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2023年8月の5件の記事

2023年8月29日 (火)

生活と思い出と世の中と(1986年①)

遡って振り返る、「生活と思い出と世の中と」。56回目は1986(昭和61)年の第1回です。

高校1年の年でしたが、3月までは中学生でした。

そんな時代の出来事と当時の文化などについて触れていきたいと思います。

 

●中三時代

1月から3月まで中学生、中学三年生でした。

高校受験の追い込みで、とにかく遅くまで勉強してました。毎晩1時過ぎまでやってたでしょうか。

親から支給された肉まんとコーヒーを「夜食」として飲食する時間が「至福」でした。

部屋から窓の外を時々見て気分転換しながら…この高校受験の時が多分、他よりもずっと勉強したように思います。

大学受験はもっと緩かった気がするし、中学受験もしましたが、ここまで自分からしなかったなという感じで。

どうしてもこの高校受かりたい、という気持ちが強かったですね。もっとも倍率の低い高校受験で、最も頑張っていたと思います。

なので、学校から帰ってドラマの再放送なんか見てたら親に注意されていました。「そんなもんいつでも見れる」と(いや、見れんけど…うちビデオなかったし、って感じでしたが)

うちの中学は、定期テストがあると全教科の点数を合計し、上から30人ずつA、B…とランク判定する方式で、この中3の時、BかCがほとんどでしたが、最後の定期テストの時に親が「A取ったら小遣いあげる」と、その言葉に釣られて最後の最後に「A」が取れました。中学3年間で唯一の「A」でした。

でも、その再放送のドラマを見ては、次の日帰りに友達とその話で盛り上がってたので、見て良かったなと勝手に思っていました。(娯楽の選択肢の少ない時代だったので…)

1月は横綱・隆の里が引退しました。糖尿病を克服し30歳を越えて横綱になった「おしん横綱」と言われた力士、引退後鳴門親方となり指導していましたが、59歳で早世することとなります。

この時期、生涯で唯一の「しもやけ」に罹りました。後にも先にもありませんが、受験勉強しないとの時に指が痒すぎて鉛筆も持てなかったのを覚えています。最近しもやけにかかる人、聞いた事がないですね。

2月にいわゆる「すべり止め」的に某私立の高校を受験しました。筆記テストもありましたが、その高校は当時男子校(現在は共学)で、野球の名門校ですが、「50m走」が入試の中にありました。これはたぶん走れるかのチェック程度のものだったと思いますが…。

程なく、合格通知が届き、とりあえずこれで高校へ進学はできるようになりました。学校を受験して初の合格通知でした。しかしあくまで公立へ行かねば…です。

本命の(公立)志望校へ願書出したのかな?覚えてないけどそうなんでしょうね…、そして3月13日?中学校の卒業式がありました。

その足で、友達と家に帰って、うちの部屋でダベってたのか、これもどう過ごしたか忘れました。。

卒業式の翌々日が公立高校の受験日、受験番号が155と足したら11になる「インケツ」番号でイヤだなと思っていました(笑)

そして現地(高校)へ受けに行きました。「これが高校か!」と教室を見て思いましたね(笑)

感触は微妙でしたが、数日後ドキドキしながらまた高校まで出てきました。

中学までは、基本校区内での生活でしたが、高校は市の中心まで行くわけで、バスで20分+徒歩で15分くらいかけていきました。

自分の受験番号は…

ありました!!

合格!

希望通りの高校に行くことができる、その時はそれだけでした。

合格後、再度高校へ行って支給品をもらったりしてましたが、その中で入学前の「宿題」がドッサリあって、英語や数学など色々ドリルで勉強しました。

春休みに中三のクラスで最後の会がありました。中学って制服なので、みんなの私服なかなか見ませんでしたが、中学を出るという事で背伸びした服装の面々もいくらかありました。今は亡きボウリング場へ行って、この時代はボウリングがまだまだ遊びの主流で、逆にカラオケボックスなんてまだそんなに普及していなかった時代でした。

帰りに雨が降って、傘忘れて自転車で濡れて帰ってたら、両サイドからクラスの面々が自転車で横につけて傘をさしてくれたのが嬉しかったし、いまだにハッキリ覚えてます。あんまり人から優しくされた記憶がないもので(笑)

それと、高校に行くにあたり色々もらったりしました。

まずは通学用のスポーツサイクルを買ってもらいました。当時はスポークの部分にギアシフトのレバーがあって、今の自転車にはないフォルムでした。

それから、待望の「TVチューナー付Wラジカセ」を買ってもらいました。

今の時代には通じない言葉なので説明すると、ラジオにWカセット(カセットテープから別のカセットテープへ録音できる)がつき、更にはTVも聞ける(見れませんが「音」だけ聞ける)という、当時の自分の中では画期的でした。部屋にTVがなくて、TVを見るには1Fへ降りて親のいるところへ行かなければ…だったので「自分の部屋でTVの音が聴ける」のが画期的すぎました。といっても全局聴ける訳でなく、3局ぐらいだったと思いますが…、親から「見てはいけない」とされた、ちょっとオトナの?番組も自部屋で「聴いて」たりしました。。

あとは…当時もらったお年玉等を集めて、高校3年間定期預金に預けていました。

今だと「定期預金??」となると思います、利率が0.03%だかでほとんど利息なんてつかないと思いますが、当時は3%からはつくような利率だったので、3年間寝かせたらまあまあの額になった訳です。

 

●高一時代

4月8日、高校の入学式を迎えました。

母が妹の中学入学式に行ってたので、珍しく父親と行きました。

思えばこの父と2人で行動したのは、これが最後だったかもしれません。高校に入ってからあまり喋らなくなって、高校出てからは自分が実家を出たので、ほぼなかったですね…。

昼ご飯をどこかの店で食べましたが、当時「新伍のおまちどうさま」という山城新伍さん司会のバラエティーがやっていたのを覚えています。この1年後にこの番組の本番中に漫才師の春日照代師匠が倒れてそのまま帰らぬ人となりました。

そしてこの日、衝撃的なニュースが入ってきました、、

岡田有希子さんが自殺した、というのです。

まさに旬の売れっ子アイドルの自殺はあまりに衝撃で、後追い自殺する方も…という感じで社会的な影響があったのを高校生的に感じていました。

それから高校生活が始まりますが、自転車で30分くらいかけて、中学時代の同級生と3人で自転車こいで行ってました。これがなかなかハードで、スピード的についていくのも最初はつらかったですね。距離はあるし歩道は狭いし、坂道はあるし…で。そして通学途中での「パンク」がまた痛かったです。遅刻につながるし、お金もかかるしで…。高校3年間で何回パンクしたやら…という感じです。

そう、高校に入って初めて「詰め襟」の学生服を着ました。中学では、市内でも珍しい「ブレザー」だったので、中学の制服で高校受験した時は、めちゃくちゃ浮いてました。

4月11日、高校入学して間もない頃「太陽にほえろ!」で山さん(露口茂さん)が殉職しました。まさか、山さんが死ぬの…??でしたが、後任がなく、その後程なくボスの石原裕次郎さんが再度欠場となり、番組は寂しくなっていくばかりだった覚えがあります。

中学時代は坊主頭を強いられていて、高校からは髪を伸ばしてよくなったので、しばらくは伸ばしながら、散髪へ行くときに「どうオーダーしよう?」と悩んだものでした。

そして髪を伸ばすと、髪に色んなものをベタベタつけるようになりました。母が化粧品販売員だったので、そういうものには事欠かず、ムースにジェルをつけるという訳の分からないことをやってました。ジェルをつけてベタベタにしながらドライヤーで固めたり、ある時期からはキッチリ髪型が決まるようになり、とにかく時間をかけて髪はよくいじってましたね(笑) 髪が多くあった頃は(笑)

4月も終わりの頃、部活に入りました。硬式テニス部。

中学で運動部入ってませんでしたが、テニスならやれそうかな、と思って。

しかしこれが結構ハードでした。

8月になるまでラケットも満足に持てず、部員が多かったので「整理」されるためか過酷な運動を強いられました。まず毎日外周を10周、約5kmは走りました。雨の日はなくなる代わりに廊下をぐるっと走る「廊練(ローレン)」というのをやっていました。これも結構走りましたが、5kmと比べると優しいもんで、毎日のように雨が降るのを祈ってました(笑)

