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2023年7月の7件の記事

2023年7月30日 (日)

生活と思い出と世の中と(1988年③)

遡って振り返る、「生活と思い出と世の中と」。51回目は1988(昭和63)年の第3回です。

当時見たドラマ、聴いた音楽などを中心に綴っていきます。

 

●ドラマ


※前年から放送されていた作品は、前年の記事に譲ります。

 

「NEWジャングル」

 …前年放送された「ジャングル」の続編として放送され、ほぼ同じメンバーで続きましたが、大きな変更点は新人刑事が登場した点で、成田浩平刑事役の江口洋介さんが新人刑事役で大々的に売り出され、OPもキャスト紹介以外のシーンでも彼のみが頻繁に登場し、かつての「太陽にほえろ!」のマカロニ刑事のような実質的主人公として売り出された感がありました。
 しかし浩平や江口さんの直接のブレイクにつながらないまま、結局は群像劇的な作風となり、1月にスタートして9月初めには呆気なく終了しました。江口さんが人気を得たのはロン毛にした、後の事となります。

「教師びんびん物語」

 …前年放送された「ラジオびんびん物語」のスピンオフ作品であることはあまり知られてないと思いますが、ある意味での続編です。

 田原俊彦さん、野村宏伸さんのコンビは変わらず、しかし「ラジオ-」よりかなり人気が出て、「ラジオ-」はすっかり忘れ去られた形で、この番組は大ブレイクししました。この二人はそれまでも役者として恵まれた部分はあったと思いますが、この番組で俳優としてのある程度の地位を得たと感じました。

「もっとあぶない刑事」

 …昭和61年から1年間放送された「あぶない刑事」は終了後映画が2本製作されるなど大人気が止まらず、1年ぶりにテレビドラマとして復活しました。10月より放送され、翌平成元年3月まで半年間放送されました。
「あぶない刑事」と全く同じOPで、EDテーマは違いますが、基本同じキャストで放送されていました。
 前作が21時台で、今作はかつて「太陽にほえろ!」が放送された金曜20時の時間枠で、作風が20時向けというかマイルドになっていました。
 舘ひろしさん、柴田恭兵さんが互いの出演CMの飲料を飲んで「いけるねー!」とやってたり、仲村トオルさんは服装がカジュアルになっていました。

 この作品の後に「○○○あぶない刑事」と色々パロディーが作られたのも、この番組の影響と思われます。

「ニュータウン仮分署」

 …かつての「私鉄沿線97分書」の時間枠、テレビ朝日系の日曜夜9時に似たような作風で放送された人情刑事ドラマ。
  岩城滉一さんが主演した刑事ドラマで、清水宏次朗さん、柳沢慎吾さんなどイキのいい若手も出ていましたが、人情ものでした(笑)
  古尾谷雅人さんは「私鉄沿線-」にも出演していましたが、役名も同じ「功」(本城功→堀内功)で、同じような役柄でした。
  江本孟紀さんが捜査主任的な役どころ出ていたのが、岩城さんの主役と共に意外キャストでした。
  毎回オープニングで、キャストが回替わりでその時の世相や近況など交えてトークしていたのはそれまでの刑事ドラマにはないもので、それも刑事役としてではなく、俳優としてのコメントだったのがまた斬新でした。(「岩城滉一です。今日は○○の日、xxxxなもんですねぇ」的な)

「ザ・ディーラー」

 …ジュリーこと沢田研二さんがディーラー役で出演した短期連続ドラマ。主題歌もジュリー自身が歌っていました。

「ザ・スクールコップ」

 …大映テレビ末期の1時間ドラマ。大げさな独特のナレーションで始まる最後のドラマ、だったように思います。
  闇の潜入捜査班の物語で、主役は三浦洋一さんと意外ですが、伊藤かずえさんを中心に大映の常連キャストが顔を並べていました。
  前作「プロゴルファー祈子」からビデオ映像となっていて、そのへんがちょっと…という感じが個人的にありましたが、この頃ぐらいから、フィルム作品のドラマが目に見えて減ってきたなと感じたものでした。

「はぐれ刑事純情派」

 …前年の「大都会25時」から刑事ドラマ枠として始まった、今も続くテレ朝系水曜21時の刑事ドラマ枠ですが、この後「ベイシティ刑事」と続くも視聴率的振るわず、人情刑事ドラマ路線に舵が切られ、当時「必殺仕事人」のレギュラー枠が終了した藤田まことさんを主演に据えて制作されました。
  ベテランの藤田さんと当時人気を博していた若手ホープの木村一八さんとのコンビが斬新で、それまでの作品と違って「当たり」、2005年までの長きにわたりレギュラー枠は続いていくことになりますが、その記念すべき初作として放送スタートしたのがこの年でした。

「さすらい刑事旅情編」

 …「はぐれ刑事純情派」のヒットを得て、下半期の2クールにはまた違った刑事ドラマとして制作され、鉄道警察の分駐所に勤める刑事たちの活躍を主軸に、電車や鉄道設備、各地の旅情的な面も描きながら、制作されたドラマでした。
 主演者は宇津井健さんでしたが、実質主人公としては三浦洋一さんで彼がストーリーテラー的な役目も果たしていました。この初作のみ、渡辺裕之さんが三浦さんの相棒的役柄で刑事役をやっていましたが、アクションはあまりなく、また1作のみで降板となりました。
 上半期の「はぐれ刑事純情派」に続いてヒット作となり、以後上期「はぐれ刑事-」下期「さすらい刑事-」で半年ずつ流す形で7年間続くロングランヒットとなりました。

「長七郎江戸日記」

 …昭和61年に3年間の放送を終了した「長七郎江戸日記」から1年間「銭形平次」の放送を挟んで放送された続編です。

  翌平成元年9月まで7クール放送され、このシリーズでは友吉を演じた宮川一朗太さんや沢木兵庫を演じた三田明さんの殉職劇があり、また最後には後期に登場した高木美保さんのお銀も殉職した、「長七郎-」史上もっともハードなシリーズでした。
また同じく後期に良き理解者役として竜雷太さんが町医者役で登場し、史上最も人の入れ替わりの激しい作品となりました。

「暴れん坊将軍Ⅲ」

 …長七郎江戸日記にも似ていますが、前番組「若大将天下ご免!」を挟んで「暴れん坊将軍」の3作目として1月からスタートしました。
 こちらは1990(平成2)年9月までの2年9月間続きましたが、前2作のように4年以上は続きませんでした。
 め組の頭の妻「おさい」が春川ますみさんから浅茅陽子さんに交代となりました。
 御庭番には左源太(三ツ木清隆さん)が登場しますが、1年余り活躍後翌年には壮絶な殉職を遂げる事となります。

