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2023年6月の7件の記事

2023年6月25日 (日)

生活と思い出と世の中と(1989年②)

遡って振り返る、「生活と思い出と世の中と」。45回目は1989(平成元)年の第2回です。

ここでは自分の過ごした思い出から当時の世相などを滲み出しながら?綴っていきます。

 

●高校時代

この年は、高校3年から大学1年を過ごした年でした。

人生の大きな変わり目で、住み慣れた実家を出て初めて一人暮らしをすることにもなりました。

まずは高校時代、前回記事にも書きましたが、1月の冬休み明けに学校に出てくると、教室で担任の先生が黒板におもむろに「平成」の2文字を書き、「これから、こうなります」と。

1月いっぱいは高校へ通学を続けながら、1月21・22日には「共通一次試験」が始まりました。いよいよ「入試」の始まりです。

我々は「最後の共通一次」世代であり、翌年から「センター試験」へと変わりますが、自己採点してて「これはダメだ!」と思いました。800点満点中520点台、志望の大学はちょっと難しいかな、と…。

中でも、理科は「生物」を選択していましたが、すごく難しくて、かなり足を引っ張ると自己採点で感じた点数でした。

これはちょっと国公立大学は無理かな…と思っていた矢先、生物の「カサ上げ」がなされることになりました。

理科は選択により平均点が著しく異なり、自分が選択した生物は平均点が40点台で、自分だけできていなかったのではなく平均点自体がかなり低いものでした。物理も50点そこそこでかなり低く、同様にカサ上げされることとなり、一方で化学や地学は70点台という、恐ろしく難易度に差がついたものでした。

このカサ上げにより、理科の点数が20点以上あがり、国公立二次試験にかなり希望材料が生まれました。このカサ上げはある方程式に沿ってのものでしたが、元々0点であっても「生物を選択」してさえいれば自動的に47点になる等問題はありましたが、とにかくこれで5教科で550点近くまで上がり、国公立の二次試験を受験できる土俵に立てる、と少し安心したものでした。

 

↓当時の共通一次受験メモがありました

Img_0322

1月は高校へ通い、2月に入ると数日の指定登校日と卒業式以外は通学なしとなりました、高校3年ならではですね。

その2月は私立大学受験が続きました。

大阪、京都、そして東京と、行きました。当時は平成に代わったばかりの自粛ムードもあった中、どこへ行くにも受験であるとともにちょっとした旅行でもあり、それぞれまともに行った事のなかった地へ行って、そして初のビジネスホテル泊、自分で新幹線に乗るのも、電車で色々移動するのも実質初めてで、いろんな初体験をしました。

特に東京…法政大学の「多摩校舎」という、都心から少し離れた場所でした。宿泊は新宿でしましたが、その時の東京駅や新宿駅の人の多さにはビックしました、テレビでしか見たことのないような所へ自分が行ったのも不思議な感覚でした。そして受験の時に多摩校舎への電車移動はなかなか大変でした。電車それまでほとんど乗った事がなかったので…。

その私立大学は4大学全5学部受験しましたが、全部落ちました!

あとは共通一次試験後にエントリーした国公立大学2校のみ。

これらを残す状況で2月25日に高校の卒業式がありました。登校日ということを親が知らず、自分も珍しく寝坊してしまい、大遅刻!起きた時刻がクラス集合時刻を過ぎていて、自転車で20分以上かけて通学していたので全然アウトでしたが、着いたら卒業式へ行こうとするところでまだクラス集合で教室にいる状態でした。教室に入るや、先生はじめクラスの全員からの視線を浴び、「このクラスは最後まで遅刻する奴がおるなぁ」と言われ、その最後の遅刻者となりました(笑) 

その後2月末と3月初にそれぞれ、松江と高松へ行きました。松江は卒業式後すぐに行きましたが、山陰なんて初めて行ってめちゃくちゃ時間かかりましたし、高松は「マリンライナー」に乗って行きました。この前年に瀬戸大橋が開業したばかりで、本州と四国が瀬戸大橋線として鉄道で繋がるようになったばかりでもありました。高松の駅前が故郷の姫路駅前にそっくりだったのも印象的でした。

どこを受けても合格発表が電子郵便で着くまではソワソワしていました。国公立は結局前者には合格し、やっと初の合格、とりあえず浪人はせずに済んだ、とホッとしました。しかし次受かったらそっち行こうと思っていたので、後者待ちでもありました。結局不合格で前者のみ合格で、今後住むための下宿探し等することとなりました。

偶々、高校の同じクラスで同じ大学に受かった人がいたので、3月下旬に一緒に行きました。大学で部屋の資料を探しながら電話しようとしていたところ、ある方が声をかけてきて「うちを見てくれないか」と言われ、友達と共に案内されるがままに部屋を見せてもらい、少し考えながらもほぼ即決の形で帰ってきました。

住処は、大学から歩いて10分程度の程よい位置で、当時の家賃1.3万円+電気代、水道代…な感じで、キッチン、風呂トイレ、洗濯機は共同の四畳半ひと間という最低限のところで、親は金のかからない寮に住めといっていましたが、寮に住んだら2人一部屋で酒をどんだけ飲まされるか…ということで、下宿に住むといって許諾を得ました。まだ親から金をもらう身分だったので色々許可が必要だった事もありました。3月末は高校の同級生と連絡取りながら次の進路への準備をしていました。生まれて初めてスーツを買ったりとか。

 

●大学生に

4月が来て初めての引越しということで準備、親が用意してくれたでっかい段ボールに荷物をどんどん詰め、逆に要らないものをどんどん捨てて…という感じで4月初旬は過ぎ、4月8日朝から13年住んだ実家を出て、隣に住んでる祖母にも出発の挨拶をして、電車へ。昼過ぎには現地に着いて、引越し荷物が届くまで大家さんの家でお茶菓子もらいながら待たせてもらいました。大家さんの家の中に入ったのは4年間でこの時だけでした。

程なくして引っ越し荷物が続き、1~2日はその荷物でほぼしのぎ、買い物もよく分からなかったので、親が引っ越し荷物で送ってくれた食糧が大変助かりました。カップ焼きそばなども(笑) その後、高校時代の友達が後乗りしてきて、大学の一人暮らし用品会場みたいなのに行って、冷蔵庫やカラーBOX等々買いました。当初部屋はほとんどのもの「黒」で揃えました。