寝ながら足だけ上げる「足上げ」もキツかったです。30度とか45度とか…。毎日往復1時間自転車こいで、5km走って、体育が週に4時間、人生で最も運動した時期でした。食欲もビックリするほどあった割に全然太らないから不思議でした、今では考えられませんが…。

部活でいうと、山の階段を上り下りしたのもハードでした。何百段あるんだ?というぐらいの長い階段をのぼり、降りる時は膝がガクガクでかつ、急斜面で落ちる怖さと闘いながら降りてました。降りる時の方が遥かに怖かったですね。

ちなみにその山とは、これです↓

男山 (兵庫県) - Wikipedia

 

勉強だと「チャート式」という学校支給の参考書で数学は勉強して、問題を解きまくって覚えていった記憶があります。数学はできたけど、理科ができなさ過ぎて結局文系へ進んだんですが…。しかし「チャート式」がいまだに存在する事にビックリしました。

英語はリーダーとグラマーとに分かれ、グラマーって最初、文法の事と知らず「なんでおじさん(うちの担任)が教えてるんだろう?」と思っていました。高校の英語って、とにかく頻繁に辞書引いたのを覚えてます。

理科は嫌いだった物理・化学がもっと嫌いになり、生物しかムリかなと思い、これが翌年の教科選択にそのままつながりました。

社会は「現代社会」が面白かったです、「高校」で勉強してるなという事をすごく感じました。

美術と音楽に分かれてて、どっちも苦手でしたが、美術を選択、ただの暇つぶし時間でしたが、生まれて初めて「油絵」というものを描き、キャンバスというものを使いました。

高校での成績はハッキリ覚えてませんが、真ん中よりちょっと下ぐらいでしょうか。高校が偏差値ごとにほぼ決まってたので、中学のようにはいきませんでした。。

夏休み突入期ぐらいに高校で「キャンプ合宿」へ行きました。ロッジ?に泊まって、一部屋10何人すし詰めで寝て…

夏休みは、部活でテニスしてました。学期中と違って時間がかけられて練習もだいぶできました。その頃になると特訓もされなくなって、ラケット持って打てるようにもなったので、ようやく「テニスしてる」感が出てきました。それまではただの「体力づくり」という名のしごきでした。

秋、11月の初めに新人戦というテニスの試合があり、これが初試合でした。しかしここにも「部員整理」の罠があり、1ゲーム6コロ(0-6)で1回戦負けたら「丸坊主」と先輩から言い渡されました。髪を伸ばし始めた頃に丸坊主にするというのは、ある意味での「退部勧告」のようなものでした。自分はその0-6で負けました…、ただし2回戦で。1回戦が不戦勝だったので超微妙なところでしたが、何とか免除となり髪を伸ばしたまま部活を続けることができました。が、いかにも昭和ですね。。今でもこういう話はあるんでしょうか??

11月、「太陽にほえろ!」が終了しました。

小学生の頃から毎週金曜夜8時の大きな楽しみが…。その後3ヶ月は「PART2」として放送されましたが、石原裕次郎さんのボスは登場せず、11月14日の最終回、それまで5ヶ月ほど欠場し、2、3ヶ月ほど、地井武男さん。神田正輝さんを中心に、誰が主役かもよく分からない状態が続き、8月に渡哲也さんが「警部」として係長代行で主演するようになってからは、視聴率も回復しましたが、裕次郎さんの万全な状態になる事が望めないとされ、番組は終わる事に。。まさに「歴史の転換点」を体験したようなものでした。

「必殺シリーズ」を見始めました。当時の「必殺仕事人Ⅴ・旋風編」でした。22時からのTVって、夜も遅いし親がなかなか見せてくれませんでしたが、しれっと見てるうちに何も言わなくなり…で、見始めましたが、そこからわずか1年後にシリーズは終わってしまいました。。

 

2023年8月28日 (月)

生活と思い出と世の中と(1987年④)

遡って振り返る、「生活と思い出と世の中と」。55回目は1987(昭和62)年の第4回です。

この年の物故者にまつわる話を綴ります。

 

●訃報

梶原一騎さん

 …「タイガーマスク」「巨人の星」など命がけのスポーツ根性アニメで一世を風靡した漫画家でした。

 我々世代は本放送では知りませんが、度々された再放送でその世界観に触れたクチで、今からは考えられない世界ですが、当時はそれなりにそういうものなんだと思って観ていましたし、次どうなるのかハラハラしていたものでした。

 プライベートが破天荒である事も知られワイドショーでもいろいろやってたな、という印象がありました。50歳の太く短い人生でした。

春日照代さん

 …「春日三球・照代」で、夫婦漫才の代表的存在として活躍した方。
 番組の本番中に倒れてそのまま51歳の若さで帰らぬ人となりました。夫の三球氏はことし89歳の長寿で亡くなられました。

鶴田浩二さん

 …任侠映画などで主演格として人気を博し、晩年は脇に回って重鎮として君臨した映画俳優。
 テレビではNHK「男たちの旅路」シリーズや1年半放送された「大空港」の加賀チーフが当たり役でしたが、「戦争」をバックボーンにした役柄が多かったように思います。
 といっても生前、個人的に顔と名前が一致しませんでした。田中邦衛さんと勘違いしていた(多分、大空港で)時期もあって、その存在をはっきり知ったのは亡くなられてからでした。

石原裕次郎さん

 …この年の訃報で最も衝撃的でした。

 ずっと「太陽にほえろ!」のボス役で見ていた人だったので。
 1981(昭和56)年に動脈瘤で倒れた時もかなりの衝撃でしたが、「太陽にほえろ!」が終了して1年も経たないうちにまさか亡くなるとは…

 そういえば、その最終回で延々と「命」について説くシーンがあったのをその時に思い出しましたが、本人が死期を悟って作ったシーンかな、とか勝手に思っていたら、後日「俺に7分だけ時間をくれ」といってノーカットで撮ったという逸話が公開され、「やっぱりそうだったんだ」となりました。  

 忘れもしない、NHKラジオを自部屋で聴いていたら16時のニュースで「俳優の石原裕次郎さんが…」と言い出すから、「何事??」と思っていたら「亡くなりました。52歳でした」ってそれはもう衝撃で、しばらくは空虚状態が続いていました。

石原裕次郎さん最終回シーンのひとコマ

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有島一郎さん

 …「暴れん坊将軍」の爺こと加納五郎左衛門役で存じ上げていた方でした。
 この3月までレギュラー出演していて、まさかとビックリしました。また裕次郎さんの訃報から日が浅く、そういう意味でも「立て続けに知ってる方が…」とビックリしました。

 この爺役以外のこの方の役を知りませんでしたが、その直後に再放送でやっていた「われら青春」で、舞台となる高校の校長役をやっていたのを見ました。

岸信介さん

 …元首相の訃報として生まれて初めて接しました。それまで現役の大平正芳首相の死去は経験しましたが、元首相の訃報に接する事がなかったので。

川口浩さん

 …俳優。だったのですが、俳優だったことを知ったのは死後でした。我々世代にとっては「水曜スペシャル」の「川口浩探検隊」なんですよね。嘉門達夫氏も歌にしたぐらいの人気シリーズで。わずか50歳の若さでした。

 

と、早世の方ばかり挙げましたが、当時高校生というのもあって、あまり年の離れた方は存じ上げず、どうしてもTVで馴れ親しんだ若い世代の方に関心がいきがちで、またそんな50歳前後の若さで逝く方の多かった年でもあると思いました。

 

2023年8月20日 (日)

生活と思い出と世の中と(1987年③)

遡って振り返る、「生活と思い出と世の中と」。54回目は1987(昭和62)年の第3回です。

当時見ていたTVや聴いていたラジオと絡めて綴ります。

 

●ドラマ(本放送)

「赤ちゃんに乾杯!」

 …荻野目洋子さんが主演ながら、富田靖子さん、伊藤かずえさんと同年代の主演級女優が共演し、彼女たちが演じる3人の若い女性たちがふとした事で男の赤ちゃんを育てる事になり、その奮闘ぶりを描いたもの。荻野目ちゃんの主題歌「北風のキャロル」も印象深かったです。

