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2023年1月の2件の記事

2023年1月23日 (月)

生活と思い出と世の中と(1993年②)

遡って振り返る、「生活と思い出と世の中と」。34回目は1993(平成5)年の第2回です。

 

まずは、この年に見たドラマから。

●ドラマ

並木家の人々 …武田鉄矢・陣内孝則・安田成美という3人での家族ドラマ。

振り返れば奴がいる …織田裕二・石黒賢氏による医師ドラマ。Bitter&Sweatの対照的な医師の絡み合い。

はだかの刑事 …松方弘樹氏主演。約3年続いた「刑事貴族」シリーズ終了後、人情刑事ドラマとしてスタート。少しアクション寄りとなりつつ9ヶ月放送。

RUN …長渕剛氏2年ぶりの主演ドラマ。占い師をしながら「鼠小僧」として悪を闇へ裁くスタイルのドラマ。

高校教師 …真田広之・桜井幸子氏を中心として高校の禁断学園ドラマ。主題歌「ぼくたちの失敗」の大ヒット

正しい結婚 …昼ドラマ。藤吉久美子・船越英一郎・川島なお美氏等で繰り広げた30代の複雑な恋愛模様。郷ひろみ氏の主題歌「僕がどんなに君を好きか、君は知らない」がヒット

パパっ子ちゃん …朝ドラマ。水野真紀・阿部寛氏の主演で、父子の愛情・恋人との愛情などを織り交ぜ奈から展開

●音楽

「東京」(矢沢永吉)

「風の中の火のように」(KAI FIVE)

「エロティカ・セブン」(サザンオールスターズ)

「RUN」長渕剛

 

▼風の中の火のように

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●訃報

田中浩さん …悪役を中心に活躍した俳優。しかし「丸大ハム」のCMでは「わんぱくてもいいたくましく育ってほしい」でお馴染みの良きお父さん役で人気を博した

桂春蝶さん(2代目) …関西落語界のホープとして長年活躍、51歳の若さで病死

園山俊二さん …「はじめ人間ギャートルズ」で人気を博した漫画家。

笠智衆さん …おじいさん役で人気のあったベテラン俳優

加藤正之さん …「ドラえもん」のび太のパパ役の声優として知られた。

戸浦六宏さん …常に目を細めた雰囲気の狡猾で残忍な悪役を得意とした俳優。

安倍徹さん …強面の風貌を生かした、組織の黒幕的な役どころで活躍した俳優。

津田恒美さん …広島東洋カープ「炎のストッパー」として80年代後半に大活躍も脳腫瘍により32歳の若さで死去

ハナ肇さん …クレージーキャッツのリーダーとしてテレビのバラエティー界に君臨し、俳優としても味のある演技で人気

潮健児さん …「仮面ライダー」の地獄大使役など悪役で有名俳優。「忍者キャプター」では50歳を過ぎて正義のヒーローを演じた。

森永勝也さん …プロ野球ニュースの解説でお馴染み。広島の監督も経験。

田中角栄さん …元首相。日本列島改造論の展開、ロッキード事件での逮捕など破天荒な政治家として知られた

 

●プロ野球

ヤクルトが西武を下して、初めてリーグ優勝&日本一となった1978(昭和53)年以来2度目の日本一となりました。

新人王は、セ・リーグはヤクルト・伊藤智仁投手、パ・リーグは西武・杉山賢人投手と、いずれも優勝チームから出ました。

伊藤投手は故障でフルシーズン働けず7勝2敗でしたが、内容が評価されての受賞となりました。今後を大きく期待されたものの、やはりケガが付きまとい続け、短命に終わりました。

杉山投手は入団年齢が遅くて長い年月は活躍できませんでしたが、この年は鹿取・潮崎いった投手とトロイカ体制ともいうべき鉄壁のリリーフ陣を形成していました。

また、巨人では長嶋監督の再就任が大きな話題となりました。また、その長嶋新政権1年目に松井秀喜選手が入団してきて、レギュラーとまではいきませんでしたが、それでも高卒1年目で11本の本塁打を記録し、大器の片りんを見せていました。

大洋が、横浜大洋ホエールズから「横浜ベイスターズ」になったのはこの年からでした。しかしその横浜で、大量解雇がありました。巨人からFAした駒田徳広選手を獲得すべく、球団の選手を大量解雇し、高木豊・屋鋪要などの主要な選手も含まれていました。結局高木選手は日本ハムへ移籍し1年で引退、屋鋪選手は巨人へ移籍し、日本シリーズでのスーパープレーでチームの日本一に貢献しました。

