・ゴンのマスター江戸川権八などが有名な俳優

浅野輔さん …「JNNニュースコープ」のキャスターとして人気を博す

真家ひろみさん …元「ジャニーズ」メンバー、あおい輝彦さんなどと共に活動していた

鶴岡一人さん …南海ホークス監督として長年球界に貢献してきた

粟津號さん …「大都会」シリーズの刑事役で唯一殉職した「平原刑事」を演じるも悪役を主戦場とした俳優

ジャンボ鶴田さん …若手時代よりタレント的に有名だったプロレスラーも早世

小渕恵三さん …「平成」を掲げた官房長官にして、現役首相時代に倒れ帰らぬ人に

三浦洋一さん …オールバックにポマードがトレードマーク。「さすらい刑事旅情編」香取刑事役を長年務めた。

山村聰さん …「必殺仕掛人」音羽屋半右衛門など重鎮的役柄で場を締めた俳優

井上大輔さん …元ブルーコメッツの中心的存在で、その後作曲活動や自身でもガンダムソングを歌ってヒットさせた

梶山静六さん …自民党の重要人物として長年活躍

竹下登さん …島根県出身の首相として名を馳せ、平成になった時の首相でもあった

青江三奈さん …ブルース系を得意とした歌手で、「伊勢佐木町ブルース」などのヒットで紅白にも出場。

黒田清さん …読売新聞にいたジャーナリストでTVにも出演し新聞コラム執筆も行った

谷村昌彦さん …「Gメン'75」末期のベテラン刑事・古田刑事役にて出演。

工藤栄一さん …「必殺!Ⅲ 裏か表か」などの多くのハードな作品を指揮した映画監督。

浪越徳治郎さん …「指圧の心は親心 押して命の泉湧く」で有名な指圧師でTVにも頻繁に出演

ミヤコ蝶々さん …大阪のおばちゃん風の独特の存在感をもった女優

藤井将雄さん …ダイエーホークスの投手として活躍も病気により戦線離脱し現役中に早世

林家珍平さん …「銭形平次」の八五郎役として長年活躍

高野光さん …ヤクルトスワローズで新人から主力として活躍するも引退後に自殺

東野英心さん …東野英治郎さんの息子にして親子で俳優。「あばれはっちゃく」シリーズの頑固で怖い父親を熱演。

 …自殺をした方や早世の方が多かったように思います。

 

●プロ野球

セ・リーグ優勝が巨人で、パ・リーグ優勝はダイエーでした。

巨人のリーグ優勝が二岡選手のサヨナラホームランという劇的なものでした。日本シリーズもダイエー相手に4対2で日本一になったのですが…

この時の日本シリーズというのが、、、巨人は長嶋監督で、ダイエーは王監督な訳です。長嶋VS王の「ONシリーズ」としても大いに話題になりました。

新人王はセ・リーグが横浜・金城龍彦選手で首位打者のタイトルも同時に獲得しました。パ・リーグは該当なしの寂しい年でした。

主な引退は、この年2,000本安打を達成した横浜・駒田徳広選手がベンチとの確執もあってか終盤殆ど出番なく終わり、あっさりした引退でした。オリックスの優勝に大貢献した野田浩司投手が32歳の若さで、同じく32歳で1991(平成3)年に新人で大活躍したヤクルト・岡林洋一投手も引退しました。同じくオリックス優勝に貢献しヤクルトに移っていた馬場敏史選手も引退しました。その馬場選手とダイエーの内野を守った湯上谷紘志選手も引退しました。

 

●大相撲

横綱・若乃花が引退しました。29歳の若さで。大関までに5回も優勝していましたが、横綱になってからの優勝が一度もないまま、ほとんど活躍できなかったのが悔やまれました。兄弟同時横綱誕生と騒がれながらも、その期間は実に短いものでした。

他の引退力士としては、巌雄(がんゆう)や北勝鬨(きたかちどき)などですが、幕内優勝も経験した元関脇・琴錦もこの年引退しました。そして、同じく元関脇でやはり幕内優勝経験のある水戸泉も引退、豪快な塩まきは本当に観る者を惹きつけたものでした。

また大関昇進の多い年だった印象もありました。貴ノ浪の大関復帰もあれば、武双山が大関になり、魁皇が大関になり、雅山も大関に昇進しました。

 

●もちもの

前年1999(平成11)年に初めて「携帯電話」なるものを買いましたが、本当にただの「電話」で、電話機だけのものでした。これに当時少しはやった「着信音設定」の本を買って、「手打ち」で着信音を設定していました(笑)

この年の春に「ezweb」の携帯に買い換えて、初めて「メール」ができるようになり、また「ネット」もできるようになりました。ネットというものができるようになって素晴らしいなと感じたものでした。まだまだそんな「ググる」とか一般的ではありませんでしたが…。

家のPCも買い換えましたが、10月にネット手続きをして、それまでExcelとかだけしかできなかった「箱」が、ここでも「インターネット」のできるPCになりました。おもえばここからが自分にとっての「ネット」文化の始まった年でした。