 またCM前アイキャッチの音楽が、本作から変わりました。

「水戸黄門・第18部」

 …この作品では大きな変更があり、まず助さん役がそれまで約17年演じてきた里見浩太朗さんが遂に交代、新・助さんにはあおい輝彦さんが登場しました。
  そして更にはスタート当初からずっと同じだった主題歌のアレンジが遂に変更になり、少しマイルドな感じになりました。
  歌のキーもぐっとあがり、それまでの伊吹吾郎さんの歌唱が低音から急に高音になって驚きました。

▼三代目・助さんのあおい輝彦さん

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「太陽の犬」

 …かつて放送された「炎の犬」などの犬をストーリーの中心にしたドラマで、犯罪のカギを握るペンダントを託された飼い犬が、犯人たちに命を狙われ続けながらも、やがては野生に帰っていくまでを描かれた作品です。主演は犬の飼い主である少女役の坂上香織さんで、その母親役を中田喜子さんが演じていました。犬が狙われる事件を追う刑事役として小野寺昭さんと石田純一さんが演じ、ヒロインを守る良き理解者でした。犬を狙う犯人一味の中に大地康雄さんもいて、当時は「大地常雄」と名乗っていました。

「ノンちゃんの夢」

 …NHK連続テレビ小説の上期作品で、藤田朋子さんが主演しました。

  お母さんが丘みつ子さんで、もう大人の母親役なんてやるようになったのか?と思ったものでした。
  妹役が西村知美さんでした。今回振り返るまで意識していませんでしたが、高知県が舞台だったのですね。
  相手役は山下真司さんでしたが、この直後にプライベートで結婚式を挙げる予定も、自粛モードで式を延ばしたか自粛したか、そんな報道があったように記憶しています。

「純ちゃんの応援歌」

 …NHK連続テレビ小説の下期作品で、山口智子さんが主演しました。
  後に結婚する唐沢寿明さんが弟役で出演していました。相手役は高嶋政宏さんが務めていましたが、終盤に弟の高嶋政伸さんが出てくるようになりました。

「華の嵐」

 …東海テレビ制作の昼帯ドラマとして爆発的なヒットを飛ばした作品です。
  昭和61年に放送された「愛の嵐」につづく「嵐」シリーズの第2弾で、渡辺裕之さんは2作目の出演となりましたが、主役の高木美保さん共々このドラマで大ブレイクしました。
  戦争前後の時代に身分が違いながら互いに愛し合いながらも憎しみ見合う運命に翻弄された男女のドラマ性が大きな話題を呼び、令嬢役の高木美保さんの「ごきげんよう」という挨拶が流行語にもなりました。渡辺裕之さん演じる「天堂」の兄貴分として黒沢年雄さんが演じた「飛田」の漢っぷりがカッコよかったです。
そしてまた敵役は愛の嵐に続いて長塚京三さんで、高木美保さん演じるヒロイン柳子と結婚し、あくまでも己の信念が正義であり、富と己の繁栄の為には非道も辞さない男で、これがもとで天堂の妻タカを死に追いやるなど、柳子と天堂の運命は波乱に満ちものになるなど、その起伏の激しいドラマ性が主婦だけでなく、他の層にも話題を呼んだと思います。高校生だった我々もハマったものでした。

水曜グランドロマン

 …ドラマ名ではなく、2時間ドラマ枠として日本テレビ系水曜夜9時の枠にこの年登場しました。
  火曜サスペンス劇場、水曜グランドロマン、木曜ゴールデンドラマと日本テレビだけで週に3枠、3日連続あった2時間ドラマ、この時期が全盛だったかもしれません。
  そんな2時間ドラマ群の中でもとりわけこの枠は、毎回感動溢れるハートフルなドラマが特徴で、個人的にこの3枠の中でも最も楽しみにしてみていました。主題歌はいくつかありましたが、今井美樹さんの「瞳がほほえむから」が印象的でした。

 

●バラエティー

「クイズなっとく歴史館」

 …原田大二郎さんが司会の歴史クイズ番組で、終盤で「クイズ五択を並べて」という五択問題があったのを覚えてています。

  この当時は大二郎さんは俳優としてよりタレントとして売れていた事を実感したものでした。そしてほぼレギュラー回答者に丹波哲郎さんがいて、この「Gメンコンビ」の絡みがまた面白かったものでした。

「クイズ年の差なんて!」

 …ヤングチームとアダルトチームに分かれた解答者たちが世代間ギャップのある問題に挑み競い合うクイズ番組で、この年に始まりましたが、6年間もやっていたんですね。

「とんねるずのみなさんのおかげです」

 …とんねるずの冠がついた長寿バラエティ番組で、後に「~~でした」になりますが、この年から始まりました。
 「おかけです」も約10年続き、初期は「仮面ノリダー」などが人気を博しました。おやっさんこと立花藤兵衛に、実際に演じた小林昭二さんを出演させたのも驚きでした。

「追跡」

 …青島幸男さん、高見知佳さんのコンビで司会していた報道情報番組で、この年から6年間続きました。
  この時若かった知佳さんが選挙立候補を経て早くも故人になるとは…という感じです。

 

2023年7月23日 (日)

生活と思い出と世の中と(1988年②)

遡って振り返る、「生活と思い出と世の中と」。節目の50回目は1988(昭和63)年の第2回です。

1回目とは逆に、当時の自分の生活や出来事を世の中へ照らし合わせた形で綴っていきます。

 

●高校生活

この年は、3月まで高校2年、4月からは高校3年の年でした。

ほぼ前の席が多くて、1月は1番前の席で、同性の男が近くに居なくて、小テストを交換して採点するよう先生から指示があったときには困ったものでした。

服を買うことに前年から目覚めて、この頃は色々な色の組み合わせを楽しんでいましたが、派手な色と派手な色をシャツとセーターで合わせて、かなり「色キ●ガイ」の気がありました。金のシャツに濃いブルーのフカフカなセーター、その上に学生服みたいな、脱ぐと超派手になるそんなのを周りから「変!」と言われながら楽しんでいました。

服でいうと、高2が終わった後の打ち上げで、白のひだひだのシャツに白のひだひだジャケット、白ズボンで現れて「チューブ」と言われてしまいました。迷いに迷って、どんな格好がいいかな?とずっと考えていたぐらい、服装のことばっかり考えてました(笑) この当時TUBE「BEACH TIME」というシングル曲を出していました。

髪型はいっつも同じものでキメてて、右左6:4で分けて、右の前髪は生え際だけ下ろす、これがキマればご機嫌でした。根っからのナルシストだったんだなと。こんなに過剰だったのはこの時がピークでしたが。そんな折、当時放送していた「あきれた刑事」の時任三郎さんの髪型に憧れて、散髪に行ったところ、思った以上に短くなり、坊主の延長みたいなみすぼらしい髪型になってしまい、しばらく落ちてました。(笑)

