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2023年3月の2件の記事

2023年3月21日 (火)

生活と思い出と世の中と (1992年②)

遡って振り返る、「生活と思い出と世の中と」。36回目は1992(平成4)年の第2回です。

第1回は自分史的なものでしたが、第2回は世の中の動きをより濃くアプローチします。

 

●ドラマ

 あくまでオンタイムで少しでも見て記憶にあるもののみを並べます。

 

「刑事貴族」シリーズ 

 …「刑事貴族2」が3月まで1年間放送されましたが、水谷豊さんはじめ好評だったのか、4月からも一部メンバーを加えてほぼ継続の形で「刑事貴族3」が放送されました。これは「西部警察」と同じパターンですね。初作だけが大きく変わり、2と3はほぼ続きもという。
そして、これも「2」同様に1年間放送されるのかな?と思っていたら、12月で放送終了してしまい、それも9月から10月の間はかなり空いて、9月で終わってしまったのか?と思うぐらいでした。10月も末になってから再開され、高樹沙耶さんの演じていた青木順子刑事が復帰し、前田耕陽さんの演じた新人刑事「ダイ」が同時に登場しましたが、その活躍もわずか10回程度で終わってしまいました。

最終回は水谷豊さんが最初から最後まで徹底したハードアクションで、自身の登場した「刑事貴族」2」の初回に出てきた同じ、大きな女性の超難敵の犯人と再び対決し、死闘を演じた末のハッピーエンドとなりました。

寺脇康文さん、高樹沙耶さんと水谷さんの共演で、後の「相棒」が、この刑事貴族の同窓会ともいわれました。

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「愛しの刑事」

 …石原プロの刑事ドラマとしては最後になった作品で、以前放送された同プロの「代表取締役刑事」の配役に近い、渡哲也さん主演で、舘ひろしさんが実質的主人公の位置づけの刑事ドラマでした。今回、舘さんとコンビを組んだのが宅麻伸さんでした。

石原プロの刑事ドラマもそれまでのようなハードアクションは影を潜め、いささかソフトな路線で、といって人情モノまでも行かず、役者は揃ってましたが中途半端な感もありました。

「愛という名のもとに」

 …鈴木保奈美さん、唐沢寿明さん、江口洋介さんなど当時の旬の役者陣が結集して、若者の人生を描いた作品。挫折や仲間の「チョロ」の自殺など悲惨な場面も多く、全体に重々しい雰囲気が印象的でもありました。

浜田省吾さんの歌った主題歌「悲しみは雪のように」が大ヒットし、この曲やドラマのタイトルでもある「愛という名のもとに」の含まれるアルバムで1981(昭和56)年に発売された「愛の世代の前に」が大ヒットし、古いアルバムが掘り起こされた格好で、またドラマのサブタイトルにも浜省の楽曲がそのまま使われていました。

「ウーマンドリーム」

 …当時人気の高かった裕木奈江さんの主演ドラマ。内藤剛志さんが裕木さんをスターに育て上げる姿が印象的、それしか記憶にありませんが…

「裏刑事-URADEKA-」

 …藤竜也さん主演、法では裁けない悪を裁く「裏刑事」たちの活躍を描く。藤竜也さんが50歳を越えてもアクションしてて、片や彼に並ぶような存在に近藤正臣さんがトランプを使ったマジックなどで好演、この二人の対照的なキャラクターのぶつかり合いが妙に好きでした。近藤さんが長髪だったのって、この頃くらいが最後だった気がします(笑)

「俺たちルーキーコップ」

 …後に結婚する仲村トオルさんと鷲尾いさ子さんが主演・準主演として共演。

  トオルさんに使われる新米警察官に萩原聖人さんや榊原俊彦さんらが扮し、彼らこそがルーキーコップでしたが、他にも中条静夫さんの出演は「あぶない刑事」つながりだったり、若き課長に渡辺徹さんが扮していました。半年放映の予定が14回に短縮されたのは残念でした。

EDは仲村トオルさんの歌った「ブラザーズ・ソング」で、これは故・松田優作さんが歌っていた曲のリメイクでした。

「学校があぶない」

 …森尾由美さん主演のドラマで、偶々テレビを見たらチャンネルが合って何度か見ました。田中健さんの演じた教師が危ない感じの人だったのを覚えています。あと安達祐実さんがバリバリの子役で出ていた事と。