そして入学式、初めてスーツを着ての外出でした。

入学ガイダンス、学部だと知り合いは一人もいない心細さはありました。小学校からそんな事は全くなかったので。馴染むのにも少し時間がかかりましたが、人と居る時と一人で居る時の身の「処し方」はだんだん分かるようになってきました。

市役所へ転入手続きをした時に、これからここで4年間暮らすんだ、と思いつつ宍道湖の夕日を眺めていました。

 

●大学生活

一人暮らしは意外にすんなりいって、ホームシックになるようなことはありませんでした。ただ下宿がなんでも共用だったのが煩わしくて、実家に帰ると何かとラクだったので、1ヶ月たたないうちにGWにさっさと初めての「帰省」をしました。料理も風呂も好きな時間に利用できず、風呂は特に先に入られると30分くらい待たないといけないし、電話も共用で長電話する人がいたら、外の公衆電話まで行かなくてはでしたし、今ではないことですね。携帯なんてないので。

大学で楽しみにしていたのが授業でした。といっても、まだほとんど一般教養、高校の延長上でした。けど少し専門的になり、高校までの雰囲気と明らかに違ってて受験対策一切ないので「学んでる」感はありました。最初は結構休まずに講義に出ていました、最初は…

夏休みまた帰省しました。7月半ばに。お金がなかったので特急など乗らずに全部普通電車で。それも姫新線の途中駅何度か下りたり乗り換えたりしながら。その時無人駅というのを初めて見ました。それまで都会駅しか行った事がなかった、というのがつくづく感じたところでした。

夏休みは実家からバイトへ通い、毎日ロイホ(Royal Host)の皿洗いで8:30~13:30くらいまででしょうか?やっていました。当時の時給は520円!今からはとても考えられないレベルで、8月末まで1ヶ月強夜勤も含めて毎日のようにやってましたが、稼いだお金は¥58,000程度(!)、自動車の運転免許取るための教習料金稼ぐためもありましたが、とても届きませんでした。帰ってから、当時やっていた昼帯ドラマ「夏の嵐」の録画を見るのが楽しみでもありました。夜勤の時は、終わったら夜中の2時ごろで、気分ハイになるので、勤務前にノンアルビール、当時「スワン」というのが売っていましたが、これとお菓子を買い込んで業務後の楽しみにしていました。食欲ピークの頃なので、それはもう力いっぱい?食べまくっていました。

夏休みが終わると、実家から大学へ戻り、水泳実習?がありました。暑くて湿気てて、1ヶ月半空けた部屋がエライことになっていました。

 

●激動

前半9月までは割と平凡で、ともすれば退屈もよくしていた学生生活でした。

しかしある時を境に一転しました。

所属団体で1回生から大学行事への参画者が必要との事でじゃんけん(当時は「最初はグー」は一旦廃れていた頃)で負けて駆り出されることになり、これいこうそちらに身を捧げる事となってしまい、生活が激変しました。

当初は結構いやいや出てましたが、学部とは違う知り合いができ、また苦楽を共にすることでいろんなメンバーと打ち解けていって、最終的にすごくはまってしまいました。ほとんど家には帰らなくなるぐらい居ついたり…。睡眠時間極小でフラフラになりながらも仲間と過ごして、(今はゼッタイダメな)一気飲みも何回かしながら…、とにかく酒席では盛り上がり、普段は昼間は講義、17時過ぎは行事参画、夜にみんなでレストランへ繰り出すのも楽しみでした。

行事も無事成功し組織は解散となりましたが、その繋がりが楽しくて、終わっても関係者と交友していて、これが翌年も翌々年も活動を続けることにつながりました。当時のメンバーとは30年以上を経た今でも繋がりがあり、所属先でじゃんけんに負けたことが人生を変えたといっても過言ではないレベルの出来事でした。

 

あまり、1989年に特化したことが書けてない気がしますが、次の記事では当時見たテレビにまつわる話を綴りたいと思います。

 

2023年6月17日 (土)

生活と思い出と世の中と(1989年①)

遡って振り返る、「生活と思い出と世の中と」。44回目は1989(平成元)年の第1回です。

さて、いよいよ'80年代まで遡る事となりました。

 

という訳で、1989年のニュースなどから色々書き綴ります。

 

●ニュース

 

なんといっても「平成」になった事です。

 

当時の小渕恵三官房長官(後に総理大臣に)の掲げた「平成」のあれですね、年明け早々「平成」への改元で、ニュースは昭和天皇の崩御とこの平成への改元一色でした。
個人的にも、初めて経験した改元で「時代が変わった」感がすごかったです。
なにせ64年まで続いた昭和時代、殆どの人が改元を経験した訳で、それも激動の昭和の終り、という事もあり、時代の変わり目そのものでした。
平成から令和への移行はスッとした感じでしたが、この昭和から平成は…一時代の終わり、そのものを感じました。

1月8日から平成になりましたが、高校3年3学期、その新学期の日でもありました。教室に担任の先生が入ってくるなり黒板に「平成」の2文字を書いて、「今日からこうなります」と(笑)

昭和で迎えた最後の年明けはとにかく天皇陛下のご容態で、前年からずっとその報道は続いていましたが、遂に終わりの時が来て、わずか7日で昭和64年は終了しました。

 

ブッシュ氏が大統領に就任し、レーガン政権が終わりました。個人的に初めて記憶にあるアメリカ大統領はカーター氏でしたが、80年代はほぼレーガン大統領という感じで、その2期8年の政権が終了した訳ですね。

昭和天皇の崩御後は「大喪の礼」もあり、日本が昨年から続いていた自粛モードでした。考えてみればコロナ禍よりはマシだったように思いますが。

女子高生コンクリート詰め殺人事件が発生しました。その後夏から秋にかけては幼女連続殺人事件が発生、猟奇的な事件が多かった印象があります。

春先はリクルート事件で湧いていました。当時は何のことかよく分かりませんでしたが、献金がらみという事ぐらいですかね記憶にあるのは。

色々な街で、市制100周年を記念した博覧会が開催されていました。自分が3月まで住んでいた街も、4月から引っ越した街も、どちらでも開催されていました。

竹やぶから1億円が発見された事件がありました。見つけてしまった側は怖いですね。

漫才師の横山やすしさんが酒を飲んで事故を起こし吉本興業を解雇され、ここからほぼ第一線への復帰は無くなってしまいました。前年は息子の暴力事件により謹慎を余儀なくされ、不遇な晩年がこの辺りから始まってしまった、という感がありました。当時の写真週刊誌「FLASH!」にその後の髪がボサボサの「やっさん」の姿が取り上げられていました。

