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2023年8月15日 (火)

生活と思い出と世の中と(1987年②)

遡って振り返る、「生活と思い出と世の中と」。53回目は1987(昭和62)年の第2回です。

当時の自分の生活から世の中へアプローチする形で綴ります。

 

●高校生活

この年は、高校1年生から2年生になる年でした。

1月に高校で長野の志賀高原へスキー旅行、これが実質的な高校の修学旅行でした。1年生の1月にです。

自分の生涯で後にも先にもスキー経験はこの1回だけで、それなりに滑れるようにはなりましたが、こんなに前準備が面倒なのはちょっととっつきにくいと思ったのと、この時に両足内側(くるぶしの斜め前下)に大きな水膨れをつくってしまい、「無理だ」と思ってしまいました。

これは自分の身体の問題かもしれませんが、両足くるぶしの斜め前下に「軟骨」が突出していて、スキー講習の時はずっとここが擦れて痛み、旅行の想い出も半減という感じでした。この軟骨は誰にでもあるもので、自分が不器用だから水ぶくれをつくったものだとばかり思っていましたが、この時に普通の人にはそんなものがない事が分かりました。自分が特異だという事が…。この部分は中学生の時に走り過ぎた時も傷んでいて、なんで自分だけそうなるのか不思議でしたが深くは考えていませんでした。

この時、トランプの大富豪を移動の列車内でよくやってました。今だったらスマホでゲームなんですかね?アナログでよかったと思うのは、やはり同級生とのコミュニケーションが取れたことでしょうか。旅行中はスキー本編で苦しんだのが大半で、それ以外の方が楽しかったです。
当時、長野駅に寄りましたが、新幹線の開業する全然前でした。

2月には「太陽にほえろ!PART2」が終了しました。前年11月に「太陽にほえろ!」が石原裕次郎さん勇退の形で終了し、これを受けて1クールだけ制作されていました。当時からこれはすぐに終わるんだろうなと思っていましたが、2月20日に遂に終了し、金曜日の大きな楽しみの一つがなくなりました。後番組として「ジャングル」という刑事ドラマがスタートしましたが、さすがに「太陽-」のようなワクワク感は得られませんでした…

この年は、前記事にも書きましたが、「太陽にほえろ!」をはじめ、「特捜最前線」が10年で終了、「必殺シリーズ」が15年で、「ザ・ハングマン」のシリーズが断続的ながら7年でいずれも終了したという、テレビドラマの「時代の変わり目」だったと思います。映像もフィルムからビデオ映像に変わっていき、テレビとの距離感が変わってきたことを感じていました。

この高校1年の終り頃、1月くらいから自分の服を自分で買うようになりました。恥ずかしながら?それまでずっと親の買った服またはおさがりなんかを着ていたわけで、服装とかファッションとか全く意識していませんでしたが、友達の影響でブティックに寄ったりしながら、こんな服着たいとか思うようになり、自分で服を買うようになりました。それが楽しくて、一時期ちょっと過剰な方向へいってしまいましたが…。麻混の白ズボンとかGジャンとか「これが着れるんだ」とか思って買ってました。革ジャンはまだ金がなくて買うのは先の事ですが。

3月末に国鉄がJRへ分割民営化し、NHKラジオが24時をすぎても特番して放送されました。当時は24時を過ぎてNHKラジオが放送するのは、大きな出来事があった時だけだったので、そういう日はなんか得した気分になったものでした。

また「太陽にほえろ!」がよみうりテレビでマカロニ、ジーパン、テキサスという初期の3刑事のみの殉職編だけを再放送というのをやってくれました。番組が前月終わったばっかりで、すっかり「太陽-」ロスになっていたので、これは有り難かったですね。テキサス殉職編は当時ビデオが家になかったので、TVチューナー付きのラジカセで録音しました。

 

4月に高校2年になり、クラスも変わりました。
この時、生まれて初めて歯医者というものに行きました。それまで歯医者へ行かなかったのを後悔したものでしたが、結構何度も通っていました。麻酔をかけられて口の感覚がマヒしたまんまで帰宅して親から出されたスパゲッティの味は何だか妙でした。

部活(テニス)でようやく後輩が入り先輩となりました。自分たちの代も20何人と入りましたが、後輩も結構入ってきました。後輩がラケットも持てずに走り回っていた頃、コートでサーブレシーブの練習とかよくやってました。自分は早いサーブがなかなか取れなくて苦戦しましたが、逆に自分が変なサーブを打ってやろうと、上げたボールを真横からこすって恐ろしく変化するサーブを打っていました。なので、自分がサーブする時は受け手はすごく変な位置に立って待ち受けていました(笑)