また、このオフでの大型トレードで大変印象的だったのは、西武とダイエーのトレードでした。西武・秋山幸二、渡辺智男、内山智之の各選手とダイエー・村田勝喜、佐々木誠、橋本武広の各選手の「3対3」のトレードで、規模もスゴイですが、「西武・秋山とダイエー・佐々木を出すか??」と衝撃でしたね。

日本一を花道にヤクルトから2人の大ベテラン選手である杉浦亨外野手(当時41)と八重樫幸雄捕手(当時42)が長い現役生活に別れを告げました。杉浦選手は前年引退するつもりだったのが、日本シリーズで劇的なホームランを打ったことで現役続行となったものでした。

また、オリックス・松永浩美選手と阪神・野田浩司投手がトレード移籍したシーズンで、野田投手はオリックスで短いながらも大活躍し優勝に貢献していきますが、松永選手は阪神移籍し、背番号2から「02」に変更した挙句この1年限りで阪神を退団したという事もありました。

西本聖投手がこの年のみオリックスに在籍していました。中日を退団し、オリックスへ移籍し37歳のシーズンでしたが5勝を挙げるなどそこそこ活躍していましたが、次の年は古巣へ戻る事となりました。

 

●大相撲

が横綱に、貴花田が大関に昇進した年でした。貴花田はわずか20歳5ヶ月での大関昇進となり、これは北の湖が持っていた最年少記録を更新するもので、この大関昇進時に父と同じ「貴ノ花」と改名しました。(その後貴乃花へ改名)

また、このタイミングで父が藤島親方から二子山親方となり、二子山部屋を継ぐ事となりました。

この当時は1991年の千代の富士引退以降、すっかり勢力図が変わっており、前年までに当時の横綱・大関も多数現役を去っていった頃でもありました。

そんな中、曙が突出して強かった時代で、6場所中4回優勝しており、逆にその後の失速が際立った感がありましたが、この時はとにかく強かったです。他は若花田・貴ノ花が1回ずつ優勝しており、若花田の初優勝はTVで見て覚えていますが、ちょうど大学を出て引っ越し前の部屋の片づけをしながら見ていました。

引退力士としては、前頭下位から十両が最高位の力士が多く、目立つのは元小結・両国くらいです。同期の栃乃和歌と共に学生相撲出身で大器として騒がれた存在でしたが、ケガに悩まされる事も多く小結止まりでした。最後は92年11月に十両に陥落してわずか1場所で幕下へ陥落してこの93年にも番付こそ載りましたが場所前に引退したものでした。

 

…Jリーグが開幕し、サッカー中継がゴールデンタイムにされていたこの1993年、♪オーレオレオレオレーのメロディーが流れまくっていた印象が強い年でした。

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2023年1月 8日 (日)

生活と思い出と世の中と(1993年①)

遡って振り返る、「生活と思い出と世の中と」。33回目は1993(平成5)年の第1回です。

長らく自民党の政権が続いていた「55年体制」に終止符が打たれ、自民党以外の政党が政権を奪取した年であり、また現在の天皇陛下が皇太子時代に御成婚され「ロイヤル・ウエディング」として話題になった年でもありました。今からもう30年も前になるのですね。

 

●ニュース

冒頭の通りですが、自民党55年体制の崩壊により、それまでの野党連立政権が誕生し、細川護熙首相の内閣が発足しました。

生まれてこの方ずっと、自民党政権しか知らない身としては新時代が到来したような気分でしたね…、あんな短命政権になるとは…この時は夢にも思いませんでしたが…。新党さきがけや新生党といった政党が誕生したのもこの年でした。

 

そして「ロイヤル・ウェディング」。時の皇太子さまのご成婚はいつか?と話題になっていましたが、決まるや祝福ムードに包まれた日本がそこにありました。

新幹線の「のぞみ」が運行開始されました。それまで東海道・山陽新幹線は「ひかり」「こだま」だけでしたが、のぞみはやはり早いなと数年が感じる事となりました。この当時はあまり新幹線に乗っていなかったので分かりませんでしたが。

北海道南西沖地震が発生、奥尻島で多くの死者が発生するという痛ましい事件もありました。

 