芸人というとフラワーショウのリーダーが入水自殺するという事件もあり、詳しくは見れませんでしたが哀れな最後だった印象がありました。

竹下登首相がリクルート事件の責任を取り辞職しました。ちょうど竹下氏のおひざ元である島根県へ来たその月に辞任するという、それはインパクトの強い事件でした。
その後宇野宗佑首相が後任に就きましたが正直「誰?」という感じでした。大体それまでは、首相の候補になりそうな議員は知っていたものでしたが、彼の事は全然知りませんでした。そんな宇野政権は、スキャンダルでまさかの超短期政権に終わり、海部俊樹氏が首相に就任、この1989年で2度も首相が交代しました。

美空ひばりさんが亡くなり、没後国民栄誉賞を受賞しました。52歳って今から考えるとかなりの早世という感じでしたが、個人的に彼女の全盛期を知らず、気づいた時には「昔すごかった大御所」という感じでした。

中者明菜さんの自殺未遂は衝撃的でした。しかも当時かねてからの恋人と噂されたマッチこと近藤真彦さんの自宅で。復帰後活動を再開しますが、やはり往時ほどの活動は見られず、現在は姿を見せずに体調面がかなり心配される中で、声明のみで世間に近況を知らせている格好で、その姿が再び現される事をファンは心待ちにしている、というものでしょう。

横綱千代の富士が通算965勝を挙げて最多勝を更新、この年三女が生後四か月で突然死するという不幸に見舞われた中、土俵人生を続けまだまだ強い横綱であり続けました。この年はまた国民栄誉賞も受賞し激動の年であったと思います。

歌謡ランキング番組の象徴的番組「ザ・ベストテン」が11年の歴史に幕を下ろしました。最終回は3時間スペシャルで、歴代の出場歌手やグループが多数参加しての大きな幕引きとなりました。

年末大納会の株式市場で日経平均が38,900円台を記録し、これを頂点に翌年以降バブル崩壊に向かって日本の失われた○○年が始まっていきました。今また株価は33,000円を越えてきて、バブル景気ではないのでしょうが、この時の崩壊があるので「上がりすぎると怖い」という向きが多いのかな、と感じます。この当時はまだまだイケイケドンドン、そんな感じの方々も多かったように思います。それまでずっと右肩上がりの社会だったので。

 

2023年6月12日 (月)

英賀保賃貸探訪記・その1

兵庫県姫路市の英賀保(あがほ)地区(JR姫路駅より山陽本線で西隣のJR英賀保駅周辺)の賃貸物件探訪をしていた時期があり、実にいろいろな物件を踏査した為、当地に住む事を検討されている方がおられればご参考にお送りするものです。(すごいレアだと思いますが…)

色々物件を列挙する前に、まず前提条件を記します。この条件から外れるものは基本載せていません。

 ◆「賃貸」物件

 ◆単身向け物件(一部世帯向けあり)

 ◆JR英賀保駅より徒歩10分圏内

 ◆家賃6万円以下(共益費除く)

また御紹介にあたっては、調査時かなり参照した「LIFUL HOME'S」のサイト内容を引用させて頂きます。

 

コンフォート英賀保

 【賃料】5.4万円/管理費0円(2DK) 4.7万円/管理費0円(1K)
 【敷金/礼金】0ヶ月/2ヶ月    【種別/構造】アパート/鉄骨
 【間取り】2LDK(和6・洋6・LDK9)、1K(洋8・K)  【階数】4階建  
 【専有面積】47.5㎡、30.25㎡   【築年/築年月】27年/1996年4月          
 【住所】姫路市飾磨区鎌倉町    【交通】JR英賀保駅より徒歩7分(駅より南西)     
 【ガス】都市ガス
 【キッチン・バス・トイレ】カウンターキッチン 、給湯 、バス・トイレ別 、シャワー 、洗面所独立
 【設備・サービス】クローゼット 、シューズボックス 、フローリング 、室内洗濯機置場 、南面バルコニー 、駐車場あり 

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 【コメント】2DKと1Kの2タイプ部屋があります。
       階段が中央部に2ヶ所ついていて、角部屋は隣と接する部分が少なくなっていますが、中央の2部屋はまともに接する構造です。
       共用部の階段周りにかなり古さを感じました。郵便受けの横に自治会からの掲示物置き場と表示されたカゴがありました。
       自治会掲示物を当番の部屋が各部屋のポストへ振り分けるような事が記されていましたが、
       ただの不要配布物置き場になっているようでした。
       
       貴重な都市ガス物件のひとつです。

       1F部分が駐車場になっていますが、部屋数相応の置き場がなく限られます。また明確な自転車置場がなく、ガレージの奥とか
       空きスペースに適当に置かれている感じで、バイクなど置くのは厳しい感じです。

       真ん前に公園があり、子供を遊ばせるにはうってつけで、また粗大ごみ置き場もその公園前で真傍になります。
       ドラッグのウエルシアが約100mの地点にあり24時まで開いていて便利です。

 

グランドゥール春日

 ※確認時、募集なし
 【賃料】4.9万円(管理費込)
 【敷金/礼金】?          【種別/構造】マンション/鉄筋RC
 【間取り】2DK(和6・洋6・DK6)  【階数】3階建(15戸)
 【専有面積】44.28㎡       【築年/築年月】23年/2000年7月          
 【住所】姫路市飾磨区鎌倉町    【交通】JR英賀保駅より徒歩7分(駅より南西)     
 【ガス】プロパンガス
 【キッチン・バス・トイレ】キッチン 、給湯 、バス・トイレ別 、シャワー 、洗面所独立
 【設備・サービス】宅配ボックス、クローゼット、インターネット対応、フローリング、室内洗濯機置場 、バルコニー 、駐車場・駐輪場あり  

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【コメント】サイドに集中玄関があって、そこから通路・階段を通っていく構造です。
      車は建物の真ん前に止める形で、自転車置場は建物の反対側にありますがかなり狭く、自転車はともかくバイクを止めるのは
      かなり苦しいと思います。宅配ボックスがあるのは嬉しい点です。
 