「あきれた刑事」

 …あきれた「デカ」、文字通り「あぶない刑事」の後番組です。しかし時間帯が日曜21時から水曜20時へ変更されたことが災いしてか、視聴率は伸び悩みました。「あぶない刑事」のような正統派の捜査課ではなく、主人公が普段は刑事であることを隠して生活する「潜入捜査モノ」と奇をてらいすぎたのも低視聴率の一因とされました。個人的には「あぶ刑事」よりこちの方が大好きなのですが…
 

 放映前のキャスティングで、時任三郎、永島敏行、関根勤…とあり、「時任さんと永島さんが刑事としてコンビを組んで、関根さんも刑事役で出るのか…」と思っていたら、レギュラー陣で刑事役は主演の時任さんとその上司の小林稔侍さんのみ。永島さんは、時任さん演じる内海刑事に金で雇われる形で助っ人として共闘するヤクザまがいの男だし、関根さんは内海刑事の住むアパートの住人で、売れない映画監督として金になる仕事にありつこうと絡んでくる役どころでした。

 初回は安岡力也さんはじめ、多くの悪役俳優をゲスト出演させ、「あぶない刑事」のスピンオフ的に初回だけ当時人気絶頂の仲村トオルさんを出して、気合の入りようでしたが、ストーリーが荒唐無稽すぎて視聴者がついていけなかったのかもしれません。

「アナウンサーぷっつん物語」

 …当時流行っていた「業界モノ」ドラマの先駆け的作品で、また当時の流行語である「ぷっつん」をタイトルにもってきました。

  岸本加世子さんが主人公のアナウンサー役で、同じくアナウンサー役で相手役となるのが「太陽にほえろ!」が終了したばかりの神田正輝さんでした。神田さんはこの後1クールおいて「恋はハイホー!」でも業界ドラマで準主演しています。

「暴れん坊将軍Ⅱ」

 …初作と同様、途切れなく4年余り放送して、この年初めに「Ⅱ」としては終了し、「Ⅲ」は翌年初にスタートします。
  「爺」役で出演していた有島一郎さんが最終回まで出演していましたが、放映終了後に逝去され、このドラマが遺作となりました。

「若大将天下ご免!」

 …「暴れん坊将軍Ⅱ」の後番組で、ポスト松平健として、橋爪淳さんを時代劇スターに育て上げようという意気込みが高校生ながら画面越しに伝わってきました(笑) 当初は真ん中の部分に剃りの入ったちょんまげ姿でしたが、後に総髪になってよりイケメン風に仕立てられていました。
橋爪さんは後に平成版「大江戸捜査網」に2作主演しますが、時代劇スターという感じだったのは、この頃くらいまでだった気がします。

「アリエスの乙女たち」

 …過酷な設定と大げさなセリフで時代を彩った「大映ドラマ」の作品で南野陽子さんが主演しました。大映ドラマのフィルム映像はこの作品が最後でした。また、それまでの大映ドラマの設定が時代に合わなくなってきている感もありました。ちなみに南野さんの母親役として野川由美子さんが出演し、以後南野さんは野川さんを「芸能界のお母さん」として慕うようになったといいます。
 松村雄基さんの演じた「司」は陶芸の窯の爆発事故で失明しますが、以前には「ポニーテールは振り向かない」のラストで死んでしまったり、とにかく過酷な役どころが多かったですね。

「プロゴルファー祈子」

 …祈子と書いて「れいこ」と読みます。
  「アリエスの乙女たち」の後番組で、この作品から大映ドラマはビデオ映像になり、それまでの過酷な設定や大げさな芝居が浮いてしまう格好となりました。安永亜衣さんがプロゴルファーを目指す役として主演し、彼女の当たり役となりました。

「母さんと呼びたい」

 …昼帯の「花王 愛の劇場」の作品。この時代、毎年夏休みになるとこの枠では「わが子よ」シリーズが放映され、母親役は必ず小林千登勢さん、娘役は代々変わりながらも、「親子で見る」ことを狙いとして、感動を呼ぶ作品が放送されていました。

 この年はそれまでの「わが子よ」ではなく、親子ではない(だったか?)設定で、同様の感動路線のドラマが制作され、小林さんの一連のシリーズもここで終了となりました。

「恋に恋して恋きぶん」

 …このドラマは本編はほとんど見てないのですが、当時のTBSにあった「キンコーン」という音と共になされる次の時間枠紹介でよく見ていました。とにかく出演者が「濃かった」のをよく覚えています。主演がMIEさんで、相手役に布施明さん(!)、他にも西川峰子さん、西城秀樹さん(!)等、歌手活動を結構やってる面々がドラマにドーンと出てきた感じでした。

「恋はハイホー!」

 …菊池桃子さん主演のやはり「業界ドラマ」で、彼女がADとして奮闘する姿を中心に描かれていました。テレビ局に身を置く役として神田正輝さんが「アナウンサーぷっつん物語」に続いて登場しました。当初から3ヶ月と思っていましたが、半年のところが打ち切りだったようです。19時台のドラマという時間枠が合わなかったのかな?とも感じました。当時こんな早い時間帯に1時間ドラマはなかったので…。

「江戸を斬る」

 …「江戸を斬る(Ⅶ)」とされますが、1975(昭和50)年に「江戸を斬るⅡ」から1981(昭和56)年「江戸を斬るⅥ」まで西郷輝彦さんの主演で放送された人気シリーズでしたが、6年ぶりに里見浩太朗さんの主演で放送されました。里見さんはこの作品の後、「水戸黄門」で最後の助さん役へと続きます。

 小松政夫さんが色川伝兵衛という敵キャラ的な同心で出演しますが、後に「翔んでる!平賀源内」では赤垣平助、「大岡越前」ではその合名の「赤垣伝兵衛」として出演する事となります。

「水戸黄門」(第17部)

 …初回で、前作レギュラーだったせんだみつおさん演じる「煙の又平」が壮絶な殉職を遂げ、黄門様が命を狙われ続ける波乱のシリーズでした。また野村将希さんが「柘植の飛猿」として初登場し、再び脚光を浴びるようになりました。飛猿は当初ダーティなキャラでしたが、次第に味方キャラへシフトしていくようになりました。
 また、里見浩太朗さんの助さん役は今作がラストでした。第3部から16年間も演じてきて、すっかり主演俳優になっていてもまだ助さんをやっていましたが、50歳を過ぎてようやくの卒業となった感じでした。

「親子ジグ・ザグ」

 …長渕剛さんの「親子ゲーム」に続く主演作で、タイトル通り前作同様に疑似家族ものでした。
 相手役に安田成美さん、その母に白川由美さん、長渕さん演じる勇次の母役には李麗仙さんが扮していました。
 そして子役の伊崎充則さん演じるイサムの演技も印象深いものがありました。

 長渕さんの陽キャ的な役どころは連ドラとしてはこれが最後で、その後は髪型も変わり「とんぼ」などの路線へ変わっていきます。
 この2年前に長渕さんは「勇次」という曲をリリースしていますが、相当この表記のこの名を気に入ってるのかなと感じました。
 当時は柴田恭兵さんが「あぶない刑事」で演じた「大下勇次」や、かつて「必殺仕事人」シリーズで中条きよしさんが演じて好評を博した「三味線屋の勇次」など「勇次」はカッコいい男の名前の象徴的なものだったと思います。

「ザ・ハングマン6」

 …それまでザ・ハングマン「Ⅴ」などとローマ数字だったものが、本作では「6」と数字になりました。

 前作ザ・ハングマンⅤは山本陽子さんが主演し主婦がパートでやるハングマンという異色すぎる設定でしたが、2年ぶりに名高達男さんが主演し、元の路線に戻す感じで、名高さんも「満を持して」再登板という感じでした。それまで充電期間的にほとんどテレビに出ていませんでしたが当時の週刊誌に「2年間の武者修行の成果を発揮する」として今作に臨んだ、と書いてあった記憶があります。

 今回はメンバー全員がカメラマンの設定で、前年まで「必殺仕事人」の「なんでも屋の加代」として人気を得た鮎川いずみさんが「アイリス」役として起用され、金にがめつい役柄はそのままに(笑)、「それまで加代ちゃんとよばれていたのを「愛ちゃん」(立花愛役)と呼ばれるようになりたい」と意気込みを語っていました。
 若手イケメンで棒術を使う「スポット」には川野太郎さん、体育会系の象徴みたいな真面目キャラで、いつも鮎川さんのアイリスから妹を紹介されては断るのが定番でした。そして中年の怪力男「アンクル」として梅宮辰夫さんが扮していました。この役柄は以前「新ハングマン」で盟友・山城新伍さんが演じていた「チャンプ」の役柄同様、中年のスケベオヤジで、山城さんと違うのはナンパはするけど、カッコいい雰囲気をもった強い男であった点で、梅宮さんがジーンズの似合う役どころとして最後に演じたものではないかと思います。