●仕事

「仕事」というカテゴリでこの文を書くのは、この回が最後です。

この年に大学を卒業して、学生から新社会人になったので、まさに社会人一年生、就職した年でした。

3/30に実家へ戻ってきて、4/1からいよいよ働き出す慌ただしさ、2日間の集合研修を経て、4/3から配属先へと散っていきました。

毎日覚える事ばかりで、社員として働くという事が初めてで、日々慣れずにしんどかったですね。

店舗勤務だったので土日の休みがなく、平日の連休が楽しみでしたが、これもあっという間に過ぎていきました。

ごくたまに3連休をゲットできた時は嬉しかったものでした。なにせGWも盆も何もなかったので。

夏ころまでなれない日々でしたが、8月に後から人が入ってきた時に、一番下っ端は変わらずながらも少し慣れてきた感がありました。それからでしょうか、社会人としての生活リズムに馴染んできて、仕事とプライベートの使い分けとか、分かるようになってきました。

 

●学生生活

仕事が4月から始まったなら、学生生活は3月に「なんとか」終わりました。

「なんとか」と書いたのは、、すんなり4年間で卒業できたわけではなかったからです。

2月末に大学の学生課から電話があり、「後期の一般教養試験が不可になった」「指導教授を訪ねて追試を受けさせてもらえ」との事でした、この時の「凍りつき具合」は半端ありませんでした。ヤバイヤバイ、もうそれしかありませんでした…

「このままでは4年で卒業できない…」

1年次に一般教養の単位を落としてしまい、学年が上がってから一般教養を受ける事を避けてきて、4年次に巻き返すつもりでしたがやはり出れずに試験も失敗、恐れていたものを蓋をしてきていました。。がやはり隠し切れず、無情にも「通告」されました。

それでも「チャンス」はもらったので、それこそここでやっと「本気」になりました。指導教授経由で、教科の教授をお訪ねし、そこで出されたお題を丸暗記して、「再試」に挑みました。ここでやっと合格し逆転で「単位取得」となり、無事に4年で卒業できることとなりましたが、それまでの何日間かは「地獄」でした。卒論出した後にこんな事があるとは…というところで。

 

年明けは、初めて年末年始に親元へ帰省しませんでした。「卒論」の追い上げがあって、のんびりする間がなかったので。正月も卒論を書いていました。多少バイクで出かけて気晴らし程度の事はしていましたが、卒論終わるまで何ヶ月も髪を伸ばし続けたり、「卒論ありき」の生活でした。

卒論提出はギリギリまでかかりましたが、終了間際はいろんな事で気持ちがギリギリになり、わーきゃー喚きながら書いていた、と言っても過言ではないレベルでした。ちょっともう精神的にもヤバかったです。

卒論発表はとても寒い日で、最高でも氷点下だったかな、という日でした。その後の謝恩会とか、色々と学生生活最後のイベントごとが続きました。

卒業式は後輩たちが盛り上げてくれて、思い出深いものとなりましたね。

その後ギリギリまで部屋じまいができず、住み慣れた街を離れるのが嫌で、ぐずりながら荷造りを開始、なんとか3/29くらいまでにはまとめる事ができましたが、がらんとした部屋にすごく寂しさを感じていした。喜怒哀楽いっぱい感じた「濃い」4年間だったので、終わらせたくなくて。

 

●プライベート

仕事の項で書きましたが、来てはあっという間に休日が過ぎた感じでした。

最初は常に開店前に出勤していましたが、シフト制になり、9:15くらいに出て9:30に入るとかそんな感じで出勤するようになってから、幾分楽になりました。晩は閉店19時で決まっていたし、早番だと18:30に帰れたので、遅くまで働く事がなく、そういう意味でもリズムをつかみやすかったと思います。

学生生活への恋しさが強くて、月に一度くらいは学生時代過ごした街へ出かけて(電車で4時間!)、キャンパスに入って留年した友達と遊んだり、出くわした後輩と出会って楽しんだりしてました。夜中は後輩のところでギターの弾き語りに合わせて歌ったり…今なら絶対できなそうですが、そういう時代でした…

一方で、金がなかった為、これまで楽しめなかった「旅行」を楽しむこともできました。

泊りはありませんでしたが、滋賀県や岐阜県に、和歌山県にも初めて行きました。兵庫から日帰りで、というささやかな旅をしてました。観光を楽しむというより、未踏の「県」や「街」に足を踏み入れる事が目的だった気がします。

あとは、「ワープロ」を初めて買いました。卒論でワープロは使っていましたが、先輩からの借り物で、自分のものとしては社会人になってやっと、10万円近く出して買いました。当時はPCなどないので、ワープロを持ってるかどうかぐらいでした。そういう感じのステータスとしては。そのワープロを使って学生時代の後輩などに手紙を出したりとかしていました。

 

次の記事では当時の流行や見たもの等TVメディア関連を中心に綴ります。

 

 

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