「社長になった若大将」

 …文字通りの若大将こと加山雄三さんの主演作。当時55歳でかなり貫禄もついていましたが、これも2クール予定が16回で終わってしまったといいます。何気に何度か見てましたが、娘息子役もなかなかいい年(20歳前後?)で出ていて、ストーリーは正直あまり覚えていませんが、ホームドラマというイメージでしたね。

「素顔のままで」

 …安田成美さん主演。とにかく中森明菜さんのドラマ出演が話題でした。それもすごく低い声でダミ声のような喋り口が大変印象的でした。

 主題歌は米米CLUBの「君がいるだけで」でこれが大ヒットしました。

「ずっとあなたが好きだった」

 …賀来千香子さん主演。「冬彦さんブーム」で話題になった佐野史郎さんの怪演が大変印象的で、野際陽子さんの姑キャラもこの頃辺りから出来上がっていったように思います。当時大学生でしたが、学生会館にあったテレビで仲間内みんなでこのドラマを見て、冬彦さんが豹変するたびにワーキャー言ってていたのを思い出します(笑)

「二十歳の約束」

 …あまり覚えていませんが、とにかく牧瀬里穂さんが連ドラ主演するという事で話題になったドラマでした。

「ホテル」

 …1990年に放送された「ホテル」がその後のスペシャル版を挟んで、連ドラで帰ってきた2作目でした。菊池桃子さんに代わって伊藤かずえさんが登場し、ベテランどころはこの作品のみ小野寺昭さんが登場していました。原作者・石ノ森章太郎氏の御子息・小野寺丈さんは初作から出演していましたが、小野寺昭さんとは血縁関係はないそうで、今作のみ小野寺被りしていました(笑)。この二人は現在でも舞台共演するなど親交があります。

「真夏の刑事」

 …時任三郎さんと別所哲也さんを中心とした刑事ドラマ。個人的には地元へ帰省中しか見れず、あまり覚えていませんが、最終回の柳沢慎吾さんが殉職する回は見たかった…。

 

●音楽

自分の手元にある曲のみ限定で、この年の作品は正直あまりもっていないです…

Anytime Woman/矢沢永吉

 …タイトルを聞いた時「まさか!」と思いましたが、永ちゃんがキャロル時代にラストコンサートで歌っていた、まくしたてるような英語詞のみの曲と同じタイトルで、キング・オブ・ロックの永ちゃんも歌い口はあくまでスローであり、早口で歌う事は殆どなく、個人的に待望の早口曲!と思っていましたが、詞は松本隆さんがつけて、曲のみ当時のものが使われ、あくまでソロ矢沢永吉のちょっとスローなロックでした。

リリース3週間後に同名の英語詞としてEnglish Versionがやはりシングル曲としてリリースされました。この年は永ちゃんのデビュー20周年であり、同時期にリリースれたアルバムも「矢沢永吉、20年目のロックンロール」と帯に書かれていました。当時は40代以上でロックをやる人がいなくて、その先頭を走っていましたが、今では50代60代でも普通にロック歌手・バンドがいて、時代の変遷を感じます。

BRIDGE~あの橋を渡るとき/ハウンドドッグ

 …ビールのCMソングとしてのタイアップもありましたが、ハウンドドッグ最大のヒット曲となりました。

 

●訃報

若山富三郎さん …風格を備え、勝新太郎さんの兄としても有名。ウエスタン時代劇「賞金稼ぎ」の錣市兵衛が印象的。62歳は早かった…

尾崎豊さん …26歳で屋外にて発見されたその急死はあまりに衝撃で、多くの若者に影響を与え、没後もみんながカラオケで彼の曲を歌い上げるのを見ると、皆の心に厳然と生きている事を今でも感じます。