 指令を送る「ゴッド」は今作では姿を現さず、毎回コンピュータを通して指令を送っていました。
 そしていつものハンギングで悪を召し取った後に今作では、見せしめとして「モルモット小父さん」が登場し、稲川淳二さんが毎回派手にやられて、捉えられた悪を震え上がらせていました。当時の稲川さんは、後の怪談で人気を博す前の「体当たり芸人」でうってつけの役でした。

 特番で、初期ハングマンで活躍しリーダーにもなった黒沢年雄さん演じる「マイト」が単発ながら復帰したのはかつてのファンを喜ばせました。名高さんの役柄が当時とは別人設定であったため、完全なる再会とはなりませんでしたが、この枠でかつて共演していた「黒沢×名高」コンビの復活は嬉しいものでした。この2人は他にも共演作が複数あります。

 相当な意気込みで臨んだ名高さんでしたが、自身のスキャンダルが報道された為、当初予定の半分程度で降板する事になったのは、何とも残念でした。

「ザ・ハングマン6」のカット

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「ハングマンGOGO」

 …ザ・ハングマン6で名高さんが急遽降板した為、主演以外のキャストをそのまま残して、主演には渡辺徹さんが起用されました。

  知能指数200で東大卒のエリートという通称「ダブル」役として登場しますが、その実はかなりのいい加減なお調子者で、その上かなり太った男で「ダブルサイズの"ダブル"じゃないか?」と言われ、彼はカメラとは全く無関係で、普段は「豚珍軒」という移動屋台のラーメン屋をやっていました。
 当時既にハングマンシリーズの終了が決まっていたようですが、「ハングマンもここまでギャグ路線になったか?」と思ったものでした。
1980(昭和55)年の「ザ・ハングマン 燃える事件簿」のスタート当初は「ハードボイルド」をOPで標榜し、命を捨て戸籍を抹消した悲運の人間たちがひっそりと悪を裁く物語で、最初の2作は殉職者も複数出るハードそのものの路線でしたが、今作になるとハンギングの前に♪楽しいハンギング 愉快なハンギング ハンギングハンギング と歌う始末で、とにかくギャグ満載の路線になっていました。

 渡辺徹さんは当時、榊原郁恵さんとの結婚が決まっていて、劇中でも「彼女との結婚資金を貯めるため」ハングマンになったという設定でした。この当時が彼の体重のピークであり130kgぐらいになっていたといい、徹さんの体重ピーク時の姿を今作で見ることができます。
 ただしそこは「太陽にほえろ!」のラガー刑事役で鍛えたアクションも生かしており、肥満体ながらにカッコよくキメるところはキメていて、ここに彼の魅力があるのだと感じられ、法で裁けない悪を裁くハングマンの基本フォーマットは崩すことなく続いていきました。

 本作の終了をもって連続ドラマとしてのハングマンは終了し、その後何度か全くの別キャストで単発ドラマが制作されています。

「三匹が斬る!」

 かつて「三匹の侍」という時代劇がありましたが、それを彷彿とさせる作品で、長期にわたって人気を博しシリーズ化され、その初作がこの年放送されました。

 高橋英樹さんの「殿様」はいかにもそんな雰囲気で、いかにも浪人者は役所広司さんが演じた「千石」、コミカルで槍を武器にした「たこ」には春風亭小朝さんが扮し、この3人の活躍を主軸としていました。

 個人的には役所さんの役で最も好きでしたが、それまでのキチっとした役どころより、こういうはみ出し者の方がこの人はカッコいいなと思ったものでした。彼が売れてしまったことで、後のシリーズではレギュラーを外れ、近藤真彦さんが後任を務めたりしていました。

「太陽にほえろ!PART2」

 …前年11月にスタートし1クール限定で「PART2」として放送されましたが、2月に終了し、14年半の「太陽にほえろ!」はここに終了する事となりました。

 最後は奈良岡朋子さん演じる女性ボスの過去や家族を暴く事件で、かなり落ち着いたタッチのストーリーで、かつて誰もが憧れた「太陽-」の姿はもはやありませんでしたが、つくづく刑事ドラマの転換期を感じたものでした。

「ジャングル」

 …約15年放送されてきた「太陽にほえろ!」が遂に終了し後番組として制作されました。

 何かにつけて「太陽-」と比べられ制作陣は難しかったと思います。自分も高校から帰ってきて「太陽-」の代わりに、これからの金曜の楽しみになるのだろうか??と思いながら見ていました。


 「私鉄沿線97分書」などで刑事役として人気を博していた鹿賀丈史さんを係長役で主演に据え、「太陽-」に半年しか出られず消化不良気味だった西山浩司さんを引続き刑事役で起用し、ヤクザか刑事か?危なっかしい元マル暴の刑事に桑名正博さんを据え、また「太陽-」OBから勝野洋さんが起用され「テキサスの10年後」のようないかにも体育会系の中堅キャラで見せてくれました。竜雷太さんも刑事部長役で出ていましたが、ほんの数回で自然消滅し、課長役は江守徹さんであまり出演なく、途中で課長をボス的役どころにする案も出たようでしたが結局は鹿賀さんを中心に回っていきました。

 「太陽-」の二番煎じを避けるためか「新しい刑事ドラマ像」をつくる事を標榜していましたが、初回から連続もの的に(その4)?くらいまで同じ事件が解決せずに続けられ、視聴者層が離れていったと聞きました。結局それで「太陽-」路線に戻していこうとなったのだと思います。

 最終回は若手の磯崎刑事(山口粧太さん)がライフルで蜂の巣になる壮絶な殉職を遂げましたが、ストーリーと関連性がなくここで彼が殉職する必然性もなく、それまでの彼の見せ場も大してなく、ただ最終回に誰か殺したかっただけ?と感じてました当時は。桑名さん演じる小日向刑事の退職の伏線になったぐらいかな、という感じでした。小日向は磯崎がライフルの的になった事を知りながら叫びをしたものの、「走れなかった」のが刑事として終わってると感じて退職する、という幕引きでした。

 そして翌年「NEWジャングル」へとリニューアルし新人刑事の成長物語を描くまさに「太陽-」路線を踏襲していく事となります。

「あぶない刑事」

 …前年10月にスタートしましたが、当初は爆発的人気はなく、それまでのアクション刑事ドラマとそう変わりない感じでした、人気面で。
 87年になって、刑事たちのオシャレな衣装がクローズアップされだしてから人気に火がついたように思います。
 柴田恭兵さんの大下刑事も当初はトレンチコートとかラフな格好が多かったですが、ジャケットにパンツの色を違えたりとか、舘ひろしさんはそれまでの「西部警察」のような黒は変わらずでしたが、夏になると白のサマージャケットとパンツに白のシャツと白づくめで、個人的にこの格好はすごく憧れました。

 前番組の「誇りの報酬」同様に半年の予定が延長され1年間の放送になったといいますが、まさか30年以上も人気を維持するとは誰も思わなかったでしょう。この年の暮れに劇場版映画が製作され、1989(平成元)年までは毎年1本のペースで映画化されました。この時点でかなりの人気が窺えました。

「やるっきゃないモン!」

 …正式タイトルは「痛快婦警候補生・やるっきゃないモン!」でした。
  当時流行った言葉ですが、社会党の土井たか子委員長の放った言葉がタイトルになったものでした。

 富田靖子さんが主演し、婦警候補生が刑事事件にも巻き込まれながら日々奮闘する姿が描かれ、かつて大ヒットした「スチュワーデス物語」の婦警候補生版という感じでした。両作品に山咲千里さんが出ているのが面白いところですが、「スチュワーデス-」では訓練生役で、ここでは教官役でした。