K.Y荘

 【賃料】3万円(管理費込)
 【敷金/礼金】1ヶ月/2ヶ月     【種別/構造】アパート/木造
 【間取り】1R(和6)         【階数】2階建(6戸)
 【専有面積】15.73㎡       【築年/築年月】39年/1985年4月          
 【住所】姫路市飾磨区英賀春日町2丁目 【交通】JR英賀保駅より徒歩5分(駅より南西)     
 【ガス】プロパンガス
 【キッチン・バス・トイレ】キッチン 、給湯 、バス・トイレ・洗面所込 、シャワー 
 【設備・サービス】インターネット対応、室内洗濯機置場 、バルコニー 

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 【コメント】場所的には、上のグランドゥール春日の隣です。
       ワンルームでこの界隈ではかなり狭い部屋で専有面積は15.7㎡、帰って寝られたら良い、ぐらいな感じです
       自分が前住んでた1Rが18.5㎡でしたが、これより狭いのはこの辺で確認できたのはここだけでした。
       バス・トイレ、洗面台すべて1室に押し込まれたタイプのユニットバスです。
       駐車場はなく、自転車置場もなく自転車は部屋のドア前あたりの空きスペースに適当に止められ、2F住人もその辺の
       スペースに止めるしかない感じでした。
       建物周りも荒れ放題な感じで、家賃3万円も納得で、管理会社が何かやってそうな気配が全く感じられませんでした。

       

グランドゥール

 ※確認時、募集なし
 【賃料】5.6万円(管理費込)
 【敷金/礼金】?             【種別/構造】マンション/鉄筋RC
 【間取り】2LDK(和6・洋6・LDK9.9)   【階数】3階建(6戸)
 【専有面積】52.00㎡          【築年/築年月】28年/1996年2月          
 【住所】姫路市飾磨区英賀春日町2丁目45 【交通】JR英賀保駅より徒歩5分(駅より南西)     
 【ガス】プロパンガス
 【キッチン・バス・トイレ】キッチン 、給湯 、バス・トイレ別 、シャワー 、洗面所独立、コンロ二口
 【設備・サービス】エアコン、インターネット対応、光ファイバー、フローリング、室内洗濯機置場 、バルコニー 、
          TVモニタ付インターホン、駐車場・駐輪場あり

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 【コメント】上のグランドゥール春日の道隔てて北向かいにあります。

       RC造や建物の姿は似ていますが、集中玄関の向きなど少し違っていて、最大の違いはこちらは1Fに店舗が入っている事です。
       建物の表前が店舗用、裏が居住者用駐車場という感じでした。また「春日」より部屋が広めで、家賃も高めです。

       自転車置場は裏手にありますが、そんなに狭くて困る事はない感じでした。
       なにせ「店舗の上」という事に我慢ができるか、に尽きると思います。店舗は3件中1件が居酒屋で、他はダスキンと人材派遣業
       のところで、飲食店ばかりではない、というところです。
       
       「グランドゥール英賀保」という物件がありますが、ここより東へ少し離れたところにある全くの別物件です。

 

アビックス英賀保駅前

 【賃料】4.9万円(管理費3,000円)
 【敷金/礼金】1ヶ月/2ヶ月        【種別/構造】マンション/鉄骨造
 【間取り】1DK(洋6.1・DK9.2)      【階数】3階建
 【専有面積】33.75㎡          【築年/築年月】24年/2000年4月          
 【住所】姫路市飾磨区英賀保駅前町    【交通】JR英賀保駅より徒歩2分(駅より西)     
 【ガス】プロパンガス
 【キッチン・バス・トイレ】システムキッチン 、給湯 、バス・トイレ別 、シャワー 、洗面所独立、温水洗浄便座、電気コンロ、コンロ二口
 【設備・サービス】オートロック、エアコン、インターネット対応、オール電化、フローリング、室内洗濯機置場 、バルコニー 、駐輪場あり

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 【コメント】保育園分園と共同となっている建屋です。
       またレディースマンションにつき男性は借りる事ができません。
       この辺であまりレディースマンションって見かけませんが、稀有な物件です。それもあってかオートロックもついています。

       英賀保駅から徒歩2分の至近にあり、駅から一切信号を渡らずに行ける最も近い物件かもしれません。
       ただし線路沿いの為、特に貨物列車が通る際は音が結構うるさいと思います。夜中でも貨物は普通に通るので、
       これに慣れるかどうかと思います。また、駐車場がありません。

 

ドミール英賀保

 ※確認時、募集なし
 【賃料】5.5万円
 【敷金/礼金】?                【種別/構造】アパート/軽量鉄骨造
 【間取り】3DK(和5.6、和7.5、洋4.5・DK6)  【階数】2階建(8戸)
 【専有面積】50.28㎡             【築年/築年月】35年/1989年1月          
 【住所】姫路市飾磨区英賀春日町2丁目48-2   【交通】JR英賀保駅より徒歩5分(駅より南西)     
 【ガス】プロパンガス
 【キッチン・バス・トイレ】キッチン 、給湯 、バス・トイレ別 、シャワー 、洗面所独立、コンロ二口
 【設備・サービス】シューズボックス、インターネット対応、光ファイバー、フローリング、室内洗濯機置場 、バルコニー 、駐輪場あり

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 【コメント】「グランドゥール」と同じ道沿いにあり、かなり近くですが、ここまもた飲食店の上にあり、下が店舗で2Fが住居です。
       うどん屋さんが昼のみ営業していましたが、この度閉店となり、現在は店がひとつも稼働していないのではないかと思います。
       裏手に自転車置場がありましたが、かなり狭小な感じでした。駐車場はないようで、表は店舗用のもののようです。

 

グレイス英賀保

 ※確認時、募集なし
 【賃料】4.8万円
 【敷金/礼金】?              【種別/構造】アパート/木造
 【間取り】1DK(洋6・DK7)         【階数】2階建(8戸)
 【専有面積】34.09㎡(部屋により多少違い) 【築年/築年月】30年/1994年9月          
 【住所】姫路市飾磨区英賀保駅前町8    【交通】JR英賀保駅より徒歩2分(駅より南)     
 【ガス】プロパンガス
 【キッチン・バス・トイレ】キッチン 、給湯 、バス・トイレ別 、シャワー 、浴室乾燥機、洗面所独立、コンロ二口
 【設備・サービス】エアコン、CATV、CS対応、BS対応、光ファイバー、フローリング、室内洗濯機置場 、バルコニー 、TVモニター付インターホン、駐輪場あり