この年の末にも、再トライと思って短めに切ってもらいましたが、またも失敗で同じ結果に。この当時放送されていた「とんぼ」の長渕剛さんみたくなって、そんなつもりはなかったのに…となりました。櫛やブラシでどうにも動かない短さで…。
この前年か忘れましたが、化粧品店に時々寄っていました。生涯で最初で最後か「ポマード」を買いました。陣内孝則さんがCMでやっていた「ギア」という商品です。すごい、こんなに髪まとまるのか、ほんとに「ベッチョリ」という感じで、髪に色々つけるのを楽しんでいた頃でもありました。

▼「あきれた刑事」の時任三郎さん(右)

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3月に入試期間で3、4日学校が休みになりました。高1・高2の特権で、これは良かったですね。この時に「太陽にほえろ!」のゴリさん殉職編の再放送があって、カセットテープで録音(!)してました。家にビデオデッキはありましたが、母親のものだったので…。

親戚姉妹(伯母達)が一堂に家に来ましたが、3年くらい会ってなかったり、その間多感な時期を過ごした後もあり、会うのがすごく恥ずかしかったのを覚えています。中2くらいまでは普通に会って話していましたが、これ以降は今に至るまで距離があるまんまですね…

1月~3月のクールで放送された「華の嵐」という昼帯ドラマが空前の大ヒットとなり、我々高校生男子の間でも「ごきげんよう」と挨拶するほどでした。この時の渡辺裕之さんがそれはもうカッコよくて、高木美保さんと共に昼ドラマから人気ブレイクしていました。小堺一機さんの「ごきげんよう」のタイトルも、このドラマでのセリフが語源でした。高校へ行ってたので、昼までの日だけしか見れませんでしたが…

高3になると「受験」がついて回りました。2年の時から大学を視野に入れた担任との面談はありましたが、いよいよ本格的に受験準備となり、まぁでもゲームセンターに行ったり、運動会の後は人の家に遊びに行ってお泊りしたり、なんだかんだ遊んでました。きっと高校受験前のが勉強してただろうな、という感じでした。

中学→高校になって、行動範囲が広がり、交友関係も広がり、その事が遊びに向いていったのかな、と感じました。もちろん勉強を頑張るライバルもいて、一緒に勉強して励みにもなりましたが…。

それこそ夏休みは、部活は高2夏で辞めていましたが、暑い中自転車で約30分かけて高校へ出てきて、ライバルと自主勉強して、ここで数学のマークシートに絶対的な自信(文系なのに)をつけました。最初に数字を置いてみる「逆解き」なんてやってみたり(笑)

その勉強のライバルの話で、彼は自他ともに認めるヤンキーで、自分とは正反対といっても過言でなく、こんな奴が友達になるなんて…と知り合った当初は夢にも思いませんでしたが、不思議なことに何度か席が近くになって喋っているうちに気が付けば一緒に帰ったり喋ったりしてました。
彼が学校で他の生徒と暴れて停学になったことがあり、それから何日かして電話がかかってきて、その時風呂に入ってて出れず、家族から伝言を聞いた時に少々ビビりました。彼の停学と自分と何の関係もありませんが、「なんか怒らせるような事したかな…」と不安になり、おそるおそる電話してみると… 「俺、明日から謹慎解けるんじゃ」と。口調が少々怖くて余計不安になりましたが、「明日、一緒に学校行かへんか?」というのです。住んでる所が全然違うので学校へ一緒に行った事などありませんでしたが、途中まで帰ってた事はあって、その別れの地まで行きました。彼なりに復学が恥ずかしかったんでしょうが、その相手に自分を選んでくれたのは嬉しかったですね。いい加減なワルでしたが(笑)

しかしこの頃って携帯やメールなんかないので、会わない時は電話での話がすべてでした。今の時代なら、もう少し女の子と話をしたんだろうか?とか思うことがありますね(笑)誰とだったらやりとりしてたんだろうか?とか。

高校に海外留学生としてやってきた人が急死したり大変なこともありました。こんな若さでもそんなあっけない事があるものか、と考えさせられました。

10月に「CDプレーヤー」なるものを初めて買いました。この当時CD単独のプレーヤーというものが売っていました。翌年CDラジカセを買いますが、スピーカーを買っていなかったので、ヘッドホンを買ってそのヘッドホンで音量調整をしていました(笑) この時初めてCDを買いました。それまで店頭で陳列していたものを手に取るぐらいでしたが、初めてCDの中身を見て不思議な感覚でした。

またビデオレンタル店が近くにできたので、レンタルして親からデッキを借りて時々見ていました。そういう、自分にとって新しいメディアに触れた時期でもありました。

11月くらいになると模試に行ったりして、自己採点でいくらとか、だんだん本番に向かって実力を知る事となっていきました。それでどこの大学を受ける、というのがだんだん現実的になっていった訳ですね。この時は「共通一次」を受けて、二次試験は国公立A日程・B日程という形で行われていました。

多分、生まれて初めてコンビニに行ったのはこの年だと思います。一応、通学範囲には1ヶ所ありましたがなかなか寄る事がなく、書店や食料品店?に寄る事はありましたが、コンビニに寄る必要性がありませんでしたし、昭和時代の田舎においては絶対的にコンビニの数自体が少なかったのがありました。

当時の姫路にはダイエーがあって(2002年閉店)、よく寄っていました。服を買ったりゲーセン行ったり…。また姫路駅前の大手前通りは自転車置場が地下へ移行する頃で、それまでは通りの自転車置き場に止めたり、商店街である「みゆき通り」の各店の前にズラーっと自転車が並んでいる中を止めたり、自転車駐輪に関しては自由でした、というのが地下へ移されるにあたり、面倒になっていきました。

同じ、みゆき通りでいえば、今は別の場所にありますが「献血」を時々していました。友達と献血に行って、そこでもらったマクドナルドの当時の「サンキューセット」の券を手に、マクドに行くという(笑)社会貢献と自分たちの腹を満たす一石二鳥などといって(笑)

 

高校生、馬鹿な事も沢山しましたが、みずみずしいその感性が今から振り返ると羨ましく、二度と過去には戻れないので、若い命は大事にしなきゃと一層思いました。

2023年7月18日 (火)

生活と思い出と世の中と(1988年①)

遡って振り返る、「生活と思い出と世の中と」。49回目は1988(昭和63)年の第1回です。

令和から始まり、平成もずーっと振り返ってきて、元年まで来て、いよいよ昭和の振り返りに突入しました。

まずはこの年のニュースを絡めて振り返ります。

 

通年で昭和だった最後の年になります。

 

●ニュース

・青函連絡船の廃止、瀬戸大橋の開通

 昭和の終りと平成の初めって何が違うの?となると色々ありますが、分かり易いのがこれらの出来事でしょう。

 航路でJRの路線としてつながっていたものが陸続きとなり、北海道と青森、また本州と四国が鉄道路線で繋がる事となっていった事。平成はそれまであった航路が色々となくなっていった時代でした。今はもう宮島くらいで、主な航路のJR路線は無くなってしまいました。古き良きフェリーの栄えた時代でした。

 