 「スチュワーデス-」同様に主人公はドジで一生懸命なタイプで、その班に5人くらいいて、コメディ系もいればクールタイプやぶりっ子系、関西人、チャキチャキ系など、キャラ分けは全くおんなじでした。
 京本政樹さんがまだ完全に二枚目路線の頃で、イケメン教官を演じていて、彼に惚れる訓練生が病気で頭を丸める事となり、そのあたりのつらいエピソードも放送されました。個人的には苅谷俊介さんが演じた鬼の堂本教官の出演が嬉しかったですね。「ゲンがこの枠に戻ってきた」という感じで。「西部警察」で無骨ながら強い男・源田刑事(ゲン)を演じ、その後考古学を極める為石原プロを離れた後で久々に見たもので。

 主人公・香里(富田靖子さん)の憧れの教官は林隆三さん演じる宮崎教官で、厳しくも暖かくて面倒見がよい教官で渋い大人の魅力を感じたものでした。OPで林さんがビリヤードでキメるシーンがありますが時代を感じます。ちなみに富田さんと林さんはこの後「ヘイ!あがり一丁」でも共演します。

「制作二部・青春ドラマ班」

 …中村雅俊さん主演のこれまた「業界モノ」で、TV局のドラマ制作班が舞台でディレクターとして奮闘する姿を中心に描かれていました。
 中村さん演じる「大沢」が、自身の若い頃のような「青春ドラマ」をつくりたい、と情熱を燃やしますが、今やそんな時代は遠い昔、時代は変わって根性論なんてやってられない、という感じで周りの人間はついていけない感じを出していました。

 制作される青春ドラマに起用されたタレント役の筆頭として木村一八さんが起用され、彼を中心にストーリーが動きましたが、暴力も振るう不良キャラはその後を感じさせました。杉浦幸さん小沢なつきさんなどもここで売り出されていました。

 スタッフ陣はヒロインに賀来千香子さんが起用されましたが、その他がかなり異色で、古舘伊知郎さんが中村さんの後輩役として起用されました、製作がテレビ朝日なのもあったかもしれませんが…。他にも同僚が泉谷しげるさんだったり、女性上司?が中山千夏さんだったり、普段ドラマであまり見ない方々がレギュラーだった感がありました。中村さんの父親役は前田武彦さんとこれまた異色でした。

「制作二部・青春ドラマ班」のワンカット

Cap0011

「特捜最前線」

 …3月をもって、10年間の放送に終止符が打たれました。
  最後は三部作になっていて、橘(本郷功次郎さん)、桜井(藤岡弘、さん)、そして神代(二谷英明さん)とそれぞれに焦点をあてながら、最後は神代課長が重傷を負いながら事件を解決し特命捜査課が特命捜査「部」に昇格し、神代が部長、特命捜査部の下に特命一課と二課が新設され、橘と桜井がそれぞれ課長に、という人事異動事例がラストシーンだったでしょうか。
 この終了直後に初期からの再放送がスタートして、この時に初めて初期メンバーを知りました。残っていたのは神代と桜井だけで、桜井は当初はエリート警部だったものの、後に暴走行為で警部補に降格となりながら、よく課長にまでなったな…と思ったものでした(笑)

「大都会25時」

 …「特捜最前線」が10年間の放送を終え、新たな刑事ドラマを模索していたテレビ朝日が制作したドラマです。ただし「特捜-」の枠ではなく、水曜21時からでした。
 主演の係長に小野寺昭さん、中心となる刑事に山下真司さんと「太陽にほえろ!」コンビを起用し、気合いを感じました。二人とも「太陽にほえろ!」で演じた役柄のその後を感じさせてくれました。「殿下が上司になったら」「スニーカーが中堅になったら」という感じで。
 山下さん同格の通信担当的な役どころに大和田獏さん、女性刑事には音楽方面で有名な真梨邑ケイさん、若手にはアイドル的人気だった湯江健幸さんを起用するなど、異色ながらなかなかのキャスティングでしたが、事件に焦点が当たり過ぎたか刑事のキャラはある程度明確だったように思いますが、それがいまいち発揮されないまま回を重ねていった気がしました。

 思っていたアクション路線ではなく中途半端に人情路線だったり、この当時刑事ドラマが大転換期にありましたが、「あぶない刑事」以外は視聴率的にはほぼ失敗した感がありました。
 小野寺さんと同格の別班の係長に平田満さんが黒縁メガネでエリート感丸出しで出てましたが、この人はそっち系じゃないだろうと思ってみてました。彼らを束ねる課長には財津一郎さん。途中でいきなり坊主頭になってビックリしました(笑)

「ベイシティ刑事」

 …「大都会25時」の後番組で、引続き刑事ドラマ枠として制作され、藤竜也さん×世良公則さんのコンビでヨコハマを舞台に派手なアクションとオシャレな会話で送る刑事ドラマでした。「あぶない刑事」同様ヨコハマが舞台でカッコいい雰囲気はありましたが、「無国籍風」に偏っていた部分が独特で、また刑事たちは「別動班」という捜査課で扱わないような事件を担当するはみだし部署でした。そんな作風が災いしてか?同時期に放送された「あきれた刑事」共々視聴率的には苦しみました(個人的に、この2作は大変好きなのですが…)

 藤竜也さんは6年前に「プロハンター」で演じた「水さん」とおんなじ、ヨコハマを舞台にオレンジのフライトジャケットとジーンズのいでたちで、完全にそのまんまでした。制作会社もテレビ局も全然違うのですがなぜ?というぐらい…。世良さんはオールバックで、ワッペンをベタベタ貼った黒のフライトジャケットにジーンズで、この二人、半年間ほぼ毎回おんなじ服装でした(笑) 当時はMA-1が流行し始めた頃で、その表れだったと思います。また、ビリヤードブームでもあり、この作品でもプールバーがよく出てきました。

 班のマスコットにおさまらず捜査活動もバリバリしたいジャジャ馬的な刑事に石川秀美さんが扮し、彼らをまとめる「班長」にはいかりや長介さんが扮していました。上司に対して全くいう事を聞かない主人公たち、という点では「あぶない刑事」と共通していて、いやりやさんはコミカルなたたずまいでガミガミ言いながらも事件は部下に任せきりで情けない中年男を演じていましたが、いざとなると情に厚く捜査課からのバッシングから部下たちを守る事もありました。

 毎回ハードな銃撃戦が定番でしたが、その無国籍作風は後に隆盛する「Vシネマのはしり」ともいわれ、そういう意味で影響力のあったドラマだと思います(世良さんの「クライムハンター」出演の伏線にはなった事でしょう)。
 ラストは船上で時限爆弾に気づかず呆気なくコンビが爆死してしまいました。その前に世良さん演じ星野刑事が狙撃警官の暴発でライフル弾を何発も浴びて瀕死の状態でしたが…。

「銭形平次」

 …昭和41~59年まで888回続いた大作ドラマで故・大川橋蔵さんが演じていたあの銭形平次が、風間杜夫さん主演で1年間放送されました。
  風間さん自身もこの大川版銭形平次には無名時代ゲストで出ていました。

  この主演が後の「八百八町夢日記」へ続き、風間さんも里見浩太朗さん同様、この日本テレビ火曜20時枠の顔となっていきます。
  平次の夫人・お静には宮崎美子さんが扮し、かわいかった覚えがあります。子分の八五郎には当時無名だった木場勝己さん、ライバル?三の輪の万七役は左とん平さんで敵キャラにはピッタリな配役と感じました。

「必殺仕事人Ⅴ・風雲竜虎編」

 …前年11月より「必殺仕事人Ⅴ・旋風編」が放送されていましたが、レギュラーの出門英さんのスケジュールや視聴率低迷等でテコ入れの形となって出門さん演じる夜鶴の銀平とひかる一平さん演じる西順之助が、仕事後の火の不始末がもとで乗っていた船が爆破し、川に投げ出されて命を落とすという、必殺シリーズでは'80年代に入ってここで初めてレギュラーの殉死がありました。

 これを経て、間に別作を挟まずに連続して「仕事人シリーズ」としてスタートしたのが本作でしたが、大きな目玉は出門さんに代わって三浦友和さんが「かげろうの陰太郎」として新しい殺し屋役で登場した事です。普段は南京玉すだれを持ち歩く大道芸人ですが、殺しとなると玉すだれを自在に操り、離れた場所の敵を仕留めるという形でした。村上弘明さんの鍛冶屋の政は継続出演となり、かとうかず子さんのお玉は「便利屋」を廃業し、影太郎と大道芸をする役どころとなりました。