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 【コメント】駅南へ信号を渡る必要こそありますが、英賀保駅が目の前の極近別件で、とにかく駅に近いです。
       これも「グレイス」という同名の別物件が少し離れたところにありますので混同注意です。  

       真ん中が階段で別れているため、中央部の隣部屋がまともに接していない状態です。
       部屋により若干面積や間取りが異なっています。

       自転車置場が狭く、また不思議と坂になっていて、後ろへ動きそうで駐輪は少々怖い印象を受けました。

 

ファーストイン英賀保

 【賃料】5.2万円(管理費3,000円):2DK 4.7万円(管理費3,000円):1DK
 【敷金/礼金】1ヶ月/2ヶ月         【種別/構造】マンション/鉄筋RC
 【間取り】2DK(洋6.2・和6・DK8.3)、1DK(和6・DK10.3)  【階数】9階建(35戸)
 【専有面積】52.09㎡(2DK)、40.42㎡(1DK) 【築年/築年月】35年/1989年4月          
 【住所】姫路市飾磨区英賀保駅前町      【交通】JR英賀保駅より徒歩2分(駅より南)     
 【ガス】都市ガス
 【キッチン・バス・トイレ】キッチン 、給湯 、バス・トイレ別 、シャワー、温水洗浄便座、コンロ二口
 【設備・サービス】エアコン、光ファイバー、フローリング、室内洗濯機置場 、バルコニー 、TVモニター付インターホン、エレベーター、
          駐車場あり、駐輪場あり

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 【コメント】駅前に極近い純然たるマンションで、価格帯も手ごろな物件です。
       常にいくつかの部屋が空いてる感があります。部屋タイプが上記挙げた以外にもあるようです。
       バスルームは洗面台も込みであり、独立洗面台はありません。都市ガスが魅力です。
       1Fが店舗や三井住友銀行の出張所ATMなどがあり、2F以上が賃貸物件です。

 

◎シティエステート城南

 【賃料】4.4万円
 【敷金/礼金】1ヶ月/2ヶ月         【種別/構造】マンション/鉄筋RC
 【間取り】2DK(洋7.5・和6・DK4.5)     【階数】8階建(40戸)
 【専有面積】35.60㎡            【築年/築年月】34年/1990年10月          
 【住所】姫路市飾磨区城南町1丁目11     【交通】JR英賀保駅より徒歩4分(駅より南)     
 【ガス】プロパンガス
 【キッチン・バス・トイレ】キッチン 、給湯 、バス・トイレ別 、シャワー
 【設備・サービス】エアコン、防犯カメラ、フローリング、室内洗濯機置場 、バルコニー 、
          TVモニター付インターホン、エレベーター、駐車場あり、駐輪場あり

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 【コメント】お手頃価格の高層マンションという点で「ファーストイン英賀保」と双璧といえる存在です。
       プロパンガスですが、価格は都市ガス並みと謳われていて、どういう事?って感じでした。

       ここもまた独立洗面台ではなく、バスと洗面台込みでした。
       ガレージが地下にあり、ここに駐輪場もあり、結構なスペースが取られていました。
       専用のごみ置き場があり、言ってしまえばいつでも捨てられます。
       DKが手前にあって、玄関からここを通って洋室→和室と行くので、DKにはあまり物が置けない感がありました。
       

長くなりそうなので、ここで一旦切らせて頂きますが、まだまだ続きます。

 

2023年6月10日 (土)

「太陽にほえろ!」を無料で見放題!

刑事ドラマの金字塔的作品として現在でも語り継がれる名作「太陽にほえろ!」

14年4ヶ月の放送期間で全718回が放送されましたが、そのほとんどの話をインターネットのサイトで無料で見る事ができます!

 

それがこの「Rutube」

   ↓

https://rutube.ru/channel/1440382/

 

You Tubeではありません、そこで観れてしまうとそれは違法アップロードになりますが、このRutubeはロシアのサイトで、表記もロシア語になっています。

 

上記URLへアクセスすると、こんな画面が上がってきて、そこはもう「太陽にほえろ!」各話のサムネイルが見えています。

言葉は分かりませんでしたが、後は添付の手順を進めていけば、サムネイルがどんどん読み込まれて、上は新しい話(放送末期のもの)で、だんだん下へ古いもの(放送初期のもの)へと、スクロールすれば人事読み込んでいきながら、表示してくれます。

Rutube

あとは、みたいエピソードを選択してクリックするだけ。

DVDでこれだけの話数を購入すると、何十万というお金が必要になりますが、このサイトだと無料です。いくつか欠番があり、完全に全部見れるわけではありませんが、再放送などで音声が消されていた放送禁止用語の類も、ここではしっかり聞き取れます。

各刑事の殉職ストーリーもあり(特番などで一部ないものもありますが)、昭和の時代背景が如実に読み取れるという意味でも、今見てて非常に興味深いものがあります。

この人間愛溢れるヒューマンドラマを、一人でも多くの方々に見て頂きたいと思います。

 

2023年6月 6日 (火)

毎月25万の不労所得を得る方法

という儲け話のようなタイトルをつけましたが…、

これは勧誘でも甘い文句でもありません。ただの個人的な実体験談です。かなり赤裸々に書くかも…

ここだけ切り取れば、実際に本当の話ですが、このまま額面通りに受け取られるとちょっと違うので、タイトル通りの甘い話と思わずに見て頂ければと思います。

 

何の話かというと…

 

投信です。

投資信託ですね。

この投信の毎月配当額が約25万円という事です。

これが毎月月末ごとに口座に振り込まれるので、会社から得ている月給の7割程度入ってきます。

正直、もう少し早くやっていれば、とも思うくらいです。

つましい生活をしていれば、(会社なんか辞めて)これだけで暮らしていけるのかもしれません。今春より会社の地位が格下げになった事もあり、半分くらいそんな気持ちで、働く事にモチベーションは正直ほとんどありません。
しかも遠くへ引っ越して片道1時間はかかるので尚更です。現在この新居の近くで仕事を探していますが、良い職に巡り合うまではまだ無職になる訳には…というプライドで働いているようなものです。

 

不労所得に話を戻して、先に触れた通り、この話は純粋に受け取れないもので、ある条件やからくりがあり、その辺の話をしていきます。

 