そしてそれまで「現金一括」主義で、なんでもそれしかしてきませんでした(たまに現金ローン組んでましたが)が、クレジットカードを初めて手続きし、持つことになりました。これはPCでネットをするためにクレカを持っている事が必須で、いわば「必要に迫られて」持つことになったものでした。

 

●旅行

正月から夜行列車に乗って初めての「秋田県」へ。大館市の「秋田犬会館」へ行きました。

雪の積もった、更に降っている中を歩いて着いて、秋田犬はいませんでしたが、剥製に触れたり、秋田犬の事をいろいろと学び、ここから歩いて東大館駅へ。途中で食堂へ行きましたが、今はもうないであろう感じの老舗感満載の所でした。

その後盛岡(岩手)、仙台(宮城)、福島…とそれまで行った事のなかった東北の県をすべて回りました。青森と山形は訪問済だったので飛ばしましたが、特に宮城は日本三景「松島」を楽しみました。松島駅から松島海岸駅まで歩くと、大体ひと通り楽しめるという感じでした。

2月には大月市を訪ねて初めての「山梨県」へ。これにて「全47都道府県」の訪問を達成しました。20代のうちに達成したいと思って、この前年からラッシュをかけていましたが、29歳にして達成する事ができました。

夏には、「沖縄離島めぐり」を敢行しました。日本最西端の「与那国島」へ行って1泊し、日本最南端の「波照間島」へはレンタサイクルして、石垣島も行って…と。チケットとか知らなかったので、全部正味の価格で1回の旅で15万くらい使った覚えがあります。「日本トランスオーシャン航空」なんて乗って行ったと思います。石垣から与那国まではプロペラ機だったような気がします。与那国で原付をレンタルして島巡りをしたりしました。

 

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2022年9月 3日 (土)

生活と思い出と世の中と(2001年)

遡って振り返る「生活と思い出と世の中と」。20回目は2001(平成13)年です。

21世紀最初の年で、ロイヤルベビー誕生もあれば、痛ましい事件・事故も少なからずで、波乱含みの21世紀幕開けとなりました。

 

●仕事

派遣社員として働いていた真っ只中で、そんな中で新システムに関わりながら時々出張にも行かせてもらったりしました。
当時31歳になる年でしたが、30歳の時点で自職場にようやく年下が入ってきたという、どんな年齢層なんだという感じですが、37歳ぐらいの時もこんな状況がありました(笑)

会社の命で、東京まで展示会を見に行ってきました。「ちょっと行ってこいや」ぐらい感じで、緩かったなと思いますが、今の時代なかなかそんな事の出来る状況じゃなくて、世知辛い世の中になった事をつくづく感じます。

●ニュース

小泉内閣が誕生し、その後長期政権を維持する事となります。「構造改革」「痛みを伴う」…よく聞いた言葉でしたね。

皇太子妃(当時)の雅子さまが女児を出産され「ロイヤルベビー」として話題になり、急遽特番になったりして、その時見ていたドラマが急に特番に差し変わったりしていました。今の愛子さまですね。

大阪府池田市の小学校襲撃事件はこの年でした。男が学校へ乱入して切りつけ、8人の児童が亡くなり、教職員含め15人が重軽傷…あまりにも痛ましすぎる事件でした。小学校は確かに容易に入れて、力の弱い小学生を襲う事など簡単にできるといえばできますが、「そんな事するか?」って感じでしたね。それから学校の門の警戒は厳重になり、校門付近をウロウロしてる者はいないかチェックされたり…、、学校行って勉強してて襲われるなんて微塵も思わないですよね…。

21世紀最初の「市」として、田無市と保谷市が合併して「西東京市」となりました。ちょうど、その年の8月西東京市になったばかりの田無へ行ったのを覚えています。ちなみに「さいたま市」もこの年の誕生です。

▼当時の田無駅

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神戸市営地下鉄の「海岸線」が開業しました。1997(平成9)年頃、神戸へ通勤していた頃に、この路線の工事で地下鉄の走る地上にあたる部分もかなり道路規制がされていたのを思い出します。結局は開通を見ないままそこでの勤務が終了し、開通後しばらくしてからようやく地下鉄にも乗りました。

その神戸市の隣明石市で、7月に花火大会の見物客が朝霧駅の歩道橋で将棋倒しになり、11名死亡という痛ましい事故が起きました。

そしてまたTVを見ていて衝撃的だったのが「アメリカ同時多発テロ」でした。まさかビルに航空機が突っ込むなんて思いもしないし、こうして書いていても実に痛ましい事故ばかり起こった年だという事を改めて感じます。

 