8月に部活を辞める事となり、その前に部の友達うちで神戸市須磨の水族館へ行きましたが、楽しい思い出となりました。何喋っても笑ってたような気がして、こういう若い時?ならではだなと思います。大人になってからこんな素で何でも笑えるような会話をした覚えがなくて。

部活を辞めましたが、運動量が明らかに落ちた割に体重が増減するわけでもなく、生活が激変したという感じもありませんでした。確かに帰りに寄り道することは増えましたが…。

7月の石原裕次郎さんの訃報が衝撃的過ぎました。たしかに以前から大病され、ドラマも降板の形で勇退しましたが、52歳は早すぎました。ずっと「太陽にほえろ!」を見ていたので、家族のような想いを勝手に持っていました。この時はその前に鶴田浩二さんの訃報があり、また有島一郎さんのようにこの年の初めまでドラマに出ていた方の訃報など、一時期に集中していた感がありました。

秋の体育大会で、うちの高校は川中島という柔道着を着ての騎馬戦をやっていましたが、そこでもみくちゃにされる中、顔面を強打して鼻血が大量に出て、周りも巻き込み鼻血まみれになりました。今ならどうか分かりませんが、当時は何もなかった事扱いになっていましたね。単に恥ずかしくてわざわざどこかへ言い出す事もありませんでしたし…。学校行事で流血なんて今ならどう扱われるのか…??考えてしまいますね。

10月末からの約1ヶ月間が高校生活で最も楽しい時期でした。高校生活は楽しい事も嫌な事も色々ありましたが、楽しいの絶頂はこの時でした。単に好きな子と席が前後ろになって毎日のように何かしら話せたりコミュニケーションを取れただけの事ですが…。休みなんかいらないくらい、毎日学校へ行きたいと思えたのは、この時ぐらいかもってほどでした。17歳、夢と希望にあふれた時期でしたので。。なので、勉強もがんばりました。彼女が「教えてほしい」と頼ってくれればと思って。実際殆どありませんでしたが、1度だけ授業中の小テストをやった時に終了間際に前の席から「答え合わせしよ」と言われて確認し合った時は「頑張ってよかった」と思ったし、それだけ頼ってもらって嬉しい、とも思えました。人間のモチベーションってこういうとこから生まれるんだな、とつくづく思いました。この時、土曜日は昼までの授業でしたが、土曜に出てくるのも全く苦じゃなかったですね。

また、この時うちの高校からアイドルが誕生しました。雑誌のオーディションに合格し上京して、翌年歌手デビューして「夜のヒットスタジオ」にも出ていて、ビックリしたものでした。何せ幼稚園から高校まで一緒だったもので。あまり話したことはありませんでしたが…。

12月頃、当時近所にあったプラザセイコーというショッピングセンターが閉店しました。先述のアイドルの彼女は毎日ここの駐輪場に自転車を止めて、バスでうちの高校へ通学していましたが、幼少期からの思い出深い地でいろんなお店があって、付き合いも浅からぬものがあり、夏休みの終りには盆踊り大会があったり、まさに地域とつながったショッピングセンターでした。時代に合わなくなったという事でしょうか。離れにあった「富士」という喫茶店には亡父とたまに来たり、両親と食べに行ったり…、色々思い出がありました。
今もそのプラザセイコー跡地は一部礎石の形で微妙に残っています。(写真)

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このショッピングセンターが閉店し、ここにあった理髪店も撤退してしまいました。
この理髪店は1980(昭和55)年頃からここにテナントとして入って以降ずっとお世話になっていたところで、ここで散髪したのが多分この年の初め頃だと思いますが、知らぬ間に店が無くなってて(センター閉鎖に伴う立ち退きだったのか?)、中学に入る前に坊主になる前の髪型だったり、中学時代坊主だったのを伸ばした後の髪型だったり、その節々につけて何かとお世話になったところでした。店主が飄々とした感じながら、角刈りでちょっと強面の入った感じの独特の雰囲気の方でした。考えてみたら「プラザの散髪屋」で通じていたので、店名とか全然覚えておらず、名前を意識した事すらありませんでした。超ローカルな話ですみません。とにかくこの件で行きつけの理髪店を変える事となり、少し遠方になりました。

年末に、家のトイレを治す工事をしていて、しばらく外の離れに仮設トイレをあてがわれて使っていました。今も同じようなタイプの仮設トイレを見かけましたが、この辺は30何年たってもそうは変わってないなという感覚でした。

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