①資金は2,000万

配当をもらうといっても、これだけの額を手にしようと思えば、相応の投資が必要です。

という事で、元手として2,000万、投資しました。

キッカケは…自分の普通預金口座に2,000万以上あった事です。

あれは昨年末の事…、

この口座の銀行印がどれか分からなくなってしまい、年末の平日休みに某大手銀行窓口へ確認に行きました。
調べて下さるというので、暫く待った後、自分がこれと思っていた印鑑だったことが分かり、通帳記帳も頼んでいた分を持って来てくださり「ありがとうございました」と帰ろうとしていたら、「よろしかったらネットバンキングのお手続きをされませんか?」と言われ、少しは考えていたのでこの機会に…と思い、窓口へ再度座り込み自分のスマホを出して、言われるがままにセッティングをしていました。

それでどうにかセッティングも完了し、長年手が出なかったネットバンキングもできた事だし、もう閉店間近の15:00前、今度こそ「ありがとうございました」と立ち去るところがまたまた呼び止められ、「お客様…」と。

「(普通口座に)かなりお預金頂いてるようですが…」から始まり、「本日時間はございますか?金融商品をいくつかご紹介させて頂きたく…」ときました。要するに「お前口座にいっぱい金貯めてるんなら、ちょっと使えや」てなもんでしょう(笑)

実はそれまでも、この銀行からは封書で金融商品の案内と手書きのメッセージが複数回届いていました。

単純にめんどくさくて、気づいたら口座に2,000万くらい溜まってしまい、何かに手を出すのも少々怖かったし、これ以外に一部貯金で株やってるし、定期みたいに引き出せないものを今どきの超低金利で置いてても大差ない、とか思ってて全然手が出せていませんでした。お金を増やす努力をしてこなかった訳です。それでも溜まってた、というと自慢みたいになりますが、そこそこの立場でそこそこ以上残業して、金を遣う暇すらない時期もあり、勝手に溜まってもおかしくはありませんでした。

で、色んな金融商品のお話を2時間ほど聞いて、「検討する」という事でこの時は帰りました。
銀行を出たのは16:30頃で、15:00以降に、別口から出された帰ったのは初めてでした。

で、その中で最もハイリスクハイリターンな投信に投資する事を決めたのは、そのお話を聞いてから約1か月後の事でした。

 

②投信は毎月決算型

1ヶ月前に銀行のFPの方から聴いたお話をもとに、自己責任で投信を選びました。

この1ヶ月間、その方から特に勧誘、電話など接触は一切ありませんでしたし、こちらからも全く連絡を取りませんでした。

そして選んだのがインベスコ 世界厳選株式オープンというものです。

「世界のベスト」という愛称がつけられ、これの「為替ヘッジなし」かつ「毎月決算型」を選択し、ここに普通預金として持っていた2,000万円を注ぎこみました。これでも貯金全額ではなく、当座の資金を残しています。さすがに全額注ぎこんだら、ちょっと首が回らなくなります。

というのも、当時賃貸マンションを引っ越すところで、旧居を解約しない状態で新居を見つけたりしてて、家賃を二重払いしていた等ありました。新居の契約にも結構なカネがかかっていたし、いくらかはいざという時のための資金を残しておかないと怖いですね。

この投信は、毎月10,000口当たり150円の配当がもらえる、というものです。

購入時の基準価額が8,700円程度で、これが10,000口にあたります。2,000万円購入という事は、2,200万口余りとなり、1万口あたり150円×2,200だと約33万円となり、税引後で26万程度、これがタイトル通りの「不労所得が月25万」という事です。

ほっといても、寝てても、月25万が口座に振り込まれるのです。そりゃ働いてるのが馬鹿らしく…、、そこは置いといて、これがまるまる自分の収入になる訳ではありません、確かに配当は毎月振り込まれて、滅多なことでもない限りこの額が下がる事がなく、コンスタントに配当をつけてくれます。

 

③配当は投信が身を削り捻出

しかし、配当が出た後は、その分基準価額が下がります。株でいう株価、時価の部分です。つまり25万の配当を得た後は、この投信の時価が25万くらい減ります。そのままの額が時価として減る訳ではありませんが、投信から切り崩す形で配当が出ているので、まずその分は減って、あとはそのファンドの運用次第です。

そこから更にファンド自体が振るわない場合は、基準価額が下がり、2,000万が1,800万くらいになった時もありました。200万の損です。

そこで売らずに、持ち続けて上がるのを待てばよいのですが。配当が魅力的すぎるので、ずっと持っていますが、その持っている間に価額が変動するので、浮かれる時もあればヒヤヒヤする時もあります。

 

④バカにならない手数料

また、この投信は購入時に3%程度の手数料がかかり、その時点でまず2,000万が実質1,940万になります。

そこからのスタートとなり、まずは配当で60万(2ヶ月分ほど)得てやっと「トントン」な訳です。自分は配当は4回受けて計約120万得たので、投信の時価が1,880万以上であれば一応「得」した格好で、60万の手数料も踏み越えて、今は数十万「得」している格好です。が、株と同じ「波」のあるもので、価額が上下動します。

株と同じように、安くなったところを買って、高くなれば売る、としたいところですが、高額すぎる手数料があり、「売ってまた買おう」という発想が湧きません。買い直すとまた、手数料が取られるので。

 

ということで、そこそこの余裕資金があればこういう運用もできるという事を遅まきながら体験しています。もう1年早くやっていれば300万余分に入ったのに…と思いますが、これがまるまる自分の資産になる訳ではない、という点だけは何度も強調しておきたいと思います。

ここに書いたようないろいろなカラクリがあり、これを踏まえてでも不労収入を得続けたい、と思う方がもしいたら、その背中を押したいと思います。

2023年6月 4日 (日)

生活と思い出と世の中と(1990年③)

遡って振り返る、「生活と思い出と世の中と」。43回目は1990(平成2)年の第3回です。

当時見たドラマ、聴いた音楽などに焦点を当てて書いていきたいと思います。

 

●ドラマ(自分が見たもののみ)

・「刑事貴族」 …舘ひろしさんが主演した刑事ドラマで、「あぶない刑事」のようなコンビものではなく、一匹狼的な捜査課のエースとして活躍し、かつ他の刑事の活躍も描かれる群像もののタッチでも描かれていました。ところが放送16回で舘さんが石原プロの「代表取締役刑事」の出演が決まった為、降板を余儀なくされ、演じる牧刑事の殉職という形で番組を去りました。