 元締めではありませんが仲介役として「絵馬坊主の蝶丸」役で桂朝丸(ざこば師匠になる直前)さんがギャグメーカーの役どころをやっていました。この終了をもって、昭和のレギュラー作としての仕事人は終了し、その後は年に2、3本単発の2時間ドラマ「必殺スペシャル」として制作が重ねられ、藤田まことさんや村上弘明さんらは継続出演していきます。

「必殺剣劇人」

 …昭和の必殺シリーズとしては最後の連続ものとなり、10月には曲の改編で必殺シリーズの終了が決定していた為、9月までの8回分つなぎとして放送されたような作品でした。

 大きなガマガエルに乗って派手なメイクで登場して見栄まで切るという、それまでの必殺シリーズでは到底考えられないようなド派手で荒唐無稽な作品でした。それまでの人知れず闇に葬る、のと全くの対極をなしていて、殺しのエンタメの要素を注入した、そんな感じでした。
 ただキャストは安定したもので、主演が9年ぶりの必殺レギュラーとなる近藤正臣さんで、他の殺し屋役は田中健さん、あおい輝彦さんという盤石の体制できた、なと感じました。近藤さんは得意のトランプ芸をここで披露していました。

 元締め的な女将は二宮さよ子さん、この方が表舞台に出るのは結構レアさを感じます。そしてストーリーを回していく「お七」という10代の女性に工藤夕貴さんが扮していました。お七は、前述3人の殺し屋(それぞれ別の生業があります)のうちの誰かの子、という設定があり、3人に対してそれぞれ「○○(名前)父ちゃん」と呼んで慕っていました。
 毎回お七が遭遇する許せない事件に対して「恨みを晴らしてよ」と3人の父親に訴えかけますが、3人とも意に介さず、お七に無視されながらも毎回その標的を成敗するためにド派手なメークをして(メークをしてるのはお七に彼らが殺し屋であることがバレないようにするため)大きなカエルを膨らまして、お七の見ている目の前でまるでお祭りのような雰囲気の中、胸のすくような大活躍で悪をバッタバッタとなぎ倒し、その後3人の父は何もなかったかのようにお七の前で振る舞う、というのが基本フォーマットでした。

 最終回、必殺シリーズとしても連続では最終回となる回で、藤田まことさんの中村主水が登場し、派手な殺しっぷりに納得がいかないが助っ人として参戦するという夢の競演が実現し、この回は派手な立ち回りは抑えつつも、レギュラー3人はそれまでの仕事人の殺し技をパロディーでやるという最後まで遊び心に満ちた楽しい作品でした。

「男女7人秋物語」

 …前年に「男女7人夏物語」の大ヒットを受けて制作された続編です。
 明石家さんまさん、大竹しのぶさん、片岡鶴太郎さん以外はガラリと変わり、山下真司さん、手塚理美さん、岩崎宏美さん(!)などが出てきました。前作の方が豪華だった気もしますが、当時の色々な流行と相まって、視聴率を一度も落とすことなく最終的に36%まで跳ね上げたのが素晴らしく、主題歌「SHOW ME」を歌う森川由加里さんもブレイクする効果も生みだしました。さんまさんとしのぶさんが結婚するのはこの翌年の事でした。

「Wパパにオマケの子」

 …中村雅俊さんと片岡鶴太郎さんが生みの親育ての親としてそれぞれいて、この2人が同居してのバタバタ劇という記憶はありますが、あんまり覚えていないです。かつて「カックラキン大放送」のやっていた時間帯に30分ドラマとして放送されていました。

「パパはニュースキャスター」

 …田村正和さんが広く世間に認知された作品といっても過言ではないでしょう。
  それまでは大人のラブロマンスの相手役的な感じで、主要な役柄を演じ続けてもいて、コミカル系では「うちの子に限って」などもありましたが、そんなブレイク感がなく、ここでブレイクした感がありました。これまた業界モノですね。ホントに流行に乗っていくつものドラマが制作されたものでした。

「ママはアイドル!」

 …ミポリンこと中山美穂さんが、「中山美穂」の役柄で継母役を演じていました。
 三田村邦彦さん演じる男性と再婚し、そこの子供たちとうまくいかなかったり、自身がアイドルであり継母であること等で色々とドタバタを繰り返していました。三田村さんの子供役が永瀬正敏さんと後藤久美子さんという豪華さで、後藤さんはこの時期くらいからブレイクし、「ゴクミ」ブームを巻き起こしました。

「毎度おさわがせします」

 …小野寺昭さん主演で2作放送され、思春期の性にズバッと切り込んだ作品でしたが、勝野洋さん主演で3作目として制作されました。

 先述の出門英さんのスケジュールはこの作品との掛け持ちもあったと思いますが、勝野さんも「ジャンクル」と被っていた思います。この作品では立花理佐さんがブレイクしたかなという感じでした。多くの若手俳優が出ていたもののあまり長続きしなかった方が多かったような。

 

※86年10月以降にスタートし、87年3月までに終了したドラマは1986年の記事に譲ります

 

◆ドラマ(再放送)

初めて見た再放送作品について

「特捜最前線」

 …3月に終了しましたが、早速初期分が再放送されていました。後期しか見ておらず初期は初見でした。
 初期は結構派手で銃撃戦もあったり、アクションも結構あって個人的に好みでした。
 藤岡弘、さんの櫻井刑事はアウトローではなく、正義感に満ちたエリート警部だったのが逆に新鮮でした。
 荒木しげるさんの津上刑事は前の再放送で殉職前しか見てませんでしたが、OPの激走シーンがカッコよかったなとか、紅林(横光克彦さん)や橘(本郷功次郎さん)は初期メンバーではなかった事を知ったり、その橘の登場時はヒゲ生やしてて髪も長くて別人のようだったとか、櫻井は1年で一旦退場してるとか色々知ったものでした。何より西田敏行さんが刑事役でレギュラー出演していたのを全く知らなくてこれが驚きでした。

「翔べ!必殺うらごろし」

 …和田アキ子さんが「必殺」シリーズにレギュラー出演していたとして「テレビ探偵団」で紹介され、奇想天外感がすごかったこの作品、この年の秋に地元のサンテレビで再放送され、毎週水曜22時、週に1度の放送ですが楽しみに見ていました。
 まず金をもらって成敗するという必殺の基本フォーマットがなく、許せぬ悪を本能のおもむくがままに成敗する格好で、主人公や殺し屋メンバーに具体的な固有名詞で呼ばれる者がなく(先生、若、おばさんなど)、ほとんどのメンバーが髷を結わない現代風髪型で出演していたり、色々と荒唐無稽でした。
 しかも定職を持たない行者とその一行という感じで、和田アキ子さん演じる「若」は大きくて怪力で、男と間違えられて育ったという夜を拗ねて生きている女性で、特に武器を持たず、パンチや蹴りで相手を撲殺するという殺し技の持ち主でした。主役・中村敦夫さん演じる「先生」は、普段持っている旗のついた大きな木の棒を投げつけて相手を串刺しにするというこれまた豪快な技で、市原悦子さんの「おばさん」は「日本昔ばなし」の口調で優しくささやきながら近寄っていき、相手に飛び込んで刺し殺すというこれもある意味怖すぎる殺し技で、あまりに必殺の世界観が崩壊しきっていた為視聴率が最悪で、必殺シリーズ打切りの危機を迎えたいわくつきの作品であった、とも後で知りました。

 

◆ラジオ番組

「国広正夫の興奮アリーナ」

 …どこかでこれについて触れておきたいと以前から思っていました。
 プロ野球中継のなくなる秋から冬にかけて、長時間の帯番組として平日放送されていたのですが、当時部屋にテレビがなかったので、よくラジオのツマミを回してあれこれ聴いてるうちにこの番組に行き着きました。

 当時ラジオ関西のアナウンサーだった国広正夫さんをメインに、内包番組を差し挟みつつ3時間ほどの番組だったと思いますが、アシスタントの「ノリちゃん」こと永井のりこさんとの掛け合いが絶妙で、何ともホッコリしていました。国広さんは低音の落ち着いた声が魅力的で、のりちゃんは力士の南海龍が好きだったのを覚えていますが、その後程なく南海龍は廃業してしまいました…。この番組の事をネットで調べても語る方は皆無につき、ここで触れておきます。たしか翌年のオフシーズンも放送されていたように記憶しています。