大杉勝男さん …セパ両リーグで1,000安打達成の偉業成し遂げたプロ野球選手。プロ野球ニュースの解説やコーチも務めるも47歳の早世。

いずみたくさん …作曲家。中村雅俊さんのデビュー作「われら青春!」の主題歌や「江戸を斬る!」シリーズの主題歌作曲で有名

長谷川町子さん …サザエさんの作者。「意地悪ばあさん」の作者でもあり、今も続くサザエさんに日本の家庭を感じる。

船田和英さん …大杉勝男さん同様ヤクルトのベテランとして活躍し早世。

藤村富美男さん …元ミスタータイガースとならした野球選手。「新・必殺仕置人」では元締めとしてドラマ出演も。

中村八大さん …「上を向いて歩こう」「こんにちは赤ちゃん」など誰もが知る曲の作曲家として有名

近江敏郎さん …歌手として一時代を築き、晩年は「オールスター家族対抗歌合戦」の審査員としても有名

大山康晴さん …十五世名人にして5つの永世称号をもつ将棋界の偉人。

五社英雄さん …「極道の妻たち」「吉原炎上」などの大作映画の監督を務めた

松本清張さん …「砂の器」など多数の作品を世に知らしめた作家。多数の作品が二時間ドラマ化された。

松尾和子さん …ムード歌謡の女王として一時代を築くも晩年は騒動が多く、最後は突然の転落死でワイドショーでかなり話題に。

太地喜和子さん …女優にして志村けんさんのコントにも参加し新たな一面を見せるも49歳の早すぎる事故死

玉川良一さん …コメディアンにして俳優としても数々の作品にゲスト出演、石原プロ「ただいま絶好調」ではレギュラー出演

 

ここまでで長くなってしまったので、次は「第3回」として引き続き1992年をお送りします。

おそらく、時を前に遡る毎に書く量が増えてくると思います。

 

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2023年3月11日 (土)

生活と思い出と世の中と(1992年①)

遡って振り返る、「生活と思い出と世の中と」。35回目は1992(平成4)年の第1回です。

もう30年以上も前になる事にただただ驚きですが、バルセロナオリンピックが開催され、競泳・岩崎恭子選手の「今まで生きてきた中で、一番幸せです」と14歳にして放ったセリフが印象的でした。また100歳の長寿の双子「きんさん・ぎんさん」も大変話題となりました。

●ニュース

東京佐川急便事件が発生し、副総裁であった金丸信副総裁が議員辞職したというのがありました。当時は深くは知りませんでしたが、その3年前のリクルート事件など、企業と政治献金のクローズアップされた時期でした。

福岡県飯塚市の女児連続殺人や千葉県市川市の一家4人連続殺人など凶悪な事件が発生していたのもこの年で、後に犯人が死刑になる事件が数多く発生し、たいへん衝撃的でした。市川の事件はしばらくの間はワイドショーを賑わしていました。

アニメ「セーラームーン」のシリーズが始まったのはこの年でした。'90年代を大いに盛り上げたアニメシリーズといえます。

東海道新幹線に「のぞみ」が登場した年でもあり、それまで「ひかり」と「こだま」しかなかった状態から、この「のぞみ」の存在はグッと大きくなっていき現在に至ります。また、山形新幹線がこの年開業しています。

太陽神戸三井銀行が、「さくら銀行」となりました。現在の三井住友銀行ですが、自分のキャッシュカードはいまだに「さくら銀行」のもので、この「さくら銀行」銀行のイメージは強いです。

国家公務員の週休2日制がスタートしました。当時学生でしたが、通っていた大学がこの年より土曜休みとなり、土曜の授業がなくなったのを覚えています。で、土曜に校舎に入る時は、専用のカードでセキュリティに通して入るようになり、事前にカードをもらっておかなくてはいけませんでした。

貴花田関と宮沢りえさんの婚約が日本中で話題になりました。その後解消されていますが、2人ともこの時期は何かと話題を振りまく事が多かった、影響力のある人物であったとつくづく感じたものでした。

色々な長寿番組が終了し、昭和からの一時代の終焉が感じられた年でもありました。これについては後述します。

 

●学生生活

このシリーズで「仕事」というカテゴリで1993年に遡るまで書き続けてきましたが、この年は1年通してまだ就職していない「学生」でしたので、学生身分であった自分史を「学生生活」として書き綴りたいと思います。

この年は大学3年から4年として過ごした年でした。

本格的に就活を始めたのは4年生になってからで、3年生の終わりごろは企業案内が届くなど、今でいう「就活」を意識する事となりました。当時はまだそんな言葉はありませんでしたが…

どこから届いたか忘れましたが、企業案内をもらえる多数の会社説明が載った冊子が届き、興味のある会社には付属のハガキで案内を取り寄せる形でスタートし、全国企業にも地元企業にも、それぞれアプローチしました。