・東京ドーム開場

 巨人・日本ハムがそれぞれ本拠地としていた後楽園球場に代わって3月に開場し、日本初のドーム球場として、雨でも中止することなくゲームが行われるという点が大いに話題になりました。「ビッグエッグ」の愛称がつけられ、よく言われていましたが、程なく全く言われなくなっていました。

 初ホームランはヤクルトのデシンセイ選手でしたが、その後戦力になり切れなかったのは残念でした。

 翌月には美空ひばりさんの伝説の復活コンサートが開催されました。女王の復活、として大いに話題になりましたが…、この約1年後に亡くなる事になります。今思えば最後の力を振り絞った場だったのですね…

 

・新幹線の新駅が続々開業

 東海道新幹線で、新富士、掛川、三河安城、山陽新幹線で東広島、新尾道と多数開業したのがこの年でした。正直あまり利用が多いとは思えない駅ばかりでしたが…、それも新幹線単独での駅が多かったのも要因かもしれません。掛川駅の新幹線開業については、この数年後個人的に大学のゼミの初レジメ作成で取り上げた内容でもあり、思い入れがあります。

 

・リゲイン発売

 今も生き残っていますが、三共のリゲインとして発売され始めた年でした。2年後に牛若丸三郎太として「リゲインのテーマ」なる楽曲まで出てカラオケでよく歌われていましたが、当初から時任三郎さんがイメージキャラクターで、最初から「24時間戦えますか?」という、今の時代には到底使えないフレーズが前面に出ていました。当初は時任さんが当時出ていた「あきれた刑事」のキャラに近かった感じでした。

 

・日産セフィーロ発売

 井上陽水さんが車を運転し、車窓から「みなさんおげーんきですか?」と語りかけるCMが当時高校生だった我々にも大変印象的で話題になりましたが、天皇陛下のご病状が報道され続けるにつけ、非難の対象となっていき「自粛」される格好となり、この頃からとかく「自粛」の向きが強くなっていった感がありました。

 

・巨人吉村選手重傷

 毎年巨人が遠征している「北海道シリーズ」のデーゲームで、守備機会時にチームメイトと交錯し重傷を負いました。動けてなかったので、ただ事ではないとリアルで見てて感じましたが、後で思っていたよりも重傷と分かり、それまで巨人で最も順調に数字をあげていて「3000本打てる」とすら言われた事もあっただけに大変残念でした。翌年秋に奇跡の復活を遂げますが、それまでのリハビリは相当に過酷で、また復帰後はさすがにかつてのような飛ぶ鳥を落とす勢いの活躍はできず、やはり残念でなりませんでした。

 

・オリンピックイヤー

 冬はカナダのカルガリー、夏は韓国のソウルで開催されました。この時期はまだ、夏冬同じ年にオリンピックが開催されていました。

 ソウル五輪は体操の池谷・西川コンビが大フィーバーで、池谷幸雄選手は後にそこからタレント活動へとシフトしていきました。

 

・私鉄大手球団の相次ぐ身売り

 南海はダイエーに、阪急はオリックスにそれぞれ身売りを行い、翌年から別球団としてスタートを切りました。これが昭和の終りというのは時期的に偶々だったと思いますが、平成の初めからそれぞれ新生球団がスタートし、まさに時代の変わり目でした。

 今でこそオリックスは名だたる企業でしたが、当時はオリックスって?という感じで、「ああオリエントリースって何か聞いたことある」という程度でした。

 オリックスは当初西宮で変わりませんでしたが、ダイエーは大阪から九州の福岡へ移転となり、平和台球場を本拠地とするという事で、1978(昭和53)年にクラウンライオンズが西武として所沢へ出るまで本拠としていた福岡に、11年ぶりにプロ野球団が帰ってくることになりました。この大型移転もあり、南海からダイエーになる頃は大きく戦力も変わりました。

 

・高知学芸高校修学旅行先での死亡事故

 修学旅行先の中国・上海で教師生徒含め27人が死亡するという、当時同じ高校生として痛ましい以外に言葉がなかった出来事でした。

 

・「となりのトトロ」公開

 ジブリ映画隆盛の火付け役となりましたが、当初はまだ単発のヒット作という感じで、その後ジブリ映画が長く制作されてヒットし、またこの作品自体が今でも誰でも知ってるレベルのとてつもないロングヒットになっていますが、当時からするとこんなになるとは思いもよりませんでした。これまでだと同系統の作品では「風の谷のナウシカ」や「少年ケニヤ」ぐらいでした。

 

・天皇陛下のご容態

 秋口からご重態として、脈拍、血圧、呼吸数などが連日報じられ、輸血があったとかそんな状況も連日報じられる中で色々なイベントが「自粛」されていきました。

 まさに時代の変わり目の真っ只中にいる感がありました。長い昭和という時代は、当時もう60年以上になっていた訳で。。

 

・ベトちゃんドクちゃんの分離手術

 下半身がつながった結合双生児のベトちゃんドクちゃんは、その繋がった状態の時期からよく報じられて有名でしたが、ベトちゃんの脳に障害が判明し、下半身の分離手術が行われ、まさかと思いました。ベトちゃんはその後26歳で亡くなりましたが、ドクちゃんは現在も御存命です。

 

・10.19

 プロ野球パ・リーグの優勝を争うダブルヘッダーとして現在でも語り継がれる名勝負です。この時生で見ていましたが、ロッテの有藤監督の猛抗議でゲームが中断し、その後にも影響しましたが、結局は近鉄の優勝が消滅しまたも西武の優勝となりましたが、翌年近鉄は雪辱を果たすこととなります。

 

・最後の「ゆく年くる年」

 現在でもNHKでは年の変わり目に紅白歌合戦の終了後、急に静かな雰囲気になって放送されていますが、昔は民法全局が同じ「ゆく年くる年」を年の変わり目に放送していました。昭和最後となるこの時が最後だったのですね。

 

2023年7月16日 (日)

生活と思い出と世の中と(1989年⑤)

遡って振り返る、「生活と思い出と世の中と」。48回目は1989(平成元)年の第5回です。

この年の物故者を振り返ります。

 

●訃報

・高橋良明さん

 16歳の若さでバイク事故により急死。当時18歳だった自分が、まさか年下の芸能人の訃報に接することになるとは!と大変衝撃でした。
 当時売れっ子で、これからまだまだどんどん売れてくる、そういう矢先だっただけにとても残念でした。

・手塚治虫さん

 漫画家にして医師で、伝説の「トキワ荘」の住人として一時代を築き、「鉄腕アトム」が日本初の30分枠アニメとして放送され、その後多数のアニメ作品を世に送り出し、昭和アニメの第一人者的存在として先頭を走ってきていました。個人的には「鉄腕アトム」より「ジェッターマルス」の印象が強くて、他にもいろいろな作品の再放送を夕方に見たものでした。