 その国広さんにつき定年退職後分かっていませんでしたが、2021年頃に亡くなられたようで、亡くなった事以外詳しくは明かされていないようで、何ともショックでした。
 

「ジョイフル・ポップ」

 …NHK-FMで毎晩平日にやっていた音楽番組で、曜日ごとにジャンルとパーソナリティーを設定して放送されていました。
 そのうちの水曜日がいわゆる懐メロコーナーで、レコードを持っていなかった自分は、この放送で昔聴いたような曲を沢山聴くことができました。

 

2023年8月15日 (火)

生活と思い出と世の中と(1987年②)

遡って振り返る、「生活と思い出と世の中と」。53回目は1987(昭和62)年の第2回です。

当時の自分の生活から世の中へアプローチする形で綴ります。

 

●高校生活

この年は、高校1年生から2年生になる年でした。

1月に高校で長野の志賀高原へスキー旅行、これが実質的な高校の修学旅行でした。1年生の1月にです。

自分の生涯で後にも先にもスキー経験はこの1回だけで、それなりに滑れるようにはなりましたが、こんなに前準備が面倒なのはちょっととっつきにくいと思ったのと、この時に両足内側(くるぶしの斜め前下)に大きな水膨れをつくってしまい、「無理だ」と思ってしまいました。

これは自分の身体の問題かもしれませんが、両足くるぶしの斜め前下に「軟骨」が突出していて、スキー講習の時はずっとここが擦れて痛み、旅行の想い出も半減という感じでした。この軟骨は誰にでもあるもので、自分が不器用だから水ぶくれをつくったものだとばかり思っていましたが、この時に普通の人にはそんなものがない事が分かりました。自分が特異だという事が…。この部分は中学生の時に走り過ぎた時も傷んでいて、なんで自分だけそうなるのか不思議でしたが深くは考えていませんでした。

この時、トランプの大富豪を移動の列車内でよくやってました。今だったらスマホでゲームなんですかね?アナログでよかったと思うのは、やはり同級生とのコミュニケーションが取れたことでしょうか。旅行中はスキー本編で苦しんだのが大半で、それ以外の方が楽しかったです。
当時、長野駅に寄りましたが、新幹線の開業する全然前でした。

2月には「太陽にほえろ!PART2」が終了しました。前年11月に「太陽にほえろ!」が石原裕次郎さん勇退の形で終了し、これを受けて1クールだけ制作されていました。当時からこれはすぐに終わるんだろうなと思っていましたが、2月20日に遂に終了し、金曜日の大きな楽しみの一つがなくなりました。後番組として「ジャングル」という刑事ドラマがスタートしましたが、さすがに「太陽-」のようなワクワク感は得られませんでした…

この年は、前記事にも書きましたが、「太陽にほえろ!」をはじめ、「特捜最前線」が10年で終了、「必殺シリーズ」が15年で、「ザ・ハングマン」のシリーズが断続的ながら7年でいずれも終了したという、テレビドラマの「時代の変わり目」だったと思います。映像もフィルムからビデオ映像に変わっていき、テレビとの距離感が変わってきたことを感じていました。

この高校1年の終り頃、1月くらいから自分の服を自分で買うようになりました。恥ずかしながら?それまでずっと親の買った服またはおさがりなんかを着ていたわけで、服装とかファッションとか全く意識していませんでしたが、友達の影響でブティックに寄ったりしながら、こんな服着たいとか思うようになり、自分で服を買うようになりました。それが楽しくて、一時期ちょっと過剰な方向へいってしまいましたが…。麻混の白ズボンとかGジャンとか「これが着れるんだ」とか思って買ってました。革ジャンはまだ金がなくて買うのは先の事ですが。

3月末に国鉄がJRへ分割民営化し、NHKラジオが24時をすぎても特番して放送されました。当時は24時を過ぎてNHKラジオが放送するのは、大きな出来事があった時だけだったので、そういう日はなんか得した気分になったものでした。

また「太陽にほえろ!」がよみうりテレビでマカロニ、ジーパン、テキサスという初期の3刑事のみの殉職編だけを再放送というのをやってくれました。番組が前月終わったばっかりで、すっかり「太陽-」ロスになっていたので、これは有り難かったですね。テキサス殉職編は当時ビデオが家になかったので、TVチューナー付きのラジカセで録音しました。

 

4月に高校2年になり、クラスも変わりました。
この時、生まれて初めて歯医者というものに行きました。それまで歯医者へ行かなかったのを後悔したものでしたが、結構何度も通っていました。麻酔をかけられて口の感覚がマヒしたまんまで帰宅して親から出されたスパゲッティの味は何だか妙でした。

部活(テニス)でようやく後輩が入り先輩となりました。自分たちの代も20何人と入りましたが、後輩も結構入ってきました。後輩がラケットも持てずに走り回っていた頃、コートでサーブレシーブの練習とかよくやってました。自分は早いサーブがなかなか取れなくて苦戦しましたが、逆に自分が変なサーブを打ってやろうと、上げたボールを真横からこすって恐ろしく変化するサーブを打っていました。なので、自分がサーブする時は受け手はすごく変な位置に立って待ち受けていました(笑)

8月に部活を辞める事となり、その前に部の友達うちで神戸市須磨の水族館へ行きましたが、楽しい思い出となりました。何喋っても笑ってたような気がして、こういう若い時?ならではだなと思います。大人になってからこんな素で何でも笑えるような会話をした覚えがなくて。

部活を辞めましたが、運動量が明らかに落ちた割に体重が増減するわけでもなく、生活が激変したという感じもありませんでした。確かに帰りに寄り道することは増えましたが…。

7月の石原裕次郎さんの訃報が衝撃的過ぎました。たしかに以前から大病され、ドラマも降板の形で勇退しましたが、52歳は早すぎました。ずっと「太陽にほえろ!」を見ていたので、家族のような想いを勝手に持っていました。この時はその前に鶴田浩二さんの訃報があり、また有島一郎さんのようにこの年の初めまでドラマに出ていた方の訃報など、一時期に集中していた感がありました。

秋の体育大会で、うちの高校は川中島という柔道着を着ての騎馬戦をやっていましたが、そこでもみくちゃにされる中、顔面を強打して鼻血が大量に出て、周りも巻き込み鼻血まみれになりました。今ならどうか分かりませんが、当時は何もなかった事扱いになっていましたね。単に恥ずかしくてわざわざどこかへ言い出す事もありませんでしたし…。学校行事で流血なんて今ならどう扱われるのか…??考えてしまいますね。

10月末からの約1ヶ月間が高校生活で最も楽しい時期でした。高校生活は楽しい事も嫌な事も色々ありましたが、楽しいの絶頂はこの時でした。単に好きな子と席が前後ろになって毎日のように何かしら話せたりコミュニケーションを取れただけの事ですが…。休みなんかいらないくらい、毎日学校へ行きたいと思えたのは、この時ぐらいかもってほどでした。17歳、夢と希望にあふれた時期でしたので。。なので、勉強もがんばりました。彼女が「教えてほしい」と頼ってくれればと思って。実際殆どありませんでしたが、1度だけ授業中の小テストをやった時に終了間際に前の席から「答え合わせしよ」と言われて確認し合った時は「頑張ってよかった」と思ったし、それだけ頼ってもらって嬉しい、とも思えました。人間のモチベーションってこういうとこから生まれるんだな、とつくづく思いました。この時、土曜日は昼までの授業でしたが、土曜に出てくるのも全く苦じゃなかったですね。

また、この時うちの高校からアイドルが誕生しました。雑誌のオーディションに合格し上京して、翌年歌手デビューして「夜のヒットスタジオ」にも出ていて、ビックリしたものでした。何せ幼稚園から高校まで一緒だったもので。あまり話したことはありませんでしたが…。

12月頃、当時近所にあったプラザセイコーというショッピングセンターが閉店しました。先述のアイドルの彼女は毎日ここの駐輪場に自転車を止めて、バスでうちの高校へ通学していましたが、幼少期からの思い出深い地でいろんなお店があって、付き合いも浅からぬものがあり、夏休みの終りには盆踊り大会があったり、まさに地域とつながったショッピングセンターでした。時代に合わなくなったという事でしょうか。離れにあった「富士」という喫茶店には亡父とたまに来たり、両親と食べに行ったり…、色々思い出がありました。
今もそのプラザセイコー跡地は一部礎石の形で微妙に残っています。(写真)