●訃報

4代目桂三木助さん …落語界のシティボーイ的存在も若くして自死

久和ひとみさん …女性キャスターとしてニュース番組で活躍しながら癌により40歳の早世

花沢徳衛さん …江戸っ子気質のべらんめえ口調の似合う、堅物の頑固おやじ役が似合う名脇役

三波春夫さん …「お客様は神様です」の演歌歌手。枠にとらわれない様々な音楽ジャンルへも挑戦。

河島英五さん …独特のゴツい雰囲気を持ったフォーク歌手。「酒と泪と男と女」「野風増」などが有名。

小島三児さん …トリオスカイラインでコメディアンとして活躍後、飄々としたコメディリリーフ的な役者へ

蔦文也さん …やまびこ打線で全国を席捲した徳島・池田高校を率いた名将

河本敏夫さん …中曾根康弘氏と自民党総裁の座を争った政治家。

相米慎二さん …「台風クラブ」などで有名な映画監督

古今亭志ん朝さん …タレント的活動もこなした落語家。「新・必殺からくり人」では高座で息絶える殺し屋役。

左幸子さん …陰のある女性が似合う女優。「赤い絆」で山口百恵さんの真の母役も。

杉浦忠さん …シーズン38勝を挙げた南海の大エース。南海・ダイエー監督も。遠征先で急死。

水谷則博さん …ロッテの先発左腕投手として通算100勝を達成。51歳で急死。

三代目江戸家猫八さん …物真似師として活躍しながら、「鬼平犯科帳」などで味のある俳優としても活躍。

南原宏治さん …アクの強い、存在感のある悪役俳優として、刑事ドラマや時代劇などで活躍。

 

●プロ野球

巨人の長嶋監督がこの年限りで勇退、原ヘッドコーチが監督に昇格し、阪神ではの野村克也監督から、中日の監督を退任したばかりの星野仙一氏が阪神新監督に就任するなど、監督人事にも話題が集まる年でした。

ペナントはセ・リーグがヤクルト、パ・リーグは近鉄がそれぞれ優勝しました。近鉄は12年ぶりにして最後の優勝となりました。

日本シリーズはヤクルトが制して日本一になりましたが、若松監督が優勝に対して「おめでとうございます!」と挨拶し観客を沸かせました。

新人王はセ・リーグが阪神/赤星憲広選手で、25歳でのデビューですが足を中心に売り込み見事新人にして盗塁王となりました。パ・リーグはオリックス/大久保勝信投手で1年目から抑えで活躍、彼もまた25歳になる年でのデビューでした。

西武に移籍していた西崎幸広投手が引退、日本ハム時代は新人から「トレンディーエース」として活躍していました。また中日の今中慎二投手も引退、早くから頭角を現し大活躍しましたが、故障などで長く続かず、太く短い野球人生でした。

 

●大相撲

相撲史に残るともいわれる貴乃花最後の優勝はこの年で、その後異例の7場所連続休場となりますが、その直前に武蔵丸に敗れて相星決戦となり、それも明らかに状態の悪い中で「鬼の形相」で武蔵丸に勝ち見事優勝しました。

賜杯を受取る時に小泉純一郎首相からの「痛みに耐えてよく頑張った!感動した!」のシーンは生で見ていましたが、インパクトは絶大でした。別な意味で痛みに耐えるのは御免だという一部国民の声もありましたが…。

引退力士としてはまず横綱・です。いつの間にか引退してた、という感じですが、むしろ1998(平成10)~1999(平成11)年頃に休場続きだった頃の方が危機的で、前年2000(平成12)年は全場所勝ち越しで休場なしだったので、明けて1月の場所で休場し突然の引退には驚きました、というより少し後に「引退してたの?」って感じで驚いたのですが、両ひざが相当悪かったようです。この年ではないもののその後、貴乃花、武蔵丸と相次いで引退し、時代が変わっていく事を感じました。

他の引退力士は敷島、智乃花といったところでした。智乃花は教職を捨てて力士になったという変わり種で、個性的な業師として土俵を沸かせました。

 

●旅行

盆に1年半ぶりに関東へ行きましたが、前回実現できなかった川崎市の「昔住んでいたマンション」へ。25年ぶりにようやく探し当てました。まだネットも乏しく、情報量も乏しかった中で探してて、後で親にサプライズで見せたりしてました。

3~5歳くらいまで住んでた場所で、建物自体ほとんど変わってなくて逆ビックリで、周りはそれなりに変わっていたものの面影は残っていて、幼少時の朧げな記憶なりになぞる事ができました。

靖国神社にもこの年初めて行きました、それも8/15に。本当にただの興味本位でしたが。

GWには2年連続で沖縄へ、初沖縄だった1997(平成9)年以来の沖縄本島へ。前回は南部の糸満や豊見城などへ行っていましたが、この時は名護など北部へ行きました。名護市役所の建物が立派すぎて、今まで見た中でもここ以上にインパクトのあった市役所はありません。今帰仁(なきじん)城跡なども行きました、日本版「万里の長城」のような。

派遣社員身分でお金もなかったので、そんなにいつでもあちこち行ける状態に無く、お盆とかGWとか結構限られていました。

 

さて、次からは20世紀の年へ遡っていきます。

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