・大坂志郎さん

 「大岡越前」のオヤジさんことベテラン同心・村上源次郎役として、加藤剛さん演じる大岡越前を「若」と呼んでサポートする姿が印象的でした。これ以外では石立鉄男さんが主演した一連の「石立ドラマ」の常連として、江戸っ子気質のオヤジさんの役柄が印象的でした。

・辻佳紀さん

 元プロ野球選手にして野球解説者をしながらタレント活動も行い「ヒゲ辻」の愛称で親しまれました。この何年か後に訃報を知りましたが、40代で癌で亡くなっていたとは…おどろきでした。

・殿山泰司さん

 はげた頭に飄々とした雰囲気と独特のだみ声で存在感を発揮したいわゆる怪優の一人でした。

・つかせのりこさん

 個人的に「おはようスパンク」のスパンクというしゃべる犬の声を当てていた印象の強い声優さんでしたが43歳の若さで癌により死去。

・古谷綱正さん

 ニュースコープのキャスターとして、個人的に平日夕方に必ず見ていた方で、入江徳郎さんと両輪という感じでした。

・渡辺岳夫さん

 昭和の名作の劇伴を多数手がけた偉大な作曲家で、「巨人の星」「天才バカボン」「キューティーハニー」などのアニメもですが「非情のライセンス」などのドラマ音楽も手掛けていました。56歳は早かったですね。

・ホメイニ師

 イランの政治家で「イラン革命」における指導者。在任中にはイランイラク戦争も勃発し、度々ニュースに「ホメイニ師」として取り上げられていました。それを見て「ホメイ・二師」だとずっと思っていました。かなり後になってから「ホメイニ・師」と知り、えっ!と思ったものでした。

・美空ひばりさん

 前年東京ドームで不死鳥のごとく甦ったとされましたが、晩年は病が重く、遂にこの年52歳の若さで亡くなりました。
 若い頃の栄光をリアルで知らず、自分が見始めたころは大してヒット曲もない時期だったので、その大物ぶりがあまりよく分かっていませんでした。

・入江徳郎さん

 先に「古谷綱正さん」の項で触れましたが、昭和の「ニュースコープ」でやはり平日の顔的存在で、奇しくも古谷さんと同じ年に亡くなられました。

・浦部粂子さん

 おばあさん女優としておなじみの存在で、片岡鶴太郎さんが彼女の物まねをして一段と有名になりました。

・松田優作さん

 「太陽にほえろ!」ジーパン刑事から、様々なアクション映画、後に映画俳優、そしてハリウッド進出とスケールの大きな俳優活動を展開していた矢先、癌により早世されました。美空ひばりさんの死もこの年の衝撃の訃報かもしれませんが、個人的にはこの優作さんの死こそが衝撃でした。ちょうど理容店で髪を切っていた時に、そこのラジオから流れてきて、髪を切られながら声が出た記憶があります。

・志賀真理子さん

 元アイドルで引退後留学先のアメリカで交通事故により19歳で死去

 

2023年7月 9日 (日)

セミリタイアへの葛藤

最近、親元の近くへ引っ越しました。

その為、今の会社の通勤が遠くなり、1時間以上はかかるようになりました。歩きと電車で30分ずつ。

引っ越しは親の加齢により行動範囲が狭くなったことが原因で、いつでも行ける距離に居ようと決めたもので、それまでは約30年、少し遠い所に住んでいて割に気ままに暮らしていましたが、さすがにそうはいかなくなってきました。

この事と、この4月に事実上の降格となった事で、今の会社を辞める事が自分の中では確定的になっています。その降格も自分の部門が人数が少ないからという理由で、課が係になったようなものでした。その件で怒りどころか呆れと諦めで、「もういい」となりました。ここ1年で親の状態が気になっていましたが、それに加えてこの事態で、糸が切れてしまった訳です。

それからというもの、会社に来るだけでヘトヘトになって、他の事に気持ちが向かず、上司からも無視され気味で、会社でのモチベはもうありません、上司には何かあると反抗的な態度をとるようになり、いつまでもそんなことをしてたくないのも本音です。

なので早く会社を辞めてしまいたいのですが、無職になることへの恐れ、会社での体面的なもので、退職を切り出せずに、そのストレスが風船のような溜まってきつい状態です。自分が壊れてしまう前にさっさと退職を切り出した方がよいのか…

 

横道それましたが、現在セミリタイアを考えています。

現貯金は約4,000万、もうすぐ53歳の会社員で、大学出てから30年働いてきて「もういいかな」の思いも正直あります。何より大きいのが、今年から入るようになった、毎月25万の投信の「不労所得」です。若い頃の給料並みの金額が毎月入ってくるので、この時から特に会社にいる感覚が変わり、降格前はそれでもそんな変わりませんでしたが、降格後は「何言われてもされてもいい」と開き直るようになり、「いつてもやめてやる」という感じでした。でもまだその時は現実的な退職を考えれていませんでした。

今退職して次の仕事が見つからなくても、ほぼ年間300万円は入ってくるので、独身でもあり派手な生活をしなければ十分、貯金を取り崩さずにやっていけると思っています。大きいのはやはり国保と国民年金を自分で納めなければならない点ですね。前回26歳から無職だった時期に、当時は不労所得は一銭もなかったので、これがかなり負担で、国民年金は免除申請をしていたほどでした。あと気になるのは親のことでどれだけお金がかかるか?ですね、まだ元気ではありますが、衰えが明らかにつき、いつかは…というのはあります。

年間300万で生活できれば、働かなくても貯金を取り崩さずに(貯金1,000万取崩しても投信取崩しは不要であり、配当利益はまず生んでくれます)暮らしていけます。もちろんこの投信の配当が未来永劫この額入ると約束されてはいませんが、過去実績ではほぼ切れ目なく同額の配当を実現しています。

20代、30代でセミリタイア…なんてとても考えられず、20代で無職になった時は、半年は丸々遊んでいましたが、いつまでもこうはいかないと思い、貯金は分かりやすく減っていくので、とにかく次を探すことに焦っていました。アルバイトに就けても収入より保険料等の支払いが重く、収入<支出の月もあり貯金がたまらず、バイト終了後はまた無職になると、次の職場に就くまで残り10万を切った時期もありました。運良く面接で選ばれて就業でき、その月の給料をもらう前の貯金は1万そこそこで、本当に危機でした。この時のことを思えば今は全然平気です。

40代になると定年の事をおぼろげに意識するようになり、それでもまだまだ先の事、という感じで、セミリタイヤなど意識もしませんでした。若い時はそれぞれピンポイントでも仕事の「楽しい時期」が必ずあったので、意識するべくもなかったのですが、50代になると急速にベテラン感もあれば、それでもメインのラインを外してもらえない感もあり、中間管理職でもあり、キツイ要素が増えてきました。給料の額と責任のあまりの不釣り合いに…。