中でも、地元の企業展みたいなのに行って、興味のある企業ブースに入ってその会社の方々のお話を聞いたりなどしてました。

全国企業だと、広島とか京都とかの町へ出て、企業説明会に参加したり。学生身分にはそこまで出てくるお金が大問題でしたが、それ相応の交通費がもらえたりしていました。

6月か7月には地元企業から内定が出て、8/1に人生が決まる日として内定者の集まりがありましたが、事もあろうにドタキャンしました。

そこで決めてしまうのは…と、ためらいがあり、その後他の企業を応募し役員面接までいきましたが結局は内定ならず、それでも最初に内定していた会社が色々案内を送ってきて、ひとまず通信教育的にテスト提出をしていました。それでドタキャンしながら見捨てもされず、最終的にその会社に就職できることとなり、正直気が進まなかったものの、そこはある意味幸運でした。

そこの会社は秋口には「バイト研修」の通知をしてきて、実店舗に入ってバイトの形で研修をせよとの事でしたが、学生生活を送っていた地とその店舗との物理的距離の乖離等々あり全く断って、それもやりませんでした。それでも入る事が出来たのでした…。

ちなみに地元市役所の試験も受けましたが、全然ダメでした。それよりも高校時代の同級生と何人か会い晩まで歌って飲んで、とそっちの方がある意味収穫だったかもです。しかしながらこれ以降、高校時代の同級生とは一人だけしか会っていない形で30年も経ってしまいました…

就活以外の話では、卒論も大きかったです。ネタ集めとして11月頃から市内の全公民館をめぐる「行脚」も実施し、そこの地域の活動に対する積極性をはかることができ、あまりやる気ないなと感じる所もあれば、すごく熱心にお話し頂いた所もありで、行程は全公民館へテレアポして全部自分で計画しましたが、やってて楽しかったですね。

論文を書き始めたのは12月からで1ヶ月で原稿用紙100枚分、先輩から借りた「ワープロ」と格闘の日々でした。今みたいにPCで色んな操作ができる時代でなく、殆どの人間がワープロ頼りで、一部の情報処理に長けた人がPCを使っていたかどうか、ぐらいでしたねこの当時は。

大学に入ってから、この年の年末に初めて、実家に帰りませんでした。卒論執筆真っ盛りで受験生同然の生活で、家に帰ってのんびりできる余裕がなかったので。その論文を提出するのは翌年初めの事でした。

 

●プライベート

といっても、学生生活がイコールでプライベートだったので、特に分けて書く事もないですが、この年はそれまでのような日勤バイトをしてませんでしたが、単発でいくつかバイトをしてました。ほとんどが知り合いの伝によるもので、日給1万円くらいもらってましたかね。

それらのバイトは当時やっていた恐竜博覧会で何日か入り、化石売りをした日もあれば、ジュース売りでほぼ女の子とベラベラ喋ってただけの日もありました。化石売りは主催者のオッサンが全面ヒゲ面のとても怪しい雰囲気でした(笑) あとスポーツレクリエーションのバイトや二科展の搬入バイトなんかもやってました。

あと、当時ならではだと、実家への帰省時に一度バイクで250kmの道のりを帰ってましたが、色んなところで喫茶店や、ドライブインに寄っていました。今は存在しない店が殆どではないかな、と思います。特にドライブインはなくなりましたね、、逆に今みたいに道の駅などほとんどありませんでした。

週に1日しか授業が無かったので、春先は殆ど地元へ帰って、週一で学校へ戻ったり、というのを何度か繰り返していましたが、夏以降は逆に実家に帰る事が殆どなくなり、学生生活を満喫していました。就職が決まった事が、その境目でした。

大学のイベントで「徹夜ハイキング」として、夜8時頃?~翌朝9時過ぎくらい40kmあまりの道のりを何度も休憩しながら、一緒に歩いた人々とずっとくっちゃべりながら歩いていたのは実に良い想い出でした。最後は足が棒みたいになってましたが、不思議とあまり寝られず、すごいしんどい感はあまりないままでした。単純に若かったなと。寒かったのにずっとハイテンションのまんまでした。

 

1992年第二弾は、見たテレビや聴いた音楽や、もっと当時の世相を反映した内容を書き綴ります。

 

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