同僚の女性刑事として黒木瞳さんが演じた志村刑事との微妙なラブロマンスも同時並行的に描かれ、彼女とデートする為に向かっていた途中で、彼女らが追っていた犯人と曲がり角でぶつかり、その際に犯人の持っていたナイフが牧刑事の胸に刺さり、薔薇にキスをしながら逝くという形で、2時間スペシャルで放送されました。

そういえば、このドラマの初回も2時間スペシャルでゲストというより1話限りのレギュラー的な形寺尾聰さんが須藤刑事役で登場、舘さんの牧刑事とはラグビー仲間だったという「タメ」の設定で、「西部警察」では先輩後輩の関係性でしたが、久々の共演でここでは対等の関係が新鮮でした。須藤刑事は壮絶な殉職を遂げて1話限りで退場しますが。

そして主演舘さんの降板後、10月からは郷ひろみさんがニューヨーク帰りの風間刑事として主演し、以後は群像劇的要素が強くなり、他の刑事の活躍も明確に描かれ、また黒木さんの降板に伴い高樹沙耶さんが後任の刑事として、また最年少として宍戸開さん演じる村木刑事が同時に登場しました。

最終回は翌3月でしたが、布川敏和さん演じる岩田刑事が、風間刑事の身代わりの形で爆死による殉職を遂げ、復讐に燃えた風間は犯人である警察官を意図的に射殺した事で警察官を辞職し、布施博さん演じる泉刑事は、この事件で風間刑事に助けられる形となりましたが転勤となり、ドラマは終幕しました。

・「ホットドッグ」 …柳葉敏郎さん主演のドラマ。「テキ屋の信ちゃん」として後にスペシャル化されますが、ギバちゃんの独特のショートヘアが印象的でした。矢沢永吉さんの主題歌「PURE GOLD」も同時に印象的でした。

・「外科医 有森冴子」 …三田佳子さんが外科医に扮して奮闘するドラマ。当時50歳近いながらもバイクに乗るシーンやらもあった記憶があります。この当時はこういうキャリアウーマン的なドラマもよく作られるようになってきていました。

・「ザ・刑事」 …水谷豊さんが主演した刑事ドラマで片岡鶴太郎さんとのコンビによるもの。途中で江口洋介さん演じる坂上刑事が壮絶な殉職を遂げ、小西博之さん演じる中西刑事が登場、色黒でアロハ風の派手なシャツに口ひげとめちゃ強面な刑事でした。音楽が「太陽にほえろ!」を担当した大野克夫氏でした。

・「代表取締役刑事」 …舘ひろしさんが「刑事貴族」を半年で降板して出演したのがこのドラマで、4月に自身の壮絶すぎる殉職で幕引きとなった「ゴリラ・警視庁捜査第八班」以来半年ぶりに渡哲也さんとの共演となりました。

・「日本一のカッ飛び男」 …田原俊彦さんと時任三郎さんの兄弟コンビのハツラツぶりを描いたドラマで、トシちゃんの歌う主題歌「JUNGLE
 JUNGLE」も印象的でした。あと五十嵐淳子さんが久々のドラマ出演で、料理屋の女将役でしたが、そのお店ではいつも山口百恵さんの曲が流れていました。

・「マザコン刑事の事件簿」 …テレビ東京系の連ドラですが、渡辺裕之さん主演の刑事ドラマです。渡辺裕之さんには個人的に「刑事貴族」の舘さんの後釜として主演してほしいと思っていましたが、この主演作はそれとは全くかけ離れたアクションと無関係なものでした。

・HOTEL …ロングランヒットドラマの第一作が放送されたのはこの年でした。高嶋政伸さんを中心に話が展開され、てっきり主演かと思ったら松方弘樹さんが主演だったというのはビックリしました。ここでも丹波哲郎さんが「ボス」だったのは、プロデューサーが「Gメン'75」と同じ方だったからでしょうか。

 

●音楽

・JEEP/長渕剛 

 …3年前アルバム「LICENSE」で🎵取ったばかりのカーライセンス…と歌っていましたが、その3年後にマイジープを運転している、という流れで、CD買った時にジープをバックにした彼のポスターがついていました。

その他は…後から聴いたものはありますが、この当時最新の音楽を聴く習慣がまるでなかったので、あまり挙げられないですね。

 

●訃報

・栃錦 …元横綱・栃錦として若乃花と「栃若時代」の主役に。当時の春日野親方として理事長職を勇退したばかりで65歳定年直前の逝去。

・東久邇宮稔彦王 …皇族にして内閣総理大臣経験者。102歳の大往生。

・龍興山 …大相撲幕内力士。新入幕で勝ち越した翌月に22歳の若さで突然死。

・毛利公子さん …元「シュガー」のベーシスト。死産直後に突然死。

・成田三樹夫さん …ニヒルで残忍な悪役として鳴らした俳優で、ガンによる55歳の早世。

・池波正太郎さん …「鬼平犯科帳」や「仕掛人藤枝梅安」など時代劇もので知られる小説家。

・藤山寛美さん …関西お笑い界の重鎮で、松竹新喜劇で大活躍。破天荒芸人の典型でもあった。

・高峰三枝子さん …フルムーンで高齢入浴シーンを見せた事でも有名な女優。

・中村竹弥さん …「大江戸捜査網」の内藤勘解由役があまりに有名な俳優。

・出門英さん …「ヒデとロザンナ」で歌手としてヒット曲を飛ばし、司会・俳優としても活躍も47歳の早世。

・若原一郎さん …「おーい中村君」のヒット曲で有名な歌手。若原瞳さんの父。

・金井豊さん …マラソン選手。北海道で交通事故死。

・芥川隆行さん …昭和の名作ドラマには欠かせない、独特の名調子が印象的なナレーター。

・飛鳥田一雄さん …社会党の委員長として活躍。

・ボビー・マルカーノさん …阪急で活躍した優良外国人選手。ヤクルトでもプレー。

この時は20歳になる年で、そんなに親しみのある方の逝去はなかったはずですが、特に前半、早世の方が多くて、よく新聞を見ては驚いてました。

 

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2023年6月 1日 (木)

生活と思い出と世の中と (1990年②)

遡って振り返る、「生活と思い出と世の中と」。42回目は1990(平成2)年の第2回です。

1990年の個人的な経験を中心に、当時の世の中の事も交えて書き綴ります。

 