50歳を過ぎて早々の頃はまだ意識しませんでしたが、51歳前くらいから会社の周囲と折り合いが悪くなり、今の会社にいるべきではない気持ちと、同時に親のことが気になり出して、更に不労所得を得て、「環境を変えたい」思いが強まりました。定年まで数年…と思えば、貯金を取り崩さずに生活できるなら、してもいいかな?と思うようになりました。若い頃のセミリタイアと違って、ある程度先が「数年」という形で見えてきてのセミリタイアならいいかな?と。55歳でやめる人(昔は定年が55歳でした)も時々見られ、2年しか変わらないし、ここまで頑張ってきたし…というのもあります。

さっきから何度も「セミリタイア」と書いていますが、仕事をしたくない、働きたくない訳ではありません。ただ金を稼ぐためだけのいやな仕事はしなくていいだろう、という事です。むしろ働けるうちは働いて、より誰かに何かに貢献できるようにしたいと思いますし、正直給料なんてどうでもいいです。月10万でも不労所得25万とで35万になるので万々歳です。できるだけしたい仕事を選んで、ストレスをかけずに「役に立った」と思える労働を、実家の近くで「通勤時間をかけずに」したいと思います。正直50代の転職なんてろくなものではないと思うので、期待はしていませんが、働けるなら条件の合うものがあれば有難い、なければないで60歳、65歳まで過ごそうかな、という感じです、こんなブログでも書きながら…。ただ、働いている時と同じ、規則正しい生活だけはしておかないと、体調が狂うのは前回無職時に思い知りましたので。

通勤時間は、今の会社で一番のネックであり、しかもリモートワークが普及し周りがやっている中、自分は立場上、出勤しておかなければならないとされ、事務所のリモート率拡大時期もずっと出勤、また建屋の工事となると休日になるので、皆土日休んでいるところも一人、立合いで出てこなければならず、そういうのにもヘトヘトになったのもあります。

若い頃には普通にやっていた頃でも、今はしんどいし「なんで」という思いもあり、金のこともあり退職に対するハードルも下がり、自分の頭の中は「100%退職」ですが、上司に言い出せないために「いつまでもいる」と思われて、周りからも普通に使われている状態です。すぐに辞めたいのではなく「終わりを設定したい」のです。「いついつまでしか、こいつはいない」と思わせて、この会社での活動に区切りをつけたい、そんな思いです。

こう書くと不満を並べ立てて正当化してるだけに見えますが、今の苦しみからは逃れないと、どうにもならないな、と思うのはひとつ正直なところです。

退職は決意したが、なかなか言い出せない方がいたら、共に頑張りましょう。未来の幸せのために。

2023年7月 5日 (水)

生活と思い出と世の中と(1989年④)

遡って振り返る、「生活と思い出と世の中と」。47回目は1989(平成元)年の第4回です。

前回に引き続き、当時見たテレビなどをもとに当時の様子を綴っていきます。

 

●ドラマ(本放送) その2  ※見た作品だけ

「同・級・生」

 安田成美さん、緒方直人さん主演。柴門ふみさんの原作マンガも知られた作品です。

 大学を卒業して間もない頃の同級生たちの織り成す物語で、「男女7人…」の同級生版とでもいうか、そんなイメージでした。
 大人の恋愛もしてみたり…そこで登場するのが、まだ「○○は文化」と発言する前の石田純一さん、当時旬の宅麻伸さんも出ていました。

 後にすっかりひな壇芸人になった勝俣州和さんもこんな恋愛ドラマに出ていたり、まだそんな大物感のなかった山口智子さん、イケメンでこれから売れるだろうなと勝手に思っていた戸田研一郎さん、か弱いはかない女の子を演じたら…の菊池桃子さん、フジテレビ現役アナウンサーにして普通にレギュラー出演した中井美穂さん、出演者はどっから切り取っても豪華でした。
 このドラマに出てきた名セリフ「朱に交われば?」「シュラシュシュシュ」は、個人的に自分のいた団体で流行り言葉になり、いきなり訳の分からない組織に放り込まれて、仕事しろといわれて嫌々やってたのが、いつの間にかはまってしまい、当時そこにいた面々の影響が大きすぎて、この言葉を心から噛みしめる事となりました。

 

「翔んでる!平賀源内」

 TBSの月曜夜8時~ といえば「水戸黄門」の時間帯ですが、その水戸黄門の合間に放送された作品でした。

 この枠で放送された「江戸を斬るⅦ」「大岡越前」の直近の出演者が多く出演し、役柄も同様のもので、「お馴染みの役者」で脇は固められましたが、西田敏行さんが平賀源内を演じるというのが、あまりに異色感満載でした。個人的に源内ってガリガリのイメージがあって、まるで正反対だったもので。

薬丸裕英さんがシブがき隊解散の翌年に出演したドラマでもあり、颯爽とした同心を演じ、その配下に大沢逸美さんがいました。
また、石田ゆり子さんが本格的に出てきた頃で、ここでは「沙織」「詩織」という二役で出ていました。当時は、既に出ていた石田ひかりさんのお姉さんとは知りませんでした。

 個人的に、一人暮らしを始めた頃、月曜の晩御飯を食べながらこのドラマを見ていた記憶がハッキリあり、これを見ながら明日の事を考えたりしていました。

 

「八百八町夢日記」

 「長七郎江戸日記」里見浩太朗さんが長年主役を張った時間枠に、里見さんが演じる奉行と、やはり同じ時間枠で「銭形平次」で主演していた風間杜夫さんがねずみ小僧に扮し、この2人のダブル主演で贈る大作という触れ込みで始まった番組でした。

 悪人どもにに対して「貴様らには、もはや見る夢などないのだ!」のセリフと共に扇子を投げ入れるのが定番でした。
 翌90年9月まで1年間放送され、更にその後続編も制作される人気番組となりました。

 

「ハロー!グッバイ」

 刑事ドラマのエースとなる水谷豊さんの原点的な作品でした。

 以前は「熱中時代・刑事編」で若手として人気を博していましたが、今作では中堅となり若手たちを率いるリーダーとして活躍します。その姿は翌年「ザ・刑事」や翌々年「刑事貴族2」へそのまま繋がっていきます。 

 水谷さんと組むのは三田村邦彦さん、賀来千香子さんという面々でこのトリオを中心に、署長役に大地康雄さんが扮し、人気を得るようになりました。水谷さん演じる伊達刑事を兄貴と慕う若手刑事「ベンジョー」コンビに布施博さんと川﨑麻世さんが扮しています。川﨑麻世さんが「髪短くなってる!」と当時驚いたものでした、久々に見たのもあり。たしかジャニーズ事務所に在籍していたのはこの頃ぐらいまでだったと思います。

 割にアクション要素もあるドラマの割にビデオ映像だったのが、ちゃっちく見えて残念でした。

 個人的エピソードとして、このドラマを友達とも見ていた時に「何これ?」と聞かれたので、番組名である「ハローグッバイ」と答えたら、「それ分かるけど、なんていう番組?」と聞き返され「だから、ハローグッバイやって」と答えた事がありました。友達は番組名を尋ねたのに、その時にBGMにビートルズのハローグッバイという曲が流れていたそうで、そのBGMの曲は知ってるけどなんちゅう番組?と聞いたといい、こちらはそれを知らずに純粋に番組名を答えたのでそんな会話になりましたが、とても面白かった思い出でした。