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このショッピングセンターが閉店し、ここにあった理髪店も撤退してしまいました。
この理髪店は1980(昭和55)年頃からここにテナントとして入って以降ずっとお世話になっていたところで、ここで散髪したのが多分この年の初め頃だと思いますが、知らぬ間に店が無くなってて(センター閉鎖に伴う立ち退きだったのか?)、中学に入る前に坊主になる前の髪型だったり、中学時代坊主だったのを伸ばした後の髪型だったり、その節々につけて何かとお世話になったところでした。店主が飄々とした感じながら、角刈りでちょっと強面の入った感じの独特の雰囲気の方でした。考えてみたら「プラザの散髪屋」で通じていたので、店名とか全然覚えておらず、名前を意識した事すらありませんでした。超ローカルな話ですみません。とにかくこの件で行きつけの理髪店を変える事となり、少し遠方になりました。

年末に、家のトイレを治す工事をしていて、しばらく外の離れに仮設トイレをあてがわれて使っていました。今も同じようなタイプの仮設トイレを見かけましたが、この辺は30何年たってもそうは変わってないなという感覚でした。

2023年8月 7日 (月)

生活と思い出と世の中と(1987年①)

遡って振り返る、「生活と思い出と世の中と」。52回目は1987(昭和62)年の第1回です。

当時のニュース・世相などと自分の生活を絡めて綴ります。

 

●ニュース

・NTT株が上場

 …NTTの株が上場され、かなり高額だった気がしますが、株が財テクとして捉えられ始めた頃かな、となんとなく感じていました。
  当時高校1年でしたが、中1の頃から株式市況などのニュースを聞くのが好きで意味も分からずよく聞いていたのもあって、この件は周りよりも多少興味を持って聞いていました。
  それまで「電電公社」という私企業ではなかった団体が、上場企業になったという事で、昭和末期のいろんな公営団体が民営化していく流れの一つとしてこのNTTの変わりゆく姿がありました。

・三井物産マニラ支店長誘拐事件 人質の解放

 …前年1986(昭和61)年から誘拐されていたこの支店長が、解放されました。人質になっていた時の写真などセンセーショナルに報じられていましたが、無事に解放されていました。しかしこの支店長はそれから程なくして亡くなられたのはまたも驚きでした。フィリピンは怖いところとその前から勝手に思っていましたが、この時も同様の感情を持ちました。

・国鉄の分割民営化

 …国鉄が民営化され「JR」になりました。これも先のNTTの流れですが、もっと規模の大きい話であり、当時通常24時までしかやっていなかったNHKラジオが、日を越えても特番的に放送を続けていたのを覚えています。この年の最も大きな出来事、と個人的には思っています。

 民営化してしばらく経ってもまだ「JR」の呼称が浸透しきらなかったこともあって、日の浅いうちは同級生は「国鉄で通ってる」という人も結構いました。

・朝日新聞阪神支局襲撃事件

 …GWの真っ最中に起こったショッキングな事件でした。
 赤報隊を名乗ったメンバーが新聞社に乗り込み銃を発砲し、記者を殺害したという大変痛ましい事件で、この事件以降にも赤報隊が起こしたとされる事件はいくつか発生していますが、すべて時効を迎えてしまっているとの事で、言論の自由を武力弾圧するという、当時社会の勉強を教科書で学んだ身としては、そういうものを超越した恐ろしい事件でした。ドラマではなくこんなこと現実にあるんだ、と思って。

・郷ひろみ、二谷友里恵結婚

 …この年はビッグカップルの結婚が多く、また大々的に報じられ、来世で一緒に…というコメントで世を賑わせた郷氏がなんとリーこと二谷友里恵さんと結婚、お父さんの二谷英明さんは「特捜最前線」の10年間の出演を終えたばかりの頃でした。郷さんの曲に「LEE」というのがありましたが確か彼女の事ですよね。その後はニューヨークへ移住、郷さんの芸能活動はかなり限定的だった感がありました。

 その後、秋には渡辺徹、榊原郁恵のカップルが結婚、その披露宴はテレビ中継がなされ高視聴率を取っていました。

・おニャン子クラブ解散

 …1985(昭和60)年から放送された「夕やけニャンニャン」でおニャン子クラブが登場し、それまで素人同然だった子たちが突如アイドルになるような、新しいアイドル像が具現化されたこの現象、当時は何人も生き残らないと言われたものでしたが、意外と残ったもので、また議員になった方も居るほどとなりました。現在の乱立するアイドルユニットの萌芽となる存在ともいえるかと思います。

・関口宏のサンデーモーニング スタート

 …この年に放送開始され、現在も放送されている超・長寿番組ですが、関口さんの番組は長寿番組が多く、当時でも他に掛け持ちもしていましたが、意外に知られていないのは「ミュージックステーション」の初期司会者は関口さんであり、タモリさんが最初からやっていたわけではないのです。

・竹下内閣発足

 …5年間にわたる長期政権を誇った中曾根康弘首相からバトンを受け継いだのは竹下登氏でした。島根県出身の首相として注目されましたが、なんといっても「ばらまき」と言われたふるさと創生事業はとにかくインパクトはありました。そして昭和最後の首相として務めた後、1989年のリクルート事件で失脚しますが、当時はもっと長期政権になるかと思っていて、何か拍子抜けした感がありました。

・江川投手 突然の引退

 …巨人の江川卓投手がこの年13勝を挙げ、チームは4年ぶりにセ・リーグ優勝(王監督政権下では唯一の優勝)をしたにもかかわらず、突然引退を宣言し、記者会見が開かれたのはビックリでした。肩の具合が相当悪く、完投もできず「100球肩」と揶揄されたことも多かったですが、今なら先発は100球で交代みたいなのがあるので、こんな事は言われることはないよな、とか思ってしまいます。

 とにかく32歳の若さで、まだまだやれると思われた中での引退はショッキングで、翌年には同級生の掛布雅之選手が33歳の若さで引退してしまいます。

・横綱 双羽黒の廃業

 横綱・双羽黒が親方と衝突し部屋から失踪する形で廃業となりました。
 「新人類横綱」と揶揄され、堪え性のなさのようなものを指摘されていましたが、この世代も今や還暦ですが、昔の還暦に比べたらパソコンや機器類にも強いしトレンどにも敏感で、この昭和との時代の違いを感じます。

 この年の相撲界では大関・若嶋津関が30歳で引退しました。結婚前は大関で優勝するなど、横綱に最も近い存在と言われましたが、その後ケガなどで伸び悩み、綱取りはなりませんでした。先日親方として定年を過ぎて相撲協会を退職したとの報がありここでも時の流れを感じます。

・マルサの女

 映画として大ヒットし、伊丹十三監督の一連の作品の中でも顕著に流行語として世間を賑わしたりしていました。抜き打ち検査的なことを「マルサ」といったりもしていました。

・長寿ドラマシリーズが続々と終了

 …この年は長寿ドラマや、そのシリーズが相次いで終了するなど、時代の境目的な年と感じました。

 まずは「太陽にほえろ!」で、前年11月に石原裕次郎さん主演の形では14年4ヶ月、718回にわたる放送に終止符が打たれましたが、続いて「PART2」が制作され、放送延長も検討されましたが結局はこの年2月に終了しました。14年7か月、計730回の放送でした。

 「特捜最前線」は1977(昭和52)年4月、それまで16年も続いた「特別機動捜査隊」という刑事ドラマ最長寿作品の後番組としてスタートしましたが、ちょうど10年経ったこの年の3月に放送を終了しました。

 「必殺」シリーズは1972(昭和47)年に「必殺仕掛人」がスタートし29作もの作品が手を変え品を変えシリーズとして放映され、「必殺剣劇人」の終了をもって15年もの長きにわたってのレギュラー放送を一旦終える事となりました。
 他にも「ハングマン」シリーズとして「ザ・ハングマン6」が放送スタートしましたが、諸般の事情で主演者が交代し、「ハングマンGOGO」の最終回をもって、連続ではありませんが約7年続いたシリーズが終了する事となりました。当時のテレビ局事情が色々あったようですが…。これが昭和の終りのような感覚を先取りしていたのかな、と今から思えば感じてしまいます。

 

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