●学生生活

この年は大学1年から2年になる頃で、4月から2年生になり、何より後輩ができてのが嬉しかった頃でした。

大学というところは、1年生はとにかく一番下っ端で酒をとにかく注ぎまくって飲まされて、という感じで、運動部に入っていなくてもそういう体育会系的な文化がはびこっていて、また平成になったばかりというそんな時代背景もあり、「早く後輩が来てほしい、楽になりたい」というのがすごくありました。今は後輩に酒飲ませるなんてのはないでしょうかね?ある意味ハラスメントになりますよね。当時はそういうのは当たり前でしたがきつかったのも確かです。

まず酒を一気飲みしてから自己紹介、というのを皆の前で大声でやり、トチるとまた一気飲みしてやり直し、とにかく「イッキ、イッキ」というのが皆好きでした。こんな文化今は廃れてると思いますが、それで正解だと思います。

この年「免許」というものを生まれて初めて取りました。

本当は1年次に車の免許を取るところでしたが、全然興味が湧かずに「小型自動二輪」の免許を取るため、教習所へ行きました。

それまで何ヶ月か、バイクのカタログばっかり読んで、バイクに乗る事ばかり妄想していましたが折しもそんな時「爆走!ドーベルマン刑事」という1980(昭和55)年に放送されたバイクに乗った刑事集団のドラマの再放送があり、これが完全な引き金になりました。

教習所ではちょっと苦戦して、何時間か延長教習を受けていましたが、教官により当たりはずれ?はあるなと感じたものでした。中型(現在の「普通二輪」)にする気もなくもなかったけど、「小型でいいや」という感じで取りました。卒業検定は逆走したり、急制動がギリギリだったりドキドキものでしたが、なんとかパスして自動車学校を卒業、その時の解放感ったらなかったな、という感じでした。

いざ免許取りに試験場へ!と乗り込みましたが、学科試験が89点で不合格、2回目でやっと合格しました。これは後に受ける普通免許の時も同じ形で2度目のパスとなってしまいました…

晴れて取れた自動二輪(小型)免許!取れるやすぐに親へ電話したのを覚えています。そしてこの時受検した島根県松江市の「古志原免許センター」は程なく移転する事となります。とにかく10代のうちに免許が取れました。

生まれて初めてゴルフをしたのもこの年でした。といっても大学の体育の授業で、打ちっぱなし(ゴルフ練習場)へ行ってひたすら打つというものでした。野球のバットの構えで打っても全然ダメで、球が上がらず飛ばずでした。大人になってラウンドしてもその癖は直ってませんが…。結局10回近く練習場でただ打つだけをやってて、この時以来25年以上クラブを持つ事すらなく、2017(平成29)年にゴルフコンペに参加する(させられる?)まで、実に27年もゴルフから離れていました。結局、この時はやってても全然楽しくなかった訳です。

免許の話に戻して、取得後はバイクの物色ばっかりしてました。金がないので中古一択でしたが、地元へ帰って今ではメジャーになりましたが当時まだまだマイナーだった「レッドバロン」へ何度も足を運びました。その末、約8万でローンを組んで(月8,000円位)購入しました。親からの仕送り額がその分減ってという形で。スズキのアメリカンバイク「GN125E」という今でも海外でつくられたりしているものでした。

  生まれて初めて買った愛車

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バイクを買ってからというもの、毎朝のように朝4時台に起きては、近所の農道を含めて10kmぐらい走って、くたくたになって帰るのが日課のようなものでした。田舎で早朝なら交通量が皆無だったので、
夏休みに入ると、走って帰ってきて少し寝てからバイトへ行くのが日課でした。普段の定期バイトをしてなかった分、毎年夏休みには働く時間をとって、前年は地元へ帰省してバイトしていましたが、この年と翌年は下宿先の近くでバイトしてました。
今は亡き島根県土質技術センターというところで、土の実験手伝いのような特殊なバイトをしていましたが、土と水を「比重びん」というものに入れたり、土をだんだん目の細かい「ふるい」にかけたり、全体にほのぼのとした感じの職場で、途中の休憩でお茶菓子食べたり、こんなところで働けたらいいな、という感じでした。時給が550円だったという事だけがちょっとアレでしたが…。夏休みの平日はほぼフルタイム、このバイトにいそしんでいました。
昼休みは外へ出て、大学の学食で食べたり、少し離れた喫茶店へ食べに行ったりしていました。この辺はちょっと離れたらすぐ、すごい田舎へたどり着く(笑)ので、全然違った雰囲気で喧騒を逃れた感じになります。

大学時代のそれまででは県外へ出る事は帰省以外ありませんでしたが、バイクを得た事で初めて県外へ出て走ったりとか、まさに「世界が広がり」ました。出雲大社へもこれにより初めて行きました。鳥取県の境港へ行った時は当時あった「中浦水門」がせり上がるのを見ながら待っていたりしていました。
そしてなんといっても実家への帰省で約250kmの道のりを下道のみで走りました。これは何度かしていますがいつも命がけで、クッタクタになり、これを初めてやったこの時も勿論そうでした。実家から戻る時に、慣れないトンネル内で怖い思いをしながら走ってて後ろから強引に車に抜かれた時は、生きてて最大に「死」を感じました。これ以降この道は一度も走っていません(笑)

 バイトの昼食に行った喫茶店のマッチ

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秋は20歳の誕生日を迎える頃から、大学のイベントの準備に全力投球していました。1年次の時に参加してすごく楽しくてハマってしまい、2年目も!という事でそのまま居つく形で残留して参加していました。
が、後輩を迎え入れて益々楽しいはずのところが、すごく空回りしてしまい、立場も変わって1年目みたく純粋に楽しめなかったけど、この経験が後に生きました。当時はもがき苦しみ、この活動を2年で辞めようと思っていましたが、意外なところから続ける事となりました。この時に人の縁とか、自分がどう見られていたか色々知りました。

2年になった事で、授業が一般教養から専門科目が増えたのが楽しかった面もありました。大学1年までって一般教養の授業がメインで専門が少なく、ほぼ高校までの授業の延長上、という感じでしたが、専門科目の講義が増えた事で「学問してる」という感覚になれました。
大学の授業って、それまでと違うのは「受験のための勉強をしない」のがもっとも大きいですね。それこそ、その学問を突き詰める、という感じで。

次は、この年に見ていたテレビについて書いていきます。

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