 

「ヘイ!あがり一丁」

 富田靖子さん主演の、すし屋に住むことになった女子大生とその周辺の物語です。
 寿司職人役のジョニー大倉さんが黙々と握りながら、バックに自身が矢沢永吉さんらと活動していたロックバンド「キャロル」の曲が流れていたのを妙に覚えています。
 また富田さんと林隆三さんの「やるっきゃないモン!」以来の再共演で、個人的にこの年の離れた二人の関係性に注目していました。

 

「スクラップ」

 世良公則さんが民放の連続ドラマで唯一主演した作品ではないかと思いますが、刑務所から出所した男の役で、同様の女性を石田えりさんが演じ、この二人がある一人の男の子と暮らすように仕向けられた「疑似家族」のドラマでした。「親子ジグ・ザグ」の世良公則版といった雰囲気でしたが、世良さんがよく「タコ!」と言ってたのを覚えています。

 栗田貫一さんが毎回誰かしらの物まねをするのですが、世良さんの目の前で世良さんのマネを披露したこともありました。
 ソフトな善人と思いきや、最後に悪の本性を現わす岡田真澄さんにびっくりしましたが、普段音楽担当であまり見かけない城之内ミサさんが普通に出ていたのもなんか驚きでした。

 

「ママハハ・ブギ」

 浅野温子さんが主演の、「継母」となった自身と、一癖も二癖もある再婚相手の子供たちとの、心の交流ができるまでを描いたもので、織田裕二・的場浩司という後に「予備校ブギ」で共演するコンビの登場も注目され、高い人気を得ていました。

 この時期、大人気を博した「もっとあぶない刑事」が終わった後で、舘ひろし・仲村トオルコンビの「ゴリラ・警視庁捜査第八班」や柴田恭兵・仲村トオルコンビの「勝手にしやがれヘイ!ブラザー」といった前評判の高かったドラマが不振で、浅野温子さんが誰とも組まずに出たこのドラマが「ひとり勝ち」の状態になっていて、その事を当時友達と話した思い出があります。

 

「和っこの金メダル」

 NHK朝ドラの'89年度下半期作品で、大阪局制作のものでした。
 実業団のバレーボールチームが舞台で、当時20歳だった渡辺梓さんの初々しい演技が印象的でしたが、桂三枝(現・分枝)さんがドラマ出演したという珍しい作品でもありました。

 

2023年7月 1日 (土)

生活と思い出と世の中と(1989年③)

遡って振り返る、「生活と思い出と世の中と」。46回目は1989(平成元)年の第3回です。

ここでは当時見たテレビなどをもとに当時の様子を綴っていきます。

ひとり暮らしを始めた年もあって、結構色々見ていました。

 

●ドラマ(本放送) ※見た作品だけ

「あなたが欲しい-I WANT YOU-」

 渡辺謙さん主演。思えば、病気で活動休止前に最後に彼を見たような気がします。財宝を探す男たちと3姉妹との出会いからストーリーが始まる…そこからよく覚えてませんが、渡辺さんが髪の後ろを少しくくって出ていたのは記憶にあります。
 主題歌が泉谷しげるさんの「春夏秋冬」で、タイトルは聞いたことがあって昔の曲だとは知っていましたが、この当時ロックのイメージが個人的に強くて、この曲があまりにも淡々としたものだったので、ものすごくギャップを感じました。昔はフォーク系だったのか、とこの時点で知りました。

 

「暴れん坊将軍Ⅲ」

 前年1988年からスタートしていた「Ⅲ」で、翌年9月まで続きますが、この年は何といってもレギュラー御庭番で三ツ木清隆さんが演じた「左源太」の壮絶な殉職劇がありました。代わって、後任というか一話だけ被りがありますが五代高之さん演ずる「才三」がレギュラー入りしました。その少し後に無名時代の高島礼子さんがやはり女性御庭番としてレギュラー入りしています。

 

「あいつがトラブル」

 南野陽子さん主演の横浜を舞台にした刑事ドラマ。織田裕二、宍戸開といった面々が若手としてイキのいい活躍をしていました。
織田さんの革ジャンとジーンズがカッコ良かった印象、宍戸さんはひたすらコミカルで。途中からなぜか、うじきつよしさんが同僚刑事として加入してきました。

 南野さんはこの作品で、髪を短く切ってウェーブをかけた独特のヘアスタイルで登場、拳銃の腕前は一流ながら経験不足で失敗を重ねながら成長していくのがストーリーの基軸でした。彼らの所属は色々な刑事の寄せ集めのような「失踪人課」という特殊部門で、はぐれ者の彼ら若手たちと、また「代表」として彼らの上司が、萩原健一さん演じる「沖田」で、中年ながらかなりの型破り刑事で、爆弾を持って走ったり、銃口に走って立ち向かったりの無鉄砲ぶりでした。これは彼が「太陽にほえろ!」で演じた「マカロニ刑事」がそのまま歳を取った姿…という想定で創られたキャラクターだそうです。

 それまで映画を中心に活動していた萩原さんがテレビに戻ってきた感があって、個人的には彼の活躍を楽しみにしながら見ていました。

 

「愛し合ってるかい!」

 「愛し合ってるか~い!」という陣内孝則さんの掛け声がインパクトの強かったドラマでした。小泉今日子さんにバービーボーイズのコンタこと近藤敦さんがドラマに出るなどの異色学園ドラマでした。それまでの生徒に焦点を当てた学園モノと違って、教師の恋愛等にもスポットを当てていた感がありました、あまりしっかり見ていませんでしたが和久井映見さんが生徒役で出ていた印象があります。

 

「明日に向かって走れ!」

 フジテレビの30分ドラマ枠の作品で前番組「スワンの涙」に続く、平成のスポ根ドラマでした。

 「スクールウォーズ」で不良にしてラガーマンとして活躍した大木大介を演じた松村雄基さんが駅伝部の監督役として主演し、熱血指導で生徒たちを引っ張る、というスクールウォーズと同じ「大映テレビ」の制作で、生徒役には当時の有望な若手がたくさんいましたが、その中に後にTOKIOのリーダーになった城島茂さんもいました。

 

「鬼平犯科帳」

 中村吉右衛門さんが主演しロングランシリーズになった鬼平犯科帳の第一作は、この年に放送されました。中堅同心の「酒井祐助」役は後に勝野洋さんに定着しましたが、当初は篠田三郎さんが演じていて、次作は柴俊夫さんになるなどコロコロ変わっていました。中西龍さんの名調子がスッと入ってくる流暢なものだった、最初からその印象が強かったです。

 

「勝手にしやがれヘイ!ブラザー」

「もっとあぶない刑事」終了から半年後、同じ時間枠で、柴田恭兵さんと仲村トオルさん、そして中条静夫さんという面々の共演が実現したドラマです。
中でも恭兵&トオルのコンビは話題性があり、当時の目玉の一つとして大々的に報じられていました。
トップ屋の恭兵さんと弁護士の卵的なトオルさんが異母兄弟という設定で、父親役が中条さんでした。トオルさんが大型バイクを乗り回すシーンも印象的でした。翌90年3月まで半年間放送されました。

 

「華麗なる追跡」

 この年11月に亡くなった松田優作さんの遺作となった単発ドラマ。
久しぶりにテレビでアクションをする事、そして共演が陸上選手のフローレンス・ジョイナーさんという異色具合が話題性を呼んだドラマでした。結構優作さんのアクションシーンが見れて、若い頃からの大きな衰えは感じられませんでしたが、膀胱がんがかなり進行し、直後には入院し一人で歩行のできない状態だったという事で、脚本もアクションシーンを軽減するよう自ら手を加えていたといいます。

 彼のガンが公表されたのは死後でしたが、この作品が放送されたのが死の一か月前で、観ている側は誰も、まさか彼がそんな重篤な状態だったとは知る由もありませんでした。11月にその死が報じられた時は、相当な衝撃でした。映画「ブラックレイン」やこの作品で、あんなにアクションしていたのに、末期がんだったとは…という感じでしたね。

 

「女ねずみ小僧」

大地真央さん主演で、何人かの女優が主演した女ねずみ小僧ですが、カタカなのサブタイトルが印象的でちょっと「今風」を感じる時代劇でした。「太陽にほえろ!」の「山さん」の露口茂さんが「太陽ー」以降でレギュラー出演した数少ない作品でもありました。

 

「キツイ奴ら」

小林薫さんに、ドラマ初出演の玉置浩二さんがコンビを組んだ異色ドラマでした。柳葉敏郎さんのヤクザ?に借金し、その返済を迫られながら、奮闘する?そんな感じのドラマだった、記憶です。♪キ・ツ・イ~のフレーズが印象的でもありました。

 

「こまらせないで!」

大映テレビ枠のドラマで、荻野目洋子さん演じる主人公が、普段は地味に幼稚園の先生をしながら、渡辺徹さん演じるダメ兄貴が窮地に陥ると、自分の正体を明かさずしてスーパーレディーに変身してピンチを救うという一話完結ものでした。
島崎和歌子さんや的場浩司さんが出だしの作品でもありました。また沢田亜矢子さん演じる義母と渡辺徹さんのダメ兄貴が、荻野目さんの主人公をめぐって言い争う掛け合いが面白く、ひとつの見せ場でもありました。天宮良さんが演じる刑事が、徹さん演じる親友と対照的にカッコよかったのも印象的で、その後天宮さんはもっと二の線で躍進していくと思ったのですが…

 昨年末、渡辺徹さん急死の際に、この作品でのエピソードを的場浩司さんがコメントし徹さんの死を悼んでいました。

 

「ゴリラ・警視庁捜査第八班」

石原プロが石原裕次郎氏亡き後に制作した最初の作品で、往年の「西部警察」のスケールをはるかに上回る事を標榜して始まったドラマでした。

初回からフィリピンロケを敢行し、派手な爆破や銃撃シーンで大規模なアクションを展開し、放送スタート前には特番が組まれて大々的に宣伝されていました。

渡哲也さんを行動隊長とし、舘ひろしさんと神田正輝さんという石原プロの「両輪」が刑事役として共演する事も話題となり、神田さんがひげを生やすなどイメチェンを図っていました。
「西部警察」と同じ日曜20時枠で放送されていましたが、自分が当時過ごしていた山陰地方では、テレ朝系がなかったので遅れで月曜22時だかに放送され、その後月曜24時ごろに放送され、この番組が終わってその日のテレビ番組が全終了していました。

初期に渡さんが足を怪我してしまい思うように動けなくなった事や、当初準レギュラーとしてオープニングにも名を連ねていた仲村トオルさんが出なくなった事、派手なアクションが中途半端でストーリーが分かりにくい事等で視聴率が振るわなかった事もあり、倉本聰さんをライターに据え「社会派」路線へ転換し、ストーリーに重厚性を持たせるなどテコ入れがなされました。
渡さん演じる倉本の妻が難病で入院する、舘さんの伊達刑事が末期がんに侵されながらも刑事を続ける、など続きものの要素を取り入れ、田中美奈子さんをレギュラー入りさせ、神田さんは髭を剃り元のイケメンに戻り等しながら、翌90年の最終回では舘さんの伊達が残された命を燃やし尽くす形で壮絶な殉職を遂げる3時間スペシャルが放送され、1年間の放送が完結しました。

その後石原プロでは人情系の刑事ドラマが制作され続け、このような派手な刑事ドラマは制作されなくなりました。

 

「ゴリラ・警視庁捜査第八班」より。
風間(神田正輝さん)の片手でのオートマック拳銃の弾丸装填

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「あの夏に抱かれたい」

 野村宏伸さんが主演、生き方がよく分からないまま突っ走る若者として、それまでの「教師びんびん物語」の榎本からは全く対照的なワイルドな役柄で一本立ち感がありました。その彼に惚れる世間知らずのお嬢様を演じていたのが少し年上の紺野美沙子さんという、局は違いますが「教師びんびん」のスピンオフ感はありました。
主題歌の吉田拓郎さん「落陽」が印象的で、当時からでも20年近く前の曲のリメークでしたが、未だにどこかで語り継がれているような名曲です。

 

「過ぎし日のセレナーデ」

田村正和さんが主演で古谷一行さんとコンビを組むという「男たちによろしく」以来2年ぶりの共演で、これに高橋惠子さんなども共演、あまり見ていませんでしたが、当時は漠然と大人の恋愛ものを時系列的に描いたものかと思っていましたが、もっと深い作品だったようで。翌年3月まで半年間放送されていました。

 

「スワンの涙」

正式には「青春オーロラ・スピン スワンの涙」というタイトルでした。
宮沢りえさんが主演した、水泳を題材にした大映テレビ30分枠のスポ根ドラマです。
ライバルからのいじめや、鬼コーチのしごきに耐えながらシンクロの選手として輝いていく、当時新進気鋭の宮沢りえさんが主演したこともあり、30分ドラマながら人気は高かった印象がありました。

 

「青春家族」

89年上期のNHK朝ドラです。
いしだあゆみさんと清水美砂さんのW主演で親子役でもありました。
清水さんの弟役には後にSMAPになる稲垣吾郎さんがいて、ちょうど声変わり独特の声が印象的でした。

割とほのぼのとしたドラマという印象がありましたが、個人的に毎朝トーストを焼いて食べながらこのドラマを見て大学へ通っていたので、その思い出とリンクする作品でもありました。

 

当初は全部書いて1記事にしようと思いましたが、長くなりすぎたので次回後編をお送りします。

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